2020年1月31日金曜日

私はウィルスではない フランスでのアジア人差別




 世界中を騒がせている、新型コロナウィルスの広がりにより、ヨーロッパで、最初に感染者が確認されたフランスでは、中国人だけには、留まらずに、アジア系住民に対する人種差別が問題となっています。

 アジア系の人間だとわかると、すーっと周囲の人が遠ざかったり、酷いものでは、罵声を浴びせられ、メトロから降ろされたりするケースもあると言います。

 街中で、遠巻きに、「コロナウィルスが来た!」と騒がれたりしたという人もいます。

 もちろん、まだ、正体も定かではない未知の病気に感染したくないという恐怖が引き金にはなっていますが、私は、もともと、フランス人の中には、アジア系の人間に対する差別意識が、潜在しているものだと思っています。

 そもそも、フランス人にとって、アジアの細かい国は、十把一絡げなところがあります。

 例えば、日本という国も、最近、注目されつつあり、人気は急上昇しているとはいえ、一般的には、日本人が思うよりもずっと、フランス人は、日本のことを知りません。

 だからこそ、日本人も中国人も、その他のアジア諸国も、同じように扱われがちです。

 そもそも、日頃から、除菌に精を出し、ウォシュレットを使用し、マスクをして歩く、日本人の衛生観念は、世界的にもトップレベルであり、フランスの汚いトイレ事情などから比べると、天と地ほどの差があると思われるのですが、我が身を省みずに、アジアを一括りにして、アジア人全体を差別する彼らには、日本人を中国人と区別するようには、コミットできません。

 日頃、パリを訪れる日本人観光客が街中で、マスクをしているのを奇妙な気持ちで眺めているフランス人には、度々、「日本人は、なぜ、マスクをしているのか?」と尋ねられることもしばしばです。

 逆に言えば、「マスクをしているのは、日本人だ・・。」という風には、思っているらしいところもあります。

 そもそも、フランス人は、外国人に対して排他的なところがあり、逆に言えば、フランスを愛するあまりに、他を蔑視するようなところがあります。そういう意味では、フランス人は、差別体質の部分を持っているとも言えるかもしれません。

 ごくごく平和な日常には、表面化はしにくい差別問題ですが、今回のコロナウィルスの騒ぎには、自分たちの健康が脅かされる危機的感情もあり、このところ、表面化してきているのです。

 とあるアジア人女性が、SNS上で、差別被害を訴え、ハッシュタグを付けて、「#私はウィルスではない」(#JeNeSuisPasUnVirus)を発信して、アジア人差別問題を投げかけ、広まりを見せています。

 アジア人を見かけて、「コロナウィルスが来た!」などと騒ぎ立てるなど、今どき、小学生でもやらないようなレベルのことで、そもそも差別というものは、人を尊重することができない思いやりのない、幼稚な言動であることを理論好きな彼らは、どう考えているのか、知りたいところです。

 考えてみると、フランス人は、理屈をこねまわすわりには、論理的ではなく、とかく感情的で幼稚。差別されていると思うと、こんな風にフランス人の悪口も言いたくなるのです。

 














 

2020年1月30日木曜日

パリでのクレーマーがヤバい奴になるまで


 彼女は、とても、几帳面な人で、コツコツと地味な努力を重ねる人でした。

 最初から、あまり、明るい印象は、なかったのですが、パリでの生活も私よりも長く、時たま、娘に手作りのアクセサリーを作ってくれたり、親切で、面倒見が良いところもありましたが、私よりもかなり年長でもあり、さほど親しくなることもなく、顔を合わせれば、時折、話をする程度の関係以上に踏み込むことはありませんでした。

 彼女のご主人は、日本人のシェフで、フランスでレストランをやっていたらしいのですが、日本でお店をオープンすることになり、ご主人は、日本へ帰国、お子さんたちの希望で、彼女と子供たちは、パリに残りました。

 ところが、日本に帰ったご主人に女性ができて、結局、離婚。彼女は、パリで一人、三人の子供を育てていました。

 ただでさえ、世知辛い、トラブルの多いパリでの生活ですから、何か起これば、黙っていられないのは、パリで生活する人なら、仕方のないことで、ましてや、一人で子供三人を抱えての生活は、さぞかし、気が張り詰めたものであったのだろうと思います。

 私自身もパリに住むようになってから、随分とハッキリと物事を言うようになったことも確かです。

 しかし、彼女には、元来、明朗なイメージがなかったせいもあってか、どこか、彼女の文句? の付け方は、陰湿に感じられ、しかも、あまりに細部にわたるもので、それをいちいち、自慢げに、周りに報告するので、ちょっと、これは、ヤバい奴なのかも?? と、遠巻きに眺めていました。

 次第に、彼女のクレームは、スーパーで買った品物を製品を出している会社に送りつけたり、あたりのお店やレストランなどの店員の接客の態度などにまで及ぶようになっていきました。

 ハッキリ言って、パリのお店など、そんなに細かいことにいちいち目くじらを立てていては、あまりにツッコミどころがありすぎるのです。

 そして、最も、怖かったのは、会社で上司などに、何か言われたり、理不尽と思われる出来事があるたびに、○年○月○日○時、○○と言われた・・などと全部、記録し、出勤簿などもコピーをとって、きっちりと保管し続けていたことです。

 まあ、正当な自己防衛といえば、そうなのですが、会社の場合、その場では、ほとんど、怒りを発することはなく、ひたすら、恨みを募らせながら、記録をしたためている様子は、やはり、ちょっと、そら恐ろしい感じでした。

 やがて、彼女が退職した後、彼女の会社に対する攻撃が始まったのです。
彼女は、会社を訴えたのです。

 フランスの労働法は、基本、労働者を保護する立場をとるので、ある程度、根拠のある裁判ならば、労働者側が強いのです。彼女は、長年の恨みをその日のために、几帳面に記録を取りながら、着々と準備を進めてきたのです。

 果たして、彼女は、勝訴し、大金を得ました。

 彼女が恨みを募らせながら、記録し続けた様子を遠くから、眺めていましたので、彼女の執念と努力が勝訴を勝ち取ったとは、思いますが、傍目にも、後味が悪く、あちこちに恨みつらみを抱き続ける彼女の生活に疑問を抱かずには、いられませんでした。

 彼女は、きっと、行きつけの店では、ブラックリストに載っていて、彼女が行くと、「ヤバい奴が来た!」と言われているに違いありません。

 トラブル満載のパリでも、言うことは言いつつも、決して、「ヤバい奴」には、ならないようにと、改めて、思い知らされる彼女の生きようでした。

 

 

 










2020年1月29日水曜日

実践よりも、まず、理論のフランスの教育




 私が日本の小学生だった、はるか昔でさえ、区立の小学校でも、学校の音楽室には、一人一台のオルガンがあり、その他の楽器も色々ありました。

 音楽の授業では、楽器を分担して合奏をしたり、皆で歌を歌ったり、文字通り、音を楽しむ授業で、私は、音楽の授業は、半分、遊びのような楽しいものでした。

 それに比べると、フランスの学校の音楽の授業では、オルガンはおろか、楽器を演奏する機会は、ほとんどなく、授業は、いわゆるクラッシック曲の歴史や作曲家、その時代背景に関する、いわゆるアナリゼと言われる、理論的なことを学ぶ授業が主で、娘は、音楽の授業は、まるで、楽しくないと言っていました。

 専門的に音楽を学ぶ人には、アナリゼも必要だと思いますが、普通の小学生には、退屈なことに違いありません。

 また、驚いたのは、娘がバカロレア(高校卒業資格試験)の際にオプションでとった水泳の試験です。

 これがまた、複雑怪奇なシステムで、ただ、早く泳げば良いというわけではなく、(早いに越したことはないのですが・・・)一定の距離を、自分で、定めたタイムに出来るだけ、近いタイムで泳ぐという、意味不明なもので、(無駄に難解にしているところが、フランスっぽい)しかも、水泳の試験には、面接・口頭試験まであり、フランスの水泳の歴史などを答えなければならないのです。

 また、筆記試験においても、フランスでは、論文形式のものが多く、非常に受験にも採点にも時間と手間暇がかかる難解なものです。

 高校生になると、これらの口頭試験や論文での試験に向けての準備の授業が長期間に渡って組み込まれています。

 本来ならば、あまり、頭を使わずにすむ、体育や音楽の授業や試験でさえ、これですから、フランス人がいちいち、理屈をこね回すのもわかるような気がします。

 とりあえず、黙っていない、たとえ、自分が充分な仕事をしていなかったり、自分に非があろうとも、微妙に理論をすり替えながら、自分の理屈をとうとうと述べるフランス人に、「まず、やることやってから言えっつーの!」 とか、「話をすり替えてんじゃねーよ!」と、私が感じるのには、彼らの受けてきた教育が背景にあることを思い知らされるのです。

 








2020年1月28日火曜日

決死のお迎えで、ある日、気付いたこと・・フランス人は、走らない






 フランスでは、小学生の間は、送り迎えをするのが普通です。小学校低学年のお迎えは、必須ですが、高学年になれば、保護者が承諾している場合は、一人で通学できることになってはいます。しかし、実際には、ほとんどの人は、小学校卒業までは、送り迎えをしています。

 日本ならば、子供が小学校に上がった時点で、親は一段階、子供の送り迎えがいらなくなって、手が離れる感があると思います。

 私立の小学校に通う小学生が、制服を着て、ランドセルを背負って、電車やバスに一人で乗っている姿は、今、思うに、日本独特の光景なのではないかと思います。

 日本の感覚であれば、娘の小学校は、充分に、彼女が一人で通学できる距離ではあったのですが、やはり、皆が送り迎えをするのは、それだけの理由があるのだと思い、もし、何か起こってしまったら、後悔してもしきれないと思い、小学校卒業までは、送り迎えを続けたのでした。

 朝は、主人が娘を送って行ってくれましたが、お迎えは、私がしていました。

 仕事が終わって、お迎えに行くのは、本当に決死の覚悟で、業務終了後、お迎えの時間までは、ギリギリで、少しでも仕事が立て込んで、会社を出るのが遅れてしまったり、メトロがテクニカルプロブレム・・とかで、途中で止まってしまうことも少なくありません。その場合は、スゴい勢いで、走ることになるのです。

 ものすごい勢いで駅を駆け抜け、エスカレーターを駆け上り、エスカレーターの途中で、転んで、無様な格好のままで、上に辿り着いたこともありました。

 自分たちは、時間にルーズなくせに、学校のお迎えの時間だけは、やたらときっちりで、遅れてゼイゼイしながら行くと、怖い顔をした、子供の受け渡しをしている先生に、「C'est pas possible ! Madame ! (セ・パ・ポッスィーブル・マダム!ありえない!)と怒られるのです。

 元来、私は、日本人であり、時間には、かなり、きっちりしている方で、交通機関のトラブルを考えて、出勤の際には、かなり余裕を持って出かけているので、長年、パリで働いていて、一度も遅刻したことは、ありません。

 しかし、お迎えの場合は、出られる時間がギリギリのために、トラブルが起これば、もう決死の覚悟で、ひたすら、走るしかないのです。

 でも、ある日、私は、そういえば、駅でも、街中でも、走っている人を見かけたことがないことに気付いたのです。

 例えば、朝など、みんな出勤時間が決まっているだろうに、メトロが度々止まって、しばらくメトロの中でカンヅメになっても、慣れていることもあり、みんな携帯で会社に連絡を入れるだけで、誰も急ぎません。

 駅では、メトロの遅延証明書を発行してくれますが、そんなものをもらおうと長蛇の列を並んでいれば、さらに遅くなるわけです。

 私は、時間に遅れないように、ひたすら、急いで、走るのです。

 そういえば、主人が駅まで車で迎えに来てくれたりした時も、車を見つけて、駆け寄って行こうとする私を見つけた、車の中にいる主人は、手のひらを広げて、下に向けておろし、「ゆっくり、ゆっくり、走らないで・・」と、合図するのです。

 フランス人にとって、急いで走ったりすることは、はしたないことだと思っているところがあります。

 年間10万本以上を運行する東海道新幹線の年間平均遅延時間が50秒を超えたことをJRが謝罪したことで、話題になったことがありましたが、これは、フランスに住む人間からしたら、嫌味としか思えない謝罪です。

 宅急便のお兄さんでさえ、走って配達をする日本。

 そんな日本を、さぞかし息苦しいだろうと思いつつも、未だに、その部分を引きずっている私は、何があっても急がず、走らないフランス人を少し、うらめしく思いつつ、遅れそうになれば、ついつい走ってしまうのです。

 









 

2020年1月27日月曜日

エステルのパパの浮気





 「エステルのパパ、帰ってきたんだって!!」と娘から聞いて、私もびっくりしました。エステルは、娘の高校までの同級生の女の子で、フランス人にしては、おっとりとした、わりと裕福な家のお嬢さんなのです。

 フランス人の家庭に多い、三人兄弟の長女で、若い頃は、モデルさんをしていたというスタイル抜群で美しいママは、今は、バリバリに、フランスの大手企業で管理職についています。才色兼備のパーフェクトウーマンで、どちらかというと、パパの方が冴えない感じでした。

 エステルの家では、小さい子供のベビーシッターを雇っていましたが、お料理は、パパがやるの・・と言っていたし、フットワーク軽く、子供の送り迎えなどもしていて、さぞかし、優しく、家庭的なパパなんだろうと思っていました。

 それが、どうも、見かけによらず、エステルのパパは、浮気ぐせがあり、「女の人ができて、家を出て行ってしまった・・」と最初に聞いた時には、びっくり!!家を出て行ったのか、浮気が見つかって、追い出されたのかは、定かではありませんが、とにかく、家からいなくなっていたのです。

 ほとぼりが冷めて、その時は、わりとすぐに帰ってきたパパですが、それから、一年くらいして、また、再び、女の人ができて、今度は、本格的に他にアパートを借りて出て行ったというのですから、周囲も子供たちも、当然、今度ばかりは、離婚するだろうと思っていたのです。

 それにしても、浮気するにも相手がいることで、他人事の私は、「意外にもエステルのパパは、モテるんだな・・、外の女性にもマメなんだな・・」などと、思っていました。

 フランス人の離婚は、多いので、周りにも、母子家庭は、少なくなく、子供たちも、度々、浮気するパパには、愛想をつかして、もう、パパとママは、離婚するものと、わりと、あっさりと腹をくくっていたようです。

 夏には、娘は、エステルや他の友人とともに旅行に3週間ほど旅行に出て、パリに帰ってくると、なんと、「パパが帰ってきていた!」と、またまた、びっくり!!

