2023年11月30日木曜日

日本の温泉は海外在住者の憧れの場所 やっぱり日本って素晴らしい!

  


 若い頃には、そんなに憧れることもなかったのに、特に海外に出てから、時々、映像や画像で見かける日本の温泉の景色には、ため息が出るほど憧れ、いつしか憧憬といえるような感覚を覚えるようになりました。

 いつか、「日本の温泉に行きたい!」、「いいなぁ〜〜日本の温泉!」、「一日、温泉に何回も浸かって、美味しいご馳走を食べてのんびりしたい!」と、いつもいつも思っていました。大袈裟ではありますが、それは長年の私の夢でもありました。

 しかし、これまでの一時帰国は、なんだかんだと色々、他の用事に追われることになり、結局、今まで、ほとんどそのような機会はありませんでした。

 今回は、一念発起して、いつもとは、逆バージョンに日本の一時帰国の予定を立て始め、一度は行ってみたい・・というか、是非、泊まってみたいと思う旅館の予約に合わせて、日本行きのチケットを取りました。

 というのも、その私が泊まってみたかった旅館は、想像以上の人気だったらしく、かなりお値段のはる旅館にもかかわらず、一緒につきあってくれるという友人に、「予約状況がどんなふうになっているか?見てみて!」と頼んだら、「11月はもう1日しか空きがないから、早く飛行機のチケット取らないと、取れないよ!」と言うので、慌てて、その日を間に挟んだ日付でチケットを予約したような感じでした。

 不景気だ不景気だと言われているのに、このような旅館がかなり早い段階から、すでに予約でほぼいっぱいだというのにもびっくり!私としては、一世一代の贅沢と思って、「よし!絶対行きたい!」とかなり思い切ったつもりだったのに、こんなにいっぱいとは・・驚きでした。

 ここは、九州の霧島温泉で、せっかく九州まで行くのなら、もう一泊くらいはしたいと思い、一日目は、別の良さそうな旅館を予約して、今日はその一日目の宿です。

 霧島には、偶然にも、私がロンドンにいた頃に知り合いになって以来、どういうわけか?付き合いの続いている年下の男の子(今では立派なおじさんですが・・)がいて、前もって、「今度、友人と霧島行くよ〜!」と伝えておいたら、二日目の日に仕事を早めに切り上げて、霧島を案内してくれることになっていたのですが、なんと初日まで、サプライズで空港まで出迎えに来てくれていて、ちょっと感動しました。

 今では立派なおじさんですが、彼は最初に出会った20代の頃からすでに子供が2〜3人はいそうに見えるおじさんでした・・。

 行きの飛行機がけっこう遅れて、あらかじめ立てていた予定が大幅にずれ、桜島を眺めに眺望のいい丘の上に立つ城山観光ホテルに行き、ついでに美味しいと評判のさつま揚げを購入し、道すがら、美味しそうなものを見るたびに、車を停めて、味見したりしながら、旅館についた頃には、もう真っ暗。

 お部屋ごとに室内のお部屋に加えてそれぞれのお部屋に風情のあるお庭がついていて、そこには2つもの露天風呂があり、もう着く早々、お風呂に入ったり出たり、大はしゃぎ。おまけにお部屋には、大変、高性能の全身マッサージチェアが配備されていて、友人は、その椅子に張り付いて、もう長いこと動きません。


 食事は黒毛和牛と黒豚のしゃぶしゃぶやおさしみ、お造り、松茸の土瓶蒸し、地鶏の炊き込みごはんなどなどのごちそうをお腹いっぱい食べて、もう極楽そのものの夜を過ごし、今、なんと、これをお部屋の露天風呂に浸かりながら書いています。

 こんな幸せな空間が日本にはあるんだ・・日本もまだまだ捨てたもんじゃない・・と都合のよいことを思っています。

 ゆっくり、ゆったり、くつろいで過ごそうと思っていたのに、お風呂に何度も入ったり出たりして、「お肌がつるつるすべすべ〜!」とかいいながら、寝るのも惜しい気持ちです。しかし、ベッドがまた、このうえなく寝心地がよく、このベッドで少しでも長く寝たいわ、露天風呂にはつかっていたいわ、マッサージチェアにもすわっていたいわ・・もう身体が一つでは足りない感じです。

 本当に豊かな温泉源に恵まれ、これがまた、しびれるほどにまろやかなお湯でお湯から上がっても、ローションや化粧水などは無用に感じるほどお肌はしっとり。虫さされのあとのお肌のトラブルっぽくなっていた箇所もスベスベになりました!

 今まで考えてもみなかったパンデミックが起こったり、戦争があちこちで起こったり、いつまた、長期間、日本に来れなくなるかもしれないかと思うと、今後は、日本に来れる時には、こうした日本の美しく、心地よい場所をできるだけ巡りたいと思います。

 明日はいよいよ、念願の旅館に宿泊予定でワクワクしています。


日本の温泉 霧島温泉郷


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2023年11月29日水曜日

数年ぶりの弟との再会

  


 東京にある実家のことで話すことがあり、今度、姉貴が帰ってくるときに合わせて帰るからと弟から連絡があって、その予告どおりに弟も日本に帰国してきてくれて、本当に数年ぶりに弟と再会しました。

 私は、イギリスから一度、日本に戻った後に、コートジボアールを経てパリ、その間、弟は、アメリカに転勤になって、その後、現在はシンガポールで仕事をしており、二人とも、海外生活を続けているため、帰国のタイミングが必ずしも合うわけでもなく、長い間、あんまり顔を合わせる機会はありませんでした。

 私はなんだかんだでパンデミックの時を除けば、たいてい一年に一度は日本に来ているのですが、従姉妹や他の親戚に会うことはあっても、彼に会えることは滅多にありませんでした。

 弟は、日本の企業に勤めていて、そこから海外赴任という形で海外生活を送っているので、私とは、ちょっとスタンスが異なるのですが、二人とも海外で生活をしているという意味では共通することで、これは母が小さい頃から私たちに英語を教えてくれていたことが大きく影響していると思っています。

 私の記憶が正しければ、私が彼と前回、最後に会ったのは、父が亡くなった時と、その翌年の相続手続きの際だったと思います。ごくごくたま〜にメールなどをすることはあっても、弟は第一線でバリバリに忙しく働いているので、そうそう頻繁に連絡を取ることはしていません。

 しかし、そこはさすがに兄弟で、いくら久しぶりでも一瞬に距離が縮まる感じで楽しく話をすることもでき、色々な昔話や、合わなかった間の出来事など、話が尽きることはありませんでした。

 弟は知らない間にけっこうな大病もしたりしていたようで、話を聞けば、命を取り留めているのが奇跡的な感じでもあるのですが、とりあえず、現在は、なんとか病気も克服したようで、元気に、また精力的に仕事をし、それなりに苦労もしながら、大人になったんだなぁと懐かしいような嬉しいような、一面では母親のような気持ちにもなりました。

 彼の娘もまた立派に成長し、仕事をしているようで、お互いに子育ての時は終わり、また人生の次の段階にさしかかりつつあることを感慨深く、思いました。

 今は私の娘が一人で生活している実家で少し話をしてから、従姉妹も交えて食事にでかけましたが、同世代の親族での会話はお互いのこれまでの軌跡を知り合い、共通のバックグラウンドを持つもの同士にしかわからない微妙な感覚があり、また、我が一族共通の異常な「食」への執着も楽しい話題の一つでもあり、周囲から見たら、あの人たち、一体、どれだけ飲んで、どれだけ食べる奴らなんだ・・と思われたと思いますが、それぞれの面々は、そんなことは、微塵も気にしている様子はなく、思い切り飲んで、食べて、しゃべって、楽しい時間を過ごしました。

 「次回はみんなで旅行でもしようよ・・」という話になったところで、お開きになりましたが、今までは似ても似つかないと思っていた弟の後ろ姿にちょっと父の面影を感じてどっきりしたりもしました。

 これまでの人生を振り返れば、弟と暮らしていた時間よりも別々になってからの方がずっと長い時が経っているのに、やっぱり兄弟なんだな・・と思えるのは、とても不思議な気持ちと嬉しい気持ちが混ざったほんわかとした温かい気持ちになりました。

 海外で生活していて、ふだんは離れていても、こういう兄弟とか従姉妹のつながりってありがたいものだな・・と感じた夜でした。

 一応、社会人としては成功したと思われる弟ですが、これからは、そんなに忙しくしないで、余暇を楽しめる生活に上手くシフトしていってほしいなと思っています。


兄弟 弟


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2023年11月28日火曜日

日本での運転免許証更新手続きと国際運転免許証

  


 今回の私の一時帰国の一番の目的は運転免許証の更新手続きでした。

 海外で生活していると、日本の運転免許証は、運転そのもののために使うよりも、私にとっては、身分証明書として必要不可欠なもので、これが失効してしまうと、色々、面倒なので、必ず、更新のタイミングを逃さないように気をつけています。

 今なら、もう子供のお休み(バカンス期間)なども関係ないので、日本に来ようと思えば、いつでも来れるので、そんなに問題ではないのですが、以前は、子供のバカンス期間に合わせて、日本に来ることが多かったので、免許証の更新のタイミングに必ずしも帰ってこれるわけでもなく、それを考えると、しばらくは来れそうもないから、有効期限までは、けっこうあるけど、更新していってしまおうと、前倒しに更新手続きをしてしまうことが多くて、5年間有効の免許証なのに、実質はそれ以下になってしまうことが多くて、おそらく、ふつうに日本で生活をしている人と比べたら、ずいぶん余計に更新手続きをしてきたのだろうと思います。

 今回もまた、免許証の有効期限は来年の1月22日までとなっていたのですが、来年の1月には、日本に来れそうもなかったために、今年の年末にしようと、まあ、また少し前倒しだけど、しょうがないか・・と思っていたのです。

 前回、免許証を書き換えた時は、まだ平成でしたが、もう平成という年号は、令和に変わることがわかっていたにもかかわらず、免許証の表示は、平成36年1月22日までとなっていて、いいかげん、年号での表示はやめて!せめて、令和になることがわかっているのだから、令和6年って書いてよ!と思っていました。

 運転免許証の更新手続きは、地元の世田谷警察署でできるので、毎度おなじみの世田谷警察署の裏手にある運転免許更新所に出向くのですが、これがまた、プレハブ建の掘立て小屋のような建物で、毎回感じる、みすぼらしさは相変わらず。もはや、ここまで変わらないと郷愁のようなものさえ感じます。まあちゃんと機能していれば、見かけなどはどうでもよいのですが・・。

 手続きが順を追ってスムーズに運ぶようにできているのですが、以前と比べると、空いている感じで、運転免許を取る人が減ったんだなぁ・・と思います。そこで働いている人々は、警察のOB、OGらしき人が多く、やけに上から目線な人が多いなという印象でしたが、今回の人たちは、ずいぶん態度が軟化した気がしました。

 私は、EU圏の運転免許証を持っていたのですが(イギリスにいた時に取得したもの)、これが失効してしまって、新しく免許を取り直すのが面倒で、同時に日本で国際免許証を発行してもらいました。こちらの方の期限は1年間なのですが、まあ、また1年くらいしたら、日本にも来るだろうから、とりあえず、とっておこうといった感じです。

 国際免許証申請には、証明書用の写真が必要ですが、この写真も同建物の中に自分で撮れる場所があるので、あらかじめ写真をもっていなくても大丈夫です。

 私はふだん、パリでは運転しませんが(メトロとバスで十分だし、車で出かけるとパーキングを探すのに一苦労するので・・)、旅行に出かけた時などは、方々へ出かける際に車があると便利なので、そんなときに車を借りて、運転するくらいです。

