2019年7月31日水曜日

日本人の外国人アレルギーと外国ごちゃ混ぜ問題




 「I can not speak English. 」アイ キャンノット スピーク イングリッシュ。
ある、お店の店内に入ってくるなり、そう言って、手を振って、うつむいて、通り過ぎようとした日本人の中年の男性がいました。

 日本人の私に向かってです。
しかも、ここは、フランスで、英語の国でもありません。

 それだけ、外国で、他人から、話しかけられることを恐れているということと、そして、ご自分がフランスにいるにも関わらず、外国語=英語、という先入観があるのでしょう。私がその方に、何か、話しかけたわけではありません。
 これには、私も苦笑するしかありませんでした。

 また、ある人は、これから、ヴェルサイユ宮殿に行くという話をしようとしていたのですが、ヴェルサイユ宮殿という言葉が出てこなくて、” ほらほら、あの〜それ〜兵隊さんがさ・・赤い服着て、時間になると、交代するやつさ・・・”

 それは、バッキンガム宮殿、しかも、イギリスです。

 きっと、その方は、パッケージツアーか何かで旅行をしている方で、もう、自分がどこの国にいて、どこへ行こうとしているのかさえ、よくわかっていないのかもしれません。
 なんか、せっかく、はるばるヨーロッパまで来て、とても残念なことだと思いました。

 日本にも、最近、観光客であれ、移住であれ、外人がずいぶんと増えたようですが、欧米に比べるとまだまだ、外人は少なく、外人となると、日本人は、日本国内でさえも、少し身構えてしまうようです。

 日本は島国ですし、外国人をあまり受け入れてこなかったので、外国人に慣れていないのは、仕方のないことかもしれません。慣れるのには、一朝一夕というわけには、行かないでしょう。

 うちの娘でさえ、日本に行くと、”あっ!!外人だ!!” という視線を感じると言います。

 フランスでは、もはや、純粋なフランス人を探すことの方が難しいような状況なので、外人に対する抵抗は、あまり、感じられません。だいたい、学校のクラスの中にも色々な国の人が混ざっていますから、みんな、外人を外人とも思わないくらい、慣れているのです。

 その証拠?に、私は、街で、よく道を聞かれます。それは、ロンドンにいた時もそうでした。もちろん、パリでも、よく、聞かれますが・・。

 特に、ロンドンは、私が最初に海外生活を送った街だったので、最初の頃は、” こんな、外人の顔してる私にどうして、道なんか聞くのだろうか? ” (しかも、私は、ものスゴい方向音痴なのです。)としばしば思ったものです。

 しかし、気付いて見れば、ロンドンもパリも外人だらけの都市なのです。

 でも、パリの街で日本人を見かけると、遠くから見るだけでも、私は、かなりの確率でそれが日本人であることがわかります。

 それは、日本人が日本人のたたずまいというか、日本人の持つ特有の雰囲気を身にまとっているのを感じることができるからです。

 逆に、私たち、外国に住む日本人は、よく、他のアジア圏内の国とごちゃ混ぜにされ、”ニーハオ!と言われたり、両手を前で合わせてお辞儀をされたり(これは、 "サワディーカー” と挨拶するタイと混同していると思われます)することがよくあります。

 ヨーロッパの人は、とかく、アジアの国々をいっしょくたにする傾向にあります。
私たちから見れば、” 全然違うでしょ〜!!” と思うのですが、例えば、日本人が、アフリカ大陸全体がもうアフリカという一つの国であるかごとく印象を持っているのと同じ感覚なのかもしれません。 

 私は、海外にいるときは、自分が外人であるということをいつも意識しています。そして、同時に、日本にいるとき以上に、自分が日本人であるということも意識します。

 自分が外人という存在になる経験は、自分自身を客観的に考える上でも、とても意味のあることだと思っています。



 

 











2019年7月30日火曜日

子育ては、根気が勝負  生意気盛りの娘との対決




 子供は、よ〜く見ているのです。親のことを。周りの大人たちのことを。

 そして、当の親が、忘れてしまっていることも、よ〜く覚えているのです。
 子は親を写す鏡とはよく言ったもので、時々、ギョッとさせられます。

 娘が3才くらいの頃だったでしょうか? ある時、娘がコップを倒して、中にある飲み物をこぼしてしまいました。

 ”あ〜あ!” と睨みつけた私に、間髪入れずに、娘がそのこぼれた飲み物めがけて、バーンとタオルを投げつけたかと思ったら、足を使って、ゴシゴシと拭いたのです。

 あまりに素早い彼女の行動を目の当たりにした私は、呆気にとられて、苦笑いしかありませんでした。私は、そんなこと、やった覚えはないのですが・・。

  そして、案外冷静で、客観的な目線も持っているのです。

 5〜6才の頃でしたか? 娘は、何でもやってみたい子でした。しかも、自分で・・。何かやってあげても、それを元に戻して、最初から自分でやってみる子でした。

 例えば、どこか高い場所に抱っこして、のせてあげても、一度、下まで降りてから、もう一度、自分で登るような子でした。
 よく言えば、自主性があるというか、まあ、悪く言えば、可愛げがないというか・・。

  その頃の娘は、”やりたい〜やりたい〜!!やらせて!やらせて!” というのが、口ぐせのようでした。何でもやりたいお年頃には、どんどん褒めて、やらせてみよう!と思っていた私は、台所のお手伝いをしてくれている娘をとにかく褒めちぎっていました。

 ”スゴい!お手伝いしてくれるとママ、ホント助かるわ〜!” と、私は、ひたすら、褒めることに一生懸命になっていたのです。すると、ふと、娘が手を休めて言いました。

 ”あなたも何かしなくちゃね!” と。

 ギャフンとやられた感じでした。

 飛行機に乗って、CAさんに、" りかちゃん、ちゃんとお座りしててね” と言われれば、”あなたもここにお座りね!” と切り返し、洋服を買いに行って、欲しい服があれば、さっさと着替えて、自分の服は、置き去りに。

 また、私が何か、同じことを注意しても、何度、言っても、きかないと、ついつい頭にきて、”一体、何度、同じことを言ったら、わかるの?” と言えば、すかさず、

 ”じゃあ、数えましょうか?” と切り返す。

 朝、何度も何度も起こしに行って、それでもなかなか起きなくて、ようやく起きてきた娘に、”もう〜!!何回、ママが起こしに行ったと思ってるの?!!” と言うと、娘は、あっさり、”一回・・。

 ”さっき一回、聞こえたから、起きてきた・・” と。

 幼少期の娘とのやり取りは、四六時中、こんな感じでした。

 娘は、とにかく、エネルギーの塊で、睡眠時間も短く、寝る直前まで、活動し、寝るとなったらあっという間に寝てしまう。そして、寝たら最後、なかなか起きず、そして、少しの睡眠によって驚くほどにエネルギーを回復します。

 お昼寝などただの一度もしたことがなく、休みの日など、私の方が疲れて横になると "
寝ないで〜!!寝ちゃダメ〜!!” とまるで拷問のようでした。

 娘から切り返される問答に思わずため息をついて、笑ってしまうこともしばしばでしたが、子育ては、根気と根性。強烈なパワーの娘に引きずられるようにして、生きてきました。それでも、めげずにそんな日々を淡々とこなしてきました。

 でも、今になってみると、現在の娘の強烈なキャラクターの根本は、もうすでに、この頃、出来上がりつつあったことを、振り返ってみると、改めて、確認させられる気持ちになるのであります。


 ヤレヤレ〜。ƪ(˘⌣˘)ʃ

 

 

 

 

2019年7月29日月曜日

国際カップルの習慣の違い  ギャ〜!ヤメて!なんで、そんなことするの?




 違う環境に育った二人が一緒に生活を始めれば、日本人同士とて、様々な問題が浮かび上がってくることと思います。

 これが、やはり、国際結婚ともなれば、なおさらのことです。

 それでも、私の場合は、主人が4年間、日本に赴任していた経験があったので、ある程度は、日本のことを知っていてくれ、日本人の習慣なども、ある程度は理解してくれていたので、とても救われました。

 アフリカや、パリでも、日々、ことごとく起こる、日本ではあり得ないことに、私がへこたれそうになっても、”そんなのパリでは、当たり前だよ・・” などとは、決して言わずに、” そりゃあね〜 日本みたいな国は、他にはないからね〜” と、言ってくれていましたので、少しでも、私のやるせない気持ちを理解してくれる人が側にいてくれたことは、私にとっては、とても大きな支えでした。

 とは言え、個々の文化、習慣の違いは、一緒に暮らしていれば、ところどころに出てくるものです。

 食べ物に関しては、概ね、何でも、美味しい美味しいと言って食べてくれる主人ですが、私が手をかけて育てた日本のきゅうりは、私は、カリカリと歯ざわりが良く、とても美味しいと思うのですが、このきゅうりは、水分が少ないな・・などと言います。

 また、ブロッコリーの茹で方なども、これは、日本風の茹で方だね・・(フランス人は柔らかいものが好き)と言い、猫舌な彼は、(全般的にフランス人は熱いものが苦手)、アツアツのものをと思って出すと、熱くしないで、料理ができないの?などと言って、わざわざ、冷まして食べたりします。

 そして、フランス人は、平熱が高いのをご存知でしょうか?
日本人なら、だいたい、平熱は、36℃くらいですよね。フランス人の平熱は、37℃くらいです。なので、私と主人、両方の血を引く娘の平熱は、何度なのでしょう?
 
 これが面白いことに、36.5 ℃くらいなのです。

 普段、少し風邪を引いたくらいでは、私は、熱を測りません。熱を測っても熱が下がるわけでもなし、ここらへんに、私のいい加減さが表れています。何となく、触ってみれば、どの程度なのかわかります。(笑)

 でも、ある時、娘が高熱を出した時、主人は水風呂に娘を入れようとしたのです。
主人曰く、熱が高いのだから、全身を冷たく冷やして、熱を下げるのだ、と言うのです。

 しかし、日本人の私としては、熱がある時は暖かくして寝かせ、頭だけ冷やす、と言うのが、習慣です。高熱のある娘を水風呂に入れようとした主人を見て、” ヤメて〜っ!!” と私は、恐ろしくて、身を呈して、娘を守ったものです。

 私には、熱を出して臥せっているときに、” 暖かくして、寝ていなさい” と布団をかけ、頭に冷たいタオルをのせてくれた母の面影が深く刻まれているのです。

 それから、こちらの人は、赤ちゃんに、シュセットという、哺乳瓶の先がついたような、おしゃぶりのようなものをくわえさせるのですが、これも、私は、あまり、好きではありませんでした。
 
 これは、幸いにも、娘の方が、吸っても何も出てこないので、ぺっと、すぐに吐き出してしまい、勇んで買ってきた主人もガックリして、諦めてくれました。

 また、靴のことでも一悶着ありました。
 娘が生まれた時、いや、生まれる前から、主人は娘のための靴を買ってきたのです。
まだ、歩けもしないのに・・、いや、生まれてすらいないのに・・です。
” 歩けない子供の靴がなんでいるのよ!!”  と。

 そして、生まれてからは、歩けないうちから、外出の際は、必ず、靴を履かせるのです。
なんと、もったいない!!と私は、思っていたのですが、靴を履かせないと足の形が悪くなる・・そして、冬は、靴を履かせなければ、寒いだろう・・と言うのです。

 冬、寒いフランスでは、靴は防寒の意味もあるのだと、私は、初めて知りました。
(娘は、そのうえ、その寒さゆえ、冬には、耳を守るために必ず耳を覆う帽子も被らされていました。)

 これには、ハッキリとフランスの靴文化などの文化の違いをまざまざと感じさせられたものです。

 こんな風に、細かいことではありますが、一緒に暮らしていれば、数々の違いに驚かせられる日々なのです。






















 







2019年7月28日日曜日

ヌーベル・キュイジーヌが嫌いなフランス人の夫




 以前、主人がアメリカのものが嫌いという話を書きましたが、嫌いなのは、アメリカのものだけではありません。

 主人が嫌いなものの一つに、いわゆる、「ヌーベル・キュイジーヌ」 というものがあります。フランス料理の好きなフランス人がなぜ?と、私は、思うのです。

 ヌーベル・キュイジーヌと言うのは、フランス語で直訳するなら、「新しい料理」のことで、いわゆる、ちょっと小洒落たような、現代的で、洗練された、軽くて、繊細なスタイルのフランス料理で、まあ、近代的な、新しい材料やスパイスを使って、見た目にも、彩りよく、美しく、新しいエッセンスで、どこか、日本の懐石料理に似たようなテイストが含まれているものと私は、解釈しています。

 しかし、主人に言わせてみれば、” お〜きなお皿に、ちょこっとだけお料理がのっていて、お皿の空間にソースで絵を描いてごまかしている料理 ” という、身も蓋もない、なんともデリカシーのない表現をします。

 あんな料理は、本当のフランス料理ではない!ナンセンスだ!”と言うのです。
まったく、彼のことは、知れば知るほど、古くさいフランス人なのだと思い知らされるのです。

 彼の言う、フランス料理は、ひとつひとつのポーションがしっかりとあり、伝統的な作り方をしているお料理で、レストランのテーブルクロスは、白。ナイフとフォークは銀。
あくまでも古典的なものがお好みなのでした。(ちなみに彼の大好物は、coq au vin という雄鶏の赤ワイン煮です)

 でも、それは、考えてみれば、彼が嫌いなのは、「ヌーベル」(新しい)なのであって、それは、なにも、「キュイジーヌ」だけに限ったことではなく、つまりは、古い、伝統的なものが好きなのです。

 本にしても、重たいハードカバーのついた、私からすれば、百科事典のような本が好きで、本の裏表紙には、必ず、日付と自分のサインを記入します。娘に本を買ってあげたりしても、これまた、ご丁寧にパパから娘へなどと書き入れてしまいます。

