2019年8月19日月曜日

アフリカは、アフリカでいい




 私が住んでいたのは、西アフリカのコートジボアールという国で、アフリカのパリと言われるアビジャンという都市でした。

 そこは、どうしてアフリカのパリと呼ばれるのか、アフリカ初心者の私には、到底、理解できない世界でした。まあ、中心部には、ビルが立ち並んでいたりして、ある程度は、都会的で、フランス領だったことからパリと形容されているのかもしれません。

 私にとっては、初めてのアフリカは、ほんとうにカルチャーショックを通り越して、現実のアフリカの世界が3Dで飛び込んでくるような迫力でした。

 住まいは、フランス人の集まっているレジデンスで、現地の人々の世界とは、隔絶された世界でしたし、多くの海外から赴任している方々も、そのような生活を送っておられるのだと思います。

 しかし、少し、中心部を外れれば、現地のアフリカの人々がひしめき合うように暮らしており、出かける側から、お金を求める人々が群がります。

 それは、もはや、格差社会とかいう範疇の違いではありません。

 海外から赴任してくる人々は、現地のボーイさんやメイドさんを雇うように義務付けられていますが、賃金は驚くほど安く、使う側(フランス人など)の、その言葉遣いなどからも、こんな、酷な言い方ができるのか? とギョッとさせられもし、また、使われる側もそれに慣れてしまっているようなところがあり、歴史を色濃く感じさせられます。

 極端な人間関係は、双方の人間を腐らせます。

 ほぼ、一年中が厳しい夏の気候の中で暮らすのは、本当に大変ですし、いくら、外国が援助の手を差し伸べても、国内の古くからの悪い体質で、政治家やマフィアがそのほとんどを吸い上げてしまい、貧しい人々の暮らしは変わらない負の連鎖が続いています。

 アビジャンから車で1時間半くらい行ったところにある小さな村のお祭りに行ったことがありました。主人の職場にいた現地の職員の人に頼み込んで、現地の人以外は、一切いない、地元の長寿の人々を讃えるお祭りでした。

 長老たちが、現地の美しい生地で作られた服を身にまとい、周りの皆が素朴な楽器を奏でながら、歌を歌い、リズムをとり、まだ、ヨチヨチ歩きのような小さい子供までが驚くほどのステップを刻みながら踊る、その様子は、本来、あるはずの彼らの生活であるような気がしました。
  
 それは、彼らなりの幸せを見せつけられているような感じでした。

 外国から、よそ者が入ってきて、引っ掻き回すことで、混乱させていることもあるのではないかと私は、思うのです。それは、最低限の生活というものは、必要でしょう。

 しかし、あの気候の中で、そこに住む人なりの生活があるのではないか?

 私は、思うのです。

 アフリカは、アフリカでいい・・と。



 












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