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2025年8月1日金曜日

検査続きで疲れて病気になりそう・・

  


 いよいよ7月ももう終わり、パリは8月に入ると多くの人々がバカンスに出てしまいます。

 バカンスに出てしまうのは、私のかかりつけのお医者さんも同じで、彼女がいなくなってしまう前に一度、血液検査をして、その段階で私の状態をチェックしてから、必用な薬の処方をしていきましょう。ということで、7月の終わりに、まず1回目の血液検査をして、その結果を持って、彼女のところに行きました。

 前回の血液検査では、血糖値が少々高めで・・と言われていたので、多少、糖分を控えるように心がけていたので、少しは、良くなっているかな?と、血液検査の結果を見るのは、まるで、成績表を見るみたいな気がしていました。

 検査というのも学生時代のテストのような感じとも少し似ていて、点取り虫というわけではないのですが、少しは、よい成績を取りたいと思ってしまうのが心情で、結果、血糖値は、ほぼ正常値になっていました。ところが、今度は、肝臓の数値が良くないと言われ、「これは、ちゃんと調べた方がいいから・・」と、自分は8月の2週目からバカンスに出てしまうので、その前にもう一度、念入りな血液検査をして、肝臓のエコーもとってもらって、その結果を持って、来てくださいとのこと。

 まったく我ながら、あっちが引っ込めば、今度はこっち・・と、次から次へとガタが来て、検査ばっかりしている感じで、その度にハラハラして、疲れます。

 特に検査の前の夜は、何も食べてはいけないので、そのあたりもストレスで、検査自体もやっぱりストレス。フランスでは、ひとつひとつ検査は、別の場所で、別々に予約をとって、診てもらうので、処方箋を持って、予約を取ります。

 ところが、エコーなどの検査は、ただでさえ取りにくいうえに、バカンスで医者がいつもどおりには、人がいないため、予約がいつも以上に取りにくくなっています。それでも彼女が処方箋に「緊急」と書いてくれたので、通常の予約よりは早く予約がとれた方だったと思います。

 血液検査の方は予約が必用はないとはいえ、こちらもやはり前日の夜から絶食。エコー検査は、朝9時の予約がとれていたのですが、なんのための予約?と思うほど待たされて、結局、検査をしてくれたのは、10時頃。

 もしかしたら、深刻な病気なのかもしれない・・とビビりながら、ひたすら待っていたのですが、もう前日の夜8時から何も食べず、水も飲んでいない状態なので、もうお腹がすいて、ふらふらです。

 検査自体はエコーなので、そんなに複雑な検査ではありませんが、慣れない検査でもあり、そのうえ、もしかしたら、重病かも・・などと思っているので、小心者としては、検査が終わると、もうグッタリ・・。

 その結果を持って、今度は、もとのお医者さんに戻るのですから、もう今週は、1週間、ほとんど検査と医者通いで、なんだか生活のリズムが崩れて、グッタリです。

 幸いなことに結果は、ひとまず、すぐに深刻な状態というわけではないらしく、肝臓の働きが悪くなっていて、若干、脂肪肝で数値はよくないものの、炎症等は起こしていないので、食事に気をつけて、筋トレ等の運動をするようにということでした。

 しかし、脂肪肝というのは、なんだかデブと言われたみたいでショックで、「やっぱり少し痩せた方が良いですか?」と聞いたら、体重は多すぎるわけではないから、痩せる必要はないけど、とにかく食事に気を付けて、油ものと糖分は避け、アルコールはNG。

 もう数年間、アルコールは飲まなくなっているのに、ショックでした。

 とはいえ、ひとまず、すぐにどうにかなってしまうというわけではなかったので、本当は安心しちゃいけないんだろうけど、とりあえずホッとしたところです。

 ヤレヤレ、いつも検査に行くと思うのですが、検査ってすごく体力・気力ともに消耗するし、健康に良くないなあ・・と思うのです。


検査


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2025年7月29日火曜日

日本人ファーストへの疑問

  


 ここのところ、よく目にするようになった「日本人ファースト」という言葉に複雑な気持ちを抱いています。

 大きく言えば、「自国の国民を優先する」ということなのだとは思いますが、それを曲解?してのことなのか?外国人ヘイトのような動きもあるようで、昨日、X(旧Twitter)上で、日本に長く在住している外国人が「ここのところ毎日、私に、帰れ!と言ってくる日本人が表れます・・」と投稿しているのを見て、なんだか心が痛みました。

 何より、日本人である私自身が外国人として、長く海外(フランス)で暮らしているわけで、これが逆の立場だったら、なんと悲しいことだろうか?と思ったのです。

 一時、パンデミックの際に、ウィルスが発症したのがアジアだったということで、一部の人々の間で、アジア人ヘイトのようなものが起こったことがありましたが、それ以外で、ことさら、外国人に向けてのヘイトというものを目の当たりにしたことはありません。(だからといって、差別が全くないというわけではありませんが、これは外国人という括りでの差別というものとは違います)

 だいたいパリなんて、外国人だらけの街です。

 しかし、私はやっぱり外国人であることにはかわりなく、フランスが何らかの(戦争などの)非常事態に陥った場合、一番、優先されるのは、フランス国民だということは、承知しているし、そんな事態に陥った場合には、日本に帰ろうかと、心の中のどこかでは、うっすら考えないではありません。

 しかし、日常では、現在のフランスの法律に基づいて、それなりに合法的に滞在しているわけですから、外国人であるからといって、なんら恥じることはないと思っています。

 フランスでは選挙権こそないものの、その他の社会保障等は、外国人であろうと、合法的に滞在している場合には、ほぼフランス人と同じ保障が受けられるようになっているし、そもそも、現在、移民はフランス人にとって、重要な存在でもあり、フランス人だけでは、とても国は廻らないのが現状なのだと思います。

 だからといって、フランスで外国人が優遇されているとも思いませんが、海外からの留学生などに関しては、きちんとした手続きを踏めば、かなりの門戸も開かれており、援助などもあるようです。

 しかし、今回の日本の「日本人ファースト」旋風の、なんだか外国人を攻撃するような動きは、お門違い・・。日本という国が凋落していって、国民が生活苦に陥っているのが、外国人が優遇されているからだ・・というのは、短絡的すぎる気がします。

 たしかに日本人の弱者への援助とのバランスが悪いということは、あるのかもしれませんが、今の政治では、それをやめたところで日本という国は良くならないだろうし、根本的な問題は、そこではないと思います。

 生活への不満が募るとどこかを攻撃したくなるのもわからないではありませんが、ターゲットの違うものを攻撃しても意味がありません。

 娘は現在、日本で仕事をしていますが、彼女の周りの友人たちは、フランス人をはじめとして、外国人の方が多いくらいのようですが、彼らは恐らく、同年代の日本の若者よりも、ずっと多くの税金を日本に払って日本で生活しています。

 今回の「日本人ファースト」の波は、選挙公報にその単を発しているものであり、政党に先導されている向きがあると思いますが、根本的な問題は何なのか?もう一度、考えてみる必要があるように思います。


日本人ファースト


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2025年7月28日月曜日

子どもに残すもの

  


 時間の過ぎるのが加速度的に速くなっている気がする今日この頃、自分の後始末についても、少しずつ考えるようになってきています。

 我が家は、すでに両親ともに他界してしまっているので、次は自分の番だな・・という気持ちが父が亡くなった後から徐々に頭のどこかにあるようになりました。

 我が家の場合は、母が先に亡くなってしまったので、母が亡くなったときの相続手続き等は、全て父が処理してくれたのですが、父が亡くなったときには、私も弟も海外で生活していたこともあり、もう自分たちだけでは、到底、無理な話で、人づてに、信託銀行を紹介してもらって、すべて銀行におまかせでやってもらってしまいました。

 父は、自分の財産について、何も説明してくれていなかったので、一体、どこに、どれだけのものがあるのかなど、全くわからなかったので、そんなことも含めて、全て銀行がやってくれました。けっこう取られましたが、これは法律上の知識もないため、仕方ありませんでした。

 ある程度の段階で、一応、手続きの原案のようなものが銀行から送られてきて、一度、サインをして送り返し、一度、帰国した際に正式な書類にサインして、終わりでした。

 私たちは、結局、全てを2等分ということにしたので、不動産に関しては全て弟と私の共同名義になっており、今度、私たちになにかあった場合には、私の場合は全て娘が相続することになるわけですが、私としては、できるだけ面倒にならないようにしておいてあげたいな・・とぼんやりと思っていました。

 とはいえ、私の場合、そこまでたくさんの資産があるわけではないし、相続人も娘一人だけなので、そんなに問題はないとは思うのですが、それでも、海外で生活している分だけ、関わっている銀行の数も恐らく、ふつうの人よりは多いため、それなりにややっこしいものになるだろうから、なんとか少しでも明解にしておかなければとは、思っていました。

 特に、弟と共同名義の分については、弟も同じように考えていたらしく、できるだけ簡単にして、少しでも娘(弟の)に残してあげたいと思っているらしく、その手続きの時だけは、少し、弟と話し合い、決めきれないでいたら、娘が、「別にちゃんとやれるから、心配しなくてもいいよ・・」と言ってくれたので、結局、そのままになっています。

