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2025年2月27日木曜日

やれるもんなら、やってみな・・強気すぎる娘

   私の一時帰国の二次被害?ともいうべく、娘も私につきあって、尋常ではない量の美味しいものを食べ続ける生活が続いています。 以前、やはり、私が一時帰国をして、一緒になって食べまくっていた娘は、最後の最後に、私がフランスに持って帰る荷物の計量をするのに、私が自分自身で計量するのだけでは、なんとなく、心許なくて、娘にも、「お願い!もう一度、測ってみて!と頼みました。 スーツケースなどの大きな荷物は上手く体重計に乗せられないので、いったん、自分の体重を測ってみてから、次にスーツケースを持って体重計に乗って測っているのですが、まず、自分の体重を測ったところは、娘は真っ青になり、あんなに娘...

2024年10月2日水曜日

娘と私の友人の九州珍道中

   娘が日本で仕事を始めてから、もう2年くらいが経過し、日本での生活にもかなり慣れ、仕事もどうにか順調そうで、また、リモートワークを上手く利用して、彼女はかなり頻繁に旅行して歩いて、楽しそうに生活しているようです。 やはり、日本とは時差が7時間(もう少しすると8時間になる)もあり、ゆっくり話せる時間帯もズレているので、電話するのはけっこうタイミングが難しいし、また、独立した娘にあまり口出しして、ウザいと思われるのも嫌なので、時々、電話してみたりもするのですが、そんなに頻繁でもありません。 でも、娘の方も、たまに思い出したように電話をくれます。前回、電話をくれたのは、連休を利用して...

2024年9月4日水曜日

治安のよい日本におぼれている娘

   フランスで育った娘が日本で就職して、早や2年が経ちました。生まれた時から、日本語はしっかり教えようと、私としては、かなりしつこく娘への日本語教育だけは諦めずにずっと続けてきたので、その日本語も使えて、フランス語も英語も使いながら、現在、彼女が仕事ができていることは、私にとっては、何より嬉しいことです。 小さい頃から、学校の長いお休みの時には、毎年、日本に連れて行っていたので、ある程度は、日本のことをわかっていたとは思いつつ、日本で生活を始め、しかも日本で仕事をするとなると、フランスとは習慣も文化も違うことがたくさんあり、さぞかし、困惑することもあるかも? そして、日本人の生活...

2024年6月18日火曜日

娘はけっこうなハードワーカー??

   「パリ行きの安いチケット見つけた!」と、かなりフットワーク軽くパリにやってきた娘は、現在、家で仕事をしています。 6月末までにとりきらなければならないお休みが残っているから・・と聞いていたのですが、それは、今回の彼女のパリ滞在まるまるの日程の分のお休みをとっているわけではなく、最初の一週間は、ほぼほぼリモートワークで通常どおりの仕事をしているようです。 彼女の仕事は、リモートワークが中心なので、日本にいても会社に行くのは、せいぜい週1~2日くらいなもので、行っても行かなくてもいいけど・・という私にはよくわからないもので、私が日本に行っているときも、彼女は家で仕事をしていたり、...

2024年5月30日木曜日

子どものお稽古事 習い事

   絶賛子育て中の女性たちの会話を小耳にはさんで、特にまだ小さい子どもを持つママたちは、子どもに何をやらせてあげればよいのか?子どもにとって良い教育とはどんなことなのか? とっても一生懸命に話をしているのを聞いて、なんだか、昔の自分の子育てをしていた頃を思い出し、「私もなんかもう、無条件に必死だったな・・」と、なんか、そんなママたちを見て、「そうだよね・・子どもに少しでもよいことをさせてあげたいよね・・わかるわかる・・がんばれ!」という、なんかそのママたちがとても愛おしいような気持ちになりました。 私の場合は、とにかく何よりも娘には日本語をしっかり身につけてほしかったので、娘に一...

2023年9月4日月曜日

子供のお稽古事はどの程度、必要なのか?

