2024年3月31日日曜日

マッチングアプリ  ”ティンダー・レイピスト” 強姦魔の元写真家に懲役18年+永久国外退去命令

  


 「ティンダーレイピスト」と呼ばれる38歳のモロッコ人男性が、マッチングアプリ「ティンダー」を通じて知り合った女性に対する12件の強姦と3件の性的暴行事件で有罪判決懲役18年を求刑されています。

 この38歳の元写真家は、2014年から2016年にかけて、出会い系アプリ「ティンダー」を使って多数の女性を自宅に誘い込み若い女性たちを襲いました。 彼はモデルを探している写真家であると名乗っており、彼女たちに写真撮影を持ち掛け、巧に自宅に誘いこんで女性を襲うという同じ手口を数多くの女性に対して行っていました。彼の自宅ではアルコールが提供されると、その後、全員が異常な酩酊と体力の低下を訴えており、中には、薬物を投与されたと主張している女性もいました。

 被害者の女性たちは、事件当時20代前半の若い女性ばかりであり、この男性がモデルを探している写真家だと名乗っていたとしても、安易に男性の部屋にあがることも不用意でもあるし、そもそも相手をよく知らない出会い系サイトというものには、ふつうに出会う場合に比べて危険性が高いことは忘れてはいけないことを思い出させてくれます。

 この他に2件の告発がなされていましたが、2件の事件に関しては、証拠不十分として不起訴になっていますが、少なくとも17件の告発状が出されていることになります。

 彼はこれらの関係は合意のうえであったとか、そもそもそんなことは起こってはいなかったと主張し続けていましたが、2件の証拠不十分で不起訴になったケースを除いて15件に関しては有罪判決が下り、懲役18年の有罪判決となりました。

 この一連の彼のやり口は、計画的であり、連続的でもあり、極めて自己中心的で悪質であることから、懲役18年に加えてフランス領土から永久に離れる義務を伴っています。

 彼はすでにこの事件に対して2年半の公判前拘留を経て、写真家としての活動を禁止され司法監督の下で釈放されたのちにすぐに同様の事件を犯しています。

 再犯率が高いと言われるこの手の性犯罪で、司法監督下とはいえ、なぜ公判前拘留を中断して釈放してしまったのかは理解しがたいところです。

 今回の裁判にこぎつけるまで被害者の女性たちにとっては、長い闘いの日が続いていたようで、公聴会が数日間続くうちに、お互いを知らない被害者女性たちが近づき、お互いをサポートし、励まし合う姿が見られたと言います。

 この裁判で争われたのは、17件でしたが、恐らく告訴に及んでいない女性がまだまだ存在していると思われ、実際に今回の裁判で争われている事件以外にもすでに別の告訴状が提出されているそうです。

 マッチングアプリを全て否定するつもりはありませんが、危険人物も含まれているこんなケースもあるので、充分に気を付けてください。


マッチングアプリ レイプ


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2024年3月30日土曜日

帰仏前後のもろもろ・・どうやら、また時差ボケまっしぐら・・

  


 なにかとトラブルもあったものの、無事、日本滞在の全行程が終わって、帰仏に向けての最後のクライマックスは荷造りです。帰仏前日、九州から泣く泣く・・というか怒りながら別送した荷物がなんとか届きました。

 その荷物を加えて、ざっと来仏のスーツケースを計量して、23㎏に満たない分を最後に買い物に行って追加するつもりでいました。

 帰仏前日の朝、叔母から届けたいものがあるから、「午前中に家に行ってもいい?」と電話。今回の来日でまだ一度も会っていなかった叔母も一緒だというので快諾し、家でちょっとだけ彼女たちとおしゃべりしたあと、近所に食事に行くことに・・。

 親戚の叔父、叔母の中でも彼女たちは、叔母というよりもお姉さんのような存在のためにとっても楽しい食事とおしゃべりの時間を過ごしたのち、帰宅。

 一応、それまでに買い集めたものなどをざっくりとスーツケースを計量してみると、もうすでに23㎏に限りなく近いことがわかって絶望的な気持ちに・・。隣の従姉妹が最後の買い物に車で行ってくれることになっていたのですが、「もう荷物、かなりいっぱいで追加できないかも??」と泣く泣く告白。

 「あれもまだ買ってないし、これもまだ買ってないし・・」とこぼすと、「それじゃ、どうしても欲しいものだけを買って、選抜式にしたらどう?どうせ、入らないものを置いて行っても娘ちゃんがいるんだし・・」と。

 「そうだ!そうしよう!」とさっそく、二人で買い物へ。

 無事に買い物が済み、いよいよ本格的に荷造りをしていると、2階の部屋で仕事をしていた娘が下りてきて、「ママ!全然、甘い!まだまだ手荷物にたくさん移せるよ!」、「これもこれも、手荷物に移せるでしょ!」と。

 実のところ、娘もフランスにいて、一緒に帰国していた頃は、荷造りは彼女の担当で、彼女は実に効率よく上手く収めてくれていたのでした。彼女のアドバイスどおりになんとか荷物を手荷物とスーツケースに割り振るとなんとかその日に買ってきたものも全て持って帰れそうな感じになりました。

 しかし、グズグズ夜中まで荷造りにかかっているのを見かねた娘が結局、うまいこと荷造りしてくれました。もはやどちらがお母さんかわからない感じになっています。

 機内に持ち込む荷物には機内で食べるものも含まれています。最近、機内に持ち込んで食べるものの中でとても気に入っているのは、冷凍の枝豆で、最近の日本の冷凍の枝豆は塩味もついていて、自然解凍で食べられるようになっているので、飛行機の手荷物の中に忍ばせて置くと、飛行機に乗った頃には、解凍されてちょうど食べ頃になるのです。

 前回は、やけに羽田空港が混雑していたので、今回は3時間前に到着するように家を出て、娘に教わったGOタクシーというアプリでタクシーでリムジンバス乗り場まで向かい、そこからリムジンで空港まで。空港に着くとすぐにチェックイン。荷物を預けて一段落。それから、まだ最後にコンビニでおにぎりやサンドイッチなどを買い込み、保安検査場へ。

 保安検査場を過ぎたところで、免税手続き(今回も前回の戸籍の附票の写しとやらが使えたため、ユニクロで免税で買い物しました)、といってもパスポートをピッと通すだけですが・・。

 ここを過ぎたところで、やっとどうにかホッとして、日本の友人たちや従姉妹や叔母や娘に、無事に空港について、あとは乗るばかり、滞在中はお世話になりました・・というメッセージを送ったり電話したりしながら、ちょっとだけサンドイッチを食べたりコーヒーを飲んだりしていると、出発3時間前についたのに、あっという間に搭乗時間間近になっていました。私にとっては、出発3時間前に空港入りというのは、ちょうどいい時間のようです。

 飛行機はオンタイムで離陸するというアナウンスにエアフランスなのにオンタイム?と驚きました。機内のことは前のブログで書いたので割愛しますが、書き忘れたことが一つ・・。大したことではないのですが、食事と食事の間に後方のスペースに用意されている軽食(サンドイッチやマドレーヌ、チョコレートなど)の中に山積みのどら焼きがありました。

 CDG空港に着くと一応、ランダムに荷物をチェックされる場合もあるのですが、日本からの直行便に関しては、ほぼノーチェックが多いです。

 タクシー乗り場に向かうとけっこうな行列にびっくり。それでもなんとか家に着くと猫のポニョが熱烈歓迎でお出迎えしてくれました。また時差ボケだな・・と思っていたものの、飛行機でたっぷり眠れたにもかかわらず、しっかり夜も眠れて朝6時半に空腹で起床。

 まだまだ眠れると思いつつ、いやいやこれで寝てしまったら時差ボケになる・・と頑張って起きて、荷物を片付けつつ、Navigo(こちらの定期券のようなもの)をチャージしに行ったり、野菜や卵や果物などの買い物に行ったりして午前中を過ごしたあと、昼食をとり、一段落したところで、なんだかすごく疲れて、ちょっと横になろう・・と思ったのがまずかった・・。そのままぐっすり眠ってしまい、気が付いたら、夜の11時。

 「え~~~?」という感じ。途中で心配してポニョがニャーニャーないていた声が聞こえていた気がするのですが、まさかのもう夜中です。

 機内でもぐっすり眠って、その日の夜もぐっすり眠って、時差ボケ対策に向けてバッチリ!と思いきや、午後の時間までぐっすり眠ってしまって、どうやら、やっぱり時差ボケは必須状態です。


時差ボケ


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2024年3月29日金曜日

長距離フライトの座席の移動のチャンス

  


 私は長距離フライトに乗る際には、必ずチェックインの時に、この便は満席ですか?と聞くようにしています。もともとできるだけ航空運賃は抑えたいために、よっぽどのことではない限り、別料金を払って座席指定をしたりすることはしないので、基本、割り振られた座席を受け入れて、あとは運次第です。

 個人的には、長距離フライトの間は、私は過去に怪我の後に足に血栓ができたことがあったために、フライト中、座りっぱなしというのは良くないようで、定期的に歩かなければならないので、できれば通路側がありがたいのです。

 しかし、セコいやり方ではあるのですが、そのフライトが満席ではない場合、離陸後にあたりを見回して、もし、通路側に空席があるのであれば、席を移動させてもらうこともできるので、その最後のチャンスを狙っているのです。

 今回の日本からフランスへの帰国のフライトの際にも、チェックインの際に「今日は満席ですか?」と聞いてみたところ、「今日は若干、空席がありますよ!」とのことだったので、内心は、「やった!チャンスあり!」と思っていたのですが、グランドスタッフの方は、「プレミアムエコノミーにグレードアップしますか?」とおっしゃり、「いえいえ、そういうわけではないんです!」と言ったのに、「すぐに追加料金を確認します」と仰るのでで、「まあ、一応、金額だけは聞いておこうか・・」と思っていると、「48,000円です」とのことだったので、やはり辞退。マイレージが貯まっていれば、それで・・ということもできたりもするのでしょうが、今回は、数年ぶりのエアフランスでマイレージも貯まっていないので、断念。

 それよりも、私は、もしも通路側出なかった場合は、離陸後に同じエコノミー席の中で席を移動させてもらえる可能性があるな・・と思っていたのでした。

 飛行機に乗ると私の座席は通路側で、しかも真ん中3席の間は空席で、隣が空席ということはだいぶ楽、一つの空席をおいた向こう側には、フランス人の若い男性が大きなお魚の抱き枕を抱えて乗っていて、「それ、可愛いですね・・」と声をかけると、ちょっと照れ臭そうに、「隣が空いているのは、ずいぶん楽ですね・・」と。

そして、飛行機が離陸後、まずトイレに行きがてら、ちょっとだけ歩こうと思い、席を立つと、思っていた以上に空席があり、となりの列の中に3席まるまる空いている席を発見。即刻、フランス人のCAの男性に「空いている席に移動してもいいですか?」と聞くと、「もちろん!」と快諾を頂き、即刻、お引越し。

 もともとの席の一席あいたお隣の男性にとっても私がいなくなれば、彼もまるまる3席使えるようになるために朗報であるに違いなく、その男性に、「私は別の席に移りますから・・」と声をかけて席を移動しました。

 3席確保できるとは、本当にラッキーで、さっそく窓際の席に枕を積み重ね、座席間のひじ掛けをあげると、もうフライト中の私のベッドが完成。さっそく両足を座席の上にのばして座ってストレッチをしたりして、身体をほぐし、万全の態勢になりました。

 長距離フライトの後に必ず思うのは、「両手両足をのばして眠りたい」ということなのですが、今回ははからずもそれが機内で叶えられることになりました。

 最初は、度々、歩かなければならず、うとうとすることはあっても、なにやかやと用意していた雑用をこなしたりしていたのですが、フライトも3分の2が過ぎた頃には、いつのまにか爆睡。途中、食事が配られていたのも気付かず、もう着陸30分前というアナウンスで目が覚めました。

 機内でそこまで爆睡するのも稀なこと。今回は、日本時間で昼過ぎに出るフライトだったために、朝、自宅を出て、時差の関係で、フランス時間の同日の夜に到着する予定だったので、そこまで本気で寝なくてもいい(夜、到着したら、そのまま家に帰ったら寝ればいい)と思っていたのですが、機内でしっかり寝てしまいました。

 日本滞在中は、最初の1週間強くらいは、時差ボケのためにあまり眠れない日が続き、その後、温泉旅行をしたりした際には、時差ボケはほぼ解消されていたものの、朝食前に朝風呂を楽しみたいために早起きをしていたために、全般的に寝不足の日が続いていたので、まず長距離フライトの機内で眠れたことはとてもよかったかもしれません。

 こんなに寝ちゃって、夜、眠れないかも?といらぬ心配をしてもいたのですが、帰りのタクシーの中では、最初は運転手さんとおしゃべりをしたりしていたのですが、次第に眠くなってきて、夜もしっかり眠れました。

 しかし、時差ボケは単に睡眠の問題だけではなく、翌朝は、私の腹時計が先に目をさまして、眠いのにお腹がすいてすいて起きてしまいました。

 本当ならば、あれだけ日本で食べすぎの日々が続いていたので、フランスに戻ってきたら、ダイエットが開始される予定ではあったのですが、そこは帰国ホヤホヤ・・日本から持って帰ってきた食料が山のようにあるために、もうボーっとしながらもまた、食べてしまうのでした。

 日本の国内移動のLCCで嫌な思いをしたこともあり、エアフランスのグランドスタッフもCAさんたちも、ものすごく感じがよい気がしました。日本からのフライトだというのに、日本人スタッフはゼロ(しかも半分くらいは男性)。帰途につくときに、内心、「ああ~またフランス語の生活か・・」とちょっと億劫な気がしたにもかかわらず、機内アナウンスのきれいなフランス語を聞いていると、どこか心地よさを感じたりもして、自分でも意外でした。

 ともあれ、長距離フライト、大変ではありましたが、不幸中の幸い?というか僥倖で、目覚めたときには、もう少し寝たいから、もうちょっと飛んでくれていてもいいのにな・・などと思ったほどです。


機内座席移動


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2024年3月28日木曜日

人の寿命はわからない・・

  


 今回は、日本にある家のことで、急遽、一時帰国することになり、その家は、父が亡くなった後に相続した段階で、私と弟の共同名義にしたために、家に関わる大きな案件については、私と弟との二人が揃っていなければならず、姉弟ともども海外生活を送っている我が家は、二人が日程を合わせなければなりませんでした。

