2026年10月31日土曜日

アパートの水道のカウンターの交換が・・

  

 

 その日は、朝から色々と用事があったりバタバタしていて、しかも、先週から私は体調を崩して、具合が悪かったのですが、どうしても出かけて済ませておかなければならない用事のために、渋々、朝、早くから起きていました。

 薬を飲むために朝食をとらなければと支度をしていたら、なんと水道が突如止まってしまい、そういえば、○○日、工事のために断水する恐れあり・・とアパートの下に張り紙がしてあったことを思い出しました。

「ああ、あれって今日だったのだ・・」と思って、まあ、断水は午前中には終わるとのことだったので、そのまま朝食をとって、薬を飲んで、ヤレヤレと思っていたら、ドアをノックする音が聞こえたので、出てみると、何やら、水道関係の工事の人で、家の中にある水道のカウンターを交換するとのこと・・。

 まさか、こんな工事だとは、思っていなかったので、ヤレヤレ家にいて、セーフ・・。

 こんなこと、平日の朝にやるとは・・アパートの人たち、みんな家にいるのかしら?と思っていました。

 工事のおじさんは、「また、チェックと水道栓をあけるために昼くらいに来ますから・・」と言い残して行ったので、私は、その間、大急ぎで外出して用事を済ませて、家に帰りました。

 その後、私が帰宅してまもなく、その工事のおじさんがあらわれて、「チェック完了」。

 私は、心底、この手の工事?が滞りなく済んだことにホッとしていました。

 その後、私は昼食をとった後、近所のスーパーマーケットに買い物に行ったのですが、そこで隣人に声をかけられました。正直、そこまで親しくもないために、アパートの外で会うと、一瞬、「あれ?この人誰だったっけ?」と思ってしまったのですが、隣人の女性でした。

 彼女は、「水道工事の人来た?」と私に尋ねるので、「はい、来ましたよ・・」と。彼女は不機嫌そうに、「ずっと待ってたのに、家には来なかった・・」と。

 「えっ?なんで?うちを出て行ったあと、お宅をノックしていたの、見ましたよ!」と言ったら、「呼び鈴があるのに、鳴らしてくれなきゃ気が付かない・・奥の部屋にいたから・・」と。

 そういえば、水道工事のおじさん・・ノックしただけで、呼び鈴を押してくれませんでした。でも、私はたまたま玄関近くの部屋にいたので、「ノックするなんて、誰?」と怪訝に思ったものの、ちょうど水道が止まった直後だったのもあって、「もしかして、水道工事の人?」と思ってドアを開けたのですが、なるほど、私だって、他の部屋にいたら、気が付かなかったかもしれません。

 隣人の女性は、たいそう不満気で、私だって、一歩間違えていたら、同じ目に合うところだった・・と、すんでのところで、危機を回避した・・ほ~っよかった、危なかった・・セーフ・・と思ったのです。

 この手の工事など、一度逃すと、後日にまた半日、もしくは一日、待ちぼうけを食うわけで、色々と注意をしているのですが、これからは、「呼び鈴を鳴らしてくれない場合もある」という注意事項を加えなければならない・・と心に刻んだのでした。


水道工事


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2026年10月30日金曜日

日本からの訃報はいつも辛いけれど・・

  


 私の海外生活も長くなって、これまで、何人の身近な人を遠くから見送ることになったかは、覚えていないくらいになりました。

 実際に危篤の報せを聞いて駆け付けたのは、母の時くらいなもので、父の時には、もう間に合わず、訃報となった時点で報せを受け、葬儀のために、一人で帰国しました。

 その後は、ポツポツと父方の親戚は亡くなっていって、母方の親戚・・というか兄弟姉妹たちは、母の没後もずっと皆、元気で、私が日本に帰国する度に顔を合わせていました。内心、「なんでママだけがあんなに早く亡くなっちゃったんだろう?」と、こっそりと、ちょっと悔しく思ったりするくらいでもありました。

 しかし、母方の兄弟姉妹たちは、いつまでもとても仲が良く、また、私や娘とも海外でずっと暮らしているというのに、これまでと変わらずにずっと私たちともつきあいを続けてくれていました。(父方の親戚とも仲良しですが・・)

 けれども、突然、昨年、母の兄が亡くなり、ちょうど、そのすぐあとに日本に帰国したときにお参りでもしなくては・・残された叔母と少しでも話したい・・と思っていたところに、帰国早々に羽田から、亡き母の妹(叔母)に電話したところ、なんと、亡き母の弟が入院してしまったという話を聞いて、びっくり!急遽、一人の叔父の弔問と、もう一人の入院している叔父のお見舞いに別々の日に予定をあけて、行くことになったのでした。

