2019年8月17日土曜日

日本にいる親の介護問題




 海外で生活していて、両親が歳をとってくれば、年々、気にかかるのは、親の介護問題です。

 母は、心臓の病気を抱えていましたが、最後のギリギリまで、家での生活を何とか続けていくことができていましたので、看病らしい看病をする間もなく、亡くなってしまい、介護の問題といっても、私が帰国した際に訪問介護の手続きをしたり、家の内装を整えたりといったことは、できましたが、そこまで深刻な状況にはなりませんでした。

 私は長いこと海外暮らしでしたし、弟もちょうど、母が倒れる直前に海外赴任になり、側にいることは、できませんでした。

 母が亡くなって以来、父は、一軒家に一人で暮らしていましたが、同じ敷地内に父の兄家族が住んでいましたので、父、本人も、まるで、ひとりぼっちという気分ではなかったようです。

 ところが、晩年になって、父が次第に弱ってきた頃に、問題は、勃発したのです。

 弟は、それでも、日本から比較的、近い国、しかも、日本企業での勤務でしたので、出張で日本に来る機会もあったりしたので、その際には、顔を出して、宅配の食事の手配などをしてくれたりしていました。

 私も、仕事も家庭も放り出して、日本に帰ることは、できませんでした。

 父は、子供の頃から住んでいる場所に並々ならぬ執着があり、再三再四、説得しても、介護施設に入ることは、受け入れてはくれませんでした。” 俺は、ここで、野たれ死にしてもいいから、ここからは、動かない!” と、言い張っていたのです。

 とはいえ、隣に住んでいる親戚からしたら、そうは言っても、段々と弱ってくる父を真近に見ていては、放っておくことはできないと言うのも当然のことです。その家族も高齢者を抱える一家で、次第に、そうそう面倒を見られない状況になっていたのです。

 また、厄介なことに、弟は、単身赴任で海外駐在しており、お嫁さんは、娘の学校の関係で、日本と弟のいる国とを行ったり来たりする生活をしていたのです。

 父は、気難しい性格で、誰もが気安く近寄れるような存在ではありませんでした。弟のお嫁さんも時々は、顔を出して、買い物や家のことをしてくれてはいたようですが、父とは、あまり、折り合いが良くありませんでした。

 しかし、隣に住む親戚からしたら、日本に嫁がいるのに、何で、もっと、世話をしに来ないのか?と思うのも、わからないではありません。
 
 結局、お嫁さんと親戚との板挟みになって、弟が悲鳴を上げて、私のところに電話をしてきました。

 ”何とか、一週間でもいいから、帰ってきてくれないか?” と。

 滅多に電話をしてくることがない弟の悲痛な叫びに、私は、一週間だけ、急遽、休暇をもらって、日本へ行くことにしました。

 ちょうど、娘は、夏のコロニー(合宿)でスペインに行っていましたが、その帰りを待って、娘がスペインから戻った翌日に娘を連れて日本へ行きました。

 必死だった弟は、介護施設を探し、いくつか候補を見つけて、見当をつけてくれていて、何とか、体調が回復するまでという条件で、介護施設に入ることで父を説得してくれていました。

 その時ばかりは、私も、日本へ行っても、病院と介護施設の下見と父の介護だけと、心に決めて、またとない機会だと、娘にも父の介護を手伝わせ、一緒に父の身体を拭いたり、足湯をしたり、食事の世話をしたりと一週間ほどの父との濃密な時間を持ちました。

 少し見ない間に、父は、痩せて、朝、起きて、ベッドに横たわる父は、本当に生きているのかどうか心配になるような顔色でした。

 それでも、まるっきり食べなくなってしまったと聞いていた父でしたが、私が食事の支度をすると、娘と張り合って食べるほどの食欲を見せてくれました。

 付き添って行った、病院でも、お医者様と相談して、ワーファリン(食べ物に規制がある)という薬をやめて、もう好きなものを召し上がるようにした方がいいということになり、嬉しそうに、長いこと食べることができなかった納豆ご飯を食べていました。

 色々なことは、重なるもので、ちょうど、その年は、娘の大学進学の学年と重なっていましたので、大学が決まるまでは、来れないから、何とか、それまでは、頑張って欲しいと思っていましたし、父の方にもそう伝えました。

 最後に、帰り際、父にその旨を伝えると、父は、珍しく、” 来てくれて、ありがとう。こんな幸せな一週間は、なかったよ。” と言ってくれました。口が悪くて、憎まれ口ばかりきいている父のそんな言葉に、私は、返す言葉もありませんでした。

 結局、これが、私が最後に聞いた父の言葉となってしまいました。

 父は、私たちが帰ってすぐに、介護施設に入り、その5ヶ月後に亡くなりました。

 家の冷凍庫には、私が夏に来た時に作り置きをして、小分けにして、冷凍していった、ひじきの煮物が残っていました。

 従姉妹の話によると、もったいないから、全部は食べないと父が言っていたそうです。

 ほんとうに親不孝な娘で申し訳ないと、残されたひじきの煮物を見て、あらためて、深く深く、思わされた私であります。

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