2019年7月4日木曜日

ハーフだって楽じゃない・・・ハーフの子



 最近、着物屋さんの広告で、「ハーフの子を産みたい方に・・」というコピーが炎上していましたが、そもそも、「ハーフ」というのは、どういう位置付けをされているのだろうかと考えてしまいました。うちにも、一人、ハーフがいますので・・。

 このコピーの是非をどうこう言うつもりはありませんが、まあ、私、個人的には、大騒ぎしすぎじゃない??と思います。

 しかし、このような広告を打つからには、もともと、広告主は、ハーフの子をプラスに考えてのことだったと思うのですが、ハーフだって、いいことばかりじゃありません。

 だいたい、必ずしも、美男美女というわけでもありませんし、バイリンガルになるのだって、簡単なことではありません。まあ、実際には、生活する国、場所の方に大きく偏るのが普通だと思うのですが・・。

 そして、両親のバラバラの文化の不均衡を埋めながら、育ちます。

 私は、フランスに住んでいるので、日仏ハーフの子供(フランスでは、なぜか franco-japonais フランコ・ジャポネと言います。)
(なぜ、双方の呼び方が自国を先に持ってきた言い方なのかは、不明です。)の話になってしまいますが、実際にフランスに住んでいる日仏ハーフの場合、多分、日本語を捨てて、フランス語で生活している子の方が多いでしょう。

 多少の日本語ができる場合は、まあまあ、あるでしょうが、読み書きとまでいくと、かなり、割合はグンと下がると思います。実際、娘も小学生の頃は、公文に通わせていて、小さい時は、かなりの人数の子供が来ていましたが、学年が上がるにつれて、みるみる減っていきました。

 やはり、学年が上がるにつれて、本業!?の学校の勉強が大変になっていくので、そちらが優先ということになるのでしょう。

 娘は、一時、別の理由で、日本語の勉強は、中断したこともありましたが、また、バカロレアのオプションの科目を日本語で取ることにしてから、しばらく、別の日本語の学校にかなり集中して通いました。

 また、バイリンガルになったとしても、母国語というものは、そのどちらか一つに重心をおいた形が理想だといいます。
 言葉というのは、単なるツールだけではなく、その背景には、その国の文化や習慣を纏ったものだからです。
 ですから、どちらかが、しっかりしていないと、その子のアイデンティティーがぐらついてしまいます。

 実際に、小さい頃の娘がよく言っていました。それは、日本に行っても、外人、フランスにいても外人と言われることです。”日本でも外人、フランスでも外人”って、一体、私は、なに人なの?と娘はよく、ボヤいていました。

 つまり、日本人は、”ハーフ” と呼びながらも、実際には、ハーフは、外人扱いなのです。それでも、フランスでは、元々が、純粋なフランス人の方が少ないくらいの多民族国家なので、外人扱いは、日本ほどではなかったようですが・・。

 そんな、娘のボヤキに対して、私は、”両方だよ。あなたは、あなたなんだから、なに人かということは、そんなに気にしなくてもいいんじゃない!?と言葉を濁していました。

 普通は、小さい頃は、自分がなに人かなんて、あまり考えません。いや、小さい子供ではなくとも、日本にだけ住んでいれば、あまり、自分が日本人であることを意識せずに暮らしています。
 しかし、そう考えていくことは、決して悪いことではないと思うのです。それぞれの国を彼女なりの視点で見つめて育つわけですから、それぞれの国の良いところ、悪いところを案外、冷静に見ています。

 ”フランスは、これだからダメなんだ!・・” とか、" 日本はスゴい国だけど、相当、歪んでいるところもあるね・・" とか、両方の国を俯瞰して見ているようなところがあります。

 もう、大きくなって、そうやって、偉そうに話している娘を見ると、こちらの方が、あなたは、なに人なの?と言いたくなるくらいです。

ハーフ 

<関連記事>