 結果的にその時に入院していた叔父に会ったのが、最期になってしまったわけですが、もうこちらの方の叔父は、特に私とは、関係が深く、私がまだ子どもの頃、物心つくかつかないかくらいの頃、まだ叔父が独身で実家(私の祖父母の家)にいる頃から、私は叔父にずっとお世話になり続けてきました。

 叔父はあまり器用に世渡りするタイプではありませんでしたが、お坊ちゃん育ちの優しい優しい人でした。特に私の大好きだった祖母はこの叔父が誰よりもお気に入りで、私と祖母とこの叔父と3人で出かける機会がとても多かったのです。

 祖父が突然、入院した際などにも二人で何回もお見舞いに行きましたし、祖母が亡くなるまでの半年間も頻繁に病院で顔を合わせてきましたし、何より、私が娘とともに一時帰国をする際には、娘が小さい頃かった頃から、もうかなり大きくなってまでも、必ず羽田に迎えに来てくれて、送ってくれて、日本滞在中にも、一緒に山の家に付き合ってくれたり、料理の上手だった叔父は、自分の手料理をわざわざ私の実家まで届けてくれたりもしていました。

 母の没後もそれは変わることなく、時には両親以上というか、私にとって、とてもとても大きな存在でした。ここ数年はもう運転するのは危ないし、迎えに来てくれることはなくなりましたが、それでも、必ず一度は会って、一緒にお墓参りに行ったり、うちの近所で二人で食事したりと、もうそれは、思い出は限りなく浮かんできます。

 昨日の朝、たまたま午前中、私の外出中に従姉妹からLINEが入り、突然の彼の訃報に、もう呆然。その後、すぐにその従姉妹が電話をくれました。そのあと、娘からもすぐに電話がありました。

 もうただただショックなのですが、悲しいのに涙も出ない・・というか、どうしても実感が湧きません。なのに、心の中はずっしりと重たく、何も手につきません。

 あいにく、娘も翌日から海外に出かける予定になっているので、娘に頼むわけにもいかず、私も今、猫の具合が悪いので、長期間、家を空けるわけにもいかないので、日本にも行けません。

 こんなとき、海外生活の悲哀を感じます。大切な人の最期に立ち会えないこと。

 これは、海外生活のとても辛いことのひとつです。

 この間、会っておいてよかった・・と思う気持ちと、また、来るからそれまでに元気になってって言ったじゃない!と両方の気持ちが渦巻いています。

 最初に届いた訃報のLINEを何度も何度も読み返しています。


日本からの訃報


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2026年10月29日木曜日

パリ 老舗百貨店 BHV Marais(べー・アッシュ・ベー・マレ)破産管財人管理下へ

  


 1856年創業のパリの老舗百貨店 BHV Marais(べー・アッシュ・ベー・マレ)が破産管財人の管理下に入る手続きを申請しました。

 BHV Marais 経営陣は、現時点では、破産管財人管理下=倒産ということではなく、再建計画を実行に移し、事業と雇用を維持するためと説明しています。

 2026年9月の時点でBHVの従業員は700名存在しています。

 同経営陣は、現在の状況に陥った理由を未払いのキャッシュフローによるものとしていますが、これは、店舗ビルの半分を返還するかわりに支払われるべき補償金を家主が支払っていないためとしていますが、建物の所有者であるカナダのファンドは、「現在までにBHVに対していかなる金額も支払う義務はない」と否定しています。

 また、同経営陣は、ここ数週間のパリの暴動による店舗一階の略奪行為がすでに不安定だった資金繰りをさらに悪化させたと追加説明もしています。

 労働監督局は、この店舗が債務超過に陥っていると疑っていますが、経営陣はこれを否定しています。

 BHVは、ギャラリーラファイエットやプランタンのように、ラグジュアリーブランド中心の百貨店と違って、ファッション、コスメ、インテリア、キッチン用品、生活用品、DIYまでを扱うどちらかというと暮らしに密着した総合百貨店になっています。

 しかし、今の時代、そのどれもが中途半端な印象が拭えず、なにも、わざわざBHVでなくとも・・と思うものが多い特色が薄い感じが拭えません。

 また、2025年秋に大反対派も多く出たSHEIN(低価格のオンラインブランド)の売り場開設や取引先への支払い遅延を背景にディオール、ゲラン、サンドロ、マージュなどが撤退したと報じられています。

