ラベル フランスでの子育て の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル フランスでの子育て の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年4月12日金曜日

3歳以下の子どものスクリーン(タブレットやスマホなどのデジタル機器)の使用を禁止

  


 今週初めに国民議会にて、「保育園や保育所での3歳以下の子どものスクリーン(タブレットやスマホなどのデジタル機器)の使用を禁止する法案」が提案され、子どものスクリーン使用に関する健康に影響を与える問題についての議論が高まっています。

 今回の議会への提案は、3歳以下の子どもに対するものですが、児童へのこれらの電子機器の過剰使用については、小学生、中学生についても以前から取り上げられているものです。

 今回の提案では特に3歳以下の子どもをスクリーンの前に置くことは、「言語能力、コミュニケーション能力の発達の遅れ」だけでなく「運動能力の低下」、「睡眠障害」などを引き起こす原因となっていると説明しています。

 今やバスや電車の中でも小さい子どもがスマホでアニメを見ていたり、ゲームをしていたりするのを見かけるのは珍しくなくなりましたが、今回の議会への提案については3歳以下の子どもの保育園での使用禁止ということで、そもそも保育園でタブレットなどを与えて子どもを保育していたのか?とちょっと、驚かせられるところでもあります。

 しかし、これは、基本的には、保育園だけでの話ではなく、家庭内にも同じことが言えるわけで、フランス公衆衛生局は、2023 年 4 月に発表した調査で、2 歳児は 1 日あたり平均 56 分、3歳半の子どもの場合、1日1時間20分をスクリーンの前で過ごしていることを明かしています。

 以前は、テレビは1日〇時間まで・・などと言われたものですが、テレビの場合は少なくとも家にいる時間しか見られなかったものが、持ち運びのできるスマホやタブレットの場合は、四六時中、触れることができてしまうのですから、どこかでストップをかけ、その危険性について、保護者や監督者が認識できていない場合は、その視聴時間が際限なくなってしまいます。

 たしかに、公共交通機関などの中でむずがる子どもにスマホを与えておとなしくさせたりするのは、一見、ラクで良いアイディアのような気がしてしまいますが、やはり、幼少期には、自分の目で色々なものを見たり触れたり、感性を育み、そして、公共でのマナーを学ぶチャンスでもあるのです。

 娘が小さかった頃は、ここまでスマホやタブレットが浸透していなかったので、これほどまでに問題にはなっていなかったものの、それでも、当時、フランスの子どもの間でも大人気だったNINTENDO DSなどのゲーム機器を私たちは決して買い与えなかったし、スマホでさえも、かなりの年齢まで持たせていませんでした。

 私が子育てを始める頃に、子どもの家庭内暴力などの問題が浮上していて、こんなになっちゃったら、どうしよう?と親族にもいる教育関係の仕事に携わっている人々に相談したら、「色々と家庭によって、事情はあるんだろうけど、とにかく身体を動かすこと、スポーツなどをさせて、エネルギーを発散させることが大切らしい」という話を聞いて、私は、とにかく、娘の有り余るエネルギーを発散させることを心掛けてきました。

 タブレットやスマホに子守をさせている場合は、その正反対になってしまうわけです。

 そもそも我が家の場合は、私も仕事をしていて、ウィークデーは仕事帰りに娘を迎えに行って、家に帰ってくるのは、夜7時近く、それから公文の宿題をさせて、食事をさせて、娘が寝るまでの時間には、他のことをしている余裕はほとんどありませんでした。

 ただ、タブレットはありませんでしたが、テレビはあったのです。しかし、私は娘の日本語教育のために、娘の幼少期は、ごく一部のテレビ番組を除いて、テレビは日本の番組をDVDで見るだけのものでした。娘が当時、繰り返し、飽きることなく見ていた日本のドラマなどのおかげで娘はずいぶん日本語を覚えたと思うので、必ずしも、スクリーンを全て否定するつもりはありません。

 しかし、やはり、幼少期には、タブレットなどではなく、身体を動かしたり、家族と会話をしたり、本を読み聞かせたりと他にやることはいくらでもあります。

 このスクリーンの有害性については、幼児だけでなく、ティーンエイジャーや大人とて過剰な使用については、気をつけなくてはいけないことがたくさんあるような気がしています。

 個人的にも、ついついスマホを覗いてしまう習慣をあまり良くない、もっとスクリーンから得られる情報以外のものを自分の目で見たり、感じたりすることが必用だと感じ、日中はできるだけ、スマホやネットに接しないようにしています。

 スマホから得られる情報はとても便利で有効であると同時に他の者と接する時間や機会を奪っているということで、これが精神衛生上、また健康上あまり良いことではないような気がしているのです。

 ましてや成長段階にある幼児や子どもの場合は、他のものから子供たちの経験すべきこと、感性を育てることを遮るものとなっているような気がしてならないのです。


3歳以下の子どものスクリーン使用禁止


<関連記事>

「バイリンガル教育は簡単じゃないけど、頑張れば、その子の一生の財産になる」

「バイリンガルに育てる方法」

「バイリンガルになった娘の就職」

「日本人なのに日本語がほとんど話せない海外育ちの従弟の子供」

「パリで、たまに見かける子供に日本語を教えようとしない日本人の親 バイリンガル教育」

 

2024年3月7日木曜日

フランスの飛び級と留年

  


 娘が小学生の頃、夫はやたらと娘を飛び級させたがっていたのを私は、反対していました。子供の能力に応じての飛び級や留年というものが、小学校という低年齢層でも、わりと珍しくなく行われていることに日本育ちの私は、今一つ理解できませんでした。

 実際に、娘の同じクラスにも下から飛び級して上がってきていた子がいたし(その子は娘と結構、仲良しで、小学校から高校まで同じクラスだったうえ、高校を卒業してその後の進路がバラバラになっていくタイミングでも、示し合わせたわけでもないのに、なぜかプレパー(グランゼコールの準備学校)まで同じ学校でした。

