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2024年4月20日土曜日

断捨離で厄介なもの 日本語の本

  


 夫が亡くなって、しばらくの間は、彼が生きている時は、「もうこんなの捨てなさいよ!」とか言っていた、夫がため込んでいた、なんだかわけのわからない夫が海外で買い集めてきた妙なオブジェのようなものとか、骨董品のようなものから彼の洋服や靴に至るまで、かえって捨てられなくなって、全く手をつけられなくなってしまいました。

 3年くらい経った頃からでしょうか? 洋服や靴などは、サイズの合う人には、もしよかったら使ってくださいと差し上げたり、もう人に差し上げるのも失礼だと思われるものは、処分し、その他の多くのものは、エマウス(不用品を持っていくときれいにして販売され、その収益は恵まれない人のための寄付金になる団体)に引き取ってもらいました。

 ある程度、片付いてきたあとは、今度は日本の両親が亡くなったりもしたので、今度は日本に行くたびに、両親の遺品や家のものを整理する月日が流れ、しばらくすると、断捨離にも疲れてきて、しばらく手つかずにいました。

 しかし、自分自身もだんだんと体力の衰えを感じはじめ、今度は、自分自身の断捨離も少し体力のあるうちにやらなければと思い始め、最近、また、断捨離を開始しています。

 買ったまま使っていなかったバッグなどの小物類から洋服やアクセサリーとか、大して使わなかった娘のおもちゃとか、子ども服などは、折に触れて、以前からVinted(ヴィンテッド)やルボンカンなどのメルカリのようなサイトに出して、おこづかい稼ぎをしているのですが、どうにもならないのが日本語の本です。

 海外生活を始めるにあたって(最初はアフリカだった)、何よりも恋しくなると思われた本類・・好きな作家の日本語の本などは、段ボール3個分、別送しました。そのうち1個はアフリカに到着したのかしないのか?紛失してしまいましたが、それ以外はずっと引っ越すたびに一緒に移動し、蓄積されてきたものです。

 パリに来てからは、一時帰国するたびに文庫本などはを少しずつ、買って帰ってきたもの、ブックオフなどで安売りしている時などに買い込んだものなど、とにかく四半世紀以上ともなれば、相当な数になっています。

 一番、手っ取り早いのは、こちらにいる日本人の友人たちに、聞きまわればいいのですが、本にはそれぞれの好みもあり、おまけに皆、自分自身もそろそろ断捨離し始めたい世代の人々。

 日本語の本ばかりは、おそらく娘も先々になって読むとも思えず、また、フランス語や英語の本ならばともかくVintedなどでは出品したところで売れません。かといって、本好きの身、また日本語の活字が読みたくて読みたくて仕方なかった時期があった私としては、本を捨てるということにはとても抵抗があるのです。

 なので、ここのところ、気が向いたときには、ブックオフに本を引き取ってもらいに行っています。とにかく、気が付いてみれば、自分でも、よくもこれだけ家に運び込んだな・・と思うほどあり、しかも、本というものは重いもので、家には車もないので、ラクではありません。

 一応、査定をしてくれて、買い取ってもらえる分もあるのですが、値段がつかなくても、「欲しい人がいたら、あげてください」と言って引き取ってもらいます。もしかしたら、捨てられてしまうかもしれないのですが、一応、私が死んだ場合はダイレクトに捨てられてしまいそうな本にちょっとでも敬意を払っている気になっています。

 このブックオフの査定ですが、ある程度、きれいな状態であっても、本の種類にもよるのか?基準がよくわからないのですが、査定をしてくれる人によって、ずいぶん差があるなという印象です。

 まあ、1回に持っていけるのは、せいぜいエコバッグ1個分くらいなので、しれていますが、せいぜい1回分3~5ユーロ程度、少ない時だと1ユーロにもならないこともあります。本と言えば、夫も本好きであったため、山ほどフランス語の本もあるのですが、こちらの方は、近くにいらなくなった本を置いておくスペースが街中にできているので、いざとなったら、そこへ持っていくつもりです。

 最後の最後まで身近にとっておきたい本をのぞいては、あとは少しずつ処分するつもりです。好きな作家の本は、何度となく読む本もあるにはあるのですが、その大部分はもうおそらく二度と読まない本がほとんどです。

 最近は、荷物になるのが嫌なので、日本語の本もKindleで済ませてしまうので、今後、本は極力増やさないようにしていますが、正直なところ、本当は紙に書かれた活字の方がやっぱり、しっくりくる古い世代です。

 本当は、一度、じっくり徹底的に断捨離するのが合理的なのかもしれませんが、あとどのくらい生きているのかもわからないので、あまりさっぱりしすぎてしまうのも寂しいものです。

 しかし、考えてみれば、私が日常生活で使っているものなど、家にあるものの中で本当に限られたものだけで、本当に大切なもの以外はやはり少しずつ処分していき、大事なものを大切にして、暮らすべきなのだな・・それはモノに限らず、何かに費やす時間なども同じことだな・・などと断捨離しながら、考えています。


断捨離 ブックオフ 日本語の本


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2024年4月16日火曜日

パリオリンピックに関してマクロン大統領のインタビューで話したこと

  


 カウントダウンが始まりつつあるパリオリンピックについて、マクロン大統領がテレビのインタビュー番組に出演、熱弁を振るいました。マクロン大統領がこのインタビューの場所に選んだのは、オリンピックのテコンドーとフェンシングの会場となるグランパレの中でした。

 インタビューは先日起こったイランによるイスラエルの攻撃の話題から始まるというオリンピックに関するインタビューとしては、異例の話題で始まりましたが、フランスは、イスラエルの防空にも参加しており、このような不安定な世界情勢の中で行われようとしているオリンピックの安全性からも残念ながら避けて通れない話題でもあります。

 マクロン大統領は、このインタビューの中で、「オリンピックは外交上の平和の瞬間でもあり、少なくともオリンピック休戦に向けて取り組みたい。これは多くのパートナーとの間に敬意と寛容の精神を確認する機会でもある」と述べています。

 とはいえ、逆に考えれば世界中から多くの人々が集まり、多くの人々が注目するであろうオリンピックの場は、テロのターゲットとして計画されかねない機会でもあります。

 特にフランスが計画している今回のオリンピックの開会式は、オーステルリッツ橋から各国代表団専用の94隻の船がセーヌ川で行進してエッフェル塔に向かうという壮大な計画で通常の情勢でさえも、大変なリスクを伴うものになっています。

 これに対して、なぜ?こんなにリスクの高いことを行うのか?本当に大丈夫なのか?という質問に、「もちろんリスクはある」としながらも、「われわれは最大級の警戒体制をとっており、毎日3万人がこの警戒にあたり、ヨーロッパやアメリカ、アジアと協力体制をとりながら、諜報機関とあらゆる情報を収集し、サイバー攻撃も含めてリアルタイムに分析を行い、テロの脅威に備えている」と説明したうえで、「それでも、テロの危険性が確認された場合には、開会式は縮小され、プランB、さらにはプランCとして用意されている「トロカデロに限定」されるか、さらには「スタッド・ド・フランスに移送される」可能性もある」と語りました。

 また、この大規模の警戒体制を支えるために動員される人々をはじめ、オリンピック期間中(バカンス期間中)に働かなければならない人々が「CGT(労働組合)」を筆頭にストライキを計画していることについては、労働組合とその「責任精神」に対する「信頼」を表明し、「フランスはチームであり、統一国家であるため、我々はこの模範的な性質に対応しており、 私は、労働法や職場の安全に関して模範となることで、フランスが大きなイベントをどのように組織するかを知っていることを証明するつもりだ」と力説しています。

 どうにも「それは理想的にはそうなんだろうが・・」という話をものすごくエネルギッシュに語るのはいつものマクロン大統領の話にありがちなことです。

 オリンピックが開催されるのは7月26日からのことですが、実際には、オリンピックの聖火は5月8日にマルセイユに到着します。

 そして、オリンピック聖火は7月8日から26日までフランス全土を巡る450の中継都市を通過し、海外も含めてその聖火リレーの様子は全世界に報道されることになり、その一つ一つの都市のPRにもつながると説明しています。

 それにしても、フランスの大統領であるとはいえ、オリンピックの大会委員長であるわけでもないのに、大筋とはいえ、詳細にわたって自分の言葉で強く熱く語れるということは凄いことだな・・といつもながら感心してしまいます。

 我ながら、感動ポイントがズレているとは思うのですが、残念ながら、日本の政治家には、期待できないことです。


パリオリンピック


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2024年4月15日月曜日

電気料金の値上げとエネルギーチケット

  


 ここのところ、電気料金は毎年、着実に値上げされており、2024年は2月からさらに10%値上げされています。これは毎年徐々にあげられているため、数年前から比べるとずいぶん高くなったと思いますが、しかし、それでもこの値上げは国によって抑制されている状態のようです。 

 実際の電気料金は、これ以上に値上げされているのが現実なのですが、国が関税を調整しているために、これでも他の欧州諸国に比べて大幅な値上げを抑えているのだそうで、国からしてみれば、この調整を少しずつ段階的に終了させていく予定で、当初は2023年12月に終了予定だったものが、2025年2月までに延長されています。

 したがって、国は引き続きフランス国民の請求書の一部を一定期間負担しているわけで、この措置により、2024 年の国家予算では、30億ユーロが割かれています。

 ということは、2025年2月には、また確実に値上げされることは間違いなさそうです。

 これまでフランスは特にウクライナでの戦争が始まって以来のインフレのために、インフレ手当やエネルギークーポン(エネルギーチケット)などを数度にわたって配布してきましたが、全員に一律○○ユーロ・・ということはまずなくて、この援助の実質的な金額も所得によって違っています。

 このあたりは、とても合理的なところです。

 これは、前年度に申告された所得や家族構成(子どもの年齢や数など)により、自動的に配布されるもので、エネルギーチケットに関しては現金で支払われるものではなく、EDF(フランス電力)の個々のアカウントにデポジットとして、支給されます。

 今回のエネルギーチケットの平均支給額は150ユーロ(約24,500円)ということで、所得や世帯の規模に応じて48ユーロから 277ユーロ(約45,000円)とされています。

 このあたりの援助に関しては、フランスのシステムは非常によくできており、この枠内の人々に一定の率の金額(相当のバウチャー)を配布するとなれば、そのたびに個々に申請する必要はなく、自動的に振り込まれるようになっているところは、とてもスムーズで円滑に行われます。

 実際には、このチケットが配布された後は、電気料金は、そのデポジットから電気代が自動的に支払われることになるので、他の用途に使うことはできません。

 これらの援助に関しては、かなり手厚いと言えば手厚いのがフランスですが、年々、その援助されるはずの枠が狭められてきているのも国家の緊縮財政が見え隠れするところで、最近ではHLM(低所得者向けの公営住宅)の居住資格についての見直しを行う必要があることが話題に上がっています。

 このHLMについては、一応、2年に一度、チェックされているのですが、このチェックはこれまで居住権の問題もあって、わりと緩かったのですが、「所得の上限を大幅に超えた人々が公営住宅に住み続けることの妥当性を再検討する必要がある」と住宅大臣が問題を投げかけており、収入増加に応じて、家賃の増額、あるいは、退去が求められる可能性があります。