 相変わらず、書類に必要事項を書いて提出、料金を支払い(運転免許更新3,000円、国際免許証2,350円)、視力検査を行い、講習用の部屋でしばらく待たされ、講習?(数分の講義とビデオ視聴)を受けます。いつも思うのですが、その際に渡される「安全運転のしおり」と「わかる 身に付く交通教本」という2冊の新品の本。無駄です。

 これ、講義の時に配って、講義が終わったら回収して使いまわせばいいのに、もったいないな〜と思います。

 講義は20分程度ですが、その間に新しい運転免許証ができあがっており、退出時に渡してもらって終わりです。思っていたよりもずっと早く用事が済んで、しかも、国際免許証まで同時にもらえてラッキーでした。

 記載事項に間違いがないかチェックしてくださいと言われて、目を通したら、今回の免許証は、西暦表示と年号表示の両方が記載されていて、新しい免許証には、2029年(令和11年)1月22日まで有効と書かれていました。

 今回は、幸いにも日本に到着した数日後に自宅に「運転免許証更新のお知らせ」というハガキが届いて、それを持って更新に行ったら、まだ失効するまでには2ヶ月近くあるというのに、その有効期限までの期間を削られることなく、まるまる5年で更新してくれました。

 なので、どうやら運転免許証というものは、失効する2ヶ月前には、通知がくるので、それ以降、そのハガキを持参しての更新手続きならば、残りの期間を失うことなく、まるまる5年分として更新ができるようです。

 まあ、これで、5年間は、運転免許証更新手続きからは逃れられると思うと、ちょっとしばらく、ひと段落な気持ちですが、今度はおそらく、近いうちにパスポートを書き換えなければならないはずで、どうやら、定期的にこのような手続きはついてまわるようです。

 まあ、パスポートの方はパリにあるフランス大使館でできるので、わざわざ日本に出向く必要はありません。

 いっそのこと、運転免許証の更新も大使館でやってくれると良いのにな〜と思います。更新手続きは3,000円でも日本に来る交通費がかかるので、えらく高い更新料です。まあ、そのおかげで、他に色々と楽しんでいるのですが・・。

 とりあえず、今回の一番の用事が無事に済んで、ヤレヤレです。


運転免許証更新手続き


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2023年11月27日月曜日

日本だと知らない人が話しかけてくれないのが寂しい・・

  


 フランスにいると、私はなぜだか、知らない人に話しかけられる機会が多くて(ナンパとかではなくて、たいていがおばちゃんたち)、それに慣れるまでは、なんだかそれが怪訝な感じがしていたのですが、今ではすっかりそれに慣れてしまい、知らない人に話しかけられても、あたりまえのようにその話にのって、一緒に話し始めるようなこともけっこうあって、いつのまにか、そんな日常が心地よいようになっています。

 ところが、日本に来ると、知らない人に話しかけられるということは、まずなくて、なんだか皆がそっけなくて、冷たいような気がして、それが物足りないというか、どこか寂しい気がしてしまう自分に気付いて、苦笑してしまいます。

 まあ、日本だと、私が主に滞在しているのは、実家のある東京なので、そもそも、パリとは規模も人の数も全く違い、パリに比べると何倍も大都会なわけで、そんな場所では、たくさんの人がすごい速度で行き交っているわけで、そんな場面、場面でパリのようなことが起こるわけもないのです。こうしてあらためて書いてみると、つまりは、地方から来た人間が都会に怖気付いている感じでもあります。

 まず、人と目が合うということがないのも、不思議といえば、不思議な話で、これだけ大勢の人がいる中で、電車の中などでも、まず人と目が合わないというか、みんなが人と目を合わさないようにしていると感じるというのが正直なところ・・。

 パリなら、電車の中などで、知らない人とふっと目があったりして、にっこりしてくれたりすることがあるのに、にっこり以前に目を合わせないようにしているのが日本人・・というより東京の人なのかもしれないな・・などと、思うのです。

 私は生まれも育ちも東京で、実際に以前はそのように生活していたはずなのに、違う環境に慣れてしまうとなんだか、それがしっくりこないというか、今さらながら、冷たい印象を受けてしまうというのも妙な話ですが、事実です。

 実際に、もっと小さい、人と人との距離が近い地方都市から東京に来られた方は、今の私のように、東京の人は冷たいとか、たくさんの人がいても孤独に感じるとかいうのが、こういう感覚なのではないだろうか?とそんなふうに思うのです。

 この間、家電量販店で買い物をしていた時のこと。どういう経緯だったのかは、わかりませんが、ちょっと離れた場所で、初老の男性が転んで倒れてしまったらしく、それに周囲の人々が気がつかなかったのか?気が付いたのに周囲が知らん顔をしていたのか、どちらかは定かではありませんが、遠く離れた場所からも、その男性が転んだゴツンという鈍い音が聞こえたと同時に、その男性が、一人では起き上がれなかったのか、それとも誰も近寄ってこなかったことに腹をたてたのか?「この店は、客が転倒しても、知らん顔か!」と怒鳴りちらして、店内が異様な雰囲気に包まれました。

 さすがに、その男性が騒ぎ出したので、数名の店員さんが駆け寄って行きましたが、周囲の人々は、遠巻きに眺めているだけで、手を差し伸べる人はいませんでした。ここでパリだったら・・などとパリを比較の対象に挙げることは、適当ではないかもしれませんが、あえて・・、パリだったら、すぐにどこからともなく、瞬時に数名のお助けマンがあらわれるところなのにな・・と思ってしまうのです。

 人と目を合わさないだけでなく、他人との距離を極力縮めない・・そんな感じがしてならないのがとっても寂しいです。

 だからどう・・というわけではないのですが、フランスでさえ、地方に住んでいるフランス人は、「パリの人は冷たい」とか、「人間が住むところではない!」などクソミソに言われていることには、驚きですが、やはりパリから東京に来てみると、「都会の人は冷たい・・」などと思ってしまうのも妙なものです。

 

他人


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2023年11月26日日曜日

宮古島グルメ 宮古島で食べたもの

  


 旅の醍醐味は日常では味わえない異国情緒というか、いつもと違う景色の中に身を置くこと、異なる文化に触れること・・そして、その土地ならではの美味しいものを食べることが私にとっては大きな目的です。

 これまで、私は日本国内では、あまり旅行をしておらず、実家、親戚なども、すべて東京で、さすがに30年以上、日本で生まれ育ってきたので、それなりに少しは旅行をしてはいましたが、沖縄を訪れたのは初めてのことでした。

 他の地域でもそれぞれ、違う文化があるのでしょうが、沖縄というのは、日本でありながら、どこか、異文化色が強いようで、殊に宮古島などという沖縄本島から、さらに離れた島ともなれば、ちょっと外国のような感じを受けないでもありません。

 ちょっと、この世のものとは思えないほど美しい海やビーチなどに囲まれていると、たびたび、ここが日本であることを忘れてしまいそうにもなり、ふとビーチからあがってきて、看板が立っているのをあらためて、眺めたりすると、一瞬、「なんで、この看板、日本語で書いてあるんだろう?」などと、錯覚に陥ることもあります。

 食べ物にしても、島民がふだん、どんなものを召し上がっているのかはわかりませんが、外でやたらと見かけるのは、「宮古そば」、「ソーキそば」、「てびち」、「じゅーしー」、「島どうふ」、「海ぶどう」などなど、聞いたことはあるけれど、食べたことがなかったものが目白押しで、これは、宮古島にいる間に是非、食べてみなければ・・と、また、宮古島滞在中の食事の回数に合わせて、できるだけ食べてみたいと、これまた、一食もスキップするわけには、いかないと躍起になるわけです。

 しかし、他の予定で食事の時間がズレたりすると、昼食時の時間が過ぎてしまって、行こうと思っていたレストランも昼の営業時間が終了してしまっていたり、定休日にあたってしまったりで、必ずしもうまいこと予定が進まなかったりもします。

 一番、手っ取り早く、色々な宮古島、沖縄のお料理を色々と食べてみることができるのは、ホテルの朝食で、これまた、よくも、こんなに取り揃えるものだと感心し、ここである程度の土地のお料理を味わうことができるのは、大変に嬉しいことです。

 ついつい、あれもこれもと欲張って、朝食後は、お腹いっぱいになってしまうのですが、ここで、ひととおりの沖縄・宮古料理を堪能しました。ちょっと欲張りすぎです・・。



 野菜や海藻、大豆、肉、魚など、選び方にもよるでしょうが、上手に選べば、旅行中に野菜不足に陥りがちなところ、かなりバランスよい食事ができます。

 中でも宮古そばは、美味しいお店のものを探したいと調べた挙句に、「古謝そば屋」というお店にあたりました。このお店は空港から比較的近いのですが、どうやら、不思議なことに、宮古島は空港近くというのが、よいお店に遭遇する可能性が高いような気がします。


 

 ちょっと、車で走ると、見渡す限り、さとうきび畑が続き、夜になると街灯もないような道が続き、めぼしいお店も見当たらなくなり、あとは、ホテル近くのいかにも観光客相手という感じのやたらと飾り立てたようなお店しかなくなってしまいます。

 地元の食べ物を探すには、あとは、スーパーマーケットやJAのやっている「あたらす市場」などには、地元の野菜や食材のほか、お惣菜やお弁当などもお手頃価格で売っているので、こういうものをテイクアウトするのもよい気がします。

 

 たまたま、ホテルの近くの地元民も集う食堂のようなお店で、今日は、海ぶどうやお味噌の入ったおにぎり、タコの唐揚げ(タコがぷりっぷりですごく美味しかった)、さきいかの天ぷらなども、珍しくて美味しかったです。


 


 また、沖縄ならでは?のサーターアンダギーなども、紫芋のものや、黒糖のものなどもあって、娘はこの黒糖入りのサーターアンダギーがいたくお気に召した様子で、このカロリー爆弾のような食べ物にも、期間限定ということで、ホテルに買って帰って、丁寧にお茶をいれて、美味しそうに頬張りながらも、これは東京に買って帰って、ちょっとだけオーブンで温めて食べてみたいと、すでに買って帰るものリストに追加しています。




 そもそも、私は日本に来ている時点で、このちょっと長い期間限定の食べ放題の旅が始まっており、これは宮古島から戻ってもまだ続くわけで、脂っこい食事にぴったり!などというお茶を飲みながら、どうにか罪悪感を軽減しつつ食べ続けています。

 旅も終盤に入ると、もう東京に何をいかに持ち帰って食べようか?と真剣に検討している親娘です。


宮古島グルメ 宮古そば


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2023年11月25日土曜日

久しぶりの日本国内旅行 宮古島

  


 私が若い時には、やたらと海外旅行ばかりをしていて、国内旅行は、東京から車で行ける範囲に行くことが多く、むしろ、当時は国内旅行は海外旅行に比べて、割高に感じられたりもして、あまり国内で遠方に旅行することはありませんでした。

 その頃は、国内旅行は、もっと歳をとって、長距離移動が難しくなってからにしようと思っていました。

 しかし、どういうわけか、いつのまにか海外で生活するようになり、あっという間に時間が経って、まず、日本に来ること自体が長距離移動。そのうえ、たまに一時帰国した時には、あれこれ、所用に追われ、友人や親戚に会う予定などを入れていると、あっという間にスケジュールはいっぱいいっぱいになり、このままだと永久に日本国内を旅行する機会は訪れることはないという危機感を感じ始め、今回は、意を決して、いつもとは、逆バージョンに、まず自分の旅行の予定を入れてから、他のスケジュールをいれることで、予定を組み始めました。

