2019年12月31日火曜日

フランスの年末年始にかけての食事




 フランスで、一番、季節感が味わえるのは、やはり、クリスマスから年末年始にかけての食事だと思います。

 明らかにクリスマスが一年の一大イベントと見なされている様子がその食料の豪華さや、豊富さ、圧倒的な量からもわかります。

 12月に入ると、スーパーマーケットやデパートの食料品売り場などは、莫大な量のフォアグラや、鴨肉、シャポン(普通の鶏よりもひとまわりもふたまわりも大きな去勢鶏)、キャビア、トリュフ、生ガキ、生ハム、スモークサーモン、テリーヌ、タラマ、いくら、オマールなどのエビやカニ、貝類が盛り合わせてあるシーフードのプレート、たくさんのチーズがのったプレート、シャンパン、ワイン、山積みにされたチョコレート、ブッシュ・ド・ノエルと呼ばれる丸太の形をしたケーキ、などなど、高級な食材で溢れかえります。

 日頃は、スープにハムにチーズとパン・・などという、かなり質素な食生活を送っている家庭が多いフランス人も、クリスマスや、年末年始には、ここぞとばかりに贅沢な食事を楽しみます。

 クリスマスイブとクリスマス当日、大晦日、元旦と続く、パーティーメニューに何を作るか? 何を食べるか?のテーマは、毎年のことながら、皆が楽しみながら、思考を凝らします。

 日本だと、クリスマスには、チキンという印象があるかもしれませんが、フランスでは、クリスマスの時期にしか、あまりお目にかかれないシャポン(大きな去勢鶏)が登場します。

 赤ワインの煮込みなどもありますが、多くは、栗やレバーなどをコニャックで風味付けしたものをお腹に詰め込んで、丸焼きにします。

 チキンよりも見た目にも立派で大きく、食べ出もあり、テーブルを華やかに飾るので、カッコつけたがりのフランス人には、好まれます。

 クリスマスは、家族で過ごし、大晦日から元旦にかけては、友人と過ごす人が多いのですが、どちらにしても、ただでさえ、食事に時間をかけるフランス人、ほぼ、数日、食べ続ける生活が続き、ほとんど、フォアグラのために飼育されている鴨のような状態になります。

 しかし、このフォアグラ状態は、まだまだ続きます。

 元旦もようやく終わり、クリスマスのバカンスも終わって、ヤレヤレという頃にまた、ガレット・デ・ロワという、アーモンドペーストを包んだパイ菓子を食べるという公現説(1月6日)の行事が控えています。

 ガレット・デ・ロワは、中にフェーブと呼ばれる陶製の小さな人形が一つ入っており、家族で切り分けて食べ、フェーブが当たった人は、ガレット・デ・ロワを買うと、必ず付いてくる王冠をかぶり、祝福を受けて、一年間、幸運が継続すると言われています。

 この時期になると、しばらくの間、家庭だけでなく、会社や友人などの間でも誰かしらが、ガレット・デ・ロワをシャンパンやシードルなどとともに買ってきては、王様ゲームのようにして食べるということが続きます。

 これで、一区切りではあり、ようやく落ち着きますが、2月2日には、ラ・シャンドゥルール(キリスト教の行事)でクレープを食べる日もあります。

 とにかく、年末年始にかけてのこの食事に、私たち、日本人は、海外在住といえども、大晦日の年越しそばや元旦のおせち料理やお雑煮をなんとか、挟み込みます。

 おせち料理などは、揃えるのも難しいのですが、そこは、なんとか出来るものだけでもとお重箱に詰めたりもしてみます。

 私は、今年は、誘惑に負けて、フライングで、年もあけていないのに、ガレット・デ・ロワを食べてしまいました。

 こうして、毎年毎年、年明けには、深く深く、ダイエットを決意するのであります。

 

2019年12月30日月曜日

理解できないストライキの続行



今年の12月に始まった年金改革に反対するストライキは、一向に解決の兆しが見えません。ストライキが始まって以来、もうそろそろ、一ヶ月が経とうとしています。

 今日も、買い物に行こうとして、トラムウェイ(パリ市内を走る路面電車)に乗ろうとしたら、通りを黙々と歩く人々がやたらといて、嫌な予感・・・やっぱり、電車は、来ないのです。

 なんとか、歩くことはできても、買い物をして、帰り、荷物を持って、延々と歩く元気はなく、敢え無く、断念しました。

 もはや、数々の記録更新を目指していると言わんばかりの長期戦で、これだけ大規模なストライキが続くのは、30年ぶりとのことで、パリ市内、パリ近郊の交通機関、メトロなどは、自動運転の2線を除いては、何本かに一本の間引き運転のみという状態がずっと続いています。

 公共交通機関が使えないことから、車は大渋滞で、パリ市内と郊外を結ぶ環状線は、600キロの大渋滞を記録し、ひたすら困って、足を求める人が押し寄せ、Uber(ウーバー)などの価格も急上昇し、ストライキとは、関係ありませんが、今年の夏の42℃という異常な暑さの新記録更新とともに、2019年は、フランスでは、暮らし辛い記録が次々と更新された一年となりました。

 昨年の11月から続いていた黄色いベスト運動がようやく下火になってきたところに、再び開始された感のある今回の年金改革のデモやストライキ。

 フランスの年金制度の赤字は、明らかで、今後も赤字は膨らみ続けるのは、明白なのにも関わらず、時代とともに改革していかなければならないのは、必須なのに、既得の優遇された権利にしがみつき、反抗を続けるのには、全く納得がいきません。

 だいたい、ストライキというもの自体、気に入らないから働かない・・という、まるで、駄々っ子のような振る舞いが、私には、理解できません。

 この間に、働きたくても働けない人がどれだけいることか、クリスマス、年末年始のシーズンの観光客が、どれだけ足止めを食っていることか? 今後の観光客がどれだけ二の足を踏むようになるか? 経済的な損失は、計り知れません。

 この間に、払い戻されたチケットは? 働きたくても働けずに利益をあげられなかった会社や、観光収入等のこの損失は、誰が払うのでしょうか?

 毎年毎年、いや、日常茶飯事のように行われているフランスのデモやストライキで、都市機能が麻痺し、経済が停滞していることは、必須です。

 逆にこんな状態が毎年毎年続いて、フランスが先進国の地位を保っているのが不思議なくらいです。逆に、こんなことが毎年毎年、日常のように、続いても経済が回っているフランスという国の持久力というのは、相当なものなのかもしれません。

 しかし、一般庶民の私としては、多くは望みませんので、普通の生活を普通に送れるような生活が1日も早く、戻ってくれることを祈りながら、新しい年を迎えることになりそうです。

 







2019年12月29日日曜日

絶対に入院したくないフランスの病院




 以前に、フランスの病院の救急外来でひどい目に遭った話を書きましたが、ひどいのは、救急外来だけではありません。

 私自身は、フランスの病院に入院をしたことはありませんが、家族や友人で、入院をした際のトラブルは、色々と耳にします。

 ひどい話だから、広がりやすく、話題にも登るのかもしれませんが、それにしても、日本では、聞いたことがなかった話なので、やはり、トラブルは多いのかと思ってしまいます。

 いくつか聞くのは、手術のミスです。
 実際に、私の主人も、私と出会うより、ずっと前に遭った大きな交通事故の手術の際の輸血の際に肝炎にかかり、その上、体内にガーゼを置き忘れたまま、閉じられてしまうという目に合い、事故のために、脾臓を切除された上に、肝炎にかかって、肝臓にも負担がかかり、その後、長いこと苦しむハメになってしまいました。

 また、私の友人もガンで数度にわたる入院をし、一度は、完治したように思われ、約一年後に仕事にも復帰していたのですが、ちょうど5年目ほどに再発してしまいました。

 定期的に検査を行い、5年間は、異常は認められなかったのですが、ちょうど5年目に入った頃の検査で、病院からは、一応、完治という診断を受けたのですが、血液検査の中のある数値の変化に彼女は疑問を感じ、再検査を彼女の方から依頼したところ、再発していることがわかりました。

 彼女自身が検査結果を注意深く見ていなければ、再発は、見過ごされていたわけです。

 それから、放射線療法や、化学療法、数回にわたる手術など、長期間にわたる彼女の闘病は、壮絶なものでした。そのうちの一回は、うまく縫合されておらず、長時間にわたる手術のやり直しなどもありました。

 ガンの疼痛も激しく、度々、医者や看護師が呼びつけられるのを避けるためなのか、モルヒネが点滴で常に繋がれているようになり、痛みを感じれば、自分の判断で、モルヒネは、好きなだけ、自分で投与できるようになっていました。

 痛みに耐えられなくなり、モルヒネを投与していくうちに、彼女は、幻覚を見るようになり、痛みよりも、自分自身を失っていくことが耐えられなくなり、モルヒネの投与は、断るようになりました。

 自分自身もこの治療をしたら、身体がどのような状態になるという説明が詳しくされておらず、治療に関しては、後から考えてみれば、まるで、実験材料にされたとしか、思えない状況でした。

 治療についての説明と話し合いは、とても重要で、この治療・手術をしたら、どのような、結果になる可能性があるかということは、しっかりと医者と話し合って、納得して、治療は、選ばなければいけないと、彼女のケースを見ていて、深く思い知らされました。

 治療に関してだけでなく、病院には、泥棒までいて、彼女が眠っている間だったのか、いつの間にかは、わかりませんが、彼女が病室に持ってきていた、お財布やカード、アパートの鍵などの入ったバッグが盗難にあったこともありました。

 病院にいながら、彼女は、クレジットカードを止めたり、保険のカードの再発行をしたり、アパートの鍵をつけなおしたりと、ただでさえ、体調が悪く、苦しんでいる彼女を狙うなんて、許せない!!ホトホト気の毒になりました。

 結局、苦しい闘病の末、彼女は、亡くなってしまったのですが、それから、意味のわからないことに、入院の記録があり、退院をした患者さんに対して、病院が事務的に送っていることなのかもしれませんが、これまた杜撰で、彼女の死後、しばらくしてから、その後の経過は、いかがでしょうか?というようなレターが彼女宛に届き、さすがに、あまりに失礼で呆れ果てました。

 こんな場面に、数々、遭遇してしまうと、たとえ、病気になっても、フランスの病院には、絶対に入院はしたくないと思うのです。

 

 









2019年12月28日土曜日

絶対に謝らないフランス人と謝ってばかりいる日本人




 昨日の午前中、携帯に複数の保険会社から電話がかかって来ました。どうやら、誰かが数社の保険会社に対して、自動車保険の見積もりを出すように頼んで、電話番号を伝えたところ、間違えたらしく、私の電話に立て続けに保険会社からの間違い電話が入り、最初は、「マダム〇〇ですか?」 と言われて、「違います・・」と言って、切っていたのですが、あまりに立て続けに何件も電話がかかるので、しまいには、うるさくなり、「今朝から、何件も同じ間違いでかかってくるけど、この番号は違うので、番号を記録から消してください!」と頼んだら、「それは、本当にすみませんでした!」と、間違い電話をかけて来た人が謝ったので、うわ!謝る人もいるんだ〜と、とても、びっくりしました。

 次にかけて来た人に、同じことを言ったら、「OK!」と言って、ガチャンと電話を切られました。こちらは、普通の応対ですが、いくら慣れても、やっぱり、感じの悪いものです。

 フランス人の接客、サービス業に関しては、とかく、間違いが多く、しかも、絶対に謝らず、常に、高飛車なのです。

 これに反して、日本は、とにかく、どんなに些細なことに対しても、すぐ謝るのが、当たり前で、もはや、謝罪があまりに日常的で、フランスのような、絶対に謝らない国に住んでいると、それは、それで、ちょっと妙な感じすらします。

 ほんのちょっとの間であっても、「お待たせして申し訳ございません。」、工事現場などで、よく見かける、黄色いヘルメットをかぶったおじさんがお辞儀をしている看板「工事中につき、大変、ご迷惑をおかけしております。」、何かミスでもあろうものなら、平身低頭で平謝りです。

 新幹線や、電車などの交通機関であっても、たとえ、数分間の遅れであっても、「大変、ご迷惑をおかけいたしました。」などと、必ず、アナウンスが入ります。

 それは、サービス業だけには、とどまらず、ごくごく日常の友人、知人関係などにおいても、知らず知らずのうちに、自分でも、「ごめんね。」とか、「すみませんでした。」とか、気づかないうちに、挨拶がわりのように、ちょっとのことでも、口癖のように、ついつい謝っていることに気づきます。

 フランスにいれば、ちょっとでも、謝ってくれたら、気分も和らぐのにと思うこともしばしばですが、逆に考えれば、ミスに対して、寛容だと考えることもできます。ですから、日本だと、どんなに少しのミスに対しても、厳しく、ミスを許さない厳格な社会なのだと考えることもできます。

 以前、日本に住んで長くなったアメリカ人の友達が、久しぶりにアメリカに帰って友人に会った時に、「どうして、おまえは、そんなに謝ってばかりいるんだ!?」と言われたと、苦笑していたことがありました。

 日本に長くなると、外国人でさえも、すぐに謝る習慣がつくようです。

 
























 

2019年12月27日金曜日

フランス人の男性のお買い物





 フランスでは、専業主婦というものが、かなり、少ないということからなのか、スーパーマーケットにお買い物に行くと、やけに、男性が多いような気がします。
 しかも、それが、日常のものになっているせいか、やけに楽しそうにも見えます。

 特に、土曜日の朝などは、一週間まとめての買い物なのか、男性が一人で、あるいは、子供を連れて買い物に来ているのが、目につきます。それは、オムツやベビーフード、トイレットペーパーなどのごくごく日用品から食料品までも含めたなかなかガッツリした買い物です。

 むしろ、夫婦揃って買い物をしているのは、どちらかというと、すでにリタイアをした老夫婦のような印象があります。
 歳をとっても、仲良く、二人でお買い物をしている姿は、こんな風に歳をとりたいというような、多くの女性にとって、憧れの光景ではないでしょうか?

 私は、混雑やレジでのトラブルを出来るだけ避けるために、なるべく、平日の朝、早い時間に買い物に行くようにしているので、余計、年配の夫婦などが多い気がするのかもしれませんが、まだ、若い共働きのカップルなどは、お休みの日に、買い物と家事を分担して、男性がお買い物に行っている間に、女性が家事をこなしているのかもしれません。

 我が家の場合は、主人に買い物を頼むと、まるで、余計なものしか買ってこないので、まるで、当てにできない上に、私自身も、食材などは、自分の目で見て、献立を考えながら、選びたいので、主人が買い物に行くことはあっても、それは、彼が好きな欲しいものを買ってくるだけです。

 しかし、彼は、お買い物が決して、嫌いではないのです。むしろ、大好きです。

 メモを片手に、奥さんから頼まれたものを忠実に買っていく人もあれば、電話片手に相談しながらだったり、自分の目で着々と慣れた様子で商品をカートに入れていく様子は、見事なもので、完璧に自分の役割としている様子でもあります。

 また、クリスマスなどの行事の際の食料品の買い物などは、明らかにワクワクした様子で、男性が買い物をしているのも、見ていて、こちらまで、嬉しさが伝わってきて、自然と笑みがこぼれます。

 また、毎年、秋に開かれるワインフェアの時期などには、ワイン好きの親父がカタログ片手にじっくりと、積み上げられたワインの木箱の中を延々とワインと向き合っている様子も、お酒好きの私としては、嬉しい光景でもあります。

 日本のスーパーマーケットなどに行くと、最近は、老夫婦の買い物姿が見られるようになったとはいえ、圧倒的に女性の買い物姿が多く、お国柄の違いを感じさせられます。

 以前に、「あなた作る人、私、食べる人」とかいうコピーが、女性蔑視として、問題になったこともあった日本ですが、あれからもう長い時が経った今でも、その実、実際は、あまり変わっていないのかもしれません。

 少なくとも、フランス人の男性のように、男性が嬉しそうに買い物をしている姿を私は、日本で見たことは、ありません。

 家族でのバカンスの過ごし方でもそうですが、家族の中でのありようが、男性のお買い物の様子からもうかがえるような気がするのです。

 

2019年12月26日木曜日

美食の国と言われるフランスの意外な落とし穴 パリのイタリアンレストラン



 
 パリのイタリアンは、ハズレが多いことで有名ですが、パスタ・ピザ等は、比較的、安いこともあり、学生などからは、気軽に食べられる人気の食べ物でもあります。

 また、観光客にとっても、メニュー自体がわかりやすいこともあり、また、あまり、当たりハズレもないように思われるため、気軽に入りやすいのでしょう。

 しかし、フランス人にとってのパスタの一番人気は、カルボナーラで、基本、イタリアン=トマトベースのものを連想する私などにとっては、やはり、フランス人の基本的な食の好みが生クリームとチーズに偏りがちなフランス人好みのものとは、相容れないところがあります。

 また、柔らかいものの好きなフランス人にとっては、アルデンテの感覚に乏しく、下手をすると、茹で過ぎの予想もしていないようなものが出てくる恐れがあります。

 普段、あまり外食はしない私ですが、あるとき、出先で、昼食どきになり、お腹が空いて、パリのあるレストランに入った時のことです。

 とりあえず、安くて、簡単で、素早く出てきそうで、ハズレがなさそうな、スパゲティボロネーゼ(ミートソース)を頼んだのです。

 お腹をすかして、待っていた私の期待に反して、私の待っているものではない、予想外のものが出てきたのです。なんと、トマトを使っていないミートソースに、アルデンテからは、かけ離れた柔らかいパスタなのです。

 つまり、ひき肉を炒めただけのミート?ソースとブヨブヨのパスタに私は、愕然としました。これなら、サンドイッチでも買った方が良かった・・と思ったものです。

 呆気に取られている私に、娘は、平然と、「学校のキャンティーンのミートソースにもトマトが入ってない、こういうミートソースだよ!」と言うではありませんか?