 日本に到着するまでにも、色々と打ち合わせたり、決めたりしなければならないことも多く、いまだかつてないほど、ほぼ毎日のように弟とはLINEやメールで連絡をとりあったり、意見をかわしたりしてきたので、姉弟で色々と話せるよい機会だったと思います。

 弟は、日本の企業で働いているので、日本には仕事も兼ねて帰国することが多いのですが、今回は、100%プライベートということで、かといって、私のようにその間に旅行の計画をたてたりはしていなかったようなので、比較的、日本滞在中は自由に動ける感じでした。

 なので、肝心の要件に臨む前に、姉弟で顔を突き合わせて、色々と段取りをしておく方がよいと思い、家で一緒にゆっくり食事しながら話そうと母が昔、よく作ってくれたお料理などを久しぶりに作ったりして、弟を迎え、弟もリラックスした感じで昼間から飲みながら、食べながら、途中で叔母が顔を出したり、娘が加わったりしながら、延々と楽しい時間を過ごしました。

 夕方になった頃、そこそこ酔っ払い始めた弟が今日は、「泊まっていってもいい?」と言い出し、「もちろん!ここは、あなたの家でもあるんだから・・」と言いつつ、弟は、いよいよ本腰を入れて飲み始めてしばらく経った頃でした。

 弟の携帯に突然、電話着信が・・バカンス中のことでもあり、最初は彼も無視していたのですが、あまりに執拗に鳴り続けるので、電話に出るとそれは彼の勤務先のシンガポールからで、彼の部下である日本人スタッフの女性が仕事先のマニラで急に脳出血をおこして、病院に運ばれて意識不明とのこと。

 シンガポールならばともかく、場所はマニラ。マニラでも一番よい病院に運んだとのことでしたが、かなり状況は厳しそうだということで、一瞬で酔いも覚めるような出来事でした。

 病人に同行していた他のスタッフはかなり動揺していて、パニック状態。彼は部下にとにかく、「費用は全部会社が負担するから、落ち着いて、できる限りのことをひとつひとつやっていくように、そして、彼女の家族に即刻、連絡をとるように」と指示していました。

 しばらくすると、また、彼には連絡が入り、「手術するには、家族の同意が必要で、現在の病院の状況だと早くて手術は2日後くらいであろうと・・また家族は、鹿児島にいて、誰もパスポートすらもっていない・・」と。

 この倒れた彼女、とても有能な方のようでバリバリの叩き上げのキャリアウーマンとのことで、39歳独身とのこと。本人の意識はないので、そのご家族と連絡をとりながらのことを進め、翌日には、なんとか手術に漕ぎ着けたのですが、結局、それも上手く行かずにその翌日には、亡くなってしまったそうです。

 今回、日本に帰国して以来、明らかに急に老化が進んだように見える叔父や叔母の様子を見たり聞いたりするなか、あっけなく突然、まだまだ将来もあるはずの若い命が突然、絶たれてしまうこともあるのだと、なんだか他人事ながら、呆然とする思いでした。

 私としたら、いつ、それが弟であってもおかしくないような、人の寿命はいわゆる歳の順ではないのだとなかなか身につまされる思いでした。

 その間に家の要件は無事片付き、私は、予定していた旅行などに行っていたりしましたが、弟の方は、今回の帰国は仕事は関係のない帰国だったにもかかわらず、現地で荼毘にふされた彼女の遺骨が東京に届くと、部下とともに彼女の遺骨を届けに彼女の実家のある九州へ。

 たまたま同時期に九州の温泉でのんびり過ごしていた私とは、あまりの違いで気の毒になりました。一緒に同行した彼の部下は、涙ながらに遺族に遺骨を渡しつつ、ことの経過を説明したとかで、どんなにか辛い思いをしただろうと思います。

 私の夫も病気で突然、職場で倒れてから、病院に運ばれて数日後に亡くなり、母も病を患っていたとはいえ、発作をおこしてから、10日ほどで亡くなり、どちらも平均寿命には及ばない早逝だったと思いますが、今回の話はまさかの30代ということで、つくづく人の寿命は決して歳の順ではないのだということをあらためて思い知らされました。

 結局、彼女は倒れてから、一度も意識を取り戻すことなく亡くなってしまったようで、何の前触れもなく、何の言葉も残さず、ある日、突然にいなくなってしまいました。

 歳若いうちは、死は身近には感じづらいものですが、やはり、日々、死は隣り合わせにあるもので、日頃から私も死については、考えておこうとあらためて思ったのでした。


人間の寿命


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2024年3月27日水曜日

LCCはもう嫌だ・・最悪の東京への帰り道

  


 楽しかった九州旅行も最終日、帰京する日は朝からさんざんでした。

 まずは自業自得とはいえ、娘がお腹が痛いと言い出し、また、天気も悪いこともあって、予定を変更、まあチェックアウトの時間までゆっくりして、最後の最後までお部屋の露天風呂を堪能しようということになり、それなりに最後の最後まで温泉を堪能したのです。

 その後、湯布院の駅がなかなかよいというので、駅周辺をぶらぶらし、農協のスーパーでちょっとだけ買い物をして、かなり余裕を持って空港へ出発したのです。

 しかし、空港への高速道路が閉鎖されており、一般道を行かなければならなくなったために、大幅に時間がかかり、かなりチェックイン、ギリギリの時間になってしまいました。

 チェックインは無事にできたのですが、問題は荷物で、LCC(ピーチ)は荷物の機内持ち込みの荷物の重量制限がタイトで、それをオーバーする分は、もう初めから、お金を払って預けることにしていたのです。ところが、すんでのところで、時間切れになり、「もう荷物は預けることはできません」と言われて、途方に暮れたのです。

 だって、自分が飛行機に乗るのに、荷物は預けられませんって、ふつう、どうします?

 そのあたりでピーチ航空の職員がどうしようか?となんとか善処しようとしてくれていたにもかかわらず、急にANAの地上職員がやってきて、それを遮るカタチだったのです。

 それなら、どうすればいいの?と焦る(というより怒る)と、「預けられない荷物は、宅急便で別送してください」とのこと。だいたい、ただでさえ、時間がギリギリなのに、そんなことしている時間がある?とちょっと、いやかなり唖然とし、それなら、「もうこのフライトキャンセルしようか?」というと、「キャンセルについては、ご自分でご確認ください・・」と言う。

 時間がギリギリだったことはこちらの落ち度ではありますが、もう少しその説明の仕方や物言いや対応の仕方でかなり印象が違ったと思うのですが、もう私たちは怒り心頭。前代未聞に感じの悪いANAの職員は40代後半くらいの女性でいかにもお局的な感じ・・。

 結局、ギリギリでなんとか荷物を宅配便に預け、慌てて出発ゲートへ走り、保安検査場へ。そこでも、出発便ギリギリの時間だと言っても、保安検査場の人は、全く意に介してくれずにさらにバタバタと飛行機の入り口までなんとか駆け込むと、今度は、さきほどのチェックインの際にいたANAの職員の女性が立ちはだかり、通してくれないうえに理由も説明なし。

 これまで数十回、いや数百回以上飛行機を利用してきましたが、こんなに感じの悪い航空会社の職員は初めてで、もはや嫌がらせのレベル。

 いかに安い航空券だとしても、料金を払っているのだから、こんな嫌がらせを受けるのは、到底、理解ができません。

 日本のサービスは世界一。どこへ行っても日本人は本当に感じがよいので、余計、こんなことがあるとは、腹立たしいやら残念やら・・。

 フランスやヨーロッパだったら、あり得ることだという印象があるのですが、前回、ハプニングのために慌てて取り直したチケットがトランサビアというLCCだったのですが、そこですら、こんなに感じの悪いことはありませんでした。

 また、宅配便で送った荷物は九州からだと最低でも2日かかるということで、帰仏直前の私にとっては、フランスに帰る荷物の調整に大きなハンディを背負うことになりました。

 結局のところ、もとを正せば、大分空港への道路が閉鎖されていたことから始まったハプニングだったのですが、LCCと一般の航空会社ではここまで違うのかと思わせられる職員の対応の違いに心底うんざり。

 個人的には、もう二度と日本のLCCは利用したくない気持ちになりました。


LCC ピーチ航空


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2024年3月26日火曜日

ついに旅先で腹痛に襲われ苦しむ娘

  


 私は普段はある程度、食事には気をつけて、控えめにしているつもりですが、日本に一時帰国している間は、そんなことはおかまいなしに、とにかく食べたいものは、食べる! 少々、大袈裟ではありますが、これがもしも日本に来る最後の機会になったとしても、思い残すことがないように、欲望に率直に食べることにしています。

 ダイエットは、フランスに帰ってから、ゆっくりやればいいと、とにかく、食べたいものを食べる毎日を送っています。

 しごく前のめりになって、でかけるたびに食べたいものを買ってきては食べているのですから、巻き添いを被っている娘ともども、食べ過ぎの日々が続いていました。

 ましてや、今回は娘と二人で九州旅行に出かけ、温泉宿に泊まれば、これまた朝から普段では考えられないほどの料理が並び、ふだんはともすると朝食は食べなかったりもするところを朝からしっかりと食べ、昼は昼であそこのお店に行ってみたいとか、あれが食べてみたいから・・と食べてみたり、また、夕食は夕食で、旅館で豪華な食事がずら〜っとならび、二人で「うわぁ〜すご〜い!美味しそう!美味しい!」とはしゃぎながら食べてきました。

 そんなふうに、母娘で旅するのは、このうえもなく楽しいことなのですが、とにかく旅先での移動は車で、今回は、特にあまり天候がよくなかったために、あまり歩くこともできず、次の旅館に着くなり、とにかく旅館内の温泉巡りでひたすら温泉に浸かるだけなので、運動量も不十分。

 とにかく温泉にだけは、とことん入っているのですが、それで山ほど食べている食事が消化しきれるものではなく、日々、蓄積されていくうちに、あまり空腹を感じなくなってきて、しかし、どうにか少しこなれたかな?というくらいの時間に次の食事。

 それでも美味しそうな食事を見ると、食い意地から空腹を感じ、食べるとびっくりするくらい美味しいので、それにつられて結局はとことん、もう苦しい!と言いながらも、食べてしまう・・しかも、これをこうしたらもっと美味しいだろう・・などと、自ら手を加えてみたりして、ああでもないこうでもないと言いながら、夢中で食べてしまうのです。

 もうほとんど病気です。

 今日は、あんまりお腹もすいていないから、お昼は軽めにお蕎麦くらいにしておこう!と良さそうなお蕎麦屋さんを探して出かけると、結局、メニューを眺めて二人とも真剣に悩み、周囲の人々が食べているものと照らし合わしながら、真剣に悩んだ結果、結局は、天せいろという、ちっとも軽くない食事を美味しく平らげ、挙句の果てはデザートに葛切りまで食べてしまいました。

 それでも、娘は、この日の夕方に、このままでは、夕食が美味しく食べられないからと、旅館の近くを1時間ほど歩いてきたりもしていたのですが(私の方は、もうダウンして、昼寝)、夜は、肥後牛のすき焼きとかで、またなかなか立派な食事を完食。そして一晩あけて翌朝は、またいわゆる旅館の和朝食をいつもの調子で完食しました。

 しかし、ついには、朝食後、娘はお腹が痛いと言い出し、お腹をさすりながら、暗い顔。どんな様子か聞いてみると、とにかくお腹がパンパンでお腹が張って痛いと・・。いわゆる食べ過ぎでお腹をこわす・・というのとも違って、食べ過ぎでお腹が本当にいっぱいの状態でお腹の皮が張って痛いというのには、心配を通り越して、我が娘ならば苦笑するしかありません。

 もっとも、ほぼ同じ量の食事をしている私のお腹はパンパンにいっぱいになっていないことも別の意味でなかなかヤバい状態でもありますが・・。

 彼女は、日本に住んでいて、何も私に合わせてがっつかなくてもよさそうなところですが、そこが、私と一緒になって、ひとつひとつの食べ物に真剣に向き合い、がっついてくれるのは私としては嬉しくもあり、楽しいことなのですが、どうにも美味しいものをみると満腹にもかかわらず、興奮してしまい、お腹の皮が張って痛くなるまで食べてしまうというのは、もうそういう血筋?としか言いようがありません。

 結局、しばらくして、彼女の腹痛はおさまってくれたのですが、私の日本滞在も残すところ、あと数日で、最後のラストスパートで、この後も帰仏するまでは、一食たりともおろそかにはできないところです。

 それこそ、私の方もかなりヤバいのですが、もう腹をくくってダイエットはフランスに帰ってから・・と思っています。

 娘よ、こんな母につきあってくれてありがとう!