 まあ、行きたいとなって、一緒に旅行に付き合ってくれる人がいなければ、一人でもいいと思っていたのですが、まず、一番、予定を合わせやすい、娘に「どっか旅行しない?」と声をかけると、ちょうど、飛び石連休のタイミングがあり、そこなら、1日休みをとれば、大丈夫だから・・と、まず日にちだけをおさえて、行き先はその後に探し始めました。

 娘とは、これまでかなり旅行をしてきましたが、直近では、娘がパリに来た際に、一緒にイタリアのトロペアに行ったのが最後でした。とにかく、私も日本でも行ったことのないところがいっぱいで、逆に、「どっか行きたいところある?」と聞いたら、「温泉で一ヶ所行ってみたいところがあるけど・・」というので、探しましたが、時、すでに遅しで、どこの旅館も満員御礼でとれず、それでは、別のところ・・ということで、「私、沖縄に行ったことないから、沖縄がいい!」と話したところ、彼女の会社の同僚たちが、それなら、ぜひ、沖縄本島よりも宮古島がきれい!と勧めてくれたということで、私も色々な情報を見てみたところ、その海の美しさは比類のないもので、私も即、賛成し、今回、二人で宮古島に来ることになったのです。

 彼女とは、どういうわけか、海へ行くことが多く、この間のトロペアにしても、「こんなに美しい海があるだろうか?」、私たちは、あまりに美しい海のハードルをあげてしまったのではないか?とちょっと動揺するくらいでした。


 しかし、いざ、宮古島に来てみると、その海の美しさは、「ここ、本当に日本?」としばし勘違いするほどで、幾重にも重なる海のブルー、透明な海の水、どこまでも続く白い砂浜の砂は、とてもきめが細かくて、砂浜の上を裸足で歩いても、まったく痛くなくて、また砂がサラサラしているので、身体に砂がついても、サラッとしていて、手で軽くはらうだけで全然、OKです。

 また、磯臭さがあまりなく、海の水でさえも、あまりベタベタしないのも特徴です。

 何より、海の美しさがとにかく感動もののレベルです。

 海は比較的穏やかな海で、昨日はシュノーケリングをしましたが、ビーチから、そんなに離れていない場所で、ウミガメに遭遇しました。

 


 食べ物も、いわゆる沖縄そばのようなものから、独特の食材が使われた宮古島ならではの食べ物がたくさんあって、何より、海藻類など、とても健康的なものが多く、以前、やたらとフランスで沖縄の人の長寿の秘訣!沖縄の食事・・などと、囃し立てて報道していたテレビ番組を見て、やたらと「レジームOKINAWA」などといいながら、沖縄の食事を真似して喜んでいたことを思い出したくらいです。




 11月というのに、初日などは、思わず冷房をつけてしまうような気候。あの寒い東京からやってきて、ここでは、余裕で泳げるという気候にも感動。さらさらのビーチで昼寝してしまいました。



 東京にいるのとは、違って、用事に追い立てられることのない、ほんもののバカンス。この絶景の海辺で波の音を聞きながら、ビーチでぐっすり眠ったり、海に潜ったり、最高の時間を過ごしています。

 車を借りて島内を移動していますが、周囲の車の運転の様子から、のんびりとゆったりと生活している島の人々の穏やかさが伝わってくる気がします。

 東京から3時間ほどで、この絶景。



 まだまだ、たくさん行きたいところのある私ですが、ここへはリピートしたい!なんなら、移住してもいいな・・と思ってしまうほど、素晴らしいところです。


宮古島


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2023年11月24日金曜日

完璧に壊れている私の満腹中枢

 


 日本に来る前から、私は食べる気満々で、日頃、パリでは簡単には手に入らない食材やお料理など、「日本に行ったら、あれを食べよう、これも食べよう、あそこに行ったら、これ・・、そうそう、あれも・・」などと、妄想は膨らみ、もう出発前から少なからず興奮気味ではありました。

 それは、いつものことではあるのですが、日本に行く前から、少し体重を落として・・などと思っていた結果、一時は胃が小さくなって、焦ったりもしていました。

 しかし、その小さくなっていた胃が元の姿を取り戻し、そして、あっという間に膨張していくのには、そんなに時間はかかりませんでした。

 日本に到着以来、毎日のように誰かに会っては食事をし、帰り道に夕食用の食べ物を調達して帰るわけですが、日本のデパートや専門店の食料品売り場などには、私の食欲を掻き立てるものが目白押しに並んでいるわけで、そのうえ、誰かに会うたびに、あそこの〇〇が美味しいのよ!などと言われれば、何が何でもそれを見つけ出し、それを買いに行って、またその先で、また別のものを見つけてしまい、到底、その日には、食べきれない量の食料を買って帰るわけで、その取り合わせがどうのこうのは、もう二の次で、ものすごい食料に囲まれているわけです。

 そんな状態で、今の段階ではダイエットなどというものは、パリに帰ってから・・ともうきっぱりと決めていて、どうすれば、色々なものを食べることができて、気持ちよくお腹がすいた状態になるのか? 食事のたびに、胃薬片手に奮闘しているわけです。

 しかし、今年の私の食い意地はちょっと自分でも常軌を逸している感じがあり、友人などと楽しくおしゃべりをしながら食事したりしていて、「あ〜もうお腹いっぱい!」などと、ギブアップしても、また、その瞬間に、友人がまた別の美味しそうなものを出してきたりすれば、その魅力的な食べ物を見ただけで、本当にお腹が空いたように感じてしまうところが怖いところで、もうお腹いっぱい・・から、お腹すいた・・という間隔が極端に短く、そのうえ、お腹がすいた・・から、お腹がぺこぺこのように感じる時間が短いことと言ったら、自分でも、苦笑を通り越して、ちょっとどうかしているのではないか?と思うほどです。

 まあ、そもそも、日常よりはずっと忙しく、飛び回っているうえに、時差ボケがまだすっきりとは治らず、ここ1週間以上、睡眠時間が4時間程度の超寝不足状態が続いており、「満腹中枢破壊」とググったら、その原因には、睡眠不足や生活習慣の乱れやストレス・・などとあったので、まさに、私の現在の状況はそれ・・。

 そもそもたくさんの美味しいものが日本にはあって、それが食べられるのは、期間限定であるという焦りのうえに、この時差ボケによる睡眠不足が原因となっているようです。

 現在、旅行に出ているのですが、その際も朝、早い出発便を選んでしまっていたため、これまた、えらい寝不足で、当日、家を出てからも、もう出発前に用意していた、日本にいる間に一度は食べておきたかった「まい泉のカツサンド」を用意していたのですが、そんなものは、飛行機に乗る前にあっという間になくなってしまい、空港で再びお弁当でも買おうかどうしようか?真剣に悩み、到着後に現地で食べる昼食に差し支えるから・・と自分に言い聞かせて、必死に思いとどまったのでした。

 どうにも詰め込みすぎている今回の日本滞在のスケジュールですが、詰め込みすぎているスケジュールとともに、私の胃袋には、想像を絶する量の食料がどんどん積み込まれ続けているのです。

 あ〜、ほんと、もういいかげん、やばいです・・。


満腹中枢 食欲 食い意地


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2023年11月23日木曜日

あり得ない再会

  


 これまで日本に帰国して、友人と会うことは度々あっても、その友人不在で、その家族と2人で会うことなど、想像したことがありませんでした。

 しかし、今回、初めて、そんなケースが私には訪れて、なんだか、「こんなことってあり得ないよな・・」と、受け入れ難い気持ちでした。

 今回のケースは、数ヶ月前に突然、届いた、ちょっと信じ難かった訃報に端を発したもので、そもそもその友人が突然、亡くなってしまったことが信じ難いことで、若者とは言わないまでも、大して私とも歳が離れておらず、彼女は悠々と、誰よりもストレスとは無縁の生活に見えていたし、マイペースな生活を崩さない人で誰よりも長生きすると思っていたので、余計にちょっと想像すらつかない出来事でした。

 私がその訃報に接したのは、彼女が亡くなって数ヶ月後のことだったし、お参りもできなかったので、次回の帰国の際には、なんらかのカタチで彼女の死と向き合う機会を持ちたいと思っていたのです。

 結果、彼女の夫と二人で食事でもしましょうということになり、出かけたのです。

 しかし、これまで、彼女の生前には、幾度となく、彼女の家にお邪魔したり、家に泊めていただいたりしたこともあったので、彼女の夫とは、面識もあり、話をしたこともあったのですが、あくまでも、私は彼女に会いに行っていたわけで、彼女なしに彼女の夫と会うなど、想像すらつかなかったことでした。

 たまたま、私が彼女と最後に会って食事をした時に(ほんの数年前)、彼女の夫も一緒についてきていたので、以前よりも印象はあったので、今回のようなことになっても、そんなに抵抗はなかったのですが、やはり、実際に対面してみると、彼女なしでは、やっぱり全然、違うわけで、ますます、なんでこんなことがあり得てしまうんだろうか?と、私自身、まだまだ彼女の死を受け入れられていないことを痛感したのでした。

 しかし、彼女の発病から最期までの様子をあらためて、聞いてみると、どうやら、彼女は、そもそも、それまで検査らしいものをしたことがなく、いざ、闘病となっても、かなりの覚悟をもって、手術や抗がん剤などのクォリティ・オブ・ライフを損なうものは拒否し、周囲にも病気のことは、告げずにいたことを知りました。

 彼女の遺言で、葬儀等は、一切行わず、死後、遺体を家に戻して、2日間だけ家にいて、その後は、家から火葬場に直行したとのことでした。

 彼女の両親はすでに他界しているのですが、ご存命のお兄様にさえ、全てが終わってからお知らせしたということでした。

 死の迎え方というのは、人それぞれでよいと思うので、彼女は最期の最期まで、マイペースを全うしたと思われ、彼女の遺言らしい遺言は、彼女のお嬢さんに対しての「パパのこと、お願いね・・」という言葉だけだったそうです。

 そもそも、人と群れることが好きではなかった彼女らしい選択に、儀礼的なことは一切、省いて、家族に見守られて・・という形は、一般的ではありませんが、彼女の意に沿ったものであり、これもまた、悪くないかもしれないとも思ったのです。

 しかし、そもそもは、彼女の夫の方が先にガンを発病し、手術をしたりしていたために、夫の側からしたら、当然、自分の方が先に逝くものと思っていたところ、あっさり彼女に先を越されてしまったために、そのショックは計り知れないもので、どうにも痛々しいなか、「もう少しで、やっと相続手続きが終わりそうだ・・」などと、話していました。

 家族を亡くしたばかりの人に対して、この相続手続きの期限はかなり短いといつも思うのです。

 彼女自身もほんの少し前に、お母様を亡くしており、彼女は、この時の相続手続きをしてから、まだそんなに時間が経っていませんでした。まるで、それが彼女を素通りするようなことになってしまい、ふたたび、このような事態。数年に一度の割合で、あのややこしい相続手続きに追い立てられ、おまけにその度に、税金を支払っているのですから、本当に気の毒でしかありません。

 しかし、彼女自身は、自分の病気が宣告されたあとも、極めて肝がすわっていた感じで、ジタバタなど全くせずに、ある程度、自分の病気を受け入れ、緩和ケアのみでギリギリまで家にいたということで、そんな彼女の姿を聞いて、自分の場合もまた、ジタバタせずにいられるように、常に死については考えておく必要があるんだな・・と思わされました。