 それ以来、私は、パリでパスタを食べるのは、極力控えるようになりました。

 また、これは、パリに来て、当初に私が感じた、私の個人的な感想ではありますが、こんなにチーズ好きな国なのに、ピザのチーズが少ないのにもびっくりしました。
 逆に言えば、日本のピザはチーズが多いのです。

 そして、極め付けは、先日、娘が行ったイタリアンレストランでの酷い接客の話。
これは、何も、イタリアンだからと言うわけではなく、パリでよくあるレストランでの店員の態度の悪さの話です。

 まあ、学生で、友達と食事すると言えば、値段の安さから真っ先に選ばれるピザですが、チュイルリー公園の近くのイタリアンレストランだったそうです。

 ピザ自体は、美味しかったそうなのですが、その接客態度の悪さに、パリでは、よくあることながら、そういう場面に遭遇するたびに、嫌な思いをさせられるものです。

 まず、オーダーしてから、注文したものが出てくるまで、延々と待たされ、会計の際には、店員同士がおしゃべりしていて、再び、延々と待たされます。

 そして、いざ、会計の計算にかかると、どこのテーブルだったか、なかなか把握できずに、テーブルの場所の客側の説明が悪いと逆ギレ。

 そんな調子だから、言葉使いもなっていなく、フランス語だと英語のYOUに当たる言葉が、丁寧な言葉使いならVousを使うところが、接客にも関わらず、親しい間柄しか使わないTuを使って、接客する。つまり、敬語が使えないのです。
 要するにお客様に対する接客を舐めているのです。

 挙句の果てに、帰ってきて、お腹を壊した娘。

 娘は、友人と共に、トリップアドバイザーに書き込みをしてやると、息巻いています。

 やっぱり、パリでイタリアンに行くのは、気をつけた方が良さそうです。










2019年12月25日水曜日

2週間しか行かないの? フランス人のバカンス感覚




 クリスマスから、年末年始にかけて、海外在住者の日本への一時帰国は、少なくありません。

 こちらにフランス人の家族がいる人は、クリスマスは、家族で過ごす、一大イベントなので、この間、日本へ帰国、という人は、少ないかと思いますが、それ以外の人にとっては、やはり、日本でも年末年始のお休みで、家族や友人もお休みで会いやすかったり、日本で年越しをしたい、お正月を過ごしたいと思えば、一時帰国には、良いタイミングなのかもしれません。

 とはいえ、私自身は、海外に出て以来、年末年始に日本へ行ったことは、ありません。

 まあ、単純に、年末年始にかけて、長期間のお休みが取れなかったこともありますが、航空運賃も高く、気候も決して良くはなく、混雑する時期に何も行かなくても・・というのが正直なところです。

 私は、どちらかというとあまのじゃくなのか、お盆の時期や年末年始にかけては、皆がバカンスに出てくれて、少し、人の少なくなった街を楽しむ方が好きなタイプなので、パリにいても、メトロも空いていて、せっかく、ゆったりと通勤できる期間に何もバカンスなど取ることはないと思っているのです。

 それでも、子供がいれば、ただでさえ、年がら年中、バカンスに追い立てられているようなフランスの学校へ通っていれば、せっかく学校をやっている時期に学校を休ませてまで日本へ行くなどは、もってのほかで、日本へ行くといっても、子供の学校がバカンスの時期に、行くしかないわけです。

 ですから、大抵は、それでも、やっぱり航空運賃の高い夏の時期に行くしかないわけです。夏とは、いえども、お休みが長期間、取れずに、2週間、あるいは、10日間・・なんてこともありました。

 2週間のバカンスで、日本へ行くというと、フランス人は、まず、「2週間しか行かないの?」と驚きます。

 日本は、遠い国で、行くのには、時間もかかり、(直行便でも12時間、往復、最低でも24時間)航空運賃もそれなりに高いことを彼らも知っているので、それだけの移動時間とお金をかけて行くのに、2週間しか行かないということが、普通のフランス人にとっては、信じ難いことなのです。

 初めは、そんなに驚くか?と思うほど、彼らの驚きぶりに、逆に驚いた私でしたが、最近は、フランス人のバカンスも見慣れて、彼らが驚くのもわかるようになりました。

 しかし、逆に、日本人が、例えば、フランスに旅行に来るとしても、2週間も滞在する人というのは、恐らく、稀であることも事実です。

 日本の会社に勤めていて、2週間のお休みを取ることが、どのくらい大変なことなのか、今の私には、具体的には、わかりませんが、そうそう簡単なことではないでしょうし、せいぜい、一週間から10日間くらいなのでしょうか?

 日本から来る旅行会社が組むツアーなどでは、本当に弾丸ツアーのような、一週間くらいのツアーで、パリ、ロンドンを周り、しかも、パリに早朝に到着したと思ったら、いきなりパリを観光して、ベルサイユを経由して、そのまま、モンサンミッシェルへ、そして、翌日、モンサンミッシェルを観光したら、夕方には、ロンドンへ・・ロンドン最終日は、昼食がアフタヌーンティーになっている・・などという目まぐるしいツアーもあり、
参加している人は、何がなんだかわからないうちに、旅行が終わっているのではないかと思ってしまいます。

 私もフランスでの生活が長くなり、どちらかというと、バカンスは、フランス人よりの感覚になってしまっていますが、今となっては、私にとっては、日本行きは、バカンスというよりも、買い物(しかも食料品の調達)と所用を済ませるためとなってしまっているため、バカンスなら、日本ほど遠くなく、時差もなく、用事がなく、ゆったりとした時間を過ごせるイタリアなどのヨーロッパ周辺の国に行くことの方が多いです。

 行ったことに意義があると言わんばかりの日本人の旅行と、ゆったりと時間を過ごすフランス人のバカンス。

 二週間しか行かないの? 二週間も行くの?という言葉に、そのバカンス模様の違いが見えるような気がするのです。










 
















2019年12月24日火曜日

フランス人のプレゼント交換




 日頃、日本のようにお中元、お歳暮、お祝い、お礼、旅行などに行けば、お土産などなど、やたらと贈り物をする日本に比べて、日頃、あまり、贈り物をしないフランス人でも、一年に一度のクリスマスのプレゼントには、かなり、力を入れて準備します。

 クリスマスの日は、家族で過ごす日ですが、家族それぞれのプレゼントを用意し、それぞれのプレゼントをきれいにパッケージして臨みます。

 フランスは、一般的には、商品は、包装をしないのですが、プレゼント用に包装してくださいと頼めば、包装をしてくれます。しかし、お店で包装を頼んだところで、必ずしもきれいにパッケージしてもらえるとは限りません。

 自分で、包装紙を買って、プレゼント用に包装する人も多いですが、フランス人は、びっくりするくらい不器用な人が多いのです。しかも、それをあまり気にしないのも驚きです。

 子供のクリスマスプレゼントには、万国共通のサンタクロースがおり、フランスの子供は、サンタクロースに手紙で欲しいものを頼みます。

 クリスマスの前の晩には、各個人の靴をクリスマスツリーの木の根本に置いておくと、そこにサンタクロースが、なぜかオレンジと共にプレゼントを置いていってくれるという筋書きになっています。

 娘が小さい頃は、クリスマスの朝に、娘がクリスマスツリーに駆け寄ってプレゼントを見つけて、ワクワクした顔をしながら、プレゼントを開けて、飛び上がって喜ぶ様子を見るのが楽しみでした。

 ある年、起きるなり、クリスマスツリーに駆け寄っていった娘は、どこをどう探したのか、すぐにしょんぼりして戻ってきて、「やっぱり、ペーノエル(サンタクロース)に手紙出し忘れたから、届かなかったんだ・・・」と、ちゃんと見つけられずに、こちらの方が慌てたことがありました。

 きっと、娘の中では、今年は、ペーノエルに手紙を出し忘れているから、プレゼントは、来ないかもしれない・・という気持ちがどこかに潜んでいたのかもしれません。

 サンタクロースを信じている年頃にしか見られない、天真爛漫な、無垢な純粋さを垣間見れる瞬間でもあり、私にとっては、娘の喜ぶ姿が何よりのクリスマスプレゼントでした。

 また、フランスの学校などでの、クリスマスの時期のプレゼント交換は、ちょっと、日本とは違うやり方なのも、ちょっと興味深いです。

 日本だと、学校など、大勢の間で、プレゼント交換をする場合、皆がプレゼントを持ち寄って、あとは、みんなの間で、プレゼントをグルグル回して、そのプレゼントが誰に当たるかは、サプライズ、開けてみてのお楽しみ・・という場合が多いと思います。

 しかし、フランスの場合は、予め、参加者の名前を集めて、くじ引きして、誰にプレゼントをするかを選びます。
 くじ引きで引いた相手に合うプレゼントをそれぞれ選ぶのです。

 誰に何が当たるのか、全くわからないのではなく、相手をくじ引きしてからプレゼントを選び合うというのは、なんとも、フランス人らしい、合理的なプレゼント交換だと思うのです。


















 

 

 

2019年12月22日日曜日

お稽古ごとの範疇の私のピアノに対する過剰な反応をしてくれるフランス人




 私は、小さい頃から、ピアノのおけいこをしていました。母は、特に、私をピアニストにしたいと思ったわけでもなく、周囲の従姉妹たちや、学校のお友達などもピアノを習っている人は、多かったので、それは、単なる、お稽古ごとに過ぎなかったわけで、ピアノを弾くということが、特別なこととは、思っていなかったのです。

 当時、公立の小学校でも、音楽室には、一人一台、オルガンがありましたし、日本では、たとえ、オルガンといえども、キーボードに触れたことがない子供は、いないのではないかと思います。

 私は、毎日のピアノの練習をするのが、嫌な時期もあり、練習をあまりしていないと、一週間に一度、ピアノの先生のところに行く時には、わざと、忘れたふりをして、楽譜を持って行かなかったりしたこともありましたし、途中、ピアノの先生とケンカして、やめてしまったり、受験前には、中断をしたりしたこともありましたが、結局、二十歳くらいまで、ピアノのレッスンは続けていました。

 中学校の頃には、クラスで合唱をしたりする時に伴奏をしたりして、みんなと一緒に音楽を作り上げることが、とても楽しかった思い出もあります。

 母は、私に、何のためだったのかは、わかりませんでしたが、早くにピアノに触れさせてくれて、絶対音感を植えつけてくれました。嫌気がさすことがあっても、それだけ続けてこられたのは、やっぱり、ピアノが自分の楽しみのひとつになっていたからです。

 とはいえ、音大に進んだりするほど、集中的に学んできたわけではないので、私のピアノの腕前は、単なるお稽古ごとの範疇で、全く大したことはありません。

 しかし、始めて、イギリスに行った時、スタージュをさせてもらっていた施設で働き始めた時に、そこのマネージャーが私の履歴書をみて、(趣味の項目にピアノと書いていましたので)「ずっと、誰も触っていなかったピアノがあるから、調律を頼んでおいたから、いつでも、好きな時に弾いていいわよ!」と、言ってくれました。

 初めての留学で、寂しかったこともあり、せっかく、調律してくれたのだからと、私は、時間があくと、ピアノを弾きました。

 すると、周囲の反応が、どうも、日本とは、違うのです。周りの人がどんどん、集まってきて、大げさに感動してくれるのです。

 たしかに、全てに対して、日本人に比べて、リアクションが大きい人たちではありますが、プロは、別として、どうやら、普通の人がピアノを弾くということが、日本のようにふつうなことではないようなのです。

 「どこで、ピアノの勉強をしてきたの?」とか、「いつから、やっているの?」とか、たちまち、私は、質問責めにあいました。

 それからというもの、周囲の人たちは、私が息抜きに弾くピアノをとても楽しみにしてくれるようになりました。留学当初で、言葉の壁を感じていた私には、ピアノがずいぶんと気持ちをほぐすきっかけを作ってくれました。

 それは、フランスに来てからも同じで、何となく、時間がある時に、ピアノを弾きたいと思い、中古のピアノを買ってから、時々、家でピアノを弾くようになりました。

 誰に聴かせるわけでもなく、単なる自分の楽しみのためのピアノでしたが、もしや、騒音の苦情が来てはいけないと心配していたのですが、隣のおばさんが、友人を引き連れて、ベランダに出て、拍手してくれたり、「あなたが、ピアノを弾くとは、知らなかった・・ピアニストね!」などと言われたり、恐縮の極みでした。

 「これで、ピアニストって・・・」と、ちょっと、身の置き所を失くしていると、娘が、「フランスでは、この程度、弾ければ、ピアニストって言うんだよ!」と言われて、改めて、日本の文化的な教育のレベルの高さを感じさせられました。

 だって、日本では、私程度のピアノが弾ける人は、ゴロゴロいるし、私がピアノを弾いても、誰も驚かず、ましてやそれをピアニストなどと呼ぶ人は誰もいませんから・・。
























2019年12月21日土曜日

パリのカフェに見るフランス人の日常の楽しみ方




 ある時、会社で同僚と話している時に、「カフェで座ってコーヒーを飲む人の気が知れない!」と、息巻いて話している二人がいました。

 ???と、聞き耳を立てていると、彼女らは、同じコーヒーを飲むのに、高いお金を払って座って飲むことが、信じられない!と言っているのです。

 フランスでは、カフェでコーヒーを飲む時に、カウンターで立ち飲みするのと、席に座って飲むのとでは、若干、値段が違うのです。

 日本だと、いわゆる「お茶する」と言うのは、座ってゆっくりしたいとか、ゆっくりおしゃべりしたいとか、そんなニュアンスですが、フランス人は、カウンターでも、ゆっくりおしゃべりするのです。

 さすがにケチなフランス人、お茶するにも、同じコーヒーを飲むのに、座って高いお金を払うことはしません。

 考えてみれば、彼らは、立っていることに、あまり抵抗がないのかもしれません。

 かと思うと、彼らは、カフェのテラスで、埃と排気ガスと雑踏に紛れてお茶を飲んだり小さいテーブルで不自由そうに、食事をしたりするのも好きなのです。

 寒い冬でも、カフェの外に置かれた小さいテーブルには簡単な暖房が備え付けられていることが多いのです。

 街の景色を眺めているのか、街行く人を眺めているのか、それとも自分を見せているのか、わかりませんが、まずは、外のテーブルから埋まります。

 私なら、暑い夏には、エアコンの効いている、寒い冬には、温かい室内が断然、良いし、まあ、気候が良い時など、ちょっとビールやワインを一杯・・なんていう時には、外もいいなと思うのですが、さすがに食事になるとゆっくり、埃も排気ガスもないきれいなところで・・と思ってしまいます。

 ついでに言わせてもらうと、デザートを食べないフランス人というのも、あまりいません。食事をしても、たとえ、デザートを食べないことはあっても、最低、必ず、コーヒーだけでも飲みます。

 そういえば、お弁当を持ってくる時にも、必ず、デザートを持っています。

 ですから、外で食事をすると、食事が終わると、ウェイターがやってきて、「デザートは?」と聞かれます。「いらないです。」というと、「じゃあ、コーヒー?」「コーヒーもいらないです。」というと、ちょっと怪訝そうにされます。

 そして、食事中もデザートを食べながらも、延々と喋り続けます。

 こうして、考えてみると、たとえ、カフェで立ち飲みしようと、テラスで排気ガスを吸いながらお茶を飲もうと、彼らは、マイペースに、ゆったりと街の景色を楽しみ、会話を楽しんでいます。

 食事が終わると、そそくさと出て来ようとする私は、なんだか、まだまだ、人生を楽しみきれていない気がしてきました。

<パリのカフェ>



 












 

2019年12月20日金曜日

娘の人生を変えたストライキ






 現在、フランスは、12月5日から始まった、年金制度改革に反対する大規模なストライキが続いています。

 SNCF(フランス国鉄)、RATP(パリ市交通公団)をはじめとする電車、地下鉄、バス等の交通機関は、全線運行停止の線から、2〜3本に1本、酷いところだと5本に1本のみの運行まで、満員電車に慣れないフランス人の混乱ぶりは、凄まじく、地獄絵図を見るような光景が報道されています。

 また、ストライキは、交通機関だけではなく、警察、消防、病院、役所、学校までにわたり、オペラ座の公演なども中止になっています。

 これまでにもストライキは、何度となく、ありましたが、もう、現在で、2週間を越し、ノエルまでには、終わるだろうとタカをくくっていたのですが、そろそろ、世間は、ノエルのバカンスに入るというのに、ストライキは、終結の兆しが見えていません。