 弟と今度は、自分たちの娘への相続について、話していたとき、弟がやたらと、「少しでも娘に残してやりたい」というので、もうそんなに心配しなくても充分に資産はあると思われる弟がなぜ?そんなに娘により多くを残してやりたいと思うのか?と、私は、ちょっと、疑問に思ったくらいです。

 私の場合、娘はもう立派に社会人として仕事をし、まずまずの稼ぎを得ているし、そこまで、娘に残すことを考えるよりは、娘と一緒に過ごす時間のためにお金は使いたいと思っているので、なんだか、そんなにお金残して、どうするの?と思ってしまったのです。

 お金をもらって嫌な人はいないでしょうが、まあ、そこそこのものがあれば、それでよいではないか・・と思ってしまうゆるゆるな私。お金は所詮、お金です。それよりも、「限られた時間を楽しく過ごすことに使いたいな・・」と言っている私に、「お金をより多く残してくれるより、その方が健全だよ・・」と娘は言ってくれているので、私は、そのようにしようと思いつつ、そんな私を理解してくれる娘に育ってくれたことを感謝しています。


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2025年7月24日木曜日

パリのピカソ美術館はけっこう穴場スポットかもしれない

  


 私は、最近、常に行きたい美術館をピックアップしていて、機会があれば、ひとつひとつ行ってみては、リストから外し、また別の美術館をリストに加えるようにしていますが、そんな中、長年にわたり、ピカソ美術館は、なぜか、ずっと私のリストに居座り続けていた美術館でした。

 正直、特にピカソが好きというわけでもないので、いつかは行ってみようと思いつつも、他に私のリストに横入りしてくる美術館のために、ずっと私のリストの中では、置き去りにされ続けてきた美術館でした。

 私の数少ない友人の一人がこのパリのピカソ美術館の隣に住んでいるので、ほんとにすぐ側まではよく行っているのですが、これまで美術館の中には入ったことがありませんでした。

 今回、ふと、では、ついにピカソ美術館に行ってみようと思い、足を踏み入れたのですが、これが全く行列もなく、スイスイ入れた、まず、それだけでもポイント高いな・・と思ったのです。


 そして、パリの美術館あるあるなのですが、その美術館に使われている建物が重厚で、かその階段、天井、窓など、その建物自体も趣のあるもので、ここにあってこそ、美術品も映えるというもの・・と思えることで、このピカソ美術館もまた、そんなパリの美術館らしい美術館のひとつでもあります。




 パリのマレ地区にある、この建物は、塩税を徴収して富を得た租税農家のために建てられたものですが、その後、何度も所有者が変わり、1964年にパリ市が所有権を取得し、1968年には、歴史的建造物として認められています。

 ピカソ美術館のコレクションには、絵画、彫刻、デッサン、陶磁器、版画など5,000点以上のピカソの作品とともに、ピカソ自身が所蔵していた他の芸術家(ルノワール、セザンヌ、ドガ、ルソー、マティス、モディリアーニなど)の作品なども展示されています。





 いつも思うのですが、その美術品の展示のセンスがとてもよくて素敵です。






 ピカソは、独特な世界観を持った芸術家ではあるので、かなりインパクトがあります。

 しかし、美術館としては、それほど広すぎないにもかかわらず、かなり見応えもあります。

 なにより、マレ地区という他にも色々楽しめることがたくさんあるエリアという抜群の立地条件、そして、2時間くらいあれば、余裕で回れるほどほどのサイズ。予約なしでも全然OKなスムーズな入館。ピカソ美術館、観光スポットとしては、けっこう穴場だったりするかもしれない・・と思いました。

 ちなみにピカソ美術館は、バルセロナとマラガにもあります。


🌟Musée National Picasson-Paris   5 Rue de Thorigny 75003 Paris  月休


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2025年7月10日木曜日

参議院議員選挙 在外投票に行ってきました!

  


 日本では7月20日(日)が投票日となっている参議院議員選挙ですが、在外投票は、7月4日から13日までと、けっこう長い期間が設けられています。

 あらら・・こんなに長い期間だったっけ?と思いつつも、日常に埋もれてしまうとあっという間に忘れてしまいそうなので、先日、早々に在外投票に行ってまいりました。

 思えば、もう私は日本では、長らく投票に行っていないので、日本での選挙・投票というものがどんな感じなのか?忘れてしまっています。

 とはいえ、私も在外選挙登録をしたのは、ほんの数年前で、日本では選挙権があるにもかかわらず、もう日本のことわからなくなっちゃってるし、忙しくて選挙に行けない・・などと、色々と口実をつけて、選挙を放棄してしまってきたので、今さら偉そうなことは言えないのですが、昨今の日本の状況を見ていると、これは、やっぱりヤバいんじゃない?日本人として、なにもしないでいてはいけない!と思うようになりました。

 長いこと日本で生活していないので、日本の現状を生活を通して、実感することはありませんが、とはいえ、海外にいるからこそ、よく見えることもあります。他の国(たとえばフランス)の政治と比べて、ここはおかしいよね・・とか、色々と思うことも出てきました。

 というわけで、ここ数年、在外選挙登録をして以来は、必ず投票に行っています。

 パリでは、在仏日本大使館で投票できます。大使館はいつも行列していることが多いのですが、選挙に関しては、ほぼほぼ行列なしで、入館できます。投票所には、大きな部屋が用意されていて、なんだか、投票に来ている人よりも、待ち構えているお世話係?の人の方が多いような印象ですが、さすがに日本人だけのスペース。皆、礼儀正しいし、親切で丁寧です。

 しかし、こんなにたくさんの人を配置して、さぞかしお金がかかっているんだろうな・・もうちょっと簡易化して、(できればネット投票)もう少し、節約したらいいのに・・とも思います。

 こんなに何段階にもわたってチェックがいる?と思うほどの厳重な管理の下、投票用紙には、鉛筆で記入してくださいと言われて、それを何重にも封筒に入れて、立会人とやらのサインをもらって、終了です。




 パリの日本大使館は、シャンゼリゼの近く、凱旋門から歩ける範囲のところにあるので、とても気持ちの良いお散歩になります。凱旋門から日本大使館に歩いて行く途中に、一体、私は、この大使館に来るのは、何回目だろう?といつも同じことを思います。

 とはいえ、大した力にはならないながらも、なんとなく国民の義務を果たした気になって、ちょっとだけ満足です。

 一票の力は小さいけれど、だからといって、投票しないというのはあり得ない。よくわからないから・・というのは、言い訳になりません。今はネットでだって、いくらでも演説を聞くこともできるし、情報も得られるし、わからなかったら、理解する努力が必用です。

 選挙権は国民の権利であると同時に義務でもあります。

 しかし、それにしても今回の日本での参議院議員選挙の日程。よりにもよって、夏休みに入った最初の週末、しかも、3連休の中日というのは、なんだか悪意を感じないでもありません。もっと国民が投票しやすい日程を選ぶべきです。


参議院議員選挙 在外投票


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2025年7月5日土曜日

今年もやってまいりました!鳩との闘いの日々

  


 毎年、春先から始まって、私は家の狭いベランダで野菜を育てています。

 今年は、春先から春菊、小松菜などの葉野菜、あとは、もう何年もずっと同じ鉢に植えっぱなしになっている山椒、三つ葉、紫蘇がいつのまにか芽を出してぐんぐん育ってきます。

 いずれも、パリでは、簡単に手に入らない野菜なので、大変、助かっており、私の大事な食材の一部になっております。

 その後、ナスやオクラなども植えていますが、なんといっても夏のハイライトは「きゅうり」です。

 今年は、きゅうりの種蒔きをしたあと、なかなか芽が出ず、苦労しましたが、ここにきて、ようやく育ち始めました。と思って、ようやく育ってきたきゅうりを間引いて、植え替えたりし始めた矢先。やってまいりました。鳩が・・。

 毎年のことなので、さすがにもう驚くことはないのですが、ある時、突然、場所を物色に来て、今年は、まず私の大事な三つ葉を踏み荒らしました。気が付くと、側には、どこから運んでくるのか、小枝が積んであって、さらにギョッとさせられます。

 踏み荒らされた三つ葉の地ならしをしなおして、その上にカゴをかぶせて防御。すると、次は、植え替えたばかりのきゅうりの苗を折られ、きゅうりの苗を1本ダメにしました。

 その度に、なにか、シートで覆ってみたり、ペットボトルをたててみたり、朝、ベッドの中からベランダで鳩がクックーと鳴いているような気がして、まだ、もう少し寝ていたいと思うのに、ベランダに確認に行きます。

 今朝などは、一度、朝、行ってみて、いなかったので、安心して、もう一度、ベッドに戻ってグダグダしながら、本を読んでいたら、今度は、紫蘇を踏み荒らされ、また、小枝の山が・・。

 朝、起きた時点でベランダに繋がっている窓は、もう開けたままにしてあり、おまけに紫蘇の鉢は、部屋のすぐ前に置いてあり、側にいた鳩はもう、今にも家に入ってこれそうな勢いで、ギョッとしました。

