昔の日本のドラマを見ていたら、「実家に帰らせていただきます・・」みたいなシーンが出てきて、そういえば、私には、そういう選択肢はなかったな・・考えたこともなかった・・と思いました。
なにしろ、実家に帰るといっても、そうそう簡単には帰ることはできないのです。帰るとなったら、仕事も何もかも捨てて・・ということになってしまうのですから、そうそう簡単に口にできる話でもなく、自ずと私の意識からは、排除されていたのだと思います。
そもそも、昔のドラマなので、今の時代、日本でもそういうセリフを叩きつけて実家に帰ってしまうというようなことがあるのかどうかもよくわかりませんが、そんなことが簡単にできなかった環境に結局は救われたのかも?という気持ちと、夫婦喧嘩をして、気安く実家に帰れる環境が羨ましいような、そんな両方の気持ちがありました。
夫とは、そんなに派手で壊滅的な喧嘩をした記憶はありませんが、それでも波風が全くたたなかったわけでもなく、言い合いをしたり、喧嘩をしたこともありました。たいていは、ヒートアップしてくると、もう彼の方は、普段はわかりやすく、ゆっくりめに話してくれるフランス語も早口になり、語調も強くなり、私の方は、もう語彙の少ないフランス語や英語では、足りなくなり、ついには怒りを日本語で爆発させることになるので、途中からは相手の話を聞くということよりも、自分の言いたいことを言うということになるので、お互いにとことん芯から傷つけたり、傷つくこともなく、時間がたてば、忘れてしまうことが多かったような気がします。
どちらにしても、そもそも、今となっては、喧嘩の原因が何だったのかすら、思い出せないくらいの些細な事が原因なので、それで済んでしまってきたところもあるのですが、数回は、少し時間をおいてから、とことん話し合ったこともありました。
私の両親などのケースを思い返してみれば、父も母もそれぞれの実家との繋がりがとても強く、そもそも父は、兄弟で隣同士というか、同じ敷地内にそれぞれが家を建てて住んでいたし、母の実家も車で10分ほどのところにあり、祖母(母にとっての母)は、毎晩のように電話をしてきていたし、母は父と喧嘩をして、実家に帰るというようなことはなかったものの、頻繁に実家に出入りしていたので、二人とも、すごく実家と近い距離を保っていたと思います。
今から思い返せば、特に母に関しては、とてもしっかりしている人であったけど、その根底には、実家との繋がりが頑強であったことがあったのかもしれない・・と今になって思うのです。
その結果というのか、私の両親はすでに他界していますが、私の日本の親戚のネットワークは、未だかなり強力なもので、その親戚づきあいの緊密さが、たまに帰る日本では、一気に集中し、周囲の友人などからは「今どき、珍しいね・・」と驚かされるのです。
とはいえ、私が私自身の実家との繋がりが頑強であったかどうかというのは、また別の話で、そもそもたとえ、私が日本に住んでいたとしても、頻繁に帰りたいと思う実家ではありませんでした。
おそらく、そんなところが私自身が精神的に今一つ強くないところなのかもしれない、繋がりのたしかな家庭というものが人にとってすごく大切なことなのかもしれないな・・と最近になって思うのです。
ところで、私と夫のフランス語×日本語の喧嘩については、そばで目にしていたどちらの言語も理解している、まだ幼かった娘のみが冷静に話を聞いていて、パパとママ、全然違う話をしてるんだよね・・とつぶやいていたのには、私としては大いに気恥ずかしさを覚え、娘のバイリンガルの悲哀を感じたものの、そんなことが娘の歳のわりには、妙に冷静な性格を培っていたかもしれません。
実家に帰らせていただきます
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