 一年のうちで、バカンスとノエルが最大のイベントであるフランス人にとって、ノエルの期間中のストライキというのは、あり得ないだろうと思っていたのですが、多くのフランス人が13mois (13ヶ月といって、一ヶ月分ボーナスのようなものが支給される)を受け取れるので、たとえ、ストライキで、給料が支給されないことがあっても、持ちこたえることができるわけです。

 これまでにも、長期にわたるストライキは、何度か経験してきたのですが、一度は、交通機関、もう一度は、学校のストライキで、それぞれ、一ヶ月ほど続き、辟易を通り越して、疲労困憊に加えて、大変な出費で、労働条件は、彼らよりも格段に悪いのは、こちらの方で、それでも、ストライキなどやろうものなら、その分の給料が入らないので、そんなこともできないのです。

 通勤の足と、子供の学校のストライキをダブルでやられた日には、こちらは、仕事を休むわけにもいかず、かといって、子供を置き去りにするわけにもいかず、預かってもらう人を探して、その分のシッター代を払わなければなりません。

 これは、やっていられないと、娘は、ストライキをやらない私立の学校に入れようと深く決意したのです。

 私たちの住むエリアには、私立の学校は、一校しかなかったのですが、運よく娘は、小学校から私立の学校に通うことになったのですが、幸か不幸か、その学校は、かなりの進学校で、かなりレベルの高い教育をしてくれる学校でした。

 ストライキがなくとも、小学校からは、私立に入れた方がいいよ!と、周囲の人たちからは、言われていたのですが、やはり、ストライキで一ヶ月も閉校という痛い目にあったからこそ、より、真剣に、なんとか、私立の学校に入れなければ・・と後押しをされたのでした。

 結果、小学校から高校まで、娘は、その学校に通い、その後も、より良い学校へ進学することができたのです。

 もし、彼女があの時、あの学校に入っていなければ、彼女の人生は、まるっきり違ったものになっていたと思います。

 まさに、災い転じて・・という感じですが、ストライキは、彼女の人生を大きく変えるきっかけになったのでした。


































 

2019年12月19日木曜日

表示価格があてにならないフランスのスーパーマーケット




 フランスで生活をしていくのには、ストレスが山積みで、各種、公的手続きなどは、もちろんのこと、生活上のありとあらゆるところで、トラブルに遭遇する機会が待ち受けているのです。

 今日は、一番、日常的な、スーパーマーケットでのトラブルをご紹介したいと思います。

 普通、スーパーマーケットは、たとえ、言葉ができなくても、自分が選んだ商品をレジに持っていき、レジスターに表示された価格を払えば良いのですから、たとえ、旅行者であっても、一番、手っ取り早く、簡単に買い物ができるところです。

 もちろん、金額を気にせず、多少、間違えられても、構わないというのなら、ストレスも比較的、少ないでしょう。

 たとえ、腐りかけた野菜などを売っていたとしても、(実際、売っています。)「これ?まだ、売る気なの?」と思うことは、あっても、自分は、その腐った野菜を選ばなければ良いのですから、問題は、ありません。

 野菜に関して言えば、フランスのスーパーの場合、日本と違って、その多くが計り売りなので、価格は、キロ、〇〇ユーロ、と表示されているので、選んだ野菜を備え付けの袋に自分で好きなだけ入れて、専用の秤にかけて、自分が選んだ野菜を選ぶと、重さと金額が表示されたシールが出てくるので、そのシールを袋に貼り付けて、レジへ持っていきます。

 今日、インゲンが安くなっている!と思って、袋に入れて、秤にのせようとしていると、年配の女性が、「Attention ! (気をつけて!)、機械の値段が間違っているわよ!」と言って、教えてくれました。

 私も彼女に言われて、改めて見ると、なるほど、野菜が置いてあるところに表示されている価格とは、違う金額で、計算されているのです。

 彼女に、今、お店の人に直してもらうのを待っているところだから、あなたも待っていなさい!と言われて、一緒に待っていると、機械の値段を直してくれる人は、なかなかやってきません。

 他の店員を捕まえて頼んでも、それは、私の仕事じゃない! マネージャーは、今、コーヒータイムだから・・と、冷たい一言。朝、ほぼ、開店時間早々に、コーヒータイムとは、さすがフランス・・と思いつつ、捕まえた、もう一人の店員は、「私は、朝、4時から働いているの・・」などと、話し出し、また、私に値段が違っていると教えてくれた年配の女性は、「私は、仕事を引退して4年目になるんだけど・・・」などと、悠々と、世間話が始まります。

 そうこうしているうちに、マネージャーらしき女性がやってきて、機械の値段を修正してくれるのかと思いきや、インゲンの表示価格に近い値段のセロリを選んで計り直し、手書きでインゲンと書き直してくれたのでした。

 このような値段の間違いは日常茶飯事ですから、特にセールになっている商品などに関しては、表示されている金額と実際に払わされている金額とは、違うことが多いので、注意が必要です。

 また、一度、払ってしまうと、例え、レジでさえ、その場で返金はしてくれず、いちいち、受付に返金をしてもらいに行かなければならないので、また、さらに待たされることになります。

 例え、間違っていると思っても、時間がないときは、泣き寝入りです。

 そして、こうした、間違いがあっても、お店の人は、一切、謝ることはなく、しかし、全く悪びれることもなく、あたかも、「どうだ!返金してやったぞ! 値段を修正してやったぞ!」と言わんばかりです。

 ですから、最近は、一点、一点、自分で金額を確認できるセルフレジで清算をすることにしているのですが、それでも、割引商品は、トータルの金額から最後に値引きされることになっているとかで、それも、支払ってからレシートを見ると、定価の表示が違っていて、半額!などと表示されていても、結局は、表示されている金額にはなっていなかったりで、これじゃ詐欺じゃない!と、気をつければ気をつけるほど、腹立たしいことばかりです。

 セコい主婦の買い物話で恐縮ですが、黙っていれば、一向に改善されることはなく、(黙っていなくても、改善の見込みは乏しいですが・・)泣き寝入りをするばかりなので、できる限り、気が付いたことは、申し出るようにしています。
 
 当たり前のことですが、店頭の商品の表示価格は、守らなくてはいけないという法律がフランスには、あるのです。

 こうして、どんどん、口うるさい、嫌なババアになっていくようで、自分でも、うんざりするのですが、フランスで暮らしていくには、仕方ないことなのです。

 















 

2019年12月18日水曜日

国際結婚に必要なこと




 今になって、考えてみれば、私は、ずいぶんと無謀な結婚をしたと思います。
 国際結婚というのは、そんなに簡単なことではありません。

 後から起こる、様々な困難や、トラブルを、もっと、冷静に、予想、想定していたら、もともと、面倒なことが嫌いな私は、決して、こんな道は、選ばなかったと思います。

 育った環境も文化も違い、しかも、海外での生活で、子供まで育てていくわけですから、それはそれは、大変です。

 しかも、日本のように、行き届いた、便利な国は、なかなかないのですから、日本から海外に出る場合は、生活の不便さだけでも、相当なストレスです。

 最初は、親や親戚どころか、知り合いも、誰もいない、言葉もおぼつかないところに、一人、入っていくわけですから、大変な覚悟が必要です。

 しかし、あの時は、私は、大した覚悟もなく、あまり、深く考えていませんでした。愚かなことです。逆に、考えすぎていたら、とても、できるものでもありません。

 「なんとか、なるだろう。」と思っていた私は、ただただ、根拠のない、楽観的な予感で、突き進んでいたのです。

 主人は、フランス人で、海外を転々としており、年齢も結構、離れていましたし、その上、バツイチで、子供が三人もおり、しかも、決して、ハンサムでもかっこいいわけでもありませんでした。

 そんな主人のどこが、良かったのかといえば、ひたすら、話をすることができる相手だったことです。しかも、出会った当初は、お互いが母国語ではない、英語で話をしていたにも関わらずです。

 こんなに、次から次へと話ができる相手は、日本人でもなかなかいませんでした。それが、英語でさえも、こんなにスラスラと話せることに、ちょっとした感動を覚えたのです。

 あとは、ひたすら、優しかったことです。デートの途中で、喧嘩になって、私が怒って、帰ると言っても、ちゃんと家まで送ってくれる彼に、(喧嘩をしておいて、送ってもらう私もどうかとは、思いますが・・)この人、ちょっと、どうかしてるんじゃないの??と、ちゃっかり送ってもらいながら、思ったほどでした。

 そして、びっくりするほど、大胆なところがありながら、恥じらいがあるところ・・美味しいものが大好きなところでしょうか?

 とにかく、私が海外での彼との生活、特にフランスに来てからの生活で、色々なことがありながらも、なんとかやって来れたのは、彼とは、トコトン話をすることができる相手だったからです。

 そして、彼は、大使館の仕事(大使館の中はフランスですから)とはいえ、日本で4年間生活した経験があり、日本という国をよく、知っていてくれたことです。
 
 フランスで起こる、日本では、ありえないことに対する私のストレスを理解してくれていましたから、フランスでの生活がたとえ、大変であっても、理解してくれる人がいてくれるだけで、ずいぶんと救われてきました。

 日本人は、もうロクに口をきかない夫婦というのもあるようですが、国際結婚の場合、会話のない夫婦は、あり得ないのではないかと思うのです。

 私が、無謀な生活に大した不安も持たずに飛び込んだのは、きっと、私の中で、彼とは、どんな時でも、話ができるという確信から来ていたのかもしれません。

 ですから、私が、彼とは、いくらでも話をできる人だと思って、彼を選んだことは、あながち、間違いではなかったのだと思っています。

 

 












2019年12月17日火曜日

海外での勧誘電話・集金・撃退法




 もはや、自宅の家電話は、もはや、ほとんど、使われていない状態で、我が家でも、ほぼほぼ、自宅に電話をかけてくる人は、いません。

 なんなら、解約をしても良いくらいなのですが、住居の証明などに自宅の住所と電話番号の入った電気料金の請求書を求められたりすることがあるので、ネット料金とセットになっていることもあり、なんとなく、そのままにしているのです。

 もともと、私は、電話というものが嫌いで、プライベートで、ほとんど人に電話をするということは、ありません。相手の都合もわからずに、いきなり、電話で他人の時間を脅かすのも脅かされるのも好きではありません。

 今は、携帯にさえ、電話をするということもほとんどなく、連絡は、WhatsAppや、LINE、Messengerなどのメッセージ機能を使うことがほとんどです。

 ですから、家の電話が鳴ることも、ほとんどないはずなのですが、それでも、どこから、電話番号を手に入れるのか、かかってくるのです。

 それは、99パーセント、なんらかの勧誘の電話です。

 なので、私は、家の電話に出るときは、必ず、わざと、「もしもし・・」と日本語で出ます。もし、知り合いならば、声を聞けば、すぐわかりますし、そうでない場合も、相手は、最初は、構わず、フランス語で話し始めるので、こちらが一方的に相手の話を聞いて、勧誘の電話かどうか、判断します。

 ほぼほぼ、勧誘の電話なので、相手も構わず、強引にフランス語で話し続けようとしますが、こちらもメゲずに日本語だけで話せば、わりと、あっさり諦めてくれます。

 たまには、フランス語がダメだと思うと、英語で話そうとする人もいますが、稀ですし、日本語で通せば、諦めて切ってくれます。

 いつも、そんな電話に煩わされる事に、頭にきつつも、電話をかけてくる相手にも、気の毒な仕事だなと思います。

 以前、主人が日本に住んでいた時は、その逆パターンをやったことがあったそうです。

 それは、勧誘の電話ではなく、今?なにかと話題のNHKの集金人に対してです。

 主人は、家でテレビを見ることは、ほとんどなく、ケチ根性と半分、いたずら半分で、NHKの集金人に対して、フランス語のみで、押し通し、日本語も英語も全くわからないふりをしたそうです。

 その日は、NHKの人も諦めて、帰って行ったのですが、そこは、日本、執念深く、今度は、フランス語の通訳を連れて、やってきたのだそうです。

 さすが、NHK、集金にも手間もコストもかけるのですね。

 NHKの受信料がいくらなのかは、わかりませんが、わざわざ通訳の人まで引き連れて、手間暇と時間とコストをかけてでも、集金するのです。

 そこまでするNHKの追跡に驚いた私は、結局、主人が、NHKの受信料を払ったのかどうかは、知りません。

 ちなみに、フランスのテレビの受信料は、テレビを購入した時点で、住民税に加算されます。






























2019年12月16日月曜日

退職を余儀なくされた真面目なフランス人男性の会社への仕返し





 フランスの労働形態は、大きく分けると、CDD(Contrat à durée déterminée)(期限限定の雇用形態)と、CDI(Contrat à durée à indéterminée)(無期限の雇用形態)があります。

 フランスでは、法律で強く、労働者の権利が守られており、CDDに関しても、最長の雇用は、最長、18ヶ月までで、それ以上、雇用したい場合は、CDIに契約形態を移行しなければなりません。

 一度、CDIとして、雇用した場合は、本人に明らかな非が認められない場合は、解雇するのは、大変難しく、会社の業績不振などの場合で、解雇する場合は、労働者側は、職種にもよりますが、会社側もそれまでの勤務期間や給与から計算された一定の金額の退職金を支払わなければならず、また、失業保険等の社会保障も確実に支給されます。

 ですから、キャリアアップの転職は別として、会社で、辛いことや、腹が立つことがあったりしても、決して、自分から辞めては行けない! 後の待遇が全然、違うんだから!と、周りの先輩方から、事あるごとに言われてきました。

 逆に言えば、雇用社側にとったら、働かない、役に立たない社員をCDIとして雇ってしまったら、容易には、解雇できず、そういった人たちは、のらりくらりと適当に出社しながら、一定の給料をもらい続けることができるわけです。

 そういう人に限って、フランスの労働法には、やたらと詳しく、権利ばかりを主張するのです。

 それでは、真面目に働く人ばかりが、割りに合わないことになるのは、明白です。

 以前、同僚で、アレックスという男性がいました。真面目にコツコツと働く、フランス人にしては、おとなしい、我慢強い人でした。

 彼は、パワハラに近い、キツい上司の元で、真面目に働いていましたが、あまりに、その上司の攻撃が酷くなり、とうとう、彼は、ブチギレて、CDIという契約形態であったにも関わらず、自分から、会社を退職してしまいました。

 もちろん、国からの失業保険は、支給されるでしょうが、彼に落ち度はないのに、長年、頑張って働き続けたにも関わらず、会社からの退職金は、支給されません。

 彼は、おとなしく、我慢強く、頑張り屋さんだっただけに、どちらかというと、粘着質な性格だったようで、その後、会社に嫌がらせの電話をしてきたり、会社の通用口のドアの鍵にガムをねじ込んだりして、鍵が開かなくなって、大騒ぎになったりしました。

 あれから、彼が今、何をしているのかは、わかりませんが、大声をあげて、権利を主張して、デモやストライキをしない代わりに、陰湿な仕返しをする・・。そんな、フランス人もいるのです。

 どちらがいいとも言えませんが・・。

  






















2019年12月15日日曜日

フランス人とお風呂



 
 私の誕生日に、主人がサプライズで、バラの花びらと、小さなロウソクがいくつも浮いたバブルバスを用意してくれていたことがありました。

 ときに、そんな、ロマンチックなプレゼントを照れることなく、臆面もなく、自信満々に用意してくれるところが、フランス人だなぁと思わされることもあるのですが、実際の主人は、そんなことが、とても似合わない感じの人なのです。

 私のお風呂好きを知ってのことでしょうが、そんなことをしてくれる主人、本人は、あまりお風呂が好きではありません。お風呂に入るにしても、極端に温度の低い、ほとんど、水のようなお風呂なのです。

 お風呂は、あまり好きではないようですが、朝晩のシャワーは欠かしません。シャワーを浴びて、自分の好きなオードトワレをつけて、身支度をします。

 フランスのお風呂は、日本のように、洗い場もなく、バブルバスにしたり、バスタブの中で、身体を洗うので、一人入る毎に、お湯を流すので、温めなおしたりすることは、できません。

 ですから、お湯を入れても、どんどん、冷めていってしまうので、私は、最初は、少なめのお湯を入れて、冷め始めたら、熱いお湯を足しながら、ゆっくりと入ります。

 お風呂は、私にとって、至福のリラックスタイムなので、音楽を聴いたり、本を読んだり、i pad を持ち込んで、YouTube を見たりしながら、長々と入ります。

 しかし、一般的には、フランスでは、主人のように、お風呂ではなく、シャワーをメインにしている人の方が多いようです。

 フランスの水は、硬水で、水の質があまり良くないので、慣れるまでは、髪の毛が痛んだり、肌がカサカサになったりしましたが、少しずつ、それを補う、化粧水やクリームなどを使うことで、解消できるようになりました。

 そもそも、あまり、お風呂に入らないことから、フランスの香水文化が発展したとも言われているくらいです。

 現在、娘が住んでいるシェアハウスでも、お風呂はあるものの、お風呂に入る人は、いないようで、お風呂の栓さえ、見つからないそうで、家に帰ってくると、お風呂好きの娘は、長々と家で、お風呂に入っていきます。

 実際、日本人ほど、お風呂が好きな国民もなかなかいない気がします。
温泉などは、日本の一つの文化であると思います。

 しかし、フランスにも、温泉がないわけではありません。
 あまり、一般的では、ありませんが、温泉療法のようにも、使われています。

 医者の処方箋があれば、保険が適用にもなります。ラ・ロッシュ・ポゼ(日本では、ビオコスメのメーカーとして有名ですが・・)などは、温泉療法が可能な、水のきれいな土地で、毎年のように、処方箋をもらって、温泉療法に通っている知り合いもいます。

 日本へ行けば、たまには、温泉に行く機会もありますが、フランスでも、いつか、ラ・ロッシュ・ポゼの温泉療法に行ってみたいと思っています。









2019年12月14日土曜日

小さい娘のフランスへの郷愁??? 