 手紙も自分のお気に入りの万年筆で手書きするのが好きだったり、きっちりと正装して出かけるのが好きだったり、子供にも小さい時から学校へ行くのにも必ず革靴を履かせることにこだわったり、(運動靴、スポーツシューズはスポーツをするときに履くものだと言い張ります)、骨董市のようなものを丹念に見て回ったり。

 こうして書いていると、どこのおじいさんの話?と思うほどです。

 何よりも食いしん坊ゆえの、「ヌーベル・キュイジーヌ」嫌いも、元を正せば、古いもの、伝統的なものが好きな、古典的なフランス人ということなのかもしれません。

 


































2019年7月27日土曜日

フランス人のビックリする日本食の食べ方

今、パリでは、お寿司は、日本食ブームを通り越して、かなり浸透、定着してきた感もあり、今や、どこのスーパーに行っても置いてあるようになりました。

 まあ、お寿司と言っても、フランス人好みにアレンジされているものが多く、サーモンやアボカドを使ったもの等が多く、中には、フランス人が苦手とする、海苔を使わない海苔巻き風のものなどもあります。
 
 そのクウォリティーと値段に関して(つまりコスパ)は、日本人の私としては、甚だ疑問ではあり、バカバカしいなあ・・とクビをかしげる私の思いをよそに、これがまた、結構、売れているのであります。

 パリには、中国人経営の日本食チェーン店がたくさんあり、また、おおよそ日本人からすると、おかしなメニューが並んでいます。お寿司はもちろん、焼き鳥、天ぷら、そして、餃子や唐揚げまでが、おいてあります。

 そして、その組み合わせや、それぞれのお料理も、なんとも奇妙です。

 例えば、にぎり寿司のセットにご飯が付いてきたり、天ぷら、と書いてあるのに、エビフライの写真が載っていたり、その天ぷらを頼むとマヨネーズが付いてきたりします。

 その類のお店には、お醤油が二種類、置いてあり、一つは普通のお醤油、もう一つは焼き鳥のタレを薄めたような、甘いお醤油です。

 例えば、にぎり寿司セットにサラダ、お味噌汁、にぎり寿司、ご飯、が付いて来れば、フランス人は、その一つ一つを順々に平らげていきます。サラダを食べながら、お寿司を食べる・・というような食べ方はしないのです。

 そして、サラダ、お味噌汁、にぎり寿司を食べ終わった後に、白いご飯に甘いお醤油をかけて、ご飯だけを食べるのです。

 ある時、近くにいたフランス人の様子を見ていると、お寿司を食べるのに、甘いお醤油を手に取ったので、側で見ていて、” あ〜違う!違う!” と思ったのですが、見知らぬ人に声もかけづらく、まあ、一つ食べたら、気がつくだろうと思っていたら、なんと、二つ目のお寿司にも甘いお醤油をかけるのです。

 これには、驚きました。
お寿司に甘いタレをかけて食べるとは!? アナゴじゃあるまいし・・。
 
 全ての人がそうするわけではありませんが、この甘いお醤油、キッコーマンでは、ヨーロッパで、大変な売れ行きなのだそうです。

 また、ラーメン屋さんでも、音を立てて食べることがタブーな国なので、フランス人はラーメンをすするということをしません。というより、麺をすするということができないのです。中には、わざわざ、並ぶほどに混んでいるラーメン屋さんに来て、ラーメンを注文し、” 麺なしでお願いします。" という人もいるそうで、フランス人は、ラーメンをスープだと思っている節もあります。

 また、主人の友人を家に招いた時に、お料理の中の一品として、海苔巻きを出したところ、フォークとナイフで器用に海苔を剥がして食べ始めたのにもビックリしました。
わざわざ剥がすなら、無理して食べなくてもいいのに・・と思ってしまいましたが、これがまた、結構、海苔が苦手なフランス人は多く、体質的に海苔を消化できないという話を聞いたこともあります。

 日本に外国から入ってきている食べ物にも、おそらく、本来のモノとは、まるで、違った食べ方や、違う姿に様変わりしているものも沢山あるでしょう。

 カレーなどは、その最たるもので、日本のカレーは今や、日本食ともいえるような堂々とした地位を築いています。

 フランスに浸透し始めた日本食もいつの日か、まるで、違った姿になっていることもあり得るのかもしれません。

 







 





2019年7月26日金曜日

海外にいるからこそ、日本語を大切にするということ




 私は、本が好きで、どこへ行くにも、本を持って歩いています。
 もちろん、日本語の本です。

 私は、日本語というのは、とても美しい言語だと思っていますし、とても誇りに思っています。日本語ならではの美しい表現や、言葉の使い方などが、とても好きなのです。

 特に、パリでは、交通機関が当てにならないため、仕事の時は、もちろん、ランデブー(アポ)があったりする時も、時間に遅れないように、かなり、早めに家を出て、幸いにも交通機関に支障がなく、早く着いてしまった場合には、本を読んで過ごします。

 私が海外で初めて暮らしたのは、ロンドンでしたが、思っていたよりも、スムーズに英語が伝わらず、イギリス英語ならではの、単語や言い回しなどに苦戦していた頃、英語が出来るだけ、早く上達するようにと、一切、日本語をシャットアウトしていたこともありました。

 あんな風に頑なに頑張っていた頃の自分は、それはそれで、愛おしいような気持ちにもなります。

 しかし、海外生活も長くなってくると、やはり、どうしようもなく、日本語が恋しくなることもあります。

 アフリカにいた頃などは、ネットも繋がらず、日本語を使う機会もほとんどなく、持って行った本も少しだけで、ついには、主人が持っていたNHKの日本語講座のドラマ仕立てになっているビデオを見たりすることもありました。(笑)

 娘が生まれてからは、娘に日本語を教えようと、必死で、娘とは、日本語のみで過ごすようになりました。私と娘の会話は、100%、日本語です。

 甲斐あって、娘は、バイリンガルになりましたが、フランスで育った娘の母国語は、フランス語です。バイリンガルに育てる時に、注意しなければいけないことは、やはり、どちらかに重心をおいた母国語をしっかり持たせなければならないということです。

 そのどちらかの軸足がしっかりしていないと、その子のアイデンティティーがぐらついてしまうからです。

 それと同じように、私は、海外、どんな国にいても、日本語を大切にしていたいのです。それは、娘をバイリンガルに育てた時に大切に思ってきたように、自分自身のアイデンティティーを守り、保つことでもあるからです。

 また、皮肉なもので、海外にいるからこそ、自分が日本人であるという自覚がはっきりしてくるものです。

 私は、日本人で、日本語を母国語として育ちました。

 英語やフランス語も多少はできるようになり、今までよりも多くの人と関われるようになりました。そして、イギリスやアフリカ、フランスで暮らしてきて、日本にだけ住んでいた頃とは違う考え方や感じ方もできるようになりました。

 しかし、私のアイデンティティーを育ててきたのは、日本語を軸としたものなのです。

 幸い、今では、ネットで世界中の人たちと繋がれるようになり、世界中の色々なものを見たり、感じたりしている人たちと、色々なことを日本語で共有できるようになりました。

 なんと、素晴らしいことではありませんか?



 












2019年7月25日木曜日

フランス人はとうもろこしをブタのえさだと思っている




 フランスには、コーンスープというものがありません。

 そもそも、とうもろこしというものをフランス人は、あまり食べないのです。
コーンを食べるといったら、サラダに散らしてある缶詰のコーンくらいなものです。

 ですから、スーパーマーケットにも、とうもろこしは、たまに、しおれたようなものは置いてありますが、あまり、華々しい場所に置かれていることはありません。

  フランスにおけるとうもろこしの地位は、極端に低いのです。

 ですから、缶詰のコーンもホールコーンは売っていても、クリームコーンは売っていません。ですから、私は、時々、コーンスープが恋しくなって、ホールコーンの缶詰を買ってきて、自分でミキサーにかけて、コーンスープを作ります。

 玉ねぎのみじん切りとベーコンを細かく切って、ちょっと胡椒を振って、炒めて、ミキサーで潰したコーンを入れて、ミルクを入れて、ブイヨンキューブを入れて出来上がりです。

 これは、我が家の母から直伝の、私のご自慢のコーンスープです。
 クリームスープではありませんが、帰って、ザクザクした玉ねぎや潰しきれていないコーンが美味しいのです。
 よかったら、お試しください。とても、簡単で美味しいです。

 主人曰く、とうもろこしは、フランスでは、主に、豚のエサ用に栽培されているもので、あまり、人間は、食べないのだとか・・。

 かく言う主人は、珍しいことに、フランス人が食べない、コーンスープが大好きで、これは、日本に住んでいた時の名残りだと言います。

 アメリカのものは、嫌いなくせに、日本のものは大好きなのです。しかし、そもそも今、日本にあるコーンスープは、アメリカから来たものを改良して作られたものだと思うのですが、彼は、そこは、勝手にスルーしています。

 私たちが日本に行くときも、必ず、コーンスープを買ってきて!と頼まれます。

 フランス人もスープは、簡単だし、好きで、よく食べるので、スーパーなどのスープ売り場には、たくさんの種類の液体、粉末、冷凍のスープがたくさん売られています。
 シャンピニオン(マッシュルームやセップ茸など色々)、ポアロ、トマト、アスパラ、野菜のミックス、オニオン、かぼちゃ、などなど種類もなかなか、豊富です。

 しかし、コーンスープはないのです。

 日本人は、カップスープ、インスタントスープをよく飲まれると思いますが、おそらく、一番人気は、コーンスープでしょう。そのコーンスープがないのは、私には、なんとも解せないのです。

 何しろ、私は、大のとうもろこし好きで、3食、とうもろこしでもいいくらい、とうもろこしが好きなのです。

 ですから、夏の間は、わざわざ、アジア系の食材を置いているスーパーまで、とうもろこしを買いに行きます。

 実際に、コーンスープを食べてみれば、絶対、フランス人も好きになってくれると思うのですが、どこかの食品メーカーの方、フランスで、コーンスープを売り出してもらえないでしょうか?











2019年7月24日水曜日

オランウータンと友達になったフランス人




 まだ、娘が小さい頃、一度、ヴァンセンヌの動物園に行って、象の前で、娘に、
” Il est plus gros que toi !! " (パパより、デブだ!!)と大声で叫ばれて以来、夫は、動物園に行くのを避けていました。

 しかし、たまたま、行った、オーステルリッツにある、JARDIN DES PLANTS (植物園)に行った時に、偶然、動物園が併設されているのを見つけ、ひょんなことから、動物園をのぞいてみることになったのです。

 植物園の中の動物園ですから、大したことはないとタカをくくっていたのですが、意外にも、結構、ちゃんとしたもので、私たちは、楽しく動物を見物して回っていました。

 その一つに、オランウータンの檻がありました。

 ちょうど、お昼どきに近かったので、バカな私たち親子3人は、一生懸命にオランウータンに、” お昼、食べた? " とか、” お腹すいてないの? " とか、つぼめた手を口にあてて、”ご・は・ん・・・ご・は・ん・・食べたの?” と必死になって、三人三様、バラバラに話しかけていました。

 考えてみれば、オランウータンからしてみても、実に、マヌケな親子に映ったことでしょう。「こんな、人間、見たことない・・へんな奴らがやって来た・・」と。

 すると、その中のWATANA(ワタナ)という名前のメスのオランウータンが、夫に興味を持ったのか? もしくは、つぼめた手を口にあてたりしているので、私たちの方がお腹がすいているとでも思われたのか? 小さな木のかけらを檻の向こう側から夫に向けて、ポーンと投げて寄越したのです。

 感激した主人は、" Merci ! Merci ! " (ありがとう)と、オランウータンに何度も感謝の気持ちを伝えていました。すると、びっくりしている私と娘をよそに、オランウータンは、夫に次のモーションをかけてきたのです。

 自分が普段、持っていると思われる、長いボロ切れのような布を柵の上から、夫の前に垂らし、夫と二人(!?)で、布を引っ張ったり、離したりして、遊び始めたのです。

 これには、周りにいた、動物園を訪れている人もビックリで、中には、ビデオを撮り始める人までいました。

 残念ながら、私たちは、カメラも何も持っていなかったので、ワタナと夫との記念写真を撮ることはできませんでしたが、意外なハプニングに、十二分に楽しめた日曜日の午後のひとときでした。

 しかし、それにしても、ワタナがなぜ、夫を気に入ったのか? 
大きさが同じくらいだから、仲間だと思ったのか? 

 それとも、動物的な感で、この人は、自分と遊んでくれる人だと思って気に入ったのか?

 はたまた、彼がオスとしての魅力を放っていたのか?(笑) 

 だとしたら、もしかして、私は、ワタナと趣味が一緒ってことなのかしら?