 フランスの場合、低所得者層への援助はこれまでも手厚いイメージがあるのですが、それだけ低所得者層がギリギリの生活に窮しているということでもあり、格差社会のあらわれでもあると思われます。

 そこのところが、税金を払う側にまわるか?もらう側にまわるか?などと揶揄されることにもつながっているのですが、実際のところは、ギリギリのところで、もらう側には回れない人々が一番厳しいのかな?という気もしてしまいます。


フランスのエネルギーチケット エネルギーバウチャー


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2024年4月14日日曜日

春の種蒔き ベランダ野菜栽培

  


 春になると、毎年、ベランダで野菜の種を撒くのが年中行事のようになっています。今年は、3月にしばらくパリを留守にしていたし、パリに帰ってきてからも、お天気があまり良くなくて、気温も上がらなかったので、ずっと頃合いを見計らってきました。

 そもそも私がベランダで野菜を育てるきっかけになったのは、最初にアフリカに引っ越したときのことで、アフリカといえば、そうそう簡単に日本に帰ってくることも難しく、持っていける荷物にも限度があって、日本の食べ物にしても、そんなに持っていけるわけでもなく、母が、持っていけないならば、自分で育てれば?と日本の野菜の種を持っていくことを提案してくれたのでした。

 今から考えれば、アフリカにいた頃はもっと時間もあったし、広いベランダもあったし、年中お天気もよかった(良すぎ)ので、もっと本腰を入れてやれば、どんなにか立派な野菜もできただろうに・・と思うのですが、あの頃は、とにかく私はフランス語を覚えることに必死で、そこまで真剣に野菜の栽培には取り組んでいませんでした。

 その後、フランスに引っ越してきてからは、しばらくは色々と落ち着かず、仕事と子育てに忙しい日々を送っていたので、野菜を育てることもすっかり忘れていました。

 とはいえ、パリに来て、生活も落ち着き始めてから、私のベランダ野菜栽培は再開し、日本に一時帰国するたびに野菜の種を買ってきては、春になると種まきをし、春先には春菊や水菜、小松菜などの葉野菜、夏にはきゅうりというのがお決まりのスタンダードになり、その他に小葱やにら、しそ、三つ葉、山椒などの薬味の類は、欠かせません。

 なにしろ、本当に猫の額ほどの狭いベランダなので、何を優先させるかは頭の痛いところです。今年は、いつものメンバーに加えて、スナップエンドウやからし菜、ししとうなどにも挑戦します。

 数年前にパンデミックのために突然、ロックダウンになり、家から出られなくなったときも、たまたまその直前に日本に行ったときに買い集めていた野菜の種が、いつも以上に役に立ち、当初はどんな病気なのか、予想もできずに、毎日毎日、外からは救急車のサイレンが聞こえてきて、テレビから流れてくるのは、もう病院に収容しきれない患者が溢れた病院の様子などで陰鬱になりがちだったときに、ベランダでの野菜の栽培には、心がなごみ、どこか土いじりに癒されている感じがしたと同時にどんどん育っていく野菜に実際に買い物に行くのも怖かったときに食卓を彩ってくれるとれたての野菜には、本当に助かった思い出があります。

 今でも春先の種蒔きの時期になると、あのロックダウンという前代未聞の時間を思い出します。

 現在は、どこにでも買い物には出られますが、やはり日本の野菜というと手に入りにくいものも多く、なにしろ、ベランダに出れば、ちょっとした青菜や薬味などが手に入るので、こんなに便利なことはありません。

 だいたい収穫が終わる秋の終わり頃には、枯れ枝を取り除き、土を大きなケースに入れ替えて、冬の間は、野菜くずなどを少しずつ土に埋めながら、翌年用の土を作ります。我ながら、「エコだな~!」と悦に入りつつ、土づくりをしています。

 この種蒔きの時期もなかなか頃合いをはかるのが難しく、早すぎれば芽が出ないままダメになってしまうこともあり、とはいえ、スペースにも限りのあることゆえ、後の予定が詰まっていて気は焦ります。

 私の場合、一番のメインイベントはきゅうりなので、きゅうりはだいたい例年からいくと、5月の日本のゴールデンウィークあたりに撒くのが一番成功率が高いです。きゅうりは、一旦、育ち始めると、ジャックと豆の木みたいに目に見えるかたちで、どんどん蔓を撒いてどんどん育っていくので、喜びもあります。

 少し背がのびていくと、毎年のようにベランダにやってくる鳩との闘いになるのですが、これも、根気よく闘っていく日を過ごしていくとそのうち鳩も諦めてくれます。

 こうして、ごくごく狭いベランダでも植物が育っていく喜びと太陽と土と水の偉大なチカラをしみじみと感じたり、同じように育てても、育ちかたが色々だったり、収穫の喜びを味わったり・・。こんな時間の過ごし方も楽しいものだ・・と思ったり・・。

 日本の家なら、庭もあるので、野菜を育てるスペースはあるものの、日本の野菜はいつでもどこでも簡単に手に入るために、きっとこんなことしなかっただろうし、こんな楽しみも味わうことはなかったと思います。

 海外生活ゆえに始めたこのベランダ菜園も今や私にとっては大切な楽しみになっているのです。


ベランダ菜園


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2024年4月11日木曜日

若者たちよ!旅行をしよう!海外に行こう!

  


 世界最強と言われる日本のパスポートを持つ権利がありながら、実際には、現在の日本人のパスポート保有率は6人に一人くらいと聞いて、とても残念に思っています。

 私が若い頃には、おそらく海外旅行に出る人はもっと多かったと思うし、実際にパリにいる肌感として、パンデミックの少しまえから、パリへの日本人観光客の数は少しずつ減りはじめ、パンデミックで一時、ぱったりと途絶え、その後も日本人観光客は、ぽろぽろと見かけることはあっても、あまり回復していないような気がしています。

 かつて日本人がパリに大勢押しかけた時の名残りか路線によっては今でも残っている日本語のアナウンスなどを虚しい気持ちで聞いています。

 日本人の6人に1人しかパスポートを持っていないと言われれば、それもあたりまえだろうと思うのですが、どうにも残念な気がしてなりません。

 私は若いときから旅行が好きで海外旅行もけっこうしていたし、類は友を呼ぶといえば、それまでなのですが、周囲にも旅行好きの人が多くいたような気がします。

 考えてみれば、周囲の同世代の友人や従姉妹たちを見回しても、留学経験者も多いし、旅行に出ることも多く、現在でも、おそらくパスポートをもっていないと思われる人は、思いあたらないほどなのですが、どうもその下の世代(その子供たち)を思い浮かべると、もしかしたら、パスポートを持っていないかもしれないことに思い至りハッとさせられます。

 個人的には、若者こそ、海外旅行や留学をしてみるべきだと思っているのですが、どうやら、今の若者たちの多くは、以前ほどは海外に出たいと思わなくなっているような気がします。

 大きな理由のひとつは、航空運賃が爆上がりしたことなどによる経済的な理由があるだろうし、まとまった休暇がとれない、とりにくいということもあるかもしれません。しかし、休暇がとりにくいという点では、私の世代も条件は同じだったはずです。

 この間、日本に一時帰国した際に、かなり久しぶりに娘と同じ年ごろの親戚の子に会ったとき、「旅行とかしないの?」と何気なく聞いたら、「あんまり旅行には興味ない・・東京にはなんでもあるし・・」という答えが返ってきて、ちょっと愕然としました。

 「東京になんでもある・・」とまあ、それは価値観の相違で、旅行が好きじゃない人もいるか・・とその時は、思ったのですが、いやいや「東京にないものはたくさんある・・」、たとえば、日本国内でさえも、少し旅行をしてみれば、日本には壮大で美しい自然を携えているところがたくさんあるし、海外には、異なる文化やその文化のもとで生活している人々がいて、色々な生き方や考え方があって、自分の生活圏とは違う場所に身を置くことによって、あらためて色々なことを感じたり、考えたりすることもできます。

 違う空気を感じるということは、想像以上に大きな体験であり、せめて、旅行でもいいから、海外に出てみることは、若い時だからできる大事な経験であると思うのです。

 実際に生活してみなければわからないことも多々あるし、海外に出れば、危険なこともたくさんあるし、気をつけなければならないこともたくさんあります。

 しかし、最近は日本も治安が悪くなったなどと言いつつ、世界的に見れば、未だに日本は格段に治安のよい国で、ある意味、日本が特殊な国であるということも実感として知っていていいことです。

 ましてや、万が一、海外で恋愛関係に発展したりして、クズ男にひっかかりでもしたら、本当にクズは日本では考えられないほどのクズなので、目も当てられない結果になりかねないところもあります。

 私の場合、夫はフランス人ですが、知り合ったのが日本だったということもあり、そんなに悪い人ではなかったのは、本当に偶然のようなもので、運がよかったと言った方がよいくらいです。

 自分が海外に最初に出たときには、そんなに具体的に将来についての展望を描いていたわけでもなく、ただ勉強したいことがあったので、その勉強をするために何としてもイギリスに行きたいと思っていただけで、今から思い返すてみれば、実に危なっかしいものでした。

 しかし、その若さゆえのエネルギーや今となれば無謀とも思えるような挑戦が、若いときには、あってもいいのかな?とも思っています。必ずしも、海外生活は、平穏ばかりのものでもありませんでしたが、それなりに、色々な経験をし、色々な人々に出会い、色々な文化に触れ、楽しい人生を送ってきたと自分の歩んできた道を後悔することはありません。

 娘にも、色々な場所に身をおいて、色々な経験をしていってほしいと思っています。(言われなくとも、娘は私の若いとき以上にあちこち飛び回っていますが・・)

 そのうち、家庭を持って、子どもでも持つようになったら、それこそ、自分の自由にばかりは時間は使えなくなるのです。

 海外に出てみれば、海外のニュースも少しは知ろうとするようになるだろうし、その中で、良い意味でも悪い意味でも日本がかなり特殊な国であるということがわかるようになります。

 関心事が外に向かないということは、あまり良い傾向ではない気がしてならないのです。

 日本のパスポートは世界最高のパスポートなのですよ!もったいないです!