 
 娘は、アフリカで生まれましたが、生後、3ヶ月でフランスに来て、それ以来、ずっとフランスで育ってきました。

 娘が初めて、日本へ行ったのは、彼女が2歳になった時で、それからは、ほぼ、毎年、夏休みの度に、娘を日本に連れて行っていました。

 娘は、チヤホヤと甘やかしてくれるパピーやマミー(おじいちゃんとおばあちゃん)や、私の叔父や叔母、従姉妹などの私の家族や友人にもとても、なついていて、日本が大好きでした。

 娘は、日本にいるのが楽しくて、楽しくて、仕方がない様子で、帰りの飛行機に乗るときには、仏頂面で、パリに着いた時には、空港に迎えに来てくれているパパにも、まるで、「パパのせいで、帰らなくちゃ、いけなかった・・」と言わんばかりに不機嫌になるほどでした。

 特に、食事に関しては、全くの和食党で、普段、パリにいるときにも、我が家の食卓は、どちらかというと、和食よりの食事が多く、娘は、フランス料理が好きではありませんでした。

 日本語にも、ほとんど不自由はなく、周囲とのコミニュケーションは、日本語のみで、「フランス語を話してみて!」などと言われても、決して、日本では、フランス語を話すことはありませんでした。

 日本へ行けば、そんな風に、日本にどっぷりと使っている娘でしたが、ところどころで、娘の妙な行動が見受けられるようになりました。

 街中で、パン屋さんを見つけると、娘は、しばらく、パン屋さんにいたがるのです。
娘は、フランスでも、特に、パンが好き、という方ではなかったので、最初は、どうして、娘が日本で、パン屋さんにいたがるのか、わかりませんでした。

 しかし、そのうち、娘が、ほのかに香ってくるパンの香りに、うっとりと浸っていることに気が付いたのです。パンの香りに、無意識に、どこか、彼女を落ち着かせるようなものがあったのです。

 また、娘がトイレに入っているときに、時折、聞こえてくる、ブツブツとフランス語でつぶやいてる声が聞こえてくることもありました。周囲の人たちがいるところでは、頼まれても、話さないフランス語を一人、トイレにいるときに、つぶやいているのです。

 幼いながらも、どこか、フランス語で、ブツブツと呟くことで、自分自身をリセットしているような感じでした。

 また、いつの間にか、ケンタッキーのお店の前に置いてある、カーネル・サンダースの立像に近寄って行ったかと思うと、ポッとした顔をして、「パパ・・・」と言いながら、
立像と手を繋いでいたこともありました。

 ケンタッキーのおじさんは、体格が良い主人と心なしか、似ているのです。

 パリでお留守番しているパパのことも、忘れてはいなかったのです。

 フランスのことなど、まるで忘れたように、日本を楽しんでいる娘が、無意識のうちに、フランスを引きずっている面が現れる、ちょっと、ホッコリする場面でした。

 








2019年12月13日金曜日

フランスのクズ男は桁違い DV被害に遭っていた女性




 DVというものは、あまり、表面化しにくいものなので、実際に目の当たりにすることは、なかなかないとはいえ、フランスでは、実は、かなりの割合で存在しているのだと言います。

 日本でも、DVは、あるのでしょうが、私の周囲には、見かけたことがありませんでした。日本での私の生活は、今から考えれば、限られた世界の人としか、付き合いがなかったからなのかもしれません。

 しかし、パリに来て、色々な国からの、色々な人たちに触れる機会が増えたせいか、知人の数は絶対的に少ないのにも関わらず、そのような人に遭遇するということは、その割合が高いと思わざるを得ません。

 以前、職場にいた若い女性が、ある日、顔を腫らして、出社してきたことがありました。フランス人にしては、少し、おとなしめの、きれいな人でした。

 それは、少し濃いめにお化粧をすれば、隠れるほどだったし、彼女自身も、「転んで、階段から落ちちゃった!」と、照れ臭そうにしていたので、最初は、周囲もそれを信じて、「酔っ払ってたの? 危ないなぁ・・気をつけてね・・」などと言っていたのです。

 ところが、それから、しばらくして、また、彼女は、さらにひどい顔の腫らし方をしてきて、それが、何回か続き、彼女がDVにあっているとしか思えないようになりました。

 しかも、彼女と親しい友人から話を聞くと、相手の男性は、ロクに働きもしない、ヒモ同然の男なのだそうです。その上、嫉妬心も人一倍で、彼女の行動は、彼によって、極度に制限されているのでした。最悪です。

 フランス人を見ていると、人にもよりますが、一見、すごく紳士的で女性にも優しいのですが、デモやストライキなどの現場の様子などを見ていると、明らかに日本人よりも血の気が多いというか、感情の高ぶりが激しい様子が見えます。

 ですから、ある程度、自分自身をコントロールできる人ならば、良いのですが、クズ男にあたると、桁違いな暴力を振るったり、束縛や嫉妬心も物凄く強いのです。

 彼女もまるで、呪縛にかかったように、暴力を振るう夫から逃げることができず、結局、いつの間にか、会社にも来なくなってしまいました。

 そんな人が、私が働き始めてから、2〜3人はいたでしょうか?

 近所の主婦にも、時々、顔を腫らしている女性がいました。なかなか、華やかな装いをしているきれいな人でしたが、ご主人から、外出を制限されているという話を聞きました。

 DVにあっている人は、なぜ、それを隠そうとするのか、なぜ、そんな男性から離れようとしないのか? ある種の心理状態の連鎖なのかもしれませんが、暴力を振るう男性は、それだけで、最低です。

 私は、もし、男性が暴力を振るうようなことがあれば、それだけで、即アウトだと思っています。

 娘の将来に、もし、そんな人が現れたらと思うと、心配で、「暴力を振るう人と出会ったら、即、別れなさいよ!」と一応、言ってみたのですが、「私が、そんな人を相手にするわけないでしょ!」と即答。

 本当に、そんな人とは、関わりがないできないことを祈るばかりです。



























 

2019年12月12日木曜日

フランス人の子供のしつけ





 日本に帰国した際に、ちょうど、その時にアメリカから帰国していた従兄弟家族と娘を連れて、水族館に行ったことがありました。

 その時に、驚いたのは、子供が水族館の中で、騒々しくはしゃぎ回ることでした。そして、一緒についている親たちは、館内で騒ぐ子供たちを野放しにしているのです。

 夏休み中の水族館ですから、子供連れで賑わっているのはわかりますが、その騒々しさが、なんだか、フランスの水族館とは、違うなと思ったのです。

 普段、フランスでの暮らしは、サービスも悪く、感じも悪く、不便なことも多く、ダメダメな国だと思っていましたが、こと、子供のしつけに関しては、悪くはないのかな?と思ったのです。

 フランスでは、子供が公の場で騒ぐという場面は、見たことがありません。
 子供とはいえ、私は、それは、公の場での最低限のマナーだと思うのです。

 それが、家庭の教育であるのか、学校の教育なのかは、わかりませんが、少なくとも、家族連れで出かけている場所でのことですから、家庭の教育の一面なのだと思います。

 フランスでは、レストランなどでも、そのお店のランクにもよりますが、子供連れで行くことが躊躇われるようなお店もありますし、そういうレストランには、夫婦だけで出かけます。

 子連れで出かけられるレストランなどでも、子供が騒げば、レストランの人、あるいは、周りのお客さんから、注意されるでしょうし、それ以前に、親が許しません。

 我が家でも、娘には、めっぽう厳しく、怖いパパが控えているので、娘の方も心得たもので、たまには、親子ゲンカをすることがあっても、駄々をこねたり、公の場で、騒いだりすることはありませんでした。

 私も普段から、あまり、娘に対して、うるさいことは言いませんでしたが、ダメなものはダメ、ということに関しては、決して譲りませんでしたので、こちらが、拍子抜けするほど、あっさりと、娘も、すぐに気持ちを切り替える習慣がついていました。

 例えば、買い物に行って、欲しいものがあって、「これ買って〜!」と娘が言ってきても、私が、ダメ!と言えば、すぐに、「じゃあ、今度、日本に行った時に、買おうか!」
などと返されて、こちらも苦笑してしまいました。

 ある時期、NINTENDO のゲームが大流行した際も、主人も私も、そういったゲームで遊ぶことよりも、他のことをして欲しかったので、娘にどんなにせがまれても、買うことは、ありませんでした。

 すると、娘は、せっせと日本にいる、私の父に、さっさと自分でメールをして、ゲームを買ってもらう約束をとりつけ、(当時は、予約しないと買えないほどでしたので)私たちが帰国するタイミングにしっかりと予約して、日本に着くなり、二人でゲームを買いに出かけたりしていました。

 まあ、たまに会う孫と私に内緒で楽しそうにコトを進める父に免じて、私もその時は、目をつむりましたが、親がきっぱりとダメだと言うことは、ダメなんだと言うことは、娘には、通じていたのだと思います。

 それぞれの家庭で、何を大事にするのかは、その家庭次第のことです。

 ただ、なんでも、かんでもうるさく注意していると、子供には、響かないのです。

 大人が子供に、ダメなことは、ダメときっちり言い効かせることは、どこの国にいても、大切なことなのだと思うのです。

























 

 












 

2019年12月11日水曜日

外国人になる体験





 私は、海外での生活を始めて以来、外国人として、ずっと生活しています。

 フランスでは、たとえ、フランス国籍を持っていたとしても、純粋なフランス人という人の方が少ないくらいで、外国人も多いので、フランスで外国人として生活することは、きっと、日本に住む外国人よりは、抵抗が少ないのではないかと思います。

 それでも、フランスでの選挙権はないし、ビザも10年に一度ですが、書き換えをしなければなりません。何か、交渉ごとがあったりしても、フランス人が出て行けば、スムーズに行きやすい場合も、なかなか、すんなりと、ことが運ばなかったりすることもあります。

 日本では、二重国籍が認められていないし、フランスに住んでいるからといって、私は、日本国籍を捨ててまで、フランス国籍を取ろうとは思いませんが、二重国籍が認められている国から来ている外国人は、フランス国籍を取りたがります。

 フランス国籍を持っていないと就けない職業や、同じ職業でも、フランス国籍を持っていないことによって契約形態が異なり、待遇が違ったりすることもあるのです。

 外国人であるということは、不便なことも多いのです。

 それでも、長年、生活していれば、だんだんと図々しくなって、ある程度の処世術は、身につき、こういう風に話を進めれば、ことは運びやすいとか、仕事や公の場に出るときは、ある程度の身なりというか、武装をして、出かけると良かったりもします。

 私自身は、海外に出て以来、日本にいる時よりも、ずっと、気軽に、知らない人とも話すようになりました。一見、冷たいように見えるフランス人の中での生活は、実は、コミニュケーションをある程度、取ることで、ずっと暮らしやすくなるからです。

 また、人から、話しかけられることも意外にも多いのです。

 日本では、普通、あまり知らない人に話しかけることも、話しかけられることもありませんよね。

 日本に住んでいれば、改めて、自分が日本人であると自覚することすら、あまり、ありませんでしたが、海外に住んでいると、逆に、日本人であると自覚させられることは、多いです。

 特に、海外に出て、当初は、いちいち日本と比べては、日本だったら、とか、日本人だったら・・と思うことばかりでした。

 最近、日本にも外国人が増えたとはいえ、一般的には、日本人には、外人を特別視する人が多いような気がします。外国人が増えたとはいえ、「あっ!!外人だ!!」と、構えてしまうようです。

 例えば、日本に帰国した際に、娘を連れて、実家の近所のスーパーマーケットに行ったりすると、娘は、「あっ!!外人だ!!」という視線で見られると言います。

 二度見されるというか、ちょっと遠巻きに見られる感じだそうです。

 娘も私も、ここぞとばかりに日本の食料品の物色に必死になっているので、そんなことは、気にせず、買い物を続けますが、日本にいる外国人には、さぞかし煩わしく、生活していくとなったら、ちょっと神経質な人なら、なかなかなプレッシャー、ストレスになりうるのではないかと思います。

 文化の違いや、言葉とコミュニケーションの問題は、ありますが、なんだか、日本にいる外国人は、どんな気持ちで日本で生活をしているのだろうかと、ついつい、話しかけたくなるフランスでは、外国人の私です。
















2019年12月10日火曜日

フランスの保育園で・・・




 私が、仕事を始めたのは、娘がちょうど、一歳になった頃でした。

 幸いなことに、保育園には、すぐに入れることになりましたが、それまで、娘が生まれて以来、1日たりとも娘と離れて過ごすことがなかったので、娘が保育園に順応できるかどうか、少なからず、不安がありました。

 最初の2日間は、別の保育施設に、半日だけ、預かってもらうことから、少しでも、他人と過ごすことに慣れさせようと、娘を連れて行きました。

 初めての場所に、娘を連れて行って、保育士さんに、娘を手渡して、置いてこようとすると、娘は、火が付くように泣き出し、焦りました。こんな様子でいては、これから先、娘を預けて働きに行くことができるのだろうかと私自身も不安になりました。

 しかし、ここで、負けてはいけないと、心を鬼にして、娘を置いてきました。
二日目になっても、娘は、また、グズグズと泣き始めましたが、前日よりは、あっさり、娘も諦めたようでした。

 そして、次の週になって、保育園への通園が始まりました。

 前の週の予行演習が役立ったのか、もう、その時点で、娘は、泣きだすことは、ありませんでした。娘は、日に日に保育園に慣れていき、お気に入りの先生を見つけて、保育園に行くと、彼女の姿を見つけては、駆け寄って行くようになりました。

 私も初めてのフランスでの仕事に緊張の連続でしたが、なんとか、彼女の保育園生活は始まりました。

 でも、さすがに、保育園は、風邪を引いたり、熱を出したりすると、預かってもらえません。私も仕事を始めたばかりで、そう簡単に仕事は休みづらく、それからというもの、娘が鼻をちょっと垂らしていたりしても、すぐに医者に連れて行くようになり、結果、私がお休みの日には、ほとんど毎週のように医者に連れていって、早め早めに薬をもらっては、娘に飲ませて、なんとか、保育園に預かってもらえるようにしてきました。

 今から考えると、フランスでは、子供が病気の時は、親に対しても、休暇を取れる書類を書いてもらえるので、それを書いてもらえば、公然と、大腕を振って休むことができるので、堂々と大きな顔をして休めばよかったのですが、その頃の私は、そんなことも知らずに、ひたすら、なんとか、娘が病気にならずに、保育園に行けるように、必死になっていたのです。

 まだ、オムツ持参で保育園に通わせていた頃です。
ある朝、ちょっと、娘の体調が怪しいかな?と、思ったので、座薬を入れて、なんとか、一日、乗り切ってくれますようにと祈るような気持ちで、出してしまったのです。

 心配していたとおり、オムツを変えた際に、座薬が出てきてしまったと、保育園から電話があり、娘は、発熱し、迎えに行かざるを得なくなったこともありました。

「お嬢さんは、もう一人の女の子と一緒に、お昼寝をしないで、周りの子供たちを起こして回るから、これからは、お昼寝の時間は、その子と一緒に、別の部屋にいてもらいます!」などと、怒られたこともありましたが、概ね、娘の保育園生活は、順調でした。

 色々、大変なこともありましたが、迎えに行くと、それまで、遊んでいたおもちゃを放り出して、「ママ〜!!」と駆け寄ってきてくれていた娘の姿が、今でも、忘れられません。

 
















2019年12月9日月曜日

パリはフランス人に嫌われている




 私は、パリに住んでいるし、職場もパリなので、日頃は、フランス人といっても、パリ、あるいは、パリ近郊に住む人としか、付き合いがないので、パリがフランス人に、疎まれているということを、あまり感じることは、ありません。

 しかし、パリの人は、感じ悪いな、と思うことは、多々あります。
 特に、サービス業に関しては、特に、お客様は、神様の国、日本から比べたら、天と地ほどの差があります。

 「お待たせいたしました。」とか、「申し訳ありませんでした。」とか、たとえ、相手が客であっても、自分の方が下手になるようなことは、まず、言いません。

 常に、自分の方が上から目線な物言いをすることが多く、何か、問題が起こって、苦情の電話をしたりしても、まず、謝ることは、しません。

 最初は、あまりの感じの悪さに、いちいち腹を立てていた私ですが、そのうち、慣れてしまい、それが、当たり前になり、ムッとはするものの、特に驚くこともなくなりました。

 ある時、仕事で、取り扱いのある、フランスの新製品に関する説明会が、大々的にパリの一流ホテルで行われ、朝食のビュッフェから始まり、昼食には、フルコースのランチを挟み、まる二日間、フランス全土からの参加者と一緒に過ごす機会を持ったのです。