食べ過ぎ 


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2024年3月25日月曜日

従姉妹夫婦の食と旅に徹した羨ましい人生

  


 私には、6歳年上の従姉妹がいて、子供の頃はそれこそ隣に住んでいながら、あくまでも同い年の従姉妹のお姉ちゃんという少し離れた存在でした。もっとも考えてみれば、子供の頃の6歳の年の差は大きく、子供の私からみれば、彼女の存在は、実際の年齢以上に年の開きを感じていて、ずっと、すごく大人だと思っていました。

 私が小学生の頃には、彼女は中学生、高校生だったのですから、そのくらいの年頃の子供にとっては、やっぱり別世界です。

 彼女は、イギリスに留学していた時期もあり、わりと海外にも抵抗なしに出かける人なので、彼女と少しだけ、行き来をするようになったのは、私がフランスに来て10年以上経ってからのことです。

 彼女がお友達とパリに来たときに家に寄ってくれたり、私が日本に帰ったときには、美味しいものを届けてくれたり、家に呼んでごちそうしてくれたり・・現在は、日本の家はそんなに近くないのですが、ことさら食べ物に関して、何かにつけてお世話になることの多い従姉妹です。

 彼女は、結婚していますが、日本でDINKS(Double Income No Kids)という言葉が日本に出回り始めた頃のまさにDINKS夫婦。彼女は長年にわたり会社を経営しているし、ご主人は、歯医者さんで子供はいません。

 それなりの高収入ではあるとは思いますが、彼女たちのお金の使い方は、いわゆる銭ゲバ成金的なお金持ちのような生活をしているわけではなく、その収入の多くを「食と旅」に費やしている私からみれば、理想的な生活をしています。

 日本に住んでいながら、一食も無駄な食事をとらないという姿勢は尊敬すべきものであり、それなりにお金だけでなく手間暇もかかっていると思います。コンビニのお弁当やカップラーメンなどで食事をすませることはせず、毎日、美味しい食材で作ったお弁当を持参しています。

 少しまとまった休みがとれるタイミングには、かなり前もって旅行の予定が入っていて、その土地で美味しいものを見つけると、その土地の頑固なお肉屋さんやお魚屋さんと仲良くなるまで通い詰めて東京まで送ってもらったりもしています。

 私はその全てを把握しているわけではありませんが、食いしん坊の家系の中でも彼女夫婦はダントツで群を抜いた存在、その味覚に関しては、私も娘も絶対的な信頼を置いています。

 今回の私の九州旅行はそもそもが日本への一時帰国自体をかなり急に決めたものでもあり、その間の旅行については、もともとの用件が住みそうな頃合いを見計らって、娘と二人だけで決めたものでした。

 それが、日本に到着したあとに、私がこの日からはちょっと九州に行くんだ・・と話したら、なんと、その期間に少々、日にちはズレるものの、似たような地域を彼女たち夫婦が旅行する計画になっていて、じゃあ、この日に予定が合うようだったら、一緒に食事しようということになり、彼女たちおススメの美味しい鶏料理のお店で食事することになったのでした。

 これまで日本に帰国した際に親戚のおじさんや他の従姉妹たちも含めて一緒に旅行したことは何回かあったのですが、こんなに偶然に日本の他の都市で居合わせて食事をするなどということは、初めてのことで、なんだかとても新鮮でした。

 彼女は今回以外にも私がここに旅行するとかいうと、必ずその土地の美味しいものや美味しいお店を教えてくれて、それが絶対に間違いなく、とびきり美味しいのです。

 今回は彼女たち夫婦とのランチということで、そこで何を注文すべきかの指南を受けながら、食事ができるのですから、こんなに嬉しいことはありません。

 そこは、しゃもの専門店で、もともとそんなに豊富なメニューがあるというわけではないのですが、そのしゃもの美味しさを活かした、ただしゃもをシンプルにジンギスカンのような鍋で焼き、塩で食べるというものなのですが、これがまあ、同じ鶏肉と分類するのがおこがましいほどの絶品。



 それなりに人気店のようで、行列ができた時のためにお店の入り口には、名前を記入しておく台まで用意されていて、人気のほどがうかがえます。

 ただ、地元の人や知る人ぞ知るという感じのお店であろうことは、その立地条件からもわかります。まさにこんなところにこんな店が・・という感じです。

 また、彼女たちは、メニューには載っておらず、注文を取りに来た店員さんでさえも知らなかったようなモツを注文してくれたあたりはさすがの常連。う〜んとうなったり、ひゃ〜っ!美味しい!と感激したりして、美味しく楽しいひとときを過ごしたのでした。

 食後には、少し離れたところに美味しいソフトクリームのお店があるとデザートにジャージー牛乳の食べ応えのあるソフトクリームを食べながら、もう止まらないおしゃべりの時間を過ごしました。

 その間にも、話題の中心は食べ物のこと、こんなものが美味しいとか、これを買っていくといいとか・・そんな話です。こんな場所においても彼女はすでに買い集めている果物やお菓子などを持ってきてくれていました。

 子供の頃はずっと年上のお姉さんという感じだったのですが、考えてみれば、結局のところ、現在においても面倒見のいいお姉さんです。

 また、彼女のご主人も飄々としたよい人で、もう従姉妹の夫さんという本来ならば少しとっつきにくい関係でもありえるところ、まったく垣根が感じられず(一方的なことかもしれませんが)、とっても温かい人です。

 彼女たちのすごいところは、しっかりと自分の本業をこなしつつも、仕事オンリーではなく、自分達の楽しみを夫婦でしっかりと持っていて、それに専心して、もはや美味しいものに関してはプロなみの知識を蓄えつつ、楽しんで生活していることです。

 そろそろ引退を考えはじめてもよさそうな年齢ではあるとは思うのですが、この食と旅に徹した生活を送るためには、働かなくちゃ・・とか冗談のように話しています。

 私の場合は、もうずいぶん前に夫を亡くしてしまったので、夫婦でそのような生活を送ることはできませんが、そんな生活をずっとずっと続けている彼女たちを本当に理想的な夫婦だと見ています。

 ちょっと残念なのは、彼女たちには子供がいないことで、もしも彼女たちに子供がいたら、すごく良い子に育っていただろうに・・とも思います。彼女たちの食の信者と化している娘はなんなら養女にしてほしいくらい・・と冗談のように言っています。

 昨今、周囲を見ていると、夫婦の在り方や生き方、特に引退後の生活など色々と思うところはありますが、彼女たちを見ている限り、老後もとても楽しそうだ・・と思えるのです。




夫婦の余暇


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2024年3月24日日曜日

九州旅行2泊目の高級旅館がより魅力的に感じたポイント

  


 今回の九州旅行のための旅館の予約は、私もいくつかの希望は伝えていたものの、最終的には、娘に一任していました。最近の旅行の際の宿泊先の予約については、だいたいは、サイトを検索するか、YouTubeなどでの紹介を参考に決めています。

 おおよその予算と、全工程を上手く回れるための立地、今回は何よりも温泉なので、その温泉に関する施設、また、外せないのが提供されるお食事の感じで選んでいます。

 信頼のおける身近な人が実際に宿泊して、「ここ良かったよ〜!」などという情報がある場合は別として、多くの場合は、少々大げさな言い方をすれば、まあ一種の賭けというか、当てずっぽうでもあるため、実際に旅館に宿泊する際には、ドキドキします。

 これまで、そんなに「ハズれた!」という経験はないのですが、逆にちょっと意外なポイントに感動することもあります。

 今回の九州旅行2泊目の旅館では、意外なポイントに感動しています。それは、黒川温泉の「奥の湯」という旅館なのですが、かなり良い旅館で、文字どおり、黒川温泉の奥にある渓谷の間にある旅館で、その温泉施設も充実していて、館内には、複数の露天風呂や大浴場、家族風呂などがあり、温泉プールまであります。旅館内の調度品なども古いものを上手く使って、逆にモダンな感じに仕上げていて、美しく、落ち着いた雰囲気を醸し出しており、館内やお部屋にも多数、美術品や絵、置物などで飾られている重厚な印象のある落ち着いた雰囲気の旅館でもあります。

 それが、いざ、お部屋に案内されてみると、最初に驚いたのは、その旅館の印象からは、一見ふさわしくないような、いかにも昭和というか、レトロな感じを受ける昔、よく見かけた気がするビニールのスリッパです。



 思い切り昭和な世代の私にとって、そのいつのまにか、あまり目にすることがなくなっていたペタペタな感じのスリッパに感動。そして、お部屋の中の円形のドーナツ型の木の蓋のついたゴミ箱。お部屋の中の冷蔵庫を開けてみると、シンプルに湧水のいれてあるポットが一つ。



 もちろん鍵は、カードキーなどではなく、ごくごくふつうにガチャガチャあける鍵です。

 お部屋に置かれているお茶などは、市販のティーバックなどではなく茶葉がお手製のティーバックの中に入れられたものがいくつか茶筒の中に入っています。

 館内のいくつもの温泉施設を堪能したのは、もちろんのことですが、この古いものを多く用いながら、モダンに作り上げられている旅館はもちろんのこと、昭和な感じのペタペタなビニールスリッパや円形のドーナツ型の木の蓋がついているゴミ箱や端々に感じられる質実剛健な感じに、とってもホッコリさせられていることを自分の中で発見して、ニマニマしてしまい、同世代の友人たちと共有したいな〜という思いにかられました。

 もちろん、お食事などもすばらしく、品数も豊富で豪華そのもの、一つ一つの料理が丁寧に作られていることが感じられ、感動的に美味しく、そのクォリティーについては今さら言うまでもありませんが、絶対的に食べ過ぎの日々が続いています。



 しかし、前日に別府の街を歩いていて見かけたどこか昭和な風景が嬉しかったり、昭和の片鱗に触れたとき、私の中に眠っている「昭和」が目を覚ましてどこか懐かしさに感動するという新しい感動ポイントを発見しました。

 豪華な温泉旅館に来て、感動ポイントズレてない?と思われるかもしれませんが、その優雅な感じを喜びつつも、そのどこか質素で懐かしい部分に自分が喜びを感じているのは、事実です。

 意外なところで意外なものに触れることは、そのギャップやミスマッチにより、実際のものをよりチャーミングにしてくれるものだ・・と、妙なところに感心した温泉旅館体験でした。


高級旅館の中の昭和 黒川温泉 奥の湯


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2024年3月23日土曜日

日本の温泉地 別府の街

 


 

 今回の一時帰国は、日本にある家の件でどうしても帰国しなければならなかったのですが、長距離フライトに耐え、時差ボケに耐え、そして、安くはない航空運賃をはたいて、日本に来たからには、厄介なことだけでなく、少しでも楽しいこともやっていきたいと思い、前回に引き続き、温泉旅行の計画も盛り込んでいました。

 私は、東京で生まれ、東京で育ったために、東京から遠い地方に行く機会はあまりなく、また、親戚なども全て東京で、バカンス?(夏休みなど)時も東京から車で行ける範囲くらいが関の山で、自分で旅行するようになってからは、むしろ、海外旅行ばかりで、国内ではあまり旅行することはありませんでした。

 以前は、日本で遠方に旅行するのは、けっこう高くて、むしろ、海外旅行の方が割安だったりもしたために、なんか海外旅行の方がお徳感があって、国内旅行は長距離の旅行が体力的に厳しくなってきてからのことにしようと思っていたのです。

 ところが、どういうわけか、年齢を重ねた今、日本に来ること自体が遠くなってしまい、このままでは、日本国内での旅行は、少し強引にでも計画をたてなければ、結局、行けず仕舞いになってしまうので、前回から、日本に一時帰国した際には、どこかに旅行する予定を入れようと欲張っています。

 しかし、いざ、今まで知らなかった東京から遠く離れた日本を訪れてみるにつけ、日本の自然の豊かさに感動します。

 世界一の観光地といわれるパリなどにいると、言い方は悪いのですが、過去の遺産で潤ってるな・・と感じることがなきにしもあらずなのですが、こうして、日本の地方の大自然に触れると、それはそれで、日本は大自然の恵みと美しさ、広大な山々(連なる山々や木々のグラデーションなど)や温泉、河川、海、そして、地方地方で採れる海の幸、山の幸に恵まれているのだなとひしひしと感じます。

 日本のこの素晴らしい自然は、フランスの過去の遺産に勝るとも劣らない大変な財産です。

 なぜ?私は、これまでの長い間、日本人でありながら、この日本国内の素晴らしい土地に注目してこなかったのか?と、なんだかとってももったいないことをしてきた気がして、こんな機会をできるだけ作って、少しでも取り戻さなければ・・という気持ちなのです。

 前回は、鹿児島県霧島温泉に行って、温泉はもちろんのこと、山並みなども、やはり関東地方の景色とは違って、より広大でダイナミックな印象があり、すっかり魅せられました。

 今回は、その九州熱が引き続いていて、九州のどこか・・と娘にリクエストを出しておいたら、娘が希望したのは、別府温泉、どうやら最近、日本にいるフランス人の友人が行ってよかったよ・・と言う話を聞いていた様子。

 ところが、私の周囲の人からの話によると、関東圏?でいう清里のような、昔は繁栄したけれど、すっかり寂れてしまった感じ・・という話もあり、「えっ?」とちょっとギョッとしつつも、まあ、今さら予約しちゃったし・・という感じで恐る恐るやってきたのでした。

 いざ、別府に行くとなると、ここはまた我が親戚のネットワーク恐るべし、従姉妹の息子が別府の大学に通っていて別府のことなら、と案内してくれることに・・。

 夜、予定していたお店が急遽、早い時間に閉店してしまっていたために市内の商店街が連なるような場所を歩いたのですが、これがなかなか面白い。古い昭和チックな映画館や建物やお店を残しつつ、まるで映画のセットに潜り込んできたような独特な趣があり、思わぬ喜びを楽しみました。

 泊まった宿は、山というか丘の中腹にあり、遠方には山も海も見渡せる場所にありましたが、逆に市内からもそんなに遠くないところに山並みが見える・・とにかく山が近い!という関東圏にはあり得ない光景がどことなく、のどかな感じでもありました。

 宿には、海外生活を送る身としては、憧れの露天風呂や泥風呂、蒸し風呂などまであるお風呂三昧、お部屋のベッドは限りなく寝心地が良く、ずっと温泉に浸かっていたい気持ちとずっと寝ていたい両方の気持ちで身体が一つでは足りない気持ち・・。

 広いベッドに両手両足を大きく開いて大の字になってみたり・・もうただ眠るのがもったいない貧乏性。

 あ〜こんなに素晴らしい自然環境、資源があるのに、日本にいないのは、なんてもったいないんだろう?と思わずもう日本に帰ってこようか?という気持ちが頭をかすめたりもしました。

 しかし、日本にいたところで、毎日、温泉三昧の生活ができるわけではなく、たまに帰ってくるからよいのだということもわかっています。

 これから数日、九州の温泉地をちょっと巡ってみるつもりです。


別府温泉


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2024年3月22日金曜日

日本で感じるチープフレーション

  


 今年の初め頃、フランスでは、消費者保護団体が、コスト削減のためにレシピを変更し、材料の質を落としたり、量を減らしたりしつつ、且つ値上げをしている食品メーカーの特定商品について、その社名、具体的な商品名を挙げて警告を発し、話題になっていました。

 具体的な社名や商品名を名指しで指摘するあたり、なかなか強烈だな・・と思ったのですが、消費者側としては、ありがたい情報でもあり、また、なにも、メーカー側を貶めるためというよりは、消費者側の立場にたって、事実を伝えているわけですから、そのような団体からすれば、憚ることなく、情報を開示することに問題はあり得ないのです。

 これを機に、私は、チープフレーション(チープとインフレーションの造語)とか、シュリンクフレーションという現象について、少し気をつけてみてみるようになったのですが、今回、日本に来て、このチープフレーションと思われるものに、度々、遭遇しています。

