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2025年3月30日日曜日

朝食が好き 最期の晩餐は朝食がいいかもしれない・・

   最近のマイブームは朝食で、いわゆる朝食っぽい食事が自分は好きなんだな~と、あらためてそんなことを思っています。 日本に行ったときに、温泉に行ったりしたときの、温泉旅館の和朝食などは、私にとっては、究極の朝食で、豪華な夕食は温泉の楽しみのひとつなのですが、さんざん食べ尽くした翌朝でも、ごきげんで食べられる朝食もその楽しみのひとつです。 朝から、こんなにたくさん!と歓呼する旅館の和朝食はもちろんのこと、ふつうの家庭でも食べるような、ごはんとお味噌汁、納豆、お漬物、のり、たまご焼き(それに魚の干物などあったら、すごいですが・・)などの朝食も、海外にいれば、もの凄いご馳走です。 以前、職場にいた同僚が子どもと日本に帰国していた際に、子どもが、実家のお母さまが用意してくださった、いわゆる、ごくごくふつうの和朝食に、「晩御飯みたいな朝ごはんだね!」と言ったという話には、当時も今も、大きく頷ける感じがしたものです。 しかし、私は、トーストに簡単なサラダにコーヒーなどの朝食も、これもまた好きです。朝でなくとも食べたくなるような食事です。 私はフランスでは、朝からお米のご飯を食べることは滅多にありませんが、いわゆる、朝ご飯みたいな晩御飯を食べるときは、とっても贅沢している気分です。 私が子どもの頃は、父は、1日に一度はお米を食べないと気が済まない人だったので、たいてい父は朝からご飯とお味噌汁、焼き魚と納豆、あるいは、卵焼きなどとお漬物・・という食事で、朝、パンを食べるのは、お休みの日で、スープ(トマトとか、コーンとか、クラムチャウダーとか・・)とツナ缶とか、イワシのトマト煮とかを添えたサラダとトーストというのが定番でした。 母に言わせれば、パンだと手間がかかるから・・ということでしたが、なるほど、今、思い返せば、今の時代ならともかく、私の子どもの頃ですから、スープといっても、大皿にスプーンで飲むようなスープで、今でもあの頃の食卓が思い浮かびますが、母も大変だったろうな・・と思います。 今の私がパンにサラダにコーヒー・・なんていう簡単な感じではありませんでしたが、それでも、今、思い起こせば、私が自分で作っているサラダ用のドレッシングは、あの頃、母が作ってくれていたドレッシングと同じ味だと思います。 そして、これは、今となっては、ほんと、滅多に食べないけど好きなのは、イギリスの朝食で、これは、私がイギリスに留学していた頃、ほんのわずかな期間、ホームステイしていた家庭で出してくれた、いわゆるイングリッシュブレクファストで、薄切りのパンをトーストしたものに、ベイクドビーンズ、焼いたトマト、ソーセージの朝食で、たまにM&S(マークスアンドスペンサー)に行ったりすると、このベイクドビーンズの缶詰を買ってみたりすることもあります。 当時、最初にこの朝食を見た時は、「なにこれ?朝から、グチョグチョな豆・・」とゲッソリしたのを覚えていますが、その家庭で出してくれる料理の中では、朝食が一番マシ(失礼!)で、それも、ごくごく短期間だったので、今では懐かしい・・私にとっては、なんとなく郷愁を感じる朝食でもあります。 おかしなことに、なんと一番長く生活しているフランスでは、フランスらしい朝食というものは、あんまり食べずに来たのですが、夫は、よく縦半分に切って、ちょっとトーストしたバゲットにバターなどを塗って、コーヒー(カフェオレ)に浸して食べていたので、これがフランス人の食べ方なのね・・と、一緒にそんな食事をしていたこともありました。 夫が生きていた頃は、私は日曜日も仕事のことが多かったので、滅多にチャンスがありませんでしたが、ゆったりした日曜日の朝には、夫が「クロワッサンとか、パンオショコラ買ってこようか?」と、ものすごく素敵な提案をしてるアピールをしてくれていたことがあったので、夫にとっては、平日はバゲットにカフェオレ、お休みの朝食はクロワッサン・・そんな朝食が理想だったのかもしれません。 いずれにせよ、今は朝食を抜いてしまったりすることも多いのですが、朝食を朝、食べないだけで、昼に食べたり、夜に食べたりしていて、あらためて、私は朝食というものが好きなんだな・・などと思っています。 よく最後の晩餐というか、人生の最期に何が食べたい?なんていうことを言うことがありますが、私は、和食にせよ、洋食にせよ、簡単な「朝食」が最期に食べたい食事かもしれません。朝食<関連記事>「海外から見ると日本人の食卓はとてもレベルが高い」「脅威の時差ボケ 私は日本の食材の山を見ただけで時差ボケする」「日本のパン屋さん 日本のパン」「クルッキー(クロワッサン+クッキー)...

2025年3月26日水曜日

統一教会解散命令 フランスでの統一教会についての報道は安倍元首相襲撃事件とセット

   統一教会はフランスでは、Secte Moon(セクト・ムーン)と呼ばれていますが、先日の「日本の司法が統一教会に解散命令を出した」というニュースは、フランスでも、もっと大々的に扱われるかと思ったら、新聞各紙は一応報道しているものの、ほんとに「まあ、一応・・」といった感じで、あんまり大きくは扱われていません。 そもそも、フランスでは、皆無とまではいかないまでも、そこまで浸透していないというか、反セクト法のおかげで、日本ほどの悲惨な被害が出ていないこともあって、あまり知名度はないかもしれません。 統一教会といえば、最近で、最もその名を知らしめたのは、安倍首相がこのセクトを応援して...