 






















2019年7月23日火曜日

日本語で言いたい放題、言ってしまう悪い癖


  

 パリにいると、私は、娘と二人で外を歩いていても、日本語で話していると、周りの人には、通じないために、言いたい放題、言ってしまう悪い癖がついてしまっています。

 普通なら、心の中で、こっそりとつぶやくようなことを・・。

 買い物などに出かけても、” なにこれ〜!?あり得ないでしょ!!" とか、” これ、もう、腐ってるじゃない!? これもう、売り物じゃないし・・” とか・・。
(その暴言を吐かせるネタがパリにはあちこちに転がっています)

 私たちの暴言は、もはや、自分たちが公共の場にいる自覚がない、本来なら、人目を憚るようなことを平気で言ってしまっているのです。

 だから、日本に行くときは、正確には、日本行きの飛行機の中から、注意するように心がけています。飛行機の中には、すでに、日本人もいるし、外人でも、日本語がわかる人が多く乗っているからです。

 いつもの癖で、つい、口をついて出てしまいそうになるたびに、お互いに、”ほらほら!!ダメダメ!もう、ここからは、日本語がわかる人がいっぱいいるんだから、気をつけないと・・!” と、戒めあうことになります。

 しかし、先日、パリのメトロの中で、箱型の四人がけの席に座ると、すぐ、近くには、音楽を大音量で、演奏して、お金を集めて回る一団がいたのです。あまりの大音量に、” うるさいなあ・・頭がガンガンする!!”と言って、思わず耳をふさいだのです。

 すると、前に座っていた、アジア系の女性が私の耳を塞ぐしぐさからか、同調してくれるが如く、顔をしかめて、私に目配せをしてくれたのです。私も半分、困ったような顔をして、その女性に頷きました。
 心の中で、” ほんと、うるさすぎますよね〜” と言いながら・・。

 そして、何駅かが過ぎて、その楽隊の一団は降りていきましたが、その後も私と娘は、まだ、夢中になって、おしゃべりを続けていました。何を話していたかは、あまり、覚えていないのですが、例によって、パリの中ですから、自覚なしに言いたい放題だったに違いありません。

 すると、また、何駅か過ぎて、向かいに座っていたアジア系の女性が、” じゃ、お先に・・” といって、立ち上がったのです。私が、驚いて、” 日本人の方だったんですか?” と言うと、その方は、なぜか、ニッコリ笑って、” はい、3区に住んでます。” といって、降りていきました。(なぜ?3区に住んでいると言ったのかは、不明ですが・・)

 ・・・と言うことは、これまでの会話は、全部、彼女に聞かれていたと言うことです。特別なことを話していたわけではないと思うのですが、何ともバツの悪い思いをしました。まあ、その女性にしたって、何も、” 私も日本人です。"といちいち申告する必要もないし、それもまた、不自然です。

 しかし、これからは、パリの中でも、気を引き締めて、おしゃべりには、気をつけなくては・・と改めて、思わされた次第です。




















2019年7月22日月曜日

子供に自分で考えることを学ばせるためにすること。




 私は、娘に、” 勉強しなさい!" と言ったことは、ありません。

 日本語に関しては、熱心に教えたつもりですが、これでさえ、" 日本語の勉強をしなさい!” とは、言いませんでした。ただ、” 日本語のできない子は、日本に連れて行きません。” とだけ、言いました。

 学校の勉強に関しては、まあ、学校を追い出されない範囲であれば、別にいいよ!と言ってきました。だから、学校の成績に関しても、あまり、気にしていませんでした。
ましてや、他の子と比べるなどは、もってのほかです。

 私は、他人の子供の成績に興味はありませんし、その興味のない子供の成績と比べてどうこういう趣味もありませんでした。しかし、フランスでも、結構、他人の子供の成績が気になる親が結構いるもので、娘の学校の成績の順位を他のお母さんから聞くこともしばしばでしたが、個人主義に見えるフランスで、結構、意外な気もしました。

 だいたい、私は、子供を他の子と比べるということは、一番いけないことだと思っています。その子は、その子なりに良いところもあり、悪いところもあり、子供は、それぞれに違う個性を持っているのです。

 それを通り一遍の基準で、比べるなどもってのほか、ある一面だけで、いちいち、人と比べても、それは、不必要に子供を混乱させるだけで、何の意味もありません。

 勉強さえできれば、将来、安泰なわけでも、幸せになれるわけでもありません。
勉強が好きで、得意な子はその能力を伸ばせばいいし、それ以外のことが好きで得意な子は、そちらの方を大事に育てたほうが良いと思うのです。

 もともと、別の個性を持った子供を比べるのは、意味がありません。

 それよりも大切なことは、自分自身で、大切なものを見極め、自分自身でものごとを考えることができるようになることです。

 生きていれば、その場面、場面で、色々な人に出会います。
 そして、世間の人は、色々なことを言うこともあるでしょう。

 自分の考えをしっかり持って、それを貫く強さと信念を持って、進んでいければ、きっと子供はしっかりと自分の道を歩んでいけます。
 
 結果的にうまくいけば、世間なんて、調子のいいもので、まるで、過去に非難めいたことを言っていた人たちも、まるで、そんなことを忘れたかのように、同調していきます。

 一時の世間の風当たりなど、自分自身の信念がしっかりしていれば、何と言うことはありません。世間の目は、それくらい、いい加減なものなのです。

 そして、当たり前のことを当たり前と思わないことを気付かせること。
 そして、それに感謝ができる気持ちを持てるようになること。

 当たり前のことなど、一つもないのです。

 当たり前のことを当たり前と思っていては、感謝の気持ちは生まれないし、幸せを感じることはできません。

 能動的に自分自身で考えるようになること。

 それには、勉強しなさいとか、〇〇をしなさい、とできるだけ言わないことです。

 自ずと子供は、自分で考えるようになります。










 

 

 

2019年7月21日日曜日

権利を主張するわりには、義務をちゃんと果たさないフランス人





 「自己主張が激しく、権利を主張するわりには、義務をきちんと果たさない」これは、私の一般的なフランス人への印象です。
 簡単に言えば、「やることちゃんとやってから言えっつーの!」ということです。

 以前の私の職場にも、この典型のようなフランス人がいて、一緒に働く身としては、辟易としたものです。しかし、このような人でも決して、意地悪だとか、悪い人だとかいうわけではありません。

 これは、圧倒的にフランスの教育から来ているもので、権利を主張することにフランス人は誇りを持っています。義務を果たす部分に関しては、職場等にもよるでしょうが、本人の判断とモラルとに委ねられており、一般的には、日本に比べると格段にハードルが低いです。

 もちろん、なかには、猛烈に働く人もいますよ! うちの主人が日本に赴任していた時などは、それこそ、昼夜なく働いていましたから・・。
 でも、一般的には、なかなか・・・。

 特に、フランスは公務員天国と言われるように、一般の公務員の世界は、まさに、特に権利、そして、それ以上のものを享受しているように思えてなりません。

   高校を卒業してすぐに、娘は、夏休みの間だけ、主人の伝手で、財務省の事務職のアルバイトをしたのですが、その様子に、彼女は、びっくりして帰ってきました。

 部署にもよるのでしょうが、彼女が配置された部署では、

・出社して、少しすると、コーヒーブレーク。
・お昼の休憩は一時間のところ、一時間半はとる。
・定時で帰る、あるいは、定時より早めに帰る。
・一生懸命仕事をすると、仕事はゆっくりやるように注意される。
・子供が病気の場合は、医者の診断書があれば、欠勤扱いにはならない。
・もちろん、本人が病気の場合も医師の診断書があれば、欠勤扱いにはならない。
(最後の二つは、一般企業にもフランスでは、国で認められた法律です)

 中でも、一生懸命仕事をすると、ゆっくりやるように注意されるというのには、驚きを禁じ得ません。

 まあ、ざっとあげただけでも、こんなです。

 それが、少しでも、気に入らないことがあると、すぐにストライキです。

 まだ、パリに来たばかりの頃に、主人の友人に、フランスで印象的なことは?と聞かれて、”ストライキが多いこと!” と答えたら、とても誇らしげにしていたのには、逆にこちらの方がビックリしたものです。

 ユニクロがパリに進出した当時は、ユニクロは、日本のようなシステムを導入し、社員に機敏に働くことを教育しました。たとえ、店内が混雑しても、流れるような、レジのシステムにより、お客様を待たせない、お客様が手にとってみた洋服を端から綺麗に畳んで、常に棚を整頓し、商品を補充する。

 こんな、日本だったら、当然のことが、フランスでは、すごく特別なことなのです。

 今では、パリのユニクロでも定着しつつあるこのシステムも、パリ進出当初は、採用されたフランス人には、到底、耐えられるものではなく、店員がいつかずに、常に人材を募集していました。

 話は、公務員に戻りますが、公務員の特権は、他にも色々あります。

 うちの子供も利用させていただきましたが、春、夏のコロニー(子供のキャンプ)など、公務員の家族のために、その省庁によって、主催しているところもあり、そうでないところには、特別割引が適用されます。

 また、クリスマスの頃には、子供のためのクリスマスプレゼントのためのカタログのようなものがあり、自分で選べるようになっています。また、プレゼントとは別に、その年毎に違いますが、サーカスとか、演出付きの映画や、スケートのショーなどのご招待がありました。

 そんな待遇も権利を主張して勝ち得たものなのでしょうが、それに対して、あの働き様なのです。

 昨年末から行われている黄色のベスト運動や現在進行中のRATP、SNCFをはじめとするデモやストライキ、きっちり働くのも、それは、無理というものです。

 のうのうとストライキをやっていられる人こそが特権階級なのです。
ストライキやデモの被害を被る零細企業の人がどれだけいることか・・。

 











 


2019年7月20日土曜日

夫を誘惑しようとしたフランス人の女性の話



その女性が近づいてきたのは、私たち家族が今のアパートに引っ越してきて、まもなくのことでした。まだ、地域のことが、よくわからずに、手探りで、新しい生活を始めたばかりでした。

 その女性は、「子供にフランス語を教えます」という広告を出していた、近所に住む中年の女性でした。フランス語は、主人が充分に教えられるので、本当は、別に必要はなかったのですが、ちょうど、その頃、パリでは、長期にわたる学校のストライキが行われていて、なんと、一ヶ月近くも学校がストライキのために閉校となってしまったことがあったのです。

 私も主人も、小学校がストライキだからといって、そうそう、仕事を休むわけにもいかず、かといって、子供を一人で家に置いていくこともできないので、(フランスでは、子供を一人で放置するのは、法律違反になり、罰せられます)誰か、その間、子供を見てくれる人を探さなければなりませんでした。

 その時に、主人がその広告を見つけてきて、どうせ、子供を預かってもらうなら、ただ預けるだけでなく、勉強を教えてくれる人の方が良いということで、彼女にお願いすることになりました。

 最初は、私も近所には、知り合いもなく、娘のバレエのレッスンができるところを探していたりしたので、そんな情報も、彼女に聞いたりしていました。

 彼女は、結婚していて、ご主人も中学生くらいの娘さんもいらっしゃるとのことで、お嬢さんのおさがりの洋服や、おもちゃなどを持ってきてくれたりして、とても親切でした。バレエのレッスンに関しても、” うちの娘もやっているから、今度、紹介するわ!” などと調子良いことを言っていました。

 ところが、後になって、実際に、他からの情報で、娘がバレエのレッスンを始めてみると、そのお嬢さんは、バレエには、来ていないし、彼女が嘘をついていたことが、ばれ始めたのです。(私たちの街には、バレエのレッスンをできるところは、一ヶ所しかありません。)

 そのうえ、私に隠れて、主人にコンタクトを取ろうとしたりし始めたので、主人とは、ケンカにもなりました。

 でも、同時に、彼女がご主人がいる時間帯は外出できないとか、フランス人らしからぬことを言ったりして、妙だなと思っていると、そのうち、彼女が顔を腫らしたりしている姿を見かけ、どうやら、家でDVを受けているらしいことがわかりました。

 この街に、しばらく住んでみると、彼女の噂は、色々あって、とにかく、決まった仕事をしている様子もないのに、朝、早くから、外をウロウロしているのです。お客を取っているのではないか?という人もいました。

 昼間は、私も仕事に出ていていないので、わかりませんが、夜は、夜で、また、何をしているのかわかりませんが、必ず、外で、彼女の姿を見かけるのです。

 彼女がフラフラしているから、ご主人が怒るのか? ご主人が暴力を振るうから、彼女が外でフラフラしているのか? どちらが先かは、わかりません。

 ただ、子供の勉強を見るといって、男性を誘惑するのだけは、本当に、やめてもらいたいものです。子供を巻き込むなんて、最低です。

 それから、しばらくして、いつの間にか、彼女は、街から姿を消していました。








 







 

2019年7月19日金曜日

日本人の旅行の仕方が変わった理由 パリに日本人団体観光客がいなくなった?