   私が子供の頃、やっていたお稽古事は、ピアノくらいなもので、英語は習っていたというよりも、母が教えてくれていたので、お稽古事という感じではありませんでした。 まあ、時代も国も違うので、今の日本の子供たちがどんなお稽古事をしているのかはわかりませんが、お稽古事をさせる親の立場になってみると、フランスでは年度初めの9月に色々なスケジューの都合をつけて、申し込みをしたり。必要なものを揃えたりと忙しい時期でした。 なんといっても、私が娘にさせていた最優先にしていたお稽古事?は、日本語(公文)でした。パリの公文の教室は小学校のお休みに合わせて、水曜日と土曜日の午後、好きな時間に行って、みんながそれぞれの課題をやって、それぞれが学習している間を先生が見て下さり、帰りには宿題をもらって帰ってくるというものでした。 水曜日と土曜日の2日間を公文だけに時間を割いてしまうというのもキツいので、我が家は週1回だけ連れて行って、1週間分の宿題を頂いてくる感じでした。公文が大変だったのは、教室に連れていくことよりも、どちらかというと、その宿題を毎日やらせることで、私は仕事終わりに娘を迎えに行き、学校から帰ってくると私は食事の支度をしながら、公文の宿題を監督するという日々の繰り返しがなかなか根気がいることで、しかし、私は娘の日本語だけは、絶対にあきらめないと思っていたので、他のことは娘にうるさく言ったことはありませんでしたが、このルーティーンだけはけっこう頑なに守っていました。 フランスの小学校は、この学校以外のアクティビティーのためにということで、水曜日をお休みにしているのですが、実際にお稽古事などの他のアクティビティ・お稽古事などに時間を割いている子供の割合がどのくらいいるのだろうか?と疑問にも思います。 だいたい、小学生の場合は、どこへ行くにも送り迎えが必要で、送り迎えができない場合はお稽古事に行かせることもできないわけです。私は休日出勤したりした場合の代休は水曜日に充ててもらうようにしていましたが、さりとて、毎週毎週決まって水曜日に休めるわけでもなく、そうなると、水曜日に娘のお稽古事の予定を入れるわけにもいかなくて、どうしても、お稽古事は土曜日に集中することになり、土曜日には、もう一つやらせていたバレエと公文の教室のハシゴをしていました。 とにかく、平日の学校(月・火・木・金)は、16時半までで、その後は希望者にはエチュードという学校の宿題などを見てもらえる時間があり、それが18時まで、もう時間はいっぱいいっぱいで、他のお稽古事のための時間はありませんでしたし、それ以上、増やすつもりもありませんでした。 なので、私も水曜日が休める日は、多くの場合はプールに連れて行って、水泳は私が教えました。というと、聞こえはいい?のですが、娘はあっという間に泳げるようになったので、娘をプールに連れていくのは、私自身も泳ぎたかったことや、エネルギーがありあまっている娘をどうにかして、疲れさせることが目的でした。 バレエは私が小さい頃になんとなく憧れていたので、パリということもあり、また地域のバレエの教室の先生がなんとパリ・オペラ座のソロのダンサーだったというカッコいい先生で、こんな先生に教えてもらえるチャンスなんて、そうそうあることではない!と、娘が4歳くらいの時から通うことにしたのですが、娘はけっこう、気に入って、10年くらいはやっていたのではないでしょうか? 結局、お稽古事らしいことは、バレエと公文くらいのもので、それ以外は、学校で行った乗馬の合宿がきっかけで、春休みになると、乗馬の合宿に参加したりもしていましたが、これは、不定期なもので、挙句の果てには、もっと別のスポーツをやってみたいと、他のものに移行していきました。 夫が他界したこともあって、それ以降は、うんざりするほど多い学校のお休みは、とても私一人で面倒を見きれるものではなく、私がお休みをとれる1ヶ月程度を除いた彼女の学校のバカンスを、結局は、彼女がやりたいというスポーツの合宿で埋めることになり、結果的に後になってから考えれば、このおかげで彼女は乗馬、スキー、サーフィン、ダイビング、カヌー、ハイドロスピードなどなど、彼女の年齢にしたら考えられないほどたくさんの体験をすることができてきました。 お金もかかりましたが、それでも幸いなことにこれらの合宿に参加するための遺族補助金のようなものが国から出ていて、それでも、かなりの出費ではありましたが、私は娘に物を買い与える代わりにこれらの体験をさせることにお金を使いました。 具体的に何の役に立つというものでもありませんが、多すぎる学校のバカンス期間を休みがとり切れずに仕事に行っている母親を待って退屈しながら時間を過ごすのは、無駄だし、毒だと思っていたのです。 子供にしろ、大人にしろ、暇だったり、退屈したりしているとロクなことにはなりません。 娘のお稽古事に関して、一つだけちょっと残念に思うのは、私が小さいときから当たり前のように習っていたピアノを教え続けることができなかったことです。私自身が親からしてもらったことは、当然のように自分の子供にもしようと思って、私は彼女が小さいときにピアノを教え始めたのですが、どんなに走っても疲れない娘がピアノの練習となると、すぐに「手が痛くなってきちゃった・・」とか言い出すので、私は、この子は、そんなにピアノが好きではないんだろうな・・無理矢理やらせるのも労力の無駄・・と早々に辞めてしまったことです。 しかし、まあ思い返すに、私も仕事をしながらの子育てで、もうスケジュールはいっぱいいっぱいで、あれ以上はムリだったな・・とも思います。 子供の頃は、言語にしろ、スポーツにしろ、飲み込みが早くて、大人になってからやるよりも、ずっと効率もよいので、好き嫌い、向き不向きがわかるだけでもやってみるということは結構、大事で、どんなことにしても、子供の頃、若い頃に、ちょっとでもやったことがあるということは、その後、大人になってから、再開するにしても、ハードルが下がるものでもあります。 子供の個性によっても、様々な事情によっても、できること、できないことはありますが、色々なことを体験するという意味では、お稽古事は決して悪くはないかも・・と、思うのです。子供のお稽古事<関連記事>「子供のために使うお金 フランスのコロニー(子供の合宿・サマーキャンプ)」「パリ・オペラ座出身のバレエの先生 フランスの子供に人気のお稽古事」「お稽古事の向き不向きーピアノの鍵盤を数えて覚えようとした娘」「フランス人のパパの教育」「母の英語教育」「おたくのお嬢さんが刺されそうになりました!?・・バカンス中のサマーキャンプでの話」「柔道は意外とフランスに浸透しているスポーツ フランス人 女子柔道家 クラリス・アグベニェヌ金メダル...