 そこで、私は、初めて、パリ以外に住むフランス人と接する機会があったのです。

 私が、最も驚いたのは、「パリはフランス人にこんなに嫌われているのか・・」ということでした。

 地方から来ていたフランス人は、口々に、「パリなんか、人間の住むところじゃない!」とか、「パリジャン・パリジェンヌは冷たい!」「パリは、公害で、空気が汚い!」「せかせかしていて疲れる!」「お高くとまっている!」などなど、パリの悪口が止まらないのです。

 日本人である私が、パリに対して、あれこれ不満を感じることは、あっても、それを同じフランス人同士で、地方の人が、パリをこれほど毛嫌いしているのには、驚き以外の何ものでもありませんでした。

 地方の人が都会を嫉妬しての感情というのも、多少は、あるにせよ、それだけであるとは、とても思えません。

 フランスでは、パリ以外の街に行く機会があまりない私ですが、それでも、たまに地方に行く機会がありますが、悉く、パリほど評判の悪い街はありません。

 例えば、東京が日本の中で、これほど、地方の人に嫌われているとも思えないのです。

 東京を知っている私としては、パリの暮らしが、せかせかしているとは、決して思わないのですが、パリジャン・パリジェンヌの感じ悪さは、フランス人がフランスを特別な国と思っている以上に、フランスの中でもパリが特別の場所だという、フランス人のプライドを凝縮させたような、パリジャン・パリジェンヌのプライドの一面が見え隠れするせいではないかと思っているのです。

 
























2019年12月8日日曜日

フランス人の結婚観




 先日、久しぶりに、歯医者さんに行ったら、彼女に孫ができたという話をしていたので、「え〜? そんなに大きなお嬢さんがいらっしゃったのですか? お嬢さん、おいくつなんですか?」と驚いて、聞いたら、お嬢さんは、23歳で、まだ学生なのだそう。

 「学生なのに??」と驚く私をよそに、余裕で、「人それぞれのタイミングと生き方があるから・・」と、孫の誕生を喜ぶ彼女に、私は、なんだか、懐の大きさ、大らかさを感じました。

 彼女のお嬢さんのカップルが、結婚しているのか? また、子供を持つタイミングや順序などには、あまり、頓着していないのです。

 フランス人には、日本のような、結婚に対する適齢期のような観念が薄いように思います。それが、早かろうが遅かろうが、その人、その人のタイミングだと考えているのです。

 フランスでは、そもそも、結婚の形態自体が、いわゆる日本の結婚という形態だけでなく、Concubinage (コンクビナージュ・内縁、同棲関係)や、PACS (パックス・コンクビナージュよりも、もう少し正式な関係で、税金、児童手当、相続なども認められる内縁以上、結婚未満の関係)といった事実婚のような形態があるのです。

 結婚の形態をとった場合、離婚の手続きも大変になるため、カップルになって、しばらくは、様子を見て、子供ができたら、せめて、パックスにし、それから、何年か経ったのちに、ようやく結婚するというカップルも少なくありません。

 ですから、家庭を持っていて、子供がいても、その結婚の形態が、正式な結婚の形態なのか? あるいは、パックスなのかは、いちいち尋ねることもありませんし、それほどのこだわりもなく、それがどのような形態であるにせよ、結婚と同様に見なされているのです。

 とはいえ、パリでは、3人に1人が離婚すると言われるほど、離婚率の高い国であるにも関わらず、再婚もまた多いのにも、生涯現役、懲りない人たちだなあと感心させられます。

 実際に、私の主人も再婚ですし、私の同僚にも、よくよく話を聞くと、今のご主人とは、再婚で、子供もその度に産んでいるので、子供も異母兄弟という場合も少なくありません。

 結果、兄弟の年齢差も大きくなり、数も増えるので、はたから、子供の話を聞いたりしても、一体、どの結婚の際の子供だったのか、わからなくなるくらいです。

 また、フランス人には、「結婚と仕事のどちらかを選ばなければならない。」という、観念もありません。結婚しても、働くことは、当然のことだからです。

 おそらく、多くの親世代の人たちが子供に望むのは、結婚の形態がどうであるかということよりも、「良い相手、パートナーを見つけること」や、「充実した仕事につけること」「子供を持つこと」であるように思います。

 ですから、それらは、そのうちのどれを選択するかではなく、それらをどう、うまく組み合わせていけるかということを考えるのです。

 私の若い頃、いわゆる結婚適齢期には、親は、うるさく結婚しろ、結婚しろとうるさくなり、お見合いの話が回ってきたり、母などは、「とにかく、一度でいいから結婚してちょうだい!」などと、結婚するように、急き立てていた時期がありましたが、当時から、母のそのような考え方は、私には、全く理解できないものでした。

 「とにかく、一度でいいから・・」などと、世間体だけを気にしたような物言いは、実際には、何の意味もないのです。

 私は、娘には、なにが何でも結婚して欲しいとは、全く思っていません。クズ男に当たって、人生がめちゃくちゃになる場合だってあるのです。

 だったら、まず、結婚よりも、まず、自分で自立して、生活できるような仕事を持ち、その上で、もし、良いパートナーが見つかり、子供が持てれば良いと思っています。

 ですから、結婚の形態は、パックスであろうと結婚であろうとどちらでも構わないと思っています。

 もっとも、フランスでも、保守的な家庭では、正式な結婚へのプレッシャーは、強いかもしれませんが、それは、少数派だと思われます。

 









2019年12月7日土曜日

母の英語教育




 私の母は、英語が好きで、小さい頃から、私に、英語を教えてくれていました。

 小さい頃のことでしたから、私には、特別に、英語を覚えるとか、学ぶとか、そういった感覚は、まるでありませんでした。

 生活の基本は、日本語でしたが、子供の頃から、母は、私に、遊ぶように英語に触れさせてくれて、自然になんとなく、耳に入ってくる英語に、少なくとも抵抗のようなものは、微塵もありませんでした。

 一番最初は、何だったのかは、覚えていませんが、英語の単語カードで、かるたのように遊んだり、絵本を見ながら、お話のテープを聞いたり、歌を歌ったり、ゲームをしたりしているうちに、アルファベットもいつの間にか覚えていました。

 夜、寝る時には、必ず、英語のお話のカセットテープを聞きながら、寝るのが習慣になっていました。頭が柔軟な子供の時期には、英語版の「ぐるんぱの幼稚園」や「だるまちゃんとカミナリちゃん」などのお話を英語で諳んじることが、無理なくできていたのです。

 やがて、小学校に入った頃に、母は、私一人だけでなく、近所の子供を集めて、家で英語を教えるようになりました。その頃には、英語の読み書きをすることが嬉しくて、楽しくて、初めて買ってもらった、英語のノートの表紙を今でも覚えているくらいです。

 そして、後から、英文法なども、教わりましたが、母は、おかしな英語の場合は、きっと、文章を読んだり、聞いたりしたときには、違和感を感じるはずだから、その感覚に頼りなさいと言いました。

 それでも、私は、英語がネイティブのようにできるわけではありませんが、英語に関しては、少なくとも、苦労して覚えたという記憶がありません。

 かねてから、母は、「私は、英語の音が好きなの。」と言っていて、私は、その時は、あまり、意味がわかりませんでしたが、今は、私にとっても、いつの間にか、英語が耳ざわりの良い言語になっていることに気付かされるのです。

 そして、私に、娘ができた時には、状況は、少し違っていて、生活の基本は、フランス語の環境にいたために、今度は、私は、まず、母が私に英語を教えてくれたように、娘に日本語を教えることになりました。

 それでも、私が娘に日本語を教えるにあたっては、母が私に英語を教えてくれた時のように、日本語のカードを作ったり、絵本を読んだり、カセットテープではなく、ビデオやDVDになっていましたが、日本の幼児番組やアニメを見せて、育てました。

 母は、私に英語を教えることで、私に、自分の子供に外国語を教えるということも教えてくれていたのだと思います。いいえ、英語ばかりではなく、母が私にしてくれた教育を私は親として当然すべきことと思い、娘にも同じことをするのが当然のことと思っていました。

 しかし、私が当然のことと思い込んでいた母が私にしてくれていた教育は、いざ娘に私が同じことをしようとしていると、それは決して、当然ではなく大変なことだったことが身に染みました。英語だけでなく、最初にピアノを教えてくれたのも母でした。ピアノに関しては、娘があまりに嫌がるため、私は、早々に断念してしまいましたが、子供の頃に母が私に英語を教えてくれた英語の単語のカードを使って、娘に英語も教えました。

 そのカードは、今も大切に持っているので、今度は、娘に子供ができた時に、そのカードで娘が自分の子供に英語を教えてくれたら嬉しいなと思っています。


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2019年12月6日金曜日

フランス人のパパの教育




 うちの主人は、パパとして、娘に対しては、怒るとなると、もの凄く怖く、また、ガタイがよくて、声も大きいので、それは、それは、迫力があるのです。 

 私も最初は、あまりの迫力に、緊迫した空気が流れ、こちらまで、なんとなくピリピリした気分になり、憂鬱だなあ・・などと思っていると、それから、まもなくして、二人のケラケラ笑う声が聞こえてきたりして、暗い雰囲気を全く引きずらないので、どうにも、ラテン系の人たちには、付き合いきれない、などと思ったりしたものです。

 怒ると、とても怖いパパですが、普段は、甘々なパパなのです。

 うちの主人には、前の奥さんとの間に、娘よりも、かなり年長の子供が3人いたのですが、いずれも男の子だったので、女の子の扱いに慣れていませんでした。

 誰でも、初めての子育ては、男、女に関わらず、初めてなのですから、子供をどうやって育てていくかは、手探りでやっていくしかありません。

 ところが、逆に、主人の場合は、ヘタに3人分の男の子の子育ての経験があったため、主人は、まるで、男の子を育てるように娘を育てようとしました。

 毎週のように、主人は、娘をグラウンドに連れて行き、トラックを走らせたり、ダンベルのようなものを使った、筋トレのようなことまでさせて、まるで、マッチョを養成するかのごとく、彼女を鍛えました。

 幸い? 彼女は、エネルギー溢れる子供でしたので、主人のトレーニングにへこたれることもなく、主人の期待どおりに、小さい頃から、自分で腕をまくって、拳を握りあげ、自分の力こぶが盛り上がるのを自慢するような子になっていました。

 私は、内心、小さな女の子が力こぶ自慢をするのも、どうかと思っていましたが、まあ、年頃になれば、変わるだろうと口をつぐんでいました。

 やがて、彼女が成長するにつれ、ちょっと洒落た格好をするだけで、「シャネルのデフィレ(ファッションショー)じゃないんだから・・」と、顔を曇らせました。

 主人は、娘がチャラチャラした女の子になることを極度に嫌っていました。

 しかし、そんな男まさりな筋トレから、多少、方向転換の兆しが見えたのが、私が望んで、始めさせたバレエのレッスンでした。

 バレエは、私自身の憧れでもあり、また、近くのバレエスタジオにパリのオペラ座の先生がいらしたりしたこともあり、女の子には、人気のお稽古事でもあり、クラスの半分くらいの女の子が来ていました。

 ピンクのチュチュを着た小さな女の子たちは、小さなナルシストの集まりのような雰囲気で、それまでの筋肉自慢のパパの教育とは、別世界でもありました。

 バレエのレッスンを重ねることによって、彼女の力こぶ自慢の路線からは、少しは、軌道修正できたかに思われましたが、基本的には、小さい頃に主人が鍛えた路線が未だに彼女の根底に根付いています。

 しかし、あたりを見回してみると、フランス人の女の子には、日本人の若い女の子のような、いわゆる女の子らしい、か細く、ふわっとした感じの子というのは、あまり見当たらず、どちらかというと、キリッとしていて、強いイメージです。

 ファッションも、どちらかというと、カジュアルで、シンプルです。

 主人の教育は、少し極端な例だったのかもしれませんが、周りの女の子の仕上がりを見てみると、必ずしも、まるで例外というわけでもないような気もするのです。



 









 

 

 











 

2019年12月5日木曜日

いつの間にか死語になっていた言葉と新しい言葉




 私が、日本で最初に就職した会社は、ある大手メーカーの本社で、研究部門のトップが集まっている、会社全体の研究を企画、運営しているセクションで、若い男性の存在は、皆無で、かなり年輩の男性が多く、平均年齢が50歳以上という、社内恋愛には、絶望的な環境でした。

 年齢的なものに加えて、理系出身者が多く、浮世離れした人が多かったせいもあるかもしれませんが、当時、彼らの口から発せられた、いくつかのワードに驚かされたことが、ありました。

 私が、「夏休みをとって、海に行くのです。」という話をした私に、「ほ〜っ!海水浴ですか〜!」と言われ、「海水浴」・・なかなか言わないなあ・・と驚かされた覚えがあります。

 また、雨が降ってきて、「今日は、コウモリ持ってきてない・・」と呟くおじさんもいて、「コウモリ」・・って・・と、苦笑させられたこともありました。

 つまり、意味がわからないことは、ないけれど、普通、今は、あまり使わない言葉、「死語」だったわけです。

 海外生活も長くなり、今となっては、きっと、立場が逆転し、私の方が、「死語」を使っている可能性が高いですし、新しい言葉で、日本語にも関わらず、意味がわからない言葉に遭遇して、慌てて、調べる・・ということもあります。

 また、これは、死語ではありませんが、ある時、娘に「レコードって何?」と聞かれて、明らかに世代の違いを感じて、愕然としたことがありました。

 考えてみたら、彼女が生まれた時には、レコードというものは、ほとんと一般的には、存在しなくなっており、恐らく彼女は、レコードを見たこともないのです。

 しかし、死語は、海外で使っていても、自分自身で、あまり気付くことも、気付かれることもありませんが、新しい言葉がわからないことには、ちょっとショックだったりすることもあります。

 私の友人で、30年以上、パリに住んでいる日本人の女性がいますが、彼女は、普段、ほとんど、日本人との接触もなく、ある時、ふと私が、口にした、「イケメン」という言葉に、???「イケメン」ってなに??と問われて、これまた、長いこと彼女が日本語に接していないのだなあ・・と、これは、これで、新鮮な驚きでした。

 私は、ある日本の雑誌で、パリのお店の商品を紹介している記事を見ていて、その中で、「ガーリー」(女の子っぽい、girly )という言葉が使われていて、日本語なのに、わからない言葉との遭遇で、ちょっとしたショックを受けました。

 日本にいたとしても、あまり使う機会がなさそうな言葉ですが、こうして、日本を離れている間に、死語になっていく言葉と新しく生まれる言葉があることに、いつのまにか、積み重なる日本との距離に感慨深いものがあるのです。

 

 

 










2019年12月4日水曜日

アフリカのアパートにいたケチケチな外交官




 私たちがアフリカに住んでいた頃に、わりと、家族ぐるみで、行き来をしているフランス人の外交官がいました。

 私たちが住んでいたのは、フランス人の公務員専用のレジデンスで、高い塀に囲まれ、レジデンスの入り口には、常に警備員が数名おり、気軽に外の人が出入りできるような所ではありませんでした。

 しかし、庭やプールなどを含めると、相当、大きな敷地でしたので、多分、かなりたくさんの人が住んでいたと思うのですが、正直、ほとんど、他の住民には、会ったこともない、今から考えると、不思議な空間でした。

 アパート自体も、ワンフロアに一家庭、しかも、それぞれがメゾネットになっているので、建物の大きさの割合にしては、住民は少なく、出かけるときは、誰もが大抵、車なので、顔を合わせるということもあまりありませんでした。

 そんな中で、同じ、アパートの中に住む、主人が唯一、付き合いのある、主人よりも少し年上のフランス人の外交官がいました。

 彼は、主人の同僚の外交官で、奥さんは、ラオスの人でした。

 アフリカも初めてだった私に、彼ら、特に、奥さんは、色々とアフリカでの生活について、親切に教えてくれました。

 しかし、少しずつ、慣れていくに従って、彼らが異常にケチであることに気づき始めました。フランス人というのは、概してケチで、締まり屋の人が多いのですが、今から考えると、彼らは、異常にケチでした。

 反対に、うちの主人は、フランス人なのに、もう少し、気をつけてよ!というくらい、大盤振る舞いをする人で、うがった見方をすれば、主人は、カモられていたのかもしれません。

 彼らは、主人より年上でもあり、海外生活も格段に長く、色々な国を転々としている人たちだったので、それなりの収入は、あったと思うので、なぜ、彼らがあれほどまでにケチケチな生活をしていたのか? 今から考えれば、とても妙な人たちでした。

 今なら、ネットもスマホも誰でも持っているので、そんな問題も起こらないと思うのですが、当時は、まだスマホもなく、携帯はありましたが、通信手段の大部分を家の電話やファックスに頼っていた時代です。