 パリに日本人団体観光客が山のように訪れていたのは、やはり、日本がバブル景気の頃だったのでしょうか? 私は、その頃には、まだパリに住んでいなかったので、実際にその絶頂期を目の当たりにしたわけではありませんが、私がパリに来た当初は、まだ、その余韻が残っていました。

 大型バスで移動しながら、団体であちこちを練り周り、ブランド物を買い漁り、さぞかし、現地のフランス人には、異様な光景に映っていただろうなと、今、フランスで生活するようになって、改めて、思います。

 それでも、10年くらい前までは、日本行きの直行便の飛行機に乗ると、必ず、日本人の団体客のグループが2〜3個はあり、こちらの知り合いのガイドさんに空港で、ばったり!なんてことも、ありました。

 弾丸のようなスケジュールで、モンサンミッシェルを日帰りしたり、(モンサンミッシェルを日帰りするなどと言ったら、フランス人はビックリします)ロンドン・パリ・ローマを1週間で回るとか、早朝に、パリについて、そのままパリを1日観光して、翌日の午後には、ロンドンへ、なんていうツアーもありました。

 体力的にもきついだろうし、わけがわからないまま旅行が終わって、日本に帰った時には、放心状態ではないかと思っていました。

 実際に、観光客の中には、ヴェルサイユ宮殿のことを、” ほらほら、あの、赤い服を着た兵隊さんがさ〜、交代するところでさ〜・・” などと言うのを聞いたこともあります。

 それは、バッキンガム宮殿で、しかも、それは、パリですらなく、ロンドンの話です。

 しかし、そんな、日本人の団体旅行も、ここ数年で、あまり見かけ見かけなくなりました。逆に、ここ数年の日本行きの飛行機は、フランス人ばかりです。

 それでも、パリに観光客としてやってくる日本人が全くいなくなったわけではありません。団体ではなく、個人で、可愛らしいプチホテルなどを選んで、ゆったり、自分の足でパリを歩く旅行者です。

 パリは、決して大きな街ではありませんから、事前に自分の行きたいところをピックアップしておけば、自分の足で、メトロやバスを使ってでも、十分に周ることができます。

 私は、パリには、そのような観光があっている街だと思うのです。
伝統のある建物がそのまま残された街並みをゆったりと歩いてみてほしいのです。
 中には、汚い場所もありますが、概ね、街全体は、美術館のようです。

 そして、日本人の旅行の仕方も、ただ、がむしゃらに沢山の場所を回ったり、ブランド物を買い漁るのではない、ゆったりと自分のテイストにあった旅行に変わってきているのです。

 それは、日本人の求めているものが、効率が良いばかりのものでも、ブランド物などの物質的なものでもなく、他のものへ移行しているのだと思います。

 私は、そんな変化をとても好ましく思っているのです。












 

2019年7月18日木曜日

人の気持ちがわかる猫 我が家に猫がやって来た



    
 我が家に猫がやって来て、はや、10年くらい経ちました。

 当時、私たち家族に不幸があって、悲嘆にくれて、落ち込んでいた頃のことです。

 知り合いのフランス人が、私たちが、猫好きなことを知って、彼女の知り合いのところに猫が数匹、生まれたから、そのうちの一匹を譲ってもらえるという話を持って来てくれました。

 お休みの日に、娘がその方のところに行って、数匹いる、生まれたばかりの猫の中から、娘と相性がいいと思われる猫を一匹を選んできました。

 それから、少しずつ、猫を迎え入れるために、猫のご飯や、トイレやベッドや爪とぎ、など、猫のための品物を買い揃えていきました。猫が来る準備をするだけで、私たちの気持ちは少しだけ、上向きになり始めました。

 そして、数週間後、お母さんと離しても、もう大丈夫になった時、猫が我が家にやって来ました。生まれたばかりの女の子の子猫です。
 猫の名前は、ポニョと名付けました。

 ポニョは、ツンデレで、気ままで、でも、寂しがりやのところもある、とてもかわいい子猫でした。私が、おそばを食べようと支度をしていると、どんぶりの中に入って待っているようなおチャメなことをしてくれたりもしました。写真を撮っておけなかったのが、残念でなりません。

 猫が来てくれたことで、凍りついてしまった家の中の空気が溶けていくようで、私たちの心は、ようやく緩み始めました。

 娘がまだ、小学生だった頃、数学の宿題をやっていて、分数だったか、何だったかは、もう覚えていませんが、よくわからなくて、私に聞きに来たことがありました。その程度なら、まだ、私にも教えられるレベルだったので、そんなに難しいことをやっていたわけではありません。

 計算の仕方を説明して、方法は、理解したようだったので、あとは、練習問題をやって、慣れるだけだね!と言って、私は、突き放したのです。

 娘は、不服そうに部屋に戻って行きましたが、それから、かなり時間が経っても、娘が部屋から出てこないので、のぞきに行ってみると、娘は、宿題に行き詰まって、シクシク泣いていました。

 娘のすぐ側には、ポニョが右の前足の片手(?)を娘の手の上に置いて、じっと、心配そうに娘に寄り添っていました。

 それからというもの、しばらくの間は、娘が数学の勉強を始めると、娘から、嫌〜なオーラが発散されているのか、ポニョは、必ず、娘の側に寄り添うようになったのです。

 それ以来なのか? ポニョは、どうやら娘のことを自分の姉妹と思っているようで、ちょっかいを出されても、追いかけてついて行き、娘が長く家をあけていて、久しぶりに帰ってきたりすると、何とも言えない、満足気な平和な表情をしています。

 でも、ちょっと、上から目線で、やっぱり自分が面倒見てやらなきゃな!みたいな顔をしています。

 しかし、人の好き嫌いが激しく、嫌いな人だと、遠慮なく、激しく”カーッ!” と威嚇します。家に友人が来たりしても、嫌いな人だと構わずに、この ”カーッ!”をやるので、困ってしまう時もあります。

 でも、実のところは、誰にでも気安く、愛想よく、いい顔をしないところも私は、気に入っているのです。そんなところは、娘に良く似ています。

 一度、ポニョが病気になって、みるみるうちに、弱ってしまって、歩けなくなってしまったことがありました。焦って、娘などは、半べそを書きながら、今にも死んでしまうのではないかと心配して、夜中にヴァンセンヌにある24時間やっている動物病院に連れて行きました。

 とりあえず、3日間は、入院してくださいと言われ、泣く泣くポニョを病院に預けて、二人でガックリ肩を落として、家に帰りました。翌日の午後、13時から15時までなら、面会できると言われて、二人で、面会に行ってみると、ポニョは、点滴の効果でかなり回復していました。

 そして、獣医さんに説明を聞きに行くと、彼は、もう堪らない!という顔をして、” 何しろ、すごく怒ってるから・・” と言い、例の、”カーッ!”をやり続けるので、もう、おうちに連れて帰ってくださいと言われて、苦笑しながらもホッとして、ポニョを抱きかかえて家に帰りました。

 こんな、激しいポニョですが、彼女は、家の中が悲しい空気に満ちた時に来てくれたせいか、人が辛そうにしている時には、誰よりも敏感で、今でも、夜、眠れなくて、一人で起きていたりすると、心配そうにポニョが様子を見にやってきます。

 そして、” ママは大丈夫だから、ありがとう” というと、安心して、自分のベッドに戻って行きます。

 これも、あの頃の悲嘆にくれた家の空気の中で育ったポニョに染み付いてしまった、哀しい習性なのかと思うと、そんな、ポニョの優しい心配りにどこか痛々しさを感じてしまいます。

 ポニョは、大切な家族の一員なのです。
 
 猫って本当に可愛くて愛おしい。






















2019年7月17日水曜日

高い配送料金を取りながら、ちゃんと品物が届かないフランスの配送事情






 タイトルに怒りが表れていると思いますが、ここは、この怒りをそのままぶつけて、書こうと思います。フランスにお住いの方は、少なからず、ご経験があるものと確信しています。

 はっきり言って、まともに届くと感動します。

 日本から送ってもらった荷物が紛失したことは、数知れず。
特に、12月、クリスマスの時期は、プレゼントが欲しいのか知りませんが、特に無くなります。12月は、それこそ、クリスマスプレゼントに・・などと、日本から何か送ってあげようとか、送ってもらおうとか思う方が多いと思いますが、紛失する可能性も高いことを念頭に置かれた方が良いかもしれません。

 そして、日本では、クロノポストという料金の高い、本来なら、特別に注意して配送してくれるはずの郵送方法が特にひどいです。ですから、もし、フランスにご家族や友人がいらっしゃる方は、日本の郵便局の人にクロノポストを勧められてもクロノポストには、しないことをお勧めいたします。

 料金をかけて送ってくるのだから、良いものが入っているとでも思うのでしょうか?
これまでの20年以上にわたる私のフランス生活での経験から言わせていただくと、クロノポストの方が紛失率が高いです。

 最近は、ネットで郵送品の場所を追跡できるシステムになっていますが、これほど、あてにならないものはありません。ネットでは、配送済みとなっていても、実のところは、受け取っていないからです。

 つい先日もアマゾンで購入した商品の配達を指定された日に待っていると、気が付いた時には、ネットの検索によると発送済みになっていました。慌てて、玄関を出ると、隣の家の玄関の前に放り出されるように置いてありました。
 でも、まだ、これは、良心的な方です。
 隣の家までは、持ってきてくれたのですから・・・。

 また、不在でもないのに、不在通知を入れられることもしばしばです。これは、おそらく、アパートの上の階まで上がってくるのが、面倒なためと思われます。

 そして、不在通知が入っているので、仕方なく電話すると、” 近いんだから、取りに来ればいいじゃない!(全然、近くないのに)”と言われたこともあります。” 配送料金、払ってるんだよ!こっちは・・!!"

 また、こちらから日本へ送る場合も、受け取る場合よりは、ましとはいえ、紛失することもあります。私も友人に送ったはずのプレゼントが二度ほど、届かなかったことがありました。

 日本に着いてから、届かなかったとは、考えづらいので、おそらく、それらの品物はフランスを出国する前に無くなったものと思われます。

 一度、職場近くの郵便局で、同僚が、日本の友人にクリスマスプレゼントとして、マフラーを送ったのです。ところが、その数日後、騒動が起こりました。

 彼女が別の用事でその郵便局に行ったら、窓口に座っている女性がそのマフラーをしていたのです。彼女は怒りまくり、その女性に食ってかかり、マフラーを取り返し、大騒ぎになったのです。

 たまたま、彼女が友人に送ろうとしていたマフラーがオリジナルの限定品の商品で、二つと同じものは存在しないという商品だったので、すぐに判明したのですが、それにしても、全く、驚きです。盗んだ配送物を堂々と身につけて、窓口に座るのですから、その女性もなかなかの根性の持ち主です。

 後日、その女性は、異動になったのか? 転勤になったのかわかりませんが、その郵便局からは、いなくなっていました。

 

















2019年7月16日火曜日

アメリカのものが嫌いなフランス人の夫




 海外生活が長かった夫は、英語、ドイツ語、イタリア語、アラビア語、とほんの少しの日本語を話せる、フランス人にしては、外国に対して排他的なところは、比較的、少なく、わりと、寛容な方であるとは思うのです。

 好奇心旺盛で、アフリカにいた頃も、現地のスタッフの知り合いの村の村長さんの長寿を祝うお祭りに出かけたり、アグチとかいう現地の人が食べるというモグラのようなものを食べてみたりと異文化に対しては、果敢に挑んでいました。

 しかし、そんな彼も対アメリカとなると、姿勢がガラッと変わります。

 彼の年代より上の多くのフランス人のように、アメリカのものは、とかく避け、バカにする傾向があり、はたから見ても、しばしば、バカバカしいなあと思うのであります。

 例えば、マクドナルドを異常にバカにしています。

 本当は、ハンバーガーは、大好きなくせに・・・。

「あんな、手づかみで食べる食事なんて!!」 とめちゃくちゃなことを言い出します。

 フランスのバゲットのサンドイッチだって、手づかみで食べるではありませんか!!

 私だって、特にマクドナルドが好きなわけではないけれど、たまに、セットメニューを買うとコカコーラのグラスが付いてくる!なんていうキャンペーンがあったりすると、グラス欲しさにセットメニューを買ってきたりします。

 うちは、三人家族なので、一人除け者にするのも何だな・・と思って、一応、3人分、セットメニューを買って、グラスを3つもらいます。すると、誰よりも早く、美味しそうに平らげるのは、主人なのに、やっぱり、「マクドナルドは、嫌いだ! 美味しいよ!でも美味しいけど、食事としては、ナンセンスだ!」などと言い張るのです。

 その他には、コカコーラとケチャップとマヨネーズとポップコーンを異常に敵対視しています。まったく、無理矢理なこじつけが子供じみています。

 しかし、これらも主人には、アメリカを象徴するような、食べ物に映るらしいのです。

 彼の場合、ケチャップとマヨネーズの代わりは、フランスご自慢のマスタードが担っています。アメリカ人がとかく、何にでもケチャップやマヨネーズをつけるように、何にでもマスタードをつけて食べます。

 私は、フランス人がアメリカを認めつつも、嫌うのは、ジェラシーに他ならないと思っているのですが、それは、同時に、伝統や歴史を大切にしているフランスへの愛情の裏返しのようなものだと思っているのです。

 つまり、彼は、フランスが大好きな愛国心あふれるフランス人ということなのです。















2019年7月15日月曜日

川の字になって寝ないフランスの親子 フランス人の親子の距離




 日本では、よく、「親子が川の字になって寝る。」とかいう、表現を使いますが、フランス人は、親子が川の字になって寝る・・という感覚はありません。

 子供は赤ちゃんの時から、自分の部屋で寝る。
 寝る時間になったら、子供は、”ボンニュイ” と言って、自分の部屋に行く習慣がつけられています。

 寝かしつけるとか、寝る前に本を読み聞かせたりするということはあっても、決して川の字になって寝るということはありません。たとえ、娘がうっかり、私たちの寝室で、寝入ってしまうことがあっても、主人は、娘を抱きかかえて、彼女のベッドに連れていきました。

 これは、住宅事情とか、ベッドと布団、とかいう違いもあるとは、思いますが、単にそういうことでもありません。それは、多分、親子の関係と夫婦の関係をきっちり分けて考えているからなのだと思うのです。

 そして、そのことが、如実に表れていると思われることが、もう一つあります。

 主人は、私のことを決して、ママと呼ぶことはありませんし、私も主人のことをパパと呼ぶことはありません。必ず、お互いの名前か、シェリー(フランスでの親しい相手に対して使う呼称のようなもの)と呼び合います。私は、彼のママではなく、彼は、私のパパでもないからです。
 
 あくまでも二人は男女のパートナーであり、夫婦という関係だということが、意識の中にあるからだと思います。そこを親子の関係とごちゃ混ぜには、しないのです。
 
 こうしてみると、なんだか、冷たい親子関係のように思われるかもしれませんが、子供との距離は、決して、遠いわけではありません。

 学校の送り迎えなどは、手を繋いで、連れて行っていましたし、お休みの日もスポーツをさせたり、美術館に連れて行ったり、時には、テレビの公開収録などに連れて行ったりもしていました。

 余談になりますが、主人は子供を美術館や博物館に連れて行くのを美徳としているようなところがあり、娘としては、どちらかと言えば、退屈で、” また、ミュゼ〜!?” とたいそう不服そうではありましたが・・。