世界最強のパスポート


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2024年4月8日月曜日

医者の予約を反故にしたら罰金5ユーロ 世界最高の医療システムを追求するために・・

  


 「私たちは世界最高の医療システムを維持したいと考えています」

 昨年、異例の若さで一国の首相に抜擢されたガブリエル・アタル氏は次々と様々な国のシステムを改革しようとしているのが日々感じられます。

 今回、彼が発表したのは、医療システムについての改変ですが、私がちょっと意地悪にひっかかったのは改変の内容の前に彼の言う「世界最高の医療システムを維持したい・・」の「維持」の部分です。

 WHOによると、フランスの医療制度は2000年には世界一だったと言われているそうですが、現段階での世界ランキングはせいぜい20位と言われています。もっとも世界一ではなくとも20位ということは、世界水準でいえば、高水準であるには違いないのかもしれませんが、このざっくりとでも世界最高と言ってのけるあたり、やっぱりマクロン大統領に似た感じの言い方をするな・・という印象です。

 私自身、長いことずっとフランスに住んでいるので、他の国の医療システムについては、日本のことでさえもよくわからないので、正直なところ、どの程度の水準なのかはわかりません。

  個人的には、持病はあるものの、大きな変化はなく、とりあえず、なにかあれば、かかりつけのお医者さんに相談して、問題があれば、処方箋を書いてもらって、特定の検査に行ったり、専門医にかかったりしているので、差し迫って困ることはないのですが、この先の特殊な検査だったり、専門医にかかる場合は、予約しようと思っても、それが数ヶ月から半年近く先だったりするのには、閉口することもあります。

 この流れは、もうずいぶん前に、自分のかかりつけの医者というものを選ばなければならなくなって、専門医にかかる場合は、そのかかりつけの医者に処方箋を書いてもらわなければならなくなったからだったのですが、当初は、なんでそんなに面倒なことを?と思ったものの、それに慣れてみれば、適格な検査や専門医を自分自身で判断できる知識が私にはないので、結局は、それが良かったのだな・・と思っていました。

 私の場合は、かかりつけのお医者さんには、すぐに予約がとれる状態なので、その部分での問題はないのですが、私の場合は幸運な部類に入るのかもしれず、かかりつけの医者にさえもすぐにアクセスできるとは限らないようです。

 医者不足が叫ばれ始めて以来、医学部の定員を増やしたりする措置はとられているものの、彼らが現役として活躍できるようになるまでのしばらくの間は医者不足は解消されることはないので、医者の負担を軽くし、仕事を簡素化するための措置が考えられているようで、医師が事務処理に費やす時間を減らし、より多くの時間を患者に充てられるようにするため、2024年末までに1万人の医療助手を採用するとしています。

 また、これまで医者の処方箋なしには買えなかった扁桃腺や膀胱炎などの抗生物質に対して、薬局の薬剤師が直接、処方することができるようになったり(6月から)、メガネを作る際に眼科の検眼を受けずとも、眼矯技師が直接、適応させることが可能になります。

 特にメガネなどの場合は、大手の眼鏡屋さんに行けば、眼科さながらの検眼システムがあったりするので、これは、妥当だな措置だな・・などとも思います。

 しかし、なんといっても今回の医療システム改変の中で、一番注目されているのは、医者の予約を反故にした場合は(予約をキャンセルしなかったり、24時間以内に行かなかったりした場合)には、「罰金5ユーロ」(2025年1月から)というもので、この罰金は、どのようにして、回収するのかわかりませんが、これこそ、事務手続きが爆増する原因となるのではないか?とも感じます。

 この5ユーロ(約800円)という金額も、罰金としては、なかなか微妙な金額のような気もします。

 世界最高の医療システム・・という壮大な感じのするうたい文句の割には、医者の予約バックレたら罰金5ユーロというなんだか、ちぐはぐなレベルの内容が並ぶことに理想と現実の壁を感じないでもありません。

 いずれにせよ、この発表により、医師組合との交渉が始まることになります。

 今、私は、専門医などの予約がとりづらいことなどはあっても、そこまでフランスの医療システムに不満があるわけではありませんが、これまで友人や知人が重病にかかって入院した時などには、かなり酷いな・・という話なども聞いているので、あくまでも、日常的にそんなに深刻な状態ではないからかもしれません。

 いずれにしても、できるだけ医者のお世話にならずにすむようにしたいものです。

 そうそう、フランスの医療システムですごいな・・と思うところは、ガン治療に関しては、特別な治療の場合は別として、無料ということです。これはもうずいぶん前に友人がガンに罹った時に知ったもので、ミューチュエル(国民健康保険をカバーする保険)に入っていなかったという友人に「え~~?どうするの?」とビックリした時に、幸か不幸か、ガンの場合は一切、お金がかからない・・と聞いて、喜んでいいのか、悲しんでいいのかわからない複雑な気持ちがしたものです。


医者の予約反故罰金5ユーロ 世界最高の医療システム


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2024年4月7日日曜日

連絡のとれない家 携帯の通信制限

  


 ふだん、フランスにいる時も、もうほとんど電話をかけるということがなくなっているので、みんなは家の電話というものをどうしているのだろう?と思います。未だに一応、携帯の中に色々な人の電話番号(家電と携帯)は入ってはいるものの、たいていは、フランスだと what's up、日本だと人によってMessengerか LINEで連絡を取るようになっているので、電話をかけることはほとんどありません。

 家の電話の方は、そもそも自分で使うこともなければ、かかってくるのは、妙な宣伝の電話や時には詐欺だったりすることもあるし、必要な電話は携帯の方にかかってくるのでいらないので家電は繋いでいません。

 それは日本に行った時にも同じことで、ほぼほぼ周囲の人々とはMessengerかLINEでメッセージを送るか電話をするかするので、フランスにいるときと基本的には変わりません。

 ただし、逆に未だにガラケーを使っているという叔母たちとは、それができず、メールか電話しか通信手段はないので、大変、不便な思いをしてしまいます。ほんの少し前はあたりまえだったことがものすごく億劫に感じられるのですから、ラクなことにはすぐに慣れきってしまうんだな・・とも思います。

 それでも、叔母のうち一人は、家にいれば、家電には出てくれるので、まだなんとか連絡は取れるのですが、もう一人の叔母に関しては、家電には出ないし、メールを送っても通信が制限されていて、こちらから連絡を取ることは不可能で、もうそんなことが数年、続いているので、こちらから直接、連絡をとろうとすることもなくなり、隣に住んでいる叔母経由で連絡をとってもらうようになっています。

 どうやら、その家の娘が通信制限をしているようで、周囲の人々もあの家は、連絡とれないから・・と諦めているようです。そもそも、私は日本に一時帰国している時くらいしか連絡を取らないので、そんなに支障もないのですが、なんだか、妙なことだな・・と思うのです。

 その叔母と直接会ったときに、「もう、全然、連絡取れないんだから・・困るじゃん!」などと軽く文句を言ったりもするのですが、「携帯やネットのことは全然、わからないから、娘が全部やってるからさ~」といなされてしまうのです。

 電話が通じないのはもちろんのこと、メールまで戻ってきてしまうので、明らかに通信制限をしているのですが、もしかして、嫌われてる?とも思ってしまうところ、隣のおば経由で連絡をとれば、お土産を色々もって、会いに来てくれて、楽しい時間を過ごせるので、そんなこととも違うような気がします。

 詐欺や迷惑電話やメールなどが多いのは、わからないではないのですが、周囲の誰もが連絡がとれないようになっている・・というのには、とても奇妙な気がします。

 私もネットや携帯などのことは、よくわからないので、その手の契約や設定などは、娘に頼っているので、あまり他人のことに大口をたたける立場でもないのですが、もしも、私のネット環境や携帯などに周囲の友人たちとの連絡がとれなくなるほどの通信制限を娘がかけているとしたら、絶対に怒ると思うし、「なんとかしてよ!」と文句を言うと思うのですが、どういうわけか、その家は、娘の絶対的な支配体制が敷かれているというか、洗脳されているというか、少々、そら恐ろしい気さえしてしまうのです。

 家族の個々の通信手段まで娘がコントロールする・・そして、それにおとなしく言うことを聞いて従っている家族たち・・どう考えてもおかしな構図なような気がするのです。


携帯通信制限


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2024年4月3日水曜日

帰仏早々の歯医者さん 日本での食べすぎの報い

  


 日本滞在から帰仏する前夜のこと、家で食事中、フランスではあまり食べられない焼き魚を食べ収めとばかりに欲張って、何種類も焼いて、いちいち感動し、噛みしめながら食べていたところ、噛みしめ過ぎたのか、突然、なんかガリッと妙な金属製のものをかじった違和感があり、「えっ?今のなに?魚の骨?って感じとも違うし・・」と口の中に残った小さな欠片をつまんでみたら、なんと奥歯の詰め物がとれてしまったのでした。

 前回、歯医者さんに行ったのは、左側の奥歯のインプラントで、相当な時間もお金もかかったうえに、痛い思いもして、もう絶対に歯医者さんに行きたくない!と気を付けて、念入りに歯磨きをするように心がけてきたのに、久しぶりとはいえ、また歯のトラブル。

 しかし、日本に一時帰国中は、ふだんの生活の何倍もの勢いで食べていたので、当然、歯を酷使し続けてきたためにこのような事態に陥る原因としては思い当たることがあり過ぎるわけで、せめて、これが帰仏寸前の出来事でよかった・・と思ってもいたのでした。

 以前、インプラントにまでしなければならなくなったのは、歯医者さんに行きたくなくて、放置していたことが仇となって悪化した挙句のことで、今度は帰仏したら、すぐに歯医者さんに行かなくては・・と、落ちてしまった歯に詰めてあった小さな金のかけらを大事にしまいながら、心に決めていたのでした。

 そして、フランスに戻って早々に歯医者さんに電話したら、思いのほか早く予約がとれました。

 今まで大病といえるような大病もしたことない私にとって、気が重い検査などは数々あれど、歯医者さんというものは、かなり嫌な場所(その歯医者さん自体が悪いというわけではなく、歯医者さんというもの、歯の治療というものが嫌い・・というより大嫌い)、もう予約してある当日は、歯医者さんに行くというだけで、もう病人のように具合が悪くなっている気がするのです。

 今回は、別に歯の詰め物がとれたというだけで、感覚的には痛くもかゆくもないのですが、歯医者さんに行って、またガリガリやられることを想像するだけで、こんなに具合が悪くなるものか?と自分でも情けなくなるのですが、事実なので仕方がありません。

 久しぶりの歯医者さんは、こともなげに明るく「サヴァ?(元気?)」と挨拶してくれるのですが、大人げないことながら、私は思い切り不機嫌で「サヴァではないから来てるんだろうに・・」とか思いながら、答えにつまって自分でも仏頂面なのがわかるほど。

 一応、「詰め物がとれてしまって、そのとれてしまった詰め物も持ってきてはいるんだけど・・」と説明したものの、そのとれてしまった欠片には一瞥もくれずに、歯をチェック。

 いつものことながら、明るすぎるライトにもうまな板の鯉の気持ちで目を閉じ、口をあけます。考えてみれば、従姉妹の旦那さんは歯医者さんなので、日本にいる間だったら、彼に診てもらえたかも? そうしたら、もう少し気がラクだったかも・・?などと思うも、時すでに遅し。

 結局、レントゲンをとったり、詰め物がとれてしまったところをまたさらにガリガリ削られて、応急処置だけをしてくれたところで、初日は終了しました。

 これからさらに気が重いのは、その治療方法の選択と請求書。今回は奥の奥でもあり、目立たない場所でもあり、「最大限保険でカバーできる範囲でお願いします」と話してきましたが、今後、どうなることやら・・。

 今回の一時帰国の初旬は時差ボケがひどくて極端な睡眠不足でいつものような食べ物に対して盛り上がらなくてつまらないな・・などと感じていたものの、時差ボケが解消されるとともに、しっかり挽回して盛り上がって食べまくってきたので、このような報いを受けることも充分にあり得ることではあったのですが、なにかと高くついた今回の一時帰国でした。