 あんなパーフェクトウーマンのママが、度々のパパの浮気をなぜ許すのか? 子供たちも理解不能なようでしたが、そこは、ママが許せば、パパが戻ってくることも、黙認するしかありません。

 とかく、フランスでは、離婚の話をよく聞くのですが、懲りずに、再婚するという話もよく聞きます。

 離婚は、せずに、家を出たり入ったりというこのケース。

 なかなか、タフな人たちです。

 












2020年1月26日日曜日

フランスの学校の飛び級と落第






 娘が小学生の頃、主人は、度々、娘に飛び級をさせたいと言い出して、その度に私は、反対して主人を止めました。

 飛び級というのは、成績が優秀で、一般的に定められている学年を飛び越して進級することで、フランスでは、学校と相談して、IQテストの結果や日常の学校の成績などを参考にして、希望する生徒は、飛び級をすることができるようになっています。

 現に、娘の友人で、飛び級をしてきた子がクラスに何人かいましたので、彼らは、実際には、娘より一つ年下だったわけです。

 また、希望者には、飛び級をさせてくれると同時に、落第の方も容赦なく、成績が芳しくない場合は、同じ学年を再びやることになります。

 実際に、娘の口から、あの子は、ソテ(sauter la classe 飛び級)してきている子だとか、あの子は、ルドゥーブレ(redoubler la classe 落第)しちゃったとか、わりと良く聞くことがあったので、飛び級や落第は、小学校の時点から、そんなに珍しいことではありませんでした。

 主人は、娘の成績がわりと良かったこともあり、やたらと飛び級をさせたがりましたが、娘が学校の授業が簡単すぎて、退屈すぎるほどに優秀とも思わなかったし、何もそんなに急がなくとも、勉強だけでなく、その年齢にできる、一見、無駄と思えるようなことをするのも必要だと思っていたので、私は、頑なに反対しました。

 「一体、どうして、そんなに、飛び級をさせたいの?」と、主人を問い詰めると、彼からは、信じられない答えが帰ってきました。

 「落第したときのために、飛び級できる時にさせておいたほうが良い。」と。

 はっきり言って、私は、主人が娘に過大な期待をしすぎているのではと心配していたのですが、彼の回答は、私にとっては、あまりにズッコケたものでした。

 落第するのは、その必要があるからするわけで、そこで、一年、余計に時間がかかろうと、構わないと、私は、思うのです。

 その落第したときのために、本来、娘が過ごすはずの学年で体験できるはずのことを一年飛び越えてしまうなど、あまりにナンセンスで、即、却下しました。

 娘の成績の良し悪しに関して、ほとんど、私は、口出しすることはありませんでしたが、一応、年度末には、「進級できる?」とだけ、娘に確認していました。

 娘の方もまた、傍若無人というか、自信過剰なところがあり、「私が進級できなかったら、進級できる人は、誰もいない・・」などと、のたまい、でも、「もし?落第したら、どうする?」と聞く私に、「一度、やったことだから、簡単で楽でいいかな?」と、まさかの余裕の発言。

 飛び級も落第も、親が思うほどには、重大事でもなさそうでした。

 結局、娘は、小・中・高と、飛び級も、落第もすることなく、終わりました。

 長い人生のうちで、一年早く行こうが、遅く行こうが、大差はないと、私は、思っているのですが、落第したときのために、飛び級をさせたいと言った、主人のセコさが、私としては、気になったのです。

 















2020年1月25日土曜日

娘の日本語教育と赤ちゃん言葉




 娘は、アフリカで産まれて、三ヶ月ほどで、主人の転勤で、フランスに引っ越して来て以来、ずっと、フランスで育ってきました。

 私にとっても、初めての子育てで、赤ちゃんというものを触ったこともなかった私にとっては、手探りの子育てで、抱っこして、ミルクをあげるだけでも、今になって写真を見ると、私が娘にミルクを飲ませている写真は、かなり、どことなく、ぎこちなく、ミルクを飲む娘の方が苦労したのではないかと思われるような有様でした。

 産まれたばかりの頃は、早く、首が座ってくれれば・・、座れるようになってくれれば・・、と、成長を見守っていましたが、ハイハイを始めたと思ったら、後ろにしか進まなかったり、髪の毛がのびなかったり、歯がなかなか生えてこなかったりしましたが、私は、まあ、髪の毛も歯も、そのうち、生えてくるだろうと、大して心配することもなく、悠々と構えていました。

 それよりも、私の頭を占めていたのは、娘になんとか、日本語を教えることでした。

 私以外は、日本語を話す人間のいない、圧倒的にフランス語の環境で、私は、ひたすら、娘には、日本語で話しかけ、日本語の絵本を読み、日本語のテレビを見せて過ごしました。

 私は、娘が一歳になった頃、まだ、娘がフランス語も日本語も発しない段階で、フルタイムで仕事を始めてしまったので、預ける保育園も、もちろん、フランス語で、私と過ごす時間=娘が日本語に触れる時間は、ますますもって1日のうちの、ごくごく限られた時間になってしまったため、余計に、日本語を教えることに一生懸命になり、正しい日本語を話すようにしていました。

 ですから、まだ、幼い娘に対しても、赤ちゃん言葉で話すことはせず、「あなたは、どうしたいの?」、「あなたと一緒に行きましょう。」など、主語は、「あなた」と「私」で通し、できるだけ、娘とは、きれいな日本語で話すことを心がけました。

 何しろ、日本語のサンプルは、私だけなのですから責任重大です。

 もともと、私は、赤ちゃん言葉というものがあまり好きではなく、子供とも普通に話すのが良いと思っていましたし、フランス語にも赤ちゃん言葉がないわけではないのですが、比較的、フランスでは、子供に対しても、同等に話をする傾向にあり、主人も娘に対して、フランス語でも、赤ちゃん言葉を使うことはありませんでした。

 娘が初めて日本へ行って、大勢の日本人と話す機会を持ったのは、娘が2歳の時でしたので、その頃は、年相応の日本語での意思の疎通は、できるようになっていましたし、多少のアクセントはあるものの、日本語で会話をすることもできるようになっていました。

 ところが、いつも、私としか、話していなかった娘は、相手に対しては、誰にでも「あなた」を使って話す、なんとも、こまっしゃくれた感じで、「あなた」「あなた」の大連発。

 また、娘が、いっぺんで気に入ってしまった、私の叔母が自分の家に帰ろうとした時には、「あなたといたい・・」と、うるうるとした目で訴え、妙な哀願の仕方に思わず叔母もドッキリ、ドギマギ。

 普段は、意識もせずに使っている日本語、「あなた」という言葉も、使い方によっては、上からの物言いのような感じになり、また、妙な色っぽさを感じさせる、微妙な言葉であるということを思い知らされたのです。

 こういう時には、〇〇ちゃんとか、名前や、おねえさんと呼ぶのよ・・と教えましたが、やはり、一対一だけの会話では、気付かなかった言葉のバリエーションを私自身も改めて思い知らされたのです。

 










2020年1月24日金曜日

フランス人の主人が突然、親友と絶交した理由




 主人には、エディという、とても親しくしている友人がいました。

 主人が前の奥さんと離婚する前に住んでいたアパートの近所に住んでいたのですが、私が、フランスにやってきた時も、主人のお兄さん夫婦の次に、彼が紹介してくれたフランス人の友人でした。

 彼が、外国に転勤になって、数カ国を渡り歩いて、フランスに戻ってきて、家が遠くなっても、彼らの関係は続いており、私も彼と一緒に娘を連れて、エディの家に招かれて、食事をしたりしたこともありました。

 エディは、ごくごく一般的な、会社勤めをする中流階級のフランス人で、彼には、少し年上の幼稚園の先生をしている奥さんと、当時、中学生くらいだったお嬢さんがいました。

 奥様は、とても、お料理が上手で、彼と一緒に行くと、彼女の得意料理であるシュークルート(フランスのアルザス地方の郷土料理)(細く刻まれたキャベツを白ワインやシャンパンなどで発酵させた少し酸味のあるものと、ソーセージなどの豚肉の加工品と一緒に食べる料理)を山ほど作って、もてなしてくれたりしました。

 彼とエディの付き合いは、長かったので、エディのお嬢さんにとっても、主人は、小さい頃から、知っている親戚のおじさんのような存在でした。

 彼の奥さんは、趣味で、絵を描く人でもあり、彼女がパリで友人と開いたグループ展のようなものに行ったこともありました。

 私が仕事を始めて、しばらくして、私の方は、どんどん忙しくなり、また、娘も成長するに連れて、私も彼も、お休みの日には、娘の公文の教室やお稽古事の送り迎えなどで、時間が取られるようになり、エディとは、あまり、会う機会がなくなっていきました。

 それでも、主人とエディは、時々、電話をしあったり、付き合いは、続いていたのですが、それが、ある時、突然、断ち切られたのです。

 それは、エディのお嬢さんから主人にかかってきた電話がきっかけでした。

 私が、最初に彼女に会ったのは、彼女がまだ、中学生くらいで、小柄で、フランス人にしては、珍しく、年齢よりも幼く見えるような感じの女の子でした。

 彼女が主人に電話をかけてきた時には、高校生か大学に入りたての頃だったと思いますが、電話の内容は、今まで、長いこと彼女が苦しんできた衝撃的な告白でした。

 なんと、彼女は、長いこと、父親から、性的虐待を受けてきたというのです。ずっと、誰にも言えず、苦しんできた彼女は、思い余って、彼の父親のことも、自分のことも知ってくれている主人に相談を持ちかけてきたのです。

 私自身は、あまり長い付き合いでもなく、なにせ、フランスに来たばかりの頃で、まだ赤ちゃんだった娘を連れて、右も左もわからない生活がスタートした頃でしたので、あまり、冷静に人を見ることができなかったかもしれませんが、少なくとも、ごくごく普通の、小柄ではあるけれど、少し威勢のいい、人のいいおじさんという印象でした。

 主人にとっては、長い付き合いでもあり、少なからず、ショックでもあり、何より、ショックというよりも、激しい怒りと憤りを隠せませんでした。しかし、これまでの長い付き合いからは、そんな素振りは、微塵も見えずに、エディの家庭の問題については、全く、気がつかなかったそうです。

 その衝撃的な電話以来、主人は、ピッタリとエディとは、付き合わないようになりました。その後、主人は、彼のお嬢さんが、家を出て独立することを勧め、父親から離れられるように手を貸してあげたようです。

 お嬢さんからは、しばらくは、時々、連絡があったようですが、以来、エディとの関係は、プッツリと切れてしまいました。

 ごくごく普通の平和そうに見えていた家庭に潜んでいた大問題に、改めて、恐ろしさを感じた出来事でした。

 それにしても、自分の娘をこんなに苦しめる父親って、許せない。














2020年1月23日木曜日

やっぱりフランス人は、肉食だなと思わされるパリのスーパーの魚売場




 買い物に行くと、フランス人は、肉食人種だなと、つくづく思います。

 我が家の近所には、マルシェがないので、買い物は、どうしても、スーパーマーケット頼りになってしまいます。

 スーパーマーケットは、比較的、値段も安定していて、買い物もしやすいのですが、肉か魚かと言えば、圧倒的に肉になってしまいます。

 なぜなら、ろくなお魚が売っていないからです。(マルシェに行けば、そこそこのものは、手に入ります。)
 しかも、パリのスーパーのお魚コーナーには、季節感がなく、クリスマスの前になると、生牡蠣の箱が積み上げられて、売られていたり、オマールやエビや貝が盛り合わせになったものなどが売られてはいますが、それ以外は、ほぼ、一年を通して、ほぼ、同じものが並んでいます。