 私は、そんなに友達が多い方ではないかわりに、その一人一人との付き合いはかなり密であるため、想像以上に彼女のいなくなり方に、私は、影響を受けそうな気がしています。


自分自身の死の迎え方


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2023年11月22日水曜日

渋谷・下北沢 すっかり変わってわけがわからなくなってしまった・・

  

これが下北沢???と、ビックリした・・


 海外在住者の一時帰国は、本当に忙しいのです。

 私の場合、いつも、何らかの用事にかこつけて帰国し、この際、せっかくだから、これもやっておこう、あれもやっておこうと予定を入れてしまうので、まだ、しばらく日本に滞在予定ではありますが、全ての日程が埋まっており、下手をすると、1日にいくつもの予定が重なっている日もあり、まだ、時差ボケがなおっていないこともあって、すでに、かなりグロッキー気味です。

 ただ、今回、後半には、国内旅行の予定をいくつか入れているので、その分、他のことができないために、ますます予定が詰まってしまうという自分で自分の首を絞めているようなところもあるので、致し方ありません。でも、いつもは会えない人々に会えて、とっても楽しいです。

 それにしても、忙しく動き回るなか、私はすっかりおのぼりさん状態で、どんどん変わっていっている街の様子にどうしても視線が上に向きがちになり、キョロキョロしながら、歩くことになります。

 パリから帰ってきて、いつものことなのですが、電車の駅などのエスカレーターで右に立つ癖がついており、つい右側に立ってしまい・・おっと・・いけない・・となります。そこらへんまでは、少しすれば、慣れるのでさほど問題ではないのですが、それよりも、すっかり街の様子が変わってしまっている場所では、かなり動揺します。

 特に今回、動揺しているのは、なんといっても「渋谷」です。数年?前から工事中だったのは、知っていますが、特に駅の中、駅の周辺、地下も含めた連絡通路、一体、どこがどこと繋がっているのか?まるでわかりません。

 地下鉄や電車の乗り換えなどは、案内が出ているので迷うことはありませんが、通行止めになっている部分もあるせいか、また、今まで突っ切れていた場所が通れなくなったのか?指示どおりに歩くと、なんだか、今までよりも余計に歩くようになったというか?もともと方向音痴で地下などは特に、歩いているうちにどっちの方角に向かっているのかわからなくなる私には、現在のところ、全く慣れずにちょっと気後れしてしまいます。

 おまけに、大変な人の数には、ちょっとめまいがしそうになり、結果的に渋谷はどうしたいのか?と、うらめしく思ってしまいます。

 私にとって、渋谷は以前(といっても、ずいぶん昔の話ですが・・)通学路であったこともあり、自分の庭のような気がするほどに、けっこう詳しかったのですが、もうお手上げ状態です。

 もともと人混みが苦手な私は、今では本当に渋谷が苦手です。

 あと、もう一つビックリしたのが下北沢です。こちらも、ずいぶん前から工事中だったのは、知っていますが、もうどこの出口がどこなのか?もうわけがわからなくなり、また、こちらは、ずいぶんとイメージも違うような場所ができあがっていて、「これ?ほんとにシモキタ?」と思ってしまいます。

 それでも、以前からあった古いお店も、ところどころ、残ってはいるので、「あ〜!これ?ここ?・・これがここにあるってことは、ここは、あそこだ・・」と昔の街並みを思い出したりもします。しかし、悔し紛れに言わせてもらえば、昔のシモキタらしさがなくなっていくようで、ちょっと、こじんまりとして、ちょっと薄汚れた感じで、ちょっとごちゃごちゃしているのが下北沢の良いところだったのに、なんだか、どこも似通ったような感じに街が整備されていくことに、ちょっと抵抗を感じてしまうのでした。


渋谷 下北沢


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2023年11月21日火曜日

高齢者の一年と代がわり

 


 海外に住んでいると日本にいる家族や親戚とも久しく会わないことも珍しくありません。たとえ、定期的に一時帰国していても、必ずしもみんなに会い切れるものでもないのです。

 少なくとも、パンデミックの間2〜3年は、全く日本に帰ってこれなかったので、その間には、全く会えなかったし、我が家系は両親ともに、兄弟姉妹が多く、叔父・叔母も多く、また、とても親戚付き合いが緊密で、結束が固いために、小さい頃から、度々、親戚が集まる機会も多く、それは、現在でも続いているのです。

 私の両親はすでに他界しているので、その本来の繋ぎとなっていた部分は存在しないものの、その濃淡はあるにせよ、かなり私との繋がりが密?な、叔父や叔母もおり、彼らとは、日本に一時帰国をする際にこれまで一度も会わなかったということは、一度もありませんでした。

 特に、その中の一人である叔父などは、つい最近までは、必ず羽田空港まで車で迎えにきてくれて、滞在中も最低でも一回は一緒に食事に行ったり、お墓参りにいったり、また、自分の得意料理を作っては、わざわざ家に届けてくれたりと、もういい歳をして、私は大変に甘やかされた状態だったのです。

 彼らは亡き母の弟や妹たちで、まるで使命感にかられているのではと思うほどに、もう私たち親子の面倒を見る?のが、当然のように思っている気もするのです。大変、愛されていることを実感しているわけですが、その叔父や叔母もある程度の年齢までは、いつまでも、あんまり変わらないなぁ・・(見た目もフットワークなど)と思っていたのに、ここ数年で突然、めっきり老け込んだ感じがして、車の運転なども危ないのではないか?と思うようになりました。

 叔母の方は、きっぱりとすでに運転はやめてしまったのですが、叔父については、まだ運転を続けています。なので、今回の帰国なども、帰国することを知らせてしまえば、誰がなんと言おうと、叔父は空港に迎えに来てしまいそうで、私は、遠慮して、その叔父家族には、事前に帰国を知らせませんでした。

 人というものは、個人差もあるでしょうが、中年以降、しばらくは、そんなに変化がないものの、ある年を境にめっきり変化してしまうタイミングがあるようで、今年は、叔父、叔母たちに顕著にその姿に表れていることに接し、少々、戸惑っています。

 そもそも、日本に来ると、来るたびに高齢者が増えたことを実感し、地下鉄に乗っても、街を歩いていても、高齢者を目にすることが増え、日本の高齢化を再認識させられます。

 特に今回の帰国では、まだ叔父・叔母全員に会ったわけではありませんが、80代になった叔父や90代に突入した叔母が、この一年でかなり加速度的に変化していたことに、驚いています。

 代がわりというのは、やはり節目なようで、昨年から考えるとずっと腰がまがってしまい、また歩き方なども危なっかしい感じだったり、また、会話の様子などからしても、噛み合わない部分が表れたり、もともとの性格的なキャラクターがより一層濃くなって、より頑固で頑なになっていたりして、「去年は、こんなじゃなかったよね・・」と思うことが増えて、たった一年の間に??と、びっくりしてしまいます。

 小さい子供の一年での成長ぶりならば、「大きくなったね〜」とか、「ずいぶんとおにいさんになって、しっかりしてきたね〜」などと、頼もしく、また嬉しくもあるのですが、この代がわりの高齢者の一年の変化には、複雑な思いにかられます。

 それでも、ある日、一日を境に劇的に変化したわけでもなく、ごくごく周囲の人々にとっては、その老化のスピードは以前よりも早くなったとはいえ、徐々に変化していることに周囲も慣れてきているのであって、「最近、こうなのよ・・」とか、嘆いてみせたりするのですが、一年以上のブランクがあった私にとっては、歴然とした変化がかなりショッキングでもあるのです。

 しかし、考えてみれば、これから先は、本当にこのようなことが増えるのは、まさに不可避で、わりと早くに亡くなってしまった母には、このようなことが訪れたこともなく、父に関してみれば、そもそも性格的にもかなり特異であったために、それが加齢によるものなのかどうかという判断もつきにくかったのです。

 しかし、ここへきて、一年のブランクがこれまでの数倍の変化をもたらしていることは、これまでには、感じることのなかった厳しい現実なのです。



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2023年11月20日月曜日

パリに持って帰りたい食材を買いたいお店の一つ 上野 吉池

 


 私の携帯のメモには、いつも「日本に行ったら買いたいものリスト」があって、何か思いつくたびに、それに追加していきます。

 一時帰国の日が近づくと、逆に友人や親戚へのお土産ものや頼まれものを買い集め、日本に来る時の私のスーツケースの大部分は、誰かにあげてしまうもので、日本にいる間に少しずつ会う人々に渡していくのです。

 しかし、日本に到着した途端に、お土産を渡して少しずつ持ってきた荷物が減っていくのと同時進行で、今度は、パリに持って帰るものの買い物がスタートするのです。

 こんなことをしていると、この期間は、常にスーツケースをつめ、それを空にして、また、別のものをつめていく、なんだか運び屋みたいだ・・と妙な気分にもなります。

 もちろん、パリにいる友人に頼まれているものや他人に渡すものも少しはあるのですが、フランスに戻るための荷物(買い物)は、ほぼ日常の私の食材などがメインで、それからしばらくの私の食生活に重大に関わってくるので、真剣味も違います。つまりは、日本に着いた瞬間から、もうパリに持ち帰るものを物色する毎日が始まるわけです。

 もう端的に言えば、ごくごく普通のスーパーマーケットでさえも、はっきり言って、正直、目に入るものは、次から次へと、全部欲しいのですが、持てる荷物には限度があり、その中から、選んでいかなければならないわけです。

 そして、こうなってくると、できるだけ持ち帰ることのできる他のお店では、あんまり見かけない、これはあったら、絶対便利だ!と思われる商品をたくさん扱っているお店に行くのが効率的ですが、その一つが上野(御徒町)の「吉池」というお店です。




 もちろん、このお店には、ふつうのスーパーマーケットにあるような食材もおいているのですが、特に海産物関係の乾物や缶詰、乾燥だし粉末、薬味系などが充実していて、ちょっとテンションがあがります。

 わかめやひじきなどのポピュラーな、わかりやすい乾物から鰹節なども種類が豊富で、特に私は、あさりやしじみ、カニやエビなどのエキスのパウダーやお魚のおせんべいなどが気に入っています。



 また、カニ缶やウニの瓶詰めなども、比較的、お手頃価格のものから、ちょっといいものまで置いていたり、行くたび(とはいえ、毎回、必ず行けるわけではないですが・・)に、「うわっ!こんなのあるんだ!」と、我を忘れてお店の中をウロウロしたり、気になった商品に釘付けになったり、食い意地の張っている私はしばし、時が経つのを忘れてしまいます。




 もちろん、鮮魚も充実しているので、海外に持って帰ることは不可能でも、日本滞在の間に食べることもでき、同列経営の食堂も同じビルの中に入っています。

 もともと、この界隈、あまり行かない場所ではあるのですが、それでも、何かにかこつけて、日本にいる間にできれば行っておきたい、そんなお店です。

 

吉池本店 東京都台東区上野 3-7-12 JR御徒町駅徒歩5分


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2023年11月19日日曜日

親友と語り明かした至福の時間 今さら発見した彼女と親しくなった理由

  


 彼女と知り合いになってから、ちょっと年数を明かすのも歳がバレる・・とはばかられるほどの月日が経っています。

 私は、昨年も一時帰国をしていましたが、その時は、彼女の職場でコロナウィルス感染者が出たために、彼女は濃厚接触者として分類され、泣く泣く会うのを諦めていました。なので、考えてみれば、パンデミックの期間プラス1年余計に彼女には会えなかったわけです。