フランスの歯医者さん


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2024年4月2日火曜日

高齢者の一年の変化は大きい

  


 小さい子どもは1年会わないと「うわ~っ!大きくなったね~!」とびっくりしたりしますが、高齢者の1年もけっこう大きくて、「えっ??」と驚かされることも少なくないことに、ここのところ日本に一時帰国するたびに感じます。

 現在の私の周囲に関しては、正直、小さい子どもはいないので、後者の方の驚きばかりで、あまり先が楽しみという感じでもありません。

 誰でも年齢を重ねていくので、仕方ないといえば、仕方ないのですが、ここ数年は、周囲の叔父・叔母たちの多くは80歳以上が増えてきて、やはり80を過ぎると1年1年の老化、変化はかなり大きいのだな・・とちょっと愕然とすることもあります。

 叔父の一人は、急に腰が曲がってしまっていたり、ふつうに歩くのでさえも、ちょっと危なっかしい感じだったり、会話が成り立たなかったり、明らかに人の話を聞いていない感じだったり、妙に頑固だったり・・とハッキリ言えば、一目瞭然な老化ぶりにかなりショッキングだったりもします。

 90を過ぎた叔母に関して言えば、ここ1~2年で大きく変わり、以前から外出の際に杖を使っていたりしたので、家の玄関先で顔を見たりする限りはそんなに変化はないような感じも受けるのですが、従姉妹曰く、寝たきりの生活にはなっていないものの、一人で転んだりすると、もう一人では起き上がれない・・とのことなので、かなり心配な状態です。

 認知機能に関しても、私が日常的には隣に住んでいないということがどこまでわかっているのかいないのか? 娘と混同しているのか? 顔を出しても「うわぁ~○○ちゃん(私のこと)そっくりね!」などと言われてしまったときには、返事に困りました。

 それも、まあまあふつうの極めて妥当な会話が成立することもあるので、日によって差があるみたいです。何よりも性格的に非常に明るく社交的であったキャラクターがそうではなくなってきて、表情が乏しくなってしまったような気がします。

 2年くらい前だったか、私が日本に一時帰国していて、フランスに帰るとき、「また、しばらくは日本には来れないと思うから、おばちゃま元気でいてね!」というと、「元気でいたいけど、あんまり自信がないわ・・」などと寂しい返事が返ってきて、その時はその時で、心配にもなったのです。

 今回は今回で、フランスに帰る日の朝、従姉妹がかいがいしく、色々、荷物を出したりするのを手伝ってくれたりして、タクシーが来るまでの間、立ち話をしていたら、叔母が杖をついて、出てきてくれて、「え~?おばちゃま・・大丈夫?危ないよ・・」と言いつつ、私がフランスに帰ってしまうことは理解してくれているようで、やはりわざわざ見送ってくれようとしていることは恐縮してしまうような、でもやっぱり嬉しかったりもしました。

 また、いつものように「今年はもう帰ってこれないと思うけど、おばちゃま元気でね・・」と言ったら、「ハイハイ!私はいつも元気でいますよ!」みたいな返事が返ってきて、昨年よりも事態は深刻になっている感じなのに、あまりその事態を不安に感じるということもなくなってしまったのだろうか?などと、逆に心配にも感じてしまうのでした。

 私の両親は、すでに他界してしまっているので、両親はそれ以来、私の中で歳をとっていかないのですが、両親の兄弟姉妹たちは、両親の年齢を遥かに超え始めた頃から、ぐんぐん老化が顕著になっていく感じに驚くのです。

 もちろん、個人差もあるのですが、身体的なことや認知機能的なことはもちろん、性格的な面もどんどん凝縮されていく感じも、自分がどう歳をとっていくべきか?また、自分がこのようにありたいとか考えることができる年齢にも限界があるのかな?とか、考えてしまいます。

 特別なことがない限り、恐らく少なくとも年内中に日本に行くことはないと思うのですが、次回に日本に行った時、彼らがどんなふうに変わってしまっているのかと思うとちょっと恐い気もします。

 これが小さい子どもの成長に驚くというのなら、どんなに嬉しいことかと思うのですが、小さい子どもは周囲には、全然いなくて老人ばかりというのも、やはりいかにも日本の縮図のようだな・・という気もします。


子どもと老人の一年


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2024年3月30日土曜日

帰仏前後のもろもろ・・どうやら、また時差ボケまっしぐら・・

  


 なにかとトラブルもあったものの、無事、日本滞在の全行程が終わって、帰仏に向けての最後のクライマックスは荷造りです。帰仏前日、九州から泣く泣く・・というか怒りながら別送した荷物がなんとか届きました。

 その荷物を加えて、ざっと来仏のスーツケースを計量して、23㎏に満たない分を最後に買い物に行って追加するつもりでいました。

 帰仏前日の朝、叔母から届けたいものがあるから、「午前中に家に行ってもいい?」と電話。今回の来日でまだ一度も会っていなかった叔母も一緒だというので快諾し、家でちょっとだけ彼女たちとおしゃべりしたあと、近所に食事に行くことに・・。

 親戚の叔父、叔母の中でも彼女たちは、叔母というよりもお姉さんのような存在のためにとっても楽しい食事とおしゃべりの時間を過ごしたのち、帰宅。

 一応、それまでに買い集めたものなどをざっくりとスーツケースを計量してみると、もうすでに23㎏に限りなく近いことがわかって絶望的な気持ちに・・。隣の従姉妹が最後の買い物に車で行ってくれることになっていたのですが、「もう荷物、かなりいっぱいで追加できないかも??」と泣く泣く告白。

 「あれもまだ買ってないし、これもまだ買ってないし・・」とこぼすと、「それじゃ、どうしても欲しいものだけを買って、選抜式にしたらどう?どうせ、入らないものを置いて行っても娘ちゃんがいるんだし・・」と。

 「そうだ!そうしよう!」とさっそく、二人で買い物へ。

 無事に買い物が済み、いよいよ本格的に荷造りをしていると、2階の部屋で仕事をしていた娘が下りてきて、「ママ!全然、甘い!まだまだ手荷物にたくさん移せるよ!」、「これもこれも、手荷物に移せるでしょ!」と。

 実のところ、娘もフランスにいて、一緒に帰国していた頃は、荷造りは彼女の担当で、彼女は実に効率よく上手く収めてくれていたのでした。彼女のアドバイスどおりになんとか荷物を手荷物とスーツケースに割り振るとなんとかその日に買ってきたものも全て持って帰れそうな感じになりました。

 しかし、グズグズ夜中まで荷造りにかかっているのを見かねた娘が結局、うまいこと荷造りしてくれました。もはやどちらがお母さんかわからない感じになっています。

 機内に持ち込む荷物には機内で食べるものも含まれています。最近、機内に持ち込んで食べるものの中でとても気に入っているのは、冷凍の枝豆で、最近の日本の冷凍の枝豆は塩味もついていて、自然解凍で食べられるようになっているので、飛行機の手荷物の中に忍ばせて置くと、飛行機に乗った頃には、解凍されてちょうど食べ頃になるのです。

 前回は、やけに羽田空港が混雑していたので、今回は3時間前に到着するように家を出て、娘に教わったGOタクシーというアプリでタクシーでリムジンバス乗り場まで向かい、そこからリムジンで空港まで。空港に着くとすぐにチェックイン。荷物を預けて一段落。それから、まだ最後にコンビニでおにぎりやサンドイッチなどを買い込み、保安検査場へ。

 保安検査場を過ぎたところで、免税手続き(今回も前回の戸籍の附票の写しとやらが使えたため、ユニクロで免税で買い物しました)、といってもパスポートをピッと通すだけですが・・。

 ここを過ぎたところで、やっとどうにかホッとして、日本の友人たちや従姉妹や叔母や娘に、無事に空港について、あとは乗るばかり、滞在中はお世話になりました・・というメッセージを送ったり電話したりしながら、ちょっとだけサンドイッチを食べたりコーヒーを飲んだりしていると、出発3時間前についたのに、あっという間に搭乗時間間近になっていました。私にとっては、出発3時間前に空港入りというのは、ちょうどいい時間のようです。

 飛行機はオンタイムで離陸するというアナウンスにエアフランスなのにオンタイム?と驚きました。機内のことは前のブログで書いたので割愛しますが、書き忘れたことが一つ・・。大したことではないのですが、食事と食事の間に後方のスペースに用意されている軽食(サンドイッチやマドレーヌ、チョコレートなど)の中に山積みのどら焼きがありました。

 CDG空港に着くと一応、ランダムに荷物をチェックされる場合もあるのですが、日本からの直行便に関しては、ほぼノーチェックが多いです。

 タクシー乗り場に向かうとけっこうな行列にびっくり。それでもなんとか家に着くと猫のポニョが熱烈歓迎でお出迎えしてくれました。また時差ボケだな・・と思っていたものの、飛行機でたっぷり眠れたにもかかわらず、しっかり夜も眠れて朝6時半に空腹で起床。

 まだまだ眠れると思いつつ、いやいやこれで寝てしまったら時差ボケになる・・と頑張って起きて、荷物を片付けつつ、Navigo(こちらの定期券のようなもの)をチャージしに行ったり、野菜や卵や果物などの買い物に行ったりして午前中を過ごしたあと、昼食をとり、一段落したところで、なんだかすごく疲れて、ちょっと横になろう・・と思ったのがまずかった・・。そのままぐっすり眠ってしまい、気が付いたら、夜の11時。

 「え~~~?」という感じ。途中で心配してポニョがニャーニャーないていた声が聞こえていた気がするのですが、まさかのもう夜中です。

 機内でもぐっすり眠って、その日の夜もぐっすり眠って、時差ボケ対策に向けてバッチリ!と思いきや、午後の時間までぐっすり眠ってしまって、どうやら、やっぱり時差ボケは必須状態です。


時差ボケ


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2024年3月29日金曜日

長距離フライトの座席の移動のチャンス

  


 私は長距離フライトに乗る際には、必ずチェックインの時に、この便は満席ですか?と聞くようにしています。もともとできるだけ航空運賃は抑えたいために、よっぽどのことではない限り、別料金を払って座席指定をしたりすることはしないので、基本、割り振られた座席を受け入れて、あとは運次第です。

 個人的には、長距離フライトの間は、私は過去に怪我の後に足に血栓ができたことがあったために、フライト中、座りっぱなしというのは良くないようで、定期的に歩かなければならないので、できれば通路側がありがたいのです。

 しかし、セコいやり方ではあるのですが、そのフライトが満席ではない場合、離陸後にあたりを見回して、もし、通路側に空席があるのであれば、席を移動させてもらうこともできるので、その最後のチャンスを狙っているのです。

