私にとってのごくごく近い家族は、祖父母はもちろんのこと、両親も夫も、すでに他界してしまっているので、娘をのぞいて、もう誰もいません。私の年齢だと、さすがに長寿国、日本だけあって、私の友人たちも、両親のどちらかは、まだ健在・・とまではいかなくても、健康上、様々な問題はありつつも、どちらかはまだ残っているという人が多く、「だんだん大変になってきた~」などという話を聞いても、介護できる親がいることを羨ましく思う気持ちもありました。
しかし、反面では、家族を見送る辛さや悲しみを思い出すと、私は、もうあんな思いをすることはないんだな・・と、ちょっとホッとするというか、そういう過程も私は卒業したんだなという気持ちもあります。
私はこれまで、祖父、祖母、母、夫、父と見送ってきたのですが、亡くなり方は、それぞれ違っていたのですが、そのたびに、私は涙が枯れるほど泣き、そのたびに、なんだか人生観が変わるような、また、日常の些細なことなど、どうでもいいような、色々な気持ちに襲われてきました。
人にはいつか死が必ず訪れるということは、わかっていても、その人を失ったときの悲しみはまた別で、それを受け入れるには時間がかかります。
祖父と母は心臓の病気だったので、本当に倒れてから1週間ほどで亡くなり、夫のときには、仕事先で急に倒れて病院に運ばれて3日目くらい、父の場合は、一応、間質性肺炎という病名がつけられてはいましたが、最後の1年くらいは、みるみる身体が弱っていった感じで、老衰に近いような印象でした。
唯一、ガン宣告を受けたのは、祖母だけで、ガンが発見された時には、もう手の施しようがなく、余命はせいぜい1~2ヶ月と言われたので、あの時の衝撃は、今でも忘れることができません。
私もまだ独身で、日本にいた頃のことだったので、誰よりも大好きだった祖母に少しでもたくさん会いたくて、それから、祖母が亡くなるまで、毎晩、仕事が終わって家に帰ると、車で病院に通い、一時帰宅したときなどは、祖母の家に泊まりこんだりもしました。
最後に自宅に戻った時などは、知り合いのホスピスの先生に頼み込んで、往診していただいたりもしました。
冷静に見れば、病状の進行状態からも、祖母のガンが明らかに進行していることは、明白であるにもかかわらず、いつまでも、心の中のどこかでは、「ガンというのは間違いかもしれない・・」とか、「奇跡がおこって、よくなるかもしれない・・」などと思いながら、結局は、祖母が実際に亡くなる半年後までの間に、少しずつ、見送る方も心の準備をしていたのかもしれません。
それでも、祖母が亡くなったときは、悲しくて悲しくて、耐えきれず、私にとっては、誰よりも大好きな祖母だったので、きっと両親が亡くなるよりもつらいだろうと思ったりもしました。
しかし、後から考えるに、祖母とは、ガン告知のおかげで最後の半年を他の家族のみんなとともに、本当に濃密な時間を過ごすことができた気がしています。
祖母を亡くすほど悲しいことはないと思っていた私は、それから大分、時が経って、母が亡くなったときも、やっぱり充分に悲しかったし、夫のときには、それこそ急なことでもあり、海外にいて、しかも、まだ娘も小さくて、途方に暮れ、私も半分、あちらの世界に行ってしまったような深い悲しみに暮れ、その悲しみは、それから数年間、続いたし、あまり仲がよかったとは思えなかった父の時でさえも、帰りの飛行機の中では泣きどおしでした。
もうあんな辛い思いは二度としたくないと思います。
今でも、叔父や叔母たちなど、かなり親しい付き合いをしてきた親戚は残っていますが、ごくごく近い家族とは、きっと違うだろうとは思っています。
それが先日、日本にいる親友のお母さまがガンで、もう今年の夏を越せそうもないという話を聞いて、ものすごいショックでした。彼女は、独身で、ずっとお母さまと二人暮らしを続けてきていて、とても仲のよい親娘で、また、彼女とは付き合いが長いこともあって、日本に帰ると、一緒にお食事をしたこともあったり、家に電話をして、彼女がいなくても、お母さまと長電話したりすることもあったり、遠くから、私の子育てを見守ってくれていました。
お母さまの病状については詳しいことはわかりませんが、独身の彼女にとって、この現在の状況や彼女にこれから待ち受けていることを考えると胸が痛みます。
また、この知らせに私が想像以上にショックを受けていることが、自分でも意外というか、久しく人の最期に接してこなかった私に、人の最期に対して、やっぱり、こんなにも受け入れがたいことであることをあらためて、思い知りました。
ガンという病気は珍しい病気ではありませんが、この余命宣告ありの病気が残酷なものなのか、それとも、最期の時を精一杯過ごすためのものであるのか、今さらながら、考えてしまいます。私の母や夫などは、本当に突然、亡くなってしまったので、全く覚悟というものができていなかったのです。
大切な親友の一大事に何もできないことが、どうにも気持ちの置き所がないような感じでもどかしくてなりません。
ガン余命宣告
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