 彼女は小さい頃からとても小柄で、一つ年下だから、小さいのかな?などと思っていましたが、大人になっても小柄なままなので、年齢は関係なかったようです。

 彼女の親がなぜ?彼女を飛び級させたのかはわかりませんが、飛び級しても、何の支障もなく、その後の学校生活を優秀な成績で過ごしていたようなので、彼女の飛び級は成功だったのかな?とも思います。

 たしかに、あまりに優秀な生徒の場合、子どもの年齢に一般的に定められている学年のままだと、物足りなくて、つまらない・・その子の学力を充分にのばせないということもあるのかもしれませんが、私としては、学校で学ぶということは、学業だけではなく、様々なことを体験していく時間ということでもあると思っているので、その1年間をスキップしてしまうことが必ずしも、よいことばかりではないだろうし、そんなに急ぐことないじゃない!、その年齢に体験できる事柄を奪う必要はないだろうに・・という気持ちでもありました。

 しかも、夫に娘を飛び級させたい理由を聞くと、「あとで、留年してしまったときのために・・」というよくわからないことを言っていたので、「そもそも、留年した時のために・・とか、留年するかもしれないと思うような人が飛び級にふさわしいのか?」という話で、結局、夫は、娘の飛び級は断念してくれました。

 実際に、実年齢どおりの学年での教育を物足りないと感じる子供は、かなり珍しい存在ではあるとはいえ、そういう場合に、飛び級ができるのは、たしかに良いシステムなのかな?とも思います。

 娘が通っていたのは、小学校から高校まである私立のカトリック系の学校で、あまり一般的な公立の学校とは異なることも多かったと思いますが、多くの子どもがそのまま同じ学校にいるので、小さい頃は、学校の行事で親が学校に行く機会もあったり、お誕生日会やお稽古事などで、娘の友人の親子と顔を合わすことも多かったので、小さい頃からの知り合いが多く、中学、高校と進むうちは、子供の方はもう外で会ってもすぐには、誰だかわからなくても、親の方はたいして変わらないので、「ああ~あの人○○ちゃんのママだ・・」と思うくらいで、あとは、娘からの話をたまに聞くくらいでした。

 そんな、娘から漏れ伝わってくる話の中には、「○○ちゃん、留年したらしい・・」とかいう話も混ざっていて、「え~~?あんなに明朗快活な感じだったのに!」と驚いたりすることもありました。

 留年については、そんな話がポツポツとあり、内心、本人は心穏やかではないところもあるのでしょうが、けっこう朗らかに学校に来ているとのことだったので、飛び級とは逆に、必要ならば、2年かけて追いつくことがあってもいいような気がします。

 ただし、娘の学校はかなり厳しい学校でもあったので、留年は1年だけで、その後の結果が思わしくないと、やんわりと転校を促されるらしいということで、そういえば、いつのまにかいなくなっていた子もいました。

 ただし、いなくなっていた子どもの中には、「さらに良い学校に転校した・・」というのもあって(こちらの方はかなり珍しいケースでしたが・・)、飛び級ではなく、学校を変えるという方法をとる人もいました。

 いずれにせよ、子供の教育環境を子供に適したものにするということは、とても大切なことでもあり、とりあえず、私が娘のためにしたことは、私立の学校に入れ、あとは、日本語の学習を続け、できるだけ色々な体験をさせてあげることを心がけたくらいで、我が家には飛び級も留年もありませんでした。

 私の数少ない日本人の友人には、子供の学校のために引っ越しまでして頑張っている人がいましたが、我が家には、そんな経済的な余裕はなく、そこまではできませんでした。

 とりあえずは、健康で横道に逸れることもなく育ってくれただけで、私は充分に満足しています。

 

飛び級と留年


<関連記事>

「フランスの小・中学校(高校) 私立進学へのススメ」

「バイリンガル教育は簡単じゃないけど、頑張れば、その子の一生の財産になる」

「子育ての恐ろしさ やっぱり親の責任は大きい」

「娘の友人関係に見るフランスの社会構造」

「バイリンガルになった娘の就職」

 


2024年2月23日金曜日

ほのぼのする光景 パピー・マミー(祖父母)と孫の時間

  


 現在、フランスでは、子供の冬休みのバカンス期間のためか、街に出ると、孫らしき小さな子供を連れたおじいちゃん・おばあちゃんの姿を見かけることが多いです。

 この間、市営プールに行ったら、孫を連れてきていると思われるおじいちゃん、おばあちゃんたちがけっこうたくさんいて、「あら~こんなにたくさん孫連れの人たちがいるのを初めてみたな・・」とちょっとびっくりしました。

 フランスの学校は、ついこの間、ノエル(クリスマス)のバカンスが終わったばかりというのに、1ヶ月後には冬休みのバカンス、そして、またその1ヶ月後には、パック(イースター)の休みのバカンスがそれぞれ2週間ずつ、そして、ちょっとするともう夏休み(2ヶ月くらい)と、とにかく休みが多いので、共働きの多いフランス人家庭は、自分たちの職場でとれるバカンスでは、カバーできない期間は、子供たちを、パピーとマミー(おじいちゃん・おばあちゃん)のところへ預けちゃう!・・という家庭は多いのです。

 もちろん、それができない子もいるので、また別に、市が運営しているバカンス期間のレクリエーション施設のようなものがあるのですが、そこには預けずに敢えて、実家に子供を預ける人も多いのです。

 孫の世話ができる期間というのも、限られていて、おじいちゃん・おばあちゃんの健康状態にも限界があるだろうし、子供は子供の方で大きくなれば、それぞれの世界を持っていくので、考えてみれば、そんな長い期間ではありません。

 でも、そんな光景を見かけると、なぜだか、微笑ましい、とってもほのぼのとした温かい気持ちになります。私自身がとてもおばあちゃん子だったからかもしれません。

 私自身が子供の頃は、父方の祖母は隣の家に住んでいて、よく花札(シブいでしょ!)をして、遊んでもらいましたが、それは、日常の少しの時間に、遊んでもらうという程度で、私の母は家で仕事をしていたので、祖父母に預けられたという記憶はありません。