2023年4月25日火曜日

日本人なのに日本語がほとんど話せない海外育ちの従弟の子供

  娘が日本で就職して、あっという間に1年が経ちました。彼女が生まれてから、私は彼女の日本語教育には、ことのほかしつこく、根気よく、かなり労力を費やしてきました。 フランスで生活しつつ、私は彼女とは日本語だけで会話を続け、ある程度の年齢までは、家にいるときは、日本語のテレビ(ビデオやDVDなど)しか見せず、小さい時は、日本語の単語のカードを作って遊みたばせてみたり、毎晩、寝る前には、日本語の絵本の読み聞かせを続け、会話だけでなく、日本語の読み書きもできるようになってほしかったので、日本語をできるだけ億劫に感じることがないように、フランスの学校に通い始める前に、2歳になるかならないか...

2022年8月15日月曜日

バイリンガルになった娘の就職

  日本に行きたいがためにママに公文の宿題を毎日やらされていた頃の娘 子供ができたとわかった時から、私はなぜか、お腹の中の子供は女の子だと思い込んでいて、産婦人科のお医者さんにエコーで診てもらった結果、「手足の長い女の子ですよ!」と言われて、「やっぱり!・・よかった!」と思いました。 名前も、フランスにも日本にも、英語圏にもある名前にしようと前から決めていました。正直、私は名前はひらがなでもいいな・・と思っていたのですが、パパが「日本にはせっかく漢字があるんだから、漢字の名前をつけてあげなければ可哀想だ・・」などと言い出し、そうなると、今度は実家の母が「せっかく漢字にするなら、画数...