 これは、私が一時帰国の際の食べたいものリストに入っている食品だったり、いつも帰国の際には、必ず一度は行くレストランなどでみられていることなのですが、まず、いつも行く昔からよく知っている洋食屋さん、ここは、美味しいだけでなく量が多く、ボリューミーなことで有名だったのですが、そのお店、味は変わらないものの、量がかなり減っており、そもそも多すぎるくらいだったので、私は、構わないのですが、中年になってもわんぱくな弟などは、かなりショックを受けていました。

 しかし、量を減らして、値段の高騰を抑えようとするのは、まだ良心的?な方だと思うのですが、明らかに味が落ちた・・品質が落ちたな・・と思うことにいくつか立て続けに遭遇し、非常に残念な気がしています。

 ここでは、私は具体的な調査をしているわけではないので、具体的な名前を挙げるのは、避けますが、いくつかの全国でチェーン展開をしているレストランやファストフード的なお店が立て続けに、味が落ちたな・・と感じたのです。

 これらは、おそらく日本人ならば、誰もが知っているようなお店のものですが、いつ行っても同じ味だったはずのものが、そうでなくなっており、明らかに材料の品質を下げたような気がします。

 チェーン展開をしていたり、ファストフード的なお店なので、もともと、そこまで高価なものではありませんが、それなりに懐かしさがあり、妙に時々、食べたくなるようなもので、私の場合、帰国のたびにとはいえ、せいぜい一年に一度か二度のこと。

 逆に味の変化は感じやすいのかもしれません。

 インフレのために材料費や加工費が以前に比べてかかるようになっているために、これまでと同じものを作り続ければ、商品は値上げしなければならないのは必須ですが、その値上げによる客離れを恐れているのか、質を低下させるという最悪のことをしているように感じられます。

 「うちはクォリティをキープする!」として、堂々と値上げをするか、量を減らしたり、小さくしたりすれば、まだマシだと思うのですが、味が変わって美味しくなくなってしまえば、私の場合、もうガッカリで、もう行かない・・もう買わない・・となります。

 まあ、一年に一度しか来ない客のことなどどうでもいいと言われるかもしれませんが、値上げに対して、及び腰な姿勢が透けて見えます。

 だいたい全てのものが値上がりしているのに、これらの食品・商品が値上げしない方がおかしいので、値上げしていないとなったら、逆にそのクォリティを疑ってみなければいけないのかもしれません。

 そもそも、私はたまに来るだけなので、もともとの値段がどの程度であったのかという感覚が希薄なために、値段の方は、そこまで神経質になりようがないのですが、とにかく、これまで楽しみにしていた日本に来たら食べたいものが減っていくことは、残念なことではあります。

 一食もおろそかにはできない日本での食事ですが、今回、いくつかの食品が私の食べたいものリストから消えていきました。


日本のチープフレーション


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2024年3月21日木曜日

フランス人の好きな軽食トップ10からSUSHIが外れたけど・・

 


 長らくフランス人の好きな軽食ランキングのトップ10には、必ず SUSHI が食い込んでいましたが、今年発表された調査結果によると、SUSHI のランキングが落下したとされています。

 フランス人に人気の軽食(ファストフードを含めて)は、サンドイッチやハンバーガー、ピザ、ケバブ、サラダ、パニーニなどで、サラダを除いて、それらは、ほぼ小麦粉文化の食べもので、パンあるいは、それと同種のものと肉やチーズの組み合わせによるものが中心です。

 彼らは、SUSHIがトップ10から外れた理由として、フランスでのSUSHIのネタの中心を彩るサーモンの価格の高騰のために、SUSHIがより高価にならざるを得なくなっていることを挙げており、また、SUSHIがより革新性を示せなくなっているためだと分析しています。

 フランスでの外食は一般的に高価で、ふつうにレストランでランチをとるとしたら、おそらく20ユーロ(約3,200円)前後が平均的ではないかと思われますが、ここでトップに君臨しているサンドイッチやケバブ、パニーニならば、10ユーロ以下でもなんとかなりそうなイメージ、ハンバーガーやピザですら、それと同等かそれ以上だと思います。

 そこへ行くと、SUSHIは軽食扱いされているにもかかわらず、なかなかな値段になってしまうので、価格帯としては、どうにも中途半端な位置付けになってしまうのかもしれません。

 しかし、ネタの価格の高騰はともかくとして、SUSHI の革新性などという話は、日本人の私からすればナンセンスで、もはやSUSHIではないようなものをSUSHIの革新性などと評価されることには、微妙な気がします。

 そもそも、現時点においても、パリの高級なお寿司屋さんなどは別として、ごくごく一般的に販売されているSUSHIには、甘いお醤油と普通のお醤油の2種類が用意されることが定着しつつあり、それだけでも本来ならば、「お寿司に甘い醤油なんてナンセンス」と思うところを、まあ、よく言って革新的とも言えないこともありません。

 そもそもの日本のお寿司から、フランス人好みのサーモンやアボカドに埋め尽くされたようなSUSHIに偏っているのは、フランス人の嗜好に合わせているものであろうに、それを革新性の欠如などと言われるのはお門違い。

 軽食として安定的な地位を保っているピザやハンバーガー、サンドイッチ、パニーニなどは、小麦粉文化である彼らの食文化、パンやチーズや肉を使った変化球バージョンで、そもそもが彼らのもともとの食文化と同類のもので、彼らが好むのは当然のことです。

 こうして書いていると、いかにも張り合っているような感じになりますが、そもそもSUSHIが、いつのまにか軽食の括りに入れられてしまっていることも驚きです。

 以前は、食に関しても、かなり保守的な印象があるフランス人もここのところ、多種多様なものを受け入れるようになり、SUSHIなるものなど、それまで生魚を食べる習慣があまりなかったフランス人にしては、革命的なことであったはずです。


フランス人の好きな軽食


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2024年3月20日水曜日

日本での買い物 買いたいものにも色々あって・・・

  


 日本に一時帰国している際に、どこかに用事があって出かけても、たいていの場合は、帰りに買い物して帰ろう・・ということになるのですが、その行く先々によっても、色々あって、ついでとはいえ、その場所からの帰り道をどういうルートで帰るかを考えるとき、あれを買うためにあそこに行きたいから、こっち経由で帰ろうとか、買い物ありきで予定をたてることになります。

 まあ、そのほとんどの買い物は、私の場合は食料品なわけですが、もうたいていの場合は、すでにリスト入りしている(決まっている)買い物の場合は、あそこへ行ってあれを買う・・というのは、だいたい目安がついているので、その買い物をするために行く場所で、それプラスその辺りをちらほら、半分ひやかしのつもりで試食などしながら、見て歩くわけで、かなりお腹も気持ちも満たされて、それはそれでなかなか楽しい時間でもあります。

 その食料品の内訳は、当然、フランスに持って帰りたいものと、日本にいるうちに食べておきたいものとがあるのですが、その道すがらには、忘れていたけど、こんなものもあった・・あんなものもあったと、結局は帰りには、その重さを憂うほど大変な量の食料を持って帰ることになるのです。

 まったく、己の食い意地には、毎度のことながら、自分でも呆れるほどなのですが、それが必ずしも一般的に、ものすごく評価されているようなものばかりとは限らず、けっこうな部分で「懐かしさ」が占めていることに気付かされます。

 それは、子どもの頃、よく買いに行かされたお肉屋さんのコロッケだったり、昔、祖母が好きだったパン屋さんのクリームパンだったり、ミスタードーナッツやケンタッキー(KFC フランスのケンタッキーは最近?以前のようなケンタッキーではなくなりました)やモスバーガーなどのファストフードだったりもするのです。

 そう考えてみると、人の食の好みとか嗜好といったものは、ある程度の傾向もあるにせよ、その中には、子どもの頃や若い頃に慣れ親しんだという郷愁のようなものがあるのだなぁと感じたりするにつけ、そのことに愛おしさを感じたりもするのです。

 母がほがらかな人だったために、近所のお店では顔で、たまには、私たちの話もしたりしていたようで、身元が知れると、「あ〜あなたたちがパリにいらっしゃるお嬢さんとお孫さん!などと言われたりして苦笑することもありますが、どこかに母の存在があるようで、ほっこりした気持ちにもさせられます。

 私の場合、物心ついた頃から実家が引っ越したこともなく、それが植え付けられる時間が長かったこともあり、今もなお、日本に帰れば、その家に滞在しているわけなので、ひととおり食べて帰りたいものは、その家を中心に私の食べたいものマップがあるのです。

 それは、買って帰れるものだけでなく、レストランだったり、お蕎麦屋さんだったりもするわけで、そのお店には、ずっとそこにいてほしいと願っているのです。


日本で食べたいもの買いたいもの


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2024年3月19日火曜日

娘の日本での確定申告でびっくりしたこと・・

  


 私は、海外に生活の拠点を移して以来、日本での税金の申告をしていません。(日本での収入はないので)なので、私が日本で税金の申告をしたのは、大昔の話で、それがどんなものであったのかすら、あまりよく覚えていません。

 もちろん、現在は、フランスで毎年、税金の申告をしていますが、現在はオンラインになっているので、そこまで面倒な話ではありません。未だに用紙に記入して送付したり、実際に税務署の窓口に行って申請することも可能ではあります。

 私がフランスに行ったばかりの頃は、ほぼ100%が用紙による提出で、その提出期限のギリギリ・・深夜0時には、なぜか、ちょっとびっくりするほどの人が駆け込みで税務署に税金申告の書類を提出しにきていて、なぜだかフランス人の夫もその一員であり、その際に、一緒に来てごらん!と言われてついていくと、税金申告ギリギリのタイミングでの税務署前の様子を見せてくれて、「フランスの社会勉強」となぜか、得意気だったことが強烈に印象に残っています。

 時間を正確に守らながちなフランス人がこれほどまでにキッチリと税金申告期日を守ることも意外だったし、また、一年の間の風物詩のように、このギリギリのタイミングに税金申告の用紙を提出する人ごみにわざわざ参加する我が夫のような人もいて、妙な風習だ・・と思ったものです。

 とかく、怠惰であまり働かない印象のあるフランスの公務員の中でも、なぜ?税務署だけは、こんなにきっちりと働くのだろうか?と恨めしい気さえしました。

 私がフランスでの税金申告をオンラインに切り替えたのは、たしか2018年のことで、やはり、それ以来、税金の申告は俄然、簡単になった気がしています。最近では、オンライン上で入力して申請した時点ですぐに、概算の税金額が表示されます。

 その後、数ヶ月後、それが確定した段階で、税金の書類が送付されてきます。この辺りは、フランスは(というより、他の国については知らないのですが)、とても上手くできたシステムが構築されています。

 今回、たまたま私が日本に一時帰国している時期が日本の確定申告の時期と重なって、娘は、当然、税金の申告は済ませているとばかり思っていたら、ある日、ぽつんと、「税金の申告期限に間に合わなかったら、どうなるの?」とヤバいことを言い出すので、事情を聞いてみたら、なんと、オンラインで申請しようとしたら、マイナンバーの暗証番号を間違えて、ブロックしてしまい、それ以来、オンライン申請ができないままストップしていると・・。

 そのマイナンバーの暗証番号登録のし直しを日本では、オンラインですることができず、区役所にいくつかの書類を持参して、自らが行かなければならないために、区役所は平日の昼間しかやっていないために行けていなかったとか・・。

 フランスのシステムしか知らなかった彼女にとって、暗証番号(パスワード)の再設定のためにわざわざ区役所に書類持参で行かなければならないことに憤慨。

 それなら、用紙に記入してのカタチでも期日どおりに提出しなければならなかったものをなんとなく放置してしまっていたのでした。

 昨年の申告は、概ね会社がやってくれていたらしいのですが、彼女は昨年の途中で、転職しているため、昨年度の収入の半分については、自分で申告しなければならなかったわけです。彼女も日本に来る前までは、フランスでは、自分の税金申告は自分でオンラインでやっていたので、フランスでの申告はどんなものであったかは彼女は理解していたのですが、日本の申告のシステムの違いに、「なんで、日本のシステムは、こことここの数字を入れているのに自動計算にならないのか? システムの作り方がなっていない!」と厳しい指摘。

 私は現在の日本での税金申告のシステムというか?形式の作り方について知らないので、彼女の言う、「ここと、この数字を入れたら、自動計算にできるでしょ!」と怒りながら、私に説明してくれました・・が私に言われても・・。

 このオンライン申請のシステムの不具合については、日本ならばさもありなんと思わないでもありませんが、それを今の段階でどうこう言っても始まらず、その様式でやるしか仕方ありません。

 それ以上に驚いたのは、彼女が払っている住民税の金額とその他の社会保険料等の金額の多さで、「そんなに日本って税金高かったの? 私が日本で税金を払っていた頃は、こんなじゃなかった!」と。いくら彼女の収入が比較的多いかもしれないとはいえ、そこまで高収入というわけでもなく、それで、この住民税等の金額! これで家賃やら生活費など、もろもろ払っていたら、そりゃあ、日本の若者は貧しくなるわけだよな・・と、現在のところ、娘は独身で扶養家族もいないわけで、控除される金額は少ないけど、若いうちは、収入だってそれほど多くはないのが普通なわけで、厳しいのだろうな・・と妙に納得するというか、気の毒に思うやら・・。

 フランスも税金や社会保険料は高いのですが、それでも、それに見合うものがもう少しはあるように感じます。娘の税金の申告を通じて、日本での働いている若者に対する仕打ちというか、酷な現実を見せつけられた気がして愕然としたのでした。


日本の確定申告


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2024年3月18日月曜日

グルメな親友との至福のひととき 日本橋 かに福本店

  


 今回の一時帰国は、日本にある家についての手続き上のことで、どうしても帰国しなければならなかったために、いつもの一時帰国とは若干、異なるものではあったのですが、それにしても日本に来たからには、食べたいもの、できるだけ美味しいものを食べるということをおろそかにするわけにはいきません。

 私の周囲の人々も慣れたもので、私の好きそうな食べ物やお店を探しておいてくれるのです。

 なかでも私の親友のグルメ度は見事なもので、かつて、食べログなどのサイトもなかった頃から、どこどこのなになにが美味しいとか、例えば、この場所で和食、お寿司、お蕎麦、イタリアン、中華、フレンチ(などなど)なら、このお店がいいなどの情報が常にアップデートされていて、歩くグルメマップとよばれる存在で、美味しいものを食べたい場合は彼女を頼りにしていました。

 また、味覚は人それぞれなので、人によって、美味しいと感じるものは異なり、良いと思うお店も違ってくるので、食べログなどの場合、評価が高いといっても必ずしも私にとっては、そうでなかったりする場合もあるのですが、彼女の味覚というか食の好みは私のそれとほぼ一緒なので、彼女は絶対的に信頼のおけるグルメマップであるわけです。

 今回も彼女と会う際に、私と行ったことのない美味しいお店を探しておいて!という、かなりざっくりしたお願いをしていたところ、彼女は「カニ」のお店を探して予約しておいてくれました。

 絶体的に信頼をおいている彼女の選んだお店は、絶対、美味しいことはわかっていましたが、今回、彼女がチョイスしてくれたお店は、これまでの中でも群を抜いていて、というか、今の私にとっては、感動的なものでした。

 彼女のすごいところは、同じ店舗でも、本店の方がいいとか、この時間帯がいいと細かく考慮してくれるところで、今回は、日本橋にある「かに福」本店で、そのちょっとレトロな感じのお店と本店のメニュー(他の支店とは異なるらしい)、そしてそのカニ料理の素晴らしいこと!