 しかし、私は父方の祖母も母型の祖母も大好きで、なんなら、誰よりも好きくらいに大好きだったので、私にとって、祖母の死はものすごく悲しくショッキングなことでした。

 また、私の娘に関しては、夫の両親はすでに他界していたため、フランスには、パピーもマミー(おじいちゃんもおばあちゃん)もおらず、私の実家は日本なので、そうそう休みのたびに子供を預けるというわけにもいきませんでした。

 一年に一度、一時帰国をしていた際にも両親が揃っていた時でさえも、母は、心臓病で、寝たり起きたりの生活が多かったので、私が日本で外出する時でさえ、子供を両親に預けて、一人で出かけるということもせず、どこへ行くのにも娘を連れて出かけていたので、あまり、実家に預かってもらったという感覚はありません。

 こうして、孫とおじいちゃん・おばあちゃんだけでプールに来ていたり、お出かけしている様子を見ていると、こういう経験を娘にさせてあげられなかったことは、残念だったなぁ~と思いますが、仕方ありません。

 それでも私の父にとっても母にとっても、本当に「目の中に入れても痛くない」とはこういうことを言うんだろうな・・と思うほど娘のことを愛し、可愛がってくれていたので、それはそれで、できる限りの彼らなりの孫との時間を過ごせたのではないか?と思っています。

 特に父は、気難しく、厄介な人でしたが、娘とだけは、やたら仲良かったのは、孫というものの特別な存在が父の厄介な性格を和らげてくれた魔法のような時間だったように思います。

 核家族化が当然のようになり、祖父母との繋がりも薄くなり、さらに親戚付き合いはほとんどない・・という人も多いように思いますが、おじいちゃんと孫、おばあちゃんと孫というのも、双方にとってかけがえのない繋がりです。

 たとえ、孫の側からしたら、後々、大した記憶に残っていないとしても、心のどこかに暖かい炎をともしてくれる大切な時間なのではないか?と思うのです。


おじいちゃん・おばあちゃんと孫


<関連記事>

「隔世遺伝 不気味なほど父にそっくりな娘」

「海外在住者が母を看取る時」

「パピーとマミーの愛情」

「日本の母からの小包」

「義理の家族と嫁姑の関係」

2024年2月21日水曜日

フランスの公立校の制服導入は、難航の兆し

  


 フランスの公立校(小・中・高校)で制服を導入するため、まずは、2024年度の新学期から試験的導入を開始すると発表され、思っていたよりも、この制服導入について、早く動き出そうとしていることに驚いていました。

 なぜならば、これまで四半世紀以上もフランスで生活してきて、およそフランスの学校には、制服のイメージが結びつかないものだったからです。

 それが、2年くらい前に、なぜかブリジット・マクロン(マクロン大統領夫人)が「フランスの学校にも制服があったらいい・・私の学生時代には・・」なんていうことを語ったというようなことが、話題にのぼり、「おいおい・・失礼ですけど、いつの話ですか?」なんていうことを思ったのですが、まさか、そんな話が本格的に制服導入という方向に進んでいくとは、その時には、微塵も思っていませんでした。

 このブリジット・マクロンの政府内の影の力というか、発言の威力、影響力というのも見過ごせない気もしています。

 フランスの学生は、学校にもよるのでしょうが、概して、みんなラフで自由な服装で、かといって、そんなに奇抜だったり、派手だったりすることもなく、また、学校自体も日本のような始業式とか終業式はもちろんのこと、入学式とか卒業式もなく、いつのまにか、始まって、いつのまにか終わっているという味気ないというか、よく言えばさっぱりしています。

 そんな中、制服導入の話が昨年あたりから、急激に具体的に進みだし、政府は、まずテストケースとして、100校を集めるとし、このうち87校がこのテストケースに参加することになっていると発表しましたが、内情は、このテストケースでさえも、集めるのに苦労しているようで、このテストケース参加募集の期限が2月15日だったものを結局のところ6月末まで期間を延長しています。

 つまり、期限内に試験的でさえ制服を導入してみるという学校が100校も集まらなかったということなのです。

 そもそも、これが実験段階とはいえ、「理事会と学校評議会の同意、そしてもちろん地方自治体の同意が必要で、それらのハードルを越えられない学校が多い=つまり、反対意見が多いということなのです。

 だいたい、この制服導入には、「格差社会の差別を抑制し、帰属意識を高めることを目的」としていますが、「制服で差別が解消されるわけではない」ということをみんながわかっているわけで、それ以上に自由な服装を縛られることを嫌っている・・「そんなことで差別が解消されると思うなよ!」というような気持ちが表れているような気がします。

 現在、進められようとして提案されている制服は、制服といっても、いわゆる日本にある制服ではなく、ポロシャツ、セーター、ズボンといったごくごくシンプルなもので、よく言えば活動的ではあるのですが、あまり、若い子たちが着てみたいと思いそうなものではありません。

 そもそも、みんなが同じでなくてよい、違った個性を認め合うところが、フランスの良さのような気が私はしているのですが、そこそこの国費を投じて制服?というのが、そこにお金使うの?という気もします。

 そして、個人的には、この制服導入に際して、学校側の仕事が増えることも、学校側が受け入れない理由の一つではないか?とも思っています。とにかく、フランスの公立校の教師は、少しでも余計な仕事が増えることを拒否する傾向があり、新年度が始まる前にそれぞれの生徒が買い集めなければならない文房具やノートやファイルなどのリストが配られて、それぞれが用意するのですが、こんなにまとまった量であれば、学校側が注文して揃えて、後からお金を徴収すればいいのにと思うのですが、そんなことですら、学校側はやらない・・余計な仕事を増やしたくないのです。

 フランス人お得意の「それは私の仕事ではない」というやつです。

 制服が導入されれば、それぞれの生徒のサイズに合わせて、注文をとり、服が小さくなったとか、破れたとかいうたびに、学校側が対応しなければなりません。

 それを「格差による差別の抑圧」など、もっともらしいことを言われても、私たちの仕事には、制服の管理などという仕事は入っていない・・と、さも言い出しそうなことのような気がします。

 まあ、とりあえず、やってみるのは、よいかもしれませんが、このテストケースにさえも学校が集まらないというのは、そこのところは置いておいて、集まった学校での結果をもとに、強行的に制服が導入されるのか?

