子供に自分で考えることを学ばせるためにすること。
私は、娘に、” 勉強しなさい!" と言ったことは、ありません。
日本語に関しては、熱心に教えたつもりですが、これでさえ、" 日本語の勉強をしなさい!” とは、言いませんでした。ただ、” 日本語のできない子は、日本に連れて行きません。” とだけ、言いました。
学校の勉強に関しては、まあ、学校を追い出されない範囲であれば、別にいいよ!と言ってきました。だから、学校の成績に関しても、あまり、気にしていませんでした。
ましてや、他の子と比べるなどは、もってのほかです。
私は、他人の子供の成績に興味はありませんし、その興味のない子供の成績と比べてどうこういう趣味もありませんでした。しかし、フランスでも、結構、他人の子供の成績が気になる親が結構いるもので、娘の学校の成績の順位を他のお母さんから聞くこともしばしばでしたが、個人主義に見えるフランスで、結構、意外な気もしました。
だいたい、私は、子供を他の子と比べるということは、一番いけないことだと思っています。その子は、その子なりに良いところもあり、悪いところもあり、子供は、それぞれに違う個性を持っているのです。
それを通り一遍の基準で、比べるなどもってのほか、ある一面だけで、いちいち、人と比べても、それは、不必要に子供を混乱させるだけで、何の意味もありません。
勉強さえできれば、将来、安泰なわけでも、幸せになれるわけでもありません。
勉強が好きで、得意な子はその能力を伸ばせばいいし、それ以外のことが好きで得意な子は、そちらの方を大事に育てたほうが良いと思うのです。
もともと、別の個性を持った子供を比べるのは、意味がありません。
それよりも大切なことは、自分自身で、大切なものを見極め、自分自身でものごとを考えることができるようになることです。
生きていれば、その場面、場面で、色々な人に出会います。
そして、世間の人は、色々なことを言うこともあるでしょう。
自分の考えをしっかり持って、それを貫く強さと信念を持って、進んでいければ、きっと子供はしっかりと自分の道を歩んでいけます。
結果的にうまくいけば、世間なんて、調子のいいもので、まるで、過去に非難めいたことを言っていた人たちも、まるで、そんなことを忘れたかのように、同調していきます。
一時の世間の風当たりなど、自分自身の信念がしっかりしていれば、何と言うことはありません。世間の目は、それくらい、いい加減なものなのです。
そして、当たり前のことを当たり前と思わないことを気付かせること。
そして、それに感謝ができる気持ちを持てるようになること。
当たり前のことなど、一つもないのです。
当たり前のことを当たり前と思っていては、感謝の気持ちは生まれないし、幸せを感じることはできません。
能動的に自分自身で考えるようになること。
それには、勉強しなさいとか、〇〇をしなさい、とできるだけ言わないことです。
自ずと子供は、自分で考えるようになります。
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