 彼女とは、若い頃、一時、同じ会社に勤めていた時期があり、その時以来、付き合いが続いているのですが、それからお互いに職場を変わっても、そして、私が海外に出てからも、ずっと付き合いは続いていました。

 今のようにネットが一般的ではなかった頃は、彼女は実に筆まめな人で、頻繁に手紙のやりとりをしていましたし、その後、ネットが通じるようになってからは特に定期的に連絡をとりつづけてきたので、遠く離れていても、会えば、すぐに昔のようにいつまでも話していられる・・そんな存在です。

 会えるはずだったのに会えなかった昨年、私がフランスに帰国してしばらくして、彼女は彼女の人生において、なかなか大変な出来事、二人暮らしであった母親を看送るという一大事を経験していたのです。

 お互いに大変な食いしん坊で、彼女は、仲間うちでは、食べログなどのサイトができる前から、「歩くグルメマップ」と呼ばれるほどの食通で、とにかく「食」へのこだわりがものすごく、また、その味覚もたしかなことから、帰国して、何が食べたい?どこで?というリクエストだけで、瞬時にいくつものお店の名前が出てくる・・そんな人なのです。

 彼女がそんな仕上がりになったのも彼女の母親の影響が大きく、また若い自分からお互いを知っているだけあって、彼女の家に電話したりして、たとえ、彼女がいなくても、ついつい彼女のママと長話をしてしまう・・そんな付き合いだったのです。

 海外で一人で子育てしていた私たち親子を彼女親子はいつも暖かく見守ってくれていて、娘が成人した時などは、まるで自分の家族のことのように喜んでくれたりしていたのです。

 彼女の住まいは葉山の方にあり、私の実家からはえらく遠いために、大昔に一度、娘を連れてお邪魔したことはあったものの、たいていは都内のどこか美味しいお店で美味しいものを食べながら、おしゃべりするという感じでした。

 しかし、今回ばかりは、彼女は母親を亡くしたばかり、彼女のママのお参りもかねて、今回は、彼女の家でゆっくりおしゃべりをしようと彼女とのおうち時間を過ごしに行ったのです。

  長年、二人で暮らしてきた家に一人になった彼女の傷はまだ、癒えてはおらず、話をしながら、彼女は度々、涙ぐんでしまうこともあったのですが、そうして、彼女のママのことやらなんやらを二人で話続けていると、私にとっては、なんと至福のリラックスできる時間なのだろうかと思わされるのでした。

 彼女のママが突然ガンを宣告されて4ヶ月、彼女の家族は深く話し合い、積極的な治療は受けずに自宅で最期を送るという選択をしたのです。日に日に弱っていく母親のもとで、彼女は献身的に介護を続け、とうとう最期を家で看取った話を静かに話してくれました。

 この大変な決断をするにあたって、私が昔、イギリスのホスピスで勉強をしていた時の話がとても影響していたと話してくれました。

 時にはぶつかることもあったようですが、それでも、最期の時間を自宅で過ごせたことは、大変な勇気のいることだったと同時に看取った後には、淋しい気持ちはもちろんあるものの、やれることはやったという自信が感じられました。

 どんな人でも人生を全うするということは大変なこと。その大切な最期の時間をお互いの尊厳を傷つけずに乗り切った彼女を私はすごいな・・えらかったな・・と素直に思います。

 そして、今さらのように気がついたことなのですが、(彼女のママには、「そんなこと、ずっと前からわかってたわよ!」と言われそうですが、)彼女のママについて、こんな人だった・・とか、あんなことを言っていたのよ・・という話を続けていると、実は私は、彼女のママに芯の部分が似ているところを持っている・・ということにあらためて気付かされ、二人がずっと仲良く付き合ってこられたのは、こんなところに秘密があったのではないか?と思わせられました。

 しかし、こんな話を延々としつづけることのできる、私にとって、まさにかけがえのない親友の存在が、やっぱり私を満たしてくれることをあらためて、再認識し、とてもありがたいことであると思っています。

 まだまだ、彼女の傷が癒えるのには時間がかかると思いますが、焦らず、無理をしないで、少しずつ自分の生活を大事にしていってほしい、そして、私と彼女がこういう時間を積み重ねていくことで、ますます絆を深め、ずっとずっと友達でいてほしいと思った夜でした。


親友


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2023年11月18日土曜日

日本到着後の身体のメンテナンスは至福の時間

  


 ここのところ、日本行きのチケットを取るとすぐに、日本到着翌日に日本での美容院の予約を入れて、伸び放題になっていた髪を切り、カラーリングをしてもらったり、ヘッドスパのようなことをやってもらったりと、至れり尽くせりのお気に入りの美容院で、ゆったりした時間を過ごすのが大きな楽しみの一つになっています。

 今回は、たまたま翌日に美容院の予約が取れなかったので、その代わりといってはなんですが、中継ぎとして、整体・マッサージを予約していました。

 大昔に祖母のお供で、若い頃に整体に通っていたこともありましたが、今から考えてみれば、少々、胃が痛かったり、それにつれて脾臓が腫れているとのことで、治療を受けていたこともあったのですが、さすがに若かっただけあって、今よりも全然、元気だったわけで、そこから、大きな効果がみられた実感は、正直、ありませんでした。

 しかし、ここのところの長距離フライトの疲労感は半端なく、年齢のせいも、実際に飛行時間が長くなっていることもあるのでしょうが、日本到着後、身体はガタガタな状態で、おまけに時差ボケでよく眠れないままに忙しい日程を動き回るので、とても楽しい反面、パリに帰る頃には、もうボロボロで、正直、反面では、「やっと帰れる・・」という気持ちがないわけでもありません。

 長らく、そういった整体やマッサージというものを体験していなかったので、今回は、事前にネットで調べて、よさそうなところにあたりをつけて予約をしていたのです。

 そして、身体をほぐしてもらって、少々回復して、日本での日程をこなしていくのは、なんだかとても良いアイディアのような気がしたのです。

 実際にワクワクしながら、施術を受けてみると、足湯からはじまり、足ツボ、足、ふくらはぎ、指、腕、肩、首、背中、腰、頭と少しずつ、丁寧に進めてくれました。

 ついウトウトしてしまえるような、生やさしいものではなく、箇所によっては、悲鳴をあげそうになるほど痛い場所もあるのですが、ツボをほぐし、周囲の筋肉をほぐしていっていただくことによって、自分の血管がどのように身体にはりめぐらせられているのかを実感できるような感じで、身体の中の眠っていた場所、隅々にまで血液が循環して、ホワンと温かくなって、自然と大きく呼吸をしている自分に気付きます。

 私は、全身75分のコースでお願いしましたが、身体がほぐれて、イタ気持ちいいの連続で、これを定期的に続けていたら、きっと健康になりそうな実感がありました。

 まさに、長距離フライトの翌日には、もってこいのタイミング、その日の夜は(前日、バタバタしてほとんど眠れなかったこともありますが・・)ぐっすりと眠りにつけました。(朝、4時半に目覚めちゃったけど・・)

 施術をしてくださった方の大きなグローブのような手の温かさと、これだけツボをおしたり、筋肉をほぐしたりする中、足でもつりそうなところ、まったくそのようなことも起こらないのも不思議。そして、なによりも言葉控えめに質問には的確に応えてくださりながら、自然な細かい気配りや丁寧な仕事ぶりは、やはり日本人ならではのサービスを受けていることを実感します。「やっぱりこういうのは、日本人ならではのクォリティーなんだな・・」と大変、満足し、たまたま美容院の予約が翌日にとれなかったことから、急遽、入れた予定でしたが、なかなかよいチョイスであったと大変、満足しています。

 これで、今後、おそらく、日本到着後の日程は、これまで初日に行っていた美容院と入れ替わることになりそうな、そんな気がしています。

 長距離フライトがキツいと感じていらっしゃる方々には、この初日のマッサージ、大変、おすすめです。


整体・マッサージ


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2023年11月17日金曜日

日本に到着して、次から次へと私はトラブルを呼ぶ女

  


 日本到着直後から、自宅に到着するやいなや、食の予定を遂行するために、荷物を置くとすぐに、靴もコートも脱がないうちから、お気に入りのお寿司やちょっと食べたいものなどをみつくろいにでかけ、まずまず希望のものをゲットして、ようやく、家にもどり、荷物を解きはじめ、2つある大きな荷物の一つをあけ、大きい方のスーツケースをあけようとした時のことです。

 今回は、なんと、いつもお願いしていた運転手さんがパリにいなかったことから、少々、甘い考えを起こし、それなら、電車で行ってやろうじゃないの!などと、慣れないことをした私が悪かったのです。

 とりあえず、空港に着くまでは、荷物は大きいスーツケースと機内持ち込みができるキャリーバッグの二つにしたため、今回は、空港に行ってから、重すぎるスーツケースを二つに分けるという、いつもにはない作業が追加されたのです。

 荷物の仕分けはそんなに難しいことではなかったのですが、そこでスーツケースにかけた南京錠が問題で、家にあったいくつかの南京錠を適当に掴んで持ってきて、鍵がささった南京錠を使ったのですが、その鍵が正しい鍵ではなく、日本について、さて荷物を開けようとしたら、鍵があわずに、スーツケースがあけられなくなってしまったのでした。

 とりあえず、すぐに冷蔵庫に入れたいチーズやバターなどの食料品もあるというのに、スーツケースがあけられずに途方に暮れて、南京錠を切ることができるハサミというのを娘がAmazoで注文してくれて、翌日の午前中にはそれが届くことになっていました。

 まあ、寒い時期でもあり、スーツケースは庭に出し、翌日、ハサミが届くのを待っていました。その日の晩は、時差ボケもあって、1〜2時間しか眠れず、だからといって、用事は立て込んでいるのでじっとしているわけにもいかず、とりあえず、早朝から区役所に用事を済ませに行き、次は、銀行へ。

 区役所での用事はすぐに終了し、「さすが日本!はやっ!」と感心しながら、銀行について、用事をこなしていた途中に私は、区役所に自分の雑記帳?とペンを忘れてきたことに気づき、再び区役所へ。区役所の人はこれまた優しい人で、私の顔を見るなり、「よかった〜!連絡しようにも電話番号がフランスの番号になっていたので、お電話できなくて、どうしようかと思っていたんです!」と。

 こちらが「よかった〜」というのはもちろんですが、先方がそんなふうに私の愚かな忘れ物に対して心を配ってくださっていたことに、やっぱり日本人ってすばらしく誠実なんだな・・と、ノートがみつかってホッとしていました。

 まさに、忙しい中、自分で余計な用事を増やしている感じです。そして、銀行の手続きは、元ある口座のネットバンキングを登録したところ(ネットなのに、書面で登録しなければならないおかしなシステム)、地元の信用金庫ゆえ、あまりネットバンキングを利用する人が多くないために、慣れていないのか? では、パスワードを設定しなおしましょうか?など、ああでもないこうでもないと言っているうちに時間切れ。これは、また再度、別の日に行かなければなりません。

 そして、お昼に行きたいと思っていたお店にとなりの従姉妹とでかけると、なんと、お休み・・、じゃあまた次の予定も控えているので、急いで家の近所に戻って、よく言っていた洋食屋さんに行くと、お昼の営業は終わりで店はすでに閉店。仕方なく、今度はこれまたよく行くお蕎麦屋さんに行きました。