 多分、彼らが一番、好きなのは、サーモンだと思いますが、サーモン以外だと、スズキ、ヒラメ、鯖、イワシ、茹でてあるエビ、ホタテ貝、ゴムのような肉厚のイカ、黒ずみかけたマグロの切り身、時にアンコウなどが、細かく砕かれた氷の上に、水と光を浴びて並べられています。

 魚が恋しい私としては、ろくなものがないと知りながらも、恨みがましく、スーパーに買い物に行けば、一応は、魚売り場を一回りして、間違って、新鮮で、美味しそうな魚がおかれてはいないかと、一巡してみるのですが、いつも結果は、虚しく、やっぱりないな・・と、諦めて、お肉のコーナーに戻るのです。

 日本のようにお刺身で生で食べるという習慣がなく、必ず火を通し、バターでソテーしたり、ムニエルにしたり、フランス料理のソースをかけて食べるので、新鮮さは、求められていないのかもしれませんが、日本なら、到底、売り物にはならないだろう代物が、しかも、結構な値段で売られているのです。

 それでも、何回か、買ったことはありますが、ことごとく裏切られ、最悪だったのは、大きな舌平目を奮発して買ってムニエルにしたら、牛タンのような味がしたことがあり、それ以来、ほとんど、このスーパーで、魚は買わなくなりました。

 我が家のお魚は、冷凍食品メーカーのPICARD(ピカール)頼り、ピカールの加工していないフィレになったお魚が唯一の頼みの綱です。特に、うちでは、鯖は常備しており、これは、なかなかの安定したクオリティーを保って、提供してくれています。

 最初に、多分、フランス人が一番、好きなのは、サーモンだと書きましたが、おそらく、フランス人が一番食べているお魚は、poisson pané (プアソン・パネ)といって、
冷凍食品で、(チルド状のものもありますが)細かいパン粉のついた、白身の魚のフライのようなもので、魚の切り身の形をしていることもありますが、その多くは、8cmくらいの棒状になったもので、軽くオーブンで温め直すか、揚げ直して食べます。

 これは、学校のキャンティーン(給食)などでも、定期的に登場するメニューでもあり、家庭でも(子供のいる家庭は特に)おそらく、一番、食べられている魚料理なのではないかと思います。

 ある時、フランスのマスコミで、「今の子供は魚を知らない、プアソン・パネが海を泳いでいると思っている子供がいる・・」などと揶揄されて、書かれていたことがありました。

 肉なら、まずまずのクオリティーで、たくさんの種類のものが簡単に手に入るのに、魚がこれほどまでに悲惨な状態なのは、やはり、圧倒的に、需要が少ないわけで、やはり、彼らは、肉食人種なのだと思わざるを得ません。

 うちの主人(フランス人)が、生きている牛を見て、「美味しそうだ!」と呟いた時には、思わず、主人の顔を二度見してしまいました。

 











2020年1月22日水曜日

フランス人のダンナはよく働く




 フランス人の男性は、家庭の中で、よく働くな・・と、よく思います。

 家庭内で、女性が強いのか? フランス人のダンナさんは、奥さんの言うことをよく聞くな・・とも思います。これは、女性も、あたりまえにかなりの確率で、仕事を持っていることもあると思いますが、とにかく、旦那のフットワークが軽いのです。

 家事や、育児、家庭内のことで、フランス人の家庭では、おそらく、家事や育児をダンナさんが手伝ってくれているという感覚は、ないと思います。

 お互いがやるべきことをやっている・・そう言う感覚なのだと思います。

 日本には、専業主婦も多いので、女性が家事をするのが当たり前のような風潮があり、それが、共働きになっても、その感覚を引きずったままの人(特に男性)が、少なくないのではないかと思います。

 日本のドラマなどで、夫婦喧嘩のシーンで、「ゴミ捨てをするくらいで、家事を手伝っているなんて、大きな顔しないでよ!」などという場面があったりするところを見ると、あまり、家事には、協力的な感じがしません。

 だいたい、協力的という言葉を使うこと自体、家事の主体は、妻が担っているということに他ならないのです。

 フランスでは、子供の送り迎えなども、特に、朝などは、男性が子供を送ってから出勤する家庭も多いですし、(我が家もそうでした。)、娘のクラスメイトの家族には、食事の支度は、パパ・・なんて、家庭もありました。

 娘が病気で一週間ほど、学校を休んだ時に、クラスメイトがその間のノートを貸してくれたことがあったのですが、そんな時に、せっせと、お嬢さんを連れてノートを届けてくれたのも娘の友人のパパでした。

 土曜日の朝のスーパーマーケットなどは、女性よりも、むしろ、男性の方が多く、奥さんに頼まれているのか? それとも自分でリストを作っているのか? とにかく、メモを片手に、男性が熱心に買い物をしています。

 しかも、彼らには、全く、やらされている感じがなく、むしろ、ニコニコ、ウキウキとやっているように見えるのです。

 先日も、ルボンカン(フランス版メルカリ=日本のように全て配送ではなく、交渉して、各々が手渡しをする場合もあります)で、品物の受け渡しの約束をしていて、メッセージでやり取りをしていた方の名前が女性だったことから、最初は、その人だとは、わからず、やってきた男性に、「???」と思い、「女性だと思っていました!」と言ったら、「妻に頼まれて、受け取りに来ました。」と爽やかに答える、非常に感じの良い男性でした。

 うちの場合も、はっきりと取り決めをしたわけではありませんが、子供を朝、学校に送っていくのは、主人、車関係、公的な書類、娘の学校に関して、アイロンかけ、靴磨き、などは、主人がやります。

 料理と洗濯は、私・・と、いつの間にかそれぞれに家庭内での仕事は、分担されていました。その他のことは、それぞれができる時にできる人がやるという感じです。私自身も主人に家事を手伝ってもらっているという感覚はありませんし、彼の方も手伝っているという気持ちは、ないと思います。

 どちらかが、病気になったりすれば、病院に連れて行ったり、看病したりは、お互い様です。

 なので、フランスでは、少なくとも、家事や家のことを男性がやっていても、奥さんにやってもらえなくて気の毒だ・・・などと思う人は、いません。

 自分の家族の家庭内のことをそれぞれが補い合いながらやっていく、そんなに不思議なことでもないと思うのです。自分のことは、自分でやる。自分という意識の中に自分の家族も含まれているのです。

 むしろ、大の大人が自分の家庭内のことを、奥さんにやってもらうことばかりを期待するのは、あまりに幼稚だと思うのです。

 





 


2020年1月21日火曜日

メルカリとルボンカン(フランス版メルカリ)に見る、やたら礼儀正しい日本人とめんどくさいフランス人




 あらためて、家の中を整理すると、いらないものは、数多くあり、買ったは、いいけど、使っていないもの、頂いたけど、使っていないもの、なぜかわからないけど、家にあるけど、使っていないもの・・に溢れていて、実際に、今、生活をするのに使っているものなど、ごくごくわずかなのに気がつくと唖然とさせられます。

 現在、主のいなくなってしまった日本の実家の片付け中、パリのアパートでも断捨離中の私は、コンマリじゃないけど、もう、古くて、どうしようもないものは、「ごめんなさい、ごくろうさまでした。」と捨てさせていただき、それ以外は、少しでも有効に、と思い、知り合いに引き取ってもらったり、寄付したり、できれば、少しでもお小遣いになればと、買取業者に来てもらったり、日本では、メルカリに出品してみたり、フランスでもフランス版メルカリのようなシステムを利用しています。

 日本に帰国しても、滞在期間が限られているので、メルカリに出品するのは、なかなか大変ですが、これだけ、急激に普及したメルカリのシステムというものをちょっと体験するのも、今の日本人の一面を覗けて、興味深い体験でした。

 実際に、メルカリというシステムは、とても良くできていて、品物の配送などは、コンビニ等でも受け付けてくれるし、相互に人と人とが直接に会うことなく、個人情報なども保たれて、また、相手に対しての対応などの態度をお互いに評価するシステムが組み込まれ、メルカリという会社の監視下にあるために、基本的に安心できるシステムになっているのです。

 ネットに写真と商品の詳細を書き加えて載せた時点で、問い合わせや購入希望の連絡が入るのですが、評価を気にしてなのか、皆、大変、丁寧な言葉使いで、一見、とても礼儀正しいのですが、実のところ、そのメールの内容というのは、かなり執拗な値切りであったり、値切ったあげくに、お店でもないのに、お取り置きをしておいてもらえないかというような、訳の分からないものだったりすることにも、とても、日本らしさを感じるのです。

 一方、フランス版メルカリのleboncoin(ルボンカン)というサイトは、メルカリのような、ガチガチに管理されたシステムではありませんが、メルカリのように手数料を取られることもありません。

 お互いがルボンカンの中のアカウントのみに通用するメールで、メッセージを送りあって、品物について、質問したり、値段の交渉や引き渡しの相談をして、小切手を送ってもらうか、ルボンカンを通じて、入金してもらって、郵送したり、実際に待ち合わせ場所を指定して、直接に、引き渡しをしたりします。

 こちらは、フランス人相手なので、興味のあるものもなかなか、意外で、つい先日は、日本の「こけし」に結構な問い合わせと、値段交渉がありました。

 その中で、いかにも、フランス人らしい、めんどくさい人がいました。

 私が、品物の値段を決める時には、他にすでにサイトに載せられているものを検索してから、それを参考にして、値段を設定しているので、その「こけし」も、他に出品されている「こけし」を参考に値段を設定したので、そんなに法外な値段ではないと思うのですが、問い合わせをしてきた、「こけしマニア」のフランス人から、最初、あなたの出品している「こけし」は、大きさのわりには、高いのではないか?というメッセージが入ったのです。

 不思議なことに、その人は、だからと言って、値段を交渉するのでもなく、自分の方が一方的に自分は、これまでに何千というこけしを見てきたが、一般的なこけしは、こんなに小さなものではなく、どこかに展示されていたという人間よりも大きいようなこけしの写真をいくつも送ってきて、自分のこけしに対する思い入れと知識をとうとうと披露してくるのです。(何枚ものこけしの展示会の写真や何行にもわたるこけしについての見解)

 はっきり言って、一般的なこけしについては、おそらく、日本人の私の方が知っている(といっても私は、こけしマニアではありませんが、だいたい日本で流通?している一般的なこけしがどんなものかどうかは、私の方が知っているはず)のです。

 しかし、相手には、私が、日本人だということはわからないのです。

 結論の見えない議論を目的としたやり取り、やり取りというよりは、一方的に自分の知識と見解を相手の反応をお構いなしに延々としようとするのは、フランス人にありがちなことなのですが、こんな機会にそういう人に遭遇するのもフランスだなあと怒るよりも、苦笑するしかありません。

 付き合いきれないので、当然、無視です。

 フランス人は、意外なものに食いつくのにも、ルボンカンでさえも、とうとうと語ろうとするめんどくさい人がいるのもビックリしている次第です。

 こんな、ちょっとしたネット販売にも、国民性というものが垣間見えて、なかなか興味深いです。

 こけしは、今日、別の買い手が、現れ、近所まで、引き取りに来てくれて、けっこう、良い値段で、無事、売れました。










 











2020年1月20日月曜日

「さすがフランス!」の意味が逆転する日 日本人は、なぜフランスを美化するのか?