2021年11月24日水曜日

娘の卒業式

    これまでずっと入学式も卒業式もなかったフランスの学校で、最後の最後のグランゼコールには、卒業式がありました。卒業式といっても日本のような式典とは違い、ディプロムの贈呈式のようなものです。 娘が10歳の時に主人が亡くなり、その直後は、「到底、フランスで一人で子育てなど無理・・もう日本へ帰ろう!」と思ったのですが、周囲の方々の支えもあり、結局、娘の教育を考えてフランスに残ることにしてから13年間、娘は当時、通っていた、こちら(フランス)の私立の学校に高校まで通い、その後、プレパー(グランゼコール進学のための準備学校)、グランゼコールへと進み、晴れて卒業致しました。 娘...

2021年10月2日土曜日

バイリンガル教育は簡単じゃないけど、頑張れば、その子の一生の財産になる

    国際結婚の場合、子供はハーフでバイリンガルになる・・と、簡単に思われがちですが、バイリンガル教育は、考えているほど簡単なことではありません。 二つの国(あるいはそれ以上)の国籍を持っており(日本の場合は22歳までにどちらかの国籍を選択しなければなりません)、両親の母国語が二カ国語に渡る場合でも、生活の基盤は、どちらかの国(あるいは、それ以外の国)に置くことになるわけで、どうしても生活の基盤のある国の言語に引っ張られます。 我が家の場合は、主人がフランス人、私が日本人で、フランスで生活しています。普通のフランスの学校に通っている娘にとって、フランスで生活する上では、娘にとって...

2021年9月9日木曜日

フランス人の子供の流行りの名前と名前の刷り込み

    子供の名前というものは、どこの国でも流行りがあるようで、日本でもキラキラネームなどと言われて、この子たち、おじいさん、おばあさんになっても、この名前??と思うような名前が流行った時期もありましたね。 名前の流行は、フランスでもあるようで、毎年、毎年、男の子・女の子別の人気の名前のランキングなるものが発表されたりしています。 ちなみに今年のフランス人の子供の名前のランキング(2021年)は、男の子で、1)Léo(レオ)、2)Gabriel(ガブリエル)、3)Raphaél(ラファエル)、4)Arthur(アーチュー)、5)Louis(ルイ)、6)Jules(ジュール)、7)A...

2021年2月9日火曜日

パリで、たまに見かける子供に日本語を教えようとしない日本人の親 バイリンガル教育

   娘が生まれて以来、私は、何の疑問もなく、娘に日本語を教えることを自分の使命のように思っていました。日常では、私以外には、日本語を使う人がいない環境で、私が娘に日本語を教えることを諦めてしまえば、絶対に娘は日本語を話すことはできなくなってしまいます。 日本語ができないということは、日本の私の家族や親戚、友人たちとも関わりを持てない、日本人でありながら、日本人ではないような、日本から一枚の壁を隔てた存在になってしまうということです。 そして、私が娘にできる教育の中で、日本語を教えるということは、とりあえずは、私にしかできない、私ができることの中で、最も有意義な教育だとも思っていた...

2020年9月9日水曜日

娘には幼少期の記憶がほとんどない! 小さい頃は可愛かったのに・・

              ペコちゃんと同じサイズだったのに・・ 最近、このコロナ渦の中、娘もスタージュがリモートワークになったりして、彼女とこんなに一緒にいるのは、幼少期の頃以来のことです。私は、娘が1歳になると同時に仕事を始めたこともあり、彼女の幼少期には、仕事以外の時間は、ほとんど彼女と一緒の時間を過ごしてきました。 私にとっては、初めての子育て、しかも海外で仕事をしながら・・。私のような人間が、子供を持ってしまった・・出産の時に、まさに赤ちゃんの頭が出ようにもなかなか出なかった時くらいから、もしかしたら、私は、大変なことをしてしまった・・一人の存在しなかった人間が私から生ま...