 今日は、さすがに、まだ、芽が出たばかりのものには、プランターの上に一応、ネットを張りました。

 これを数回、繰り返しているうちに、鳩の方もだいたい諦めてくれるのですが、毎日が鳩との攻防戦です。

 私は、鳥類全般が大嫌いで、特に実害を被る鳩はもっとも嫌いです。

 もっと広くて、心地よさそうな場所がいっぱいあると思うのですが、どうして、我が家のような狭いベランダなんかに来るのか、本当に不思議です。

 数日前の猛暑の時は、さすがにベランダなどに出ていられる状態ではなかったので、鳩が来ても、もう出れない・・と思っていたのですが、あの40℃近い猛暑の中は、さすがに、鳩も小枝を運ぶために何往復もするのはキツかったのかもしれません。

 今年も一日も早く、鳩が諦めてくれるのを待ちながら、毎日、鳩と闘っているのです。


ベランダの鳩


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2025年6月30日月曜日

フランスの酷暑 恐怖の天気予報

  


 最近、朝、起きるとまず携帯を開いて、その日の気温を確認するのが日課になっています。もう気温によっては、できるだけダメージの少ないようにスケジュールを調整するようにしているためです。

 ここのところのパリは、30℃を超えるのはあたりまえで、今週前半の予報では、パリは36℃、39℃、38℃となっています。もう自分の体温、もしくはそれ以上になってくると、恐怖です。

 フランス気象庁は、6月30日月曜日の予報で、オレンジ色の熱波警報を84県に拡大しています。フランスの学校は、夏休みのバカンスまであと1週間、一部では、夏休みを一週間前倒しに・・という案も出ていたようですが、結局は、予定どおりとなったようです。

 ただし、これは、地域ごとにある程度、委ねられており、地方自治体は、協議の上、学校の教育施設の運営に関する具体的な調整が行われる可能性があるとしています。

 実際、パリ近郊のMelun(ムラン)では、市役所の権限において、7月1日と2日の学校閉鎖を決定、これに続き、続々と学校閉鎖の発表が相次ぎ、とうとう200校の学校が休校となることが発表されました。

 子どもにとったら、夏休みが早くやってきたことで大喜びといったところなのかもしれませんが、親にとったら、大変なことです。

 子どもの安全を考えれば、致し方ないことだとは思いますが、夏のバカンスまで1週間と迫ったこのタイミングで突如学校が休校・・となれば、その間の子どもを誰に預けるか?学校が急に閉鎖になったからといって、必ずしも、子どものために家にいることができる親はそんなに多くはないはずです。

 そうでなくても、やたらと学校のお休みが多いフランスの学校で、学校があるうちは、絶対に学校に行ってもらう・・というのが私の正直なところでした。長い学校のお休みの期間だけでも、スケジュールの都合をつけるのは至難の業で仕事をしている親にとったら、学校は託児所のようなものでもあるのです。

 しかし、夏の間のフランスの気温の上がり方というものは、日本で生まれ育った私にとっては、少々、不思議というか? いつまでたっても、慣れないもので、日本だったら、14時、15時くらいが一番気温の高い時間だと思うのですが、フランスの場合、17時頃が最も気温が高いのです。

 そして、今だったら、余裕で午後10時くらいまでは明るいので、本当に日が陰るのは、ほぼほぼ、もう真夜中近くになります。

 ここ数年、夏の間、パリで40℃近い気温になることは珍しくなくなりましたが、今年は6月からこれが始まっており、この猛暑の期間が年々、長くなっている気がします。

 もうこうなってくると、家にいるのが一番、安全なのか?それとも、もうさすがに、こんなに暑い期間が長いとなると、とうとうエアコン買わなきゃいけないかな?とエアコンを見に行こうかとも思っています。


パリの酷暑


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2025年6月28日土曜日

メトロの車内パフォーマンス 歌だけではなくて踊り出した・・

 


 一瞬、涼しくなったかと思いきや、パリにはまた、鬼のような暑さが戻ってきています。まだ6月なのに・・と思うと、今年の夏はどうなることやら・・?と憂鬱になります。

 本来ならば、ヨーロッパの6月は暑くもなく、寒くもなく、一年で一番、気候の良い時期なはずで、そのためジューンブライドなるものがあったりするはずなのに・・これでは、この時期の結婚式も大変なことになりそうな気がしています。

 というのも、ここのところ、色々な路線のメトロに乗っていますが、冷房車にあたる確率が私の感覚では、半々くらい??な感じで、バスに至っては、冷房車にあたる確率はさらに低い感じです。

 いよいよ、夏のバカンスシーズンが始まった感じで、メトロの中も(路線にもよりますが・・)けっこうな観光客の割合が多くなってきて、まずまずの混みようです。

  そんな中、先日、メトロ1号線に乗っていたら、車内にミュージシャン?なんらかのパフォーマーのような人が乗ってきました。

 メトロの駅や車内でも、なんだかアコーディオンだったり、ギターだったり、なんらかの楽器を持って乗り込んできて、おもむろに音楽を演奏したり、歌を歌ったりし始めることは、珍しいことではありません。この日は、もう一つは、どこの路線だったか忘れましたが、メトロの中でパフォーマーに遭遇するのは2度目でした。

 この2度目のパフォーマーはボックスから音楽を流して、マイクを片手に歌を歌い始めました。マイケルジャクソンでした・・。ところが、この人、歌だけではなく、なんと狭い車内でダンスも始めたのです。

 メトロの中で歌を歌う人は珍しくなくても、ダンスまで始める人に遭遇したのは、初めてのことでした。メトロの駅ではなく、メトロの車内でです。

 最初は、私も、「いくらなんでも、メトロの中でダンスとは・・みんなちょっと退いてるじゃん・・」と思って見ていたのですが、そのうち、私の近くに立っていたおばさんが、なんだか、じわじわと彼に近寄り始めたのです。

 正直、そんなに上手な歌でもなかった感じなのですが、明らかに皆、最初はしらっとした感じだったのに、だんだん、のり始めていくのがわかりました。珍しい場面に遭遇したな・・と思いつつ、そのパフォーマーの人というより周囲の反応も面白くて、興味深く眺めていました。

 そのうち、すりすり彼に近づいて行ったおばさんがもう自分の身体をリズムに合わせ始め、ダンスをはじめ、また、反対側にいた若い女の子2人も腕を揚げて、踊り始めました。

 その間、約15分くらいだったでしょうか? けっこう盛り上がりを見せ始めたところで、彼は帽子を持って車内でチップを集め、チップを払ってくれた人とはグーパンチをして、あっという間に降りて行きました。

 本来ならば、メトロの駅構内や、車内で演奏したりするミュージシャンは、RATPのテストをパスした許可証が必用なようですが、この人がそのパスを持っていたかはわかりません。必ずしも、メトロにいるパフォーマーがこのパスを持っているとは限らないのが現実でもあります。

 とはいえ、ほんの15分ほどでしたが、珍しい光景に遭遇して、一瞬、暑さを忘れました。


パリ  メトロ ミュージシャン


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2025年6月23日月曜日

安定剤と睡眠剤

  


 私のかかりつけのお医者さんは、比較的、どんどん薬を処方してくれる人で、まあ、もう付き合いも長く、症状等を説明すれば、まず、その症状の原因を明らかにするために必用な検査をするように指示してくれて、その結果を持っていくと、その結果にあった診断をくだしてくれて、必用に応じて薬を処方してくれて、検査の結果によっては、薬の量を増やしたり、減らしたりしてくれます。

 概ね、彼女の診断は正確で正しいものであると思うし、信頼しているので問題はないと思っているのですが、もう長年にわたっているので、薬の種類や数はいつのまにか、けっこうな量になっているのです。

 まあ、それだけ、身体もガタがきているということなので、仕方ないといえば、仕方ないし、基本的には必要なものなのだとは思います。

 ただ、もう少し、例えば、食事について、こういうものを食べたほうが良いとか、こういうものは控えた方が良いとか、薬以外のもので、もう少しなんとかならないか?と思い、一度、彼女にも食事療法について聞いたことがあったのですが、それでは、効果は知れているから・・と、あっさり却下されてからは、自分で調べて、食事内容には気を付けるようにはしています。

 もっとも、私の食事は、日本食も多く、必ずしもふつうのフランス人が食べているようなものばかりを食べているわけではないので、やっぱり自分で工夫するしかないのかもしれません。

 そんな中、今、一番、気になっているのは、安定剤と睡眠剤です。

 そもそも、私が安定剤や睡眠剤を飲むようになったのは、夫が突然、亡くなってからのことで、その時は、本当に眠れないし、食べられないし、精神的にも極度に参っていたので、それまでは、安定剤や睡眠剤というものは、抵抗があって、飲んだことがなかったのですが、あの時は、ずいぶん、これらの薬に救われました。

 それでも、あんまり続けて飲み続けるのはよくないと思い、いつかはやめた方がいいとは思っていたのですが、どちらかというと、主治医は、「ムリしてやめなくてもいい・・」と、わりと寛容な感じでずっと、その習慣は続いてきていました。

 安定剤や睡眠剤に関しては、その頃に比べたら、量は減ったのですが、当時は、今、飲んだら、速攻で気を失いそうな量の薬を飲んで、やっと落ち着く感じだったので、精神状態と薬ってすごいもんだな・・と思います。

 最近では、睡眠剤はよほどの時だけで、寝る前に安定剤を飲んで寝るという感じが続いていました。

 ここのところ、睡眠に関わる病気になってからは、この睡眠に対して、わりと神経質になっていて、もしかして、この安定剤や睡眠剤もできたら、やめたほうがいいかも?と思い始め、現在は、これらの薬をやめています。