 私が最初にパリに来たのは、単なる観光旅行で、私の好きな井上靖の小説に度々出てくる、パリのチュイルリー公園や、ロダン美術館などを訪れて、初めて見るパリの街並みに感激し、どこを撮っても絵になると、写真を撮りまくり、うっとりとパリの街並みを眺めながら、もう、二度と来ることはないんだな〜と思いながら、うるうるしたりしたのを一緒に来ていた友人に笑われた記憶があります。

 だからと言って、私は、特に、フランスに憧れていたわけでもなく、ましてや、住みたいと思ったことは一度もなく、それどころか、フランス語だけは、絶対に嫌だ!と思っていたくらいなので、逆に、まさか、フランスに住むことになろうなどとは、思ったこともなかったのです。

 それが、どういうわけか、相手をフランス人とも知らずに好きになり、海外で暮らすことになったかと思ったら、アフリカから、早々に、主人がフランスに転勤になり、以来、もう20年以上フランスに住むハメになってしまったのです。

 パリの街並みの景観の美しさとは、裏腹に、感じ悪いフランス人には、旅行の時でさえ、薄々、感じては、いたものの、実際に生活するとなると、その生活の不便利さ、不合理さなどのもろもろは、計り知れないもので、私の感情は、日々起こるパリでのトラブル満載の生活に対して、怒りから、諦め、そして、悟りの境地に達していったのです。

 そんな実際のパリでの生活事情とは、ウラハラに、日本でのフランスのイメージは、どんなことがあっても崩し難く、なぜ、フランスが日本でのこの美化されたイメージを保ち続けられるのか、不思議でなりません。

 日本のデパートに行けば、フランス語の使われたお店の名前が溢れかえり、食料品売り場などにも、どれだけフランスのお店があるか、ビックリするほどです。

 娘が小さい頃は、娘の洋服などは、ほとんど母や叔母が日本から送ってくれたものを着せていたにも関わらず、会う人は、皆、「さすが、フランスのお洋服、可愛いわね〜!」と「さすが、フランス!」を連呼するのです。

 日本の友人や親戚などには、帰国するたびに、私がどれだけ、フランスでの生活がトラブル満載かを訴えても、それは、あっさりと受け流され、彼らは、美化されたフランスのイメージを抱き続けるのです。

 フランスだって、綺麗なところも良いところもあるには、ありますが、フランスでの生活には、それを上回って余りある苦難と試練があるのです。

 いつの間にか、度々起こるトラブルに対しても、もうすでに、大して、怒ることもなくなり、逆の意味で、「さすが、フランス、やらかしてくれるな・・」、すんなり事が運ばなければ、「まあ、そうだろうな・・ふつうだな・・やっぱ、さすがだな・・あっさり行くわけないよな、フランスだもん!」と、「さすが、フランス!」の意味が、嫌味と自虐の意味を込めた、全く反対の意味になっているのです。

 










2020年1月19日日曜日

フランス人にとっての夫婦の寝室





 主人は、大変な暑がりで、冬でも寝室の窓を開けて寝ようとするので、私は、寒くて寒くて、「じゃあ、違う部屋で寝るから・・」と、言ったことがありました。

 すると、主人は、まるで、私が離婚を申し出たかのごとく、「違う部屋で寝ることは、ありえない!」と言って、血相を変えて、それを拒否したのでした。

 私は、同じ部屋で寝るかどうかということよりも、同じ部屋で寝るということにそこまで、こだわっていた主人にビックリしました。

 私たちは、日頃、別段、仲が悪いわけではありませんが、かといって、そんなにラブラブなわけでも、ベタベタしているわけでもなく、まあ、普通の感じの夫婦の関係だと思っていたのです。

 しかし、彼にとっては、夫婦が別の部屋で寝るということを、とても深刻な問題として、受け止めていたのです。

 彼がフランス人代表とは言いませんが、なんとなく、主人のその言動から、フランス人の夫婦、カップルの関係について思いを馳せたのです。周りのフランス人のカップルの寝室事情は、わかりませんが、やはり、どこか、夫婦がいつまでも男と女の部分を失くさないように思うのです。

 いつか、別のブログでも書きましたが、スポーツジムで見かける女性たち(けっこうな歳のオバサンも含む)の下着の派手さから、フランス人は、女を捨てない!と感じたこととも通ずるところがあるのかもしれません。

<フランス人は、女を捨てない!>https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/07/blog-post_14.html

 そして、主人は、娘が私たちの寝室で寝ることも、頑なに、決して許さず、川の字になって寝るなどということは、一度もなく、時間になると、娘は、子供の部屋に一人で寝る習慣をつけさせていました。

 日本では、夫婦が寝室を別にするという話は、よく聞きますし、夫婦の寝室に子供を一緒に寝かせるという話もよく聞きます。

 なので、私は、それほど、「窓を開けて、寒いから、別の部屋に寝るよ!」と言ったことが、それほどの重大問題とは、思わなかったのですが、彼にとっては、寝室を別にするということは、大変な重大事だったのです。

 たしかに、夫婦が二人で過ごす時間を大切に考えているがゆえの、フランス人にとっての夫婦のあり方、そして、夫婦の寝室へのこだわりに、私は、改めて、文化の違いを思い知らされた出来事でありました。

 




















2020年1月18日土曜日

香水を楽しむフランス人




 我が家は、私だけでなく、弟も海外生活が長く、アメリカに長いこと駐在した後、今は、シンガポールに駐在しています。そんな海外にも慣れている彼が、初めてパリに来てくれた時、パリは、街中がDUTY FREE SHOP の匂い、つまり、香水の匂いに溢れているというのです。

 私は、自分自身も香水(といっても、parfum(香水)ではなく、オードトワレか、せいぜい、オードパルファムですが、)を使うことが習慣になっているので、あまり、街中の香水の匂いが気になることは、ありません。

 しかし、日本に比べれば、きっと香水を使っている人は、多いと思いますし、特に、男性の香水の使用率は、日本と比べたら、かなり高いのではないかと思います。

 例えば、何か、プレゼントをするときに、日本人なら、香水は、好みもあるし、使わない人も多いので、避けることが多いと思うのですが、実際のところ、好みがあるのは、香水だけに限ったことではなく、単に、あまり使う習慣がないからだと思うのです。

 好みがよくわからない人にプレゼントするなら、比較的、万人向けの、軽い香りのものを選べば良いわけで、フランス人に香水をプレゼントして、嫌な顔をされたことは、ありません。嫌な顔どころか、大仰に喜んでもらえます。

 また、香水のフラコン(瓶)のデザインも楽しめて、コレクションをしている人などもいて、蚤の市などでは、空のフラコンでさえ、売られています。

 実際に、香水メーカーも一流どころは、そのデザインにも、かなり力を入れています。
 ニナリッチの L'AIR DU TEMPS(レールデュタン)などは、生産性の悪いことに、同じ香水でいくつもの種類のフラコンを出していますし、シャネルの香水のフラコンは、どれもシンプルですが、洗練されていて、嫌味がありません。

 シャネルの5番のフラコンのキャップは、長方形を加工した形になっていますが、それは、上から見ると、パリの Place Vandome(ヴァンドーム広場)の形になっているのをご存知ですか?

 そんな、デザインの小さなことを楽しんでいるのも、フランスならではのエスプリのような気もするのです。

 しか〜し!!この香水の香りをぶっ飛ばす、激しい体臭の持ち主が、時折、いることも事実です。特に夏場になると、街中、特にメトロの中などで、強烈な体臭に遭遇する確率は、高くなります。

 この時ばかりは、フランスに香水が溢れかえる理由がわかる気がするのです。














  










2020年1月17日金曜日

フランス人は、意外とエシレバターを知らない


エシレバターの写真があるかと思ったら、なかったので、家にあった使いかけのエシレバターの写真で失礼!



 日本に帰国する際に、一番、「買ってきて!」と頼まれるのが、エシレバターです。
帰国の際は、近所のMonoprix(モノプリ・スーパーマーケット)で、山ほど、エシレバターを買うので、レジのお兄さんに、「バター、好きなんですね・・」と唖然とされるほどです。

 日本でのエシレバターの値段は、驚異的に高く、フランスで買う10倍近い値段です。
今どき、フランスと日本の間で、これだけ値段の違いがあるものも、そうそうありません。フランスの乳製品は、本当に日本で高く売られているので、一体、誰が買っているのか、一度、見てみたいと、いつも思います。

 エシレバターを使ったクロワッサン、エシレのクリームを使ったソフトクリームなど、「ECHIRE」「エシレ」という名前がつくと、たちまち、行列ができるほど、日本では、確固たるブランドを築いています。

 たしかに、エシレバターは、美味しいですが、それほど、フランスでも有名かというと、意外にも、それほどでもないのです。

 フランスでは、1秒に、14.3 kg、年間にすると、450,000tのバターが生産されています。一人当たり、年間8㎏のバターを消費するという、世界一バターが好きな国民なのです。(ちなみに日本人のバターの消費量は、一人当たり、0.6kgです。)

 一般的な、フランス人の日常は、大して、手の凝ったお料理をしないわりには、わりと、頻繁にケーキなどのお菓子づくりは、マメにします。ケーキを作る方は、ご存知のことと思いますが、ケーキの材料となるバターやお砂糖の量を改めて知ると恐ろしいほどの量です。

 フランス人は、毎日、食べるパンにもバターを塗るというより、塊のようなバターを乗せ、ステーキを焼いてもバターを乗せ、炒め物にもバターを使い、下手をすると、パスタまで、バターまみれにします。

 エシレバターは、たいていの普通のスーパーマーケットにも売ってはいますが、日本よりは、安いとはいえ、他のバターに比べると高く、高級品で、大量にバターを消費する家庭では、そんなに高いバターは選ばないのです。

 ・・・というより、エシレバターという名前さえも知らないフランス人は、意外にも多いのです。(若い子は特にです。)

 娘の高校のクラスメートは、私立ということもあり、比較的、経済的にも恵まれている家庭が多いのですが、それでも、エシレバターを知っている、家で使っているという人は、意外にも中国人の家庭だけだったとのことで、その話を聞いて以来、他の人にもそれとなく、聞いてみると、知らない人、食べたことがない人が多いのです。

 エシレバターの値段が高めといえども、所詮、バターですから、高いといってもしれています。(フランスでは、)
 思うに、そこまでのこだわりがバターにないのかもしれませんし、エシレでなくとも、美味しいバターはたくさんあります。そして、我が家や、中国人の家庭などでは、恐らく、バターを使う量がフランス人の家庭に比べて圧倒的に少ないからこそ、こだわってバターを選んでいるのかもしれません。

 エシレバターは、フランスより、日本での方が有名で、人気なのです。


<エシレバター>











2020年1月16日木曜日

フランス人は辛いもの、熱いもの、かたいものが嫌い




 私は、およそ、胃に悪そうなものが好きです。

 熱いものは、アツアツで、冷たいものは、とことん冷たく、(例えば、グラスまで凍らせて、キンキンに冷えたビールを注いで飲む)そして、辛いものが好きです。

 主人に関しては、その真逆です。
 そして、それは、フランス人全般に共通する味覚の特徴のようです。

 熱いものは、出来立てのアツアツで食べたい私ですが、主人は、熱いものが嫌い・・というより、苦手、つまり、ねこ舌です。

 せっかく、出来立てのものを温かいうちにと思っても、わざわざ冷ましてから食べます。冷ましながら、待ちきれずに、「何とか、熱くしないで、お料理ができないのかな?」などと、言います。

 最近は、パリにもラーメン屋さんがたくさんでき、オペラ近辺にある日本食屋さんが並ぶ、Rue Saint-Anne(サンタンヌ通り)や、その近辺には、昼時などは、フランス人の行列ができるほど、人気です。

 現地の人に人気になれば、料理も、その国の人の好みに寄っていくのは、世の常ではありますが、それは、日本人には、到底、満足のできないものになる可能性があります。

 お店の名前は、差し控えますが、中には、熱すぎないラーメンを出すお店があります。
日本人の観光客が旅行中にラーメン食べたさに、飛び込んだお店に憤慨していたことがありました。

 「湯気のたたないラーメンってありえますか???」と。

 つまり、そのお店は、フランス人向けに、ラーメンを熱すぎない状態で、出しているのです。日本人からすれば、それこそ、湯気のたたないぬるいラーメンなどありえません。

 それこそ、お店からすれば、故意に、サービスで、熱すぎないものを提供し、しかも、熱い状態で、出せば、冷ます時間がかかるわけですから、それだけ、お客の回転も悪くなるわけです。

 また、日本には、やたらとあるカレー味のものも、フランスには、少なく、カレーソース、あるいは、カレー煮込み・・などと書いてあっても、およそ、カレーの味は、自らが、一生懸命、口の中で探さなければ、みつからないほど、あさっての方向で、カレーをどこかにかすかに感じることができる代物で、もちろん、辛くもありません。

 それは、カレーだけではなく、タコスのソースなど、他のスパイシーな食べ物に関しても同じです。「HOT!!」とか、「PIQUANT !(ピーカン)辛い」などと表示してあっても、全然、辛くなく、どこかに、唐辛子やチリパウダーの香りを感じるだけです。

 そして、彼らは、柔らかいものが好きです。
 野菜などは、形が崩れそうになる程、茹でます。最近は、健康志向で、サラダなどを食べている人も見かけるようになりましたが、概して、生野菜は、あまり好きではありません。

 主人の息子が家に遊びに来た時に、茹でたブロッコリーを出したら、主人が、「日本風だから、少し固いよ!」と息子に注意しました。その時、初めて私は、彼が野菜が固いと思っていることを知りました。

 茹で野菜や、炒めた野菜などは、微妙な火加減で、火が通り過ぎないように気をつけるのですが、どうやら、歯ざわりとか、歯ごたえとかいうものを彼らは、楽しまないのです。

 ですから、外食などで、パスタを頼んだりすると、下手をすると、茹で過ぎの、アルデンテとは、程遠いものが出てきたりします。

 味覚は、嗜好ですから、人それぞれですが、ぬるいラーメンを好み、グニョグニョになった野菜やパスタを好み、寝ぼけたような味のカレーを好む、彼らの国が、美食の国と呼ばれることに、私は、納得がいかないのです。












 











 

2020年1月15日水曜日

フランスのソルド・バーゲン




 フランスでは、Soldes ソルド(バーゲン)の時期が決められていて、

  2020年の冬のソルドは、1月8日(水)〜2月4日(火)まで、
                夏のソルドは、6月24日(水)〜7月21日(火)まで、となっています。

 なぜか、毎年、水曜日に始まって、火曜日に終わります。

 昨年のソルドは、黄色いベスト運動が加熱する中、デパートなども土曜日なのに、閉店したり、今年も年金改革反対のストライキやデモが現在進行形の中でのソルドになっています。