 一部では、国歌を歌うことを推奨するとか、入学式とか卒業式を取り入れようとか、どちらかというと、引き締めにかかっているような感じのするフランスの学校教育。

 とりあえず、何かを変えるということには、大変な国民の圧力が存在するフランスで、政府が思っていたようには制服は簡単には受け入れられそうもない感じです。


フランス公立校の制服導入


<関連記事>

「フランスの学校での制服 2024年春から試験的に開始」

「物議を醸すフランスの公立校でのアバヤ着用禁止 アバヤは宗教か?文化か?」

「フランスの学校に制服は必要なのか?」

「入学式も卒業式もないフランスの学校」

「日本の教師とフランスの教師」

 

 

2024年1月22日月曜日

海外から見る日本に足りない教育

  


 フランスでは、新しく教育相に就任した大臣が子供を名門と呼ばれる私立校に転校させたとかで大バッシングを受けていますが、私としては、むしろ、大臣だって、やっぱり子供の教育を考えるなら、フランスだったら私立に入れるよね・・とこっそり思っています。子供の教育については、個人的なこと、教育相とて、選択の自由はあるはずです。

 我が家の場合は、子供の就学前から、周囲にいた先輩方から、「子供は絶対、私立に行かせた方がいい・・特に小・中学校はマストだ!公立の学校は地域にもよるけど、大方、ヤバい子供たちもいて、ロクなことにならないから、絶対!私立に入れた方がいいよ!」と強い助言があり、また、公立校のあまりの学校のストライキの多さにウンザリもしていたので、「子供の教育は、後からでは取り返しがつかない・・」と近所の私立の学校になんとか入れるように、夫に奔走してもらい、なんとか小学校から私立の学校に入れたのです。

 なので、実際にフランスの公立の学校の現状は、外から見ているだけで、やはりストライキが多いな~くらいしかわからないのですが、娘がその後、高校まで通った学校は、良い学校であったことだけは、確かにわかります。だいたい、たまに行く、保護者会のようなものでも、親の教育に対する姿勢から、真剣身が全然、違い、それは来ている子供たちも違うわけだよな・・と思わされた記憶があります。

 また、やっぱり娘が学校に通っている様子から、日本の学校とは教育の仕方が違うんだな・・と感じることも多々ありました。

 なによりも、よく言えば、理論立てて考えて語る訓練というか、テストなども論文形式のものが多いことです。それも高校くらいになると、その論文の長いこと・・。

 当時は、だから、フランス人は口が達者で、良い意味でも悪い意味でも、理屈をこねくり回してモノ申す人が多いのだな・・と思ったりもしました。

 その理論をどう構築していくかは別として、だから、デモなども頻繁に起こるし、フランス人は黙って受け入れることがない・・やることやってから言えよ!などと思うことも多かったのですが、逆に今の日本を見ていれば、自分の頭で理論立てて考えて、それを話す、話し合うということは、とても大事なことだと思うのです。

 つい先日、日本のニュースを見ていて、ある政治家が「派閥を解散する」というほんの短い案件を発表する際のほんの1分ほどの内容に、なにやら、メモを読み上げている様子を見て、「それくらい、自分の口で言えないのかよ!」と本当に情けない気持ちになりました。

 日本の教育は、どちらかといえば、おとなしく従うことが基本で、議論を戦わせたり、自分の言葉で意見を言ったりする教育が足りないように思います。特に多くの政治家の話の説得力のなさには、言葉がありません。

 また、日本では、政治や宗教の話題はタブーといった印象がありますが、この政治や宗教の教育こそが日本に足りない教育のようにも感じます。フランス人は政治の話題を好み、家庭内でも政治の話をしたり、子供をデモに連れて行ったりすることも珍しくはありません。

 宗教についても、娘の行っていた学校はカトリックの学校ではありましたが、カトリックに偏ることなく、宗教全般に関する授業があり、宗教というものについて、様々な宗教の成り立ちや概要、そして、カルトの危険性などについての授業までありました。

 今では、他のことで、立ち消えになってしまったかに見える旧統一教会の問題なども、宗教とはどういうものであるか?がわかっていれば、予備知識として、「これは、おかしいのではないか?」とストッパーになり得たかもしれません。

 一般的に見て、日本人のポテンシャルは高いと思われるので、足りないところを補う教育を取り入れていけば、もっと力を発揮できるだろうし、何より、今は政治が最悪・・政治に対して、国民は、もっともっと、モノ申さなければ、このままでは日本は潰れてしまいます。

 日本には、もっと議論する、反対意見を臆することなく発表し、話し合う、討論する教育が必用なのでは・・と思います。フランスに来たばかりの頃は、やたら議論をたたかわせて、話し続けるフランス人をどうか?と思うこともあったのですが、この議論するということは、実はとても大切なことなのに、日本に足りない教育なのでは?と最近は思うようになりました。黙ってガマンするだけではなく、日本人はもっともっと、モノ申し、意見を述べなければなりません。

 最近は、失われた30年などと言われる日本ですが、日本は戦後復興から30年で高度経済成長を遂げた国でもあります。今後30年で、教育も含めて日本は新たな復活の可能性だってあるとも思うのです。


日本に足りない教育


<関連記事>

「フランスの小・中学校(高校) 私立進学へのススメ」

「学校選びは人生の岐路 娘の通ったフランスの学校はなかなか厳しい学校だった」

「宗教の教育」

「実践よりも、まず、理論のフランスの教育」

「娘の卒業式」





2024年1月19日金曜日

フランスの出生率低下が浮き彫りにする中流階級が苦しい現状

  


 年が明け、昨年のデータが続々とあがってくるようで、2023年のフランスの出生率は、戦後最低を記録したことが話題になっています。

 INSEE(国立統計経済研究所)が明らかにした最新データによると、2023年にフランスで誕生した子供の数は、67万8千人だったということで、ここ数年、下がり続けていたにもかかわらず、さらに減少を続け、1年で6.6%減少しているようで、現在フランスの女性1人が持つ子供の数の平均は、 1.68人なのだそうです。

