2019年8月25日日曜日

イギリスのホスピスにいた、ある青年とお母さんの話




 私は、二十歳になるまで、身近な人の死を経験したことがありませんでした。

 私が初めて経験した身近な人の死は、祖父の死でした。
祖父は、最後をチューブに繋がれた状態で、家族も近づかせてもらえない、寂しい最期でした。

 祖父の死に方に疑問を抱いたことをきっかけに、私は死生学の勉強を始め、何年かのちに、現在のホスピスムーブメントの牽引となっていたシシリー・ソンダースのオープンしたセントクリストファーホスピスをはじめとしたホスピス大国であるイギリスのホスピスにスタージュに行きました。

 私がスタージュをさせていただいたのは、ロンドンの北部に位置するベルサイズパーク駅から5分ほど、道幅の広い、緑に囲まれた静かな住宅街の中にある EDENHALL MARIE CURIE CENTRE というマリーキューリー記念財団の運営するホスピスでした。

 そこで、私は、約一年間、死を目前にひかえた人々にたくさん接し、彼らとお話をし、色々な場面を目の当たりにしてきました。

 死を目前に控えた人のための施設ということで、初めて、足を踏み入れるまでは、私は、もっと緊迫したような空気を想像していました。

 ところが、そこは、私の想像とは、かけ離れた、ゆっくりとした暖かい空気の流れる空間でした。そして、私のような外人の拙い英語にも関わらず、患者さんは、意外にも色々な話をしてくれるのでした。

 人が最後に話したいことは、何なのか? 人の心に最後まで宿り続けるものは何なのか? 私には、とても興味のあることでしたが、それは、家族の話でした。

 可愛い妖精のような娘の話とか、料理上手な妻の話とか、優しい夫の話とか、それは、たとえ、もうその家族が亡くなっていたとしても、彼らの心を占めているものは、家族だったのです。

 その中でも、最も印象的だったのは、ピーターという、まだ二十代半ばの青年とそのお母さんでした。

 彼は、個室に入っていましたが、ほぼ、彼のお母さんがつきっきりで彼の看病をしていました。看病しているというよりは、一緒の時を過ごしていたという方が正しいかもしれません。

 まだ、私がホスピスに通い始めてまもない頃、他のキャサリンというスタッフに付き添って、彼の部屋を訪れた時のことでした。

 ”初めまして、日本から勉強に来ています。よろしくお願いします。”と言った私は、いきなり、キャサリンに注意されました。

 彼は、まったく耳が聞こえず、口がきけないのでした。

 私は、彼のベッドサイドへ近寄り、ただ、ニッコリと手を差し出して握手をしました。窓からたくさんの光の差し込むベッドの中から、ゆっくりと手を差し出す彼の穏やかな眼差しは、彼の若さとは裏腹に、また、言葉がない分、私には、余計に深いものに感じられました。

 日焼けした彼の顔からは、ガンの末期だなどとは想像もつかない感じでした。

 しかし、彼と彼のお母さんは、なぜ、こんなにもこの人たちばかりに・・と思ってしまうほど、考えうる不幸を思い切り背負い込んだような二人でした。

 彼は、生まれた時から耳が聞こえず、口がきけず、彼の父親は彼が5才の時に亡くなり、彼のお母さんは、女手一つで、彼を育ててきたのです。ここに来る前までは、ROYAL SOCIETY OF DEAF という施設に通って生活していましたが、肺ガンにかかり、2ヶ月ほど前にガンが発見された時には、もうすでに、末期の手遅れの状態で、やむなくここに入院してきたのでした。

 そんな、辛い境遇の中、この二人、特にピーターのお母さんは、とても明るい人でした。最初に病室を訪れた時も始終、笑顔で「今日は、私たち、これをいただくのよ!」と、シャンパンの瓶を大事そうに抱え、「よかったら、ご一緒にいかが?」と朗らかに言いました。(そのホスピスでは、アルコールもタバコも禁止ではありませんでした。)

 それから、何回か病室をのぞきましたが、彼女は常にピーターと共にいました。

 彼女たちに振りかかっている苦悩に満ち溢れた現実とは裏腹に、なんだか、たわいもないことをしているのに、彼の部屋は暖かい幸福な空気に包まれ、実にゆっくりと時が流れているようでした。
 それは、暖かい陽だまりのような、不思議な空間でした。
 彼の部屋はもう、すでに彼らの家のようでした。

 彼らは、決して孤立しているわけではありませんでしたが、スタッフも彼らとの距離をとても上手に保っているようでした。

 それから約一週間後、私がホスピスに行くと、真っ赤に泣きはらしたピーターのお母さんに会いました。彼女は、泣いていましたが、このホスピスにいる間にできる限りのことをスタッフにサポートを受けながら、やり遂げた・・そんなことを言っていました。

 それから、私は、自分が死ぬ時に、自分の心を占めていてくれるような、自分の家族を持ちたいと思うようになりました。

 

 

 





















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