 しかし、フランスでは、意外とこの安定剤や睡眠剤を比較的、安易に処方してくれやすいようで、もちろん、医者の処方箋がないと買えないのですが、お医者さんの方もそれらを処方するのは、比較的、簡単に処方してくれる傾向にある気もします。

 もっとも、これは、お医者さんにもよるようで、私の友人に、お医者さんにちょっと頼みづらくて・・という人がいたので、もうここのところ、処方してもらってはいるものの、飲んでいない分の薬がたまっているので、ついこの間、ひと箱ずつあげたばかりです。

 だからといって、眠れないのは、しんどいことで、ちゃんと眠れなかった翌日はたちまち具合が悪くなるので、つくづく睡眠って大事だなぁと思っています。

 生前、母が「上手く眠れないと翌日、一日、体調が悪くなっちゃう・・」などと言っていたのを最近、よく思い出します。あの時は、母が言っていたことを大したことだと思わず、全然、わかっていなかったのですが、今なら、本当によくわかります。

 母がいたら・・体調面のそんなことを色々、話したかったな・・と思う今日この頃なのです。


安定剤 睡眠剤


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2025年6月22日日曜日

一人暮らしの秘密の喜び

  


 もう暑くて暑くて、もうバテバテで、土曜日には、今月最高の暑さになると、36℃になる見込みと予報が出ていて、もう今度こそは、家から出ずに家にいようと籠っていようと思った日の前日の夜、その日も汗をかいて、けっこう洗濯物もたまっていたので、夜のうちに洗濯をしてしまおう・・きっとすぐ乾くだろう・・と、家中から洗濯物をかき集め、その時に着ていた洋服まで全部、洗濯機に入れてしまいました。

 ここが一人暮らしの気楽なところで、私が洗濯機の前で着ているものを全部、脱ぎ捨てて洗濯機に入れてしまって、裸でいても、誰の目を気にする必用もなく、夜になってもけっこう暑かったので、そのままフラフラして、洗濯の終わるのを待っていました。

 またすぐに洋服を着ても、すぐに汗をかきそうだったので、なんだかそれも癪な気がして、なんなら、洗濯の終わったばかりのものをまだ乾いていない状態で着るのも涼しいかとも思ったのですが、せっかく洗濯したものをまた、汚すのもな~と思い、その日の夜は、どうせ暑いし、そのまま何も着ずに寝ることにしたのです。

 何も着ることなく横になるベッドは、殊の外、快適で心地よく、夜中に目が覚めることもなく、その日はぐっすりと眠れました。

 朝、裸のまま目覚めて、今日は暑いんだし、外にも出かけないのだから、なんなら、このままでいてみようかな?と思って、その日、一日は、何も着ることなく一日中、過ごしました。

 これが思いのほか快適で、なんだか、気分的にもとっても自由で開放的な気分で、どうして、今まで私は、服を着て(といっても家にいるときは部屋着ですが・・)いたんだろうか?とこれまでずいぶん、損してきたような気にさえなるのでした。

 考えてみれば、家はアパートの上階の方なので、外から家の中も見えるわけではなく、誰が来るわけでもなく、一人暮らしだったらば、全然、今までもOKだったわけです。

 とても他人に見せられる姿ではありませんが、自分がこんなことでとっても自由でこれぞ一人暮らしの醍醐味!とばかりに幸せと開放感を楽しめるのは、今まで想像したこともないことでした。

 その日、気温はやはり35℃を超え、とても暑かったのですが、なぜか、そんな些細な事で私はとっても満たされた気分でした。

 そんな時、日本にいる娘から電話がかかってきて、おしゃべりしていたところ、「実はね・・ママ、今、何にも着てないんだ~昨日の夜から・・家の中で裸でいるって凄く快適で幸せなんだ・・」と、そんな、しょーもないことを娘に話したら、娘が「私も家の中では、同じだよ・・」と。

 そういえば、娘も一人暮らしといえば、一人暮らし・・むこうは一軒家とはいえ、条件としては、ほぼ一緒です。

 しかし、母娘して、同じことしてるなんて、なんて母娘なんだ・・と、なんだか苦笑するしかありませんでした。


一人暮らし


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2025年6月14日土曜日

フランスでも報道し始めた日本の米騒動について

  


 日本で、お米の価格が上昇したり、スーパーマーケットの棚から消えている・・などという米騒動はネット等の報道で見ていました。

 海外生活を送っていると日本のお米というものは、本当に貴重なもので、日本に一時帰国した際には、日本のお米を必ず買ってきています。パリでもお米は買えますが、本当の日本米というものは、ないことはないのですが、高価で、日本米といっても日本の品種のイタリア産のお米・・とかいう場合が多いのです。

 ふつう、国民の主食となる食品については、あまり価格が高騰しすぎないようにある程度政府が介入して調整したりするものだと思っていましたが、そのあたりが上手く機能していないのだと思っていました。

 今回、こちら(フランス)の報道で見かけたのは、「日本は米の価格が高騰しているため、そして、選挙が近付いているために、3兆円もの費用を費やして全国民に140ユーロを支給する」というものでした。

 「4月に日本の店舗で売られる米は前年比で2倍に値上がりしたが、政府はここ数ヶ月、国の備蓄米を放出することで、この高騰を食い止めようとしていた」。「過去1年間の価格の上昇については、複数の要因が挙げられており、1つ目は記録的な猛暑のために供給量が減少したこと、2つ目は、2024年8月に巨大地震警報が発せられたためのパニック買いが起こったこと、そして記録的な観光客の流入が消費のさらなる増加につながったこと・・などとしています」

 しかし、そのどれもが要因の一端を担っていたとしても、それくらいで、お米が日常の供給に事欠くようになるのは、おかしな話です。

 ましてや、国民の税金で蓄えていたお米をまた国民に売りつけて、恩着せがましい感じのことを言っているし、さらには選挙前だからといって、ここぞとばかりに、その高騰しているお米のためにといって、国民にお金をばらまくというのはみえみえなやり口。

 そもそもは減反政策が度が過ぎていたのだろうと思いますが、なぜ、日本の美味しいお米の生産を減らすようなことをするのか?本当に疑問です。

 海外では、空前の日本食ブームを迎えて久しく、今やパリでもお寿司やおにぎりを売っていないスーパーを探す方が難しいくらいにお米は海外でも食べられています。

 おそらく、スーパーマーケットで売っているお寿司やおにぎりに使われているお米が日本製のお米とは思いませんが、日本のお米でもないおにぎり1個がいくらで売られているかご存知でしょうか?だいたい、安くて3ユーロ・・高いと5ユーロ近い(約500円~800円)のです。

 たいして美味しくもない外米のおにぎりでこの値段なのです。

 フランス人は、欧州の中でもかなり日本贔屓の人が多い国のような気がしていますが、同時に「ホンモノ」などへのこだわりを追求するというか、ウンチクを語る人が多いのです。

 これだけフランスでも浸透したおにぎりの元祖は日本、そして、本来使われるべき日本のお米で作られているおにぎりとなったら、多少、高くても彼らは喜んで買うのです。

 減反政策などせずに、日本の美味しいお米をたくさん作って海外にもっと売ればよいのに・・と本当に思います。海外では高くても売れるのですよ・・。

 農協の仕組みについては、よく知らないのですが、お米の生産・出荷を取り仕切っているのが農協ならば、農協は海外への輸出をもっと模索するべきだと思います。


日本の米騒動


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2025年6月3日火曜日

私がたまにラファイエットグルメに行ってみる理由

 


 私はお散歩というものが、あんまり得意ではなくて、できるだけ健康のためには、歩いた方がいいことはわかっているけど、そうそう何もなしに歩くということが苦手です。

 ことに、若い頃は、本当に歩かない人間で、「歩くくらいだったら、泳ぐ方がラク・・」とか、「あまり歩くと足が太くなる・・」とか、適当な言い訳をしつつ、およそ、歩くということをしてきませんでした。

 それでも、ジムには行っていたし(泳ぎに・・)、そこそこ運動はしていたし、何より若さゆえ、健康でした。

 ここ最近は、歩くことを心掛けているものの、犬でもいれば、お散歩に行くのでしょうが、私はネコ派で、健康にさえ問題なければ、猫のような生活が私の理想ではあります。

 そういうときは、お買物か美術館などが定番ではあるのですが、そのお買物スポットの中には、ギャラリーラファイエットグルメが入っています。なんといっても、ふつうのお店の1割から2割方、値段が高いので、もっぱら、美術館へ行くのと大して変わらず、どんな美味しいものがあるのかを見に行く程度です。

 さすがに品質の高い、美味しいもの・・しかも、新製品などがいち早く並んでいるので、ラファイエットグルメの中の店舗はだいたいいつも同じでも(とはいえ、けっこう入れ替わりもあります)季節によって、また、新製品が美しく並んでいます。



 食べることが何より好きで、食品を見て歩くのが楽しいので、効率よく美味しいものを探すには、絶好の場所で、なんなら、今まで見かけなかったお店が入っていたりして、これは、良さそうと思ったお店には、後日、本店を探して行ってみます。

 ということは、私にとっては、見本市のようなもので、せこいですが、ラファイエットグルメではあまり買い物はしません。とはいえ、今日は、今まで見たことがなかったPHILLIPE CONTITINIで今まで見たことのなかったパン・オ・ショコラ(生地がカカオ味になっていて、チョコレートが3本?入っています)を一つだけ買いました。