2025年3月22日土曜日

気が重かった医療機器の設置も日本好きのお兄さんのおかげで救われました!

   今週初めにやっと検査の結果が出て、やはり睡眠時の呼吸に大きな問題があることがわかり、主治医の先生に「これじゃ、体調が悪いのも当然だ・・」と言われ、即刻、睡眠時に着用するための医療機器を自宅に設置するように手配してくれました。 「そんな、機械を自宅に設置??」と聞いて、ギョッとしましたが、反面、楽観的に考えれば、体調不良の原因がやっとわかって、この治療をすれば、改善されるのだ・・と思い、少しは身体が楽になるということだと思うので、よかった・・と思うことにしました。 ただ、また、その機械の配達・設置となると、また、時間が大幅にずれたり、ヘタをすると決めた日に来てくれなかったりということは大いにありえるわけで、機械の設置をしてくれる人から電話があった時点で、日時を約束したものの、半分は、「どうせ、時間どおりには来ないよな・・」と、その日は一日、予定をあけて、待っているつもりにしていました。 しかし、担当の人は約束どおりの時間にやってきて、本当に親切に説明しながら、機械を設置して、使い方なども丁寧に教えてくれました。 全て、保険適用になるために、そのための書類をまず、作らなくてはならなくて、それも全部、その場ですぐにやってくれました。30代半ばくらいの男性だったのですが、向こうの方から、「どちらの方ですか?」と尋ねられたので、「日本人です」と答えたら、「僕、日本が大好きなんです!」と。 もう、日中はけっこう暖かいこともあってか、そのお兄さんは半そで・・「いくらなんでも寒くないの?」と思って、Tシャツを見ると、なんと「ラグビーワールドカップジャパン2019」のロゴ入り・・。 「なぜ?日本が好きなんですか?」と聞いてみたら、「僕は、ドラゴンボールで育ってきたから・・NARUTOも好きだし・・」と・・。日本が好きになったきっかけは、MANGAだったそうで、これらのMANGAのおかげで、日本にとても親しみを感じるようになったとのことでした。 パリの街では、日本のマンガのキャラクターが描かれているTシャツなどの服を着ている人を見かけることも少なくはありません。 一時、フランス政府が停滞したフランスの文化事業推進・支援と若者への文化と芸術への好奇心を喚起させるために若者向けに発行された「カルチャーパス」が、そのうちの4分の3が「MANGA」に費やされたという結果から、一時は「カルチャーパス」は「MANGAパス」と呼ばれるようになったこともありました。 これは、当初から、文化的なものなら、何にでも使用することができる!とのことで、その中にもちろん「MANGA」も入っていたのですが、まさかこれほどフランスの若者の文化が「MANGA」で占められることになっているとは、開けてビックリ!の事態でした。 今回、家に来てくれたお兄さんは「マンガパス」よりもう少し上の世代ですが、実にフランスでの「MANGA」人気の拡大?には、長い年月を経ていて、年齢層も幅広いのです。 フランスは日本に次いで、世界第二のマンガ消費国で、そのおかげで、フランスには、日本を好意的に感じてくれている人が多いことは、フランスに住む日本人としては、本当にありがたいことです。 今回のちょっと厄介に感じていた医療機器の設置という気が重かった出来事も、この日本好きのお兄さんのおかげで、とても親切に、丁寧に対応していただきました。 とっても、優しい目をした人だったので、そうでなくても、誰にでも親切なのだと思いますが、やはり、日本人としては、初対面の人にでも「日本大好き!」と言ってもらえるのはとっても嬉しいことで、自然とうちとけられる気がしました。 昨年の鳥山明氏の訃報はフランスでも大々的に報道され、多くの著名人、マクロン大統領までが弔意を表明していましたが、このフランスでのMANGA文化の浸透は、日本という国に大きく貢献し、幅広く浸透していることを、あらためて、身をもって感じ、それに深く感謝する気持ちになりました。医療機器設置<関連機器>「フランス政府が若者に発行したカルチャーパスがMANGAパスになった!」「パリに日本の駄菓子屋さんみたいなお店ができた!MANGA...