 今回の日本からフランスへの帰国のフライトの際にも、チェックインの際に「今日は満席ですか?」と聞いてみたところ、「今日は若干、空席がありますよ!」とのことだったので、内心は、「やった!チャンスあり!」と思っていたのですが、グランドスタッフの方は、「プレミアムエコノミーにグレードアップしますか?」とおっしゃり、「いえいえ、そういうわけではないんです!」と言ったのに、「すぐに追加料金を確認します」と仰るのでで、「まあ、一応、金額だけは聞いておこうか・・」と思っていると、「48,000円です」とのことだったので、やはり辞退。マイレージが貯まっていれば、それで・・ということもできたりもするのでしょうが、今回は、数年ぶりのエアフランスでマイレージも貯まっていないので、断念。

 それよりも、私は、もしも通路側出なかった場合は、離陸後に同じエコノミー席の中で席を移動させてもらえる可能性があるな・・と思っていたのでした。

 飛行機に乗ると私の座席は通路側で、しかも真ん中3席の間は空席で、隣が空席ということはだいぶ楽、一つの空席をおいた向こう側には、フランス人の若い男性が大きなお魚の抱き枕を抱えて乗っていて、「それ、可愛いですね・・」と声をかけると、ちょっと照れ臭そうに、「隣が空いているのは、ずいぶん楽ですね・・」と。

そして、飛行機が離陸後、まずトイレに行きがてら、ちょっとだけ歩こうと思い、席を立つと、思っていた以上に空席があり、となりの列の中に3席まるまる空いている席を発見。即刻、フランス人のCAの男性に「空いている席に移動してもいいですか?」と聞くと、「もちろん!」と快諾を頂き、即刻、お引越し。

 もともとの席の一席あいたお隣の男性にとっても私がいなくなれば、彼もまるまる3席使えるようになるために朗報であるに違いなく、その男性に、「私は別の席に移りますから・・」と声をかけて席を移動しました。

 3席確保できるとは、本当にラッキーで、さっそく窓際の席に枕を積み重ね、座席間のひじ掛けをあげると、もうフライト中の私のベッドが完成。さっそく両足を座席の上にのばして座ってストレッチをしたりして、身体をほぐし、万全の態勢になりました。

 長距離フライトの後に必ず思うのは、「両手両足をのばして眠りたい」ということなのですが、今回ははからずもそれが機内で叶えられることになりました。

 最初は、度々、歩かなければならず、うとうとすることはあっても、なにやかやと用意していた雑用をこなしたりしていたのですが、フライトも3分の2が過ぎた頃には、いつのまにか爆睡。途中、食事が配られていたのも気付かず、もう着陸30分前というアナウンスで目が覚めました。

 機内でそこまで爆睡するのも稀なこと。今回は、日本時間で昼過ぎに出るフライトだったために、朝、自宅を出て、時差の関係で、フランス時間の同日の夜に到着する予定だったので、そこまで本気で寝なくてもいい(夜、到着したら、そのまま家に帰ったら寝ればいい)と思っていたのですが、機内でしっかり寝てしまいました。

 日本滞在中は、最初の1週間強くらいは、時差ボケのためにあまり眠れない日が続き、その後、温泉旅行をしたりした際には、時差ボケはほぼ解消されていたものの、朝食前に朝風呂を楽しみたいために早起きをしていたために、全般的に寝不足の日が続いていたので、まず長距離フライトの機内で眠れたことはとてもよかったかもしれません。

 こんなに寝ちゃって、夜、眠れないかも?といらぬ心配をしてもいたのですが、帰りのタクシーの中では、最初は運転手さんとおしゃべりをしたりしていたのですが、次第に眠くなってきて、夜もしっかり眠れました。

 しかし、時差ボケは単に睡眠の問題だけではなく、翌朝は、私の腹時計が先に目をさまして、眠いのにお腹がすいてすいて起きてしまいました。

 本当ならば、あれだけ日本で食べすぎの日々が続いていたので、フランスに戻ってきたら、ダイエットが開始される予定ではあったのですが、そこは帰国ホヤホヤ・・日本から持って帰ってきた食料が山のようにあるために、もうボーっとしながらもまた、食べてしまうのでした。

 日本の国内移動のLCCで嫌な思いをしたこともあり、エアフランスのグランドスタッフもCAさんたちも、ものすごく感じがよい気がしました。日本からのフライトだというのに、日本人スタッフはゼロ(しかも半分くらいは男性)。帰途につくときに、内心、「ああ~またフランス語の生活か・・」とちょっと億劫な気がしたにもかかわらず、機内アナウンスのきれいなフランス語を聞いていると、どこか心地よさを感じたりもして、自分でも意外でした。

 ともあれ、長距離フライト、大変ではありましたが、不幸中の幸い?というか僥倖で、目覚めたときには、もう少し寝たいから、もうちょっと飛んでくれていてもいいのにな・・などと思ったほどです。


機内座席移動


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2024年3月28日木曜日

人の寿命はわからない・・

  


 今回は、日本にある家のことで、急遽、一時帰国することになり、その家は、父が亡くなった後に相続した段階で、私と弟の共同名義にしたために、家に関わる大きな案件については、私と弟との二人が揃っていなければならず、姉弟ともども海外生活を送っている我が家は、二人が日程を合わせなければなりませんでした。

 日本に到着するまでにも、色々と打ち合わせたり、決めたりしなければならないことも多く、いまだかつてないほど、ほぼ毎日のように弟とはLINEやメールで連絡をとりあったり、意見をかわしたりしてきたので、姉弟で色々と話せるよい機会だったと思います。

 弟は、日本の企業で働いているので、日本には仕事も兼ねて帰国することが多いのですが、今回は、100%プライベートということで、かといって、私のようにその間に旅行の計画をたてたりはしていなかったようなので、比較的、日本滞在中は自由に動ける感じでした。

 なので、肝心の要件に臨む前に、姉弟で顔を突き合わせて、色々と段取りをしておく方がよいと思い、家で一緒にゆっくり食事しながら話そうと母が昔、よく作ってくれたお料理などを久しぶりに作ったりして、弟を迎え、弟もリラックスした感じで昼間から飲みながら、食べながら、途中で叔母が顔を出したり、娘が加わったりしながら、延々と楽しい時間を過ごしました。

 夕方になった頃、そこそこ酔っ払い始めた弟が今日は、「泊まっていってもいい?」と言い出し、「もちろん!ここは、あなたの家でもあるんだから・・」と言いつつ、弟は、いよいよ本腰を入れて飲み始めてしばらく経った頃でした。

 弟の携帯に突然、電話着信が・・バカンス中のことでもあり、最初は彼も無視していたのですが、あまりに執拗に鳴り続けるので、電話に出るとそれは彼の勤務先のシンガポールからで、彼の部下である日本人スタッフの女性が仕事先のマニラで急に脳出血をおこして、病院に運ばれて意識不明とのこと。

 シンガポールならばともかく、場所はマニラ。マニラでも一番よい病院に運んだとのことでしたが、かなり状況は厳しそうだということで、一瞬で酔いも覚めるような出来事でした。

 病人に同行していた他のスタッフはかなり動揺していて、パニック状態。彼は部下にとにかく、「費用は全部会社が負担するから、落ち着いて、できる限りのことをひとつひとつやっていくように、そして、彼女の家族に即刻、連絡をとるように」と指示していました。

 しばらくすると、また、彼には連絡が入り、「手術するには、家族の同意が必要で、現在の病院の状況だと早くて手術は2日後くらいであろうと・・また家族は、鹿児島にいて、誰もパスポートすらもっていない・・」と。

 この倒れた彼女、とても有能な方のようでバリバリの叩き上げのキャリアウーマンとのことで、39歳独身とのこと。本人の意識はないので、そのご家族と連絡をとりながらのことを進め、翌日には、なんとか手術に漕ぎ着けたのですが、結局、それも上手く行かずにその翌日には、亡くなってしまったそうです。

 今回、日本に帰国して以来、明らかに急に老化が進んだように見える叔父や叔母の様子を見たり聞いたりするなか、あっけなく突然、まだまだ将来もあるはずの若い命が突然、絶たれてしまうこともあるのだと、なんだか他人事ながら、呆然とする思いでした。

 私としたら、いつ、それが弟であってもおかしくないような、人の寿命はいわゆる歳の順ではないのだとなかなか身につまされる思いでした。

 その間に家の要件は無事片付き、私は、予定していた旅行などに行っていたりしましたが、弟の方は、今回の帰国は仕事は関係のない帰国だったにもかかわらず、現地で荼毘にふされた彼女の遺骨が東京に届くと、部下とともに彼女の遺骨を届けに彼女の実家のある九州へ。

 たまたま同時期に九州の温泉でのんびり過ごしていた私とは、あまりの違いで気の毒になりました。一緒に同行した彼の部下は、涙ながらに遺族に遺骨を渡しつつ、ことの経過を説明したとかで、どんなにか辛い思いをしただろうと思います。

 私の夫も病気で突然、職場で倒れてから、病院に運ばれて数日後に亡くなり、母も病を患っていたとはいえ、発作をおこしてから、10日ほどで亡くなり、どちらも平均寿命には及ばない早逝だったと思いますが、今回の話はまさかの30代ということで、つくづく人の寿命は決して歳の順ではないのだということをあらためて思い知らされました。

 結局、彼女は倒れてから、一度も意識を取り戻すことなく亡くなってしまったようで、何の前触れもなく、何の言葉も残さず、ある日、突然にいなくなってしまいました。

 歳若いうちは、死は身近には感じづらいものですが、やはり、日々、死は隣り合わせにあるもので、日頃から私も死については、考えておこうとあらためて思ったのでした。


人間の寿命


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2024年3月26日火曜日

ついに旅先で腹痛に襲われ苦しむ娘

  


 私は普段はある程度、食事には気をつけて、控えめにしているつもりですが、日本に一時帰国している間は、そんなことはおかまいなしに、とにかく食べたいものは、食べる! 少々、大袈裟ではありますが、これがもしも日本に来る最後の機会になったとしても、思い残すことがないように、欲望に率直に食べることにしています。

 ダイエットは、フランスに帰ってから、ゆっくりやればいいと、とにかく、食べたいものを食べる毎日を送っています。

 しごく前のめりになって、でかけるたびに食べたいものを買ってきては食べているのですから、巻き添いを被っている娘ともども、食べ過ぎの日々が続いていました。

 ましてや、今回は娘と二人で九州旅行に出かけ、温泉宿に泊まれば、これまた朝から普段では考えられないほどの料理が並び、ふだんはともすると朝食は食べなかったりもするところを朝からしっかりと食べ、昼は昼であそこのお店に行ってみたいとか、あれが食べてみたいから・・と食べてみたり、また、夕食は夕食で、旅館で豪華な食事がずら〜っとならび、二人で「うわぁ〜すご〜い!美味しそう!美味しい!」とはしゃぎながら食べてきました。

 そんなふうに、母娘で旅するのは、このうえもなく楽しいことなのですが、とにかく旅先での移動は車で、今回は、特にあまり天候がよくなかったために、あまり歩くこともできず、次の旅館に着くなり、とにかく旅館内の温泉巡りでひたすら温泉に浸かるだけなので、運動量も不十分。

 とにかく温泉にだけは、とことん入っているのですが、それで山ほど食べている食事が消化しきれるものではなく、日々、蓄積されていくうちに、あまり空腹を感じなくなってきて、しかし、どうにか少しこなれたかな?というくらいの時間に次の食事。