 何か、娘を叱りつけるようなことがあっても、その数分後には、サロンの前のソファーに仲良くくっついて、二人でケラケラ笑っていたりします。厳しく、子供を叱りつけた様子をそばで見ていて、ハラハラしていた私は、拍子抜けして、” ラテン系の人は、引きずらなくて、良いな・・” などと思ったものです。

 親子が川の字になって寝る・・っていうのも、たまには、いいんじゃないの?・・なんだか、暖かい親子って感じもするじゃない!?・・と思っていた私でしたが、主人は、頑なにそれを許してはくれないのでした。






 







2019年7月14日日曜日

フランス人は、女を捨てない! パリのジムでの大らかなパリジェンヌたち





 ある程度、子供も大きくなってきて、娘と二人で旅行する機会ができ、旅行先で、ふと、自分の体力の衰えを感じ、そういえば、日頃、身体を動かしていないな・・これでは、好きな旅行も楽しめなくなる・・と、危機感を覚え、旅行から戻って、スポーツジムに通い始めました。

 自宅と仕事場とのちょうど、通勤の中継点にあるジムに申し込み、仕事が早く終わった日は、30分でもいいから、身体を動かす習慣を持とうと、決意したのです。

 ジムは清潔で、おしゃれで、みんなが黙々と身体を鍛えて、汗している、そんな、静かな空間は、とても心地よいものでした。また、全く子供がいない空間というのも、日常とは、異なる空間にいることを感じさせてくれ、どこか、私をホッとつかせてくれました。

 そこは、以前は、ワイン蔵であったところを上手く残した作りのプールなどもあり、パリならではのとても素敵な作りになっていました。

 最初は、トレーナーの方がついて、身体をほぐす簡単なメニューを作ってくれたので、3〜4個のマシーンをそれぞれ、少しずつ使うトレーニングを始めました。身体がどれだけ、固まってしまっているのか、身体がギシギシいっているようで、それを身に沁みるように感じました。

そして、また同時に、ジムに来ている人たちの様子を見ているのもなかなか、楽しいものでした。
 
 筋肉をつけたくて、やたらと鏡をのぞきながら、満足気にトレーニングする人たち(男性も女性も)、自分のスタイルを誇示するようなウェアーに身を包み、練り歩くように振る舞う女性、また、自分の身体を愛おしげにいたわるようにゆっくりゆっくり身体を動かしている上品な年配の女性などなど、それぞれの人の暮らし様が見えるようでした。

 しかし、実際は、よほど、時間がある時でない限り、結局、ジムに寄っても、今日は、サウナだけ・・ハマムだけ・・ということになってしまう方が多く、私の折角のジム通いも、結局は、お風呂屋さんのようになってしまうことも多かったのです。
 
 まあ、汗を流して、日常では、会わない人たちと会って、スッキリ気分転換をできるのは、とても良いことでした。

 女性用の更衣室では、また、別の、驚きもありました。

 フランス人の女性たちが、けっこう、あっけらかんとしていて、たいそう脱ぎっぷりがいいというか? あまり、ご自分たちの身体をお隠しにならないことです。あけっぴろげというか、なんというか、慣れるまでは、ちょっと目のやり場に困るような感じでした。

 私の行っていた時間帯からか、(学校のお迎えの時間にかかっている時間帯で、小さい子供がいる方が来れるような時間でもなかったためか、)若い女性よりも、ある程度の年齢の方が多いような印象でしたが、まあ、女同士とはいえ、まあ、あの、おおらかな様子は、日本のジムとは、明らかに異なった光景でした。

 また、僅かに身につけていらっしゃる、小さな下着も、明らかに、” ああ、この方々は、けっこうお年を召されても、女を捨てていないのだなあ・・" と思わされ、さすが、恋愛大国フランス!と思うと共に、自分自身を深く反省するものでもありました。

 また、スポーツジムならではの、真っ赤に灼けて、シワシワになった満面の笑顔でのバカンス自慢に興ずるパリジェンヌたち。彼女たちには、美白などという観念はありません。真っ赤に灼けて、象のようになった肌をリッチにバカンスを過ごしている証として、誇らしげにしています。

 私は、美しいでしょ!こんなにリッチにバカンスを楽しんでいるのよ!という、オーラを全開にして。

 また、ハマムの中では、全身を手作りのゴマージュでケアーする女性も・・。私は、出来るだけ、空いている時間帯を狙って行っていたので、ハマムの中で、そんなお肌のケアーをしている女性もいました。

 その方が、”匂い、気になりませんか? 大丈夫ですか?”と気を使っておっしゃって下さったので、” 大丈夫です。そのゴマージュは何ですか?” と聞くと、待ってましたとばかりに、” 朝、飲んだビオのコーヒーの粉を一晩、干して、アルガンオイルにつけたものなの!無駄がないビオでしょ!” と誇らしげに説明してくれました。

 その女性は、美しさのためなら、努力は惜しんではダメよ!とでもいいたげな感じでした。

 パリのジムは、そんな、日常では、うかがい知れない、パリジェンヌの一面をのぞける面白い場所なのです。















 

2019年7月13日土曜日

海外生活と日本の家族 母からの最期の手紙




 日本から離れて、海外生活をすると、日本の両親からは、言わずもがな、遠く離れることになります。日本から離れて暮らす娘を母は、どう思っていたのでしょうか?

 母は、英語が好きで、私や弟に小さい時から、英語を教えてくれていました。私たちに英語を教え始めたことをきっかけに、近所の子供を集めて子供に英語を教え始め、やがては、大学の先輩と共著で英語のワークブックを出版したり、英語のカードやカセットテープを作ったり、しまいには、英語教育に携わる人への講演会までするようになりました。

 出版や講演会などを行うようになっても、常に自宅で近所の子供を教えることは、亡くなる1〜2年ほど前までは、続けており、真面目な母でしたが、おしゃべりで、世話好きで、社交的で、人懐っこいところもあり、近所でも顔が広く、片時もじっとしていない人でした。

 ですから、元気だった頃は、私が海外に出ることも、寂しがるというよりも、むしろ、喜んでくれていて、あちこちで、私たちがパリにいることを触れ回り、近所の人もみんな私がパリにいることを知っていましたし、”おかげさまで、フランスでも、英語、褒められるよ!” などと言うと、とても、嬉しそうにしてくれていました。

 しかし、母は、拡張型心筋症という病気にかかり、発病してから、10年の間に、少しずつ弱っていきました。それでも、家で続けられる英語のクラスだけは、なんとか、ギリギリまで、続けており、それが可能な頃は、それなりに身体が辛いことがあっても、自分の好きな、半分は趣味のように楽しんでやっていた仕事が生きがいのようになっていましたが、いよいよ、それも、無理、家の中でも階段の上り下りは、控えるようにと言われて、寝室を一階の部屋に移した頃からは、弱気が垣間見えるようになりました。

 一度、弟が実家に立ち寄った時に、(その頃は、彼はまだ、日本に住んでいました)実家から電話をしてきて、" 日本に帰って来れるってこと(一時帰国ではなく)は、ないかなあ?” と、聞かれました。
 その時の私は、あまり深く考えることもなく、” 私は、主人と娘と三人で暮らしているのが、一番、しあわせ〜!” などと答えてしまっていました。

 後になって、ああ、これは、きっと、母が心細くなって、弟にボヤいたのではないかと思い至り、それから、毎週金曜日の朝、早めに家を出て、パリの時間で朝9時半頃、(日本時間で夕方)出勤前に会社の近くの電話ボックスから電話をするようになりました。
(その頃は、まだ、今のように、スマホもなく、ラインなどで、簡単に連絡が取れる環境には、なかったのです。)

 遠く離れている親不孝娘には、当時、そのくらいのことしかできなかったのです。

 それでも、じかに、声が聞けて、話ができるということは、母にとっても私にとっても楽しい時間でした。

 私が、話す、娘の様子などを母は、ケラケラ笑いながら聞いてくれ、その話題をネタに父や自分の姉妹たちとも楽しく電話で話したりしていたようで、それは、亡くなる直前まで続いていました。

 母が亡くなった後、母をなぐさめるつもりでしていた電話に、実は、私自身が大きく、なぐさめられていたことに気がつきました。

 母が最期にくれた手紙には、こう書いてありました。
 
 それは、私のお誕生日に当ててくれた手紙でした。

 「お誕生日、おめでとう。◯◯年間、生きてきてくれてありがとう。世界のどこにいようが、存在しているというだけで、私にとっては、うれしいことです。あなたも、そろそろ人生の折り返し地点です。今までの生き方を見返して、ゆとりを持てる生活、時間と労力を簡素化していって下さい。私は、気がつくのが遅かったことを反省しています。でも、夢は持って下さい。” 生活は簡素に、志は高く” (最近、読んだ本の一説)」

 海外生活をして、寂しい思いをさせてしまった母の気持ちは、もう、距離ではなく、存在自体を喜んでくれる高みに達していたのです。

 

 















2019年7月12日金曜日

いい加減は、良い加減ということ 海外生活の秘訣は良い加減に生きること 



 
 不思議なことに、たいていの日本人は、同じセリフで話を切り出します。

 私は、パリで長いこと、観光客に接する仕事をしてきたので、日本人観光客とも、お話しをする機会が多くありました。
 
 そんな中、たいていの日本人は、” もう、長いんですか?” と、決まり文句のように、話しかけてくださるのです。

 長いんですか?というのは、パリに住んで・・長いんですか?” ということらしいです。

”はい、いつの間にか、まあまあ、長くなりました。・・”と、私は、答えます。

 このように、観光でパリに来てくださる日本人の方の中には、少なからず、海外に暮らしている日本人の生活に興味がある方も多いようでした。
 どうして?どんな風に、海外で生活しているのか?ということを。

 そして、その次に来る質問は、
” え〜!?、じゃあ、ご主人がフランス人なんですか?” です。
” はい。” と答えると、
" わ〜素敵!!" と、主人の顔も知らずに、その人は、言います。

 フランス人だからといって、皆、必ずしも、フランス映画に出てくるようなハンサムな人ばかりではなく、結構、残念な方もいらっしゃいます。(笑)

 うちの主人はどちらかというと、その残念なタイプなのです。(笑)
でも、外見が残念だからといっても、中身まで残念というわけではありません。

 私自身も、まさか、自分が将来、長く、外国で暮らすようになるとは、思ってもみませんでした。海外旅行は好きで、独身生活も長かったので、色々な国を旅しました。

 しかし、旅行をするのと生活をするのでは、全く違います。日々、生活するとなれば、日本のような便利で安全な国に生まれ育った者には、華やかな先進国のイメージとは裏腹な、厳しい現実の暮らしが待っています。

 私は、特に、フランスが好きだったわけでもありませんし、むしろ、フランスというより、フランス語だけは、嫌だ!と思ってきました。それが、どういうわけか、フランスに住むことになってしまったのですから、人生は、わかりません。

 だから、どうして、私が海外に住んでいるのか? それを続けていられるのか? 正直のところ、私自身にもわかりません。
 まあ、強いて言うなら、出会った相手がフランス人だったということくらいです。
 
 でも、振り返って、改めて考えると、思い当たる理由は、あります。

 その一つは、留学経験があったことです。一度でも、長期で海外で過ごした経験は、実際の海外生活に飛び込むハードルを大きく下げる気がします。しかし、留学には、期限がありますし、仕事をするわけでもありません。自分一人がなんとかなれば良いのです。

 しかし、いざ、パートナーを持ち、仕事を持ち、子供を育てていくとなると、それは、全く違うものになります。最初は、異文化の生活に、いちいち疑問に感じたり、腹を立てたりすることを繰り返しながら、少しずつ、海外での生活に適応していきました。

 子供がいれば、なおさらのことです。言うべきことは、ハッキリ言わないと暮らしていけません。母は強しです。
 そして、それは、同時に、自分の家族を築いているという喜びでもあったからです。

 もう一つ、思うことは、あまり、固定観念に縛られないという事かもしれません。
日本に住んでいたなら、日本人として持つであろう固定観念も、海外に出れば、私も一人の外人です。いつまでも、それを引きずらずに、柔軟になることが求められます。

 それは、自分の中で、どうしても譲れない部分は、ぶれずに持ちつつも、あとは、状況に応じて、ある程度、いい加減にできるということかもしれません。

 いい加減というのは、ふつう、無責任というような悪い意味で捉えられていることが多いと思いますが、いい加減というのは、本来は、良い加減なのだということを以前、本で読んだことがあります。

 良い加減に、いい加減にできること、これが、海外生活の秘訣のひとつなのかもしれません。

 

 

 

 






2019年7月11日木曜日

夏の一時帰国時の日本の学校への編入体験 バイリンガル教育の生体験







 私は、娘が生まれた時から、いや、生まれる前から、娘にパパの母国語であるフランス語と私の母国語である日本語をしっかりと話せる人になってほしいと思っていました。

 ですから、娘が生まれてから、すぐにフランスに引っ越して、いよいよ、娘の母国語の基盤は、フランス語となっていきましたが、私は、娘には、常に日本語で話し、”ママは、日本語しか話しません。” を通してきました。

 また、単に会話だけではなく、読み書きもきちんとできるように、日本語を学ぶことが億劫に感じないように、フランス語の読み書きを学校で習い始める前に、日本語の読み書きも教え始めました。

 だいたい、フランスに普通に暮らしている分には、日本語は必要ないわけですから、娘が日本語なんて、いらない!と思わないように、先手先手を打っていきました。

 小学校就学の学年になると、日本国籍を持っている子供は、義務教育の間の9年間は、予め申し込みをしておけば、日本の教科書を無料でもらうことができます。一年に2回、(教科書の上巻と下巻)9年間に亘って、大使館に受け取りに行っていました。

 これは、日本のすごいところです。一体、世界中のどのくらいの国がこのような、教科書の無料配布を海外在住者にも行っているでしょうか?