 彼らは、自分の家に電話もファックスも置かず、電話が必要な場合は、必ず、我が家に電話を借りに来ていました。しかも、その多くが国際電話です。

 また、夜に一緒に、カクテルパーティーをしたりすることがあっても、必ず、場所は、我が家で、彼らの家は、絶対に提供しないのです。

 外で、主人と二人で飲んでいたりして、彼らと偶然出くわしたりしても、支払いは、必ず主人です。

 また、アフリカでは、外国人に対して、現地人の使用人を置くことが義務付けられていますが、彼らは、週3日だけ、しかも半日の最小限に留めていました。

 うちにいたボーイさんは、ほぼ毎日、来てくれていましたが、それでも彼らの月給は、月2万円程度でした。それを半分以下に抑えるのですから、なかなかです。

 現地のボーイさんは、大体が、前任者から、そのまま引き継がれて、雇用されることが多いので、彼らの家に来ていたボーイさんは、雇い主が彼らに変わって以来、収入が半分以下になってしまったわけですから、大変な痛手であったとボーイさん連中の間でも彼らのケチぶりは、有名であったようです。

 ところが、そんなケチな二人は、自慢話が大好きで、特に、パリの16区にアパートを持っているというのが、たいそうご自慢なようで、これまで、転々としてきた任地で買い集めたお宝を16区のアパートに飾っているのだそうで、どれだけ、パリのアパートの話を聞かせられたかわかりません。

 考えてみれば、ケチな人ほど自慢話が多いような気がします。

 当時は、主人との生活自体も、アフリカでの外交官の生活にも不慣れだった私は、自分自身が生活に慣れることに必死で、彼らの振る舞いにも、あまり、疑問を感じませんでしたが、今、思い返してみれば、ツッコミどころが満載です。

 定年を迎えたら、パリの16区で暮らすのだと言っていましたので、彼らの人生設計どおりに行っていれば、彼らは、今、パリに住んでいると思うのですが、私たちがアフリカを離れた時に、彼らは、また、アフリカの別の国に転勤になったので、それ以来、会ったことはありません。

 彼らが今、パリの16区で相変わらずケチケチな暮らしをしているのか? ちょっと覗いてみたい気もします。


 














2019年12月3日火曜日

基本、信用しないことで成り立つフランスでの生活




 我が家の近所には、大きな passerraile (パスレール)(歩道橋、陸橋のようなもの)があって、その陸橋には、かなり高い階段とともに、エスカレーターがついていました。

 私が現在の住まいに引っ越してきた頃から、そのエスカレーターは、動いたり、動かなくなったり、修理を繰り返して使われていたので、運が良ければ、動いているかな?という感じでした。

 それが、5年ほど前に、とうとう、エスカレーターは、撤廃して、新しくエレベーターが設置されることになりました。

 壊れたエスカレーターには、工事中の柵がかけられたまま、工事は、なかなか始まらず、2年くらい放置されたまま、これなら、せめて、エスカレーターの上を歩かせてくれる方が遠回りしなくて済むのに・・と思いながら、陸橋を渡るときには、長い階段を登っていました。

 そして、ようやく工事に取り掛かり始めてから、さらに、また約2年、工事は、何回も中断しながら、ゆっくりゆっくり進み、つい最近、ようやくエレベーターの様相が現れ始めました。

 これから、また、どれだけかかるかと、もはや、期待さえ、しなくなっていましたが、つい先日、どうやら、完成したようで、通りかかった時に、恐る恐るエレベーターのボタンを押してみると、エレベーターが降りてくるではありませんか?

 最悪、途中でエレベーターに閉じ込められることを覚悟で、携帯電話を握りしめながら、エレベーターに乗って、陸橋の上にすんなりと着いた時の感動といったら、ありませんでした。

 エスカレーターが壊れて、エレベーターが設置され、それが普通に動くことに、こんなにも感動する自分に、改めて、いかに、フランスでの生活の一つ一つの事柄を信用しないことを前提に暮らしていることに気付かされたのです。

 それは、もう20年以上にもなるフランスでの生活の一つ一つに、少なからず、痛い目にあってきた結果なのです。

 たとえば、駅で、切符を買うのに、今は、自動券売機が主流ですが、私は、必ず、券売機で切符を買うのにも、駅員がいることを確認してから買います。

 券売機には、問題があった時に、問い合わせのできる呼び出しボタンのようなものが着いていますが、呼び出しボタンに応答してくれる人が出てくれるとは、限らないからです。

 問題が起こった時には、その場で、苦情を訴えなければ、泣き寝入りすることになる可能性が大です。

 以前、券売機にカードを通して、カードが通ったことが確認されてから、切符が途中で、出てこなくなってしまったことがありました。

 幸い、駅員さんが窓口にいたので、返金の手続きをしてくれたので、よかった・・と思っていたのですが、後日、お金は、落とされていないので、返金の必要がないと確認されましたという通知がパリの営団交通から通知が届きました。

 人を介してでさえ、そんなことがその場で確認できない、いい加減さには、もうお手上げですが、トラブルをできるだけ、回避し、トラブルに遭った時には、どう対処するのか、また、対処しやすい方法で生活することをいつの間にか、悲しいかな、身につけてしまっているのです。

 ネットで注文した商品が届かない、紛失する、家の中の工事を頼んでも、約束の日時に来ないことなど、普通です。

 いつか、インターネットが故障した際にネット会社に問い合わせの電話をして、ある程度、色々なことを試みて、やっぱり修理が必要だということになり、修理の担当の人が来てくれたことがありましたが、要領を得ない人で、色々といじった挙句に、「わからない・・、次回、別の人に来てもらいますから・・」と言って、帰って行ったことがありました。

 修理の人が来ただけで、出張料金が取られます。お金だけでなく、こちらもそのための時間をまた、割かなければならないし、何より、その間、インターネットは、使えません。

 フランスでは、修理ができない人も修理に来る可能性があることをその時、学びました。

 果たして、次回は、優秀な人が修理にやってきてくれて、難なく、修理は、完了しました。私は、次回、もし、また、修理が必要になった時のために、その人に頼み込んで、次回は、個人的にお願いしたいからと、連絡先を聞きました。

 彼は、会社には、絶対に言わないことを約束してくれるなら・・と連絡先を教えてくれました。

 幸い、それ以来、インターネットが故障することはなく、彼に連絡したことは、ありませんが、トラブルが起こった時に、少しでも痛手を最小限にする生活の仕方を常に何重にも用意して暮らしているのです。

 「信用しない」「期待しない」「黙って諦めない」これが、私のフランスで生活していくためのモットーのようなものです。

 こうして生活していると、5年がかりで、やっと完成したエレベーターがすんなり動くことに感動するようになるのです。

 正直、こんなことに感動している自分に気づいた時は、とても、微妙な気持ちになりました。


 







2019年12月2日月曜日

フランスは、靴の文化の国




 私が妊娠したのがわかった時、主人が一番最初に娘のために買ってきてくれたのは、赤ちゃん用のかわいいピンクの靴でした。

 妊娠がわかった時には、すでに性別を教えてもらって、女の子だということがわかっていましたので、女の子用にとピンクの靴を選んだのだと思われます。

 しかし、赤ちゃんのための、最初の買い物というのが、靴だというのが、私には、どうにも解せませんでした。

 まだ、歩きもしない赤ちゃんに靴・・しかも、当時は、アフリカにいて、娘が生まれてすぐに、パリへの転勤が決まっていたのに、フランス製の靴をアフリカで買ってくるという不経済。(アフリカでは、輸入品は高いのです。)

 考えてみれば、フランス人というのは、靴の文化の国の人で、我が家では、家の中が汚れるのが嫌なので、土足厳禁ですが、家の中でも土足という人が少なくありません。

 日本人と比べて考えたら、圧倒的に靴を履いている時間が長いのです。

 赤ちゃんにも歩く前から靴を履かせます。

 フランスだと冬は寒いので、防寒の意味もあるのでしょうが、しかし、実際は、四季は関係なく、赤ちゃんにも靴を履かせます。

 そんな、主人は、娘が小さい時から、革靴を履かせ、運動靴を履かせるのを嫌いました。もちろん、スポーツをする時には、スポーツシューズでしたが、それ以外、学校の通学などにも革靴を履かせていました。

 主人曰く、革靴をきちっと履いていないと、足の形が悪くなるというのです。

 娘は、主人が買ってくる革靴を履いて、学校へ通っていましたが、実際、子供が学校で遊ぶとなったら、革靴であることなど、おかまいなしに走り回って遊ぶのですから、その痛み方も半端ではありません。

 また、スポーツも、なんでも、運動靴一本ではなく、randonnée (ランドネ)(ハイキング)用の靴、ボルダリング用の靴(ボルダリングはフランスでは、結構盛んで、学校にもボルダリング用の壁があったりします)、スキーの靴、バレエ用の2種類の靴、乗馬用の靴、などなど、年々大きくなっていく、娘の靴を一体、大きくなるまでにどれだけ買ったことかわかりません。

 その上、フランスの子供は、小さい子供でも、冬はブーツを履いています。

 早く、足の大きくなるのが止まってくれないかと、どれだけ思ったことかしれません。

 それだけ、靴にこだわるだけあって、主人は、靴みがきが好きで、なぜか、トイレにこもって、家族中、みんなの靴を磨いてくれます。ですから、おかしな話ですが、我が家の靴みがきのセットは、トイレの棚の中に入っています。

 先日、メトロに乗っていて、冬になり始めで、周りの人の服装が急に冬めかしくなってきて、メトロの中の人の服装の様子をなんとなく、眺めていて、冬になると、おしゃれな人が目立つなあとぼんやりと思っていました。

 そして、メトロの中で、なんとなく、おしゃれな男性を観察していて、私は、あることに気付いたのです。

 おしゃれな男性に共通するポイントは、靴なのです。

 おしゃれなおじさまは、ちょっといい、良く手入れされた革靴または、ショートブーツを履いているのです。

 服装のセンスがいいだけでなく、その服のセンスを引き締めて、際立たせているのは、靴なのだと、改めて、靴にこだわる主人の気持ちがわかったような気がしました。

 

 











 

2019年12月1日日曜日

パリに長く住む男性が日本でお見合いをして再婚するまで・・




 そういえば、なぜ、パリにいるのかわからないけど、パリにいる日本人というのは、けっこういるもので、彼女もまた、そんな一人でした。

 今、考えてみたら、ビザは、どうしていたのか、わかりませんが、ワーホリという話も聞いたこともないけれど、働いていたこともあるので、学生ビザで、アルバイトのような感じだったのか? 不明です。

 彼女は、30代半ばくらいの、なかなか、綺麗な人で、以前、CAをしていたと言っていましたが、結婚するつもりで退職したのに、結婚話が流れてしまったという話でした。

 それで、気分転換をしたくてフランスに来たのかは、わかりませんが、彼女は、ある日系企業の方からの紹介で、一時、私のいた職場に短期間ですが、アルバイトに来ていたことがありました。

 彼女を紹介してきた、その日系企業に勤める男性は、かなり、パリには、長く住んでいる、現地採用のバツイチの男性で、取り立てて、目立つところもなく、あまり、パッとしない、どこか、セコくて、ずるい感じのする印象でしたが、その会社も、業績不振で、どんどん、人を減らしている中、なぜか、生き残って、そこそこのポストには、ついていました。

 実のところ、彼は、彼女に結構なご執心で、それからというもの、彼女を誘うために、彼は、頻繁に会社に顔を見せるようになったのです。

 彼女の方もアルバイトを紹介してもらったりした手前もあったのか、そうそう彼のことを無下にもできず、誘われれば、食事に行ったりしていたようです。

 彼女がそれ以上に、どんな付き合いをしていたのかは、わかりませんが、そのうち、彼の方はどんどんと彼女にのめり込んで行く様子で、彼女に、手作りのお弁当を届けに来たり、彼女が引っ越すといえば、引越しを手伝ったりと、パリに不慣れな彼女をかなり献身的に支えて、頑張っているようでした。

 彼女の方は、まるで、その気はないようなのに、無下にもできないのか、のらりくらりと交わしていたようですが、引越しの際に、新しいテレビをプレゼントしてくれた・・という話を聞いて、「え〜〜? 付き合ってるの?」と、私は、ちょっと、ビックリしましたが、彼女の方は、「付き合ってるわけじゃないですよ〜! でも、くれるっていうから、もらっちゃった・・」と意外とあっさりとしたものでした。

 果たして、彼女のパリでの生活の方も落ち着き始めると、彼女には、フランス人の彼氏ができました。

 彼の方は、そんな彼女の様子を見て、諦めたのか、日本に一時帰国した際に、日本人の女性とお見合いをして、結婚するということになったようです。

 彼の方は、よほど、結婚(再婚)をしたかったのでしょう。

 彼の再婚が決まって、すぐに、彼の元から、彼女に連絡があり、いつかのテレビを返して欲しいとのことでした。彼女は、苦笑しながら、「別に返すからいいけど・・」と話してくれました。

 アルバイトの世話をしたり、お弁当を作って届けたり、引越しを手伝って、テレビまでプレゼントをして、彼女の気を引こうと頑張ったのに、自分の再婚が決まった途端に、フラれた相手に自分のあげたテレビを返せとは、彼の気持ちも、わからないでもないですが、これまた、ビックリな話です。

 彼が新婚家庭で、そのお見合い相手の奥さんと一緒にテレビを見ているかと思うと、何も知らないであろう奥さんが、なんだか、ちょっと、気の毒な気もします。

 

 











 
 

















 

2019年11月30日土曜日

フランスの休日営業とショッピング




 フランスは、だいたいのお店が日曜、祝日は、お休みです。

 パリに来て当初は、みんな、ウィークデーに働いているのに、日曜日にお店が閉まっていたら、不便だなぁと思っていました。

 だいたい、私は、あまり、買い物が好きではないのですが、それでも、デパートなどは、日曜日に行くもののような気がしていたのです。

 しかし、慣れとは恐ろしいもので、だいたいの日用品の買い物は、土曜日、あるいは、ウィークデーの仕事の合間や、帰りにすれば、日曜日には、まったくの休日を過ごせるので、それは、それで悪くもありません。

 ものぐさで、ショッピングというものが、あまり好きではなく、買わずとも、ウィンドーショッピングをして歩くようなことが私にはないので、まあ、誰か、知り合いがパリに来た時に、付き合って、お店を回ることはあっても、何も買わずに見るだけで・・なんていうことは、私の場合は、まずありません。

 パリでも、シャンゼリゼや、マレ地区、ベルシーヴィラージュなど、観光客が多い地域は、日曜、祝日でもお店はやっていますが、それ以外では、なかなか、日曜日の営業許可を取るのが大変なのだそうです。(レストランなどの飲食店は、別です。)

 特に、通りごとに、日曜・祝日の営業許可がおりやすい通りとそうでないがあるそうで、同じ区内でも、ほんの一本、通りがズレただけでも、難しかったりするのだそうです。

 それに加えて、フランスは、労働組合が強く、それもまた、日曜・休日営業の妨げになっているのです。

 フランスの法律では、日曜出勤の場合は、double payé (ドゥーブルペイエ)といって、日曜出勤の分は、倍額の支払いになるので、独身だったり、子供がいない人などは、むしろ、日曜日に働きたい人もいるだろうし、これだけ、失業者が多いのですから、日曜・祝日だけ働くという人を採用して、休日も営業した方が増益になると思うのですが、労働組合からは、自分たちの職域を侵すとして、それも、ままならないそうなのです。

 なんとも、経済的な効率の悪い国です。

 24時間、年中無休の日本とは、エラい違いです。

 それでも、12月のクリスマス前の多くの人がクリスマスプレゼントを買い集める書き入れ時ともなると、さすがにパリのデパートなども日曜も営業しています。

 フランスでは、一年のうちのかなりの割合の売り上げがこの12月のクリスマス前のシーズンに偏っているのだそうです。

 ところが、昨年は、11月から始まった黄色いベスト運動が加熱して、12月は、ショッピングどころではないことになり、土曜日なのに、デパートが閉店したり、多くのお店がシャッターをおろしてしまったりしていました。

 今年は、12月は、大きな国鉄のストライキが予定されているので、また、パリのショッピング事情は、12月の書き入れ時というのに、ピンチを迎えそうです。

 普段は、あまり、贈り物などをする習慣もない、ケチなフランス人がクリスマスの時だけは、家族みんなにプレゼントを用意して、クリスマスを迎えるので、フランスにとっては、クリスマスは、大きな経済効果をもたらしている行事でもあるのです。

 知り合いに、これぞ、フランス人という、フランス人の良いところも悪いところもキッチリ持っている女性がいるのですが、彼女に去年のクリスマスプレゼントは、どうしたの? と尋ねたら、去年は、全然、買い物に行けなかったから、全て、ネットショッピングで済ませたのよ!と言っていました。

 ネットなら、土日も休まず、テロもデモも関係ありませんから、ますます、フランスでも、路面店やデパートなどから、どんどん顧客は、離れていくでしょう。

 それにしても、こう毎年毎年、経済に大きなダメージが出るようなことが起こっても、持ちこたえているフランスは、スゴい国なのかもしれないです。








2019年11月29日金曜日

フランスの天気予報は当たらないのに洋服選びが上手なフランス人

春夏秋冬を通して、パリは、一日の気温の寒暖の差がとても激しいのです。

 これまでは、真夏でも、日中は、とても暑い日があっても、夜になると、気温が下がり、湿度もないので、夜、帰ってきて、アパートの建物の中に入ると、スッと涼しくなり、そんなに寝苦しいということもなかったので、クーラーもいらないくらいでした。