 それでも美味しそうな食事を見ると、食い意地から空腹を感じ、食べるとびっくりするくらい美味しいので、それにつられて結局はとことん、もう苦しい!と言いながらも、食べてしまう・・しかも、これをこうしたらもっと美味しいだろう・・などと、自ら手を加えてみたりして、ああでもないこうでもないと言いながら、夢中で食べてしまうのです。

 もうほとんど病気です。

 今日は、あんまりお腹もすいていないから、お昼は軽めにお蕎麦くらいにしておこう!と良さそうなお蕎麦屋さんを探して出かけると、結局、メニューを眺めて二人とも真剣に悩み、周囲の人々が食べているものと照らし合わしながら、真剣に悩んだ結果、結局は、天せいろという、ちっとも軽くない食事を美味しく平らげ、挙句の果てはデザートに葛切りまで食べてしまいました。

 それでも、娘は、この日の夕方に、このままでは、夕食が美味しく食べられないからと、旅館の近くを1時間ほど歩いてきたりもしていたのですが(私の方は、もうダウンして、昼寝)、夜は、肥後牛のすき焼きとかで、またなかなか立派な食事を完食。そして一晩あけて翌朝は、またいわゆる旅館の和朝食をいつもの調子で完食しました。

 しかし、ついには、朝食後、娘はお腹が痛いと言い出し、お腹をさすりながら、暗い顔。どんな様子か聞いてみると、とにかくお腹がパンパンでお腹が張って痛いと・・。いわゆる食べ過ぎでお腹をこわす・・というのとも違って、食べ過ぎでお腹が本当にいっぱいの状態でお腹の皮が張って痛いというのには、心配を通り越して、我が娘ならば苦笑するしかありません。

 もっとも、ほぼ同じ量の食事をしている私のお腹はパンパンにいっぱいになっていないことも別の意味でなかなかヤバい状態でもありますが・・。

 彼女は、日本に住んでいて、何も私に合わせてがっつかなくてもよさそうなところですが、そこが、私と一緒になって、ひとつひとつの食べ物に真剣に向き合い、がっついてくれるのは私としては嬉しくもあり、楽しいことなのですが、どうにも美味しいものをみると満腹にもかかわらず、興奮してしまい、お腹の皮が張って痛くなるまで食べてしまうというのは、もうそういう血筋?としか言いようがありません。

 結局、しばらくして、彼女の腹痛はおさまってくれたのですが、私の日本滞在も残すところ、あと数日で、最後のラストスパートで、この後も帰仏するまでは、一食たりともおろそかにはできないところです。

 それこそ、私の方もかなりヤバいのですが、もう腹をくくってダイエットはフランスに帰ってから・・と思っています。

 娘よ、こんな母につきあってくれてありがとう!


食べ過ぎ 


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2024年3月25日月曜日

従姉妹夫婦の食と旅に徹した羨ましい人生

  


 私には、6歳年上の従姉妹がいて、子供の頃はそれこそ隣に住んでいながら、あくまでも同い年の従姉妹のお姉ちゃんという少し離れた存在でした。もっとも考えてみれば、子供の頃の6歳の年の差は大きく、子供の私からみれば、彼女の存在は、実際の年齢以上に年の開きを感じていて、ずっと、すごく大人だと思っていました。

 私が小学生の頃には、彼女は中学生、高校生だったのですから、そのくらいの年頃の子供にとっては、やっぱり別世界です。

 彼女は、イギリスに留学していた時期もあり、わりと海外にも抵抗なしに出かける人なので、彼女と少しだけ、行き来をするようになったのは、私がフランスに来て10年以上経ってからのことです。

 彼女がお友達とパリに来たときに家に寄ってくれたり、私が日本に帰ったときには、美味しいものを届けてくれたり、家に呼んでごちそうしてくれたり・・現在は、日本の家はそんなに近くないのですが、ことさら食べ物に関して、何かにつけてお世話になることの多い従姉妹です。

 彼女は、結婚していますが、日本でDINKS(Double Income No Kids)という言葉が日本に出回り始めた頃のまさにDINKS夫婦。彼女は長年にわたり会社を経営しているし、ご主人は、歯医者さんで子供はいません。

 それなりの高収入ではあるとは思いますが、彼女たちのお金の使い方は、いわゆる銭ゲバ成金的なお金持ちのような生活をしているわけではなく、その収入の多くを「食と旅」に費やしている私からみれば、理想的な生活をしています。

 日本に住んでいながら、一食も無駄な食事をとらないという姿勢は尊敬すべきものであり、それなりにお金だけでなく手間暇もかかっていると思います。コンビニのお弁当やカップラーメンなどで食事をすませることはせず、毎日、美味しい食材で作ったお弁当を持参しています。

 少しまとまった休みがとれるタイミングには、かなり前もって旅行の予定が入っていて、その土地で美味しいものを見つけると、その土地の頑固なお肉屋さんやお魚屋さんと仲良くなるまで通い詰めて東京まで送ってもらったりもしています。

 私はその全てを把握しているわけではありませんが、食いしん坊の家系の中でも彼女夫婦はダントツで群を抜いた存在、その味覚に関しては、私も娘も絶対的な信頼を置いています。

 今回の私の九州旅行はそもそもが日本への一時帰国自体をかなり急に決めたものでもあり、その間の旅行については、もともとの用件が住みそうな頃合いを見計らって、娘と二人だけで決めたものでした。

 それが、日本に到着したあとに、私がこの日からはちょっと九州に行くんだ・・と話したら、なんと、その期間に少々、日にちはズレるものの、似たような地域を彼女たち夫婦が旅行する計画になっていて、じゃあ、この日に予定が合うようだったら、一緒に食事しようということになり、彼女たちおススメの美味しい鶏料理のお店で食事することになったのでした。

 これまで日本に帰国した際に親戚のおじさんや他の従姉妹たちも含めて一緒に旅行したことは何回かあったのですが、こんなに偶然に日本の他の都市で居合わせて食事をするなどということは、初めてのことで、なんだかとても新鮮でした。

 彼女は今回以外にも私がここに旅行するとかいうと、必ずその土地の美味しいものや美味しいお店を教えてくれて、それが絶対に間違いなく、とびきり美味しいのです。

 今回は彼女たち夫婦とのランチということで、そこで何を注文すべきかの指南を受けながら、食事ができるのですから、こんなに嬉しいことはありません。

 そこは、しゃもの専門店で、もともとそんなに豊富なメニューがあるというわけではないのですが、そのしゃもの美味しさを活かした、ただしゃもをシンプルにジンギスカンのような鍋で焼き、塩で食べるというものなのですが、これがまあ、同じ鶏肉と分類するのがおこがましいほどの絶品。



 それなりに人気店のようで、行列ができた時のためにお店の入り口には、名前を記入しておく台まで用意されていて、人気のほどがうかがえます。

 ただ、地元の人や知る人ぞ知るという感じのお店であろうことは、その立地条件からもわかります。まさにこんなところにこんな店が・・という感じです。

 また、彼女たちは、メニューには載っておらず、注文を取りに来た店員さんでさえも知らなかったようなモツを注文してくれたあたりはさすがの常連。う〜んとうなったり、ひゃ〜っ!美味しい!と感激したりして、美味しく楽しいひとときを過ごしたのでした。

 食後には、少し離れたところに美味しいソフトクリームのお店があるとデザートにジャージー牛乳の食べ応えのあるソフトクリームを食べながら、もう止まらないおしゃべりの時間を過ごしました。

 その間にも、話題の中心は食べ物のこと、こんなものが美味しいとか、これを買っていくといいとか・・そんな話です。こんな場所においても彼女はすでに買い集めている果物やお菓子などを持ってきてくれていました。

 子供の頃はずっと年上のお姉さんという感じだったのですが、考えてみれば、結局のところ、現在においても面倒見のいいお姉さんです。

 また、彼女のご主人も飄々としたよい人で、もう従姉妹の夫さんという本来ならば少しとっつきにくい関係でもありえるところ、まったく垣根が感じられず(一方的なことかもしれませんが)、とっても温かい人です。

 彼女たちのすごいところは、しっかりと自分の本業をこなしつつも、仕事オンリーではなく、自分達の楽しみを夫婦でしっかりと持っていて、それに専心して、もはや美味しいものに関してはプロなみの知識を蓄えつつ、楽しんで生活していることです。

 そろそろ引退を考えはじめてもよさそうな年齢ではあるとは思うのですが、この食と旅に徹した生活を送るためには、働かなくちゃ・・とか冗談のように話しています。

 私の場合は、もうずいぶん前に夫を亡くしてしまったので、夫婦でそのような生活を送ることはできませんが、そんな生活をずっとずっと続けている彼女たちを本当に理想的な夫婦だと見ています。

 ちょっと残念なのは、彼女たちには子供がいないことで、もしも彼女たちに子供がいたら、すごく良い子に育っていただろうに・・とも思います。彼女たちの食の信者と化している娘はなんなら養女にしてほしいくらい・・と冗談のように言っています。

 昨今、周囲を見ていると、夫婦の在り方や生き方、特に引退後の生活など色々と思うところはありますが、彼女たちを見ている限り、老後もとても楽しそうだ・・と思えるのです。




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2024年3月24日日曜日

九州旅行2泊目の高級旅館がより魅力的に感じたポイント

  


 今回の九州旅行のための旅館の予約は、私もいくつかの希望は伝えていたものの、最終的には、娘に一任していました。最近の旅行の際の宿泊先の予約については、だいたいは、サイトを検索するか、YouTubeなどでの紹介を参考に決めています。

 おおよその予算と、全工程を上手く回れるための立地、今回は何よりも温泉なので、その温泉に関する施設、また、外せないのが提供されるお食事の感じで選んでいます。

 信頼のおける身近な人が実際に宿泊して、「ここ良かったよ〜!」などという情報がある場合は別として、多くの場合は、少々大げさな言い方をすれば、まあ一種の賭けというか、当てずっぽうでもあるため、実際に旅館に宿泊する際には、ドキドキします。

 これまで、そんなに「ハズれた!」という経験はないのですが、逆にちょっと意外なポイントに感動することもあります。

 今回の九州旅行2泊目の旅館では、意外なポイントに感動しています。それは、黒川温泉の「奥の湯」という旅館なのですが、かなり良い旅館で、文字どおり、黒川温泉の奥にある渓谷の間にある旅館で、その温泉施設も充実していて、館内には、複数の露天風呂や大浴場、家族風呂などがあり、温泉プールまであります。旅館内の調度品なども古いものを上手く使って、逆にモダンな感じに仕上げていて、美しく、落ち着いた雰囲気を醸し出しており、館内やお部屋にも多数、美術品や絵、置物などで飾られている重厚な印象のある落ち着いた雰囲気の旅館でもあります。

 それが、いざ、お部屋に案内されてみると、最初に驚いたのは、その旅館の印象からは、一見ふさわしくないような、いかにも昭和というか、レトロな感じを受ける昔、よく見かけた気がするビニールのスリッパです。



