絶賛子育て中の女性たちの会話を小耳にはさんで、特にまだ小さい子どもを持つママたちは、子どもに何をやらせてあげればよいのか?子どもにとって良い教育とはどんなことなのか? とっても一生懸命に話をしているのを聞いて、なんだか、昔の自分の子育てをしていた頃を思い出し、「私もなんかもう、無条件に必死だったな・・」と、なんか、そんなママたちを見て、「そうだよね・・子どもに少しでもよいことをさせてあげたいよね・・わかるわかる・・がんばれ!」という、なんかそのママたちがとても愛おしいような気持ちになりました。
私の場合は、とにかく何よりも娘には日本語をしっかり身につけてほしかったので、娘に一番、最初に始めたのは日本語の教育でした。私の最優先事項は決まっていたので、とにかく私は娘には日本語のみで話し、日本語の絵本を毎晩、夜2冊を読み聞かせをし、日本語の単語のカードなどを自分で作ったりして日本語を教えていました。
まずは、日本語の読み書きができるだけ億劫に感じにくくなるようにと、フランスの学校(実際には幼稚園ですが、フランスでは学校扱い)が始まるまえには2歳で公文に通い始め、えんぴつの持ち方から日本人の先生に(私以外の日本人の人からということも大切だと思って)日本語で教わり、最初は線を引くところから始まり、それから毎週1回、当時はシャンゼリゼにあった教室にしばらく通い、その後はオペラ座近辺の教室に通いました。公文は本当は週2回通えるのですが、スケジュール的に無理だったので、1週間分の宿題をもらって週1にしてもらっていました。
送り迎えも大変でしたが、毎日の宿題をやらせるのがホント、大変でした。毎日、毎日の積み重ね・・我ながらよく続いたものだと感心します。これらのことは、私が子どもの頃に母から受けた英語教育にちょっと通ずるところもある気がしています。
私が子どもの頃は、母が私に少しずつ英語を教えてくれていたので(これは外に習いに行ったわけではなく母がずっと教えてくれました)、毎晩、寝る前には英語のお話のテープを聞きながら、ベッドに入るようになっていたので、子どもの頃はそのお話を英語で暗唱できたりしました。小さい頃だったからこそ、できたことです。
しかし、娘には私も少しだけ英語を教えかけたこともあったのですが、途中でギブアップ、ただし、夫が存命中は夫とは英語で話すようにしていたので、そこに娘がフランス語で割って介入してくることはあったので、ある程度は聞き取れていたかもしれません。
そして、娘には、私の小さい頃の憧れもあり、バレエをやらせたいと思っていました。もともとは、ほんとに親の勝手な趣味的発想です。しかし、パリにいるからこそ、そんなに高くない月謝で、しかもラッキーなことに先生は、元オペラ座でソロで踊っていたバレエダンサーでした。
パリで女の子のお稽古事といえば、バレエは定番なのですが、そんなこととは関係なく、これは、単に、私が子どもの頃にやりたかったのにできなかった・・という私の勝手な希望でした。最初、娘はあまり乗り気ではなく、「じゃあ、一回、行ってみて、嫌だったら、やめよう!」と連れて行ったら、娘はたった1回で「やっぱりやりたい!」と変わりました。
それが4歳くらいだったと思います。当時、娘はピンクのお年頃で、もう何から何までピンクがいいという頃、ピンクのチュチュを着た、ちっちゃなナルシスト集団みたいなところでしたが、結局、彼女は高校に入るくらいまで続けていました。
日本語はともかくバレエは特に将来なにかにはっきりと役立つというものでもないのですが、しいて言えば、バレエというものはあらゆるダンスの基本のようなものでやってみると地味にキツいもので、しいて言えば、体幹が鍛えられ、姿勢よく成長できたかもしれません。
私はずっとフルタイムで働いていたので、とにかくどこへ行くにも送り迎えが必用なフランス(小学校卒業までは)で、彼女のお稽古事は私が送り迎えができる日に集中させる必要があり、これ以上は無理でした。
水泳等は、休みの日、時間が空いていると近所の市民プールに連れていき、私が教えていたので、娘は、しっかり泳げるようになっていました。ただ、ある時、(8歳くらい?)夫が急に水泳をやらせたいと言い出し、自分が送り迎えをするからと、平日の夕方の時間で週1で水泳のクラスに通わせていたこともありました。