 あとは、ピエール・エルメの新作スイーツが出ていたり、他に新しくロールケーキのお店(PATISSELIER)が出店していました。




 ロールケーキは最近、時々、パリでも見かけるようになりましたが、食べてみてもいないのに、何ですが・・正直、ロールケーキの美味しいものは、日本の方がクォリティが高いのでは・・?などと勝手に思いました。

 地下の食料品売り場には、野菜、魚、肉、加工品等やお土産ものに使えそうな長期保存が可能なものがあり、1階(日本で言う2階)には、ストリートフードコートとワインのカーブを美しく展示している場所があります。




 これは、数年前にワインやシャンパンのカーブが大部分を占めていた場所をストリートフードコートに改造したスペースですが、早くもこのストリートフードコートに出店しているお店には、変動があるようで、スペースの一部は改装中でした。



 こうして、美しく、美味しそうな食べ物を見て歩いていると、いつのまにか、けっこう歩いているものです。


ギャラリーラファイエットグルメ


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2025年5月29日木曜日

睡眠時無呼吸症候群という病気について

  



 私が就寝時にマスクを装着して寝るようになってから、3ヶ月くらい経ちました。

 そもそも、私は、この病気であることがわかるまでにかれこれ、1年近く、色々な検査をしてきました。これまで、すでに、血圧が高かったり、肝臓の数値が悪かったり、甲状腺だのなんだのと、色々と問題があるとのことで、いつの間にか、私が日々飲んでいる薬は周囲が驚くほどの量の薬を自分では、そんなに驚くことなくあたりまえのように飲んでいました。

 薬は少しずつ増えていったので、友人が家に来たときに、山のような薬を見て、「えっ?そんなにたくさん薬飲んでるの?」と言われて、あらためて、「そうか・・多いのか・・」と初めて気付いたくらいでした。

 なので、体調が悪くても、ひとつひとつはそこまで深刻ではないにせよ、このうちのどれかが悪化してしまって、具合悪いのかな?と思っていました。

 体調が悪いといっても、その悪さはとても漠然としたもので、なんだか疲れやすくなった気がする・・くらいから始まって、そのうち、朝、起きたときのだるさが生半可ではない感じになってきて、寝てるのにこんなにだるくて疲れているってどういうこと?これは絶対、ふつうじゃないな・・と思い始めたのです。

 私の中では「だるい」=肝臓?というイメージがなんとなくあり、もしかして、肝臓ガンかも?などと思って、とりあえずかかりつけのお医者さんに相談して血液検査をしました。しかし、肝臓には特に変化はなく、次はもともと疾患があるとされている「心臓」の検査に行きました。

 心臓の方は、もともと問題があるため、1年に1回くらいは定期的に専門医にかかっています。しかし、こちらの方も特に変化はないとのことで、次にかかりつけのお医者さんが行ってみるようにと紹介してくれたのが「Pneumologue(呼吸器科)」でした。

 フランスにいて、というか海外にいて、最も心細いというか不安なのは病気になったときのことで、そもそも言葉が不自由?なところ、このような医学的なことなどになった場合に、余計にチンプンカンプンになりがちです。

 このプニュモログ・・という言葉も私はこれまで聞いたことがなかったので、最初に聞いたときには、「プニュ・・プニュ・・えっ?なにそれ?」となったのです。まあ、今はスマホですぐに調べられるので、不安はわりとすぐに解消されるのですが、それでも行ったことのない専門医にかかることは、やっぱりちょっと不安です。

 また、フランスの場合、これらの専門医はとにかく予約をとろうとしても、余裕で2ヶ月先、3ヶ月先になるので、ひとつひとつ検査をしていって、これでもない、あれでもない・・となると、余裕で1年くらい経ってしまい、ほんとに深刻な病気だったら、もう死んでるだろ・・って感じになります。

 結局、1度そのプニュモログに行って、簡単な検査と問診をしたのち、また、それから数ヶ月先に1泊入院して夜間睡眠時の呼吸状態を検査することになりました。

 検査の結果はすぐにわかるので、その検査の翌日、結果を聞きに行きました。検査の結果は、「Syndrome d'apnée du sommeil」(睡眠時無呼吸症候群)(アプネ・ドゥ・ソメイユ)だそうで、すぐに夜間時の呼吸のグラフのようなものを見て、お医者さんが、「アプネ・ドゥ・ソメイユ」ですと言われて、またまた、「アプネ・・アプネ・・ってなに?」となりました。

 日本語で言うところの「睡眠時無呼吸症候群」というものだそうで、睡眠時に誰でも、呼吸が一時的に止まっている瞬間というものがあるのだけれど、私の場合、その頻度が多すぎるということで、1時間に23回も呼吸が止まっているとのことで、「これじゃ、朝、だるいのも疲れているのも当然だね」と言われました。

 1時間に23回も呼吸が止まって、よく生きてるな・・と思ったのですが、とにかく、これを改善するためには、夜、寝るときに、酸素(というか空気が送られてくる)マスクをして寝てくださいということで、さっそくこのマスクの手配をしてくれました。

 一度、診断が定まってからは、早くて、それからすぐにマスクの設置に来てくれて、その機械の取り扱いの説明をしにきてくれました。

 日本語で色々と調べてみると、どうやら、「メタボのおじさんに多い病気」だそうで、「なぜ私が??」と、なんだか恨めしいような気持ちになりました。

 私は一人暮らしなので、当然、一人で寝ているので、夜中にどんな風に寝ているのかということは、わからないのですが、夜中にトイレに起きたり、朝、起きてみると、頭と足の位置が逆になったりしていたことはあったのです。

 つまり、呼吸が止まると無意識のうちに自分で体制を変えていたりするらしく、なんとなく、トイレに行きたくなった気がして、目が覚めていたのは、実はこの呼吸を回復させるために、覚醒させられるようになっているようで、呼吸が止まるたびに、心臓が余計に稼働しなければならなくなるために、心臓にも負担がかかることになるのだとか・・。

 マスクをつけて寝ることにはなかなか慣れず、最初は鼻だけのマスクだったのが、鼻孔がとんでもなく乾いて痛くなって、とても耐えられなくなったので、鼻も口も覆うマスクに変えてもらいました。

 なれるまでは、この機械を取り付けに来てくれたお兄さんがとても親切な人で、毎週のように電話をくれて、何度か様子を見に来てくれました。

 このマスクをして寝始めて、どうにか少しずつマスクにも慣れてきたとはいえ、今や睡眠の大切さを痛感し、少し良い枕に変えてみたり、マットレスを追加してみたり、色々、工夫しています。

 空気が送られてくるマスクをして寝なくてはならないなんて、障がい者になった気分ですが、これは障害ではなく、あくまでシンドロームなんだそうです。

 現在の睡眠時の呼吸がどんな風になっているのかは、正直わからないのですが、データは、オンラインで繋がっていて、いつでもお医者さんがチェックできる状態なんだそうです。

 一度、チェックに来てくれたお兄さんが、「あなたは、まじめに毎日、ちゃんとマスクして寝ていてえらい!」、「ふつう、こんなに真面目に毎日してる人いないもの・・フランスでは・・」と言われて、「えっ??だって治したいじゃない・・」と、なんか、こんなことで褒められても・・と複雑な気持ちになりました。

 とりあえずは、6ヶ月間、これを続けて・・と言われたので、「6ヶ月後には、これがいらなくなりますように・・」と思っていたのですが、このお兄さん曰く、「ふつう、これを使い始めたら、もうずっと使っている人の方が多いけど・・」とのことで、またガックリ。

 もしかして、夜、寝たまま、朝、起きてこなかった・・という話を聞いたことがありますが、これが悪化すると、そういうことになるのかな?と思うとまた、もやもや・・。でも死に方としては、悪くないかもしれないとも思ったりもしました。

 しかし、生きている間は元気で楽しみたいので、これで少しでもよくなって元気になれれば・・と今は、頑張って続けています。

 

睡眠時無呼吸症候群


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2025年5月26日月曜日

予期せぬ涙に震えるとき 

  


 私は子どもの頃は、涙もろいというか、めそめそ泣き虫の子どもでした。 大人になってからは、人並みに涙をこらえることができるようになり、そうそう泣くこともなくなりました。

 それでも、悲しいことがあったとき、嬉しいことがあったとき、また感動的な映画を見たり、本を読んだりして、涙することは、それなりにあります。

 しかし、全く予期せぬタイミングで涙が溢れてきて、こぼれる涙に気が付いた瞬間に心が震えていることに気付かされることがあります。

 今までの私の人生では、このはっきりと理由がわからない予期せぬ涙に自分自身が驚くということをこれまで2回だけ体験したことがあります。これは不思議な感動です。

 一度目は、ずいぶん昔の話で、初めてイギリスに留学して、最初の日曜日にセントポール寺院の礼拝に参加したときのことでした。もちろん、その時はセントポール寺院に足を踏み入れるのも初めてのことで、その日はパームサンデーという特別な礼拝で(そんなことは知らずに行った)、荘厳な雰囲気に聖歌隊の少年たちの歌声が聖堂内に響きわたっていました。

 当初は一年間の予定の留学で、まだ右も左もわからないロンドンの街並み、思うように出てこなかった英語。不安も抱えつつ、これからやろうとしていることにワクワクしていました。