 思い切り昭和な世代の私にとって、そのいつのまにか、あまり目にすることがなくなっていたペタペタな感じのスリッパに感動。そして、お部屋の中の円形のドーナツ型の木の蓋のついたゴミ箱。お部屋の中の冷蔵庫を開けてみると、シンプルに湧水のいれてあるポットが一つ。



 もちろん鍵は、カードキーなどではなく、ごくごくふつうにガチャガチャあける鍵です。

 お部屋に置かれているお茶などは、市販のティーバックなどではなく茶葉がお手製のティーバックの中に入れられたものがいくつか茶筒の中に入っています。

 館内のいくつもの温泉施設を堪能したのは、もちろんのことですが、この古いものを多く用いながら、モダンに作り上げられている旅館はもちろんのこと、昭和な感じのペタペタなビニールスリッパや円形のドーナツ型の木の蓋がついているゴミ箱や端々に感じられる質実剛健な感じに、とってもホッコリさせられていることを自分の中で発見して、ニマニマしてしまい、同世代の友人たちと共有したいな〜という思いにかられました。

 もちろん、お食事などもすばらしく、品数も豊富で豪華そのもの、一つ一つの料理が丁寧に作られていることが感じられ、感動的に美味しく、そのクォリティーについては今さら言うまでもありませんが、絶対的に食べ過ぎの日々が続いています。



 しかし、前日に別府の街を歩いていて見かけたどこか昭和な風景が嬉しかったり、昭和の片鱗に触れたとき、私の中に眠っている「昭和」が目を覚ましてどこか懐かしさに感動するという新しい感動ポイントを発見しました。

 豪華な温泉旅館に来て、感動ポイントズレてない?と思われるかもしれませんが、その優雅な感じを喜びつつも、そのどこか質素で懐かしい部分に自分が喜びを感じているのは、事実です。

 意外なところで意外なものに触れることは、そのギャップやミスマッチにより、実際のものをよりチャーミングにしてくれるものだ・・と、妙なところに感心した温泉旅館体験でした。


高級旅館の中の昭和 黒川温泉 奥の湯


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2024年3月23日土曜日

日本の温泉地 別府の街

 


 

 今回の一時帰国は、日本にある家の件でどうしても帰国しなければならなかったのですが、長距離フライトに耐え、時差ボケに耐え、そして、安くはない航空運賃をはたいて、日本に来たからには、厄介なことだけでなく、少しでも楽しいこともやっていきたいと思い、前回に引き続き、温泉旅行の計画も盛り込んでいました。

 私は、東京で生まれ、東京で育ったために、東京から遠い地方に行く機会はあまりなく、また、親戚なども全て東京で、バカンス?(夏休みなど)時も東京から車で行ける範囲くらいが関の山で、自分で旅行するようになってからは、むしろ、海外旅行ばかりで、国内ではあまり旅行することはありませんでした。

 以前は、日本で遠方に旅行するのは、けっこう高くて、むしろ、海外旅行の方が割安だったりもしたために、なんか海外旅行の方がお徳感があって、国内旅行は長距離の旅行が体力的に厳しくなってきてからのことにしようと思っていたのです。

 ところが、どういうわけか、年齢を重ねた今、日本に来ること自体が遠くなってしまい、このままでは、日本国内での旅行は、少し強引にでも計画をたてなければ、結局、行けず仕舞いになってしまうので、前回から、日本に一時帰国した際には、どこかに旅行する予定を入れようと欲張っています。

 しかし、いざ、今まで知らなかった東京から遠く離れた日本を訪れてみるにつけ、日本の自然の豊かさに感動します。

 世界一の観光地といわれるパリなどにいると、言い方は悪いのですが、過去の遺産で潤ってるな・・と感じることがなきにしもあらずなのですが、こうして、日本の地方の大自然に触れると、それはそれで、日本は大自然の恵みと美しさ、広大な山々(連なる山々や木々のグラデーションなど)や温泉、河川、海、そして、地方地方で採れる海の幸、山の幸に恵まれているのだなとひしひしと感じます。

 日本のこの素晴らしい自然は、フランスの過去の遺産に勝るとも劣らない大変な財産です。

 なぜ?私は、これまでの長い間、日本人でありながら、この日本国内の素晴らしい土地に注目してこなかったのか?と、なんだかとってももったいないことをしてきた気がして、こんな機会をできるだけ作って、少しでも取り戻さなければ・・という気持ちなのです。

 前回は、鹿児島県霧島温泉に行って、温泉はもちろんのこと、山並みなども、やはり関東地方の景色とは違って、より広大でダイナミックな印象があり、すっかり魅せられました。

 今回は、その九州熱が引き続いていて、九州のどこか・・と娘にリクエストを出しておいたら、娘が希望したのは、別府温泉、どうやら最近、日本にいるフランス人の友人が行ってよかったよ・・と言う話を聞いていた様子。

 ところが、私の周囲の人からの話によると、関東圏?でいう清里のような、昔は繁栄したけれど、すっかり寂れてしまった感じ・・という話もあり、「えっ?」とちょっとギョッとしつつも、まあ、今さら予約しちゃったし・・という感じで恐る恐るやってきたのでした。

 いざ、別府に行くとなると、ここはまた我が親戚のネットワーク恐るべし、従姉妹の息子が別府の大学に通っていて別府のことなら、と案内してくれることに・・。

 夜、予定していたお店が急遽、早い時間に閉店してしまっていたために市内の商店街が連なるような場所を歩いたのですが、これがなかなか面白い。古い昭和チックな映画館や建物やお店を残しつつ、まるで映画のセットに潜り込んできたような独特な趣があり、思わぬ喜びを楽しみました。

 泊まった宿は、山というか丘の中腹にあり、遠方には山も海も見渡せる場所にありましたが、逆に市内からもそんなに遠くないところに山並みが見える・・とにかく山が近い!という関東圏にはあり得ない光景がどことなく、のどかな感じでもありました。

 宿には、海外生活を送る身としては、憧れの露天風呂や泥風呂、蒸し風呂などまであるお風呂三昧、お部屋のベッドは限りなく寝心地が良く、ずっと温泉に浸かっていたい気持ちとずっと寝ていたい両方の気持ちで身体が一つでは足りない気持ち・・。

 広いベッドに両手両足を大きく開いて大の字になってみたり・・もうただ眠るのがもったいない貧乏性。

 あ〜こんなに素晴らしい自然環境、資源があるのに、日本にいないのは、なんてもったいないんだろう?と思わずもう日本に帰ってこようか?という気持ちが頭をかすめたりもしました。

 しかし、日本にいたところで、毎日、温泉三昧の生活ができるわけではなく、たまに帰ってくるからよいのだということもわかっています。

 これから数日、九州の温泉地をちょっと巡ってみるつもりです。


別府温泉


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2024年3月22日金曜日

日本で感じるチープフレーション

  


 今年の初め頃、フランスでは、消費者保護団体が、コスト削減のためにレシピを変更し、材料の質を落としたり、量を減らしたりしつつ、且つ値上げをしている食品メーカーの特定商品について、その社名、具体的な商品名を挙げて警告を発し、話題になっていました。

 具体的な社名や商品名を名指しで指摘するあたり、なかなか強烈だな・・と思ったのですが、消費者側としては、ありがたい情報でもあり、また、なにも、メーカー側を貶めるためというよりは、消費者側の立場にたって、事実を伝えているわけですから、そのような団体からすれば、憚ることなく、情報を開示することに問題はあり得ないのです。

 これを機に、私は、チープフレーション(チープとインフレーションの造語)とか、シュリンクフレーションという現象について、少し気をつけてみてみるようになったのですが、今回、日本に来て、このチープフレーションと思われるものに、度々、遭遇しています。

 これは、私が一時帰国の際の食べたいものリストに入っている食品だったり、いつも帰国の際には、必ず一度は行くレストランなどでみられていることなのですが、まず、いつも行く昔からよく知っている洋食屋さん、ここは、美味しいだけでなく量が多く、ボリューミーなことで有名だったのですが、そのお店、味は変わらないものの、量がかなり減っており、そもそも多すぎるくらいだったので、私は、構わないのですが、中年になってもわんぱくな弟などは、かなりショックを受けていました。

 しかし、量を減らして、値段の高騰を抑えようとするのは、まだ良心的?な方だと思うのですが、明らかに味が落ちた・・品質が落ちたな・・と思うことにいくつか立て続けに遭遇し、非常に残念な気がしています。

 ここでは、私は具体的な調査をしているわけではないので、具体的な名前を挙げるのは、避けますが、いくつかの全国でチェーン展開をしているレストランやファストフード的なお店が立て続けに、味が落ちたな・・と感じたのです。

 これらは、おそらく日本人ならば、誰もが知っているようなお店のものですが、いつ行っても同じ味だったはずのものが、そうでなくなっており、明らかに材料の品質を下げたような気がします。

 チェーン展開をしていたり、ファストフード的なお店なので、もともと、そこまで高価なものではありませんが、それなりに懐かしさがあり、妙に時々、食べたくなるようなもので、私の場合、帰国のたびにとはいえ、せいぜい一年に一度か二度のこと。

 逆に味の変化は感じやすいのかもしれません。

 インフレのために材料費や加工費が以前に比べてかかるようになっているために、これまでと同じものを作り続ければ、商品は値上げしなければならないのは必須ですが、その値上げによる客離れを恐れているのか、質を低下させるという最悪のことをしているように感じられます。

 「うちはクォリティをキープする!」として、堂々と値上げをするか、量を減らしたり、小さくしたりすれば、まだマシだと思うのですが、味が変わって美味しくなくなってしまえば、私の場合、もうガッカリで、もう行かない・・もう買わない・・となります。

 まあ、一年に一度しか来ない客のことなどどうでもいいと言われるかもしれませんが、値上げに対して、及び腰な姿勢が透けて見えます。

 だいたい全てのものが値上がりしているのに、これらの食品・商品が値上げしない方がおかしいので、値上げしていないとなったら、逆にそのクォリティを疑ってみなければいけないのかもしれません。

 そもそも、私はたまに来るだけなので、もともとの値段がどの程度であったのかという感覚が希薄なために、値段の方は、そこまで神経質になりようがないのですが、とにかく、これまで楽しみにしていた日本に来たら食べたいものが減っていくことは、残念なことではあります。

 一食もおろそかにはできない日本での食事ですが、今回、いくつかの食品が私の食べたいものリストから消えていきました。


日本のチープフレーション


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2024年3月18日月曜日

グルメな親友との至福のひととき 日本橋 かに福本店

  


 今回の一時帰国は、日本にある家についての手続き上のことで、どうしても帰国しなければならなかったために、いつもの一時帰国とは若干、異なるものではあったのですが、それにしても日本に来たからには、食べたいもの、できるだけ美味しいものを食べるということをおろそかにするわけにはいきません。

 私の周囲の人々も慣れたもので、私の好きそうな食べ物やお店を探しておいてくれるのです。

 なかでも私の親友のグルメ度は見事なもので、かつて、食べログなどのサイトもなかった頃から、どこどこのなになにが美味しいとか、例えば、この場所で和食、お寿司、お蕎麦、イタリアン、中華、フレンチ(などなど)なら、このお店がいいなどの情報が常にアップデートされていて、歩くグルメマップとよばれる存在で、美味しいものを食べたい場合は彼女を頼りにしていました。

 また、味覚は人それぞれなので、人によって、美味しいと感じるものは異なり、良いと思うお店も違ってくるので、食べログなどの場合、評価が高いといっても必ずしも私にとっては、そうでなかったりする場合もあるのですが、彼女の味覚というか食の好みは私のそれとほぼ一緒なので、彼女は絶対的に信頼のおけるグルメマップであるわけです。

 今回も彼女と会う際に、私と行ったことのない美味しいお店を探しておいて!という、かなりざっくりしたお願いをしていたところ、彼女は「カニ」のお店を探して予約しておいてくれました。

 絶体的に信頼をおいている彼女の選んだお店は、絶対、美味しいことはわかっていましたが、今回、彼女がチョイスしてくれたお店は、これまでの中でも群を抜いていて、というか、今の私にとっては、感動的なものでした。

 彼女のすごいところは、同じ店舗でも、本店の方がいいとか、この時間帯がいいと細かく考慮してくれるところで、今回は、日本橋にある「かに福」本店で、そのちょっとレトロな感じのお店と本店のメニュー(他の支店とは異なるらしい)、そしてそのカニ料理の素晴らしいこと!