 つまり、SHEINのような低価格のオンラインブランドを導入して集客しようとする一方で、従来の百貨店としての魅力を求めるブランドや顧客が離れていってしまうという、短期的な集客策がかえって既存の価値を損なう可能性になった可能性があります。

 1856年創業という老舗の看板を持ち、場所はパリ市庁舎のすぐそばという好立地にありながら、時代の流れとその価値を上手く活用できなかったことが、現在の結果を招いています。

 少なからず、百貨店は、同様の問題を抱えていますが、顧客が求めているのは、高級でも低価格でもない中間ではなく、そこでしか出会えない商品や体験、専門性が明確に打ち出されていなければ、集客はできないのです。

 「破綻ではなく、再建の枠組みである」というならば、明確な方向性を持って再建されなければ、ただの時間稼ぎにしか、ならないように思うのです。


 BHV Marais(べー・アッシュ・ベー・マレ)破産管財人管理下


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2026年10月28日水曜日

次回のデモは10月31日 今度は「黄色いベスト」

  


 次回のデモは・・なんていう言い方が、ちょっと不自然に感じるくらい、もう毎週のこと(土曜日)になっているフランスですが、今度は「黄色いベスト」がデモを呼び掛けています。

 このデモに先駆けて、30日(金)には、国会議事堂前での「鍋叩き抗議」を呼び掛けています。

 この黄色いベストのデモはすでに日曜日の段階で発表されていましたが、黄色いベスト運動の調整グループは、「市民の自由を守るため」10月31日(金)夜、国会議事堂と議会事務所前での「鍋叩き抗議」を行うように呼び掛けています。

 「エマニュエル・マクロン大統領とその政権は、権威主義的な道をさらに一歩進むことを決定した。彼らは我々のデモを禁止し、夜間外出禁止令を発令し、デモ参加者のために都心部を封鎖している。・・・我々は国会議員の窓の下で鍋やフライパンを叩き鳴らす。」と黄色いベストは、声明で発表しています。

 彼らはまた、「警察と極右過激主義の全ての犠牲者のために」1分間の黙とうも計画しています。10月23日、イヴリーヌ県で発生した人種差別的攻撃の犠牲者のための演説も用意されています。

 この攻撃では、K.Tが車から路上で発砲し、一人を殺害、5人に負傷を負わせています。

 これは、マクロン大統領がパリ中心部でのデモは公認しないとしていることに向けての抗議であると思われますが、黄色いベストは、10月31日(土)は、パリ中心部を通過するルートを宣言しており、警察本部が拒否した場合には、「デモの自由の侵害で告訴する」と宣言しています。

 ちなみに、黄色いベストが用意しているルートは、「バスティーユ広場から出発し、レピュブリック広場、・レピュブリック大通り、オペラ座を経由して国会議事堂、コンコルド広場に至るもの」で、ばりばりパリの中心部です。

 これまで、どんなに防衛部隊を配置してでも、デモを行う権利を尊重してきたフランスですが、この権利をパリ中心部においては、認めないということで、彼らはマクロン大統領政権が、さらにもう一歩、権威主義に進んだというのは、このことを指していると思われます。

 フランス国民に対しては、権威、権力で抑えつけようとするやり方は逆効果のようにも思われるのですが、これ、結局、どうなるのだろうか?と、行方を見守っている感じです。

 とりあえず、金曜日に行うとしている国会議事堂前の「鍋叩きデモ」は、土曜日のデモへ向けての士気高揚のためと思われます。

 しかし、またまた、まだまだ出てくる「黄色いベスト」。

 フランスはいつになったら、落ち着くのでしょうか?


10月31日 黄色いベスト


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2026年10月27日火曜日

時差ボケを全くしない従姉妹

 


 私が年々、日本への一時帰国が辛くなっている理由のひとつは、年々、酷くなる時差ボケが酷くなっていることにあります。

 これだけは、如何ともしがたいことで、日本とフランスの時差8時間(サマータイム時は7時間)ですが、これに加えて、直行便でも14時間というフライト時間。

 これは、正直、本当に辛いです。

 娘もこの時差ボケ緩和に色々と知恵をつけてくれて、メラトニンを服用するとか、日本に到着後は、できるだけ太陽の下に出ることや、夕日を眺めるといいらしい・・なんてことを教えてくれて、これらを試みてはいるものの、そこまでの効果がありません。(それでも、メラトニンは、多少、助けにはなっています)