2025年3月19日水曜日

検査入院の後遺症

   一泊とはいえ、検査入院はなかなか厳しくて、全身にコードをつけられて、眠らなければならないので、ごくごく微かな痛みの中、無理矢理、眠ることになります。そもそも睡眠時の身体の状態を検査するためなので、眠れなくては、意味がないのですが、これで寝ろ!というのは、なかなか厳しいことです。 上の写真は、左手だけですが、こんな感じのコードが全身に繋がっていて、一番、酷かったのは、頭につけられたコード。 当然のことですが、頭には髪の毛が生えていて、その上から無理矢理、紙粘土のようなもので、磁石のようなものをはりつけて、それにコードが繋がっており、その上から、この網網のネットがかぶせられて、最初は、顔も覆われたところで、ストッキングをかぶっているみたいな感じ・・で啞然としていると、「まさか、このままではないわよ!」と看護師さんが得意気に目と鼻と口の部分を唐突にハサミで穴をあけてくれたのには、むしろ、逆にドッキリ!で、この近代にもうちょっと別のやり方はないものか?と思ったものの、こちらには、選択肢なし。 夜中にコードが外れて、慌てて、繋げたことも数回で、当然、熟睡などできるわけなく、その度に慌てて繋ぎなおしたり、繋がらない!と焦って電話したり、それでも、看護師さんは夜中には来てくれなくて、「私の仕事じゃない、私がやるわけにはいかない!、私がやったら、私の責任になってしまう・・」といかにもフランスな回答。「じゃあ、あなたは何のためにいるのですか?」と思いましたが・・。 それでも、なんとか夜が明けて、朝、昨日の看護師さんが来てくれたときには、もうガックリ。頭につけられた紙粘土みたいなの・・きれいにとってくれる薬品でもあるのかと思いきや、磁石みたいな小さな金属とコードを取ると、「あとは、シャンプーで洗えば、とれるからね・・」で終わり。 シャンプーしようにも、こんなにべっとり髪の毛に張り付いた紙粘土みたいなものが張り付いていたら、シャンプーだってできないじゃん!と思ったけど、そんなこと言っても仕方ないので、ガマン・・早く家に帰りたい気持ちが先に立ち、それ以上は、余計なことは言いませんでした。 それでも、8時間のデータは取れているということだったので、最悪の検査のやり直しからは、逃れることができました。 検査の結果は、数日以内に聞けるというので、その予約をまた取って、ガビガビの紙粘土付きの髪のまま帰宅しました。まったく家から近い病院にしておいて、よかったです。 家に帰ると、まず、気持ち悪いので紙粘土付きの髪の毛と格闘、ムリにとれば、髪の毛ごと引きちぎることになるし、1時間近くかかって、髪の毛についた紙粘土を剥がしました。 こういう検査の場合、日本の病院だったら、もっと心遣いしてくれるんだろうな・・そもそも、そんなコードの付け方を髪の毛の上からしないだろうし、したとしても、それを剥がすためのなんらかの手段を用意してくれるんだろうに・・などと、恨みがましく思いました。 相対的に悉く消費者(検査などの場合は消費者とは言わないでしょうが・・)が使いやすいようにとか、少しでも心地よいようにとか、そういう配慮は日本は本当に優れています。 検査から解放されたのは、午前中で、どうにもクサクサした気分を変えたかったので、そのあと、ちょっと泳ぎに行きました。コードに繋がれてほとんど動けなかった一夜(というより、前日午後から翌朝まで)を過ごして、身体をほぐしたかったのです。 しかし、家に戻って、ガックリ疲れが出て、ダウン。いつも色々、検査をするたびに思うのですが、検査ってほんと、身体に毒だな・・と思うのです。検査<関連記事>「生きる気力を奪う病院食」「3ヶ月半待ちの検査とさらに当日の待ち時間 初めての呼吸器科医」「フランスの保険証カード Carte...

2025年3月14日金曜日

少し早めのパスポートの更新手続き

  私にとっての海外生活の必需品は滞在許可証とパスポートですが、そのパスポートが今年は、私はちょうど書き換えのタイミングでした。しかし、正直なところ、まだもう少し猶予がありました。 ただ、そのパスポートの更新手続きが、4月からこれまでよりも時間がかかるようになり、少なくとも3週間はかかる(これまでは、1週間でできたのに・・)とのことで、この「少なくとも3週間」というのが、なんとなく不安で3月のうちに更新手続きをしてしまうことにしたのです。 使わないときは、余裕で数ヶ月も使わないこともあるパスポートなのですが、私の中では、常に何かあったら、日本に帰れる状態であることは保っておきたい安...

2025年3月13日木曜日

マクロン大統領が34ヵ国を招集して行った非公開の会合

   エリゼ宮によると、マクロン大統領は、パリで34ヵ国の参謀長、欧州連合とNATOの代表、ウクライナ代表らを招待し、ロシアとの和平協定が成立した場合にウクライナにとって強固で永続的な平和が実現できるよう、信頼できる安全保障を定義するために、概念から計画へと移行するための非公開の会合を行いました。 これは、ウクライナがロシアとの一時停戦を受け入れ、米国がウクライナへの援助停止の解除を発表したことを受けた、ほぼ同時のタイミングで行われています。 ウクライナの停戦受け入れに対して、ロシアは現段階では明確な回答は発表はしていないものの、次はロシア次第・・という段になって、なにやら、プーチ...

2025年3月12日水曜日

娘がスキーで大ケガしたらしい・・

   忙しく仕事をしつつも、忙しく遊びまわっている娘ですが、私が日本滞在中も私とも旅行しつつ、途中、私の旅行中などは、友人とスキーに行ったりして、一体、彼女には、休日に身体を休めようとか、そういうことは必要ないのだろうか?と思っていました。 それでも、私が日本に到着したときも、空港まで車で迎えに来てくれたし、帰りも早朝にもかかわらず、車で送ってくれて、本当にフル回転してるんだ・・さすが若い・・と感心しつつも、たまには、少しはゆっくりする時間も少しはあった方がいいんじゃないの?とも思っていました。 私がフランスに戻ってからも、春になるのを惜しむように、また、スキーに行くという話は、聞...

2025年3月10日月曜日

残された時間は長くないことを自覚して悔いなく、より楽しく生きる 

 私は常日頃から、テレビは夜のニュースを数時間しか見ないのですが、ここのところ、フランスでは、ニュースといえば、戦争に関連する報道がとても多く、見ているだけで滅入ってくる感じです。 これは3年前のウクライナに対するロシアの攻撃が始まった頃と同じ感じで、当時は、それこそ、今、この時代によもや、こんなにドンドンパチパチ、ドッカ~ンと言った感じの戦争が始まるなどと夢にも思わなかったので、とにかくショッキングでした。 あれから、早や3年も経ち、もはや恒久化しつつあるような感じで、報道も減っていたのが、アメリカの政権が変わって以来、世界的なチカラ関係が崩れつつある感じで、再び、緊張が高まっているせいか...