2020年9月4日金曜日

日本は海外に住んでいても教科書を無料でくれる

  新年度に入って、学校が始まれば、フランスの学校でも、一年の始めには教科書が配布されます。しかし、それは、ほとんどの場合、一年間、教科書を借りるということで、新年度には、その一年間お借りする教科書のブックカバーをする仕事が待っています。 借り物なので、汚したり、破損したり、紛失したりした場合は、弁償しなければなりません。一年の始めには、学校からクラスごとに揃えなければならないノートやファイル、ペン、定規、計算機などの細かいリストが配られ、そのリストに従って、一通りの買い物をしなければなりません。 ノートの大きさ、ページ数、様式など、細かい指定で、だいたいカーフールなどのスーパーマ...

2020年8月11日火曜日

子供のために使うお金 フランスのコロニー(子供の合宿・サマーキャンプ)

 フランスは、今は、バカンス真っ盛りですが、とにかく学校のバカンスが多くて、特に夏は、2ヶ月間、ほとんど、まるまるお休みなので、その期間を子供にどう過ごさせるかというのは、大問題でした。 娘が小さい頃(小学校低学年の頃)は、7月の最初の週にフランスの学校がお休みになると同時に日本へ一緒に行って、日本の小学校が夏休みに入るまでの少しの間、日本の実家の近所の区立の小学校に一時編入をさせてもらっていました。 いくら、フランスの会社がバカンスを取れるとは言っても、せいぜい一ヶ月、子供の学校のお休みは夏に2ヶ月間、ハロウィンの頃に2週間、ノエル(クリスマスから年末にかけて2週間)、冬休み2週間、イースターに2週間と、とても子供のお休みに合わせて、全て休んでいるわけにはいきません。 そんな子供のためにバカンス中に子供のレクリエーションをさせながら、子供を預かってくれる...

2020年6月30日火曜日

バイリンガルになった娘の日本語 複数言語を使う生活

 娘がパリに戻ってきて、約2ヶ月が経ちました。彼女は、2年間、彼女の希望の地方のエコールに通うために、生まれて初めて親元を離れて、一人暮らしをしていました。一人暮らしといっても、シェアハウスのようなところで、数人の同居人のいる中での生活でした。  もちろん、周りはフランス人ばかりですから、フランス語一色の生活で、2年間を過ごしてきたのです。本来ならば、エコールは、もう一年あるのですが、残りの一年は、スタージュやら留学の予定が入っているために、パリの自宅に戻ってきたのです。  とはいっても、大部分の彼女の荷物は、パリの自宅においたままだったので、バカンスのたびに、衣替えも兼ね...

2020年1月25日土曜日

娘の日本語教育と赤ちゃん言葉

 娘は、アフリカで産まれて、三ヶ月ほどで、主人の転勤で、フランスに引っ越して来て以来、ずっと、フランスで育ってきました。  私にとっても、初めての子育てで、赤ちゃんというものを触ったこともなかった私にとっては、手探りの子育てで、抱っこして、ミルクをあげるだけでも、今になって写真を見ると、私が娘にミルクを飲ませている写真は、かなり、どことなく、ぎこちなく、ミルクを飲む娘の方が苦労したのではないかと思われるような有様でした。  産まれたばかりの頃は、早く、首が座ってくれれば・・、座れるようになってくれれば・・、と、成長を見守っていましたが、ハイハイを始めたと思ったら、後ろにしか進ま...

2019年11月14日木曜日

パリの公文 やってて良かった!