 これを前後して、鍵を切るハサミはやっぱり今日は届かないらしい・・というメッセージが娘から入り、ますます、ガガ〜ン!と落ち込むことになりました。

 まったく、日本到着以来、まだ1日しか経っていないのに、どうして?こう、どれもこれもがトラブルになるのだろうか?と、疲れも溜まって、やるせない気持ちなりました。

 そこで、落ち込み切らない従姉妹が、近所の鍵屋さんに鍵、壊してもらえませんか?と聞き回ってくれたりしましたが、どうにも、ダメそうで、これは、またさらに1日ハサミを待つしかないものか?とあきらめかけたところに、「そうだ!今、家の庭に入っている植木屋さんのお兄さんに頼んでみよう!」と言い出したのです。

 これから年末にかけて、父の代から、毎年のように庭の手入れをしてくれている植木屋さんがいて、先方もおじいちゃんの植木屋さんから、今では、お孫さんへと世代交代をしていますが、あいかわらず、毎年、季節になると、うちと、隣の従姉妹の家の庭の木をきれいに剪定してくれているのです。ちょうど、今回の私の一時帰国と重なりました。

 食事が終わって、家に戻って、そのお兄さんに事情を話すと、「できるかどうかわからないけど、やってみましょう!」と言ってくださって、小さな定規ほどの大きさの鋸を手に、鍵を切ってくれたのです。

 もう最近で、私はこんなに人に感謝したことはないと思うくらい感謝感激で、彼は5分ほどで鍵を切ると、庭での作業に戻っていきました。

 正直なところ、「もう植木屋さんなんて、いいんじゃない? 決して安くないんだし・・」などと言っていたのですが、意外も意外、なんと植木屋さんが私の大ピンチを救ってくれたのでした。

 Amazonで頼んだ鍵も切れるというハサミは無駄になってしまいましたが、本当に無駄になってよかったです。

 とにかく、疲れが溜まってくると、またその疲れが次のトラブルを生み出すことになるので、できるだけ早く回復し、せっかくの日本を楽しく過ごすことができるようにしたいと肝に銘じた1日目となりました。


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2023年11月16日木曜日

パリ・シャルル・ド・ゴール空港発 日本行きの今

  


 前回、日本に行ったのは、コロナ禍がどうやら少し鎮まり始めた頃で、フランスから日本に入国しても、施設での強制隔離が必要なくなってしばらくした頃で、ヤレヤレようやく、なんとか日本に行けるかも? と思っていたところに、今度はウクライナでの戦争が起こり、ヨーロッパから日本への道は一時、ほぼ遮断された状態になり、パリからの直行便もなくなってしまいました。

 それでも、前回、昨年の3月から4月にかけて、娘が日本で就職することになった折に、最後の母としてのお勤めと、娘の日本での、長らく空き家になっていた実家での生活のスタートを見届けるために、日本に来たのが最後で、あれからもう1年半が経ちました。

 当時はロンドン経由、迂回経路での長時間身動きも取れず、マスク着用のフライトはつくづく負担そのもので、ちょっと嫌気がさすほどでした。

 あれからコロナウィルスは少しおさまり始めましたが、今度はイスラエル問題、燃料費高騰による航空運賃爆上がりと、次から次へとまるで障害物競走をしているようにハードルが立ちはだかります。

 今回のフライトはパリからのJALの直行便、今の時期は、通常ならば、かなり低価格のはずが、それでも往復1,400ユーロ強で、以前であれば、真夏のハイシーズンの価格です。

 私が乗った便は満席ではなく、ビジネスクラスなどは、むしろ、ほぼ満席でしたが、エコノミークラスは、一列おきに3席の真ん中が空席なくらいな感じでそんなに混んではいませんでした。

 もうマスクをしている人もいなくなり、羽田空港で感染症に関するチェックなどももう全くありませんでした。

 ビビりの私は、それでも、この来日の前にコロナウィルスとインフルエンザのワクチンを済ませてきました。

 フライト時間に関しては、一時よりは若干、短縮され、13時間30分、通常だと12時間程度、あるいは、運がよければ12時間を切ることもあったことを考えれば、まだ元どおりにはなっておらず、出発時の機長さんのアナウンスによれば、パリから日本までは、なんと15ヵ国の上空を通過するとかで、このご時世に、なにかと物騒な気さえしてしまいます。

 離陸してまもなく、CAさんが、「VISIT JAPANのご登録はお済みでしょうか?」と回ってこられて、どっきりしましたが、なんのことはない、とりあえず、携帯品・別送品の申告書を提出できればよい、これまでとは変わらない書類にサインをして、通関の際に提出すればよい話で、ほっとしました。

 JALのパリー羽田行きのフライトは、パリを夕方17時頃に出発し、羽田には、翌日の午後2時半頃(日本時間)に到着します。なので、パリで飛行機に乗って、食事をして少し寝て、日本到着前に昼食をとって、その日の夜には家に着くという感じなので、比較的、時差ボケの影響が少ないのではないか?と思われる時間帯ではあります。

 搭乗してからわりとすぐに出る夕食と、到着間際の昼食の間に一度、軽食としてサンドイッチが配られました。

 飲み物や簡単なスナック類なども常に用意されています。

 一時は、パリー羽田便の直行便は、ほぼフランス人で埋め尽くされるような感じでしたが、今回の乗客の大多数は日本人のようでした。今、フランスではバカンスシーズンから外れているということもあるのでしょうが、せっかく日本が観光地として脚光を浴び始めていただけに、こんな様子は少々、残念な気もしました。

 羽田での通関等は、いつもどおりスムーズで、荷物もきっちり受け取れて(これに関しては、羽田着の便に関しては、今までトラブルは一度もありません)、やっぱり直行便ならではで、パリで飛行機に乗って、降りたらもう日本・・というあたりまえのことに、ホッとしました。

 現在の世界情勢では、今度、また何が起こるかわからない感じもするので、こうして、日本に来れる機会がある時には、できるだけ来ておいた方がよいな・・と思ったのでした。

 久しぶりの日本はどこかホッとするような、少々、戸惑うような妙な気分ですが、やはり母国の地を踏むことは嬉しいことです。


パリー羽田便の今


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2023年11月14日火曜日

一時帰国のためのダイエットの思わぬ誤算

  


 日本の一時帰国には、一応、色々な用事はあるものの、やっぱり何よりも楽しみなことは、美味しいものをたくさん食べることで、この時ばかりは、ダイエットには、目をつぶり、胃薬片手に食べる気満々で臨みます。

 よって、フランスに戻った時には、体重が増加していることは、必須なのですが、それはあとで取り戻すとしも、少しでも、そのギャップを埋めるために、出発前から、準備段階として、少し食事を控え目にして、少しでも痩せてから日本へ行こうと、気持ち、控え目な食事を続けていました。

 とはいっても、お土産を買い集めている間、そのほとんどが食料品のために、行く先々で、試食したり、また

、日本には持って行けなさそうなものにもかかわらず、(つまり、本当ならば、試食する必要はない)「えっ?なに?これ?美味しそう!」、「こんなの初めて見た!」とかいうものにも次々と遭遇し、「やっぱり食べてみたい・・うん・・食べよう!」と、お土産とは関係のないものまで買う始末なので、そんなに厳しくダイエットしていたわけではありませんでした。

 でも、少し食事を控え目にするとか、夜中には食べないようにしようとか・・気持ち、気を付けるだけで、自分では、少しお腹のあたりがすっきりしてきたような気がしていました。

 そもそも少し痩せるとか言いながら、私は自分の体重というものを測ることはなく、大変、いい加減なものです。だいたい数字が見えるとその数字にしばられて、気になって仕方がなくなるので、図らないという、わけのわからない理屈なのですが、我ながら、本当に大雑把です。

 昨日、日本に持っていく買い物に友人が付き合ってくれるというので、じゃあ、そのまえに、ちょっとランチでもしようか?ということになり、「私、日本で思う存分食べるために、ダイエット中」といったら、まあ、じゃあさっぱりした軽いものにしようか・・ということになったのですが、結局のところ、食べたのはファラフェルのサラダでした。

 久しぶりのファラフェルに「外はカリッとして、中はふんわりしていて、やっぱりここのファラフェル、美味しい!」などと、ごきげんに食べ始めたのですが、友人と楽しくおしゃべりしながら、食べ進むにつれて、しばらくすると、なんだかお腹がいっぱいに・・。いつもなら、これぐらい、軽く食べて、えっとデザートどうする?なんて感じなのに・・。

 なんと、大して痩せたとも思えないにもかかわらず、少し食事を控えていたために、胃が小さくなってしまったみたいで、食事半ばでもうお腹がいっぱいになってしまったのです。ガ~~~ン!!!

 これは、なんたる誤算!これでは、日本で思いっきり食べられないではないか?と自分でも唖然となりました。

 これからは、日本行きの前は、胃の大きさを保ちつつ、痩せるようにしなければ・・と思ったのですが、今回は時、すでに遅しで間に合いません。

 これでは、日本で少しずつ大きくなるであろう胃の大きさがMaxの状態で、フランスに戻るという最悪の状況です。

 ほんとうにくだらないことに真剣に取り組んでいる挙句がこれですから、自分で自分が情けなくなりました。

 おまけに荷物の重さを測ろうと体重計に乗ったところ、なんと体重計は電池切れで、家では荷物の計量もできずに、でかけることになります。まったく我ながら、この無計画で土壇場に来て焦る(というほど焦ってもいない)感じ。私ってダメだな~とつくづく思います。


日本一時帰国


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2023年11月13日月曜日

40万ユーロを拾った人・・2年経って、半分を受け取れる!

  


 映画や小説だとしても、少々、嘘くさいような話が時には、存在するようです。

 今から2年以上も前になる2021年の5月にヴァール県(プロヴァンス・アルプ・コートダジュール地域圏)のラ・ロンドのヴァルクロスの険しい山道を2組のカップルが散歩していたところ、連れていた犬が地面を掘りだし、地面の中から古い金属製の箱を見つけました。

 なんと、その中には、黒いビニール袋に入った200ユーロ紙幣500枚の束が4束、合計40万ユーロ(約6,450万円)が入っていました。ただでさえ、日常ではほとんどお目にかかることのない200ユーロ札です。私など、1枚見ただけでもビックリしますが、それが札束で見つかったわけですから、その驚きたるや計り知れないもので、見慣れないだけに、ホンモノのお札かどうか?さえも、きっと、わからなかったかもしれません。

 フランスで、お金、というかお財布などを落としたりしても、まず、見つかることはないし、(落す前に油断していると盗られるし・・)、それが届けられたりしたという話も聞いたことがありません。

 しかし、彼らは正直者で警察に届け出ていたようです。あまりの金額に、逆に怖くて、到底、このように隠しているお金は、まともなお金とは考え難いし、ちょっと自分のモノにしてしまうのも、かえって躊躇われるものなのかもしれません。

 警察に届けられたお金については、このお金の出所と、なぜ、ここに埋められていたのかを解明するために、AGRASC(押収・没収資産管理回収庁)によって調査が行われると同時に、憲兵隊による捜査が行われてきたようです。

 目撃者を募って、事情聴取が行われ、犬チームによる敷地内捜索が行われ、その箱についたDNAの痕跡のサンプルは科捜研で分析されたりもしたようですが、結局、何も立証することができずに2年が経過した現在、捜査は犯罪行為、違法行為を立証できずに中止されました。

 まともなお金ならば、このような場所に隠すはずもなく、持ち主が名乗り出ることもなかったのです。

 結果的に、法律上、この40万ユーロの半分は、この落とし物を発見して届け出た人のものになり、残りの半分は、この土地の所有者(今回の場合は国有地)のものになります。

 この土地の市長は、この40万ユーロを警察に届け出た2カップルの誠実さを称賛するとともに、市が受け取る20万ユーロについては、この資金を市の「緑化プロジェクト」に使いたいと語っているようです。

 この箱を発見した2カップルが4人で20万ユーロを分けるとしても、1人5万ユーロ(約800万円)です。

 この現代版「ここ掘れワンワン!」、ウソのようなホントの話。

 思わず、犬を飼おうか?と冗談のように思ったり、現実的にこのような収入には、税金がかかるのだろうか?などと考えてしまいます。せっかく正直に届け出たのですから、課税しないであげてほしいなと思います。


40万ユーロの落とし物


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2023年11月12日日曜日

シャルルドゴール空港からパリに向かう車を狙う強盗が激増!