 さて、話は、小学校の編入体験についてに戻ります。
手続きは、簡単でした。通わせたい学校(私の場合は、実家の学区域内の近所の小学校でした)の教頭先生に、予め、連絡をとり、子供の名前、年齢、学年、住んでいる国、言語、通わせたい期間等の連絡をします。

 当日、学校へ行って、所定の用紙に書き込みをしたり、登校する日にち分の給食費を支払い、登下校時に着用が義務付けられている帽子と防犯ブザーを買い、準備は、ほぼ完了。教科書などは、フランスで頂いていた教科書とは、違うものだったので、その期間だけ、学校から貸していただきました。

 私は、先生との打ち合わせの中で、フランスの学校にはない、給食係や、掃除当番などもお客様扱いはせずに、やらせてほしいとお願いしました。些細なことではありますが、給食係や掃除当番などの仕事は、フランスの学校にはなく、(フランスでは、給食は、キャンティーンの仕事をする大人が、また、お掃除は、お掃除の仕事をする大人がやるので、生徒は一切関わることがありません)これも、日本の文化の一つだと思ったからです。

 それは、ほんのわずかなことですが、後になって、たとえ、外からでも日本人を見るときに、日本人がこのように教育されて育ってきている人たちなのだということが何か一つのヒントとして、わずかでも、娘の中に刻まれていればと思ったのです。

 実際に、教頭先生も最初から、とても、好意的、良心的で、最初にお話をした時も、快く、受け入れてくださり、逆に、”フランスですか〜 フランス語かあ〜 英語ができる教師はいるんですが・・”と、あくまで、寄り添ってくださる姿勢で、こちらの方が恐縮し、”  日本語は、話せますから、大丈夫です。日本語での生活を同世代の子供たちと経験するために、お願いするのですから・・全て、日本語でお願いします。”とお話ししたのでした。

 実際の学校生活では、日本語で困ることは、なかったようですが、近所の同じ学校に通う子供が一緒に登校してくれたり、クラス内で、”ボンジュール!”という挨拶が流行ったりと、クラスのみんなも半分フランス人の娘が珍しいのもあってか、ともに楽しい時間を過ごしてくれたようです。

 こうして、娘は、日本の同学年の子供たちが、どんな風に学校生活を送っているのか、名前を苗字で呼び合うことや、給食や体育の着替えや授業までを全て同じ教室でやることなど、フランスではない生活を日本語で身をもって体験させていただいたのでした。

 そこから、彼女の中に何が残ったのかは、わかりませんが、違う国の学校を体験することなんて、そうそうできるものではありません。夏の間にお子さんを連れて、日本に帰るご予定の皆さま、ぜひ、体験させてあげては、いかがですか?

 その年頃にしか、できない、貴重な経験となると思います。

 












 

 













2019年7月10日水曜日

日本に帰ると猛然と食べまくる!帰国時の海外在住日本人の姿




 海外在住の方なら、誰でも、日本に帰国する際には、日本での美味しい食事を楽しみにしておられることと思います。私たちも例に漏れず、もの凄い、意気込みで日本の食事に臨んでおります。そして、恥ずかしながら、その執着の様子は年々、激しくなっているような気がします。

 特に、娘は、半分フランス人でありながら、フランス料理には、苦手なものが多く、大の日本食党で、その鼻息の荒さと、それにかける努力と情熱には、毎回、驚かされます。

 日本行きが決まると、まず、日本で思いっきり食べるための、ダイエットから、その行程は始まります。まあ、3キロを目安にダイエットを開始。そして、日本での食事を夢見ながら、着々と痩せて行きます。

 そして、日本に行ったら、食べたいもののリストを作ります。お寿司、天ぷら、中華、とんかつ、洋食・・・。ぜひ、行きたいお店もピックアップして、フランスにいるうちに、サイト等で探したり、友人に聞いたりして、目安をつけておきます。

 そんな、グルメじみたことを言ってはいるものの、もう、実家の近所のスーパーに行っただけで、大興奮!周囲の目も気にせず、野菜一つをとっても、ひゃ〜っわ〜っ!!おいしそう!!と目の色が変わります。傍目からは、”何だ!アイツら?” と見られているに違いありません。

 食事も、日本で、済ませなければならない用事に合わせて、スケジュールを組みます。
例えば、帰国時には、必ず通っている美容院が恵比寿にあるので、恵比寿近辺で美味しいお店を探したりします。

 例えば、2週間の滞在なら、朝食は、まあ、自宅で取るとして、昼と夜の食事14日間×2で28回の食事のチャンスがあります。全て外食というわけではありません。食べたい食材もリストの中には含まれているので、季節によって、食べたい野菜や魚などもあり、食材を買ってきて、家で好きにお料理して食べることもあります。
 
 前回は、冬の帰国でしたので、おでんをたくさん食べました。おでん種もパリで買えないこともないのですが、高いし、そんなに豊富にも揃いません。だいたい、大根が・・日本の大根は美味し〜い!!

 とにかく、娘たるや、その28回の食事の、ただ一度さえも、余計なものは、食べたくないのです。ちょっとお腹が空いたから、まあ、これでも食べておこうか・・なんてことは、許されません。また、お腹がいっぱいであっても、次の食事を美味しく食べられるように、夜、ひたすら、何キロも歩いたりします。偶然、夜、見かけた近所に住む従姉妹からの、娘があまりの勢いで歩いていたから、通り過ぎてから、気がついた・・という目撃談まであります。(笑)

 だいたい、胃の具合が自分の食い意地に付いて行けずに、日本にいると、常に満腹状態。常に胃腸薬を携帯。一年分の恨みを食い尽くすが如く、”ああ、これが、こんなに焦る事なく、小分けにちゃんとお腹が空いているときに食べられたら、どんなに美味しいだろうか?” と思いながらも、次の食事の事を考えています。
 この意地汚さには、我ながらも、ちょっと引いてしまうこともありますが、ここは、日にちに制限があるゆえ、自分を省みている場合ではありません。

 また、考えているのは、次の食事の事ばかりではありません。フランスに持って帰る食材についても重さを考えながら、優先順位を考えながら、買い物にも、余念がありません。他の買い物をする場合も、”これを買ったら、この分の食料を持てなくなってもいいのか?” という基準で選びます。預ける荷物は大抵、一人当たり23キロのスーツケース2個、×二人分で、92キロ。手荷物にする分を合わせると、合計100キロ以上の荷物の大部分は食料品です。

 羽田でチェックインの際も、毎回、”お引越しですか? 大変ですよね〜。” などと言われつつも、これは、いつものことで、”え〜、ま〜〜” と苦笑いしながら、スルー。日本の美味しいお米を始めとして、茅乃舎のだし、乾燥しじみ、あさりパウダー、ゆずの皮、昆布、お蕎麦、明太子、干物、佃煮、お漬物、季節の野菜、おせんべいなどの日本のお菓子類、などなど・・もう、持って帰りたいものに限りはありません。

 周りの親戚や友人からは、もはや、同情にも似た、”可哀想に・・”という目で見られます。”フランスにも美味しいものがいっぱいあるじゃない!!”と言われるたびに、二人揃って、”いやいやいやいや〜〜〜〜” 日本食が一番!!と。

 そんなに日本食がいいなら、日本に住んだらいいじゃない?とも思うのですが、これが日常になってしまったら、この感動は、味わえなくなるのです。何とも自虐的な喜びではありますが、そんな風に私たちは、帰国時には、思う存分、日本食を味わっているのであります。


<写真は、自由ヶ丘・九品仏近くの「こばやし」のランチ>
 ここは、お魚がとても美味しい著名人もよく訪れるお店です。
 

 











2019年7月9日火曜日

人生の勝ち負け、勝ち組、負け組  ー駐在員の妻の社会ー




 時々、耳にする、勝ち組、負け組という言葉が私は大嫌いです。

ある日、私は、職場の同僚に、”あなたは、勝ち組だからいいわよ・・” と言われて、耳を疑いました。というより、勝ち組という言葉を使う、その人に猛烈な嫌悪感を感じたのです。

 何を根拠に、その人が、私を勝ち組だといったのか? 全然、わかりませんが、その時に改めて、私は、自分自身がその言葉に対して、物凄く、嫌悪感を感じることに気がついたのです。

 人の人生、勝ち組とか、負け組とか、何を基準に言ってるのか知らないが、勝手に判断するな!・・勝手にお前の枠にはめて、人の人生を勝ちとか負けとかいう言葉でくくるのは、やめてくれ!という気持ちです。

 それと、似た類の思いを別の機会にしたことがありました。

 それは、日本人の海外駐在員の妻の世界です。私は、どっぷりとそれに浸かったことはないし、国や、構成メンバーによっても違うかもしれないので、これは、あくまで、私が目にした特別な世界でのお話ですので、ニューヨーク、パリ、ロンドンなどの大都市とは、別だと思いますので、悪しからず。

 日本とは違う意味での海外という不自由な世界で、また、海外駐在員の妻という、旦那の肩書き=自分の肩書きのような、妙なプライドもあります。旦那の会社や役職のランクによって、妻のランクも変わるのです。また、大使館、金融、商社、メーカー、公的機関によってもランク付けは違うそうです。
 私は、主人がフランス人でしたので、ランク圏外でしたが。

 私が目にしたアフリカの駐在員妻の会は、大使夫人を中心とし、そのお取り巻きが数名おられ、それを取り囲むように、一見、和やかに行われていました。そして、大使夫人のお世話係が毎日、当番制になっていて、朝8時から麻雀、午後には、お茶会などが行われているということでした。
 家には、家事等をしてくれるボーイさんやメイドさんが各家庭にいるために、時間が有り余っているのです。私は、初めての、しかも、アフリカでのお産を控えて、助産婦さんだった方をご紹介いただけるとのことで、そのお茶会に一度だけ参加させていただいたのです。

 何部屋もある広いアパートに住み、ボーイさんやメイドさん、運転手さんもいて、一見、優雅で豪華な生活だけど、このよそよそしい妙な雰囲気は何なのでしょうか?

 私がその会にお邪魔していた時、たまたま、誰かの黒人の運転手さんが玄関先で待っていたのです。すると、会の中の一人の女性が、”だあれ? ここにいる人? なんで、こんなところにいらっしゃるの? この方?” と、嫌味満載な言い方で、周りの人に呼びかけたのでした。一瞬、その場の空気が固まりましたが、すぐに、その後始末にまわる、別の方が、その運転手さんを玄関の外に連れて行ったのです。

 人間、こんな風に暮らしていたら、腐るな・・。というのが、私の実感でした。

 ただでさえ、アフリカという辺境? 偏狭?の地で、言葉も不自由、行動も不自由な世界ですから、日本人同士で協力し合うのは、わかりますが、これも、ある意味では、協力なのかもしれませんが、とても異様な世界でした。

 私は、早々に、大学に通うことにして、その大学のクラスメイト(同じクラスといっても、たった3人か4人のクラスでしたが、アメリカ人や韓国人などがいました。)と仲良くしていました。

 そういう、一種、特別な環境に置かれると、元来、日本人にありがちな、他人と違うことを許さない、ましてや、自分たちより下のものを遠回しに裏で隠れて噂話で、非難して、自分たちの価値観の枠にはめようとするような、ある種の島国根性のようなものが、限られた日本人社会になると、さらにそれが凝縮され、それに迎合できなければ、生きづらくなるような環境が生まれるのです。

 せっかく、海外に出て色々な経験ができるのだから、もう少し、ひろ〜い心と目を持てたらいいのにな、と思った次第であります。


海外駐在員の妻の社会









2019年7月8日月曜日

お稽古事の向き不向きーピアノの鍵盤を数えて覚えようとした娘




 私の幼少期には、物心ついた頃から、母が英語とピアノを教えてくれていました。

 ピアノは、小学校に入学した頃からは、別のピアノの先生に習いに行きましたが、英語は、小学生の間は、母が教えてくれていました。

 母は、英語が好きな人でしたので、英語を教えるのが趣味のような感じでした。後には、近所の子供を集めて英語を教えたり、ついには、英語のワークブックを出版したり、カセットテープを作ったり、自動英語教育をする人に講演をするまでになりました。
それもこれも、もともとは、私に英語を教えようとしたことが、きっかけでした。

 小さい頃の私は、英語のお話のカセットテープを聴きながら、寝かしつけられていました。英語で読まれた ”グルンパの幼稚園” などは、暗唱できるくらい何度も何度も聞いていましたし、英語の単語カードなどを使って、楽しく英語を教えてもらっていました。

 そんな、母が私にしてきてくれたことは、別に何を言われたわけでもないのに、母親が子供に当然やるべきこととして、私の中に自然と刷り込まれていたのです。ですから、私は、大して考えることもなく、私は、娘には、英語+日本語を教え、(まあ、私の場合は、状況も違ったので、英語も少しは、教えましたが、日本語を教えることの方が、圧倒的に優先していましたが・・・。)ピアノも教えるつもりでした。

 日本語の教育については、以前、バイリンガルの教育として、書かせていただきましたので、ここでは、私が娘にピアノを教えようとした時のことについて書きます。

 それでも、最初は、娘がピアノが好きになるかどうかもわからないので、小さいキーボードを買いました。そして、まず、それこそ、バイエルの上巻からです。右手の練習から・・。と始めようとすると、娘は、まず、鍵盤を数え始めたのです。???と、しばらく見ていると、娘はピアノを数えて覚えようとしていたのです。

 これには、ビックリしました。ピアノを弾くのに音で覚えようとしないで、数えて覚えようとする子供、いや人を私は、初めて見ました。これは、おかしいぞ・・と思いました。私は、どちらかというと、適当になんとなく、楽譜もよく見ずに弾いて、よく先生に怒られたものでした。娘は、その真逆でした。

 そして、決定的に絶望的な事実が判明したのです。

 主人はビックリするほど、音痴で、カラオケなどでも、聴くに耐えない酷いもので、(しかし、本人はそんなことは、いにも介さず、朗々と歌い上げるので周りは堪りません。)見事に娘もその残念な遺伝子を引き継いてしまっていたのです。

 しかも、何でもやりたがりの娘が、ピアノの練習は10分もすると、”おててが痛くなっちゃった〜” と始まるのです。どんなに走り回っても、足は全然、痛くならないし、疲れもしないのに、ピアノは10分もすると、おててが痛くなってしまうのです。

 しかも、彼女は音を音で覚えるのではなく、数で数えて覚えようとするという音楽へのアプローチ。これは、向いていない!と、バッサリ、ピアノは諦めました。

 私も自分の仕事もあり、無駄な時間もお金もありません。別にピアニストにするつもりで教えようとしていたわけではありませんが、あまりに才能のないものに無駄な努力を強いても、音楽が嫌いになるだけです。

 結局、ピアノの代わりのお稽古事は、バレエになりました。バレエもあまり、上手とは、言えませんでしたが、それでも基本的に身体を動かすのが好きで、本人は楽しくやっ
ていて、結局、10年くらいは続けたでしょうか?