 私は、娘が生まれた時から、とにかく、日本語は、しっかりできる子供にしたいという気持ちがとても強く、主人もそのことに関しては、快く賛同してくれていたので、娘が生まれて以来、物心ついた頃から、パパは娘とフランス語で話し、フランス語を教え、私は、娘とは、日本語で話し、自分で、カードを作ったりして、日本語を教えていました。  それでも、パリにいる日本人の先輩ママなどの話を聞き、フランスは、他言語に対して、かなり排他的であることや、パパがフランス人、ママが日本人とはいえ、放っておいたら、日本語は、どんどん、面倒臭い言語になってしまう、だって、こちらの生活では、必要ないんだから・・などという話を聞くにつれ、これは、私、一人だけで、日本語を教えるのではなく、誰か、他人の手を借りた方がいいと思うようになりました。  私が、娘に望んでいたのは、ただ、日本語が話せるだけではなく、きちんと文章も読めて、書けるようになって欲しかったのです。  周りの助言もあり、フランスの学校(実際には、幼稚園ですが、2才から始まります)で、フランス語を始める前に、(多少なりとも日本語を始めた方が、日本語を億劫に感じにくいだろう)ということで、2才から、娘を公文の日本語教室に通わせ始めました。  当時は、公文は、シャンゼリゼにあった、日本人会の中の一室にあり、そこへ、毎週、土曜日、週一回、通い始めました。本当は、同じ料金で、水曜日と土曜日、どちらも行くことができるのですが、さすがに、私も仕事をしながら、両方は、無理なので、土曜日だけにしていました。  最初は、本当に、鉛筆の持ち方から、線をなぞるような、お遊びのようなものでしたが、それでも、他に、日本人の子供に会う機会、私以外に日本語を話している人に会う機会のなかった娘にとっては、良い刺激になったと思います。  そのうち、オペラ近辺にも教室があることがわかり、教室を変わりましたが、それこそ、幼稚園から上は、中高生まで、一緒の教室で、それぞれが違うレベルのプリントを黙々とやる中、数名の先生が、生徒の間をまわって、少しずつ見て下さるのです。  大半は、日本語を学びに来ている現地校に通う小学生でしたが、中には、数学と日本語の二本立てをこなし、日本語とともにスラスラと計算問題をこなして行く子もいたりして、内心、舌を巻いていました。  本当なら、数学もできたらとも思ったのですが、消化不良を起こしては、いけないと日本語だけをお願いしていました。毎週、土曜日の14時から17時までの時間帯の好きな時間に行って良いので、午後、バレエのレッスンが終わると、飛ぶようにして、公文に移動していたものです。  土曜日の授業の他に、次の一週間分の宿題のプリントをもらうので、一週間、毎日、学校から帰ると公文の宿題をするのが日課になっていました。  それでも、大きくなるにつれて、駐在でパリに来ている人の子供たちは、日本へ帰ってしまったりして、いつの間にか消えていき、フランスの学校の授業が大変になってくるとやはり続かないのか、高学年になるにつれて、生徒さんは、少なくなっていきました。  結局、娘は、10年間くらい通ったでしょうか? 一時、日本語の勉強は、ストップした時期もありましたが、高校生になってから、再び、バカロレア(高校卒業資格試験のようなもの)の第二外国語のオプションを日本語で取ることに決めてから、再び、別の日本語の教室で勉強を再開しました。  しかし、継続は力なりとは、よく言ったもので、毎日、少しずつでも、10年間、続ければ、おかげさまで、そこそこの読み書きもできるようになりました。  親子二人きりでは、ここまで続けることは、できなかったと思います。  お世話になった先生方には、とても感謝しています。  今では、公文もすっかり立派になり、全世界に50ヶ国以上の国にあるそうで、パリ市内には、4ケ所、パリ近郊を合わせると6ヶ所もあるようです。  以前は、日本人の生徒がほとんどでしたが、今は、数学、英語なども加えて、フランス人に向けても、METHOD...