 ところが、ここ数年は、夏は異常に暑く、今年の夏は、42℃という猛暑を記録しました。しかし、これも、いつまでも、引きずるかと思えば、そうでもなく、翌日には、スッと気温も下がりました。

 日頃も、朝晩と日中の寒暖の差は激しく、今の季節だと、朝晩の、特に朝の寒さが厳しいですが、家の中は、暖房がしっかりと入っているので、夏の場合とは違って、冬は、家の中では、ヌクヌクと過ごすことができます。

 最近は、気温の変化にも気をつけて、必ず、天気予報を見て、洋服には、気をつけてでかける習慣ができたのですが、パリに来た当初は、なかなか慣れず、暖かいと思ったら、寒かったり、寒いと思ったら、暑かったりと、気温の変化に服装を合わせるのが大変でした。

 しかし、この天気予報が、なかなかの割合でハズレるのです。特に、雨が降る、振らないという予報は、当てにならず、1日のうちに予報がコロコロと変わるのです。

 感心するのは、この当たらない天気予報でも、フランス人が、この気温や天候の変化に上手に適応した服をしっかりと着ていることです。

 これだけ、色々なことの段取りが悪く、スムーズにことが運ばない国なのに、気温や天候の変化に適応するのは、見事です。

 子供の頃からの習慣になっているのでしょうが、暑くなりそうな日は、ちゃんと、薄着になれるようなものを着ていたり、逆に寒くなりそうな日は、しっかりと厚手のセーターやコートを着ています。

 私が思うに、フランス人は、日本のようなキッチリとした衣替えらしきものをしないのではないかと思うのです。

 少なくとも、うちの主人は、厚手のコートなどを季節外れには、クリーニングに出したりしておくものの、それが、戻ってきても、タンスの奥の方に押し入れられるだけで、夏も冬も大して変わりません。

 個人差もあるでしょうが、だいたい、持っている洋服の数が、日本人と比べて、圧倒的に少ないように思うのです。

 だいたい、室内は、冬でも、半袖でいられるくらい暖かいのですから、それほど着込む必要もないので、コートやマフラーなどをすれば、コートの中は、大して変わらなくても大丈夫でもあるのです。

 とはいえ、メトロの中の周りの人を見ていると、秋っぽくなってきたと思ったら、急に皮のジャケットを着ている人がグッと多くなってきたり、あれ? なんか、寒いかも・・なんて思うと、そういえば、ちゃんとダウンを着ています。
 
 そして、季節にあった服は、やはり、おしゃれに見えるのです。

 パリジャン、パリジェンヌがおしゃれに見えるのは、ひょっとしたら、この変わりやすいお天気に順応することから、育まれているのかもしれません。


2019年11月28日木曜日

フランスの児童保護機関から子供を守るために日本へ帰った男性の話




 彼は、仕事の関係で、私の勤めていた会社に出入りしていた、日本人の男性で、頭の回転も良く、よく気も回り、親切で、とても感じの良い青年でした。

 彼は、フランス人の奥さんと、三人の子供とともに、パリで暮らしていました。

 彼とは、そんなに頻繁に会う機会があったわけではありませんが、彼は、仕事で、時々、会社に顔を見せてくれていましたが、いつも、明るく、快活で、日本人で、同じように、フランス人と家庭を持っているということで、顔を合わせれば、世間話をしたりしていました。

 そういえば、しばらく、見ないな・・と思いながら、いつの間にか、時間が経っていて、彼が久しぶりに会社に顔を見せてくれた時、ふと、私は、あれ? なんか、感じが変わったな・・と思いました。

 私は、感じたままに、彼に、「なんか、少し、感じが変わられましたね。」と何の気なしに、口にしてしまったのです。

 彼は、ちょっと、ビックリした様子で、「えっ? そうですか?」と、言いながらも、「実は・・」と、彼に起こっていた非常事態を話してくれました。

 結婚する前から、少し、精神的に不安定だったりすることがあったというフランス人の奥様の病状が悪化して、入院してしまったのだそうです。

 それからというもの、彼は、男手ひとつで、まだ小さい子供を育てながら、仕事を続けていたのだそうです。大変ではありましたが、彼は、とても前向きで、そんな生活の中でも、子育てを楽しみながら、休日には、同じような、一人で子育てをしている友達を見つけて、それぞれが子連れで集まって、時間を共に過ごして、情報交換をしたり、お互いに助け合ったりして、暮らしていたのだそうです。

 フランスには、児童虐待や育児放棄などから、子供を守る公的な機関があるのですが、ある時、突然、その機関が彼に目をつけ、彼の家庭に調査が入ってしまったのです。

 調査の結果、彼が子育てに不適格な状況であると判断されれば、子供は、取り上げられてしまうのです。

 このような時は、フランスにおいて、外人であることが、ハンディになってしまうのです。たしかに、難しい環境ではありましたが、しっかりと仕事をしながら、あんなに子供を大切にしている彼が、とやかく言われる筋合いは、ないのです。

 奥様が、精神的な疾患を患っていたということも、問題視されたと言います。

 しかし、彼女は、入院治療をしていて、育児に携わっているわけでもありません。

 それでも、その調査員の追求は、執拗で、彼は、児童保護案件に詳しい弁護士さんを探し出し、相談に乗ってもらっていました。

 たしかに、フランスでは、児童手当を受け取るために、子供をやたらと産んでは、育児は、放棄同然のようなクズも多いので、そういった機関が必要なことも否めません。

 ただでさえ、一人で働きながら、三人の子育てをするだけでも大変なうえに、その調査員たちとの闘いが降りかかってきたのですから、彼の方も余計に追い詰められていきました。

 その児童案件専門に請け負っている弁護士さんと相談しながら、ある日、彼は、弁護士さんから、恐ろしいことを耳にしたのです。

 彼は、プロですから、色々な案件を目にしているのです。

 あまりに執拗な調査員の介入には、理由があったのです。

 それは、子供を一人を保護するにつき、2000€の報酬が調査員に入るということなのです。その報酬目当ての悪徳調査員なるものもいるのです。

 正義の名のもとに、国の機関という絶対的な権力を持つ人と闘うのは、容易なことではありません。

 全ての調査員が悪意を持って、仕事をしているわけではないでしょうが、聞いただけでも、私は、震えあがりました。

 そして、どうしても、子供を取り上げられそうになった場合は、子供を連れて、日本へ帰るのが、一番、間違いないと、言われていたそうです。

 フランスと日本の両方の国籍を持っている子供は、日本へ行ってしまえば、治外法権となるため、フランスの公的機関も手を出せなくなるからです。

 久しぶりに会った彼が、なんとなく、以前と感じが違うな・・と感じたのは、やはり、彼が、そんな、大変な場面を経験してきたからだったのかもしれません。

 果たして、彼は、色々と考えた末、子供を連れて、日本へ帰国することにしたのです。

 出国の際には、出国審査の時に、フランス在住者の年少の子供連れの場合は、停められる場合もあるので、ドキドキしながらの出国だったそうです。

 結果的に、彼は、自分の実家の近くに住まいを移し、両親の助けも借りながら、今は、日本で、後からやってきたフランス人の奥さんとともに、家族5人で生活をしています。





































2019年11月27日水曜日

フランスの学校の先生の仕事は授業を教えることだけ フランスに金八先生はいない




 フランスの学校の先生は、基本的に学校で授業を教える以外のことはしません。

 また、先生の研修なども、フランスの学校には、あれだけの長いバカンスがありながら、(年間でトータルすると3ヶ月以上はあるのではないでしょうか?)授業のある期間に行われるのです。

 つまり、研修は、仕事の一環であって、バカンス中は、先生も仕事をしないということなのでしょう。

 また、給食もキャンティーンには、キャンティーンの見張りをするような、職員がいるので、給食の世話をするということもありません。

 フランスの学校には、日本でいう、クラブ活動のようなものもないので、部活の顧問の先生なんていうものもありませんし、学校の外で起こったことに関して、一切、関知しません。個人の生活に関わることもありません。

 つまり、自分の受け持つ授業を教えるということが、彼らの仕事なのです。

 以前、私の勤め先の近くにあった中学校の生徒が、会社の入っていたビルの前に座り込んだり、暴れたり、いたずらをしたりと、あまりに酷かったので、会社の人が学校に苦情を言いに行ったら、「学校外で起こったことに関しては、学校は、一切、関知しません。」と言われたそうで、学校外のことを先生が生徒に注意したりすることもありません。

 日本でも、先生の当たり外れは、ありますが、フランスの学校の先生のハズレは、ケタ違いです。

 娘が小学生の時でしたが、一度、酷い先生に当たったことがありました。

 フランスの学校には、校内にプールがあることは、ほとんどないので、水泳の授業は、市内のプールを学校毎に交代で、割り振られて使います。なので、水泳の授業は、夏ばかりにあるとは、限らずに、真冬に当たることもあるのです。

 室内の温水プールですから、泳ぐ分には、問題は、ないのですが、その行き帰りの道は、寒い中、みんなで、ぞろぞろと歩いて行くことになるわけです。

 プールの室内と外の温度差が激しくて、風邪を引いてしまうのでは・・と、親なら、誰もが心配するところです。それなのに、「女の子のタイツは禁止」と、先生から、お達しが・・「え〜〜??なんで〜〜??」と思いきや、「着替えに時間がかかるから・・」とのことで、呆れました。

 また、授業中も、無駄に厳しい先生で、授業中にトイレにどうしても行かせてくれずに、漏らしてしまった気の弱い男の子もいました。

 極め付けは、授業中、具合が悪くなったと申し出た生徒に対して、「私は、医者じゃない!」と言い放ったとか・・。これには、さすがに、父兄の間で、連絡が周り、学校にも申し入れが入ったと聞いています。

 しかし、中学、高校と進むにつれて、進学校であったこともあるのかもしれませんが、素晴らしい先生もいて、年に一度、担任の先生が一年間の授業や進学の問題についてのレクチャーを父兄向けにする機会がありましたが、その中には、こんなに高い志を持って、教育に携わっている先生もフランスにもいるのだ・・と感心させられるような先生にもお世話になりました。

 その懇談会から帰ってきて、娘に、「素晴らしい先生じゃない!!」と言うと、娘は、シラっとして、「営業、営業!!だって、いつもは、あんなにいいスーツ着てないし・・」などと、半分、照れながら言うのですが、先生のお話は、そんな、営業で、付け焼き刃で話せるような内容ではなく、教育という仕事に対する情熱と信念を感じさせるようなお話でした。

 兎にも角にも、フランスの先生の仕事は、授業を教えることであって、クラブ活動などの世話をしたり、個人的な事情に関わって面倒を見たりすることはないのです。

 フランスの学校には、金八先生は、いないのです。

 











 

2019年11月26日火曜日

日本を知らない日本人




 日本人とフランス人のハーフの場合、多分、圧倒的にお母さんの方が日本人だというケースの方が多いような気がします。

 私の周りにいたフランス人と結婚している日本人女性は、子供が小さい時、特に、夏休みなどの長いお休みの期間は、子供を連れて里帰りをしていた人が多かったので、日本を知らずに育つ日本人というケースをあまり聞いたことがありませんでした。

 女の子の方が、結婚してからも、その実家と近いというケースが多いと聞きますが、日本とフランスと離れて暮らしている場合、なおさら、男性の方が実家と遠ざかってしまうケースが多いかもしれません。

 娘の学校には、フランス人と日本人とのハーフの女の子がいて、名前も、あゆみちゃんという日本の名前なのですが、まるで、日本語を話せず、日本にもほとんど行ったことがないという日本人の女の子がいました。

 その子の場合は、お母さんがフランス人で、お父さんが、日本人なのですが、お父さんも、ほとんど家でも日本語をほとんど話さない上に、日本の実家とも疎遠になっていて、日本にもほとんど行かないような人だったので、あゆみちゃんは、日本人でもありながら、日本を知らずに育ちました。

 しかし、お母さんが日本人の女性でも、日本には、ほとんど行かずに、子供ともフランス語で暮らしているという人も知っています。

 子供は、日常は、彼女と生活しているのですが、フランス人の夫とは、現在、離婚協議中で、週末は、別居中のフランス人の夫の元で過ごしています。

 彼女は、かなり、バリバリと仕事をしている女性で、夏休みなどの学校が長期のバカンスに入る期間中は、全て、パパの実家の方に子供を預けてしまうのだそうです。

 日本へ行くのは、それなりに時間もお金もかかるし、実家との関係などにも、それぞれの事情があるでしょうから、一概に彼女のやり方を否定は出来ません。

 しかし、この子の場合も、日本を知らずに育つ日本人確定です。

 こんな話を聞くと、私は、残念でなりません。

 普段、私は、そんなに愛国心旺盛なタイプではありませんが、たとえ、半分でも、せっかく日本人として生まれたのに、なぜ、自分の国に少しでも触れさせようとしないのか?

 せっかく、二つの国に触れる機会を持って生まれてきた子供が、フランスで暮らしているからといって、日本という国や、日本の文化を全く知らずに大人になってしまうのは、もったいないではありませんか?

 私は、日本にいる時よりも、海外にいる時の方が自分が日本人であるということを自覚し、意識することが多いのです。

 日本の良いところも悪いところも、海外にいるからこそ、わかることも沢山ありますが、色々な国から来ている外国人の話を聞いても、日本は、やはり、なかなか誇らしい国でもあります。

 ハーフとして生まれた子供たちにとって、たとえ、生活の基盤がフランスにあっても、日本のことを少しでも、知ることは、マイナスなことは、何もないと思うのです。







2019年11月25日月曜日

日本の変化とフランスの生活習慣から生まれた自分自身の変化





 日本は、ほんの2〜3年行かないだけでも、いつの間にか、新しいビルが建っていたり、どんどん新しい場所や新しいシステムが生まれ、どんどん変わっていて、驚かされます。

 コンビニなども、私が海外に出てから、みるみる店舗が増え、あっという間に24時間営業になり、他のスーパーなどまで、24時間営業がチラホラしだしたと思ったら、今度は、24時間営業廃止の方向へ動きつつあります。

 その間、フランスは、あいも変わらず、コンビニどころか、日曜日は、たいていのお店は、お休みです。

 フランスに来た当初は、一旦工事を始めたら、いつまでも、「ま〜だ工事中??」、なんていう感じに呆れていましたが、今や、逆に、日本へ行くと、その変化の速さに、目が回る気がしてしまう私は、自分の祖国でありながらも、やはり、どこか、少しずつ、居心地の悪さを感じてしまうところがあります。

 それは、また、日本の社会が変化していることに加えて、私自身も色々な習慣や自分の言動や考え方の変化に気づかされることも多いのです。

 どうでもいいような、小さいことなら、エスカレーターの右側につい立ってしまうことや、少しの雨なら、傘をささなかったり、車が通らなければ、信号を渡ってしまったり、知らない人に気安く挨拶したり、話しかけたりしている自分に、そういえば、かつての自分は、日本では、そうではなかったと気付かされることがあります。

 しかし、そういった表面的なことだけでなく、フランスで生活していくうちに、自分自身の考え方や、人との付き合い方なども、自分でも気がつかないうちに変わっていることも認めざるを得ません。

 一時、日本に帰国時に、父から、「お前は、いつからそんなにキツい物言いをするようになったんだ!」と言われて、ビックリしたことがありました。

 その時点では、私は、自分自身の変化にあまり自覚がなかったのです。

 しかし、そんな父も亡くなった今になって、ここ数年、父や母というクッションが無くなってしまったせいもあるのかもしれませんが、はっきりと言わないと暮らしていけなかったりするフランスモードに自分自身が、変わってきているのだと、改めて、気付かされることが多いのです。

 しかし、日本では、そのフランスでのモードを敢えて、変えていかないと、日本では、逆に過ごしにくくなりそうで、日本に帰る時には、改めて、日本モードに自分の中のスイッチを変換して合わせていこうとしている自分に気がつくのです。

 ホンネとタテマエ、ハッキリ言わない、とか、儀礼的な贈り物をしあうとか、周りにこう思われるから、こうした方が無難だとか、他人に異常に干渉するとか・・以前には、当たり前のものとして受け入れていたことが、正直、とても苦痛になり始めています。

 美味しいものがたくさんあって、便利で、どこへ行っても親切で、応対も感じよく、何をするにもスムーズにことが運び、やっぱり日本は、スゴい!楽しい!と思う反面、対人関係には、どこかモヤモヤが残り、ドッと疲れます。

 以前は、それが、当たり前のことと思って生活していた私でさえ、感じる日本の不思議な面を、そのプラスの面もマイナスの面も含めて、全く初めての外国人から見たら、さぞかし、日本は、独特で、不思議な国に見えるのだろうな・・と思うのです。