 親がやらせたいからといって、明らかに才能のないお稽古事は、時間と労力とお金の無駄です。ある程度の期間で見極めをつけて、きっぱり諦めるのが賢明だと思います。

 そして、これは、お稽古事に限らないことなのかもしれません。子供があまりにも嫌がることを無理にやらせても、良い結果にはならないと思うのです。

 やたらとたくさんのお稽古事をさせている人もいますが、子供が好きで、得意なことを見つけて、ある程度、絞ってやらせてあげるのが、良いと思います。






2019年7月7日日曜日

おたくのお嬢さんが刺されそうになりました!?・・バカンス中のサマーキャンプでの話




 フランスの学校は、とにかく、お休みが多いです。

 夏は、2ヶ月強、11月には、トゥーサンといって、いわゆるハロウィンの期間に2週間、ノエル(クリスマス)に2週間、冬休みに2週間、そして、4月にイースターのお休み2週間、プラス、学校のある時でも、水、土、日は、お休みです。

 学校に入った当初は、あまりにも、お休みが多いので、数えてみたら、一年の三分の一はお休みになっていることがわかり、唖然としました。

 小さい時から、休みグセがこうやってついていくから、フランス人は働かなくなるんだ・・なんて、思ったりもしました。(これは、私の勝手な見解です。もちろん、すごーく働いているフランス人もいます。)

 とにかく、常に子供のおやすみとバカンスに追い立てられている気分で、それでも、せっかくの空いた時間は出来るだけ有効に使えるようにと頭を悩ませたものでした。

 特に、夏休みは長く、多くのフランス人の家庭は、2ヶ月のうち、3週間から4週間は家族で過ごし、あとは、Centre de loisir (サントロドロワジル)(休みの間に子供を預かってくれて、様々なアクティビティを体験させてくれます。)に預けるか、一ヶ月近くのコロニー(サマーキャンプのようなもの)に子供を行かせています。

 我が家も夏休みは仕事の都合で、お休みが取りづらかった私は、フランスの学校がお休みになってすぐに日本へ連れて行って、日本の小学校に通わせるか、もっぱら、娘をコロニーに行かせていました。

 夏休みのバカンスの予約は、3月頃に始まります。(バカンスの用意だけは、早いフランスです。)コロニーは色々なところが主催しているものがありますが、主人が公務員だった関係で、財務省主催のコロニーに援助があることもあり、毎年、参加させてもらっていました。公務員天国と言われるフランスの美味しい部分を享受させて頂いた次第です。

 娘はスポーツがとても好きなので、夏、冬、春のコロニーで、随分とたくさんのスポーツを体験させてもらいました。ダイビング、サーフィン、カヌー、カニオニング(紐なしバンジージャンプのようなもの)、スキー、乗馬などなど。親にはとても付き合いきれないようなスポーツもたくさんありました。このコロニーのおかげで、娘は、本当に沢山の場所を旅をしてきました。

 また、フランスの全土にいる財務省関係者の子供たちが集まってくるため、日頃は狭い世界で暮らして、限られた友達としか付き合いがない娘も色々な人がいることを学んだようです。

 そんな中、中学に入ったばかりくらいの頃だったでしょうか? ある夏のコロニーに出かけている最中に、私の仕事場に直でコロニーのディレクトリス(責任者)から、電話が入りました。”あの、落ち着いて聞いてください。大丈夫なんですが・・本当に、大丈夫なんですが・・ある女の子におたくのお嬢さんが刺されそうになりまして・・” という一報に、私は、耳を疑いました。

 どうやら、同室、4人部屋の女の子の中で、夜、部屋の電気をつけて寝るか、消して寝るかで、口論となり、その中の一人が持っていた小さいナイフを取り出して、襲いかかろうとしたとか・・。責任者の女性は、この件が、娘や他から私の耳に入る前に、先手を打って、いち早く私に連絡を入れてきたと思われるのですが、この話を聞いて、慌てて、財務省にいる知り合いの人に頼んで、手を打ってもらいました。

 だいたい、子供がナイフを持って、旅行に来ていること自体も異常だし、それを取り出して、人に襲いかかるというのも、ちょっと普通では考えられないことです。

 幸い、大事には至らず、その後も無事に旅行は続き、案外、娘の方は、ケロっとして、”ちょっと、いじけてる子がいただけだよ・・。”と言っていましたが、”感情のコントロールができない人もいるのだから、そういう人は、刺激しないようにしないと・・" と諭したのでした。

 日頃は、私立のかなり、厳しい学校で育った子供たちだけの中にいる娘も、社会に出れば、色々な人と付き合わなければなりません。そんな経験も良い教訓となったのではないかと思うことにしました。

 しかし、まあ、子育てって、本当にいろんなことが起こるものです。 













 
 

2019年7月6日土曜日

日仏カップルの離婚と親権問題について




 離婚は結婚の何倍も大変です。
 ましてや、子供がいて、しかも、国際結婚の場合は、なおさらのことです。

 最近も、日仏カップルの離婚で、離婚した日本人の母親が子供を日本に連れ去り、父親に会わせないという事例がフランスで騒がれ、カメラを連れたフランス人の父親が日本の子供に会いに行く様子が報道され、物議を醸しており、ついには、マクロン大統領まで、元夫側を支持する声明を発表する大騒動となっています。

フランスで放映された「日本・誘拐された子供たち」
https://www.youtube.com/watch?v=MJVKHztFQUc&t=4s

 このドキュメント番組の放送では、一方的に男性側だけの主張を報道しており、母親側の言い分は一切、入っていないので、この番組の情報のみでは、実際の離婚の事情や、なぜ、子供を父親から遠ざけるのかは、わかりません。

 日本では、離婚の際、単独親権(片方の親が親権を持つ)が採用されていますが、フランスなど多くの国は、離婚後も共同親権(両親が共に親権を持つ)が一般的です。

 共同親権を認めているフランスでは、片方の親が一方的に子供を連れだし、もう片方の親が子供に会えない状態は誘拐と考えます。そして、子供が親に会う権利が優先されていて、子供は双方の親が責任を持つとの考え方から、離婚した後であっても子供は両親のもとを互いに行き来することができます。

 双方の国の異なる法律の間に入り、問題を解決するために定められたハーグ条約というものがあります。これは、国境を越えた子供の不法な連れ去りや留置を巡る紛争に対応する国際的な枠組みとして、親子の面会交流の実現のための締約国間の協力等に定めた条約です。
 フランスは元より、日本もこれに同意しています。

 しかし、問題は、法律以前のことで、この父親が常軌を逸して、強引に子供に会いに行って、泣いたり、騒いだりして、子供を怖がらせていることです。自分が子供に会いたいという自分の感情が、先に立ち、そのような振る舞いに子供が何を感じるかを全く考えていないことです。そして、それをただ、拒絶しているこの母親にも私は、納得がいきません。

 国際結婚をして、不幸にも離婚という結果になったけれども、同時に、二人は子供の親であり、もし、父親がDVなどの問題のある人物だったとしても、(いや、そうだったら、なおさらのこと)父親をあんなに興奮させずに、なんとか、弁護士をたててでも、話し合いをし、何らかの解決策を講ずる手立てはあるはずです。

 この夫婦は、周りの多くの人を巻き込んで、迷惑をかけていますが、一番、傷ついているのは、子供であることには、間違いありません。二人で子供を持った以上、子供にとって、何が良いのかを、たとえ、面と向かってではなくても、きちんと話し合って、解決する責任があると思うのです。自分たちではなく、子供のためのことを考える責任です。

 一番、深く傷ついているのは、子供です。





2019年7月5日金曜日

夏にバカンスで閉めるフランスのプールとラーメンを出さないラーメン屋





 私がパリに来たばかりの頃は、ラーメン屋と言えば、パリにも数件しかなく、いわゆる日本人街と言われた、パリ、オペラ界隈にある、Rue Ste.Anne (サンタンヌ通り)を中心に(それは、現在でも変わりませんが)、ひぐま、サッポロラーメン、北海道などのラーメン屋さんがあったくらいでした。

 ところが、昨今の日本食ブームに乗って、日本のラーメン屋さんは、現在では、倍以上に膨れ上がり、今やパリには、一体、どんだけあるの? っていうくらい、ラーメン屋さんがあるのです。

 しかも、こと、サンタンヌ通りに関して言えば、お昼や夕食時には、大行列の大人気。値段は、日本のラーメンに比べれば、数段高く、日本円に換算すると、まず千円以内で食べれるラーメンはないでしょう。それでも、パリでの他の外食と比べたら、安いということでも人気があることもあるのでしょうが、まあ、とにかく日本ブーム、日本食ブームに火がついている状態と言って良いでしょう。

 しかし、今年のパリは、猛暑で、ラーメン屋ながら、暑くてラーメンを出さないラーメン屋が登場しました。(他の丼物などのみの営業となっていました。)これには、びっくりでした。う〜ん!さすがだ!フランス!

 けれど、これに似たようなことが、他にもあるのです。

 それは、うちの近くの市営プールです。なんと、夏にバカンスで閉めてしまうのです。
 夏に閉めてしまうプールって考えられますか? これにも、さすが、フランス! プールの職員もきっちりバカンスを取るんだ!と呆れたものでした。

 バカンスとなると、さすが、フランス人、徹底しています。
 きっちり、夏のバカンスは取るんです。たとえ、それがプールであっても・・。
(もちろん、パリのプールが全部、閉まるわけではありませんが。)

 このプール、現在は、夏の間どころか、改装のため2年くらい前からクローズされていて、最近、やっと、工事が開始された模様です。(工事が開始されるまでに2年かかるのです。)完成予定は、2021年となっていますが、さて、どうなることやら・・。
 
 期日どおりに工事が終わるというのも俄かに信じ難いのがパリの実情。パリに住んでいらっしゃる方なら、わかっていただけるのではないかな?と思います。

 そして、夏休みの間、学生である娘は、家庭教師のアルバイトをしたいところなのですが・・これまた、アルバイトの口はありません。なぜなら、フランス人は夏休みの間は、勉強しないからです。これにもビックリです。

 日本であれば、受験生にとったら、夏休み、冬休みなどは、それぞれ夏期講習などがあったりして、集中して勉強する期間です。しかし、フランスの学生は、夏休みは勉強しないのです。これだけ徹底して、バカンスを満喫するフランス人。

 改めて、そのバカンスにかける情熱の徹底ぶりには、感心させられるばかりです。

 



















2019年7月4日木曜日

ハーフだって楽じゃない・・・ハーフの子



 最近、着物屋さんの広告で、「ハーフの子を産みたい方に・・」というコピーが炎上していましたが、そもそも、「ハーフ」というのは、どういう位置付けをされているのだろうかと考えてしまいました。うちにも、一人、ハーフがいますので・・。

 このコピーの是非をどうこう言うつもりはありませんが、まあ、私、個人的には、大騒ぎしすぎじゃない??と思います。

 しかし、このような広告を打つからには、もともと、広告主は、ハーフの子をプラスに考えてのことだったと思うのですが、ハーフだって、いいことばかりじゃありません。

 だいたい、必ずしも、美男美女というわけでもありませんし、バイリンガルになるのだって、簡単なことではありません。まあ、実際には、生活する国、場所の方に大きく偏るのが普通だと思うのですが・・。

 そして、両親のバラバラの文化の不均衡を埋めながら、育ちます。

 私は、フランスに住んでいるので、日仏ハーフの子供(フランスでは、なぜか franco-japonais フランコ・ジャポネと言います。)
(なぜ、双方の呼び方が自国を先に持ってきた言い方なのかは、不明です。)の話になってしまいますが、実際にフランスに住んでいる日仏ハーフの場合、多分、日本語を捨てて、フランス語で生活している子の方が多いでしょう。

 多少の日本語ができる場合は、まあまあ、あるでしょうが、読み書きとまでいくと、かなり、割合はグンと下がると思います。実際、娘も小学生の頃は、公文に通わせていて、小さい時は、かなりの人数の子供が来ていましたが、学年が上がるにつれて、みるみる減っていきました。

 やはり、学年が上がるにつれて、本業!?の学校の勉強が大変になっていくので、そちらが優先ということになるのでしょう。

 娘は、一時、別の理由で、日本語の勉強は、中断したこともありましたが、また、バカロレアのオプションの科目を日本語で取ることにしてから、しばらく、別の日本語の学校にかなり集中して通いました。