 今回、従姉妹がものすごく久しぶりにパリに来てくれて、私は彼女の時差ボケを心配していたのですが、これが彼女には全く時差ボケというものがなく、驚いています。

 もっとも、日本からフランスに来たときは、フランスから日本に行ったときに比べると、私とて、時差ボケは弱いのですが、それでも、夕方になると、強烈な眠気に襲われたりするものです。

 時差ボケというのは、年齢とともに、酷くなるもののようで、娘の成長の過程で見てみると、(娘は2歳の時から毎年、日本に連れて行っていました)最初の数年、つまり2歳から5歳くらいまでは、日本に着いた途端に日本時間に順応し、フランスに帰ればすぐにフランス時間に戻るという本当に羨ましい感じでした。

 ところが、さすがの娘も年齢とともに、人並みに時差ボケを感じるようになり、今では、人並みに時差ボケを感じているようです。しかし、彼女は若く、体力もオバケなみなので、その時差ボケくらいは、今のところ難なく乗り越えています。

 しかし、今回、日本からやってきた従姉妹は、私と同い年。どうして、こうも私と違うのか?と思うのですが、彼女曰く、「時差ボケというものを経験したことがない」そうで、前回、パリに来た時のことは、よく覚えていないのですが、どこの国に行っても、時差ボケはなしなんだそうです。

 彼女は結構、お酒を飲むので、それも影響しているのか?いやいや、私は今はアルコールを飲まなくなってはいますが、以前は、結構飲んでいた時期もあり、その頃もしっかり私には、時差ボケというものがあったのです。

 ともかくも、外地に到着してすぐに、身体が現地時間に対応できて、フルに動き廻れるということは、効率的、しかも、本人の身体もラクなので、なによりなことなのですが、毎回、日本とフランスを往復する度に時差ボケに苦しめられている私としては、本当に羨ましい限りなのです。


時差ボケ


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2026年10月26日月曜日

デモと暴動は別 

  


 9月から、高校生の学校環境等の悲惨さを訴えるデモがきっかけの今回のフランスでの大規模なデモ~暴動については、日本でもずいぶん報道されているようですが、「デモが暴徒化した・・」と言っているところが多いのがとても気になっています。

 昨今のこうした社会的な騒動については、すぐにSNS等で拡散されるために、それに同調する人々が地方でも、「自分たちのところも同じだ!」と、あっという間に全国規模になってしまいます。

 同調してデモを起こす人々ばかりではなく、それに乗じて破壊行動そのものを目的とする人々や、強盗、略奪行為を起こす人々が便乗して、騒ぎが大きくなってしまっているのが、現実です。

 そして、それがどんどんエスカレートしていってしまうのです。

 また、極左、極右の人々がこの騒動をたきつけるような動きをしているケースもあります。

 それをしっかり区別することが難しくなっているために、デモが暴徒化しているように映りやすいのですが、正当な主張をデモとして抗議活動をしている人々がデモ隊の中心ではあります。

 また、移民だけがこのデモを起こしているわけでもありません。かなり高齢のフランス人や家族でデモに参加しているケースなども多々あり、その人々は、極めて正当な方法で抗議を行っているだけです。

 ただ、そんなデモ隊とデモ隊に紛れて暴力行為を行う人々を区別できずに警察や憲兵隊などが、かなり強引な方法を使ってそれを鎮圧しようとする場合も多々あることも事実で、そんな警察や憲兵隊などとの衝突が起こります。

 警察もその鎮圧に催涙ガスを使ったり、水を使ったり、中にはかなり手荒な迎撃をしたりもしているので、それもまた、騒動を大きくしています。

 しかし、それは、警察や憲兵隊があくまで暴力行為、破壊行為等を抑えるためにやっていることです。まあ、それも一部、目に余る感じのところもあるのですが・・。

 なので、「デモが暴徒化した・・」という表現には、非常に違和感を感じます。

 暴徒はデモ隊に便乗している人々が大半なのです。

 デモと暴徒をごちゃ混ぜにしてしまったら、学校現場の窮状を訴える学生も物価高騰や生活苦を訴えている人々の声が掻き消されてしまいます。

 破壊、暴力、強奪行為は犯罪で、デモとはしっかり区別しなければなりません。

 しかし、このブラックブロックのような破壊・暴力・強奪行為が毎回、起こるので、そのために、そのたびに、商店やカフェなどは、バリケードの板を張り巡らし、閉店するしかありません。