2025年3月9日日曜日

祖父がパリから送っていた絵葉書

   祖父が昔、フランスに留学、滞在していたことがあったことは、私が子どもの頃から聞いていた話で、その影響なのか?祖父はその年代の人には珍しく、フランス料理が好きで、一家が集まって食事をしたりするのには、フランス料理であることが多かったり、DONQ(ドンク)というパン屋さんのバゲットが好きで、なんだかバゲットにはこだわりがあるようだったり、そのバゲットをお皿に置かずにテーブルに直に置いてしまったりすることを祖母が嫌がっていたりしたことを覚えている程度で、私は祖父から直にフランスの話を聞いたことはありませんでした。 そもそも祖父は家ではかなり寡黙な人で、祖父母の家に行っても、私が話をするのは、もっぱら祖母とばかりで、それをニコニコと聞いていて、食事をしたりしている際に「美味しいかい?」と聞かれて、「うん!」と答えるくらいで、そういえば、私は祖父と何を話したことがあったか?ほとんど記憶にないくらいです。 祖父が亡くなって久しいですが、のちのち、私がフランスで生活することになることがわかっていたら、もっと祖父にフランスの話を聞いていただろうし、何よりフランス語を教われたのになぁ・・などと思うこともありました。 祖父がフランスに留学していたのは、第二次世界大戦直前から戦争に突入した頃のことだったようで、(そういえば、空襲を逃れてどこかに逃げた話をきいたことがありました)まだまだ、日本人が渡航すること自体がかなり珍しい時期で、当時は船でかなりの時間を要し、フランスに渡った記録を当時のチケットとか、色々な切り抜きなどとともに書き残しているアルバムのようなものがあるのですが、「いつか、読もう!」と思いつつ、なかなか読めていませんでした。 祖父は絵が好きで、休みの日には、ルーブルなどに通っていたようで、たくさんの絵について、子どもたち(当時はまだ母と叔父のふたり)宛に解説するような絵葉書を大量に送っていて、それも大量に残されていますが、いつか、その祖父が母宛に送った絵葉書の解説を見ながら、ルーブルに行ってみるのも素敵だな・・などと思いつつも、いつも私の日本からの帰りの荷物は大量の食料品が優先されて、未だフランスに持ってきていません。 それが、今回、来仏直前に、叔母がそれとは別に祖父が祖母宛や両親(祖父の)宛に送っていた絵葉書を一束持たせてくれて、帰りの飛行機の中でゆっくり読む機会を持てました。 絵葉書自体も時代もので、シャンゼリゼの街路樹もまだ今よりもずっと低かったりするものの、たいがいの絵葉書の写真を見れば、だいたいどこだかわかる・・ということは、基本的には絵葉書になるような場所はパリの街は変わっていないということで、なるほど・・と感心しました。 絵葉書の消印を見ると、1938年から1939年のもので、実に祖父は達筆で筆まめで、その時の生活ぶりや、たまにフランス語の単語が混ざっていたりするのも、現在、「それじゃルー語(ルー大柴みたいに外国語が混ざる)じゃん!」などと娘と言いあったりする私には、なんかホッコリさせられたりします。 しかし、私とは違って、大変、優秀であった祖父はフランスに留学といっても国からの留学生としてグランゼコールに行っていたようで、毎日、フランスの新聞数紙に目を通し、当時は、日本語の読み物などは手に入らなかった様子や娯楽も現地のものを楽しむしかなく、「文化人ぶって、美術館やコメディーフランセーズに演劇を見に行ったり、映画を見に行ったりしている」などと書いてあったり、戦争が始まると、どこの新聞にも同じようなことばかりが書いてあってと批判めいたことが書いてあったりしながらも、自分は無事であるから心配はしないでほしいなどと書いてあるのも、それが戦時中であることを考えれば、その心中は察してあまりあるものです。 このようなハガキが今でも大切にとってあるということも凄いことだと思いますが、今のようなネットの時代とは違って、筆跡や数十年経ってもぬくもりの感じられる絵葉書のようなものも良い時代だったのだな・・と、思いながら、今度こそ、日本に行ったら、祖父が当時のフランスについてのアルバムや、子どもたちに残していたルーブルにある絵の解説ハガキを持って来て、ゆっくり読みたいと思いました。祖父の絵葉書<関連記事>「冬の山荘で凍る でも想い出が蘇ってきて、心が温かくなりました 想い出も心を満たしてくれる」「ほのぼのする光景 パピー・マミー(祖父母)と孫の時間」「ちょっとビビった心臓のMRI検査」「1686年創業のパリ最古のカフェレストラン ル・プロコープ Le...

2025年3月4日火曜日

久しぶりのバスで・・

   長期間、家を留守にするため、家の中の冷蔵庫はほぼ空にしていったので、日本から、山のような食料品を持ち帰ったとはいえ、生鮮食料品はないので、近所にお買物にでかけました。いつもならば、歩く距離でも、時差ボケと旅の疲れにかまけて、バスに乗ってでかけました。 これで、雨でも降っていたら、まだまだ外出はしなかったかもしれませんが、幸いにもお天気がよかったので、太陽の光を浴びることは、時差ボケ解消にもなるな・・とも思ったのです。 バス停には、年配の女性二人がベンチに座っていて、そのうちの一人がなにやら、少々、興奮気味に話している様子で、ああ~フランスだわ・・と思いながら、その隣でなんとな...