その他には、学校の合宿等で、乗馬をやっていたこともあったし、これまた学校の中のアクティビティでフェンシングなどのコースを取っていたこともありました。フェンシングなどは、これは、性格的にも合ってるのでは?と私は思っていたものの、1年のみで、やっぱりあんまり好きじゃない・・と彼女はあっさりやめてしまいました。
その後、夏休みや冬休みのコロニーでは春には乗馬の合宿、夏にはサーフィンやダイビングなどのマリンスポーツ、冬にはスキーと、お稽古事というわけではありませんが、色々なスポーツに触れさせることができました。
これらのコロニー合宿は夫が亡くなってからの話で、長い夏休みをはじめとする学校のバカンスに私一人でお休みをとって付き合いきれなかった苦肉の策で、夫の元同僚だった人が、財務省(夫の勤務先)の職員の遺族補助が使えるから、通常よりもずいぶん安く行かせてあげられると紹介してくれたもので、まさに不幸中の幸いで、おそらく娘にとっては、私と過ごすよりも豊かな体験ができたのではないか?と思っています。
ただ一つ、心残りといえば、心残りなことは、私が小さい頃からお稽古事としてやらせてもらってきたピアノをやらせてあげられなかったことで、当時、絶対音感は小さいうちに訓練しないと・・などと思っていたので、小さい頃に私自身が娘にピアノを教え始めていたのですが、どうにも彼女はピアノが楽しくないらしく、どんなに動いても決して音を上げない娘がピアノに関しては、すぐに「手が痛くなっちゃった・・」と言い始め、音に関しても、音ではなく、鍵盤の位置を数えて覚えようとする不思議な子で、他のスケジュールがキツキツだったこともあり、私は早々に「時間の無駄だ・・」と諦めてしまったのです。
今から思えば、それをどう楽しく感じさせることができるのか?というのが親の力量だったのかもしれませんが、私には、当時、そんな余裕がありませんでした。
後に「のだめカンタービレ」というドラマが流行ったときに、娘は「やっぱりピアノやりたかった・・」などと言っていたことがありましたが、結局、お稽古事とか習い事は、本人がやっていて楽しいかどうか?というのが続けられるかどうかの判断基準なのではないか?とも思います。
「好きこそものの上手なれ」とか言いますが、なにをするにしても一定の努力が必用ですが、好きなこと、好きなものであれば、その努力がしやすいということで、それは、お稽古事に限らず、学業の専攻や職業を選択する際にも、よい判断基準なのかもしれないと思っています。
その子どもの特性によって、合う合わないは色々あると思うので、一概にどのお稽古事がよいということも言えないと思いますが、とにかく少しでもとっかかりのあるものをとりあえず、やらせてみて、続けられるかどうか?本人が楽しんでできるかどうか?ということを試してみるのがよいかと思います。
とりあえず、私が一番、優先的に考えていた日本語教育に関しては、小さい頃は、「日本語のできない子は日本に連れていけない」と言って、日本行きを餌にして、好き嫌いにうむをいわせない感じにして、とにかくやるのがあたりまえ・・という雰囲気になっていました。
今となれば、私の念が通じ、彼女は日本でフランスの会社で日本語、フランス語、英語を使って仕事ができているので、結果的には、日本語教育はまことに頑張って続けた甲斐のあった習い事?となりましたが、結果として、はっきり見えるカタチではなくても、小さい頃に色々なことを経験し、一定の期間続けるということは、なんらかの意味があることだと思っているので、忙しい暮らしの中で送り迎え等、頑張っているママさんたちには、エールを送りたいと思います。
本当に子どもの頃、スポンジのように様々なことを学習する、体験する時期をどのように過ごすかということは、その人の一生にとっても大きなことなのではないか?と思うのです。この時期を逃してしまうのは、本当にもったいないです。
子どものお稽古事 習い事
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