 週明けに行われたマクロン大統領の記者会見でもこの問題について、触れていましたが、現在の育児休暇に代わる両親のための6ヶ月間の出産休暇を創設し(月額429ユーロ相当の補償)、またこの出生率低下には、不妊症の増加も影響しているとし、不妊治療への取り組みを進めることを発表しています。

 たしかに、これまでフランスは、避妊薬の援助などの話はたまに聞くことはあっても、不妊治療の援助の話は、あまり浮上してきてはいませんでした。

 私が子育てをしていた頃は、娘の周囲には、3人兄弟(姉妹)という家庭が多いような印象で、子どもが3人以上になると税制的にずっとメリットがあるという話を聞いていたのですが、どうやら、フランスもそれだけでは、子供が増やせなくなったということなのかもしれません。

 そもそも、女性の就学期間が長くなり、就業し始めて、生活が安定してからとなると、第一子を出産する年齢も上昇し、必然的に子供を出産して育てることを考えると年齢的な幅も狭まっていくことになります。

 そのうえ、パンデミック、戦争、インフレと世界情勢も波乱続きで、不安定な世の中で子供を持ちたくない、持つことへのリスクを考えたりもするのかもしれません。

 それでも、この出生率の低下はヨーロッパ全土に共通する現象でもあり、フランスはイタリアやスペインなどと比べてみても、出産により女性が仕事を辞めなければならないケースはかなり少ないし、決して悪い方ではないという意見もあります。どんな状況にあっても、この中では、フランスはトップ!とか、向こうの国はもっと酷い・・とかいう意見が出るのもフランスらしいなとも思います。

 また、フランスは2023年になっても出生数が死亡数を上回っているため、人口全体の比率としては、バランスを保っているという人もいます。しかし、これが20年後となると、話はまた、別の次元になるわけで、この世代の人口が極端に減っていくということになり、バランスを保てなくなる時が訪れるということです。

 この問題は、年金改革問題とも関わりのある話で、現在、退職者1人当たり現役労働者は約1.7人ですが、2070年にはおそらく1.2人になると言われています。フランスの平均寿命は女性が85.7歳、男性が80歳とけっこうな長寿国でもあるのです。

 また、バランスの話になれば、もっとも子供の数が少ないのは、中流階級の世帯であり、多くの子供を持つのは、最も貧しい世帯と最も裕福な世帯というのもフランス社会の縮図のような気もするのです。

 フランスでは、以前からよく聞く話ですが、フランスでの税金は決して安くはなく、しかし、最低レベルの人には、援助が手厚く、極端に言えば、払う人ともらう人に分けられるわけですが、実際には、援助を受けられるほどには、貧しくなく、高い税金を払わなければならないギリギリの中流世帯が一番苦しいことになるということで、その狭間にたった人々にとっては、この不安定な世の中で、子供を持つのを躊躇うという選択肢をとるのも、なんか頷ける話です。

 これまで、出生率低下の話になると、たいていは、日本の少子高齢化の話が例にあげられることも多いのですが、今回は、あまり日本の話はあがってきてはおらず、もはや、比較するには、及ばないといったところなのでしょうか?


フランス出生率低下


<関連記事>

「フランスの出生率低下にフランス人が提言する言葉 人生は美しい「la vie est belle」」

「フランス人は、意外と長生き」

「赤ちゃんを抱っこしてメトロに乗る女性」

「フランスのベビーシッターと子供のお迎え」

「フランスの高齢者施設オルペア Orpéa の実態暴露の大スキャンダル」





 

2023年12月21日木曜日

移民法の改正で大騒ぎのフランス

  


 フランスの移民法については、長い間、物議を醸し続けていて、以前から、移民が犯罪を犯したりするたびに、この人物は、OQTF(公序良俗を著しく脅かす異常事態に陥った外国人に対して、フランス領土を離れる命令)が発行されていたはずだった・・などという事実が浮上してきたりと、問題視されてきました。

 今回の移民法の改正も、主には「治安に対する深刻な脅威となる外国人の排除を促進することを目的」としていますが、正直なところ、私自身も「移民」であり、とばっちりを受けるのではないか?と、あまり心穏やかに聞けるニュースではありません。

 特に、今回の改正法の中の基準の一つに、社会保障などの条件についても、外国人でもEU圏内からの場合とEU圏外からの外国人とを区別して規定していたりして、どっきりさせられます。

 一方では、内容を見ると、「フランスに長期滞在している人やフランスに個人的・家族的つながりがある人であっても、特に犯罪で法的に有罪判決を受けた外国人の国外追放が認められ、少なくとも懲役10年以上、場合によっては5年の刑が科せられることになる」とか、逆に「今までは違ったの?」と驚く内容のものもあります。

 また、排除するばかりではなく、労働力不足の業界(建設や介護など)においては、1 年間の期限付きの「不足している専門職で働く」滞在許可を創設しています。

 「不法滞在しているこの業界での労働者は、正規化を要求できるようになり、 この新しいカードは、一定の条件(フランスでの滞在期間が3年以上(不法滞在が3年以上?と思うとなんか変・・)、過去24か月のうち緊張状態にある業界で8か月の経験)のもとで自動的に発行される」などという項目には、はなから不法労働者ありきの法令で、まあ現実的といえば、現実的ですが、なんか、もやもやするところでもあります。

 これに加えて、「不法就労と闘うため、非正規な状況で労働者の雇用主に対し、関係する従業員1人当たり最大4000ユーロの行政罰金(再犯の場合は2倍)を新たに課すことになる。 この罰金は既存の刑事および行政制裁に加えられることになる」という項目も付け加えられています。

 現在のところ、賛否両論、喧々囂々としているので、今後、修正が加えられるところが出てくる可能性もないではありません。

 しかし、これだけ大騒ぎになるというのは、それだけフランスには移民が多いということでもあります。

 私にとっては、個人的には、社会保障などの改正が気になるところではあり、必死になって、この法改正されている文面を追っていたのですが、色々と改正、廃止・・などと続いている最後に、「難民・滞在許可証保持者は除外」とあり、そもそも、滞在許可証を持っていない人がどうやって社会保障をこれまで受けてこられたのだろうか?と不思議に思ったりもしました。

