子育てをして、改めてわかる親の有り難み
私が幼い頃は、とても厳しい母でしたが、成長するに連れて、母は、” こうしなさい!” とか、” こうするべき!” とか、そういったことは、言わなくなりました。
ただ、母は、” やっぱり、子育ては、できたら、した方がいい " とだけは、常々、言っていました。
そして、そんな、母の言葉がどこかに染み付いていたのか、私の中にも漠然と、子育てをしてみたい・・という気持ちが、どこかに、いつも潜んでいたように思います。
そんな私は、主人と出会い、子供を授かり、なぜか、思ってもみなかった海外で子育てをすることになりました。
周りに、子育てを助けてくれる人もなく、その代わりにうるさく言われることもなく、自分の感じるように、思うように、子供を育ててきました。
でも、振り返って考えると、私が娘にしてきたことは、国や環境が違っても、基本的には、母が私にしてくれてきたことをなぞってきたことに気付かされます。
毎回、栄養のバランスを考えた食事から、あいさつ、人への思いやり、日本語の読み書き、英語、ピアノ、学校選び・・などなど、母が私に教えてくれていたことは、数え切れないほどです。
そして、そんな母が私にしてくれてきたことを私が自分の子供にするのは、当然のことのような、思い込みが、知らず知らずのうちに、私の中に埋め込まれていたのです。
私が子供に対して、当然するべきことと思っていた一つ一つのことは、母が私にしてくれていたことで、その子の個性もありますから、全く同じではないにしろ、いざ、自分がやってみると、そのひとつひとつがどんなに大変なことだったのかが、事あるごとに、改めて、しみじみと感じさせられます。
実際に子育てをしてみて、改めて、親のありがたみを感じている方も少なくないと思います。
親にしてもらってきたことは、感謝しつつも、どこか、当然のこと、あたりまえのことと思ってしまいがちです。
しかし、子育てに関することだけではありませんが、あたりまえだと思っていることは、実は、あたりまえではないのです。
あたりまえのことなど、本当は、一つもないのです。
何でも、”そんなのあたりまえだ!" と思ってしまっては、感謝の気持ちも生まれません。感謝の気持ちを感じられなければ、本当の喜びも感じられないのです。
先日、母が書いてくれていた育児日記を見つけました。
私が生まれてからの様子が細かく記されていました。今、改めて読み直してみると、それは、私自身の成長の記録だけでなく、小さなことにも一喜一憂しながらも、愛情深く育ててくれた母自身の記録としても読み取れます。
私は、愛されていたということをその日記によって、改めて確認することができていることに、とても感謝しています。
そして、母の教育の中で、一番感謝していることは、子供を持ちたい、育てたいという気持ちを知らず知らずのうちに私の中のどこかに植え付けてくれたことです。
私は、特別なことは、何もしてこなかったけれど、子供を産んで、育ててきたということで、自分が生まれてきてよかったと思えるからです。
いつか、娘が子供をもって、彼女自身の育児日記をつけてくれる日がくることを私は、楽しみにしています。
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