2025年3月3日月曜日

久しぶりのフランスのテレビは・・

  日本滞在中はテレビは見ない生活を続けていました。実家(といっても現在は娘が生活している家)では、テレビは繋いでいないので見れないし、特に見たいとも思わなかったし、主なニュースは、SNSやYouTubeなどで時々見る程度でした。 もっとも、フランスにいても、テレビは夜8時からニュースをせいぜい2時間程度見るだけなので、それほど大きな違いはありません。 現在、絶賛、時差ボケ中で、日本から持ち帰った大量の荷物(ほぼ食糧)を少しずつ整理して片付けながら、長いこと留守して、なんとなく煤けた感じの家の中を掃除したりしながら、ゴロゴロ過ごし、ちょっと横になれば、いつの間にか眠ってしまいます。 さすがに、忙しく旅行しまくり、東京に戻っても日々、お出かけの毎日の疲れもどっと出ている感じです。 フランスのニュースは、現在、数日前のトランプ大統領とゼレンスキー大統領の衝撃的な会談決裂の話題で沸騰しています。トランプ氏がアメリカの大統領に当選した時点で、このような流れは想像はついてはいたものの、それが、戦禍中とはいえ、いみじくも一国の大統領をカメラの前であのような感情的な様子で罵倒したことは、彼を支えようとしている欧州をさらに結束させることに繋がったようで、翌日にイギリスに渡ったゼレンスキー大統領が熱烈歓迎を受け、チャールズ国王と固く握手を交わす様子やイギリスに集まっている各国首脳たちと、次々と熱いハグを交わす映像が繰り返し流れています。 ウクライナが突然とも言える攻撃を受けてから、もう3年が経ち、それ以来、常に表立ってウクライナ支援を進めてきた感じのマクロン大統領も、衝撃のゼレンスキー×トランプ会談の少しまえの対トランプ大統領との会見では、トランプ大統領がウクライナ支援をあくまでもビジネス的な融資のような扱いをしたことに対し、トランプ大統領の発言を制して、彼を手で押さえて、フランス(欧州)は、ウクライナ支援は、あくまでも支援であり、融資、貸付ではないとハッキリと主張したことは、今となれば、あの時点でハッキリさせておかなければならなかったことであったと、あの時点で彼の発言を寸時に訂正できたことは、賢明であったと思われます。 今後は、一歩間違えば、深刻な事態に発展しかねない状況になっていますが、どちらにしても、アメリカ(トランプ大統領)との会談に関しては、ゼレンスキー大統領にしても、マクロン大統領にしても英語で話をしているわけで、いくら彼らが英語を流暢に話しているとはいえ、言語的にハンディがあることは見逃せないことでもあります。 このことが、欧州連合といいながら、本来は別々の文化、歴史的背景を持ち、本当の意味での連合は難しいと思われていたヨーロッパの連帯を逆に強める結果になりつつあるという側面もあるようで、フランスのテレビでは、そんなことを喧々囂々と話し合っています。Autour...

2025年3月2日日曜日

今回の一時帰国で食べた美味しいものをご紹介

  私の日本への一時帰国の目的のひとつは、とにかく日本の美味しいものを食べることで、フランスに戻って、今回、新しく日本で買った携帯をセッティングして、あらためて、日本で撮った写真は、ほとんど食べ物で、たま~に旅行した場所の美しい景色も含まれているものの、ほぼほぼ食べ物ばかりで、まったく色気がないもんだと思いつつも、とても満足しています。 最近では、私だけではないと思いますが、どこかに食事に行ったりしても、食事に手を付ける前に写真を撮る人が多くて、たまに「その写真、どうするの?」などと、聞かれることもありますが、のちのちに、写真を眺めては、「あ~これ美味しかったな~」と、にっこり眺めたり、また、美味しいお店の美味しい食事を覚えておくためでもあり、また、今度、日本に行ったときには、また行きたい!と次回の予定にどこかで加える参考にしたりもするのです。 旅行中に旅館で出たお食事に関しては、すでに前にご紹介しているので、今回は、それ以外の食事について、一部、ご紹介したいと思います。 <恵比寿 米福> いくつかの産地のお米を選んで一人用のお釜でご飯を炊いてくれるお店食べきれなかったお米は、お持ち帰りができます。さすがにお米がとても美味しいお店<奥沢 うしお> 懐石料理のようにたくさんのお料理を少しずつ綺麗に出してくれる和食屋さん ひとつひとつのクォリティが高く、満足感がありました。ランチだと、まあまあのお手頃価格<水道橋 焼肉あきら>黒毛和牛の焼肉屋さん 食べるのに夢中で写真があまり残っていませんが、とても美味しかったし、常連っぽいお客さんが多かったです。私はハラミが特に美味しかったです。写真は牛タンですが・・。<伊豆 おおき牛乳のコーヒー牛乳>たまたま散策中に出会った家族連れが、これは絶対、飲んでいくべきと紹介してくれました。こっくりとした濃い牛乳が美味しかったです。<セルリアン 陳 エビチリ ランチ><日本橋 かに福 かにめし、天重>本当はもっと、かに料理を堪能したかったのに、本店が予約できず、コレド室町内のお店だったため、ランチは1時間に限られたため、単品しか食べられなかったのが残念でしたが、内容には、大満足。<梅が丘 美登里寿司 ランチ> ネタもたっぷりしていて、大変コスパよく満足なお店<梅蘭 焼きそば> あんかけ部分が下に隠れているので有名な梅蘭の焼きそば<世田谷 炭火焼き魚すみさわ 焼き魚のお弁当>店内は4~5席しかない小さなお店ながら、お弁当もなかなかなクォリティ お店の奥様がとても美しい方でした。<実家近所の洋食屋さんのハンバーグと中華屋さんのチャーハン>照れ臭いので場所は書きませんが、日本に帰ると必ず行く洋食屋さんのハンバーグと中華屋さんのチャーハンです。これは個人的にとってもお気に入りのお店です。 これでも、全部ではないので、やっぱり、それにしてもよく食べました。あらためて見返すと、いかによく食べてきたか、自分でも感心します。まだ、計っていないので、何キロ増量したかわかりませんが、これから、減量に努めます。日本の美味しいお店<関連記事>「日本のランチタイムは早くて驚く」「山形のお食事の美味しいおススメ旅館...