  

 

 車に乗っていて、強盗に襲われるという話は、パリでは珍しい話ではなく、場所にもよると思いますが、私の知人もパリの16区で車を走行中、信号で車を停車させたときに、いきなり強盗がドアを開けて押し入ってきて、助手席においてあったバッグを奪われたという話を聞いたことがあります。

 その話を聞いて、「バッグ等の荷物は座席の上などの見える場所には絶対におかない!」、「車のドアは必ずロックすること!」という教訓を心に刻みました。

 だいたい、車に乗っていたら、信号では車を止めなければならないし、ましてや、物を奪われる以前に、強盗が車に押し入ってくること自体が恐ろしいことで、少なくともドアをロックすることや獲物をちらつかせないといったスキを見せないことで少しでも恐ろしい事態を防げるかもしれません。

 ところが、最近、聞くのは、空港を出る時点から、車がつけられて、渋滞中などで車を減速、あるいは停車せざるを得なくなった時に、どこからともなくバイクが近付いてきて、車の窓ガラスを割って、強盗が押し入ってきて、荷物を強奪されるという恐ろしい話が浮上し始めました。

 先日、モンゴルのオリンピック代表団の団長とその夫人がパリCDGに到着し、空港からパリのホテルに向かう途中、スタット・ド・フランス近くのサン・ドニのランディトンネルのあたりで強盗に襲われています。

 車がトンネル付近に差し掛かったとき、2人乗りをしたオートバイが車に近づいてきて、強盗の一人は車の窓ガラスを割り、もう一人が宝石等の入ったバッグを強奪していったとのこと。

 この強盗自体も驚かされる事件でもありますが、この被害者であるモンゴル人のオリンピック代表団の団長の被害申告の内容もまた、二重にびっくりさせられるものでした。

 なんと、申告された内容は、単価16万5千ユーロのゴールドとダイヤモンドのイヤリングを含む57万ユーロ(約9,200万円)ということで、彼らは被害者ではあるものの、「オリンピック関係者ってどんだけ持ってるの?」という気がしてしまいました。


 この強盗は後日、サンドニで逮捕されたようですが、22歳~25歳の3人組だったようです。この犯行には、CDG空港を出るときから、仲間がターゲットを見つけて、ターゲットについての車などの情報メッセージを伝え、追跡チームがその後、車を追って襲うというチームの作業になっているようで、この3人組は、その前にも同様の手口で、サウジアラビアからの観光客を襲い、5万ユーロを強奪していたそうです。

 しかし、この強盗の手口は彼らに限ったものではなく、この手の強盗は頻繁に報告されているそうで、空港とパリ市内を結ぶ高速道路A1では、金品を持っていそうな観光客(アジア人や中東人が特にターゲットになっている)に対する襲撃事件が頻繁に起きているそうです。

 強盗の手順は常に同じで、車が速度を落としている間に、バイクが近付いてきて、そのうちの一人がタクシーの隣に立ち、客室内の手の届く範囲にある物をつかむ側窓の 1 つを割り、強奪品を奪うとすぐにバイクで逃げ去るというものらしいです。

 空港からパリ市内に向かう道は、渋滞することも多く、一度狙われたら、窓ガラスを割られて押し入られるのでは、避けられない感じもします。

 パリにいらっしゃる方は、くれぐれも目立たないように、できるだけ簡素な服装で、空港に着いた瞬間から、目をつけられないよう、お気をつけください。

 こんな警告をしなければならないなんて、まったく悲しいことです。


空港からの車を襲う強盗団


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2023年11月11日土曜日

フランス人と犬

 


 「ハチ公生誕100周年」という記事が出ていて、正直、「こんなこと、フランスでニュースとしてとりあげられることなんだ!」と、ちょっと驚きました。

 ハチ公は意外にも海外でも有名で、今や海外から東京のイメージ画像として当然のように流されるようになったのは、渋谷のスクランブル交差点だし、ハチ公の銅像もそのすぐ近くにあるのですから、まあ、日本(東京)を訪れる外国人からしたら、渋谷を訪れたら、スクランブル交差点とともに、せっかくなら・・とハチ公の銅像を見てみたいと思うのかもしれません。

 かつて、映画にもなったハチ公は、その忠犬ハチ公と言われる忠犬ぶり(毎日のように渋谷駅で主人を出迎えていたハチは、主人が亡くなった後も10年近くも主人を待ち続けた)の逸話が人々の心に突き刺さっているのかもしれません。

 フランスでニュースになっていたことから、私は初めて、ハチ公が1923年11月10日生まれの白い秋田犬であったことを知ったのです。銅像でしかハチ公を知らなかった私は、ハチ公が白かったということがとても新鮮でした。ソフトバンクのお父さん犬みたいな感じ?とか想像してしまいました。

 そもそも、フランス人には犬好きの人が多く、日本にいた時よりも、ずっと多くの犬を見かけるような気がします。犬だけの数ではありませんが、2023年現在、フランスでは、170万匹以上のペットが飼われているそうです。

 あまり勤勉とも思えないフランス人が、「よく犬の世話をして、散歩させているなぁ・・」と感心すると同時に、かつては、街を歩けば、犬を見かけるだけでなく、下手をすると犬のフンを踏んでしまいそうになることを心配したものです。

 しかし、犬のフンの放置に罰金が課せられるようになったり、街中に犬のフンを始末するための袋がところどころに取り付けられるようになったせいか、めっきり、そのような心配も減りました。

 今は、あまりにふつうで慣れてしまったので、特に何も思わなくなってしまいましたが、そういえば、パリのメトロの中などでも、よく犬を連れている人をみかけます。今日も2匹のワンちゃんをみかけました。

 一匹はけっこう大きめな犬、もう一匹は、犬用のリュックサックに入っていて、飼い主の背中で、「あれ?ワンちゃん?」と思ってのぞくと、やたらとあくびをしていました。ラッシュアワーではないので、そんなに迷惑でもないのですが、こうして、街中や公共交通機関の中にも、あたりまえのように犬がいて、ことさら誰も気にしていないので、ごくごくふつうに人々の生活に溶け込んでいる感じです。

 フランス人は人と人との距離が近いような気がしていますが、動物との距離も近いのかもしれません。人に対しても動物に対しても、愛情をかけるということが好きで、DNAレベルで身についているようなところがあるような気もします。

 犬の方もあちこち主人と一緒にでかけることに慣れているのか、とても大人しく、お行儀もよく、犬が入れない場所などだと、外に繋がれたまま、ハチ公さながらに、じっとご主人様の入っていった建物の方を向いて、じっと、待っていたりする姿を見かけると、可愛いなぁ~と思います。

 私は、もっぱらネコ派で、散歩をしなくてもよく、自分の好きな時にだけ寄ってくる気ままに暮らしてくれる猫が気楽で好きなのですが、そんな犬を見かけると、犬も可愛いなぁと思って、犬と出かけるというのもやってみたい気がします。

 そうやって、外で見かける犬はたいてい、とてもお行儀がよいです。

 今日、たまたまメトロの中にいたら、停車駅で子供を抱いた背の高い男性が乗ってきて、なんと不注意にも、彼が車内に乗り込むときに、男性の身長が高いために、子どもの頭が扉に直撃し、子どもがギャン泣き、かなりの強さで頭を打ったかと思い、周囲の人々は心配そうにしていたのですが、当の男性は、大して気にせず、子どもをあやすでもなく、子どもが泣き続けていました。

 まあ、パパが気にしていないのなら、大丈夫なのかな?とちょっとホッとしたのもつかの間、少し離れたところで、けっこうな年配の男性と女性が激しい言い合いをはじめ、子どもは泣き続けるは、おじいさんとおばあさんがののしり合いを始めるは、ちょっとしたカオス状態になりました。

 そろそろ、年末が近づいてきて、なんだか、イラついている人も増えてきたのかな?と思っていると、そのすぐ近くには、なかなか大きめな犬が座って、その様子を見守っていて、もしかしたら、犬の方がお行儀よいのかも?と思ったりもしたのでした。


フランス人と犬


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2023年11月10日金曜日

パリでちょっと気の利いたクリスマスカードを探すのは大変

  


 近々、日本に一時帰国の予定で現在、日本に持っていくお土産物を調達して歩いています。日本に行くのは、一年半ぶりくらいで、とても楽しみな反面、頭が痛いのは、日本に持っていくお土産物のことです。

 もう四半世紀近くもフランスにいるため、日本に帰国するたびに、日本に持っていくものは、もう持っていき尽くした感じもあり、また友人や親戚など、日本滞在中に会う予定の人々の数も日常の私からしたら、信じられない数にのぼり、行きの荷物の大部分はほぼお土産物です。

 最近は、もうほぼ食料品なのですが、それにしても、日本での日程と賞味期限を確認しなければならないし、以前は大丈夫だった生ハムなどは肉類が日本に持ち込めないようになって以来、またひとつ選択肢が減ってしまって大変、残念です。

 まあ、大半は、日本だとえらく高く売られているフランスのバター、チーズなどの乳製品やチョコレートなどのお菓子類が中心ですが、せっかくならば、何か目新しいものがあれば・・と色々、考えます。

 バターなどは、冷凍して、出かける直前に保冷袋に入れて、他の冷蔵品(チーズなど)と一緒にスーツケースに入れて預けてしまえば、飛行時間中はほぼ冷蔵状態が保たれるので、大丈夫です。

 ごくごく近しい人には、連絡をして、「何か欲しいものがあったら、買っていくよ!」と希望を聞いて用意していくのですが、今回は、季節柄ということもあって、その中に、「もしも、プレゼントにちょっと添えるくらいの気の利いたクリスマスカードがあったら・・」という希望がありました。

 私自身、フランスに来たばかりの頃は、年賀状を出さなくなった代わりにと、クリスマスカードを出していた時期もありましたが、今では、すっかり、そんな習慣もなくなり、せいぜい出しても、すべてネット上で送るクリスマスカードです。



 そもそもクリスマスカードをはじめ、ちょっと気の利いたカードとか、広くいえば文房具の類は、断然、日本の方がよいものが多く、ことクリスマスカードなどは、「なにこれ?だっさ~~」と思うものがほとんどで、様々な広告類、デコレーションなど、洗練されたものが見られるフランスで「なんでクリスマスカードがこれ?」と思うものに溢れているのは、本当に不思議なことです。

 それでも、普段は探さないものを探して、思わぬ発見をするのも楽しいので、一応、色々、見て歩きましたが、本屋さんや文房具屋さんの類ならばともかく、デパートなどに行って、「クリスマスカード探しているんですけど・・」と尋ねると、「へっ??クリスマスカード??」とそんなもの探してるの?と言わんばかりの雰囲気を醸しだして驚かれる感じで、もうクリスマスカードというもの自体が廃れつつあるものであるのではないか?と思わされます。

 それでも、あるには、あるのですが、やたらと大判のものが多く、子供じみたクマなどがど~んと描かれているものなどが多くて、売り場そのものも、隅の方に追いやられています。