 また、バイリンガルになったとしても、母国語というものは、そのどちらか一つに重心をおいた形が理想だといいます。
 言葉というのは、単なるツールだけではなく、その背景には、その国の文化や習慣を纏ったものだからです。
 ですから、どちらかが、しっかりしていないと、その子のアイデンティティーがぐらついてしまいます。

 実際に、小さい頃の娘がよく言っていました。それは、日本に行っても、外人、フランスにいても外人と言われることです。”日本でも外人、フランスでも外人”って、一体、私は、なに人なの?と娘はよく、ボヤいていました。

 つまり、日本人は、”ハーフ” と呼びながらも、実際には、ハーフは、外人扱いなのです。それでも、フランスでは、元々が、純粋なフランス人の方が少ないくらいの多民族国家なので、外人扱いは、日本ほどではなかったようですが・・。

 そんな、娘のボヤキに対して、私は、”両方だよ。あなたは、あなたなんだから、なに人かということは、そんなに気にしなくてもいいんじゃない!?と言葉を濁していました。

 普通は、小さい頃は、自分がなに人かなんて、あまり考えません。いや、小さい子供ではなくとも、日本にだけ住んでいれば、あまり、自分が日本人であることを意識せずに暮らしています。
 しかし、そう考えていくことは、決して悪いことではないと思うのです。それぞれの国を彼女なりの視点で見つめて育つわけですから、それぞれの国の良いところ、悪いところを案外、冷静に見ています。

 ”フランスは、これだからダメなんだ!・・” とか、" 日本はスゴい国だけど、相当、歪んでいるところもあるね・・" とか、両方の国を俯瞰して見ているようなところがあります。

 もう、大きくなって、そうやって、偉そうに話している娘を見ると、こちらの方が、あなたは、なに人なの?と言いたくなるくらいです。

ハーフ 

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2019年7月3日水曜日

学校選びは人生の岐路 娘の通ったフランスの学校はなかなか厳しい学校だった




 娘が通っていたのは、私たちの住んでいる地域にあるカトリック系の学校で、私立の幼稚園から高校までの一貫教育の学校でした。娘は、小学校から高校まで、その学校にお世話になりました。私立といっても日本のように入学金などなく、ことのほかお金がすごくかかるということもありませんでした。

 以前にも書きましたが、たまたま私の職場の近くにあった学校の、あまりのレベルの低さ、生徒の態度の悪さに、学校選びは、ちゃんとしないと大変なことになるという危機感を持ち、地域の私立の学校を当たってみたのです。

 最初に学校に様子を見に行った時に、もう、生徒の顔つきが全然、違うので、一目で、この学校なら、大丈夫だと思いました。顔つき、って、凄いですね。良きにつけ悪しきにつけ、子供でも、生き様は如実に顔に表れています。

 さて、実際に学校に入ってみると、かなり、厳しい学校でした。

 小学校の面接の際に、ディレクトリス(校長先生)にあっけらかんとして、”ボンジュール!”と無邪気に挨拶した娘に、キリッとまっすぐ娘の目を見て、「”ボンジュール、マダム” と言うのですよ。」と毅然として、おっしゃった校長先生の姿勢が教育にも見事に反映されていました。

 小学生の時から、先生に反抗するようなことがあると、Baisse les yeux ! (目を伏せなさい)と怒られます。これを聞いて、軍隊みたいだ・・と思ったものです。・・が、しかし、このフランスの状況で、一定の年代には、ある程度、先生が毅然として、絶対的に強い姿勢でいることは、必要なのかもしれないとも思うのでした。(実際に強いといっても手をあげたりするわけではありませんから。)
 
 授業の進み方も他校と比べると随分、早かったようですし、日常生活の態度などについても、かなり厳しい学校でした。(娘の学校しか知らなかった私は、これがフランスの学校なのだと思っていたのですが、かなり例外的だったようです。)

 また、中学校からは、成績にも、Vie Scolaire という評価 (生活態度に対する点数)があり、満点だと20点ですが、生活態度が悪かったり、遅刻やおしゃべり、忘れ物などが多かったりすると、20点からどんどん、マイナスされていき、それは、成績の総合点に反映されます。

 しかし、この点数によって、落第したり、退学になったりということは、ないものの、態度が悪い生徒は、結果としては、成績も下がり、そのような道を歩むことになる子供もいたこともあるそうですが、結局、学校全体が真面目に取り組むような空気になっていたようです。

 小学校から中学校に上がっていき、そして中学校から高校に上がるにしたがって、知らない間に、いなくなっている生徒さんも、ああ、そういえば、あの子もいなくなってる・・という感じで、ポツポツと思い当たりました。多くは、授業についていけなくなって、転校を進められて、転校して行ったようでした。

 そして、中学から高校へと上がるにつれて、ますます、進学校の色が濃くなっていきました。
 
 バカロレアのための3時間テスト、4時間テスト(バカロレア=高校卒業資格試験のようなもので、約1週間近く、一科目につき、3時間から4時間のテストが続きます。)のための練習のテストの時間が毎週、設けられ、テストの度に、自分の点数と平均点がネットを通じて、発表され、休み時間になると、皆、携帯で点数をチェックして、点数が、0.1上がったとか、下がったとか、戦々恐々としていたそうです。
 フランスでも、そんなこと、やってるんだーと思っていましたが、娘などは、その学校側の煽りに見事に乗せられて、一喜一憂していました。

 また、クラスの成績の順位などにも、親の方もかなり敏感で、順位は公表されてはいないものの、PTAのクラスの代表の人には、知らされているため、自然と(?)漏れ聞こえてくるようで、”おたくは今回も順位がよくて、良かったわね・・”などと、他のお母さんから娘の成績の順位を聞いたりすることもあり、”なんだかなあ〜” と微妙な気持ちになったものです。

 私自身は、人と比べることは嫌いだし、子供のためにも良くないと思っているので、全く煽られることはありませんでしたが、けっこう、親の方も他人の子供の成績に、躍起になっているんだなあ〜と、敢えて、ますます、煽られまいと思ったくらいです。

 また、年に一度、新年度の始まりに行われる、クラス毎の父兄への説明懇談会のような場での、周りの親の熱心さにも、ビックリしたものです。

 自分の子供の苦手科目について、効果的、かつ合理的に勉強させられるサイトのようなものは、ないでしょうか?とか、体力的に長時間のテストに緊張感が続かないのですが、どう対策をしたら良いでしょうか?とか、凄く、前のめりで、中には、両親揃って来ている家庭もあって、親がこんなに一生懸命なんだ!とビックリした覚えがあります。

 逆に、高校生にもなって、親にこんなに必死になられたら、子供の方もプレッシャーだろうし、逆に萎えてしまいそうな気さえしてしまう、と、私は、なんとなく、斜にかまえているようなところがありました。

 また、先生の中でも、本当に教師という仕事をこれだけ、真剣に、かつ、計画的に、モチベーションを持ってやっておられるのは、素晴らしいなあと思える先生のお話を聞いて、何度か関心、いや感動した覚えがあります。やはり、良い先生との出会いも、子供の人生に大きなものをもたらしてくれます。

 私には、フランスの学校に関する知識はなかったので、これまで、フランスの学校というのは、こういうものだと思っていたのです。フランスの教育は、素晴らしいなあ・・と。しかし、現実の社会を見ると、その結果が・・これ!? どうして?と長い間、疑問だったのです。

 でも、娘の行っていた学校はあまり一般的な学校ではなかったようです。

 学校の教育への姿勢も、それに集まる親の教育に対する姿勢も全然、違います。

「朱に交われば赤くなる」とか、「水は低い方に流れる」とか言いますが、子供の学校環境の違いは、本当に大きいのです。これが、フランスの社会の格差なのだ。と今になって納得がいく思いです。

 家から比較的近い私立の学校はその学校だけで、それほど熟考して決めた学校ではありませんでしたが、結果的にとても良い学校で、娘がもし、他の学校に行っていたら、娘の人生はまるっきり違ったものになっていたことでしょう。

 学校の選択は、人生の岐路と言っても、過言ではありません。


フランスでの学校選び





2019年7月2日火曜日

フランスでの児童保護、親権などに関する怖い話



 フランスでは、離婚率が高く、その分、間に入った子供たちが両親の間を行ったり、来たりしているケースがとても多いです。ただ、日本と違って、親権がどちらかだけと決められてしまうとは、限らないので、どちらかに偏るケースは少ないかもしれません。

 しかしながら、問題がない訳ではありません。やはり、メインにどちらと暮らすかで揉めることは少なくなく、そのため、学校の送り迎え等の機を使って、夫婦間で、子供の連れ去りのケースなどもあるため、学校側もお迎えの際には、誰が迎えに来た場合に子供を渡すのかを明確に届けることを義務付けています。

 また、児童保護に関しても、度々、通報などの措置が取られ、実際に必要な場合があるから、そのような措置が取られているのですが、単なる、嫌がらせで通報したりする場合(うちの場合も何に対する嫉妬をされて、そんな嫌がらせを受けたのかわかりませんが、両親が揃って、普通に育てているのに、あの家は、子供を学校に通わせていないなどの通報をされて、呼び出しを受けたことがありました。そんな嘘の通報をしても、学校に問い合わせれば、娘が学校に毎日、ちゃんと通っているのは、明白なのに、嫌なことをする人がいるものです。)もあるのです。

 また、実際に児童保護をする必要のある家庭から、子供を救うという目的でチェックしている機関があり、本来、保護が必要な場合が大半ではあるのでしょうが、片親であったり、外人だったりして、少しでも弱みがあり、一度、目をつけられると、子供を育てる資格がないと判断されて、無理矢理、子供を取り上げられてしまうというケースもあるのです。

 私の知人の日本人の男性は、奥様が病気で、子供を抱えて、子育てに奮闘しておられました。それでも、彼は、しっかり仕事をしながらも、子供にたっぷりの愛情を注いで、むしろ、工夫しながら、楽しんで子育てをしていたのです。

 しかし、ある日、その機関に目をつけられ、子供を取り上げられそうになったと言います。児童保護案件に強いと評判の弁護士さんに相談しながら、方策を考え、実態を調べてもらったそうです。

 すると、その保護機関では、子供の保護をするたびに、一人につき、2000€の報奨金が出るとかで、中には、その報奨金目当てに躍起になって、やたらと難癖をつけては、子供を取り上げる悪徳な人がいるそうなのです。

 そして、彼は、弁護士とも相談の上、結果、フランスの治外法権となる日本へ子供を連れて、日本へ帰る決断をし、今では、奥様と子供とともに、日本で、家族で暮らしています。

 何という怖い話だと、私も娘が成人するまでは、その弁護士さんの電話番号を握りしめて、何かあったら、この人に相談しよう、出来るだけ、突っ込まれることのないように、目立たないように・・とビクビクしていました。別にやましいことは、何もないのですが、いざ、難癖をつけられたら・・勝てるかわからない・・と思っていたので。

 実際には、そんなケースは稀なのでしょうし、多くの子供が虐待や、育児放棄や、両親の離婚紛争などから救われているのでしょうが、善人の顔をした悪魔もいることを忘れてはいけないと、思うのであります。

2019年7月1日月曜日

フランスでの子供の歯科矯正





 娘は、歯と髪の毛が生えるのがとても遅くて、髪の毛は、2歳になっても、肩にかかるくらいまでしかのびずに、歯も2歳になるまで一本も生えてきませんでした。

 パパは歯が生えてこないことを心配していましたが、娘は、歯が無くても、逞しく、何でも食べていましたし、私としては、何なら、虫歯にならなくていいな〜、なんてお気軽に考えていました。

 心配しなくても、歯は2歳になったとたんに、ドバーっと、あっという間に、ほぼ一度に全部の歯が出てきました。歯が生え揃って、まもなくして、パパがかかりつけのお医者さんに頼んで、処方箋を書いてもらって、虫歯になりにくくなる薬を飲ませていました。そのおかげかどうかは、わかりませんが、娘はこれまで一度も虫歯になったことがありません。

 そんなわけで、歯が生え変わる時期も、人よりも遅く、周りのお友達がみんな大人の歯に生え変わって歯科矯正を始めても、まだまだ、乳歯のままでした。

 フランスでは、歯科矯正が当たり前で、歯並びが悪いことをとても嫌います。そして、費用もそれなりにかかりますが、かなりの部分を保険がカバーしてくれます。ですから、フランスの子供たちは、かなりの割合で、小学校低学年くらいの年齢になって、乳歯が生え変わると、歯科矯正用の矯正器具をつけ始めます。

 おかしなもので、娘は、周りの子供達が歯科矯正をするのをとても羨ましく思っていたようです。

 そして、周りの子供たちから、2年ほど遅れて、彼女の歯科矯正は始まりました。
フランスは、医者も全て、分業制で、まず、歯科矯正専門の歯医者にいき、また、歯科矯正専門のレントゲンの医者のところに行き、そのレントゲンを持って、再度、歯科矯正の歯医者に戻って、治療が始まります。

 個人差はあると思いますが、結構、締め付けて、矯正していくので、慣れるまでは、かなり、痛みを伴うため、また、処方箋を書いてもらって、痛み止め等を薬局に買いに行きます。

 何なら、普段の医者も同じです。かかりつけのお医者さんに行って、処方箋を書いてもらって、検査に行き、また、医者のところに戻って、治療を受け、処方箋をもらって薬局に行って、薬を買います。とにかく、何でも時間がかかります。

 話は、それましたが、歯科矯正は、結局、3年くらいかかったでしょうか? 途中、緩んだ器具を調整してもらったり、2ヶ月おきくらい通ったでしょうか?

 これまた、子供の成長期には、フランスでは、必ず通る道のひとつであります。