2020年3月3日火曜日

潤沢な日本食材を目の前にして思うこと 満ち足り過ぎると幸福に鈍感になる




 今は、日本から帰国したばかりで、山のような日本の食材を持ち帰り、ニコニコの生活を送っています。たくさん持ち帰ったとはいえ、この限られた食材を、少なくとも、向こう半年は、日本へは、行かないと思われる間に、少しずつ、少しでも無駄のないように、使っていくのですから、決して多すぎることはありません。

 こちらで手に入る食材と掛け合わせながら、愛おしい気持ちで、この食材を大事に大事に使っていきます。

 それは、日本に行った際にも同じようなことを感じるわけで、食事のたびに、今日は、何を食べよう?とか、買い物に行けば、新鮮な気持ちでワクワクします。一食一食を感動しながら頂き、幸せな気持ちに浸ります。

 日本での私たちは、恐らく、はたから見れば、滑稽なほどに一食一食に感動して過ごします。

 もし、私たちが日本に住んでいて、当たり前に手に入るものだったら、大した感動も覚えることは、なかったでしょう。それが、ごくごく小さなことで、感動することができるのです。

 人は、満たされれば、満たされるほどに、もっともっとと欲が出て、不満が膨らみ、幸せに鈍感になるような気がします。

 食べ物くらいで、大げさだとも、思いますが、あらゆることは、これに似ているように思うのです。

 自虐的でもありますが、海外生活において、日頃、不便で、理解しがたいことに囲まれている生活の中だからこそ感じられる幸せもあるのです。

 最初に長期で海外生活を始める時に、「手に入らなければ、自分で育てたらいいじゃない!」と母が、いくつかの日本の野菜のタネを持たせてくれました。

 日本に行くと、たくさんの日本食材とともに、いくつかの野菜のタネを持って帰るのも、それ以来の習慣のようになっています。

 「手に入らなければ、自分でなんとか作る。」精神で、春になり、自宅の狭いベランダで、プランターの土を耕して、野菜を育てるのも、楽しくもあり、喜びでもあります。

 日本にいたら、きっと、決して感じることのなかった当たり前のことや、当たり前のものに対する感動や喜びを感じられる生活を私は、なかなか気に入っています。

 

 

 











 

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