2025年3月1日土曜日

ポニョは寝不足

  我が家には、今年16歳になる猫がいます。 我が家はアパートの上の方の階なので、彼女は生まれてすぐに家に来て以来、ほぼほぼ外に出ることのない生活を送っており、極度に警戒心が強く、また、強烈な性格で、知らない人が家にやってきても、ほぼほぼ人になつくということがなく、すぐに「カ~ッ!」、「シャ~ッ!」と唸るし、一度、急に具合が悪くなって病院に入院するハメになった時も、大変でした。 具合が悪くて、あっという間に、もう自分では歩けない状態になってしまって、病院に連れて行ったのですが、とにかく、ぐったりとしてしまい、原因もわからなかったために、とりあえず点滴をして、数日間、入院して様子を見...

2025年2月28日金曜日

フランスからでも日本からでも長旅は長旅 帰りのフライト

  楽しく、ぎっしりと中身の詰まった一時帰国も、今回はほぼ3週間という私としては、けっこう長い滞在であったにもかかわらず、あっという間に終わってしまって、フランスに戻ってきました。 今回は、出発前にインフルエンザで体調がけっこうしんどくて、最後のギリギリまで、長いフライトに耐えられるかな?(フライトさえ乗り越えれば、あとは、どうにでもなると思っていた私も楽観的といえば、楽観的ですが・・)と、かなり不安ではあったのですが、奇跡的?に、出発当日には、なんとか「ん??これなら大丈夫かも??」というほどにまで回復し、それでも一抹の不安をかかえながら出発したことも、今となっては、ウソみたいに思い出します。 そもそも、今回の一時帰国に関しては、なにげなく、日本行きのチケットを見ていたら、たまたま「おっ!これ!けっこう安いかも?」というのを見つけて、なんとなく「これなら、いいかも?」くらいに、かなり早い段階でチケットを取っていたもので、特にこれといった用事があるわけでもなく、ただ、できるだけ日本国内を旅行したい!という極めて私的な一時帰国でした。 おかげさまで自分のしたいことの予定をいっぱいいっぱいに詰め込んで、ほぼ予定はギッシリ(どちらにしても、いつもギッシリにはなるのですが・・)、このギッシリの予定の前に大きく立ちはだかるのは、時差ボケという大きなハードルなのですが、今回は、パリを出発するのが、夕方で、日本に到着するのも夕方というわりと適応しやすいフライトで、それでも、到着初日から全然、眠れなくて、非常に辛かったりすることもあるのですが、今回は、娘が用意してくれていた安眠マットレスのおかげもあり、ほぼほぼ到着日から、日本時刻で夜、しっかり眠ることができ、時差ボケ独特の夕方、急激に眠気が襲ってくるようなことはあったものの、基本、眠れているので、そのまま日本時間に適応することができました。 今回は日本での毎日がほぼ晴天に恵まれ、毎日、太陽の光を浴びることができたことも助けになったのでは?ともちょっとだけ思います。 しかし、帰りの便は、日本出発が朝の便だったので、機内では全く眠れず、まあ、パリ到着がその日(同日)の夕方・・そのまま、家に帰ったら、寝ればいいか・・と甘い考えでいたところ、無事、荷物をピックアップしてCDGからタクシーに乗ったころ、疲れがどっと押し寄せ、家に到着して、荷物をなんとか開けて、冷蔵庫に入れるものは、入れたくらいで、もう倒れるように寝てしまい、夜中に目が覚めるというほぼほぼ時差ボケ確定の事態。 まあ、時差ボケは自然現象ゆえ、時間が経てばまたフランス時間に順応できると思いますし、幸いなことに明日は土日でまあまあなんとか乗り切れるかな?と思いますが、正直、行きより(日本に到着した時より)もしんどいです。 以前のことを考えれば、フランス到着翌日には、仕事・・学校・・っていうことも、わりとあったのですが、なんと加齢の影響のきついことか・・また、フライトも以前よりも若干?長くなっていることもあるかもしれません。 久しぶりにANAに乗ったのですが、帰りの便でのアナウンスをしていた男性(機長だったかどうかは、あまりはっきりわからないのですが・・)、本当にネイティブのような日本語とフランス語、英語もなかなか流暢で、「こんなの初めて!」と妙なことに感激しました。 しかし、私には、本日締め切りの原稿があり、今日は、それに集中し、明日からゆっくり休みます。 とにかく、また、後日、日本でのことは話題にあげると思いますが、身体は少々しんどかったですが、とっても楽しい滞在でした。 この長旅を考えると日本行きにもおよび腰になりがちなのですが、できるだけ、頑張って、また日本に行きたいと思っています。日本⇔フランス 長旅<関連記事>「睡眠の大切さをひしひしと感じている・・」「約1年ぶりの日本行き そんなに混んでないのに、なんだかセキュリティーがけっこう厳しかった」「私が日本でしたい買い物は外国人観光客のお買い物のステレオタイプ?」「憧れの日本の温泉と2月の桜 土肥温泉」「山形のお食事の美味しいおススメ旅館...