 私は、正直、カニ料理のお店に行ったのは、初めてのこと。カニ料理とは一体、どういうものが出てくるのかさえも、わかりませんでした。

 しかし、最初に出てきたカニのお造り(ズワイガニとタラバガニ)は、私がこれまで食べたことのなかったもっちりとした食感で、カニ味噌については言うまでもなく絶品。

 そして、カニクリームコロッケとカニクリーム大葉巻き天ぷら。どちらも、よくぞこれをサクッとトロッと揚げられると感心するほどで、中には、カニがたっぷり惜しみなく混ぜ込まれています。

 次に出てきたのがカニの茶碗蒸し、そしてお重につめられてくる「かにめし」には、食べすすめていくうちに違う食べ方ができるように、わさびとわけぎなどの薬味とともに出汁がついてきて、最後には出汁とともに味わえるようになっています。

 またこの「かにめし」には、壺に入った、切り干し大根、お漬物、生姜の甘煮が一緒に出てきて、このご飯とともに味わえるようになっています。

 その切り干し大根もほどよい戻し加減でちょうどよく煮上がっていて、生姜の甘煮はこのかにめしとの相性が抜群です。

 なによりもこのかにめしには、ほぐしたカニがたっぷり混ぜられているうえに、たっぷりのせられています。

 初っ端のカニのお造りの段階から私は、もう感動のために悲鳴をあげそうになったほどです。

 フランスに行って以来、年々、感情表現が大胆になったというか、リアクションが大きめだと言われることが多い(特に美味しい食べ物に関しては・・)私ですが、今回は特におさえるのが大変(別に抑えようともしていませんが)、店員さんが次のお料理を運んで、お皿をさげてくれにきたときなど、「もう〜ほんとにおいしかったです!」と大絶賛!

 しかし、私でなくとも、周囲のお客さんの中にも思わず、唸るように「美味し〜い!」と口にしている声があちこちから聞こえてくるほどです。

 とにかく、今日のランチは、ちょっといつもとは群を抜いている感動ランチで、親友と、美味しいものを分かち合いながら、「美味しいものを好きな人と一緒に楽しめるって、とっても元気がでるね!」と言いながら、一つ一つのお料理に二人で真剣に向き合う比類なき楽しいひとときでした。


日本橋 かに福本店


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2024年3月17日日曜日

いつのまにか、日本でカーシェアを上手く使いこなしている娘にビックリ!

  


 娘が日本で運転免許を取得したのは、昨年の夏のことでした。彼女はフランスでも運転免許を取ろうとしていたのに、学業の都合で転居したり、パンデミックが起こったりしたために、免許の取得が中断したまま、日本で就職することになり、フランスでの免許取得は、長期延期状態になっていました。

 昨年の夏、彼女が転職を決めた段階で、次の仕事との間に2ヶ月ほどの時間ができ、その間に彼女はフランスに一時帰国したり、他の国を旅行したりした挙句、残りの短期間の時間で日本の運転免許証を取得したのでした。

 当初、彼女は、とりあえず免許は取れる時にとっておくだけで、車はお金がかかりすぎるので必要ないと言っていたので、そのままペーパードライバーになるのかと思っていました。

 ところが、いつのまにか、彼女は日本でのカーシェアのシステムを見つけ出し、また、そのカーシェアのパーキングが家の近くに軒並み増え始めたことをきっかけに、カーシェアをけっっこう利用しているようです。

 カーシェア会社に登録し、月額料金880円払うだけで、あとは、車を使うたびに、予約すると破格の値段で車を借りることができるシステムで、別途に保険料やガソリン代なども払う必要はありません。もちろん車を買えば、それなりにかかる管理料(税金や駐車場代、車検など)もいりません。

 しかも、あちこちにそのカーシェアのパーキングがあるので、その中から事前に車種などを選べば、好きな時に利用できるので、自分で車を買う必要もないのです。

 予約時間にパーキングに行けば、アプリでロックが解除できるようになっていて、誰の手を介することもなく、車を利用できるのですから、こんなに安く便利なことはありません。

 今回、私が帰国した際も、彼女の方から、「夜だと特にカーシェア料金も安いから、羽田に迎えに行ってあげる・・多分、ママがリムジンやタクシーで帰ってくるよりもずっと安いよ!」と申し出てくれて、彼女は、その車で羽田まで迎えに来てくれました。

 私が日本にいた大昔?には、カーシェアではなく、レンタカーで、レンタカーとなると金額もそこまでお得というわけでもなく、都内でわざわざレンタカーを借りるということは考えたこともなかったのですが、時代はどんどん変わっているようです。

 この誰の手も介さなくてもよく、おまけに家の近くにこのパーキングがたくさんあり、おまけに料金がビックリするほどお手頃価格とあれば、本当にもう車を買う人はいなくなってしまうのではないか?と思ってしまうほどです。

 彼女曰く、色々な車に乗ってみることができるので、それはそれで楽しい・・と。

 まあ、車に限ったことではないのですが、とどのつまりは、彼女はネットであらゆる便利で安いものを探し出し、上手く使いこなしているわけで、どんどん進化している社会をスイスイ乗りこなしているようなもので、私は娘のおかげでなんとなく、その情報の一部を知り得ている感じです。

 公共交通料金も結構、値上げしているので、どこかに出かける場合、交通費をざっと見積もってみると、意外とこのカーシェアで車を借りて出かける方が安かったりするわけで、基本、借りた場所に車を返すのですが、乗り捨てもできる(パーキングによっては不可能な場合もあるが)ので、それらを上手く調整すれば、本当に便利で安い移動手段です。

 私などには、ネットやSNSは、いまひとつ苦手意識が拭い去れず、すでに知っているサービスについていくだけでもあっぷあっぷなのですが、デジタル世代は、本当にそれらに何の抵抗感もなく、次から次へと新しいものをみつけて、利用することができるので、彼らにとったら、本当に生きやすい世の中なんだろうな・・とうらやましく思います。

 通勤などには(そもそも彼女はリモートワークが多いため、あまり通勤はしませんが)、このカーシェアリングは利用していないようですが、こうして彼女はどんどん運転にも慣れていくんだろうと思います。

 もともと注意力散漫なところがあり、車の運転は向いていないのでは?と私は娘の運転免許取得には、あまり好意的ではなかったものの、今の彼女の様子を見ている限り、やっぱり少しずつ慣れていくもので、時間がある時に免許をとっておいたのは、正解だったな・・と思っているのです。


カーシェアリング


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2024年3月16日土曜日

年々、時差ボケがどうしようもなくなってくる・・

  



 今回の一時帰国は、過去最悪の時差ボケの強烈さで、とにかく日本に来て、もう5日ほど経とうとしていますが、一向に治る気配がなく、一日平均2〜3時間くらいしか眠れていません。

 なにしろ、到着した初日は機内で多少は眠れたものの、それもほんの数時間、その日の夜はとうとう一睡もできなかったのですから、スタートからして、未だかつてないほど酷いのです。

 それでも、前日は、全く眠れていないのですから、翌日はさすがに眠れるだろうとたかを括っていたのですが、眠れるには、眠れたものの、娘とついついおしゃべりをしていて、夜、遅くなってしまったというのに、早朝、まだ夜もあけないうちに目が覚めてしまいました。

 たいていは、時差ボケは時とともに少しずつ緩和され、現地時間にアダプトしてくるので、1時間ずつくらい目が覚める時間が遅くなってきて治ってくるので、以前は、むしろ、早朝に目覚めてしまっても、逆にそれを楽しんでいるようなところがあって、早朝のコンビニを覗いてみたりして、いやいや、こんな時間なのに、お客さんがいるもんだな〜と感心してみたり、新製品を珍しい気持ちで眺めたりして、苦しいと言いながらもまだまだ余裕の時差ボケというかんじだったのです。

 常日頃は、朝、起きた瞬間から空腹を感じるということなど、まずあり得ないのに、時差ボケの場合は腹時計もイカれているわけで、朝から美味しく食事ができたりもするのです。

 ところが、今回の時差ボケの体内時計は、逆に進み始め、毎日、毎日5時、4時、3時と目が冷める時間が早くなり、ますます睡眠がとれなくなっているのです。

 もうこうなってくると身体はだるいは、ガチガチに固まるは・・頭がボーッとして・・というのを越して、脳が膨張して、ブヨブヨになっていくような感覚です。

 昼間に眠くなっても、日中、寝てしまったら最後、夜、眠れなくなる・・ともう恐怖と体力の限界。しかし、悲しいかな、限られた日本滞在期間に済ませなければならない用事は、山積みなのです。

 蓄積されていく疲労にもうホントに辛いです。

 いつもはフランスでも必ずしも、きっちりした時間に寝ているわけでもないにも関わらず、サマータイムの関係で1時間の時間がズレるだけでもしばらくは、身体がついていくのが大変なので、私は、サマータイムやめて欲しい派です。

 いずれにせよ、時差ボケは、フランスに帰った時よりも日本に来た時の方がなぜか辛いのは、いつも同じだったのですが、下手をしたら、今回は、日本滞在中、時差ボケがなおらないままフランスに帰ることになるかもしれません。それなら、フランス時間のまま帰ることができるなら、帰りの際はすんなり戻れると思いきや、それはそれで、再び壊れている状態になります。ホント、時差って大変です。

 以前、長い間、アメリカで勤務していた弟が今はシンガポール勤務になって、日本との時差がほとんどなくなったのは、ホント楽!としみじみ言っています。

 今回は、睡眠って本当に大切。長距離フライトだけでなく、この時差ボケをなかなか克服できないことも、日本に来る大きなハードルの一つになってしまいそうな気がしています。日本への一時帰国は楽しいのですが、体力的には、どんどんキツくなってます。

 今回、感じているのは、はっきり言って、時差ボケは身体に毒。

 今晩は、どうか、よく眠れますように・・。


時差ボケ


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2024年3月15日金曜日

周囲の人たちが抱える親の介護と日本の家の相続問題

  


 日本に帰国して以来、今のところ、毎日のように次から次へと会っている日本に住んでいる従姉妹や叔母や弟などの親戚の面々。それぞれに、お互いを子供の頃から知り合い、共通の思い出を積み重ねてきた彼女、彼らは、年齢を重ねるとともに、より大切に思える貴重なものを共有している者どおしが持つ親しさに格別なものを感じています。

 そんな同世代の彼女たちが現在、抱えている問題は、親の介護と相続問題。

 どの家も少しずつ、カタチは違うものの、将来に対する不安には、共通するものがあり、同様の悩みを打ち明けつつ、「みんな色々あるんだなぁ〜」としみじみ感じています。

 多くは、結婚するなり独立しているので、親とは離れた(といっても国内、しかも車で行き来できる範囲ではありますが・・)場所で生活していて、歳とともに、親が病気をしたり、怪我をしたりして、トラブルを抱える回数やその深刻度は、ここ数年でどんどん増していて、両親が揃っている場合は、もしも、両親のうちのどちらかに何かがあった場合は、どうしよう?