 毎回、といっても、10年に一度ではありますが、この滞在許可証更新のたびにドキドキし、特に前回の更新の時には、ちょうどロックダウンの時期と重なってしまったために、お役所は、大混乱となり、手続きに異常に時間がかかり、実際には、滞在許可証の期限が切れてしまって、「これでは私は不法滞在者ではないか?」と泣きそうになっていたような小心者の私には、やっぱり全面的に理解することは難しいかもしれません。

 しかし、移民の一人である私が言えることではないかもしれませんが、今回の問題も移民が膨れ上がってしまった上での問題でもあり、「最近は、日本も治安が悪くなった・・」などという声もありますが、「いやいや、まだまだ・・あまいあまい・・」と思ってしまうほど、質の悪い移民は多いわけで、容易に受け入れてしまっては、フランスみたいに大変なことになります。


フランス 移民法改正


<関連記事>

「滞在許可証更新手続きのトラブル アクセス不能なフランスのお役所」

「2023年に提案される移民法の改正案の概要 積極的な受け入れと追い出しの両刀使い」

「12歳の少女殺人事件が呼び起こす極右政党の移民叩き」

「パリの公立病院の救急治療室で起こった強姦事件」

「早朝のパリ北駅での6人刺傷事件 容疑者は、OQTF(フランス領土退去命令)の移民」


2023年12月14日木曜日

12歳の少女が授業中に教師をナイフで襲う・・

  


 12歳の少女が授業中に教師をナイフで襲うという事件が起こり、騒然としています。この少女は、前の週にその教師と授業中に携帯電話を没収されたことで口論になった経過があり、この教師を殺す目的で、ナイフを持って登校していたと見られています。

 彼女は、2ヶ月ほど前にアラス(フランス北部オードフランス地域圏)で起こったことと同じこと(教師が刺殺された事件)をしたかったと語っており、ある程度、計画的な犯行であったと見られています。

 とはいえ、彼女は昨年度にも、教師に対する暴力事件で前の学校を退学になっていたという過去があり、今回もまた、同様の事件を起こし、教師に向かってナイフで切りつける前に「今回は、自分らしくありたい!」と叫んでから襲い掛かったということで、どう考えても、ふつうではありません。

 そもそも彼女が持ってきていたのは、刃渡り17センチのかなりしっかりしたナイフで、こんなものを学校に持ってくること自体、異常です。

 このナイフの話で思い出したのは、以前、娘がコロニー(スポーツなどのアクティビティーをするサマーキャンプのようなもの)に参加したときに、同室の女の子が突然ナイフを取り出したとかで、コロニーのディレクトリス(責任者)から、「おたくのお嬢さんが刺されそうになりました・・」と会社に電話があったことがあったのを思い出しました。

 今、思えば、ちょうど、同じ年ごろでした。

 その時は、他から話が伝わって大騒動にならないようにとディレクトリスが先手を打って、「そういうことがあったのですが、大丈夫ですから・・」という電話だったのですが、それこそ、そんな話を聞かされて、「あ~そうですか・・」で済むわけもなく、知人に頼んで、そのコロニーのオーガナイザーに連絡してもらい、厳重に監視してもらうように釘を刺したことがありました。

 「そもそも、コロニーにナイフを持ってくるなんて、ふつうじゃない!」と思ったことを思い出しました。

 無事に娘が帰ってきて、事情を聴くと、「同室の女の子の間で、1人、電気を消すか?とか、窓を閉めるか?とかいう、そんな些細なことで、いじけていた子でちょっとおかしな子だっただけで、大騒ぎすることじゃない・・」などと言っていましたが、カッとしてはずみで・・ということもあり得ないではありません。

 そもそも、ナイフを持ってきていること自体が異常です。

 普段、私立の学校に通っている娘にとっては、学校側が、問題のある子は、排除している環境の中で生活しているために、なかなかお目にかからないタイプで、「とにかく、世の中には色々な人がいるんだから、ちょっとおかしな子だと思ったら、刺激しないようにしないとダメだよ!」とキツく、言い含めたことを思い出しました。

 今回の事件を起こした少女は、「アラスと同じようにしたかった・・」と供述したことから、イスラム過激派であることも疑われてもいましたが、現在のところは、そのような背景にはないようで、両親はモンゴル人で彼女自身はマルセイユ生まれで、特別に特殊な環境で育っているわけではないと見られています。

 しかしながら、ナイフを持ち出すのも初めてのことではなく・・しかも、授業中に教師を殺そうとする・・とは、いくら腹立たしいことがあったとしても、どう考えてもふつうではないため、彼女には、精神鑑定が行われているということです。

 一度、ナイフを使用した暴力事件を起こした段階で、退学処分というだけで、また別の学校に転校させればよいという話ではなかったことは明白で、なんらかのケアが必用であったことは、言うまでもありません。

 とはいえ、今回の事件では、即、同教室にいた生徒たちも教師も避難したために、怪我人は出なかったそうですが、学校内での混乱は、計り知れません。

 フランスでは、よく、学校などで事件が起こったりすると、その後の精神的なケアをするユニットを学校内や地域に設置したというような話を聞きますが、その実、問題を起こした張本人のその後について、ある一定の期間は、治療や施設での更生を行うものの、案外、あっさり放置されたりもする話を聞くので、その後も、しっかりと支えてあげてほしいな・・と思います。


12歳の少女の教室での殺人未遂事件


<関連記事>

「おたくのお嬢さんが刺されそうになりました!?・・バカンス中のサマーキャンプでの話」

「嫉妬による嫌がらせから起こった14歳の殺人事件 セーヌ川に捨てられた少女」

「16歳の高校生が授業中に教師を刺殺する異常な事件」

「少年院から出て2ヶ月後、5歳の少女を殺害した15歳の少年」

「娘の友人関係に見るフランスの社会構造」







2023年12月13日水曜日

フランスの学校での制服 2024年春から試験的に開始

  