 自分が自信をもって、これはカッコいい!とか、すてき!と思うものならともかく、今ひとつ微妙なものしかみつからないものの中から選ぶというのは、大変、難しく、色々、見て歩いたなか、一応、数枚は買ってみたのですが、なんかモヤモヤ。

 クリスマスカードだけではなく、広く文房具などに関しては、やっぱり断然、日本の方が気の利いたものや可愛いものがあるんだろうな・・とあらためて実感した次第です。

 それでも、文房具全般に関しては、以前よりはだいぶマシになってきたとは思いますが、逆に、日本の文房具は、私が日本に行ったときに、覗いてみたくなるものでもあり、フランス人へのおみやげものに買っていくものでもあるのです。


クリスマスカード


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2023年11月9日木曜日

フランス政府が導入する繊維製品修理ボーナス

  


 フランス政府は昨年の11月に電子機器・家電製品修理ボーナスシステムを導入し、すでにこのサービスが開始しています。これは電子機器・家電製品の寿命を長くし、廃棄物を削減することが目的に導入されたシステムで、6年間で4億1千万ユーロ割り当てられている、かなり、大きな試みで、修理にかかる費用の一部(製品によって、10ユーロから45ユーロ)を政府が負担してくれるというものです。

 正直、今年、我が家は電化製品の故障が続いておこり、真夏の盛りに突如、冷蔵庫が壊れ、それから少ししてプリンターが壊れるという災難?に見舞われましたが、その時には、この電気製品修理ボーナスのことなど、すっかり忘れており、また、たとえ、覚えていたとしても、事態は急を要し、修理に来てもらって直してもらうことを待っていることはできません。

 例えば、冷蔵庫にしてみれば、急に冷蔵機能がストップしてしまったのですから、中にある食品は、真夏のことゆえ、放置しておけば、どんどん腐敗していくわけで、ある程度、自分でネットなどで調べた結果、もうこれはダメだ!と判断して、すぐに新しいものを買いに行き、翌日には配送してもらえるように頼んできたのです。

 これがもし修理するとなれば、冷蔵庫を自分で電気屋さんに持っていくことは不可能で、まず、修理屋さんに来てもらわなければなりません。このような人に来てもらうだけでも、相当な金額がかかり、また、その予約も直ぐにとれるとは限らず、そのうえ、予約がとれたところで、その予約どおりに職人さんが来てくれる保証もなく、そのうえ、見てもらった挙句に結局、修理不可能となっても、職人さんの出張料金は支払わなければなりません。

 現在のところ、冷蔵庫の修理には25ユーロの補助金が出るということになっていますが、かなりの確率で、大幅に足が出るのはほぼ確実なので、このような大きな家電製品の場合は、実際のところは、あまり現実味がない気もしています。

 今回、政府が発表している繊維製品修理ボーナスについては、この家電製品修理ボーナスに続く、第二弾となる「洋服や靴」に関するもので、家電製品に比べると、こちらの方が利用する人は多いのではないかと思われます。

 そもそも、フランスには、この衣服のお直し、修繕のお店というものは、けっこうあるもので、気を付けて街を歩いていると、こんなところにもお直しのお店があるんだ・・と思うことも多く、けっこう洋服が吊るされていたりするところを見ると、もともと利用者は少なくないのかもしれません。

 消費者はこれらの修繕の代金を政府が援助する金額を差し引いた金額で支払うことができるシステムになるそうで、縫い目のほつれの修理が6ユーロから、ジャケットの裏地の交換や革靴のソールの張り替え25ユーロまでが政府の負担となりますが( これには他にも十数種類の価格が含まれている)、この政府の負担分が修理費用の 60% を超えることはできない仕組みとされています。

 私自身は、これまで洋服の修理を頼んだことはないのですが、以前、務めていた会社には、このお直しを引き受けている女性が御用聞きのように会社に出入りしていて、けっこう、多くの人が修理を頼んでいました。

 もともと、堅実(悪くいえば、ケチ)なフランス人、古いものを長く大切に使うという習慣があるようで、この洋服や靴に関する修理ボーナスはけっこう多くの人に受け入れられるのではないか?という気がしています。

 靴のソールなどの張替えは、私も何度か頼んだことがありましたが、最近は、もはや靴らしい靴を履くこともあまりなく、もっぱら運動靴ばかり履いているので、運動靴の場合はソールの張替えというわけにもいかず、今回もあまり個人的には、恩恵に預かれない感じです。

 とはいえ、廃棄物を削減していこうとする試みを政府が先導して行うというのは、環境問題への取り組みとしては、よいことであると思いますが、その分だけ、新しい製品の売れ行きが低下する可能性も大いに考えられ、ZARAやユニクロなどは、店舗でこのお直しを受け付けるというサービスにも参入し始めています。

 この繊維製品修理ボーナスには、2023年から2028年までに1億5,400万ユーロが投入されるそうです。


繊維製品・靴修理ボーナス


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2023年11月8日水曜日

パリの市営プールの風景

  


 私が定期的にしている運動といったら、もう最近は水泳くらいなもので、何もしないでいれば、衰えるばかりの身体能力を維持するどころか、衰えを少しでも食い止めるくらいくらいなものですが、それでもやらないよりはマシだと、最低、1週間に1度は近所にある市営プールに行って、1㎞泳ぐことにしています。

 ロックダウン中には、家でエアロビクスをしたり、ストレッチをしてみたり、縄跳びをしたりもしていたのですが、一度、縄跳びをしていて、いつのまにか骨折していたのに気づかずに、いつまでも腫れがひかないので、医者に行ったら、骨折していたという情けないことがあって以来、やっぱり水泳が一番、怪我をする危険も少なく、安全だと思うようになりました。

 昔から泳ぐことは好きで、若い頃は毎日1キロ泳いでいた時期もあったのですが、さすがに今では、それは、とんでもなくキツくて、あまりハードルをあげると続かないので、最低1週間に1回1㎞と決めています。

 別に何かのレッスンに通っているわけではないので、好きな時に行って、好きなように泳いでくるのですが、どういうわけか、だいたい同じ曜日の同じ時間帯に行くことになります。

 市営プールなので、学校のある時期は、近所の学校に大半の時間を割り当てられているので(フランスの学校には、それぞれの学校がプールを持っていないので(近所の市営プールを学校ごとに時間帯を分け合いながら水泳の授業を行っています)、一般に公開される時間は、早朝か昼休み、夕方から夜の時間帯に限られているので、私の場合は、早朝はムリなので、だいたい昼休みの時間か夕方になるのですが、その一般公開の時間ならばいついってもいいのに、曜日や時間帯はだいたい、いつも同じになってしまいます。

 水曜日に行くと、小学校はお休みなので、小さい子供がいたりして、また、少人数の子供に水泳を教えたりしているのを見かけたりもします。学生時代、アルバイトで子供に水泳を教えたりしていたこともあったので、子供に水泳を教える様子はなかなか興味深く、平泳ぎを教えている場面に遭遇して、「かえるみたいに足をひきつけて~、エッフェル塔みたいに足を開く~」とか教えているのに、なるほど、なかなかフランスらしい教え方だ・・などと一人、感心していたりしています。

 今週は、ちょっと予定が立て込んでいて、いつもプールに行く日に行けそうもないので、まあ、今週はパスしてしまおうか?とも思ったのですが、近々、日本に行くので、日本で思う存分食べたいので、少しでも運動して体重を落としておかなければ・・と思い腰をあげてプールに行ってきました。

 いつも行かない日に行ってみると、なにやら、ちょっと年配の女性がたくさんいて、どうやら、水中エアロビクスのプログラムをやっているようで、「こんなの初めて見た!」、「違う日に来ると違う光景に遭遇するものだ!」と、それはそれで、いつもはあまり遭遇しない人々、しかも、高齢層の大人数のパワーあふれる女性たち・・ふだん、あまり見かけないタイプの人々です。

 この寒い中、プールの中で、けっこうポップな音楽に合わせて身体を動かしに来ている人々は明るくて元気でパワフルな感じで、しかも、こんなに運動してるのに・・なぜか、けっこう体格のよい人(控え目に言っている)が多いのも不思議です。

 しかし、スポーツジムに通っていたときも感じたのですが、年齢を重ねても、自ら積極的に運動している人々は、明るくて気さくな感じの人が多いような気がします。市営プールゆえ、近隣に住む人がほとんどのため、家も近いせいか、みんなわりと構わずに、お化粧っけもあんまりなく、髪の毛でさえも、適当に乾かして、帽子をかぶって帰っちゃう・・ようなところが、とっても気楽です。

 そんな中、私は、自分に課しているノルマの1㎞をなぜかせわしい気分で黙々と泳ぎ、そんなおばちゃんたちを微笑ましく思いながら、自分が今週も一応、ノルマの1㎞を達成したことに満足して帰ってきました。

 毎日毎日の生活は、ついつい同じルーティーンで動きがちなのですが、たまには、時間帯や曜日を変えてみると、けっこう、全然、いつもとは違う光景やいつもとは違う人々に遭遇して楽しいものだ・・と思ったのでした。


パリの市民プール


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2023年11月7日火曜日

ノエルの準備だけは、着々と進んでいるパリ

  



 いつまでもメトロの工事が終わらないとか、何に関しても、ゆっくりで時間がかかるフランスも、ノエルの準備だけは、早いな~~~と、昔から思っていました。

 だいたい、トゥーサン(ハロウィンの季節)のバカンスが終わると(だいたい11月の初め頃)、ただちに、ノエルの飾りつけなどが始まるので、ノエルだけは特別扱いな感じは以前からありました。

 しかし、これは、年々、エスカレートして、ノエルの準備が前倒しになっている気がするのは、私の気のせいではないと思います。今年などは、トゥーサンのバカンスが始まる前から、シャンゼリゼのノエル用のイルミネーションの電球をつけ始めているのを見て、「まだノエルまでに2ヶ月以上もあるのに、さすがに早すぎないか??」とビックリしていました。

 とはいえ、実際にシャンゼリゼのイルミネーションが点灯する日にちは前倒しになっているわけではないので、それだけ時間がかかるようになったというか、時間をかけるようになったと考えることもできます。

 今年は、どうなるのかはわかりませんが、昨年などは、節電とかで、実際にイルミネーションが点灯される時間が短縮されたりして、実際のキラキラノエルの期間は以前よりもむしろ短くなっているくらいです。


 街の中がぐんぐん、ノエルの色に染められていくなか、デパートやスーパーマーケットなどは、商売もあってか、もうほとんどノエルのスタートを切っている感じで、早くもクリスマスツリーを飾っているところもあり、店頭に山積みにされているチョコレートなどは、一気にノエル仕様に様変わりしています。



 この間は、すでにノエルの時期になると登場するリボン付きのフォアグラがでていて、「うわっ!もうこのパッケージのフォアグラが・・」とびっくりしたところです。

 また、ノエル前のカウントダウンの一つでもあるアドベントカレンダーなども続々、登場していて(12月になると、毎日、毎日、ひとつずつ中に入っているお菓子などをあけながら楽しむもの)、今年は、自分で中身を入れて毎年楽しむことができる布製のものなどが増えているような気もします。


 しかし、ともかくも、ノエルは一年中でフランス人にとって家族や友人と過ごす最も大切な重大イベントであると同時に最もお金を費やす時期でもあり、コマーシャルチャンスとしては、絶好の機会でもあります。

 インフレで厳しい時だからこそ、前倒しにノエルを盛りあげて、少しでも消費を促そうとする気持ちもわからないではありません。


パリ ノエルの準備


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