 もうすでに居を別に構えている自分たちと、かつては自分たちが育った両親が住んでいる家を将来どうしよう?と皆が不安に思い、また、兄弟間での相続問題など、どうしようか? どうなるのか? については、急ピッチで考えて動き始めなくてはならない状況のようで、「けっこう皆、それぞれに大変そうだ・・」と思うのです。

 我が家の場合は、もうすでに両親ともに他界してしまっているために、すでに相続手続きは住んでいるのですが、動産ならばともかく、家の相続となると、厄介で、その家を残して、兄弟のうちのどちらかが住むか? 家を処分して、もっと住みやすいマンションなどに買い替えるか?など、色々と考えあぐねているようで、「どこの家も大変なんだなあ・・」と思い知らされています。

 私の周囲の場合、だいたい両親が一軒家に住んでいるケースばかりなので、たとえ両親が揃っていたとしても、老夫婦だけで住むのが少しずつ難しくなっているようで、かといって、自分の家やマンションがあり、自分の子供たちの生活環境など(学校の問題など)もあるので、そうやすやすと居を移すことは難しく、親の側が頑として動きたがらずにいたりと苦労しているようです。

 そして、同時に自分たちの老後、そして、子供にどう不動産を受け継いでいくのかなども同時に考えていて、そうなってくると、どうしても子供の数が少なくなっているために、家族内というか、親族内でどんどん家が余ってくることになり、それを将来、子供たちが相続したとしても、そのまま相続すれば、大変な負担になってしまうのだろうと、皆、それぞれに考えあぐねていて、自分の親から相続することと同時に次の世代に相続させることを考えなければならず、かといって、将来、自分たちがどうなっていくのか?必ずしも思い描けるわけでもなく、日本で空き家問題が増えているのもわかるような気がしています。

 まあ、相続問題で頭を悩ませることなど、贅沢といえば、贅沢な悩みではありますが、でも、みんなが久しぶりに会う私のところに来てくれてはそんな話をしていくので、それぞれの家族構成を昔から知っているだけに、親の急激な老化に直面している話を聞いたりすれば、身につまされるような気持ちになるのです。

 しかし、まあ、そんな話を聞きつつも、無駄口もけっこうたたいて、楽しいおしゃべりの時間はあっという間に過ぎていきます。

 以前は、子供の教育などについて、色々と話したりもしていた時期もあって、そんな時は、その時々は、一生懸命であったにしても、現在の老化と相続の問題は、より深刻で、予想外のことが次々と起こるために決して楽しい話ばかりではありません。

 私などの場合は、たまに海外からやってくるということで、かえって気楽に話しやすいということもあるかもしれませんが、どどん・・と重いものを抱えている彼らが愛おしいような気さえします。

 そういう私も今回、急に帰国しなければならなかったのは、日本にある家の件についてなのですが、もうどうするかは、弟と事前の打ち合わせでどうするかは決まっているために、そこまで深刻な話なわけではありません。

 しかし、年齢とともに直面する問題というものは、皆、似通っています。


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2024年3月14日木曜日

最近の日本到着後の定番スケジュール

  


 私が日本への一時帰国の際、まず行く場所は美容院で、とにかく、とりあえず、日本行きのチケットを取ると、到着翌日の美容院を予約します。

 前回は、たまたま帰国翌日の日が美容院の定休日に重なってしまったために、その穴を埋めるために急遽なんとか、長期のフライトの疲労回復のために、初めてマッサージに行ったのですが、それに味を占めて、今回は、美容院と同日にマッサージを予約、この日で、かなり回復できるだろうと目論んでいたのでした。

 ところが、美容院が想像以上に時間がかかり、昼食の時間を逸し、思っていた場所での食事ができなくなり、それからが運の尽き。とりあえず、もうここでいいやというお店で食事をし、予定していた買い物も一軒だけに縮小して、次の場所に移動。

 その日は、一日中雨と風に見舞われ、気温も低く、移動のたびに傘をさしていても濡れ、マッサージの場所についたときには、身体も冷え切って、疲れ果てていました。

 途中の予定を飛ばしてしまったために、マッサージの予約時間にはまだ早かったのですが、とりあえず、もう外をうろうろしている元気はなく、とりあえず、予約時間に遅れないように、その場で少し待たせてもらうつもりで向かいました。

 すると、すぐに待たずにマッサージを開始してくれるというので、着替えて、いそいそとマッサージ台へ。

 ところが、身体が冷え切っているうえに、ガチガチになっていて、マッサージの痛いこと痛いこと!ほんの小さな刺激でさえもが拷問のような感じです。

 前回のマッサージの際には、身体中に血管がどう張り巡らされているのかを実感できるような感じで、身体がほぐれていく感じだったのに、今回は身体がガチガチに固まりすぎていて、もう痛いこと痛いこと!

 後半になって、ようやく身体がほぐれはじめて、少し身体が動く感じがしたものの、なんとなく、前回のようにはいかずに、消化不良な気分で、また雨風の中、帰宅したのでした。

 その日は一日中、雨で、もう疲れ果て、前日、時差ボケのために家に着いてからまったく眠れていなかったので、さすがにこの日は眠れました・・・がまた、翌朝は、早朝5時にパッチリ目覚めてしまい、また、料理をしたり、洗濯をしたり・・眠れずにイライラしながら寝返りを打っているのはもったいないと、動き始めました。

 しかし、身体は疲れがどっと出て、この日の予定は入れずに少し、ここでゆっくりとしてその後に備えようと、午前中の早い時間から、銀行に行ったり、近所で買い物をしたりして、「さあ!もう今日は家にいよう!」とあらためて、この家で過ごした日々の思い出に浸りながら、掃除をしてから、仲良しの叔母に到着のご挨拶がわりの電話。

 結局、その日はもう私はどこにも出かけたくないという私のわがままから、叔母が家に訪ねてきてくれて、一緒におしゃべりをしながら、しばし楽しい時間を過ごしました。

 本当に前日の雨風が恨めしいくらいの晴天でした。

 夕方には、従姉妹から連絡があり、仕事帰りに寄ってもいい?というので、「私は出かけたくないけど、それでもいいなら・・」と彼女の到着を横になりながら待っていました。

 みんな、日本食に飢えていると思ってくれているのか、みんなが食糧持参で来てくれるうえ、私自身も買い物に行くたびに食べたいものを買ってきているので、それらをワイワイとおしゃべりをしながら、一緒に頂きました。

 途中で娘も仕事からお土産持参で帰ってきて、それに参加。日本に来て、外食も楽しいですが、「疲れてる・・」という私のわがままで、家にまで来てくれることをありがたく思いながら、こういうのもいいな・・と自分の都合よく思うのでした。

 今回は、あまり荷物が持てなかったので、おみやげはいつもに比べるとあんまり買ってきていないのですが、とりあえずは、大きなチーズの固まりを買ってきているので、人が来てくれるたびにそれらを切り分けてお土産がわりに持って行ってもらうと、半分お世辞でしょうが、みんな、とっても喜んでくれて、あ〜フランスのチーズに助けられたな・・と変なことを思うのでした。

 まだまだ、これから先は、本来、今回の帰国の用事の本題の方が控えているので、無理をせず、楽しく過ごしたいと思います。

 みんな、私のわがままを許してくれて、ありがとね。


マッサージ


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2024年3月13日水曜日

機内で出会ったイタリア人女性の1ヶ月間の日本一人旅

  


 日本に来る飛行機は満席で、しかもケチって座席指定もしていなかったので、一体、どの席に割り振られているのかは、運次第とはいえ、そのフライトの良し悪しを大きく左右するものでもあるので、心配でもありました。

 私が飛行機に乗り込んだときには、私の隣の席には、もうすでに若いヨーロッパ系の女性が一人座っていて、とりあえず、こんにちわとあいさつをして、私は通路側であったことにホッとしていました。

 私は、以前に怪我をして、足に血栓ができたことがあって、それ以来、飛行機に乗った時には、定期的に機内を歩くようにとお医者さんに注意されているので、そのために本当は通路側が好ましいのです。

 通路側であることにホッとしたとともに、あいさつをした感じで、13時間近くという長いフライトの間の隣人となる人が、ちょっとふっくらした、穏やかそうな感じの良さそうな若い女性であることに一先ず、よかったな・・と思いました。

 出発時、機内のアナウンスからは、「オンタイムで出発します」ということだったのですが、結局、飛行機が離陸したのは、予定時刻を20分ほど過ぎた頃でした。まあ、20分程度の遅れならば、フランスの航空会社としたら、ほぼオンタイムに等しいことです。

 飛行機が離陸してすぐに隣の彼女は早々に寝てしまい、なんとなく、寝そびれてしまった私は、食事のサービスが終わったら、寝ようと、大人しく、映画を探してみたり、持っていた本をちらちらとのぞいていました。

 隣の女性は、眠っていたので、食事をパスしてしまうのかな?と思っていたら、食事のサービスが始まると、器用に目をさまして、黙々と食事を始めました。ただ、アジア系の顔をしていない彼女は、CAさんからみたら、フランス人だと思われたのか、サービスのたびに悉く、CAさんからフランス語で話しかけられ、おそらく大体の意味は理解していたものの、返答に困っていたので、ああ〜彼女はフランス人ではないんだ・・と私はその時に彼女がフランス人ではないことに気が付きましたが、そして、その時は、あえて、どこの国の人が尋ねることもしませんでした。

 日本行きの直行便なので、日本人かフランス人が圧倒的に多いわけで、日本人の顔をしていれば、CAさんは、たいていは英語で話しかけてくれるのですが、彼女に対しては、フランス人以外であるということに気をとめることもなく、あくまでもフランス語で話しかけるのには、その度に少々、決まりの悪い顔をしている彼女が気の毒な感じがしていました。

 彼女と話を始めたのは、到着4時間くらい前になった頃のことで、彼女の方から、「すみません、座席の下に髪をとめるクリップを落としてしまったのでさがしているのですが・・」というので、一緒に探し、わりとすぐに、それは見つかりました。

 その時も彼女は私に英語で話しかけてくれたので、どちらの方ですか?と聞いてみたら、彼女はイタリア人の若い女性でこれから、1ヶ月近くを日本中を一人で旅行して歩くつもりだという娘と対して年齢が変わらない女性でした。

 彼女曰く、日本に行くのは初めてのことだけど、自分は日本が大好きで、日本の食べ物、日本の文化、マンガなど、全てが大好きで(マンガだけではないのよ!とマンガオタクではないことを強調)、1年近く前から、着々と準備をして、毎日、カレンダーに印をつけながら、ものすごく楽しみにこの日を待っていたということで、もう全てが準備万端でワクワクしている!と目を輝かせて話してくれました。

 どこの国の人にしろ、それがどんな理由であろうとも、日本にそんなに好感を持ってくれる人に出会えることは嬉しいことです。この旅行のたびに彼女曰くお金を貯めるために、1日9時間以上働いてきた・・と話してくれて、一瞬、イタリア人が毎日9時間以上も働くんだ・・と内心驚いたのも事実です。

 彼女は入念に日本国内の行き先を選び、どこへ行って何をするか?宿泊先も全て予約済みとのことで、当然、ジャパンパスレールも準備し、日本の携帯のSIMカードまで、すでに持ってきているの!と得意げに見せてくれました。

 それから、色々な話しをして、しばらくすると、彼女が今度は、「大事なSIMカードをどこかに落としてしまった・・」と血相を変え始めました。もうこの時は、彼女の日本での大冒険旅行の話を聞いていた私は、もうそれは他人事ではないと、一緒になって、しばらくの間、SIMカードを探し続け、ポロッと落ちているカードを私が発見しました。

 彼女は、飛行機の中で、「これは、イタリアのSIMカードだから、これと交換して・・」と一応、ひと段落がつきました。すると、またしばらくすると、今度は「携帯がない!」と。

 多分に気分が高揚しているのはわかりますが、これから先の日本での一人旅、ますます心配になりました。

 私の娘もしょっちゅう失くし物をしているので、どこか娘と似ているところがあるなと思いつつ、娘が先日、お財布を失くして、そのことに4日間も本人は気づかないでいたにもかかわらず、4日後には、そのお財布が見つかった話を彼女に話しました。

 「しかし、これは、日本では不思議なことではないにせよ、日本とはいえ、必ずしも見つかるとはかぎらないんだから、本当に気をつけなさいね・・」とまるで、彼女のママになったような気分でした。

 「日本で、なにか、困ったことがあったら、いつでも連絡してね・・そして、もしパリに来ることがあったら、うちに泊まってくれていいよ・・」と彼女とはアドレスを交換しました。

 彼女は、その日は京都泊という結構、キツいスケジュールを組んでいて、羽田についたら、すぐに東京駅に向かって新幹線に乗る予定だと言っていて、パスポートチェックで外国人と日本人で別れたあとは、はぐれてしまって、結局、その後は、会えずじまいでした。

 しかし、考えてみれば、東京駅の新幹線の時間に間に合ったかどうかは、甚だ疑問、でも、あれだけ、日本を楽しみにやってきてくれる人と直に触れ合えたことは、はじめてのことで、長いフライトが少しだけ短く感じられた楽しい、イタリア人女性との時間でした。

 どうか、彼女が1ヶ月近い日本での一人旅を無事に楽しく過ごせますように・・。


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2024年3月12日火曜日

久しぶりのエアフランス日本行き直行便

   


 今回、日本にある家のことで、どうしても日本に行かなければならない用事ができて、日本には、つい3ヶ月前に行ったばかりなのに・・また、長距離フライト嫌だな〜と思いつつも、仕方なくて、4月以降になると運賃が跳ね上がるだろうし、それより先はまたパック(イースター)のバカンス時期になるし、その後は、日本のゴールデンウィークと重なるし、それより先は、もうパリはオリンピック騒ぎで、また、ストライキなども起こりかねないし、いつも以上に空港は警戒体制に入るだろうから、何かとトラブルが多そうで、もう用事はできる限り、早く済ませておきたいと、なんとか3月中にと日本行きを決めたのです。

 ただでさえ、時間がかかるために、今回は、直行便のみに絞って航空券を探したのですが、パリから日本(東京)への直行便となれば、JALかANAか、エアフランスだけで、もうあまり選択肢がなかったのですが、それでもできるだけ安いチケットと思うと、これまで、さまざまなトラブル(主にはストライキですが・・)のために避けていたエアフランスのチケットを購入しました。

 ちょうど、同時期に日本に行くという友人から、チケットがいくらくらいだったのかを聞いていたため、それでも安かった・・というのが頭にあったため、それよりもさらに安くて、直行便で1,200ユーロを切る値段のものを見つけたので、「もうこれでいいや! ストライキが起こりませんように・・」と決めたのでした。

 ただ、日本に行く際に(私の場合は)絶対にチェックしておかなければならないのは、持てる荷物の制限で、安い!と思ったチケットには、預けられる荷物の料金が入っておらず、後になってから、別払いで、スーツケースの料金は追加しました。しかし、荷物の分を追加したとしても、まだまだ日本の航空会社よりは安かったので、まあ今回はそれでよしとしました。

 以前は、日本行きのエアフランスの便は1日2〜3便あったと思うのですが、今は若干、減っているようで、それなりに日本に行く人も以前よりは減っているのかと思いきや、CDG空港でチェックインの際に満席ですか?と聞くと、満席とのことで、比較的小さめの航空機ではあったものの、やはりキツキツでした。

 長らくお目にかからなかった日本の添乗員さん付きのツアー客らしき人々もいて、知り合いの添乗員さんいないかな?などと探しましたが、どうやら時代は変わっているようでした。日本からのお客さんも以前のようにブランド物の袋を持っている人などもほとんどみかけることはなくなり、服装などからみると、全体的に以前よりもおとなしめの印象を受けました。

 現在、パリから日本への直行便はフライト時間12時間50分とのことで、一時の迂回便よりはマシになっているものの、やはり長いフライトでした。

 機内はかなりシンプルで、以前はあったエチケット袋や機内紙や機内食のメニューなども一切なくなり、シンプルなのは、けっこうですが、さすがに外国?(フランス)のCAさんがほとんどなので、なかなかつっけんどんな感じだったり、妙にお客さんに媚びる感じがないのはよいのですが、よく言えば、フランスらしい感じではありました。

 飛行機が少し揺れ出した時に、急にお腹が痛くなり出して、私としては緊急事態であわててトイレに駆け込もうとしたら、フランス人のCAさんに「ベルト着用サインが出てるでしょ!」と怒られたけど、「私も緊急事態です!」とトイレに駆け込んでしまいました。本当にもう油断ならない状況だったので・・。とりあえず、飛行機も私も無事でした・・。

 たまたまだったのでしょうが、比較的、年長のCAさんが多く、フランスではあまりドギツいメイクをしている人は滅多にお目にかからないのですが、このCAさんたち、日本到着数時間前に現れたときには、かなりしっかりメイクしておられたのには、ちょっとビックリしました。そういう社風になったのでしょうか?