 毎週、土曜日の閉店が続けば、大打撃です。

 もう、かれこれ、最初のデモが始まってから2ヶ月近く経ちます。これから年末にかけて、少しでも売上げを伸ばしたいであろう時期に、酷い話です。


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2026年10月25日日曜日

まさか、こんなところまで?と思ってたところにデモ・・信じられない数の警備隊

  


 10月17日のデモと暴動は、パリ(だけじゃないけど)の街を大きな規模で荒らし、その週は、パリの街のあちこちを歩いている間にも、その無残な形跡を目にすることも多い週でした。

 


 あの騒動のわりには、ずいぶんと早く片付けたもんだ・・と思うようなところもあったのですが、焼け焦げたまま残っているバイクとか、ゴミ箱があったのか?煤が取り切れない焼け焦げた道路など、無残な跡を目にする機会も少なくありませんでした。

 また、次のデモに向けて準備しているのでしょう。パリの商店や銀行などの店舗には、バリケードをはりつけて、準備しているのをあちこちで見かけました。



 そして、また、その1週間後の24日には、再び、大規模なデモが予定されているのは、聞いていたのですが、運の悪いことに、久しぶりにパリに遊びに来てくれていた従姉妹が日本へ帰国する日。

 前日の夜から、どうやって空港まで行こうか?と考えたり、一応、どの路線が動いているか?とか、検討していました。

 タクシーもありかな?と思っていたものの、道路が封鎖されたりすることもないわけではないだろうから、ちょっとタクシーはできれば避けようと思っていました。

 当日の朝、一応、予定していた路線をチェックして、なんとか行けそうかな?と思っていたのが甘かった・・。念のため、昼過ぎ頃になって、もう一度、路線をチェックしたら、シャトレ駅がほとんど、乗り換えさえもできない状態になっており、また、路線を変更しなければならなくなっていました。

 しかし、とにかくもメトロの駅にまず、行くのにも、近隣のバスもストップ、トラムも動いてない・・メトロの駅まで重たいスーツケース等をゴロゴロ転がしながら、歩いて行くことに・・。

 しかし、他には方法がないので、とりあえず、駅まで歩くことにしたのですが、その途中でまず、もの凄い数の警察車両が停車しており、その先には、ちょっと引くほどの警察官や憲兵隊が超重装備で固まっており、またその先には、デモ隊がどんだけ続くの?と思うほど、移動していきます。



 私たちが遭遇したデモ隊の周囲には、その時点では、ブラックブロックのような暴力集団はおらず、平和?なデモ隊ではありましたが、なんといっても、こんなに間近にデモ隊に遭遇するのは、私は、初めてで、やはり生でライブで目の当たりにするのは、大迫力。

 そのデモを突っ切るカタチで駅に行かなければならなかったのですが、取材に来ていたプレスの方やデモに参加している人の一部が荷物を運ぶのを手伝ってくださったり、フランス人の優しさに触れた時間でもありました。

 実際にデモに参加している人に接してみれば、この正当なデモをしている人々は、便乗して暴力行為や破壊行為、略奪行為をする人々とは全然、別の人々です。

 しかし、スゴイ迫力には違いがありません。が当人たちは、楽しそうでさえもあります。

 警察官や憲兵隊がその後の道すがらもものすごい数で、その威圧感たるやもの凄くて・・こちらの方は怖いです。

 通常は、大きなデモがあったりする場合は、出かけたりしないので、今回、こんな場面に遭遇して、これが・・ホンモノのフランスのデモの迫力・・と実感しました。

 しかし、私が今回、遭遇したデモは、迫力はあったものの、暴力的なものには、発展していませんでしたが、何より、これから日本に帰国する従姉妹にとったら、さらに衝撃的であったはず。

 彼女がパリに滞在していた間は、比較的、現地の人に近い生活を送っていたと思いますが、最後の最後に、まさかのまさに、もっとも今のフランスらしい場面に遭遇し、彼女にとっても、忘れられない思い出として心に刻まれたことでしょう。

 しかし、こんな状況で、ふつうの観光客はどうやって空港に行っているのか?今回ばかりは、心配になったのでした。

 世界一の観光大国と自負するならば、せめて、観光客が安全に空港を行き来できるルートを確保してくれてもいいんじゃないか?そんなふうに思った次第です。

 少なくとも、デモ等の影響を避けたいならば、土曜日離発着の便は避けた方がいいのかも?そんなことまで思いました。


デモ隊遭遇


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