2025年2月26日水曜日

帰仏ギリギリのスケジュール

   一時帰国での日本滞在中、結局のところ、ほぼほぼスケジュールはパンパンになってしまうのは、いつものことなので、最近は、日本滞在中の旅行の予定や私にとって大切な美容院などの自分のケアの予定などをある程度、あらかじめ入れてから、帰国することを知らせるようにしています。 周囲の叔父や叔母たちも高齢になってきて、この寒さの中、もう私のためにどこかに出てきてもらうことは、もし、なにかあったらと思うと少々、責任を感じてしまうようになり、かといって、日本に来ているのにまるで知らん顔というのも失礼かと、とりあえず、お電話だけはするようにして、もし、私の方から出向ける時間がとれたら・・ということ...

2025年2月25日火曜日

日本の街中や駅、長距離電車内のゴミ箱

  今回、わりと日本国内を数カ所、旅行してみて、気がついたことは、駅や新幹線などの車内にゴミ箱がないことです。これまでも、街中でも、ゴミ箱は、なかなか見当たらなくて、ゴミどうするの?と来日した外国人のようなことを感じたりしていたのですが、まさか長距離の電車の車内でさえも、ゴミ箱がないのには、驚きました。 たしかに長距離電車の発着がある東京駅や品川駅、新宿駅などにもゴミ箱が見当たらず、でも、さすがに車内で駅弁を食べたりして、当然、けっこうなゴミが出そうな長距離線の車内くらいには、ゴミ箱というものがあるものだと思っていました。 みな、食べた駅弁のお弁当の箱などは、しっかり持ち帰ったりし...

2025年2月24日月曜日

日本のパン屋さん 日本のパン

   日本に来て行きたいお店のひとつに日本のパン屋さんがあります。期間限定というか、限られた日本滞在期間の中で、食べたいものは、たくさんあり、食事の回数にも限りがあり、また、胃の許容範囲もあるので、その全てを網羅することは、なかなか難しいのですが、それでも、一度は食べておきたいと思うのが日本のパン屋さんのパンです。 一時は、「限られた日本滞在の中で、なにもパンを食べなくても・・パンなら、いくらでも、パリで美味しいパンがあるしな・・」などと思っていた頃もあるのですが、よくよく考えてみれば、「日本のパン屋さんにあるようなパン」は、パンといっても独特なものであることに思い至りました。 パンごとき?(失礼!)で大げさではありますが、日本のパンは、ある種、私にとっては、日本食の一部のような位置づけで、最近、パリでもいわゆる日本の食パンのようなものが、一部のブーランジェリーで扱われるようになったり、また、まさに「日本のパン屋さん」とうたっているブーランジェリーAKIには、日本の食パンはもちろんのこと、メロンパンやカレーパン、クリームパン、あんぱんなどなど・・を扱い大成功をおさめています。 しかし、それは、パリでは、ごくごく特別なパン屋さんなのです。 「ふわふわ・・」とか、時には、「もっちり・・」といった食感のパンや、「ふわふわ、かつ、もっちり、かつ、トーストにすれば、「さっくり・・」なパンや、さまざまな食材をつかったいわゆる「お惣菜パン」のようなものは、「日本独特なパン」で、私が渡仏当初、いわゆる日本のサンドイッチ(たまごサンドやツナサンドなど)を作ったら、珍しがられてびっくりしたことも思い出されます。 今、日本のパン屋さんは、さらに充実し、お惣菜パンも多種多様になり、かつ、フランスにあるようなバゲットやパン・ド・カンパーニュのようなハード系のパンもあったりして(これも日本人に受け入れられやすいようにアレンジされているようですが・・)、日本人の器用さやアレンジの巧さをつくづく感じさせられます。 私が日本に帰国時に一度は行きたいと思っているパン屋さんは、そこまで有名なお店ではありませんが、人気のお店ではあるらしく、午後になると、ほぼ売り切れで、欲しいものが買えなかったりするのですが、毎年毎年、これまで見かけなかったパンが登場していることも楽しみのひとつです。 「美味しいものは、逃せない!」と常に思っている食い意地の張っている私は、そのパン屋さんでも、「滅多に日本に来ることがないので、これは!という美味しいものありますか?」などと聞いてみたら、「まぁ!どちらから?」というので、「フランスです」と言ったら、「うちの職人の中にもフランスで修行していた者がいるんですよ!」という答えが返ってきて、「え〜?だったら、パリでもお店だしてください!」と頼んでみましたが、そんなに簡単な話ではないですね・・。 でも、そのパン屋さん、正直、「AKI」のパンよりもずっと美味しいです。 しかし、日本のパンもフランスのパンもそれぞれ別物?とも思いますが、それぞれ美味しいです。日本のパン屋さん 日本のパン<関連記事>「パンの国フランス・パリで大成功した日本のパン屋さん・ブーランジェリー...

2025年2月23日日曜日

冬の山荘で凍る でも想い出が蘇ってきて、心が温かくなりました 想い出も心を満たしてくれる

 娘が小さい頃は、日本の小学校に体験入学させたかったり、また、学校のおやすみの都合などもあったので、自ずと夏に一時帰国することが多く、一時帰国中には、一度は、山荘に数日間滞在することが多くありました。 しかし、一時期を境に、両親が一緒に旅行するのが難しくなってきたり、また、我が家の山荘は避暑のために利用することが多かったので(夏は湿度が低く、涼しい代わりに冬は寒い)冬に日本に来た場合には、行く気にならず、本当に長い間、一時帰国をしていても、山荘に行っていませんでした。 我が家の山荘は、両親が夏の間には、暑い東京を避けて、少なくとも1ヶ月以上は、滞在していたのですが、母が最期に、山荘で倒れ、そ...