 ですから、きっと、一年のうちのかなりの売り上げを占めるソルドがこう毎年、ストライキやデモに邪魔されては、経済的にも大打撃を受けていることと思います。

 特に欲しいものがある場合は、1〜2日前に下見をして、品物と値段をチェックして、狙いを定めておきます。お店によっては、前日の夕方には、ソルドの札をつけ始めるので、前もって、はっきりした値段をチェックできます。

 しかし、酷いお店だと、例えば、40%offなどとなっていても、定価をあげて、割引していて、実際には、それほど安くはなっていなかったりするので、注意が必要です。

 また、同じ商品をネットで検索すると、意外とネット上の方が安かったりもするので、試着、あるいは、商品を見るだけはお店で見て、ネットで買う方が良いこともあります。

 全部で4週間のソルドですが、ソルドの初日が当然、品物が揃っていますが、最初の土日には、お客さんの出足を見込んで、大抵のお店は、土日のために商品を取っておいて、追加しますから、最初の土日も狙い目です。

 ソルドの2週目からは、2eme demarque、(2回目の値下げ)、週を追う毎に、3eme demarque、最後には、dernier demarqueと、売れ残った商品は、どんどん値段が下がっていきます。

 私にとっては、この最後の週が、意外と面白く、中には、思ってもみない値段に値下げしている掘り出しものなどがあるので、なかなか見応えがあるのです。

 3週めの終わりから最後の週になると、nouvelle collection(春夏物の新作)が混ざって展示されているので、いいなと思っても、結局は、ソルドになっていない商品だったりするのに、春物ということで、冬物に比べると値段も安かったりするので、うっかり、勢いにのって、買ってしまうという失態を演じます。

 娘が一緒の場合は、大抵、「調子に乗らない!」と言って、たしなめられます。

 また、ソルドで、買った商品でも、フランスでは、レシートと買った商品を持っていけば、返品、返金は、しっかりとしなければならないことが、法律で決められていますので、買ってみたけど、やっぱり・・と言う場合は、返すこともできます。

 返品、返金に関しては、なぜか、フランス人は、嫌な顔をせずに、あっさりと、返してくれるので、遠慮することは、ありません。

 むしろ、相手(お店側)に非があって(頼んだものと違うものが入っていたり、靴が右と左とサイズが違ったり・・フランスの買い物には、いえ、フランスには、常に気が抜けません。)、品物を返品、あるいは、交換してもらう時の方が、感じが悪い場合が多いというフランスならではの、法則があります。

 自分側に非がある場合は、自分の非を認めるのが嫌で、自然と感じ悪くなるのだと思われます。逆に、何の非もない場合は、「どうぞどうぞ・・返品させてあげるわよ!」と、大きな顔をできるので、ことさら感じ悪いことはないのです。

 この辺りもフランス人の気質が垣間見えます。

 一度、電化製品でしたが、頼んだものと違うものを渡されたのをお金を支払ってから気付き、その場で、品物の交換を頼んだら、その品物がなく、返品・返金を頼んだら、カードで購入したにも関わらず、カードへの返金の仕方がわからないと言われ、閉店間際だったこともあり、結構な量の現金、しかも、全て小銭で返金されたことがあり、頭に来たことがありました。

 後日、私が頼んだはずだった商品の代わりのものを買いに行った際には、その小銭をそのまま持って行って、買い物した私に、主人がビックリして、「そんなこと、思いつかなかった・・」と、ちょっと怯えていました。

 フランスに住んでいると、どんどん、性格が悪くなります。

 ちょうど、冬のソルドの時期は、日本からのエアチケットも比較的安い時期で、格安ツアーなどでは、5万円程度のツアーもあったりするので、以前、5万円のツアーで30万近いエルメスの靴をソルドで買いに来たという日本人に会ったこともありました。

 その辺の金銭感覚の極端なところが、日本人だなぁ・・と変なことに感心した覚えがあります。

 たしかに、同じ商品を安く手に入れることができる、このソルドの期間、魅力的ではありますが、フランスでのお買い物には、ソルドとはいえ、やはり、注意が必要なのです。

 

 


 






2020年1月14日火曜日

娘の真夏の成人式




 フランスは、18歳で成人を迎えます。

 娘が18歳になった時は、6月生まれの彼女は、ちょうど、バカロレア(高校卒業認定試験)やプレパー(グランドエコールの準備のための勉強をする学校)の試験の真っ最中で、成人のお祝いどころではありませんでした。また、フランスでは、全国的に「成人の日」なるものもありません。

 滅多に試験に動じることもない娘も、さすがにこの時ばかりは、緊張気味で、少なからず、ナーバスになっていて、とても、お誕生日のお祝いなどというムードではなかったのです。

 しかし、私としては、少なからず、フランスにおいては、成人した、いうことで、ヤレヤレこれで、一応、法律的にも一応、大人として彼女が認められ、保護者としての責任も、ひとまず、最低限は、果たせたという思いで、ホッとして、嬉しかったのですが、特にお祝いをするでもなく、試験が終わると同時に、試験の結果もわからないまま、夏休みでバタバタと、日本へ行ったりしたので、なんとなく、すぎてしまいました。

 私の知り合いの中には、セーヌ川の船を借り切って、18歳の息子の成人のお祝いをした・・などという話を聞いたこともありましたが、我が家は、そんなわけで、フランスでは、何もしないで終わってしまったのです。

 日本人の私としては、やはり、日本での成人、二十歳というのが、さらなる区切りで、日本で成人式の1月には、学校の都合で日本へ行く事ができないために、夏の帰国の際に、振袖だけでも着せて、記念写真を撮りたいと思っていました。

 実家の片付けをしながら、着物の入っている箪笥を探したら、私が成人式の際に着た振袖は、なぜか見当たらず、(おそらく、年下の従姉妹のところに行ってしまったと思われます。)代わりに、母がどうやら結婚式の時に着たと思われる振袖が見つかり、娘には、それを着せることにしていました。

 着物好きだった祖母が特別に仕立てさせたという振袖は、何十年もたった今でも、色褪せることなく見事な状態で、保存されていました。

 娘が二十歳になった年の日本の夏は、ことさら暑く、普通の服を着るだけでも暑いところを何重にも重ね着するような着物を、帯の間にいくつもの保冷剤を仕込みながら、娘に着せました。

 メイクも前の晩にネットで検索しながら、どうやら、人に頼むとおかしなことになりそうだ・・などと言いながら、二人で練習し、当日も、自分で、メイクをし、髪の毛と着付けだけをお願いし、写真館で写真を撮ってもらいました。

 真夏の写真館は、日本では、ちょうど、小学校のお受験用の写真撮影で、予約がいっぱいの時期で、カメラマンも混乱していたのか、二十歳の娘に対しても、小学校のお受験の子供にするように、黄色いヒヨコの人形などを片手に娘から笑顔を引き出そうとする様子がおかしく、そばに付いていた私は、そのカメラマンの方を撮影してドキュメンタリームービーを作ったら面白いのに・・と思ったほどです。

 美容院で着付けと髪をセットしてもらい、写真館で写真を撮ってもらい、娘の振袖姿を見せようと、私の最愛の祖母が眠る九品仏でお墓詣りをし、親戚の家を二軒周り、娘の成人式は、終わりました。汗だくの成人式でした。

 でも、本当に娘の振袖姿を一番、喜んでくれたであろう、私の祖母と両親には、見せられなかったことは、とても残念でした。

 しかし、自分の成人式の際には、母の望み通りに、大した感慨もなしに、振袖を着て、やたらと嬉しそうにしていた祖母や母を、ちょっと不思議な気持ちで見ていましたが、ようやく、自分が母親になって、なぜ、あんなに彼女たちが喜んでくれたのか、娘の成人式を通して、ようやく理解できた気持ちでした。

 あの時の母は、こんな気持ちだったのか・・と。

 そして、人生のある節目に、日本の着物を着る習慣は、日本の美しい文化のひとつなのだと、しみじみと思いました。

 今の現代的な世の中で、このような文化的な習慣がある国ってそうないと思うのです。

 しかも、それが、祖母、母、孫へと、引き継がれたものであれば、自分の祖先の思いに触れる機会であり、素敵なことだと思うのです。

 いつか、娘が着た振袖を娘の娘が再び、着てくれることがあったら、どんなにか、嬉しいことかと思っています。

 

 





























2020年1月13日月曜日

食いしん坊の家系





 私の父は、とても、わがままな人でしたが、特に食べ物に関しては、うるさいことこの上なく、良く言えば、亭主関白というか、いわゆる昭和の時代の父親で、お膳をひっくり返したりすることは、なかったものの、家の中で、父が家事をしたりすることはなく、仕事?で夜が遅い事も多く、早く帰って来れば、母と私とが、せっせと、父のための食事を用意し、父は、晩酌をしながら、食事をするのが常でした。

 父は、自分の口に合わないものは、たとえ、母が一生懸命に作ったものでも、ひと口、箸をつけただけで、クソミソにけなして、お皿をよけて、決して食べようとはしませんでした。

 しかし、そんな父の味覚は、大したもので、ちょっとでもごまかしのあるものは、すぐに見破られ、良いものは、その素性を知らせなくとも、「これは、美味い!」と言い当てるのでした。

 ですから、せっかく用意しても、不機嫌な顔をされるのが嫌で、母もせっせと父の好きな食材を買い集めるようになっていました。

 例えば、牛肉なら、シェルガーデン、とか、鶏肉なら、ここの店・・とか、毛蟹は、紀伊国屋、蕎麦はここ、など、食べ物、一つ一つこだわりがあり、(こだわりというよりも、それなら父も文句を言わないという感じ・・)買い物一つをとっても、母は、とても苦労していました。

 私は、食べ物が口に合わないからといって、(といっても、母も、そんなに酷いものを出していたわけではありません。)父の不機嫌さに、家族中に嫌な空気が蔓延する家庭をすごく不快に感じていましたので、結婚するなら、楽しく食事ができる人が良いと思っていました。

 結果、主人は、何でも美味しい美味しいと言ってくれて、楽しく食事ができる人で、私の作るものに文句を言ったことは、ただの一度もありませんし、日本食に対しても、とても寛容で、大げさと思えるほど、喜んで食べてくれていました。

 しかし、食いしん坊であることには、変りなく、分野は違いますが、とにかく、チーズとパンとワインが好きで、特にチーズに関しては、娘への食育と称して、度々、珍しいチーズを数種類買ってきては、「フランスには、何千という種類のチーズがあるんだから、それを知らなければ・・」などというタテマエで、私たちに振舞っては、渋い顔をされて、結局は、そのほとんどを自分で食べていました。

 私と娘も、日本に帰国すれば、ここぞとばかりに食べまくり、従姉妹たちや、結局のところ、友人に至るまで、食べ物に対するこだわりと執着は、凄まじく、日本で一緒に旅行などしても、まさに食べるための旅行であり、天ぷらやとんかつなどの揚げ物を食べに行くと言えば、お店の選抜はもちろん、油も一番油をめがけて、開店と同時の時間に行くという徹底ぶりなのです。

 あまりに食べ物にうるさかった父が疎ましかった私ですが、結果、悲しいかな、私や弟にとって、それは、大変な食育となっており、普通の家庭では、多分、食べないであろう珍しい食品や、料理などを子供の頃にたくさん食べており、いつの間にか、味覚も育っていたと思わざるを得ません。

 結果、気付いてみると、結局のところ、私も、フランスでも、誰に強制されるでもなく、バターは、これ・・とか、チーズなら、これ・・、生ハムなら、ここ・・とか、同じことをやっているのです。

 そして、何より、恐ろしいのは、娘は、驚くほど父にそっくりで、敏感な味覚の持ち主で、さすがに、父のように周りに当たり散らすことはありませんが、どんなにお腹が空いても、不味いものは、決して食べずに水を飲んで過ごすという、一切、食べ物に妥協を許さない姿勢の持ち主なのです。

 娘は、私の用意するものに関して、文句を言うことは、ありませんが、出汁をとれば、「え?お味噌、変えたね・・」とか、「今日は、昆布が違う昆布だね・・」とか、言い当てられるのを、過去の父から受けたトラウマからか、ドッキリさせられるのです。

 半分は、フランス人でありながら、日頃、概ねのフランス料理や、乳製品などが嫌いな娘ですが、ちょっと良いものが家にあったりすると、涼しい顔をして、「美味しいものなら、食べる。」と言って食べるその様子は、父を彷彿とさせます。

 娘は、私とは、全く違った環境で育っているのに、この感じ・・これは、「食いしん坊の家系」「食に取り憑かれた遺伝子」としか言いようがありません。

 

 
 
 
























 

2020年1月12日日曜日

断捨離と帰国の憂鬱




 私が、初めて身近な人を亡くしたのは、私が二十歳のときでした。
私は、祖母が、亡くなってしまった祖父に触れながら、「まだ暖かい・・」と言った本当の意味を知ったのは、本当に冷たくなってしまった祖父に触れた時でした。

 今から、考えると、私は、まだまだ子供でしたが、人の死というものに接して、充分に色々なことを感じたり、考えたりできる歳になってからのことでした。

 あれから、祖母が亡くなり、母が亡くなり、父が亡くなり、実家には、誰もいなくなりました。

 その間には、長い年月を経ており、親の介護の問題などで、色々と大変だった時期もありましたが、今、空き家だけが残されて、実際に、実家に帰っても、ひたすら、家の片付けと不用品となったものの処分をする帰国は、だんだんと気が重くなり、どこか憂鬱で、足が遠退きがちになります。

