決死のお迎えで、ある日、気付いたこと・・フランス人は、走らない
フランスでは、小学生の間は、送り迎えをするのが普通です。小学校低学年のお迎えは、必須ですが、高学年になれば、保護者が承諾している場合は、一人で通学できることになってはいます。しかし、実際には、ほとんどの人は、小学校卒業までは、送り迎えをしています。
日本ならば、子供が小学校に上がった時点で、親は一段階、子供の送り迎えがいらなくなって、手が離れる感があると思います。
私立の小学校に通う小学生が、制服を着て、ランドセルを背負って、電車やバスに一人で乗っている姿は、今、思うに、日本独特の光景なのではないかと思います。
日本の感覚であれば、娘の小学校は、充分に、彼女が一人で通学できる距離ではあったのですが、やはり、皆が送り迎えをするのは、それだけの理由があるのだと思い、もし、何か起こってしまったら、後悔してもしきれないと思い、小学校卒業までは、送り迎えを続けたのでした。
朝は、主人が娘を送って行ってくれましたが、お迎えは、私がしていました。
仕事が終わって、お迎えに行くのは、本当に決死の覚悟で、業務終了後、お迎えの時間までは、ギリギリで、少しでも仕事が立て込んで、会社を出るのが遅れてしまったり、メトロがテクニカルプロブレム・・とかで、途中で止まってしまうことも少なくありません。その場合は、スゴい勢いで、走ることになるのです。
ものすごい勢いで駅を駆け抜け、エスカレーターを駆け上り、エスカレーターの途中で、転んで、無様な格好のままで、上に辿り着いたこともありました。
自分たちは、時間にルーズなくせに、学校のお迎えの時間だけは、やたらときっちりで、遅れてゼイゼイしながら行くと、怖い顔をした、子供の受け渡しをしている先生に、「C'est pas possible ! Madame ! (セ・パ・ポッスィーブル・マダム!ありえない!)と怒られるのです。
元来、私は、日本人であり、時間には、かなり、きっちりしている方で、交通機関のトラブルを考えて、出勤の際には、かなり余裕を持って出かけているので、長年、パリで働いていて、一度も遅刻したことは、ありません。
しかし、お迎えの場合は、出られる時間がギリギリのために、トラブルが起これば、もう決死の覚悟で、ひたすら、走るしかないのです。
でも、ある日、私は、そういえば、駅でも、街中でも、走っている人を見かけたことがないことに気付いたのです。
例えば、朝など、みんな出勤時間が決まっているだろうに、メトロが度々止まって、しばらくメトロの中でカンヅメになっても、慣れていることもあり、みんな携帯で会社に連絡を入れるだけで、誰も急ぎません。
駅では、メトロの遅延証明書を発行してくれますが、そんなものをもらおうと長蛇の列を並んでいれば、さらに遅くなるわけです。
私は、時間に遅れないように、ひたすら、急いで、走るのです。
そういえば、主人が駅まで車で迎えに来てくれたりした時も、車を見つけて、駆け寄って行こうとする私を見つけた、車の中にいる主人は、手のひらを広げて、下に向けておろし、「ゆっくり、ゆっくり、走らないで・・」と、合図するのです。
フランス人にとって、急いで走ったりすることは、はしたないことだと思っているところがあります。
年間10万本以上を運行する東海道新幹線の年間平均遅延時間が50秒を超えたことをJRが謝罪したことで、話題になったことがありましたが、これは、フランスに住む人間からしたら、嫌味としか思えない謝罪です。
宅急便のお兄さんでさえ、走って配達をする日本。
そんな日本を、さぞかし息苦しいだろうと思いつつも、未だに、その部分を引きずっている私は、何があっても急がず、走らないフランス人を少し、うらめしく思いつつ、遅れそうになれば、ついつい走ってしまうのです。
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