 そんな中、ロンドンで最初に参加した礼拝(といっても私は信者でもなんでもない)の最中に、私は自分の目から、いつのまにか涙が溢れてこぼれていたことに気付いて感動したのでした。

 理由がはっきりしている涙というものは、それなりに心が動かされていることを自覚しているので驚きというものは、ないのですが、涙が先で、自分でも「えっ??私、泣いてる?」と気付かされるのは、二重の意味で感動的な体験です。

 そんな経験は長い間、ずっとなく、しかし、あの感動的な涙については、時折、思い出しては、「あれは一体なんだったんだろう?でも感動的な涙だったな・・」と思うのでした。

 それが、つい最近、といっても、前回日本に一時帰国した時のフランスに帰国する際のフライトの中で起こりました。

 原稿の締め切りが迫っていた私は、これは、もう長いフライトの間で書くしかないな・・と思って、飛行機に乗って、離陸して少し落ち着いた頃に、「さて・・」と原稿にとりかかろうと準備を始めました。

 集中するためには、ふだん、家ではクラッシック音楽(モーツァルトのことが多い)を聴きながら書くことが多いので、飛行機についているオーディオライブラリーのようなものから、選曲しようとしたところ、思ったものが見つからず、その中でもクラッシックっぽい?ベートーベンの第九を選びました。

 私が行っていた学校でベートーベンの第九の合唱を原語で歌う・・ということを課している学校があり、学生時代はなんと、面倒なことを・・とドイツ語もわからないのにカタカナのふりがなをふり、かなり長期間練習させられたことを憤懣に思っていましたが、その後、社会に出て、しかも海外に出てからは、「第九を原語で歌えるよ!」というのは、けっこうウケの良い話で、たま~に思い出しては、口ずさみながら第九を聴くことはありました。

 原稿を書くつもりで聴き始めた第九に、「あ~久しぶりだ・・これこれ・・」と思いながら、心の中で歌いながら聴いていると、気付くと私の目には涙が・・この時の涙は、零れ落ちるというより、むしろ、最初はもう号泣に近い感じになっていき、「あ~これ・・セントポール寺院のときみたいだ・・」と自分が涙したことそれ自体がもう感動で、わけがわからなくなっていました。

 これも、懐かしさもあったのでしょうが、色々な気持ちが蘇ってきて、でも、単に懐かしいという気持ちではなく、涙までこぼれてくる・・自分の心の奥底にあるなにかが震えている・・ということが感動的でした。

 無意識の世界で自分の心が震えているということが何よりも感動的で、意味もよくわからず、この時のフライトはほとんどずっと第九を何度も何度も聴きながら長いフライト時間を過ごしたのでした。

 心が震えることって素晴らしい感動です。


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2025年5月21日水曜日

専業主婦と共働きと・・

  


 私が子どもの頃は、日本では専業主婦がふつうで、実際に私の周囲の友人のお母さんたちは、ほとんどが専業主婦で、今から思えば酷い偏見だったのですが、お母さんが働きに行っているというと、「よっぽど経済的に厳しいおうちなんだな・・」と思うくらいでした。

 私の母は、仕事をしていたといえば、仕事をしていたのですが、家で子どもたちを集めて英語を教えていたという、当時ではあんまりない感じで、しかも、そもそもは私に英語を教えていくのに、親子二人でというよりも、数人の子どもたちに私を混ぜて教えるために始めたことで、そして、何よりも母は英語が大好きで(本人は英語の音が好きと言っていた)、半分は趣味(といったら、失礼ですが・・)のような感じで、母自身がとても楽しんでやっていたし、外にお勤めに出るというわけでもなかったので、あまり母が仕事をしている・・共働きをしている・・という感覚が私にはありませんでした。

 今から考えると、私は実に自分の将来というものを漠然としか考えてこなかったし、将来、きっちりとした仕事を持つということも、具体的には考えてきませんでした。

 ある程度の年齢になったら、結婚するだろうし、今では死語だと思いますが、よもや自分が煙たがられながら、オールドミス、お局・・などと言われながら会社に居続けるようになるとも思っていませんでした。

 時代と言ってしまえば、それまでですが、私はいわゆる適齢期と言われる年齢には結婚もせずに留学をしたりして、なんとなく自分がやりたいことに少しでも近づこうともがいていました。

 ただ一つ、私が考えていたことは、子どもを育ててみたいということで、しかし、それには、タイムリミットがあり、特に結婚願望らしいものはなかったのですが、そのタイムリミットに近い頃に知り合った男性と一緒に生活することになりました。

 それから、私の本格的な海外生活が始まったのですが、アフリカでは、フランス語の勉強のために大学に通い、そして出産、フランスに来てから1年後に再び仕事を始めました。

 海外で仕事を探すのはそんなに容易なことではありませんし、ビザの申請等に1年近く時間がかかったこともあり、なんだかドタバタした感じ・・しかも、娘はまだ生まれたばかりで、初めての子育てに必死なところもありました。

 フランスでは共働きがふつうのことなので、仕事さえ見つかれば、あまり抵抗もなく、むしろ、子どもから解放される時間が持てることや、家とはまた別の世界を持つことができるということも、今から考えれば救いでした。

 仕事があまり時間的に融通が利く仕事でもなかったこともあって、大変なこともたくさんありましたが、夫が亡くなるまでは、私は娘の学校のママたちとのお付き合いなどもほとんどしたことがなく、実際にそんな時間もなかったし、知っている顔といえば、バレエのお稽古などで顔を合わせるママさんたちや、お誕生日会などに娘がお呼ばれしてお宅に送り迎えに行くくらいだったし、実際に周囲のママさんたちも仕事をしているので、お互い忙しくしているのがふつうな感じでした。

 娘の小さい頃の時代でさえも、専業主婦というママには、ほぼほぼお目にかかったことがありませんでしたし、いても、逆にそんな専業主婦を(半分はやっかみもあったのかもしれませんが・・)白い目で見ているママたちもいたくらいです。

 今は日本でも専業主婦は少なくなったと聞きますが、ずいぶん時代が変わったんだろうな・・と思います。

 しかし、どちらにせよ、私は何の計画性もなく来たのに、よくもここまで仕事をしてきたもんだ・・しかも海外という暮らしづらい場所で・・。逆に考えれば、あまり選択肢がなかったために、そうせざるを得なかったというところもありますが、なんとかなるものです。

 それにひきかえ、娘などを見ていると、そもそも、自分でしっかり仕事を持って、ちゃんと自立して仕事していくことを若い時から考えて、それなりの学歴も持って、着々と仕事をしているのを見ると、我が娘ながら、すごいもんだ・・と思います。

 今から人生をやり直すつもりもありませんが、早くに目標を定めてそれに向かって努力していけば、ずいぶんとムダのない人生になっただろう・・と思います。そう思うと私は、ムダなことしかしてこなかった気もしますが、言い訳させてもらうと、ムダなことほど楽しくて、なんなら、ムダなことなんてありません。

 私の周囲は、独身の友人が多いこともあって、日本にいる友人でも専業主婦をしている友人は一人しかいませんが、仕事を持っていても、専業主婦をしていても、それなりに充実した人生を送っているようで、どっちもいいな・・どっちも経験してみたかった・・とも思います。でも、もしも、私が仕事をしてこなかったら、子どもがいなかったら・・つまらなかったかもしれないな・・とも思います。


専業主婦 共働き


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2025年5月20日火曜日

セーヌ川での遊泳解禁! パリ市が公開するセーヌ川沿いの3スポット

   


 昨年のパリオリンピックのセーヌ川でのトライアスロンも最後のギリギリまで、その水質上の安全性で中止・決行とドタバタ劇を演じ、パリ市長がデモンストレーションで泳いで見せたり、マクロン大統領まで泳いで見せる(結局、彼は実際には泳がなかった)と見栄を切ったりして、物議を醸してきましたが、結局、トライアスロンは強行され、傍目からも、「何の罰ゲーム?お気の毒に・・」と思わないでもありませんでした。

 セーヌ川での水泳問題はこのオリンピックで終わりだと思っていたら、全然、これに懲りていなかったどころか?同じテンションパが・・パリ市ではまだ続いていたのです。

 なんと、パリ市は7月5日から8月31日まで3つの新しい自然水泳場(ブラス・マリー、グルネル、ベルシー)をオープンさせるそうです。

 「今年の夏、パリ市民と観光客は、セーヌ川での水泳が禁止されてから100年を経て、セーヌ川での水泳の楽しさを再発見するだろう!」というなんとも「は~~?」と反応に困るようなフレーズを発表しております。

 これは単なるジョーク?ではなく、パリ市はパリプラージュと同時にセーヌ川遊泳スポットを公開するらしいです。

 見るからに、相変わらず、「ここでホントに泳ぐの?」と尻込みしそうな外観のセーヌ川で、どれだけの人が実際に泳ごうとするのかは、疑問ではあるものの、とりあえず、この遊泳スポット3ヶ所がオープンするらしいです。

〇マリーアーム(プラスマリー)

ここはシュリー橋のふもと、サン・ルイ島に面したスポット

月~土 am 8:30 ~am 11:30 , 日 am 8:00 ~ pm 5:30  約 70m ×20m 150人収容?可能

〇ベルシー地区

フランス国立図書館の向かい側、シモーヌ・ド・ボーヴォワール歩道橋の両側、ベルシー公園のすぐ下

毎日 am11:00 ~ pm 9:00  収容人数 700人(水泳エリア300人を含む)