2019年11月24日日曜日

10年近く暮らしたパリでの生活を断ち切って日本へ帰って行った彼女




 彼女は、最初、日本からスタージュに来ていて、そのまま、パリで現地採用となり、パリで働いている30代半ばの女の子でした。

 独身で、パリで働きながら、それなりにパリでの生活を楽しんで送っているようでした。パリでの新しい流行などにも敏感で、とても上手におしゃれを楽しんでもいました。

 かといって、彼女には、チャラチャラしたところはなく、あれこれと工夫しながら、まめに自炊などもして、堅実な生活を送っていました。

 そんな、彼女には、長く付き合っているフランス人の彼がいました。

 長身でスタイルの良い二人が並んで歩いていると、とてもカッコいい二人でした。

 彼女は、お料理や編み物などもプロ並みに上手だし、優しくて、人当たりも良く、海外暮らしの日本人にありがちな、キツさもなく、おっとりとしていて、いかにも育ちの良さそうな女の子でした。

 年頃で独身の彼女は、このまま、フランスで生活していくのか? ある程度で見切りをつけて、日本へ帰った方がいいのか? ずっと、考えていたことは、知っていました。

 こちらにいたフランス人の彼とは、一緒に暮らしていたわけではありませんでしたが、彼の実家とも行き来をしていて、彼のママに教わったラタトゥイユの作り方・・などを私も教えてもらったりしたこともありました。

 お誕生日には、彼のママからプレゼントをもらって・・などという話を聞いたこともあったので、きっと、彼のママは、とても彼女のことを気に入っていたのだと思います。

 しかし、けっこう、尽くしてしまうタイプの彼女に対して、けっこうなわがままを言っている彼の様子なども聞いてはいました。

 仕事上も、ある転換期を迎えた頃、10年近くいたパリでの生活を断ち切って、彼女は、日本へ帰国することを決めました。彼女は、若い頃に父親を亡くしており、日本にいるお母様とは、特に絆が強かったようで、そんなことも彼女の帰国の理由の一つには、あったのかもしれません。

 しかし、女性が将来の生活を考えるとき、30代半ばに差し掛かる頃というのは、一つの区切りの時期でもあるのかもしれません。

 彼女から、日本へ帰国すると打ち明けられた時、私は、何の不思議も感じませんでした。何か、決定的なことがあったということではないのかもしれませんが、日本人が、パリで暮らしていて、日本に帰りたくなる理由は、たくさんあるでしょうし、その気持ちもよくわかります。

 何しろ、生活を送っていく上での一つ一つにストレスが満載していますから・・。

 すでに、子供がいたりする場合は、また、別でしょうが、無理して、パリで暮らす必要もないのです。

 そんなわけで、彼女は、少しずつ、荷物を処分し始めて、私も、いらなくなった本や、お鍋などの日用品をもらったりしました。

 そして、彼女は、会社の仕事もきっちりカタをつけて、退職し、日本へ帰って行きました。彼女の実家は、横浜だということは、聞いていましたが、特に、連絡先を聞いたりすることもありませんでした。

 彼女が日本へ帰ってしばらくして、彼女の付き合っていた彼が、血相を変えて、突然、会社にやってきました。彼女からは、彼とは、別れたと聞いていたので、そこまで、必死な様子で彼女が元いた会社にやってくるのには、ちょっとビックリしました。

 しかし、誰も、彼女の日本での連絡先を知りませんでした。

 たとえ、知っていたとしても、彼女がそこまでして、彼のことを振り切って日本へ帰ったのに、誰も、彼女の許可なく安易に彼に伝えることはできなかったでしょう。

 以来、彼女は、パリにいる誰にも連絡してくることはなく、日本での彼女の様子を伺い知ることはできません。

 でも、ある程度以上、長く続けてきた生活を変えるというのは、なかなか勇気のいる決断です。よくよく考えて彼女が決めた日本への帰国ですから、きっと、日本での新しい生活を幸せに送っていると思っています。
 













2019年11月23日土曜日

パリの救急外来とアクシダン・ド・トラバイユ




 ある時、私は、仕事中に、会社の階段を踏み外して、階段から転げ落ちたことがありました。全くの私の不注意なのですが、休日出勤などが重なって、疲れていたこともありました。

 公衆の面前で、転んだりした時には、よっぽどの怪我でない限り、痛いよりも、その不恰好に転んだことの方が恥ずかしくて、バツが悪くて、慌てて、立ち上がったりしませんか?

 私もその時は、まさにそんな感じで、ブザマに転んだことの方が恥ずかしくて、必死に立ち上がり、特に外傷もなかったため、「大丈夫、大丈夫・・」と、そのまま、終業時間まで働いて、家に帰りました。

 後から思えば、その時に、救急車を呼んでもらっておけば、事は早かったのです。

 しかし、外傷がなかったために、少し、足を挫いたくらいだと、私も軽く考えていたのです。

 時間が経つにつれて、足は、みるみる腫れ上がり、家に着く頃には、ちょっと、かなりの痛みになっていました。夜になって、耐えきれずに、夫に頼んで、車で、救急外来のある病院に連れて行ってもらいました。

 当時、娘は、まだ小さくて、一人、家に置いておくわけにも行かず、娘も連れて、夫に頼んで、家から比較的近い、パリの夜の病院に連れて行ってもらいました。

 夜の救急外来というのは、こんなにも混んでいるものかというほど、次から次へと病人、怪我人がやってきます。とりあえず、受け付けだけして、順番を待っていました。

 しかし、混乱している病院の中で、待てど暮らせど、私の順番は、回ってきません。途中、何度か、声をかけてみたのですが、「ハイハイ!」と生返事だけで、延々、2時間くらい待たされたでしょうか? 

 私も頭にきていましたが、私以上に腹を立てた夫が、医者を捕まえて、「かれこれ、もう2時間以上も待たされている!これ以上、待たせるなら、ここから電話して、救急車を呼ぶぞ!」と、半ば、脅しに近い抗議をしたら、ようやく、診てもらえたのです。

 こういう時は、パリでは、黙っていたら、ダメなのです。黙っていたら、どんどん後回しにされますから、夫のように、「ここから救急車を呼んでやる!」は、いざという時に、パリでは、なかなか使える文言かもしれません。

 もし、私一人だったら、いつになったことか、全くわかりません。

 私は、骨折でもしているかもしれないと思い始めていたのですが、実のところは、打ち身から、私の足のふくらはぎには、血栓ができてしまい、ともすれば、骨折よりもややこしいことになりました。

 それから、しばらくは、私は、毎日、血栓を溶かす薬を飲みながら、毎日、血液検査に通い、薬の量を調節しながら、結局、一ヶ月近く、仕事を休むことになりました。

 足の痛みと腫れは、一週間もすれば、引くからと痛み止めの薬とクリームをもらい、その日は、家に戻りました。

 これが、仕事中の怪我だったので、フランスの法律によるアクシダン・ド・トラバイユ(仕事中に起こった怪我や病気の場合は、100%保険が適用になります)に当たるから、24時間以内に保険の手続きの書類を送るように言われ、その書類には、その場にいた事故を目撃していた人のサインも必要になるため、夫が代わりに私の職場に行って、私の同僚のサインをもらってきてくれました。

 ここが、フランス人だったら、大きな顔をして、休むところだと思うのですが、日本人の生真面目さを持っていた私は、一刻も早く、職場に復帰しなければ、と焦ってもいたのです。

 ところが、医者は、なかなか、2週間くらい経っても、ドクターストップは解いてくれませんでした。

 医者の方も仕事に行きたがる私を半分は、理解できない面持ちで、しまいには、「血栓がどんなに危険かわからないの? あなたは、死にたいの?」とまで言われ、さすがの私も、「死にたいのか?」とまで言われて、ようやく観念したのでした。

 今の私だったら、もっと、図々しく、休んでいると思いますが、あの頃は、まだまだ、全てにおいて、気持ちにも余裕がなかったのです。

 しかし、パリの救急病院の様子を垣間見て、できることなら、一生、お世話になりたくないと、心底、思わされたのでした。


2019年11月22日金曜日

フランスの職場での同僚のケンカ




 彼女は、私よりも、かなり、年配の、ふっくらとした、人の良さそうな、いかにも、おばちゃんという感じの人で、とても親切で、パリでの生活も長く、フランス語の環境の中で、子供を育てあげた経験もある、とても頼りになる女性でした。

 ですから、彼女と知り合った当初は、まだ小さかった娘のことも、とても可愛がってくれていましたし、子供と遊ぶのが上手というか、よく娘の相手になってくれたりもし、学校のことや、フランスでの日本語の教育についても随分とアドバイスをいただいたりしていました。

 彼女のご主人は、日本人でしたが、とてもリッチな人で、別々の職場ではありましたが、二人とも働いていましたので、パリにアパートを何軒ももつ、お金持ちの奥様でもありました。

 ですから、いつもおしゃれで、身綺麗にしており、気前もよく、威勢も良い人でした。

 彼女の話すフランス語は、決して上手ではないのですが、臆することなく、堂々と話すので、勢いに圧倒されて、何んとなく、そのまま通ってしまうようなところがありました。

 明るく、おしゃべりな彼女ですが、自分の素性については、あまり話すことはありませんでしたので、彼女が日本のどこから来た人なのか? どんな暮らしをしていたのか? 私は、一切、知りませんでした。

 私は、基本的に、人のことを詮索するのが好きではありません。

 会話から、自然と出てくることで知りうる情報以外は、個人的なことは、聞きません。

 おそらく、もう、彼女は、日本で暮らした年数よりも、パリに住んでいる年数の方が長くなっているので、今さら、日本での生活の影は、あまり見えなくなっていたのかもしれません。

 何よりも、彼女が隠したかったらしいのは、彼女の年齢で、周りのみんなが何気に話していれば、出てくる年齢の話題になると、普段は、おしゃべりな彼女も、微妙に避けるので、まあ、女性だし、ある程度の年齢になれば、歳の話は、したくないものなのだろうくらいに思っていました。

 しかし、だんだんと時が経つにつれて、彼女のあの威勢の良さや雰囲気から、何か、表面とは、違うものも感じていました。

 日頃は、温和な彼女ですが、ある時、職場で、同僚と、もの凄いケンカを始めて、その迫力に、息を飲みました。

 ケンカになった相手も、最初は、対等に話していたのですが、そのうちに、彼女の迫力に押されて、プイッと、休憩室へ去っていこうとしたのです。

 すると、頭に血が上っていた彼女は、相手を追っかけていき、「このアマが!!」と叫んだのです。

 「このアマ・・・」始めてライブで聞いた言葉でした。

 なかなか、日本にいても聞かない彼女の言葉に、私が、うっすらと感じ始めていた、何か、表面とは、違う彼女の一面を見た思いがしたのです。

 












 

2019年11月21日木曜日

パリに住む不思議な日本人のゲイのおじいさん




 パリには、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーをはじめとするセクシュアルマイノリティの総称)の人が多いような気がします。

 もしかしたら、特に多いわけではないのかもしれませんが、そのことを隠さずに堂々と生きている人が多いので、LGBTの人が住みやすく、日本人でもパリの方が居心地が良いのかもしれません。

 実際に、同性で婚姻関係を結んでいるカップルも、いくつか知っています。

 そんな中でも、私が多く知っているのは、もっぱら、ゲイの人が多いのですが、皆、とても、インテリで、礼儀正しく、おしゃれで、レベルの高い暮らしをしています。

 ですから、仕事の関係で、ご一緒することがあったりしても、とても、頭の回転もよく、気働きもよく、博学なので、話をしていても、とても興味深く、大変、勉強になります。

 いわゆる女装などをしているわけではないので、ちょっと見には、わかりませんが、少し、話していると、だいたい、すぐにわかります。(本人も隠していないので・・)

 その中でも、私が知るゲイの人の中に、強烈な印象のとても、おもしろい、日本人のおじいさんがいました。

 私が勤めていた会社の役員の人と知り合いで、自宅には、ファックスを置いていないからと、ファックスの受信や送信をうちの会社でやったりして、事務所がわりのようにしていましたので、彼宛にファックスが届いたりすると連絡してあげたりしていました。

 彼は、80も過ぎていたと思うのですが、とても元気で、饒舌で、いつもエネルギーに満ち溢れ、非常に博識で、ブローカーのような仕事をしていたのか、交友関係もとても広く、芦田淳やジョエルロブションとは、特に親しい様子で、よく、彼らの話を聞かせてくれました。

 ロブションのところで、食事をしたりしても、決して、バスやメトロには乗らずに、健康のためと、必ず、歩いてやってくるのです。

 また、フランスやイギリス、アメリカの財界人、日本の芸能人などにも知り合いが多く、普通の人は、とても足を踏み入れる機会がないような、晩餐会のメニューやミシュランなどにもきっちり意見をする人で、その常に前向きな姿勢には、度々、舌を巻きました。

 古い時代の人ですから、パソコンなどは、一切、使わない代わりに、驚くほどに筆まめで、また達筆で、日本語はもちろん、英語やフランス語の手紙なども、美しい文章と美しい文字で綴り、よく、彼の書く手紙をコピーさせてもらって勉強させていただきました。

 多方面にわたる手紙を全て、保管し、また、驚くほど、記憶しているので、以前の記憶から、保管していた手紙や写真をすぐに引き出してくることができるのにも、感心させられるばかりでした。

 おしゃれにも行き届いた人で、その日の服装に合わせた靴はもちろん、靴下から、時計や一緒に持つ紙袋まで、しっかりとコーディネートされていました。

 また、地方に住む現在の恋人との逢瀬も欠かすことなく、定期的に彼の元へと訪れていました。

 今となっては、芦田淳もジョエルロブションも亡くなってしまいましたが、彼は、きっと元気に、今日もパリの街を歩いていることと思います。

 











2019年11月20日水曜日

フランスにもいる困ったママ友




 私は、日本で子育てをしたことがないので、日本のママたちの公園デビューとか、ママ友同士のお付き合いというものを知りませんが、ママ同士のお付き合いが子供同士の関係にも影響するとかいう話を聞いたりすると、なかなか大変そうで、そんな時は、パリで良かった・・と密かに思います。

 日本にいる私の従姉妹などは、息子が大学生だというのに、野球部のお手伝いに行っていたなどというので、ひっくり返ってびっくりしました。

 だいたい、パリの場合は、ほとんどのママが働いていますので、夏休みなどバカンス期間中は、別として、通常の保育園、幼稚園、小学校の拘束時間も長く、平日に子供を公園で遊ばせるということも、あまり、ありませんし、週末は、平日にできない買い物や家事に忙しく、あとは、家族で過ごすことが多いので、あまり、ママ友同士のお付き合いというものをしてきませんでした。

 それでも、娘は、小・中・高校と同じ学校に通っていたので、小さい時からの顔見知りのママたちは、少数ですが、いますし、小さい頃は、それこそ、しょっちゅう、誰かのお誕生日会があったり、子供がお友達の家に遊びに行ったりといったことがあったので、顔を合わせれば、立ち話などをしたり、また、窮地に陥った時には、(フランスの小学校は、水曜日がお休みで、急に、どうしても、休めなくなってしまった時など)自分の家の子供と一緒に子供を預かってくれたママもいました。

 ですから、お互いが、そんなに深入りはせずに、適度な距離を保っていて、必要な時だけ、適度に助け合う感じが、私には、ちょうど良かったのです。

 それでも、中には、なかなか、困ったママもいました。

 家も近所で、娘とは、どういうわけか、幼稚園から、ず〜っと一緒のクラスで、バレエのレッスンまで一緒でした。あちらも一人娘さんで、ご両親は、教育熱心な方でした。

 当然、お誕生日会などに呼ばれても、一緒にお呼ばれすることも多く、年齢とともに、お家でパーティーをするだけでなく、主催者のファミリーが、子供たちを連れて、アスレチックに招待したり、映画を見に連れて行ったりと行動範囲も広くなっていきました。

 その日も、誰かのお誕生日会で、集合場所には、移動のための2台の車が子供たちをピックアップしにきていたのです。

 彼女は、遅れてやってきて、「自分の子供が乗る場所がない!」と、ヒステリックに怒り出して、周囲を凍りつかせたのです。

 他の親が気を使って、「じゃあ、うちの子どもたちは、別に連れて行くから・・」と、その場は収まりましたが、自分の子供のことだけに目の色を変えて、怒る彼女に、みんな、ちょっとビックリしたようでした。

 自分の子供可愛さのあまりに、自分の子供のことしか見えなくなるタイプです。

 私が、どうにも都合がつかなくて、別のママに子供を預かってもらった時も、どうして、うちの子は、入れてくれないの?と割り込んできて、文句を言われたこともありました。

 また、人のうちの子供の成績などがやたらと気になるようで、私も知らないのに、「オタクのお嬢さんは、今回も、○位で良かったわね〜」などと、外で顔を合わせると、度々、言われたりして、ギョッとしたりもしました。

 それでも、それぞれ、高校を卒業し、別々の学校へ進学して、しばらくして、久しぶりにバス停で、ばったり彼女に会いました。

 なんだか、もう、色々なことが吹っ切れて、なんだか、ひと時代をともに過ごした戦友に久しぶりに会ったような、ホンワリとした懐かしさを感じました。

 たしかに、ひと時代が過ぎたのです。