 最後に亡くなった父にしても、あれほど、いざこざを起こして、喧嘩もずいぶんしましたが、いざ、いなくなってしまうと、やはり、虚しく、誰も住んでいない家に帰るというのは、こんなにつまらなくて、淋しいものだと実感しています。

 また、まだまだ使えるものを捨てるのは、忍びなく、身内で、引き取ってくれる人があれば、使ってもらうようにしたり、メルカリに出品してみたり、買い取り業者の人にも、一体、何度、家に来てもらったかわからないほどです。

 かといって、全てを業者に任せて、父や母のものを処分してしまうのは、あまりに忍びなく、また、片付けていると、母が大切に取っておいてくれたと思われる、私や弟の子供の頃のアルバムや、絵や、私が海外に出始めてから、両親に宛てて送った手紙などが、綺麗な箱にしまわれて、大事に取ってあるのを見つけたりするにつけ、熱い思いにかられます。

 実家の片付けとともに、改めて感じる母の愛情をもう一度、かみしめることができるこの機会を、私は、どうしても、自分自身でやり遂げて、しっかりと胸に刻みたいと思っているのです。

 と、同時に、人間は、生活していく上で、どれだけのゴミをため込むものかと、呆れるとともに、日頃からのシンプルな生活を心がけようと思うのです。

 そして、祖父母、両親と亡くなってしまった今、次は、私の番だと、私も人生のラストステージにさしかかっていることを覚悟させられます。

 そんなことを言うと、周囲には、まだ若いのに・・とか、また、言ってる・・とかいって、笑われるのですが、人生は、思っているほど長くはなく、自分が確実に死に向かっている存在であることや、残された時間をどのように生きるかを自覚して生きることは、とても大切なことだと思うのです。

 なので、私は、最近は、パリに戻っても、少しずつ断捨離を始め、シンプルな生活ができるように心がけています。

 leboncoin(ルボンカン)という、フランスのメルカリのようなものに出品したり、EMMAUS(エマウス)という不用品を引き取ってくれる団体(この団体は、チャリティーの団体で、不用品を引き取って販売してお金を集める慈善団体です)には、もうスーツケース何個分を運んだことか・・。

 こうして、日本の実家に帰っても、パリに戻っても、ひたすら物を減らしていると、うっかりと、何か、新しいものを買いそうになっても、「待てよ!これも、また、捨てることになるのだ・・」と自分自身に歯止めをかけるようになりました。

 奇しくも、母が私に宛てて、送ってくれた最期の手紙の「生活は、簡素に・・」どおりにしていることにハッとさせられるのです。

「お誕生日、おめでとう。◯◯年間、生きてきてくれてありがとう。世界のどこにいようが、存在しているというだけで、私にとっては、うれしいことです。あなたも、そろそろ人生の折り返し地点です。今までの生き方を見返して、ゆとりを持てる生活、時間と労力を簡素化していって下さい。私は、気がつくのが遅かったことを反省しています。でも、夢は持って下さい。” 生活は簡素に、志は高く” (最近、読んだ本の一説)」




















 













 

2020年1月11日土曜日

フランス人の熱量





 よく、血の気が多いとかいう言い方をしますが、「やっぱり、フランス人は、血の気が多いなぁ・・」と感じることがあります。

 それは、単に激しやすいとか、怒りっぽいとかいうことではありません。

 よく言えば、感情表現が豊かで、ストレートに感情を表現することが多いので、良い時は、賞賛の嵐、また、非常にロマンチックで情熱的な演出に繋がるのですが、好き嫌いをシンプルに顔に出すので、逆の場合は、冷たい態度の表現も強烈なので、感じ悪いこと、この上ありません。

 血の気が多いというと、一見、いわゆるキレやすい性格のような印象がありますが、それは、ちょっとニュアンスが違います。
 別に、彼らは、キレやすいというわけではありません。

 街中で、また、店内でクレームをつけて、キレたりするのは、むしろ、日本の方が多いような気がします。

 それよりも、ひとたび、感情を動かすスイッチが入った時の熱量が根本的に違う気がするのです。まあ、良くも悪くも、激しいのです。

 彼らは、普段から、第二のフランス語とも言えるような、独特な身振り手振りをつけて(彼らの身振り手振りには、言葉のような意味があります。)話すので、慣れるまでは、いちいち大げさに、芝居じみて見えます。

 場合によっては、コミカルでもあり、高圧的でもあります。

 先日のカルロスゴーンの記者会見などは、内容はともかく、確かに、彼の熱量は半端ありませんでした。(実際には、彼は、レバノン系ブラジル人とレバノン人のハーフで、フランス人ではありませんが、彼は、主な教育をフランスで受けて育っています)

 たしかに、彼自身の無実?と日本の司法にいたぶられたことをアピールしたい気持ちが強かったとは思いますが、それを、「身振り手振りをつけて大げさにアピールしていた」と報じている日本のマスコミほどには、フランス人は、彼のスピーチを大げさとは、受け取ってはいないと思います。

 なぜなら、彼ら自身も感情が高ぶれば、同じようなジェスチャーをつけて話すからです。

 フランスで、度々、起こるデモの迫力を見慣れていると、日本のデモなどをたまに、テレビの映像で見かけたりすると、あまりの熱量の違いに愕然とさせられます。

 日本のデモってこんな感じだったっけ???
 なんだか、ピーチクパーチク言ってる感じ・・説得力が足りない・・と。

 だから、日本人が国際的な場面に臨む場合は、この熱量に照準を合わせないと、外国人にとっては、私が日本のデモを見て感じたように、日本人が、なんかピーチクパーチク言っている・・・としか映らず、伝わりにくいかもしれません。

 度々、このデモが過激化して、暴動のようになることにも、熱量の違いを痛感させられます。それこそ、血の気が多いなぁ・・と。

 私がフランス人の主人と付き合い始めた頃は、なんて、大げさな、芝居じみた話し方をする人だろうと思ったこともありましたが、フランスに慣れてくると、それは、決して、大げさなのでも、芝居じみているものでもありませんでした。

 ただ、何かに感動して、喜ぶときにも、何かに怒るときにも、その熱量は、明らかに日本人とは違い、そんな主人がいる家の中も、きっと、普通の日本人の家庭とは、違うのだろうなと思います。

 いつもいつも、喜んだり、怒ったりしているわけではありませんが、最近の私は、熱量が高い方が、少なくとも、楽しいことを、より楽しめるような気がしているのです。


 

 













 




 

2020年1月10日金曜日

フランス人の年金への思い入れ


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1月9日、デモが加熱して炎が上がるパリの街中


 昨年、12月5日に始まった、年金改革に反対するストライキやデモは、一向に収束の兆しが見えません。

 年が明けた1月9日でも、未だ、RATP(パリ営団交通)やSNCF(フランス国鉄)のストライキも続いており、フランス全土で、452,000人、パリだけでも、56,000人がデモに参加し、夕刻には、過激化する者も現れ、街中には、物が燃やされて、炎が上がり、けが人や拘束される人まで出て、昨年からの勢いは、衰えては、いません。

 一ヶ月以上も、メトロもバスも電車も満足に動かない、この不安定で、不便な生活を強いてまで、デモやストライキを続けるフランス人にとっての年金への執着は、日本人とは、比べようもないくらい強いように思います。

 殊に、公務員に関しては、職種にもよりますが、給料は安くても、労働条件や、安定した年金を受け取ることができることが、魅力の一つでもあるのです。

 また、フランスでは、この公務員の多いこと・・・。

 日本なら、とっくに民営化している国鉄や郵便局なども国営のままなのですから、公務員が多いのも致し方ありません。民営化どころか、年金制度改革だけで、この騒ぎなのですから、民営化など、夢のまた、夢でしょう。

 実のところ、フランスは、民主主義をうたいながらも、社会主義に限りなく近い国で、その実は、かなり特殊な国なのです。また、たとえ、民営企業であっても、労働組合の力が異様に強いところも、社会主義的なところです。

 フランス政府が主要株主である会社も多く、今、何かと話題のルノーにしても、株式の20パーセント近くをフランス政府が持つ、国の大きな息のかかった企業であり、エールフランスも他者と経営統合して、持株会社を作りましたが、未だ、主導権は、政府が握っています。

 国が守ってくれるからこそ、思い切り、反抗の旗をあげることができる、この悪循環。

 マクロン大統領は、これまでの大統領経験者が受け取ってきた特別年金を辞退して、全国民を対象に提案する新たなルールに自ら従うと表明したものの国民の納得は得られていません。

 フランス人の現行の年金制度への執着は、恐ろしく強いのです。

 私の周りでも、年金に強い関心を持っている人が多く、身近なところでは、主人は、毎年送られてくる年金のポイントの通知を後生大事に眺め、職場の年配の同僚などは、暇さえあれば、年金の計算をして、何かと話題にしています。

 そんな同僚をよそ目に見ながら、「年金は、計算しても変わらないから、今、働けよ!仕事中だろ!」と私は、心の中でひっそりと思っているのです。

 一番、驚いたのは、娘が初めてアルバイトを始めた時に、「年金のポイントに加算される!」と嬉しそうに年金のポイント確保を始めたことでした。「娘よ!お前もか!」と思った衝撃的な出来事でした。

 恋愛を楽しみ、バカンスをゆったりと過ごし、一見、かなり進歩的なイメージのフランス人ではありますが、実のところは、かなり保守的で変化を好まない人たちなのです。

 強いのは、年金に対する執念だけでなく、実のところは、権利を主張するという執念と熱量なのかもしれません。

 

















2020年1月9日木曜日

カルロスゴーン会見に見るフランス人流の自己主張の仕方

                                             「カルロス ゴーン」の画像検索結果



 年末の、映画のような、派手な日本からの逃走劇から、年明け、仕事始め早々の機をてらったカルロスゴーンの記者会見を見て、日頃の私の周りのフランス人流の言い訳の仕方をいくつもを連想しました。

 身振り手振りを交えながら、ひたすらに自分の非は、一切、認めないどころか、自分を優れた経営者であることを繰り返し、印象付けながら、自分の言いたいことをひたすら訴えるのです。

 それは、規模もレベルも違いますが、私の日常に度々、遭遇する、自分の非は、おかまいなしに、ひたすら自分の言いたいことを言うフランス人と、基本的な論法は、変わらないなと思ったのです。

 自分の言いたいことをひたすらに言う勢いと熱量で、話がいつの間にか入れ替わって、結果、自分の言いたいことで結論づけて、納得させられそうになってしまうのです。

 その上、彼は、記者会見では、英語を軸として、レバノン、イギリス、アメリカ、ブラジル、フランスと、それぞれの国の記者からは、その母国語で、質問を受け答えし、その間の通訳は、入らないので、アラビア語、英語、フランス語、ポルトガル語が全部、わからない人には、一瞬、煙に巻かれたような感じになります。

 事の真実は、わからないけれど、これだけの言語を難なく使い分けて、どんどん会見を進めていくのは、やはり、さすがと思わざるを得ません。

 これをわざと英語一本に絞らなかったことも、彼の作戦なのだと思います。

 日本の記者会見のように、司会者を置いたりはせずに、自分主導で記者会見を進めて、自分のペースに引き込んで行くのです。もちろん、用意した原稿はあるのでしょうが、日本人のようにそれをただ、読み上げるような熱量とは、まるで違います。

 私は、英語とフランス語しか、わからないので、その他の言語での質問に関しては、わからなかったけれど、やはり、フランス語での応答は、彼自身の話のリズムも良く、記者の質問に対しての答えの間の取り方なども絶妙でした。

 特に、フランス人記者からの「フランス政府に何か期待することは?」という質問に際して、間髪入れずに、「全くありません。」と言い切った返しは、あまりに小気味よく、お見事!と思いました。

 答えたくない質問に対しては、今日は、日本からなぜ逃げたかだけを話しているので、その他のことには、答えません、と逃げるのです。

 自分が日本の司法機関、拘置所でどんなに酷い目にあったかを、切々と訴えるわりには、ベルサイユ宮殿のパーティーの言い訳などは、日産やルノーの人間が参加していないことにも、招待者側なのだから、いなくてもおかしくない、などという意外とお粗末な言い訳なのも、なんだか、日頃、私が耳にするフランス人の言い訳のお粗末さに近いものを感じてしまいました。

 つまり、スピーチの熱量のわりには、中身がないのです。

 しかし、フランス、レバノン、ブラジル以外の記者は、全て英語で質問している中、「テレビ東京の〇〇です。」といきなり、日本語で自己紹介を始めた日本人記者には、呆れました。さすがに、これは、ないでしょ!と思いました。ゴーン氏も苦笑しながら、「英語じゃなきゃ、答えないよ!」と言っていましたが、これだから、舐められるのです。

 日本のマスコミの多くは、この記者会見から排除されたと聞きましたが、せっかく入れてもらえた記者がこんな具合なのには、とても残念です。

 本当なら、日本人の記者が一番、熱量のある質問を投げかける場面であるのに・・。こういう場面は、日本人の苦手とするところなのかもしれませんが、国際的なこんな場面に負けずに切り込んでいける人がいてくれたらと思います。