 まあ、時期も時期で中途半端ということもあるのでしょうが、一時は日本行きの直行便には、ほとんどフランス人のお客さんしか乗っていなかった時期もあったので、それを考えたら、フランスから日本への観光客は、以前のようには戻っていないのかもしれません。

 しかし、数日前に日本にいる友人が京都に行ったら、外国人ばかりで、まるで海外旅行をしているみたいだった・・と言っていたので、日本にも外国人観光客はいるところには、山ほどいるようです。

 なんどか痛い目にあったために避けていたエアフランスですが、まあ、到着先は同じ場所、できるだけ安いチケットをと思ったのですが、とりあえずは無事に到着いたしました。

 それにしても、以前は2月、3月頃ならば、700〜800ユーロというのもあったのに(一体、いつの話をしているんだ!と言われそうですが・・)、1,100ユーロ台でも安い!と飛びつくようになってしまったのですから、それにしても物価が上がったんだ・・とゲンナリしますが、仕方ありません。

 パリを夜、出発して、日本に着くのは日本時間で翌日の夜です。時差があるとはいえ、やっぱり長旅・・。早くロシア上空を飛べる以前のような以前の通常運行状況に1日も早く戻ってもらいたいと思います。


エアフランス パリ発東京行き


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2024年3月10日日曜日

「実家に帰らせていただきます」とは言えなかった海外生活

  


 昔の日本のドラマを見ていたら、「実家に帰らせていただきます・・」みたいなシーンが出てきて、そういえば、私には、そういう選択肢はなかったな・・考えたこともなかった・・と思いました。

 なにしろ、実家に帰るといっても、そうそう簡単には帰ることはできないのです。帰るとなったら、仕事も何もかも捨てて・・ということになってしまうのですから、そうそう簡単に口にできる話でもなく、自ずと私の意識からは、排除されていたのだと思います。

 そもそも、昔のドラマなので、今の時代、日本でもそういうセリフを叩きつけて実家に帰ってしまうというようなことがあるのかどうかもよくわかりませんが、そんなことが簡単にできなかった環境に結局は救われたのかも?という気持ちと、夫婦喧嘩をして、気安く実家に帰れる環境が羨ましいような、そんな両方の気持ちがありました。

 夫とは、そんなに派手で壊滅的な喧嘩をした記憶はありませんが、それでも波風が全くたたなかったわけでもなく、言い合いをしたり、喧嘩をしたこともありました。たいていは、ヒートアップしてくると、もう彼の方は、普段はわかりやすく、ゆっくりめに話してくれるフランス語も早口になり、語調も強くなり、私の方は、もう語彙の少ないフランス語や英語では、足りなくなり、ついには怒りを日本語で爆発させることになるので、途中からは相手の話を聞くということよりも、自分の言いたいことを言うということになるので、お互いにとことん芯から傷つけたり、傷つくこともなく、時間がたてば、忘れてしまうことが多かったような気がします。

 どちらにしても、そもそも、今となっては、喧嘩の原因が何だったのかすら、思い出せないくらいの些細な事が原因なので、それで済んでしまってきたところもあるのですが、数回は、少し時間をおいてから、とことん話し合ったこともありました。

 私の両親などのケースを思い返してみれば、父も母もそれぞれの実家との繋がりがとても強く、そもそも父は、兄弟で隣同士というか、同じ敷地内にそれぞれが家を建てて住んでいたし、母の実家も車で10分ほどのところにあり、祖母(母にとっての母)は、毎晩のように電話をしてきていたし、母は父と喧嘩をして、実家に帰るというようなことはなかったものの、頻繁に実家に出入りしていたので、二人とも、すごく実家と近い距離を保っていたと思います。

 今から思い返せば、特に母に関しては、とてもしっかりしている人であったけど、その根底には、実家との繋がりが頑強であったことがあったのかもしれない・・と今になって思うのです。

 その結果というのか、私の両親はすでに他界していますが、私の日本の親戚のネットワークは、未だかなり強力なもので、その親戚づきあいの緊密さが、たまに帰る日本では、一気に集中し、周囲の友人などからは「今どき、珍しいね・・」と驚かされるのです。

 とはいえ、私が私自身の実家との繋がりが頑強であったかどうかというのは、また別の話で、そもそもたとえ、私が日本に住んでいたとしても、頻繁に帰りたいと思う実家ではありませんでした。

 おそらく、そんなところが私自身が精神的に今一つ強くないところなのかもしれない、繋がりのたしかな家庭というものが人にとってすごく大切なことなのかもしれないな・・と最近になって思うのです。

 ところで、私と夫のフランス語×日本語の喧嘩については、そばで目にしていたどちらの言語も理解している、まだ幼かった娘のみが冷静に話を聞いていて、パパとママ、全然違う話をしてるんだよね・・とつぶやいていたのには、私としては大いに気恥ずかしさを覚え、娘のバイリンガルの悲哀を感じたものの、そんなことが娘の歳のわりには、妙に冷静な性格を培っていたかもしれません。

 


実家に帰らせていただきます


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2024年3月9日土曜日

鳥山明氏の訃報が証明したフランスでのマンガ人気

  


 フランスで日本のマンガが大人気であることは知っていましたが、フランスでの鳥山明氏の訃報の扱いで、その存在がいかに大きいものであったかを再確認させられたような気がしています。

 彼の訃報が発表された日、フランスでのX(旧Twitter)のトレンドの圧倒的なトップは一日中「Akira Toriyama」で、それを追随するのは、「Dragon Ball」でした。

 フランスのル・モンド紙をはじめとする大手新聞をはじめ、ほぼ全てのマスコミが彼の訃報を大々的にとりあげ、彼のこれまでの作品や彼のマンガがフランスに浸透していった経緯、また、彼の人となりなどを報道していました。

 もしかしたら、彼はフランスで一番有名な日本人であり、近年最もその功績を讃えられている日本人なのかもしれない・・と思いました。

 何しろ、MANGA(マンガ)という単語でさえも、現在はそのままフランス語に使用され、恐らく、ドラゴンボールを知らないフランス人を探す方が難しいくらいかもしれません。

 私のところにも、今朝、フランス人の知人から電話がかかってきて、「日本の偉人が亡くなったね・・ほら、ドラゴンボールの作者・・」と私は、自分でニュースを見る前に、彼から鳥山明氏の訃報を聞いたのでした。

 この鳥山明氏の訃報を知らせてくれた知人は、私よりも年長のマンガなど読みそうもない世代の人ですが、そんな人?にさえも知られているドラゴンボールって、やっぱり、フランスでもすごい人気だったんだな・・と思わせられたのでした。

 実際にフランスは日本に次ぐ世界2位のマンガ人気大国でもあり、この日本のマンガをきっかけに日本の文化に触れ、特にマンガの中にも登場する日本食をきっかけにフランスでの日本食ブームが起こったとも言われています。

 以前、ドイツから交換留学で我が家にやってきた女の子が大のマンガ好きで、ぜひ、マンガに出てくるラーメン屋さんというもの、に行ってみたいと頼まれて、パリにあるラーメン屋さんに連れて行ったこともありました。

 フランスでは1980年代から1990年代にかけて「マンガマニア」が創刊されて以来、フランスでのマンガ人気は、凄まじいものになり1988年からは、ドラゴンボールはテレビでも放映され始め、当初は古い世代の国会議員などから「日本のマンガは酷い!」などとの声があがることもあったようですが、結局は圧倒的な人気に支持され、マンガへの熱狂はフランスの文化的現象とさえも呼ばれるようになりました。

 あるジャーナリストは、鳥山明氏の作品を「伝統的な漫画に対する総攻撃の先鋒」と称する人もありました。

 また、多くの若者が彼のマンガに惹きつけられた理由を「この小さな悟空は、社会的、感情的な環境でうまく成長できない孤独な多くの若者たちに力を与えてくれた」

「これらのキャラクターたちは、私たちが戦ったとき、団結して立ち上がったときに成功することを示してくれました」などという彼の訃報に対する数多くのコメントの中から理解することができます。

「Merci!Akira Toriyama!(ありがとう!鳥山明さん!」「あなたのキャラクターのおかげで問題を乗り越えられました!ありがとう!」などなど・・SNS上には彼に対する感謝のコメントがフランスでも溢れています。

 マクロン大統領でさえも、X上に「マクロン大統領へ」と書かれた額に入れられた彼のデッサンを「鳥山明氏と何百万人もの彼の愛好家へ」と言葉を添えて投稿しています。


 フランスでは、パンデミックのために停滞したフランスの文化事業推進・支援と若者への文化と芸術への好奇心を喚起させるために、年間1億6000万から1億8000万ユーロを投資し、映画、小説、マンガ、ビデオゲーム、劇場、ラップ、メタルなどなど・・あらゆる文化的な目的に使用することができる「カルチャーパス」なるものを発行しました。

 ところが、ふたを開けてみれば、このカルチャーパスの75%は、マンガのために使われたという結果となり、この「カルチャーパス」は別名「マンガパス」と呼ばれるようになりました。

 それくらいフランスでのマンガ人気は凄まじく、もはやマンガはフランスの文化の一部とも言われるようになり、パリのいわゆるお土産屋さんのようなお店でなぜか、日本のマンガのデッサンの色紙などを見かけることもあり、「なぜ?これがパリのお土産屋さんで売ってる?」とびっくりさせられたこともありました。




 かつて、日本といえば、TOYOTAやNISSANなどの車やSONYなどの電気製品などが連想されることが多かったと思いますが、今の時代は、日本といえば、一番に連想されるのは、「MANGA(マンガ)」なのかもしれません。

 このフランスでのマンガ人気を牽引してきた鳥山明氏は、まさにヒーロー的存在で、ドラゴンボールは、マンガ愛好家のみならず、誰でも知っている抜群の知名度で、まさにフランスにおける日本の偉人の一人であったことが認証されたようです。

 こんなにフランスでも讃えている彼の偉業を日本が国民栄誉賞などの国家的な栄誉と称賛を与えていないことをむしろ、不思議な気がするくらいです。


鳥山明 訃報


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2024年3月8日金曜日

全国労働組合のオリンピック期間ストライキ警告に見える社会的アンバランス

  


 冬休みが終わるか終わらないかのタイミングから、通常、フランス人の間では「夏のバカンスはどこへ行くか?」という話題で持ちきりになり、実際に夏のバカンスの予約を開始します。

 ところが、今年は、例年とは同じにはいかずに、夏のバカンス期間中には、フランス人にはオリンピック・パラリンピックという巨大な壁が存在します。

 考えてみればみるほど、このオリンピックという最高の機会をフランスCGT(労働組合)が黙って見過ごすはずはないし、実際に、彼らが訴えている「オリンピック開催により数十万人の労働者が打撃を受ける」というのは、事実でもあります。

 国家総動員とまではいかないまでも、パリオリンピック開催には、多くの人がフランス人の生きがいとも言える夏のバカンス期間を働かなくてはならず、また、これを政府が当然のことのように行おうとしていることに怒りを訴えています。

 オリンピックのために多くの人々が残業を余儀なくされたり、バカンスがとれないことや、通常よりもずっと長い時間働かなければならないことに対して、何も対処されていない!政府は即刻回答すべし!と。

 また、オリンピックのために、イル・ド・フランス(パリ近郊地域)に来なければならない労働者たちのその間の滞在施設(住居)は大惨事に見舞われています。その間に働かなければならない人々の子供たちは、どうするのか? その超過労働に対してのボーナスは正当に支払われるのか?などなど、言われてみれば、オリンピックという華やかな舞台の裏には、問題が山積みになっています。

 たしかに、このために、イル・ド・フランスにやってくる人々の滞在施設とて、パリ近郊のホテルや短期の貸アパート等はすでに満室状態でその価格だけでも大変な高騰ぶりという話で、海外からの選手団を受け入れるために、奨学金を受けて生活している学生の宿泊施設などでさえも、6月には追い出されるという話に、怒りの声が上がっています。

 そのうえに、一体、どこにこのオリンピックのために動員される人々が一体、どこに滞在できるのかは、大変な問題だと思います。

 内務省は、すでにオリンピックに動員される警察官については、今年1月の段階で最大1,900ユーロのボーナスを約束していますが、オリンピックに動員されるのは、警察官だけではありません。このフランスCGT(労働組合)は、全ての公務員にボーナスを!と訴えています。

 同時に病院や医療関係者は、このオリンピック開催に関して、警鐘を鳴らし続けています。パンデミックとまでは言わないまでも、何百万人ものオリンピック関係者や観光客が訪れるといわれるこの期間に、これに応じて起こり得る事故や病人に対して、対応しきれるスペースも人員も全く足りていません。

 「政府は大会の社会的課題を検討し、適切な決定を下さなければならない」、「すでに何度もこの問題提起を政府に対して行っているのに、一向に何の対策もとられていない!」と。

 すでにRATP(パリ交通公団)やSNCF(フランス国鉄)などがストライキの通告を行っていますが、具体的な政府からの労働者への回答は出されていないままです。

 私自身は、オリンピックの現場で働くわけではありませんが、生活しているだけでも、この期間、ふつうに出歩くことができるのだろうか?という不安が日に日に増しています。

 最近では、オリンピックのポスターが発表されたりして、華やかさばかりが強調されていますが、この巨大なイベントが多くの人々の犠牲のうえに成り立つものであることは、明白で、オリンピックって本当に必要なのだろうか?と思わないでもありません。

 たしかに、オリンピックで得られる収益も莫大なものであることには違いないとは思われるものの、今の時代、一般市民にとっては、ふつうに生活を送るだけでも大変なのに、オリンピックだの万博だのに割かれる莫大な費用や労力・・2年前に「私たちは、豊かさの終焉のときを生きている」とスピーチしたマクロン大統領ですが、どうにもこのオリンピック、豊かさの終焉を生きているのは、その陰で働く労働者だけのように見えてしまうバランスの悪さが気になります。