35 x 12.5 mと67 x 11 mのプール2つ

〇グルネル

イル・オ・シグネの向かい側、エッフェル塔のすぐ近くにあるグルネル水泳エリア

大きなソラリウムと家族連れや子供向けの安全なプール(深さ 40 ~ 60 cm)が設置 カヤックあり

いずれのスポットでも更衣室、シャワー、トイレ、受付、救急ステーションなどが完備される予定になっています。

こうして見ると、単にセーヌ川というだけでなく、プールが設置される(もしくはすでにプールがあるエリア)ではあるので、実際にセーヌ川で泳ぐという選択をしなくともよいのかもしれません。

 しかし、けっこうな収容人数を公表していて、そんなに勇気のある人いる?とも思うのですが、これらのエリアは無料で提供されるとのことなので、水遊び程度なら・・また、話のタネに・・と訪れる人もけっこういるかもしれません。

 気になる水質の安全については、地域保健局(ARS)が公衆衛生法及び、欧州指令に基づいて、水質管理を行うと言っています。

 パリ市はこの水質検査について、パリオリンピックの際に実施した自動細菌モニタリング装置(従来は実験室での分析に24時間~48時間かかっていたところが、大腸菌や腸球菌などの細菌の存在を15分~20分で検出可能)を利用するそうです。

 これまで夏の間、セーヌ川沿いをビーチ風に仕立て上げてきた「パリ・プラージュ」はけっこうそれなりに美しくモダンな感じに仕上がっていましたが、さらにステップアップして、ついに遊泳場となるのか・・と思うと、まず第一にセーヌ川の水面を見て、そこで泳ぎたいと思うかどうかは、また別問題。

 実際にはどんな感じになるのかは、7月になったら見に行ってみようと思っていますが、今のところ、楽しみ?というよりも怖いもの見たさ・・という感じです。


セーヌ川遊泳場


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2025年5月17日土曜日

恐怖の腹痛に見舞われた夜と翌朝の歯医者

  


 最近、睡眠障害から、なにやら空気が送られてくるマスクのようなものを着用して寝るハメになって、その奇妙なマスクになかなか慣れなくて、眠りにつくまでに少々、時間がかかるようになっていました。

 それでも、睡眠は大事・・と自分に言い聞かせ、きちんと眠ることが治療なのだからと、一生懸命、寝るように心がけてきました。一生懸命、寝るというのもおかしな感じですが、睡眠に対して、生まれて初めて真剣に取り組んでいるような気持ちです。

 最近、ようやく、このマスクにも慣れ始め、まあまあ少しずつ、マスクをしていても眠れるようになってきたのですが、昨夜は眠るには眠れたものの、夜中から明け方にかけての時間帯に、なぜか妙にお腹の奥底で鈍い痛みを感じて、目が覚めてしまいました。

 吐き気がするとか、下痢のようにトイレに行きたいとか、そういうのとも違う感じで、しかし、この正体がわからない鈍い痛みが何なのか?このまま、また寝付けはしない感じの気味の悪い痛みでした。

 電気をつけてしまえば、また目が冴えてしまいそうだったので、そのまま、一応、トイレに行っておこうと思って、トイレに座り込んだが最後、急激にお腹の痛みが増してきて、脂汗がとまらなくなりました。

 だからといって、上からでも下からでも(へんな表現で失礼)、痛みのもとが出てくれたら、早くすっきりするのにと思いつつ、必死に片手にしていた本を読みながら、なんとか気を散らそうとしつつ、トイレでその痛みが去ってくれるのを待ったのですが、そんな時に限って、読んでいた本は読み切ってしまうという運の悪さ。

 真夜中にトイレにこもってひたすら脂汗が出てくるのに耐えるというのは、怖いものです。

 なんか、悪いものでも食べたのか?いやいや、生ものとか、怪しいものは食べていないので、何なのか?思い当たることもありません。

 2時間くらい経った頃でしょうか? ようやく気が確かになってきて、なんとかベッドに行っても大丈夫かも・・?と思ったので、再び寝ることに・・。

 しかし、翌朝、早くには、こんな時に限って、久しぶりの歯医者さんの予約が入っていたので、携帯のアラームをかけることに・・ふだんは滅多にアラームをかけることがないので、気が付かなかったのですが、アラームをかけると、あと〇時間後・・というのが出るのですね・・なんと、2時間後・・という表示が出て初めて、そんなに長い時間、トイレで一人で格闘していたのか?と気付いて、あらためて、ガックリ来ました。

 とにかく、ふつうじゃなかった痛み・・これはこれで来週、かかりつけのお医者さんに予約を入れました。まったく医者通いばかりが増えて、自分でも情けないです。

 久しぶりの歯医者さんは、来るたびにキラキラ綺麗になって行く様子。来るたびに思うのですが、子どもみたいだけど、歯医者さんって本当に嫌いです。

 奥歯の詰め物がとれてしまったところが欠けそうになって・・と言うと、さすがにずっと通っている歯医者さん・・しっかり私に関するデータが蓄積されていて、「その歯は、2013年に治療したところだから、もう寿命だったわね・・治療には、セラミックだと300ユーロ、それよりもっとよくしたければ、500ユーロかかるわよ」と。

 これはこれで、別の意味で具合が悪くなりそうなショッキングなニュース。

 奥歯だし、インプラントとかでもないので、もう最低限の治療で良いです・・と答えながら、昨夜の腹痛の次はまた別の痛み・・。

 いつも思うのですが、歯の治療をしてくれている間は痛みに耐えながら口をあけているというのに、なんで、歯医者さんというのは、こんなに人に話しかけるんだろう? と。

 歯医者さんて、お医者さんではあるものの、なんだか職人というか工事してる人みたい・・などとぐるぐる考えながら、昨夜、あまり眠れていないせいもあって、久しぶりの歯医者で、ガリガリと歯を削られたり、レントゲンを撮られたりしながら、もう気を失いそうになりながら、ひたすら、少しでも早く、ここから退出したい・・とひたすら願っていたのであります。

 それでも、この日の治療はあまり時間がかからず、30分ほどで終わりましたが、なんだか、昨夜はいつ寝たんだか?起きたんだか?よくわからない・・一日が昨日からずっと繋がっているような妙な一日でした。

 歯医者さんには、できるだけ行きたくないので、念入りに歯磨きもしているのに、やっぱり定期的に来るハメになることをひたすら恨めしく思うのです。


腹痛 歯医者


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2025年4月29日火曜日

日本入国のためのオンライン事前申告渡航認証システム JESTA 前倒しで2028年度に導入

 


 ついこの間、イギリスでのETA(電子渡航認証)が始まって、すでにアメリカ、カナダ、オーストラリア、韓国などにも導入されているという事前申告渡航認証システムは、日本では、当初、2030年までに年間6,000万人の観光客を目指すとともに、このシステムを2030年までに導入すると発表していました。

 しかし、すでに続々と世界の国々がこのシステム導入に踏み切っており、欧州では、欧州30ヶ国への渡航システム「Etias」(欧州渡航情報・認証システム)を2026年にスタートすることを発表しています。

 この世界的な潮流に、日本は2030年導入の予定を2028年度に前倒しすることを決定したようです。

 この日本の新しいシステムを私はフランスのニュースで知ったのですが、「日本は外国人観光客の急増を受け、政府はJESTA制度の導入を前倒しすることを決定した」というもので、米国のESTAや英国のETAなどのモデルにヒントを得たこのシステムはビザが免除される旅行者を評価することを可能にする」のだそうで、約71ヵ国の外国人日本入国者はこの電子認証を取得するために、個人情報と滞在期間中の予定を申告しなければならないと説明されています。

 このアプローチは、何よりもまず、国境管理を強化しながら到着者の管理の改善することを目指しています。

 このJESTAシステムは、通常90日までの短期の観光または商用滞在のビザ免除旅行者を対象としており、旅行者は出発前に訪問理由や宿泊先の住所などをオンラインフォームに登録する必要があるそうです。

 日本政府は「管理を強化し、入国審査を円滑にするためにも、このシステムを早急に稼働する必要がある」としています。

 旅行者は出発前にJESTAを取得しておく必要があり、この申請が拒否された場合は、日本行きの飛行機に搭乗できなくなります。

 これにより、最初からリスクプロファイルを特定することができ、不正な滞在を防ぐことが可能になるそうです。とはいえ、不正に滞在しようとしている人々は、正面から、正規の方法では入国しないのでは?などと思ってしまいます。

 とりあえずは、このシステム導入は良いことだとは思いますが、その後のこの情報をどのように管理できるのかも疑問が残るところでもあります。

 もっとも、このJESTAに関しては、日本人には必要ないものなのですが、今後、多くの国では、同様のシステムが日本よりも早くに導入されるので、行く先々で、その国の渡航認証システムを取得する必要が出てくる・・そんな時代になりました。

 もうパスポートだけじゃ旅行できなくなるのね・・。


JESTA オンライン事前申告渡航認証システム


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2025年4月28日月曜日

家についている猫と家についている私

   