 フランスの学校での制服着用案が議会に提案されたのは、今年の初め頃だったと思いますが、その時は、押し付けられ、強制されるのを嫌うフランス人には「ムリでしょ!」と机上の空論に終わるかと思っていたのですが、どうやら、その計画は着々と進んでいたようで、早いところでは、2024年の春から試験的に開始されるそうで、ちょっとビックリしています。

 とはいえ、現段階では試験的な試みなので、その効果について、少なくとも2年間は様子を見て、その効果を測定する期間として、この制服採用について「生徒の幸福度、学校環境、学業就業における社会的不平等の軽減に対する制服の影響を測定し、家族のサポートや関係者間の協力方法の問題を分析する」としています。

 これらの制服採用については、小・中・高等学校を対象とし、このテストに参加するのは、現在のところ、トゥルコアン、ランス、ニースの各都市、アリエ県、アルプ・マリティーム県、オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ地域圏などの一部の学校のみで、この試験的試みは国から一部資金提供されるため、数は限られています。

 各生徒の基本キットは、ポロシャツ 5 枚、セーター 2 枚、ズボン 2 枚で構成される場合があります。 しかし、一部のコミュニティでは、全体のうちの一部だけ、たとえばポロシャツとセーターだけを使用することを想定しているということなので、日本の学校の制服のイメージとはちょっと異なる感じです。

 このキットの費用は 200 ユーロ(約3万円程度)ですが、家族は何も支払う必要はありません。 推奨される方法は、半分は国、半分は自治体が資金を提供する方法がとられます。

 また、子どもの成長に応じて服が小さくなったり、破損したりした場合、各子どもには1年ごとに新しい着替えを受け取る権利があるということです。

 この試験的な試みの中には、制服を義務化した場合に拒否した学生についての対応として、学校の内規にこれを取り入れるということも実験内容の一つに組み込まれているようです。

 義務化に関しては、その内容如何に関わらず、必ず反発が生まれると思われるフランスで、この実験結果は興味深いところでもあります。

 しかし、このインフレが進む中、楽観的に考えれば、学校での服飾費200ユーロを国が負担してくれるということで、宗教的な服装云々の問題を除いて考えるならば、低所得層からは、歓迎される可能性もあります。

 今回の話は、あくまでも試験的な試みを開始するということなので、とりあえず2年間はその行方を見て、具体的に全国的に実施するかどうか判断するということになるのでしょうが、そのどちらにしても、この話が議会に提出されてから、あっという間に、テストケースとはいえ、具体的に動き出す政治のパワフルでスピーディーなところが凄いなぁ~と感心するところです。

 実際に全国展開する前に、試験的に試みて、検討する期間を設けるところも、実施するにしても、やめるにしても、説得力のあるところです。

 私は制服のある学校に行ったことはないので、制服を着るという気持ちを味わったことがないのですが、単に社会的不公平感がどうのというだけでなく、まず、決められた服装に従うということや、皆が同じ服を着るという統制される感じが、学生の感性に影響を与えるところもあるのではないか?そんなことも思います。

 しかし、ちょっと前までは、思ってもみなかったフランス人の学校での制服というものがどんなものになるのか?楽しみでもあります。


フランス公立学校制服


<関連記事>

「フランスの学校に制服は必要なのか?」

「物議を醸すフランスの公立校でのアバヤ着用禁止 アバヤは宗教か?文化か?」

「フランスの学校に制服はない」

「フランスの学校の集合写真」

「FFPマスクの義務化の是非とフランス人の義務と補償と権利」


 

2023年10月24日火曜日

いじめの被害者両親が学区教育アカデミーから受け取っていた脅迫状

  


 いじめの被害者の両親に対して、学区内教育アカデミーが送っていた手紙が脅迫状のようだったことが、公になり、アカデミーの責任者が辞職に追い込まれています。

 このいじめの被害者になった子供は、9月に新年度が始まった早々に自分の部屋で自らの命を絶ってしまいました。その直後の報道では、昨年末から、このいじめの問題について、両親が学校に相談を始め、数度にわたる、手紙のやりとりや面談や会合が行われていたことは、明らかにされていましたが、結局、納得のいく対応をしてもらえず、転校することが決まっていた矢先の出来事であったと言われていました。

 その後、この両親がマスコミに公表した同学区教育アカデミーとのやり取りの手紙は120通以上にもおよび、そのうえ、その内容が息子がいじめにあっていることを訴え続けている両親に対して、脅迫状めいた・・というか、脅迫そのもののような手紙を数度にわたり送っていました。数度にわたりとは、過小な言い方で後の調査によると、その半数近くが、この被害者の親に対しての手紙としては、看過できない不適切なものであったことが判明しています。

 息子のいじめ問題を心配した両親は、まず、現場となっている学校に相談し、書簡も送っていますが、数度にわたるアクションにも学校側の対応が見られず、警察に告訴状を提出するとともに、学校に対しても、「数度にわたる訴えに対しても、何も対応してくれないため、告訴状を提出した。息子に万が一のことが起こった場合はあなた方の責任だ」というような内容の手紙を送っています。

 この手紙に対して、学区アカデミーは、この両親からの手紙を「国家教育部門に対する嫌がらせ」であり、中傷的な告発を処罰する条項に言及し、懲役5年と罰金4万5,000ユーロの罰金が課せられると説明。 さらに保護者に対し、「今後は教育界のメンバーに対して建設的で敬意を持った態度をとること」を勧告し、「必要であれば、国家安全保障だけでなく公教育サービスが適切に機能するために必要なあらゆる措置をとらざるを得なくなるだろう」と逆に脅迫する内容の手紙を送っていました。

 これらのやり取りが続く中、家庭内において、いじめの被害にあっていた少年は、いじめの被害に遭い続けながら、それと闘おうとしてくれている両親の憤りを目の当たりにし、絶望していったのではないかと思われます。

 「万が一のことが起こったら、あなた方の責任だ!」というのは、かなり強い文面ではありますが、しかし、思いつめている息子を見守りながら、訴えているのに、学校側が何のアクションもとってもらえない両親からしたら、当然でもあります。

