実践よりも、まず、理論のフランスの教育
私が日本の小学生だった、はるか昔でさえ、区立の小学校でも、学校の音楽室には、一人一台のオルガンがあり、その他の楽器も色々ありました。
音楽の授業では、楽器を分担して合奏をしたり、皆で歌を歌ったり、文字通り、音を楽しむ授業で、私は、音楽の授業は、半分、遊びのような楽しいものでした。
それに比べると、フランスの学校の音楽の授業では、オルガンはおろか、楽器を演奏する機会は、ほとんどなく、授業は、いわゆるクラッシック曲の歴史や作曲家、その時代背景に関する、いわゆるアナリゼと言われる、理論的なことを学ぶ授業が主で、娘は、音楽の授業は、まるで、楽しくないと言っていました。
専門的に音楽を学ぶ人には、アナリゼも必要だと思いますが、普通の小学生には、退屈なことに違いありません。
また、驚いたのは、娘がバカロレア(高校卒業資格試験)の際にオプションでとった水泳の試験です。
これがまた、複雑怪奇なシステムで、ただ、早く泳げば良いというわけではなく、(早いに越したことはないのですが・・・)一定の距離を、自分で、定めたタイムに出来るだけ、近いタイムで泳ぐという、意味不明なもので、(無駄に難解にしているところが、フランスっぽい)しかも、水泳の試験には、面接・口頭試験まであり、フランスの水泳の歴史などを答えなければならないのです。
また、筆記試験においても、フランスでは、論文形式のものが多く、非常に受験にも採点にも時間と手間暇がかかる難解なものです。
高校生になると、これらの口頭試験や論文での試験に向けての準備の授業が長期間に渡って組み込まれています。
本来ならば、あまり、頭を使わずにすむ、体育や音楽の授業や試験でさえ、これですから、フランス人がいちいち、理屈をこね回すのもわかるような気がします。
とりあえず、黙っていない、たとえ、自分が充分な仕事をしていなかったり、自分に非があろうとも、微妙に理論をすり替えながら、自分の理屈をとうとうと述べるフランス人に、「まず、やることやってから言えっつーの!」 とか、「話をすり替えてんじゃねーよ!」と、私が感じるのには、彼らの受けてきた教育が背景にあることを思い知らされるのです。
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