 私は、正直、カニ料理のお店に行ったのは、初めてのこと。カニ料理とは一体、どういうものが出てくるのかさえも、わかりませんでした。

 しかし、最初に出てきたカニのお造り(ズワイガニとタラバガニ)は、私がこれまで食べたことのなかったもっちりとした食感で、カニ味噌については言うまでもなく絶品。

 そして、カニクリームコロッケとカニクリーム大葉巻き天ぷら。どちらも、よくぞこれをサクッとトロッと揚げられると感心するほどで、中には、カニがたっぷり惜しみなく混ぜ込まれています。

 次に出てきたのがカニの茶碗蒸し、そしてお重につめられてくる「かにめし」には、食べすすめていくうちに違う食べ方ができるように、わさびとわけぎなどの薬味とともに出汁がついてきて、最後には出汁とともに味わえるようになっています。

 またこの「かにめし」には、壺に入った、切り干し大根、お漬物、生姜の甘煮が一緒に出てきて、このご飯とともに味わえるようになっています。

 その切り干し大根もほどよい戻し加減でちょうどよく煮上がっていて、生姜の甘煮はこのかにめしとの相性が抜群です。

 なによりもこのかにめしには、ほぐしたカニがたっぷり混ぜられているうえに、たっぷりのせられています。

 初っ端のカニのお造りの段階から私は、もう感動のために悲鳴をあげそうになったほどです。

 フランスに行って以来、年々、感情表現が大胆になったというか、リアクションが大きめだと言われることが多い(特に美味しい食べ物に関しては・・)私ですが、今回は特におさえるのが大変(別に抑えようともしていませんが)、店員さんが次のお料理を運んで、お皿をさげてくれにきたときなど、「もう〜ほんとにおいしかったです!」と大絶賛!

 しかし、私でなくとも、周囲のお客さんの中にも思わず、唸るように「美味し〜い!」と口にしている声があちこちから聞こえてくるほどです。

 とにかく、今日のランチは、ちょっといつもとは群を抜いている感動ランチで、親友と、美味しいものを分かち合いながら、「美味しいものを好きな人と一緒に楽しめるって、とっても元気がでるね!」と言いながら、一つ一つのお料理に二人で真剣に向き合う比類なき楽しいひとときでした。


日本橋 かに福本店


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2024年3月17日日曜日

いつのまにか、日本でカーシェアを上手く使いこなしている娘にビックリ!

  


 娘が日本で運転免許を取得したのは、昨年の夏のことでした。彼女はフランスでも運転免許を取ろうとしていたのに、学業の都合で転居したり、パンデミックが起こったりしたために、免許の取得が中断したまま、日本で就職することになり、フランスでの免許取得は、長期延期状態になっていました。

 昨年の夏、彼女が転職を決めた段階で、次の仕事との間に2ヶ月ほどの時間ができ、その間に彼女はフランスに一時帰国したり、他の国を旅行したりした挙句、残りの短期間の時間で日本の運転免許証を取得したのでした。

 当初、彼女は、とりあえず免許は取れる時にとっておくだけで、車はお金がかかりすぎるので必要ないと言っていたので、そのままペーパードライバーになるのかと思っていました。

 ところが、いつのまにか、彼女は日本でのカーシェアのシステムを見つけ出し、また、そのカーシェアのパーキングが家の近くに軒並み増え始めたことをきっかけに、カーシェアをけっっこう利用しているようです。

 カーシェア会社に登録し、月額料金880円払うだけで、あとは、車を使うたびに、予約すると破格の値段で車を借りることができるシステムで、別途に保険料やガソリン代なども払う必要はありません。もちろん車を買えば、それなりにかかる管理料(税金や駐車場代、車検など)もいりません。

 しかも、あちこちにそのカーシェアのパーキングがあるので、その中から事前に車種などを選べば、好きな時に利用できるので、自分で車を買う必要もないのです。

 予約時間にパーキングに行けば、アプリでロックが解除できるようになっていて、誰の手を介することもなく、車を利用できるのですから、こんなに安く便利なことはありません。

 今回、私が帰国した際も、彼女の方から、「夜だと特にカーシェア料金も安いから、羽田に迎えに行ってあげる・・多分、ママがリムジンやタクシーで帰ってくるよりもずっと安いよ!」と申し出てくれて、彼女は、その車で羽田まで迎えに来てくれました。

 私が日本にいた大昔?には、カーシェアではなく、レンタカーで、レンタカーとなると金額もそこまでお得というわけでもなく、都内でわざわざレンタカーを借りるということは考えたこともなかったのですが、時代はどんどん変わっているようです。

 この誰の手も介さなくてもよく、おまけに家の近くにこのパーキングがたくさんあり、おまけに料金がビックリするほどお手頃価格とあれば、本当にもう車を買う人はいなくなってしまうのではないか?と思ってしまうほどです。

 彼女曰く、色々な車に乗ってみることができるので、それはそれで楽しい・・と。

 まあ、車に限ったことではないのですが、とどのつまりは、彼女はネットであらゆる便利で安いものを探し出し、上手く使いこなしているわけで、どんどん進化している社会をスイスイ乗りこなしているようなもので、私は娘のおかげでなんとなく、その情報の一部を知り得ている感じです。

 公共交通料金も結構、値上げしているので、どこかに出かける場合、交通費をざっと見積もってみると、意外とこのカーシェアで車を借りて出かける方が安かったりするわけで、基本、借りた場所に車を返すのですが、乗り捨てもできる(パーキングによっては不可能な場合もあるが)ので、それらを上手く調整すれば、本当に便利で安い移動手段です。

 私などには、ネットやSNSは、いまひとつ苦手意識が拭い去れず、すでに知っているサービスについていくだけでもあっぷあっぷなのですが、デジタル世代は、本当にそれらに何の抵抗感もなく、次から次へと新しいものをみつけて、利用することができるので、彼らにとったら、本当に生きやすい世の中なんだろうな・・とうらやましく思います。

 通勤などには(そもそも彼女はリモートワークが多いため、あまり通勤はしませんが)、このカーシェアリングは利用していないようですが、こうして彼女はどんどん運転にも慣れていくんだろうと思います。

 もともと注意力散漫なところがあり、車の運転は向いていないのでは?と私は娘の運転免許取得には、あまり好意的ではなかったものの、今の彼女の様子を見ている限り、やっぱり少しずつ慣れていくもので、時間がある時に免許をとっておいたのは、正解だったな・・と思っているのです。


カーシェアリング


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2024年3月16日土曜日

年々、時差ボケがどうしようもなくなってくる・・

  



 今回の一時帰国は、過去最悪の時差ボケの強烈さで、とにかく日本に来て、もう5日ほど経とうとしていますが、一向に治る気配がなく、一日平均2〜3時間くらいしか眠れていません。

 なにしろ、到着した初日は機内で多少は眠れたものの、それもほんの数時間、その日の夜はとうとう一睡もできなかったのですから、スタートからして、未だかつてないほど酷いのです。

 それでも、前日は、全く眠れていないのですから、翌日はさすがに眠れるだろうとたかを括っていたのですが、眠れるには、眠れたものの、娘とついついおしゃべりをしていて、夜、遅くなってしまったというのに、早朝、まだ夜もあけないうちに目が覚めてしまいました。

 たいていは、時差ボケは時とともに少しずつ緩和され、現地時間にアダプトしてくるので、1時間ずつくらい目が覚める時間が遅くなってきて治ってくるので、以前は、むしろ、早朝に目覚めてしまっても、逆にそれを楽しんでいるようなところがあって、早朝のコンビニを覗いてみたりして、いやいや、こんな時間なのに、お客さんがいるもんだな〜と感心してみたり、新製品を珍しい気持ちで眺めたりして、苦しいと言いながらもまだまだ余裕の時差ボケというかんじだったのです。

 常日頃は、朝、起きた瞬間から空腹を感じるということなど、まずあり得ないのに、時差ボケの場合は腹時計もイカれているわけで、朝から美味しく食事ができたりもするのです。

 ところが、今回の時差ボケの体内時計は、逆に進み始め、毎日、毎日5時、4時、3時と目が冷める時間が早くなり、ますます睡眠がとれなくなっているのです。

 もうこうなってくると身体はだるいは、ガチガチに固まるは・・頭がボーッとして・・というのを越して、脳が膨張して、ブヨブヨになっていくような感覚です。

 昼間に眠くなっても、日中、寝てしまったら最後、夜、眠れなくなる・・ともう恐怖と体力の限界。しかし、悲しいかな、限られた日本滞在期間に済ませなければならない用事は、山積みなのです。

 蓄積されていく疲労にもうホントに辛いです。

 いつもはフランスでも必ずしも、きっちりした時間に寝ているわけでもないにも関わらず、サマータイムの関係で1時間の時間がズレるだけでもしばらくは、身体がついていくのが大変なので、私は、サマータイムやめて欲しい派です。

 いずれにせよ、時差ボケは、フランスに帰った時よりも日本に来た時の方がなぜか辛いのは、いつも同じだったのですが、下手をしたら、今回は、日本滞在中、時差ボケがなおらないままフランスに帰ることになるかもしれません。それなら、フランス時間のまま帰ることができるなら、帰りの際はすんなり戻れると思いきや、それはそれで、再び壊れている状態になります。ホント、時差って大変です。

 以前、長い間、アメリカで勤務していた弟が今はシンガポール勤務になって、日本との時差がほとんどなくなったのは、ホント楽!としみじみ言っています。

 今回は、睡眠って本当に大切。長距離フライトだけでなく、この時差ボケをなかなか克服できないことも、日本に来る大きなハードルの一つになってしまいそうな気がしています。日本への一時帰国は楽しいのですが、体力的には、どんどんキツくなってます。

 今回、感じているのは、はっきり言って、時差ボケは身体に毒。

 今晩は、どうか、よく眠れますように・・。


時差ボケ


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