 しかし、そこは、フランス人、黙ってガマンしないところは、さすがです。


オリンピック期間のストライキ


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2024年3月7日木曜日

フランスの飛び級と留年

  


 娘が小学生の頃、夫はやたらと娘を飛び級させたがっていたのを私は、反対していました。子供の能力に応じての飛び級や留年というものが、小学校という低年齢層でも、わりと珍しくなく行われていることに日本育ちの私は、今一つ理解できませんでした。

 実際に、娘の同じクラスにも下から飛び級して上がってきていた子がいたし(その子は娘と結構、仲良しで、小学校から高校まで同じクラスだったうえ、高校を卒業してその後の進路がバラバラになっていくタイミングでも、示し合わせたわけでもないのに、なぜかプレパー(グランゼコールの準備学校)まで同じ学校でした。

 彼女は小さい頃からとても小柄で、一つ年下だから、小さいのかな?などと思っていましたが、大人になっても小柄なままなので、年齢は関係なかったようです。

 彼女の親がなぜ?彼女を飛び級させたのかはわかりませんが、飛び級しても、何の支障もなく、その後の学校生活を優秀な成績で過ごしていたようなので、彼女の飛び級は成功だったのかな?とも思います。

 たしかに、あまりに優秀な生徒の場合、子どもの年齢に一般的に定められている学年のままだと、物足りなくて、つまらない・・その子の学力を充分にのばせないということもあるのかもしれませんが、私としては、学校で学ぶということは、学業だけではなく、様々なことを体験していく時間ということでもあると思っているので、その1年間をスキップしてしまうことが必ずしも、よいことばかりではないだろうし、そんなに急ぐことないじゃない!、その年齢に体験できる事柄を奪う必要はないだろうに・・という気持ちでもありました。

 しかも、夫に娘を飛び級させたい理由を聞くと、「あとで、留年してしまったときのために・・」というよくわからないことを言っていたので、「そもそも、留年した時のために・・とか、留年するかもしれないと思うような人が飛び級にふさわしいのか?」という話で、結局、夫は、娘の飛び級は断念してくれました。

 実際に、実年齢どおりの学年での教育を物足りないと感じる子供は、かなり珍しい存在ではあるとはいえ、そういう場合に、飛び級ができるのは、たしかに良いシステムなのかな?とも思います。

 娘が通っていたのは、小学校から高校まである私立のカトリック系の学校で、あまり一般的な公立の学校とは異なることも多かったと思いますが、多くの子どもがそのまま同じ学校にいるので、小さい頃は、学校の行事で親が学校に行く機会もあったり、お誕生日会やお稽古事などで、娘の友人の親子と顔を合わすことも多かったので、小さい頃からの知り合いが多く、中学、高校と進むうちは、子供の方はもう外で会ってもすぐには、誰だかわからなくても、親の方はたいして変わらないので、「ああ~あの人○○ちゃんのママだ・・」と思うくらいで、あとは、娘からの話をたまに聞くくらいでした。

 そんな、娘から漏れ伝わってくる話の中には、「○○ちゃん、留年したらしい・・」とかいう話も混ざっていて、「え~~?あんなに明朗快活な感じだったのに!」と驚いたりすることもありました。

 留年については、そんな話がポツポツとあり、内心、本人は心穏やかではないところもあるのでしょうが、けっこう朗らかに学校に来ているとのことだったので、飛び級とは逆に、必要ならば、2年かけて追いつくことがあってもいいような気がします。

 ただし、娘の学校はかなり厳しい学校でもあったので、留年は1年だけで、その後の結果が思わしくないと、やんわりと転校を促されるらしいということで、そういえば、いつのまにかいなくなっていた子もいました。

 ただし、いなくなっていた子どもの中には、「さらに良い学校に転校した・・」というのもあって(こちらの方はかなり珍しいケースでしたが・・)、飛び級ではなく、学校を変えるという方法をとる人もいました。

 いずれにせよ、子供の教育環境を子供に適したものにするということは、とても大切なことでもあり、とりあえず、私が娘のためにしたことは、私立の学校に入れ、あとは、日本語の学習を続け、できるだけ色々な体験をさせてあげることを心がけたくらいで、我が家には飛び級も留年もありませんでした。

 私の数少ない日本人の友人には、子供の学校のために引っ越しまでして頑張っている人がいましたが、我が家には、そんな経済的な余裕はなく、そこまではできませんでした。

 とりあえずは、健康で横道に逸れることもなく育ってくれただけで、私は充分に満足しています。

 

飛び級と留年


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2024年3月6日水曜日

日本大使館に行くたびのモヤモヤ・・

  


 日本に住んでいれば、あまり縁がない日本大使館ですが、海外生活を続ける人にとっては、度々と言わないまでも、お世話にならずにはいられない、海外にありながら、日本である不思議な空間です。

 イギリスにいた頃の日本大使館は、期間もそんなに長くもなく、留学だったので、正直、日本大使館に行ったことがあったかどうかも記憶にないくらいなのですが(大昔の話だし・・)、コートジボアールにいた頃の日本大使館の記憶は最悪で、娘が生まれた時の出生届の提出の際の手続きがスムーズに行かず、後々、娘が国籍を失うようなことになっては大変と、こちらもかなり神経質になっていたし、なんといっても、ものすごく閉鎖的な感じで、ビルの一画にある薄暗いスペースで、窓口は、曇りガラスになっていて、対応して下さる相手の顔も見えないような感じだったのを覚えています。(20年以上も前のことなので、現在の状況はわかりませんが・・)

 なにしろ、コートジボアールの日本大使館としても、出生届の受付など、おそらく、滅多にある話でもないために、慣れていないのは、わかりますが、おっしゃることが二転三転するのには、こちらとしては、余計に不安になるところでもあり、加えて出生届は、出生後○○日までという提出期限もあるうえに、夫が外国人であったことから、ご本人(私)が直接来てくださいと言われて、産後まもないのに、参上しているにもかかわらず、不明瞭な点があるたびに、「日本の外務省に問い合わせますので・・」と何回も行くハメになりました。

 最終的に、「では、これで・・」という段になって、「本当にこれで大丈夫なんでしょうね!」と、念をおして、当時の在コートジボワール日本大使館の書記官?の方に一筆入れていただきました。先方からしたら、「おっかない、めんどくさい奴だ!」と思われたことと思いますが、しかし、こう二転三転した挙句のこと、まさかの時のためにと私も必死だったのです。

 それからまもなく、私たちは、フランスに転居することになり、転居早々に、パリにある日本大使館に在留届を提出しに行った時には、明るくて、大使館の方も感じよくて、さすがにアフリカとは全然違う!と感動したのを覚えています。

 あれから、もうフランスでの生活も長くなって、パスポートの更新手続き(私の分と娘の分)や、娘の日本の教科書の引き取り、在外選挙登録と選挙の投票、日本での相続手続きなどに必要な書類の申請や発行などのたびに日本大使館にはお世話になってきました。

 今回、また、日本の家の手続きのことで、また急遽、日本に行かなければならなくなったのですが、そのために必要な書類を申請に行ったのですが、とにかく急に決まったことなので、書類も急いでいました。

 うちの場合は、弟も海外(シンガポール)におり、弟も大使館に取りに行ってくるから・・と話を進めたのですが、彼の報告によれば、シンガポールにある日本大使館はその場で20分ほどで発行してくれたとのこと。パリの場合は、同じ書類を木曜日に頼むと、出来上がるのは、翌週の火曜日とのこと。どうして、同じ日本大使館なのに、パリはこうなの?と少々、憤懣とする思いでした。

 そして、日本の公的機関は、やたらと印鑑を求められるため、以前、印鑑をフランスに持ってきていなかったために、不都合があったため、それ以来は、印鑑を持ってきてあったので、印鑑持参で行ったところ、今度は、捺印のスペースに、「待ってました!持ってますよ!持ってますよ!印鑑!」とばかりに印鑑を押そうとしたら、「拇印でお願いします」と。「えっ?印鑑持ってますけど・・」というと、「いえ、印鑑でも大丈夫かもしれませんが、一応、拇印でお願いします」と。得意気に出した印鑑は引っ込めることに・・。

 こちらとしては、何とか間に合うようにギリギリのタイミングなので、出したはいいけど、やっぱりダメだった・・などというわけにも行かず、「帰国の日が迫っているので、書類に不備がないか確認してください」とお願いすると、「ちょっとお待ちください」と言って、書類を持って、奥に入っていかれました。

 これで、ちゃんと確認できれば、安心・・と思っていたのですが、結局、戻ってこられた方がおっしゃるのは、「なにか不備があれば、SNSでご連絡しますので・・」と。「今、ここに来ているのに、なぜ?SNSでご連絡?」、言葉遣いはとても丁寧なのですが、おっしゃられることは、ものすごく高飛車。

 しかし、ここで押し問答しても仕方ないし、ごくごく単純な書類なので、大丈夫だろうと思いつつ、こちらとしては、シンガポールの日本大使館ではその場で20分でできてしまうものなのに・・という頭もあり、モヤモヤするのでした。

 相変わらず、支払いは現金オンリーで、カードは受け付けてくれません。

 そして、ついでに言わせてもらえれば、大使館の領事部というものは、どうして昼休みを閉めてしまうのか?ということです。だいたい土日祝日はお休みで閉館も17時、昼休みの13時から14時半までは、クローズです。

 普通に働いている人にとったら、もう大使館に行くということは、お休みをとるとかしなければならない話であり、しかも1日では済まずに申請して、その数日後には、引き取りに行かなければならないのです。申請だけは、オンラインが可能になっているものもありますが、今どき、昼休みに閉めてしまう機関など、そんなにあるものではありません。

 カード払いにしたって、今どき、カードが使えないところも珍しいことです。少しでも利用者側の立場にたって・・という姿勢が全くないところは、大使館に行くたびにモヤモヤするところでもあります。

 つまりは、利用する人が少しでも利用しやすいようにということは、一切おかまいなしなところがモヤモヤするのです。

 私の場合、そんなに遠くもないので、まだマシといえばマシですが、これが遠くから来られている方々だったら、もっと大変なんだろうな・・と思うのです。


日本大使館


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2024年3月5日火曜日

急停車に警察官の駆け込み突入・・騒動が絶えないパリのメトロ

  


 今日、買い物に行くのにいつもはあまり乗らない線のメトロに乗って出かけたら、行きの電車ではなんだか知らないけど、出発時にドン~ガッチャン!というにぶい音がして、急停車して、そのまま止まってしまい、なにやら嫌な予感・・。

 にもかかわらず、しばらく何のアナウンスもないために、周囲の人と顔を見合わせて、まさか、だれかがホームに落ちたのかも・・などと言いだす人もいて、私も「あのにぶい音は人身事故だったのかも??」という気もしていました。少しすると、またお得意の「プロブレム・テクニックのためにしばらく停車します・・」とアナウンスがありましたが、それ以上は何も説明しません。

 こうなると、周囲の人たちは、もう慣れたもので、特に騒ぎ出すこともなく、すんなり諦め、待機モードに入ってしまうところも妙なものです。

 結局、電車は5~10分くらい停まっていたでしょうか? なんの前触れもなく、突然、「発車します」というアナウンスが流れて、あっけなく、何もなかったかのように出発しました。

 一体、何のための停車だったのかは、わかりません。

 咄嗟に、「まさか?飛び込み??」などと思ってしまったのも、考えてみれば、電車が出発して、まだそれほどスピードを出す前ですから、やはりそういう行為もあまり考えづらく、しかし、以前に死亡事故があったコートがドアに挟まったまま出発して引きずられて・・などというほど電車は動いていませんでした。

 とにかく、何ごともなく、とりあえずは、よかった・・と思っていると、今度は、帰りのメトロで、どこの駅でだったか、出発直前に、ドアが閉まりそうになっているところに私服警察官が警察手帳のようなものをかざしながらドタドタと入ってきて、「前の車両でスリの一団を捕まえました! お財布を盗られていないかどうか?バッグの中を確認してください! スリの一団は、小さな女の子の集団でした! 狙われませんでしたか?」と大声をあげて、呼びかけました。

 長年、パリでメトロを利用していますが、こんなことは初めてでした。周囲の人々は、やはり、こんな時にも、それほど騒ぎもしなければ、動揺する様子もなく、一応、自分のバッグの中やポケットの中を確認し、被害がないことを確認していましたが、その反応は至って、冷静というか、興味なさそうというか、無反応で、私としては、絶対に狙われないように、お財布は、バッグの中にまた別のポーチを入れて、その中に入れて、バッグの奥底にひそめているので、大丈夫・・と思いつつも、そう言われたら、それはそれで不安になって、ごそごそとバッグの中を確認して、ドキドキしてしまったのですが、周囲の人々の反応の薄さ、平常運転モードに逆にビックリさせられたのでした。

 その警察官が、一応、私の乗っていた車両には被害がなかったことを確認して降りていくと、すぐにメトロは出発し、走り去る駅のホームを車内から振り返ると、連行されていく少女たちの後ろ姿が見えました。

 パリの交通機関内のスリ対策には、このように私服警察官が乗っているのか・・と後になってから、気が付きましたが、先日、家に押し入る偽警察官の話を聞いていたばかりだったので、一瞬、「この人、本当に警察官なの?」と疑心暗鬼になってしまいました。

 そして、多分、ジプシーの子供たちなのだと思いますが、あんな小さい女の子たちがスリをしなければならないとは、気の毒な子供たちだ・・とも思いました。

 しかし、パリオリンピックに向けて、メトロは時間通りに運行できるように、できるだけメトロを潤滑に運行させようと、「病人が出てもメトロは停車しない!」などとまで言っているのに、現実問題は、病人云々以前に、メトロを止める理由はいくらでもあることを身をもって体験し、「ヤレヤレ・・やっぱりオリンピックは無事に済むはずはないな・・」と思っていたら、RATP(パリ交通公団)は、オリンピック開催期間中には、シャンゼリゼ・クレマンソー、コンコルドなど6ヶ所の駅は閉鎖すると発表。

 また、非常に混雑する駅、かなり混雑する駅などを色分けして発表していますが、どちらにしても大混乱は必須のような気がしています。


パリのメトロ スリ集団


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