2019年7月11日木曜日

夏の一時帰国時の日本の学校への編入体験 バイリンガル教育の生体験

 私は、娘が生まれた時から、いや、生まれる前から、娘にパパの母国語であるフランス語と私の母国語である日本語をしっかりと話せる人になってほしいと思っていました。  ですから、娘が生まれてから、すぐにフランスに引っ越して、いよいよ、娘の母国語の基盤は、フランス語となっていきましたが、私は、娘には、常に日本語で話し、”ママは、日本語しか話しません。” を通してきました。  また、単に会話だけではなく、読み書きもきちんとできるように、日本語を学ぶことが億劫に感じないように、フランス語の読み書きを学校で習い始める前に、日本語の読み書きも教え始めました。  だいたい、フランスに普通に暮らしている分には、日本語は必要ないわけですから、娘が日本語なんて、いらない!と思わないように、先手先手を打っていきました。  小学校就学の学年になると、日本国籍を持っている子供は、義務教育の間の9年間は、予め申し込みをしておけば、日本の教科書を無料でもらうことができます。一年に2回、(教科書の上巻と下巻)9年間に亘って、大使館に受け取りに行っていました。  これは、日本のすごいところです。一体、世界中のどのくらいの国がこのような、教科書の無料配布を海外在住者にも行っているでしょうか?  さて、話は、小学校の編入体験についてに戻ります。 手続きは、簡単でした。通わせたい学校(私の場合は、実家の学区域内の近所の小学校でした)の教頭先生に、予め、連絡をとり、子供の名前、年齢、学年、住んでいる国、言語、通わせたい期間等の連絡をします。  当日、学校へ行って、所定の用紙に書き込みをしたり、登校する日にち分の給食費を支払い、登下校時に着用が義務付けられている帽子と防犯ブザーを買い、準備は、ほぼ完了。教科書などは、フランスで頂いていた教科書とは、違うものだったので、その期間だけ、学校から貸していただきました。  私は、先生との打ち合わせの中で、フランスの学校にはない、給食係や、掃除当番などもお客様扱いはせずに、やらせてほしいとお願いしました。些細なことではありますが、給食係や掃除当番などの仕事は、フランスの学校にはなく、(フランスでは、給食は、キャンティーンの仕事をする大人が、また、お掃除は、お掃除の仕事をする大人がやるので、生徒は一切関わることがありません)これも、日本の文化の一つだと思ったからです。  それは、ほんのわずかなことですが、後になって、たとえ、外からでも日本人を見るときに、日本人がこのように教育されて育ってきている人たちなのだということが何か一つのヒントとして、わずかでも、娘の中に刻まれていればと思ったのです。  実際に、教頭先生も最初から、とても、好意的、良心的で、最初にお話をした時も、快く、受け入れてくださり、逆に、”フランスですか〜 フランス語かあ〜 英語ができる教師はいるんですが・・”と、あくまで、寄り添ってくださる姿勢で、こちらの方が恐縮し、” ...

2019年7月4日木曜日

ハーフだって楽じゃない・・・ハーフの子

 最近、着物屋さんの広告で、「ハーフの子を産みたい方に・・」というコピーが炎上していましたが、そもそも、「ハーフ」というのは、どういう位置付けをされているのだろうかと考えてしまいました。うちにも、一人、ハーフがいますので・・。  このコピーの是非をどうこう言うつもりはありませんが、まあ、私、個人的には、大騒ぎしすぎじゃない??と思います。  しかし、このような広告を打つからには、もともと、広告主は、ハーフの子をプラスに考えてのことだったと思うのですが、ハーフだって、いいことばかりじゃありません。  だいたい、必ずしも、美男美女というわけでもありませんし、バイリンガルになるのだって、簡単なことではありません。まあ、実際には、生活する国、場所の方に大きく偏るのが普通だと思うのですが・・。  そして、両親のバラバラの文化の不均衡を埋めながら、育ちます。  私は、フランスに住んでいるので、日仏ハーフの子供(フランスでは、なぜか...