 これから、ゴーン氏は、どうなっていくのかは、わかりませんが、彼が、そんなに優れた経営者なら、なんなら、フランスに来て、RATP(パリ交通公団)やSNCF(フランス国鉄)をなんとかしてくれないかと思うのです。www

 

















 

2020年1月8日水曜日

空港の荷物検査 異常につまらないことにこだわるわりには結構杜撰




 カルロス・ゴーンの一件で、再注目された、空港の荷物検査。

 他国への旅行の場合は、荷物も大して多くないので、ロストバゲージ以外は、ほぼほぼ、問題は、ないのですが、日本から帰ってくるときだけは、それこそ死活問題とも言えるほどの大荷物なので、私にとっては、スーツケース一つあたり、23キロの荷物を娘と二人で、2個ずつをどれだけ、ギリギリに詰め込むかで、帰国前日から当日にかけては、大わらわになります。

 だいたい、荷造りの時点で、家で計量するのですが、それが、家での計量どおりかどうか、ヒヤヒヤものなのです。

 チェックインを担当してくれるスタッフによって、やたらと厳しい人と、そうでない人がいるのですが、厳しい人にあたると、ほんのわずかなオーバーも許されず、その場で、手荷物の方に少し、移してくださいなどと言われ、仕方なく、チェックインカウンターの前で、荷物を開けて、手荷物に移すという無様なことになるのです。

 最近は、スーツケースをチェックインする前の、X線検査に当たることは、あまりないのですが、以前は、X線検査で、ライターが入っているのを出してくださいとか、子供用の小さな手持ち花火を出してくださいとか、言われて、どうにかやっと、荷物を収めたスーツケースを開けて、荷物をかきまわして、中から探し出して、没収されたりと、えらい面倒なこともありました。

 おかしなことに、電気屋さんのオマケでもらった花火を取り上げられた娘は、悲しそうな顔をするでなく、私の方が、何もそんな子供の花火なんて、取り上げなくても・・と、残念がったくらいでした。

 しかし、帰ってきてみると、もう一つの花火が、娘の手荷物の小さなバッグの方に入っており、こちらの方は、見過ごされて、(私も知らなかったので、帰ってきて、びっくりでした)ちゃっかり、娘は、「もう一つあるから、一つ取られても良かった・・」と、にっこりしており、つまらないことに異常にうるさいわりには、あっさり、見過ごされているものも結構あるものだと思いました。

 フランスに入国の際は、日本からの直行便は、ほとんどノーチェックなのですが、たった一度だけ、止められて、荷物を開けるように言われたことがありました。

 それは、父が亡くなって、葬儀のために帰国した際のことで、帰りの飛行機の中でも、私は、泣いては、寝て、また、泣いて・・という感じだったので、パリに着いた時には、疲れ果てており、きっと、様子が普通ではなかったのでしょう。

 私は、その時に、試験のために、葬儀には、参加できなかった娘に頼まれて、父の遺骨のかけらを小さなフィルムの入れ物に入れて持っており、「これは、何だ?」と言われて、涙ながらに検査官に、「それは、父の遺骨のかけらだ!」と説明したのです。

 その時は、それ以外にも、細かく、持ち物を、もらった物まで、これは、どこで買ったかとか、いくらぐらいするものかとか、問い詰められて、やましいものは、何も持っていないのに・・・と、とても悔しい思いをしました。

 挙げ句の果てに、自分たちがもう帰りたい時間になったのか?(日本からの直行便は、仏、現地時間の夕刻に到着)「今日は、もういいから・・」と、私がスーツケースをしまい終わらないうちに、自分たちは、さっさと帰ってしまう始末。

 空港の税関や荷物検査場は、とかく、いい加減で、弱い人間には、強く出る、極めて横暴で、そのわりには、いい加減な、嫌な印象ばかりです。

 今回のゴーン氏の一件で、また、弱い立場の私たちの荷物検査が、異様に厳しくならないことを祈るばかりです。







2020年1月7日火曜日

フランスの学校の集合写真




 フランスの学校では、毎年毎年、カメラマンが学校に来て、一人一人の個人の写真とクラスの集合写真を撮ってくれます。

 撮影後は、しばらくすると、印刷された写真を子供が持って帰ってきて、希望者は、必要な分だけ、買い取ります。

 個人の写真は、証明写真用のサイズのものや、カレンダーになっているものなどがあり、フランスらしくない、商売っ気たっぷりのサービスでしたが、毎年、プロのカメラマンの撮った写真を娘の成長として、日本の両親に送ったりもしていました。

 個人の写真は、当然、一人一人、カメラマンの注文に合わせて撮るらしく、娘は、持って帰ってきた写真を見せながら、ちょっと微妙な日本語で、「この微笑みが、むずかしかった・・・。」などと言ったりするのを楽しんでいました。

 クラスの集合写真では、もちろん、制服などがないので、皆、バラバラの服装なのは当たり前なのですが、写真撮影というのに、まるで、お構いなしの、普段どおりの飾らない服装で、かなり、ラフな感じです。

 私などは、まず、自分の娘がどんな顔をして写っているのかを確かめた後は、今年のクラスには、ハンサムな男の子、可愛い女の子がいるかな?と思って眺めます。

 小学校、中学、高校と12年間にわたって、彼女のクラスには、びっくりするくらい、ハンサムな男の子がいなかったのは、ちょっと残念な気さえしたものです。

 ところが、そんな私に反して、娘がまだ、小学校の低学年の頃、フランス人の主人が、クラスの集合写真を見て、娘に対して怒ったことがありました。

 主人は、「こんなに目立たない写り方をして、もっと、自分を前に前に、出して行かなきゃダメじゃないか!!こんなことでは、世の中、渡って行けない!」と言うのです。

 娘は、半べそをかきながら、「だって、私が前に出すぎたら、後ろにいる子が見えなくなっちゃうと思ったから・・。」と自分の写真の写り方を説明していたのを聞いて、私は、優しい子だな・・と思ったのですが、フランス人の主人には、納得が行かなかったようです。

 確かに、娘の成績表には、いつも、討論などの場において、もっと積極性が欲しい・・などと書かれていたので、たしかに、前へ前へ・・と出て行くタイプではないと思っていたのです。

 そんなところは、どちらかといえば、日本人である私の血を引いているのではと思っていましたが、それも個性だし、私は、それで良いと思っていました。
 日本であるならば、あまり、人を差し置いて、前へ出て行くのは、美徳としないという、私が無意識のうちに持っている、私の中の日本人の美意識のようなものが娘に伝わってしまっていたのかもしれません。

 たしかに、フランス人は、前へ前へと出て、話したがる人が多く、みんながいっせいに同時に話していたりすることもあるので、そんなフランス人の中では、一歩下がっていては、ダメなのかもしれません。

 主人は、そんな娘の様子を心配して、一時、学校内の演劇の授業に参加させたりしていましたが、それは、演劇自体を学ぶということよりも、人前で堂々と話すということを身につけさせるためだったようです。

 上手に話すことを身につけるために、演劇部に参加させることは、フランスではよくあることで、歴代の政治家なども、学生時代に演劇部に入っていたという人も少なくありません。

 たしかに、フランスの政治家は、日本の政治家と比べて、話すことがとても上手だと思うのです。日本の政治家のように、用意された答弁を恥ずかしげもなく、公衆の面前で、読み上げるような演説をフランスでは、見ることはありません。

 奇しくも、先日、ミシュランで三つ星を獲得した日本人シェフの小林圭さんは、AFPのインタビューに、こう答えています。
「日本人は、大抵、とても無口だ。だが、そんな風では、フランスでは、生き残れない。」と。

 もう成人している娘は、未だに口数は多い方ではありませんが、しかし、言いたいことは、はっきり、有無を言わせずに、きっぱりと言うようになったので、フランスでも、たくましく、生き延びております。

 今はもう、あの、集合写真でパパに怒られていた彼女では、ないのです。










 

2020年1月6日月曜日

ガレット・デ・ロワ ーフランスの新年の風物詩ー




 フランスでは、1月6日は、クリスマスから、年末年始と食べ続ける行事のとどめをさす、ガレット・デ・ロワ(galette des rois)(王様のパイ)というアーモンドペーストの入ったパイを食べる日で、もともと、キリスト教の公現祭に基づいたもので、年明けのフランスの風物詩でもあります。

 シードルやシャンパンなどともよく合います。

 最近は、いささかフライング気味で、スーパーなどでは、クリスマス前から売られたりしていて、売られているのを見つけてしまうと、ついつい手が出てしまったりもするのです。

 もともと、私は、それほど、甘党というわけではないのですが、ねっとりとしたクリームなどを使っておらず、サクッとしたパイ生地と、甘すぎないアーモンドペーストとの相性もよく、非常に食べやすいお菓子です。
 オーブンで軽く温め直すと、ふんわり、サクッとして、いっそう美味しく頂けます。

 また、多少、フライングすることはあるとはいえ、一年で、この時期にしか売っていないので、せいぜい一ヶ月弱の間しか買えないとなると、ガレット・デ・ロワが登場した時には、「おっ!!今年も出てきた!!」という季節感と、今の時期だけしか食べられないという、「今だけ!今だけ!」という、希少価値を高めるような気分が巻き起こり、結果、毎年、欠かさずに食べるお菓子です。

 ガレット・デ・ロワは、その名のとおり、王冠がパイに付いてきて、中に隠されたフェーブと呼ばれる陶製の小さな人形が一つだけ入っていて、切り分けて食べた時に、そのフェーブが当たった人が王冠を被り、その一年は、幸運に恵まれるという軽いお遊びを楽しめるようになっているのです。

 我が家もこれまで、一体、いくつのガレット・デ・ロワを食べてきたことか、そのまま放って捨ててしまったものもあるだろうに、なんとなくテレビの前に置かれ続けたフェーブの数だけでも、間違いなく、一年に一個のペースではなかったことがわかります。



 娘も小さい頃は、本気で真剣勝負のように、フェーブ獲得に挑み、大人気なくもまた、張り合って、フェーブの取り合いをする主人に、まんまと取られて、泣き出す娘を悟しながら、同時に、主人を睨めつけつつ、見つけたフェーブをもう一度、パイの中にもどして、娘の頭に王冠を被せたりしたこともありました。

 我が家においても、娘がまだ、サンタクロースを信じ、ガレット・デ・ロワのフェーブを涙を流して欲しがっていた頃の家族の微笑ましい一場面でもあり、誰もがそんな家族の思い出を蘇らせるのか、大人になっても、ガレットを目の前にすると、一瞬、無邪気なワクワクしたような笑顔を隠しきれなくなります。

 以下の映像は、マクロン大統領が大きなガレットを前にして、隠しきれない嬉しそうな少年のような笑顔でガレット・デ・ロワを切り分ける映像です。

https://www.youtube.com/watch?v=aqSFYjaiXNw

 きっと、フランス人にとっては、子供の頃のそんな思い出をガレットとともに蘇らせ、笑顔にさせる不思議なパイなのです。

 今では、フェーブの取り合いにこそならないまでも、見つけかけたフェーブをなぜか、最後の一切れに残しておくのが、我が家の妙な習慣になっています。

 私にとっては、一月中には、職場で、何度となく、誰かしらが差し入れてくれて、シャンパンを飲みながら食べる習慣のせいで、ガレット→シャンパンが連想され、ガレットを見ると同時にシャンパンの味が思い浮かびます。

 ちなみに、今年のフェーブは、Le Petit Prince (星の王子様)でした。



 

 
 













2020年1月5日日曜日

フランスの美容院は、大雑把で雑・・




 ここ数年は、日本に行く用事が多く、年に2〜3回は、日本に行っているので、美容院は、日本へ帰国時に行くことにしています。

 しばらく、日本へ行けなかった時期もあったので、その間は、ずっと、パリの家の近所の美容院へ行っていたのですが、ひとたび、日本の美容院の心地よさを思い出してしまえば、なるべく、パリの美容院には、行きたくないと思ってしまうのです。

 日本の美容院は、私の帰国時の至福の時間でもあります。座り心地の良い椅子に、頭皮や手のマッサージまでしてくれて、帰国して、長いフライト疲れの私は、ついつい眠ってしまいそうになるくらいです。

 それに比べて、パリの美容院は、自分の好みのヘアスタイルやカラーリングなどのニュアンスを理解してもらえることは稀で、また、趣味もあるので、きっと、感覚が共有できる美容師さんに出会えれば、違うのかもしれませんが、長いことパリにいて、未だに出会えていません。

 超高級なサロンなどに行けば別なのかもしれませんが、一般的なフランスの美容院は、概して、大雑把で雑です。

 雑なだけあって、仕上がりもびっくりするくらい早いのですが、日本のような、何度も細かくブロッキングして、少しずつ切っては、とかしてを繰り返し・・というような、丁寧で繊細なカットではなく、その場は、ブローまでしてもらって、一応、なんとか、格好はつくのですが、少しでも、髪が伸びてくるとすぐに乱れてしまうという、なんとも、不満足な結果になるのです。