2025年2月21日金曜日

山形のお食事の美味しいおススメ旅館 その②「天童荘」

  山形2泊目に選んだお宿は、「天童荘」。ここも「お食事が絶品!」という強い推奨を受けて、選んだ旅館でした。 ここは、前泊した「名月荘」に比べると、内装などにしても、もっと洗練された感じで、お金がかけられている感じ(もちろん「名月荘」も充分に豪華です)で、調度品やライティング、生けられているお花などにもセンスの良さが感じられます。 お部屋にもよるのだと思いますが、私たちが泊まったのは、この旅館の中では、スタンダードなお部屋だと思いますが、部屋風呂と半露天風呂がありました。 ここは、お食事は部屋食ではなく、食事時には、別のお部屋に出向くようになっていますが、これもまた個室(かなりゆったりとした広めの空間)で、専任?の給仕の方がお世話してくださって、ゆったりとお食事ができます。 お食事に関しては、全く文句なしどころか、出てくる一品一品が否のつけようのない全てが絶品、しかもまた、品数の多いこと、器から盛り付けなども最高。 季節の素材をふんだんに使い、立春過ぎたタイミングということから、春を感じさせる献立でした。そもそもこの旅館の前身は、「鰻屋さん」であったそうで、これでもか!というほど献立が出てきた最後には、見事な鰻が登場します。 最初に出てくる様々な器を使ったいくつもの小鉢と一合桝に入った桝寿司、お椀、お造り そして、この旅館がこだわりを持って提供している「米沢牛」を使ったすき焼き、ただし、お品書きに「天童ワインすき鍋」とあったので、「えっ??ワイン??」ワインのすき焼きはちょっとな〜〜と正直、思ったのですが、このワインが主張が強過ぎず、このすき焼きを温泉卵でいただくようになっています。 すき焼きとなれば、白いご飯が欲しくなり、本来は、後で登場するはずのご飯をこのタイミングでもお願いしてしまいました。とにかく、お肉はもちろんのこと、添えられている野菜も最高でした。 そして、この後、お口直し?のソルベの代わり?のような存在のようなゆず風味のサラッとした葛湯が登場、これがまた、爽やかでなかなかよく、そして、最後に堂々と鰻が登場します。 この鰻はさすが、前身が鰻屋さんとしての誇りを汚すことが微塵もないというか、素直に言えば、見事なもので、鰻そのものは、もちろんのこと、その焼き方が素晴らしい。 側面がカリッとしていて、それでいて、身はふんわり、正直、私がこれまで食べた鰻の中でも、余裕で3本の指に入るくらい美味しい鰻でした。本当に、その場で一緒に食事をしていた娘も従姉妹も3人揃って、美味しすぎて、困り顔・・。 人はあまりに美味しいとなぜ、困った顔になるのかも不思議です。 そして、デザートには、苺ゼリーと練乳アイスにあんこがちょっと添えられています。  なにか、言いたい私は、苺は苺だけで、わざわざゼリーに包まなくてもいいのに・・などと口走ったのですが、それまた、大きな間違いで、こんなに苺を食べやすく、苺の味を引き立ててくれるゼリーの包み方を私はこれまで知りませんでした。 そして、朝食は、わりとふつう・・だと思ってしまったのですが、後から、あらためて、写真を見ると、これをふつうの朝食と勘違いしてしまった私もちょっとどうかしていたと思うのですが、文句のつけようのない充実したお食事でした。 難を言えば、というか、どうしても難をつけたいみたいな感じがしないでもありませんが、たまたま私たちのお部屋がそうだっただけかもしれませんが、部屋(2部屋)と洗面所、部屋風呂と半露天風呂などの導線がいまいちな気がして、また、細かいようですが、コンセントや電気のスイッチの位置などが、少々使いづらい気がしたのと、大浴場がそれほど大浴場でもなく、洗い場に3人用の場所しかなかったりするのが、少々、使い勝手が悪い気がしました。 まあ、それぞれのお部屋にお風呂がついているので、あまり利用する人がいないのかもしれませんが、それでも、これまで少々、温泉旅館に泊まってきて、この微妙な大きさの大浴場は、初めてだな・・と思いました。 しかし、ここのお料理は、本当に素晴らしく、だいたい、ふつうすき焼きの後に鰻が出てくるって、ちょっとおかしいでしょ!と思うところが、堂々と出てきて、しかも、その両方がものすごくレベルが高いので、私の中では、この旅館では、まったくもって、お食事がメインで、食事に温泉付き・・という受け止めをしています。 このお食事、絶対におススメなので、ご興味がある方は是非、行ってみてください。山形 天童荘 山形県天童市蒲田2−2−18<関連記事>「山形のお食事の美味しいおススメ旅館...

2025年2月20日木曜日

山形のお食事の美味しいおススメ旅館 その① 「かみのやま温泉 名月荘」

   今回の山形旅行は温泉はもちろんのこと、食事が美味しいことで有名な旅館を紹介してもらい、まさに食事が素晴らしく、感激してきたので、ここにご紹介したいと思います。 私は、ここ数年、日本に一時帰国するたびに、温泉旅行に行くようになったのですが、以前は、ほとんど日本国内の旅館というものに泊まったことはなく、正直、そんなに詳しいわけではありません。 しかし、ここ数年で周囲から勧められる宿に行くようになったのですが、年々、そのお料理のレベルが向上している感じで、今回もまた、すばらしいお料理に出会ったので、ご紹介したいと思います。 ただ、外観に関しては、現地の人も驚くような何十年ぶりかの大...