 「猫は家につく」と言いますが、最近、私も家についているな・・と思います。「ついている」というのは、ラッキーという意味ではなく、(住居に困っていないという意味ではラッキーですが・・)、家が好きという意味です。

 我が家の猫は、生まれて2ヶ月ほどで我が家にやってきて以来、ほぼほぼ外に出ることのない生活をしていることもあり、まさに内弁慶というか、外に出かけるのをとても嫌がります。

 最近は、もう無理に連れて出ることもやめてしまいましたが、娘が家にいた頃は、歩いて20分ほどの夫の眠る墓地に行く際に一緒にお散歩させたりもしましたが、家から出てしばらくは、ほっておくと、我が家に向けて一目散に駆け戻ってしまうので、近くまで抱きかかえて行って、その先はなんとかなだめすかして散歩させる・・それでも、途中、何度も抱っこしては、おろし・・を繰り返し、墓地の中だけでは、なぜかリラックスしているのですが、彼女にとって、お出かけは大変なストレスのようです。

 家の中は、すべて彼女の好きなように、時間帯によって、陽あたりのよい場所を移動して、勝手気ままにしていますが、食事の支度をはじめたりすると、どこにいてもすっ飛んでやってきます。

 日常的にはとても穏やかなのですが、嫌いな人がやってくると牙をむき、唸って威嚇します。そんなわけなので、とても外に預けることは無理そうで、私が旅行する時などは、知人に頼んで、家にご飯とトイレの世話に来てもらっています。

 人懐こいわけではないのに、微妙に側にいたがり、今もパソコンと私の間のちょうど私の腕に触れるか触れないかの微妙に邪魔な位置に寝ています。

 完全に家についている猫なのですが、最近、私もこの家、というかこの空間が一番好きで落ち着くな~としみじみ思います。旅行するのは楽しいし、温泉などもとても快適で気持ちよいのですが、生活空間としては、やっぱり我が家が一番、落ち着きます。決してきれいでも、近代的でも素敵でもないアパートですが、私の生活には、現時点ではとても快適です。

 もともと、今の家に引っ越してきた時には、夫と娘と3人で、今考えると、よくこのスペースに3人で住んでいたな~と思うのですが、夫が亡くなった当時はなんとなく、一人いなくなっただけで、なんとなくガランとした気がしたし、それから大分たって、娘が独立したときも、なんとなく、広くなった気がしたのですが、今では、これがちょうどいい感じになっています。

 夫と二人で使っていた寝室はもちろん、今は私一人で大き目のベッドに悠々と寝て、娘のいた部屋はすっかり倉庫状態(我が家にはフランスのアパートにはたいていあるカーヴ(倉庫蔵のようなもの)がない)。夫が亡くなってからは、ずいぶん、彼のものも処分したし、娘のものは、まだたくさん残っているものの、それでも少しずつ減らしています。

 にもかかわらず、現在の娘の部屋の倉庫としての変容ぶりには、ずいぶんと処分したはずなのに、なんでこんなにたくさんのものがあるんだろうとちょっと不思議な気もします。

 娘が帰ってきたときや、誰かが泊まりに来たときは、娘の部屋をなんとか俄かに片付けて使ってもらっているのですが、今度、誰かが来た時には、どうしよう?とちょっと不安になるくらい、とっちらかっています。

 私の部屋と倉庫になっている娘の部屋、そして、サロン(居間)と台所、台所はわりとスペースがあるため、テーブルに椅子、テレビもパソコンもあって、おそらく、私はそこにいる時間が最も長いです。

 サロンには、ソファや低いテーブル、ピアノなどが置いてありますが、他の部屋よりは少し広いために、もっぱら私の運動場というか、ヨガマットなどが備えてあります。

 その先には小さいスペースですが、ベランダがあるので、ベランダでは日本の野菜を少しずつ育てています。今は小松菜や水菜、春菊、わさび菜、小葱、山椒の葉などが採れています。

 私の育った東京にある実家は、2階建ての家で、私の部屋などは、2階にあったので、階段の上り下りのいらない(年寄りくさい気もする)今の家はずっと暮らしやすい気がしています。

 とにかく、全て家の中を自分の好きなように使い、好きな時に好きなようにできる今の家が何より心地よいのです。もしかしたら、私がいつまでもフランスにいる理由はこの空間を自由にしていられる・・周辺の環境や、だいたい30分以内でパリの好きなところには、どこにでも行ける・・そんなことを含めての環境だとも思うのですが・・。

 食べ物だけは、日本での食べ物には執着が断ち切れませんが、それも年に1~2回日本に行った際に山ほどの食料を持ち帰り、パリ市内で何がどこに行けば買えるかもだいたい承知しているので、日本のように簡単に手に入るわけではありませんが、困ることもありません。

 要は、自分の空間を自分の好きなように使えている今の家がとても心地よく、「猫が家につく」のと同じように、「私も家についているな・・」と思う所以です。


猫は家につく


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2025年4月27日日曜日

娘の手術と入院に心配したり・・ホッとしたり・・嬉しかったり?・・

 


 3月の初めにスキーで大ケガした娘ですが、しばらくは、本当に動けなかったようですが、その後、足にプロテクターのようなものをつけ、松葉杖を買って、どうにか、ゆっくりとなら、日常生活が送れるようになっていました。

 とはいえ、それは、一時的な処置なだけで、4月の半ば過ぎに入院して手術することが決まっていて、命にかかわるものではないとはいえ、やはり入院・手術・その後のリハビリとなると、離れていれば、勝手に心配するばかりの日々が続いていました。

 最初に怪我をしてから、いくつかの病院にかかって検査をしたり、その後の手術をしてもらう病院を選んだりと、日本で生まれ育ったわけではない娘にとっては、初めてのことばかりということもあり、どこまで日本語、大丈夫かな?と思ったりもしていたので、余計な心配もしていました。

 幸いなことに彼女はこれまでフランスでも入院や手術ということは経験がなかったので、どちらにしても一緒なのですが、やっぱり心配のひとつは、日本の医療システムというものがわからないだろうにな・・(という私も今は日本の医療システムについては、よくわからないのですが・・)と思っていたのです。

 しかし、初期に検査や診察をしてもらったお医者さんで、いくつかの大きな病院を紹介してもらった中から、彼女は、家からはあまり通いやすい場所ではないけど、特にリハビリがちゃんとしているといわれる病院を選んで入院しました。

 じん帯がたぶん切れているだろうとのことだったのですが、あけてみなければ、その状態ははっきりしたことはわからないということだったのですが、いざ手術してみると、やはりしっかり切れていたようです。

 手術は全身麻酔ということだったので、親としては、全身麻酔だけでも心配でした。手術は4時間ほどかかったようですが、麻酔からもしっかり目覚めたようです。

 2月に私自身は、検査のためにフランスの病院に一泊だけですが、入院したのですが、その際の食事が酷くて、日本の病院はどうなんだろうか?などとそんなことも心配していました。

 しかし、彼女曰く、薄味だけど、まあまあ大丈夫な食事なんだそうで、少々、量が少なめだけど、ほとんど動けないから、これくらいの方がいいかも?むしろ、きちんとカロリー計算もされているし、バランス良いお食事なんだそうで、フランスとは全然、違うようです。

 現在は、手術後のために、車椅子でしか動けないのだそうですが、それでも足を使わないリハビリというものがあるのだそうで、それを1日40分程度やるくらいで、あとは、病院でもカンファレンスルームを貸してもらって、仕事をしているのだそうです。

 そんな様子を時々、電話してくれたり、LINEしてくれたりして、知らせてくれるので、手術が無事に終わったと本人から電話をもらったときは、ホッとして思わず泣きそうになってしまいましたが、こうして、離れていても連絡を取れる時代になったということは、ありがたいことです。

 海外にいて、医者にかかることは、私も最初はとても不安なことのひとつだったので、娘についても診察等、しかも手術・・となると日本語という面でも大丈夫なのかな?とも、少し心配していたのですが、全く大丈夫だったようで、内心、私の日本語教育もここまでできれば、もうコンプリートかな?と思って、ちょっと嬉しかったりもしました。

 彼女が入院しているのは、大部屋?で他の患者さんたちとも同室なのだそうですが、他の患者さんたちは、けっこう、重病なのか?全然、ベッドから起き上がることがないので、全然、話すことはないのだそうです。

 個室じゃなかったら、冷蔵庫とかあるの?と聞いたら、冷蔵庫は有料だから、使ってないとかで、けっこう稼いでいるのに、相変わらずしまり屋です。もっとも、飲み物くらいは欲しいでしょ・・と言っても、彼女はふだんからとにかく水だけ・・しかも常温でしか飲まないので、冷蔵庫はいらないと頑として冷蔵庫も使っていないようです。

 この際、病院から出されているものだけで過ごして、身体を整えるとのことで、まあ、好きにしたら・・というか、しっかりしているというか・・。

 もしも、私が日本にいたら、せっせと何か食べ物を作って運んだりしそうなところですが、こんな機会はそれはそれとして、前向きに過ごそうとしている娘のたくましさを感じています。

 しかし、やっぱり病気になったり、怪我をしたり・・となると、離れているのはもどかしいところですが、ひとまず、無事に済んで、より一層、たくましく生活している娘を頼もしく感じたり・・まだ、最低でも一週間くらいは入院生活が続きそうですが、遠くから娘の回復を祈っている毎日なのです。


じん帯切断 入院 手術


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