 それは、フランス人との髪質の違いもあるのかもしれません。

 以前、イギリスに留学していた頃に、ロンドンにある、ヴィダル・サッスーンの学校に通っている日本からの美容師の留学生に会ったことがあるのです。日本からは、当時、ひとクラス4名以内と人数制限があるほど、人気の学校でした。

 彼が言うには、ヨーロッパの人の髪質は、日本人の髪に比べて、ずっと扱いやすく、また、型もつけやすいので、なんとなく、カッコ良く、出来てしまう。

 サッスーンで学んで、ひとしきり簡単にできるような気になっても、実際に日本へ帰って、日本人の髪を扱うようになると、日本人の髪はずっと手がかかり、型もつけにくいので、逆に日本に帰ってから挫折してしまう人もいるとか・・。

 きっと、フランスの美容院も、髪質などというものは、あまり、考慮に入れずに切ってくれてしまうので、なかなか、満足できる仕上がりにはならないのかもしれません。

 そのくせ、そこそこの値段をとるのです。その上、やたらとトリートメントしましょうかとか、スプレーしましょうかとか、上乗せ料金になるサービスを進め、こっちにしてみれば、「早いのだけが取り柄なんだから、余計なことは、してくれなくて良い!」と思うのであります。

 そんな風だから、いつも日本行きのチケットをとったら、すぐに、日本の美容院の予約をとるのです。

 ああ、早く、日本の美容院に行きたいです。










2020年1月4日土曜日

お国柄が現れるフランスの中華料理




 世界中、どこへ行ってもあると思われるチャイニーズレストラン。類にもれず、フランスにもチャイニーズのお店は、山ほどあります。

 多分、一番多いのは、気軽に食べることができて、テイクアウトもできる中華とベトナム、タイ料理などのアジア系の料理がミックスされたようなお店です。最近は、その中に日本食と思われるものも混ざっていて、エビフライをTEMPURAなどという名前で売っていたりします。

 フランスで、共通する一般的なチャーハン(Riz Cantonais / リ・カントネ)は、なぜか、味の素が大量に使われた、炒り卵とハムとグリンピースを入れて炒めてある、全体的に白いイメージのボヤッとした味のチャーハンで、パエリアと並んで、冷凍食品として売られていたり、学校の給食にまで登場するので、フランス人には、人気のメニューなのだと思われますが、はっきり言って、あまりおススメではありません。

 私は、普段、出不精なので、あまり、外食はしないのですが、中華料理だけは、中華街に買い物に行くついでに、食事に行くことも多いのです。
 何より、中華料理は、家庭の調理器の火力では、できない強火でサッと調理された野菜の炒めものなどが食べたいからです。

 私がよく行く中華料理のレストランは、値段もお手頃で、頃合いを見計らって行かないと並ばないと入れない、中国人シェフが腕を振るう人気のお店で、中国人のお客さんが多い中、フランス人のお客さんも結構いて、入れ替わるお客さんや、お料理のオーダーや配膳の人が慌ただしく行き交う中、ロゼのワインなどを飲みながら、悠々と食事をしています。

 フランス人が中華のレストランで必ずと言っていいくらい注文しているのは、鴨料理(Canard laqué / カナール・ラッケ)(うっすら甘い五香粉の香りのするソースをつけながらじっくり焼かれた鴨)なのです。

 うちの主人なども、中華料理に行けば、必ず、カナール・ラッケを食べます。

 皮がパリッと焼けていて、五香粉の香りと、鴨のしっとりとした、それでいてなかなか食べ応えのある肉がフランス人には、人気なのでしょう。もともと、鴨は、フランス料理でも、マグレ・ド・カナールなどでも親しまれている料理でもあり、フランス人の味覚には、合うのかもしれません。

 中華料理を食べに行っても、取り敢えず、フランス料理にも近いメニューを選ぶところも、フランス人らしさを感じ、同時に、フランス人の味覚は、かなり保守的なのだなあと思わされます。

 そう考えてみると、カナールラッケは、デコレーション等を変えて盛りつければ、ヌーベルキュイジーヌとして、フレンチにも出てきそうな気さえします。

 そして、私には、もう一つ、中華料理を食べるフランス人に関して、不思議に思っていることがあります。
 
 中華料理といえば、ある程度以上の人数で食事に行けば、みんなで小皿に取り分けて、分け合って食べるイメージがあるのですが、フランス人は、みんなで分け合って食べたりせずに、一人一人が注文して、それぞれが、自分の注文したものを別々に食べるのです。

 自分の食べたいものを自分が注文して、自分のものを自分で食べる。

 中華料理の食べ方にもフランス人の気質が見えるような気がするのです。






2020年1月3日金曜日

フランス人は、イタリアを下に見ている





 日本では、フランスもイタリアも、きっと似たような位置付けで、どちらも、おしゃれで、ヨーロッパの中では、きっと、比較的、印象の良い国の部類に入っているのだと思います。

 フランス料理もイタリア料理も人気があり、フレンチやイタリアンのレストランも日本には、たくさんあり、ちょっとおしゃれなデートなどでは、フレンチやイタリアンは、きっと同じレベルで存在しているのではないかと思います。

 日本人に人気の観光地としても、フランスは、安定の人気の国の一つですが、イタリアも同様に人気があり、どちらかというと、今や、イタリアの方が人気があるくらいです。

 ところが、フランス人は、なぜか、イタリアを下に見ているのです。

 これは、私が、フランスに住み始めて、初めて気が付いた意外な事実でした。

 まあ、誇り高く、愛国心旺盛なフランス人ですから、フランス人は、フランスが好きだということが、一番の理由だと思うのですが、同じ、ヨーロッパの隣国の中でも、ことさら、イタリアを下に見ていることがフランス人の言葉の端々に垣間見れます。

 きっと、ドイツやイギリスなどには、経済的にも、社会的にも、大きく出ることもできず、国民性も明らかに異なり、大っぴらに嫌ったり、バカにしたりすることはできないのでしょう。

 フランス人からすれば、イタリアは、経済的にも、ずっと下で、貧しく、貧しいがゆえの狡猾さを嫌悪し、警戒もし、脳天気でルーズで・・・となるのです。

 フランス人が第二外国語として、選ぶのも、ドイツ語かスペイン語が主流で、イタリア語は、大きな選択肢の中には、入っていません。学術的にも特視する点も見当たらず、フランス人がドイツやイギリスに留学することはあっても、ファッションなどの特別な業界以外で、イタリアに留学するなどという話も聞いたことがありません。

 私にしてみれば、表面的には、気難しく、気取って見えるフランスも、イタリア同様、基本的には、ラテン系で、ルーズで、気分屋で、似ているところも多いと思うのですが、そんなことをフランス人に言おうものなら、大変です。

 似ているからこそ、鼻につき、経済的に下で貧しいからこそ、ここぞとばかりにイタリア人を下に見るフランス人も、実は、イタリア人ほどには、陽気にもなりきれず、楽観的に人生を達観することもできない愛国心とジェラシーの裏返しなのかもしれません。

 しかし、意外と日本人には、知られていない、このフランスとイタリアの微妙な関係。
改めて、観察してみると面白いかもしれません。

 













2020年1月2日木曜日

お正月は、元旦のみ。フランスに、三が日はない




 フランスは、クリスマスをイブからクリスマス当日にかけて、盛大に祝いますが、祝日自体は、25日のみで、御用納めのような年末の区切りはなく、(実際には、クリスマスの期間にバカンス休暇を取る人は多いですが)31日には、新年へのRéveillon (レヴェイヨン)=カウントダウンは、あるものの、休日でもなく、年が明けて、1月1日の元旦のみが祝日で、2日からは、あっさりと仕事も始まります。

 ですから、この時期に、バカンス休暇を取らない限り、この、主には、食べるのに忙しい行事を乗り切るのは、大変です。タダでさえ、日頃から、食べることばかり考えている私にとっては、この食の一大行事の年末年始は、いつも以上に食べ物のことばかり考えています。

 12月の24日のクリスマスイブの日も、家族間で、人を招いたり、招かれたりが多い中、仕事を終えてからのディナーの準備に気忙しく、実際に慌ただしい時を過ごすことになります。

 24日、25日のメニューをあらかじめ、考えて、24日までに買い物を済ませ、下準備を済ませて、クリスマスイブ、クリスマスとのアペリティフから始まるディナーをせっせと用意します。

 自分自身も食べながら、常に満腹状態での次の食事を作り続ける二日間を過ごし、26日には、仕事です。

 日本人の私としては、大晦日の年越しそばや、お正月のお雑煮やおせち料理も、娘に日本の文化を伝えたい気持ちや、自分自身も一年の区切りを感じたいことから、フランスに来てからも、欠かしたことはありません。

 きっと、海外在住の日本人の多くの人が同じようなことをしているのではないかと思います。海外にいるからこそ、より、日本のお正月を感じたいという気持ちが湧いてくるのです。

 日本なら、お正月の三が日くらいは、ゆっくりして・・という感覚が染み付いていた私には、お正月早々、1月2日から仕事、お正月早々に仕事が始まることに最初は、なんだか、しっくりこない感じが拭えませんでした。

 実際には、私自身は、仕事上、元旦の日から出勤していましたので、元旦のお雑煮は、夜に・・となっていましたが、しかし、そんな生活も、いつの間にか習慣になっていました。

 ですから、きっと、年末年始の特別な食事のスケジュールは、年越しそばとお雑煮、おせち料理が加わる分だけ、フランス人以上に忙しい気忙しい、特別な一年の食の行事がたて込む時期なのであります。

 食いしん坊の私としては、忙しいけれど、楽しくもあり、クリスマスを盛大に食べて過ごしながらも、年越しそばとお雑煮と少しのおせちを欠かせない日本人なのであります。

 そして、たとえ、三が日が休みでなくても、年越しそばと、お雑煮と、少しのおせち料理、最悪、特におせち料理でもないものをお重箱に詰めて食べれば、お正月を迎えた気持ちになるのです。

 考えてみれば、私にとっては、宗教心も行事の意味も何もなく、ただ、ひたすら、食べることで、一年の区切り区切りを感じている超単細胞なのです。

 

 

2020年1月1日水曜日

パリの年越しと、シャンゼリゼのカウントダウン 日本語のオーシャンゼリゼ





 フランスの大晦日の年越しは、17時から、メトロなどの交通機関が無料で解放されることから、始まります。

 昼過ぎにちょうど駅にいた私は、17時からパリ市内の交通機関が無料で解放されるというアナウンスを聞いていましたが、これは、毎年と同じことながら、今年は、一ヶ月近くものストライキが続いているため、今さら、ほんの一日、無料でメトロを解放することをどこか、シラけた思いで、聞いていました。

 これだけ、一般市民を困らせておいて、今さら、偉そうに無料開放のアナウンスとは・・間引き運転で、通常では、考えられないような混雑したメトロに乗りながら、ますます、腹立たしい気持ちになりました。

 夜には、これも、毎年のことですが、大統領の2019年を振り返りつつ、新年に向けての国民向けのスピーチが流され、すぐさま、大統領のスピーチを聞いた街の人々や、スタジオに招かれたコメンテーターが喧々囂々とコメントする様子が流されます。

 昨年は、黄色いベスト運動で、今年は、年金改革に反対するデモやストライキがおこり、混乱の最中ですが、マクロン大統領がある程度は、歩み寄るが、年金改革に関しては、譲らないと声明を発したこともあり、気の毒なほど、マクロンが嫌われている様子が流されていました。

 それ以外の大晦日のトップニュースは、カルロスゴーンが日本からレバノンに逃げたことが報じられていました。

 シャンゼリゼでの年明けのスペクタクル(ショー)は、23時半頃から始まりますが、多くの人が、17時頃から集まり始め、シャンゼリゼは、あっという間に人で埋め尽くされます。
 

 今年は、ストライキの影響で、例年に比べると、若干、人出は少なかったものの、それでも、30万人の人出で賑わっていました。

 ストライキのイライラから、見事に気持ちを切り替えられるものだと感心しますが、この凱旋門、シャンゼリゼの大晦日のショーは、4ヶ月前から準備された、やはり、壮大なショーでした。
 
凱旋門、シャンゼリゼのショーの演出をする人々


音楽と映像を駆使したスペクタクルは、なかなか見応えもあり、シャンソンや現代的な音楽も使われ、最後は、凱旋門の背景に壮大な花火が打ち上げられて終わります。

 ショーを紹介するニュースでは、世界一美しいシャンゼリゼのスペクタクルをご覧くださいと、相変わらずのフランス人らしい、自信満々のキャスターの紹介で始まります。

 今回は、途中、日本人にも広く知られるオーシャンゼリゼの歌が流され、歌詞の2番は、なんと日本語訳の歌が流されるというサプライズな演出もありました。


オーシャンゼリゼの歌が日本語で流された動画

 2019年は、前年から続いていた黄色いベスト運動が記録更新のように続く中、ノートルダム火災や42℃という記録的な暑さを更新し、年末には、また一ヶ月を越そうとしているストライキやデモで大混乱満載のフランスでしたが、2020年は、少しでも、良い年となりますようにと祈っています。