 結果的には、何より、万が一のことが起こってしまったのですから・・。

 充分な対応もせず、いじめ問題の存在もはっきりと解明せずに、逆に訴えを起こしている両親に対して、「国家教育部門に対する嫌がらせ」であり、さらに、刑法まで持ち出して、黙れと言わんばかりの脅迫状めいた手紙を送るなど、もってのほかのおそろしい話です。

 この事実が明らかになり、政府が動きだし、この教育アカデミーの送った手紙を「恥の手紙である」と凶弾し、詳細の調査が開始され、アカデミーの責任者は辞任しました。

 いじめ問題などをただす役割であるはずのアカデミーがこの問題を抹殺しようとし、黙れとばかりに脅迫状じみた書簡を送っていたということは衝撃的な事実です。

 いじめ問題は、まず、事実を学校側が認めなければ、解決には向かえないはずなのに、この問題に関しては、まず、事実を認めるという第一歩が大きなハードルとなっている気がします。

 失われた命は戻ってきませんが、このアカデミーの現状がマスコミの手によって、明かになり、凶弾されたことで、こんな対応は社会的に許されないということが、多くの教育関係者に周知され、このようなことが、二度と起こらないようなきっかけになってくれればと思います。

 やっぱり、マスコミは、弱者の叫びを代弁し、社会に訴えかける正義の味方であってほしいです。


いじめ問題


<関連記事>

「新年度早々に、いじめを苦に自殺してしまった15歳の少年」

「いじめ・嫌がらせをしていた14歳の少年 授業中に手錠をかけられ逮捕」

「フランスの学校でのいじめ問題 被害者ではなく、加害者を転校させる法律発令」

「学校でのいじめの惨状に容赦ない闘いを宣戦布告するフランス政府」

「嫉妬による嫌がらせから起こった14歳の殺人事件 セーヌ川に捨てられた少女」



2023年10月10日火曜日

埼玉県の児童保護に関する法案とフランスの児童保護

  


 私は、日本で子育てをしたことがないので、正直、日本での子育てについては、よくわかりません。

 しかし、埼玉県の自民党県議団により、子供だけでの留守番や外出を「置き去り」として禁ずる虐待禁止条例改正案というものが提出されたという話を聞いて、ちょっとギョッとしてしまいました。

 対象年齢は小学校3年生までで、4年生から6年生は努力義務として、子供だけでの留守番や外出を禁止し、県民に対しては、禁止行為の通報を義務付けるというものです。

 日本の場合は、多くの場合、小学生になれば、送り迎えもいらなくなるし、子育ても一段落という感じがあるような気がしていて、フランスでは、小学校を卒業するまでは、送り迎えをすることがふつうなので、日本はいいな・・などと思ったこともあります。

 うちの場合は、小学校高学年になった時点で、リスクを負うのであれば、送り迎えもしなくてもよいということでしたが、リスクを負うのであれば・・などと言われれば、喉元にナイフをつきつけられているようなもので、そんなリスクを負うのはゴメンです。もしも、何かあったら、取り返しがつくものではないと思い、結局、小学生の間はずっと送り迎えをしていました。

 そんな感じでもあるので、子供だけでの留守番や外出は、フランスでは、基本的にあまりないことだし、しかし、その代わりに、通常の学校の授業が終わった後には、希望者にはエチュード(宿題などを見てくれる時間)の時間があったり、これだけ多いバカンス期間なども、必ず地域ごとに子供を預かってくれる場所が設けられていて、様々なアクティビティをさせてくれたりする受け皿があります。

 日常は、エチュードの時間は18時半までだったので、仕事を切り上げて、18時半までにお迎えに行くのは大変なことでしたが、それでも、このエチュードの時間には大変助けられたし、バカンス期間中の子供の居場所も、設けられていたので、一応、安心して、子供を預けることができていました。

 基本的に児童保護については、かなり厳しい面もあるフランスでは、もし、この義務を怠っていれば、通報されることもあります。

 一度、パリに引っ越してくる前に、ご近所の誰だかわかりませんが、嫌がらせに、「あの家は子供を学校に行かせていない!」などと、通報されて、児童保護機関の人が家にやってきたことがありましたが、こちらとしては、学校に問い合わせてもらえば、すぐにわかること、なんなら、学校以外にも公文やバレエなどのお稽古事の送り迎えもあって、目が回るほど忙しく、他の子よりも違う学びの場にも行かせている!と、憤慨し、そんな通報にひるむことはありませんでした。

 しかし、夫が亡くなって、我が家が外国人の母子家庭として児童裁判所の監督下におかれてからは、目をつけられたら、下手をすると子供を取り上げられてしまうため、この子供の置き去りに関しては、それまで以上に神経質になり、18歳になるまでは、子供を一人にすることは、決してありませんでした。

 娘も成人して、子育てを終わった今、日本よりも治安が数段悪いと思われるフランスでも、無事に子育てができたことは、ヤレヤレという気持ちもある一方、厳しい児童保護の法律があるとはいえ、これらの子供を預かってくれる受け皿があったことには、とても感謝しています。

 埼玉県の事情はよく知りませんが、埼玉県の虐待防止条例改正案というものに対して、その条例の前に、埼玉県には、私がフランスで利用させてもらってきたような、子供を一人にしないための受け皿というものがあるのだろうか?と、現役で子育てをしている人々がちょっと気の毒になってしまいます。

 これでは、女性に働くな!といっているようでもあり、また、子供を作るな!といっているようでもあり、子供を守るつもりがその家庭の生活そのものが成り立たなくなってしまう場合もあるのではないか?と、歪なものを感じます。

 そして、県民に通報を義務付けるというのも、ただでさえ、周囲の監視の目がキツそうな日本で、他人を責める格好の材料となりかねないような気もします。

 フランスでは義務と補償はセットのようなものところがあり、小さい子供を一人にしてはいけないという親の義務がありますが、それとセット補償?として、子供を預かってくれる場所が存在しています。

 子供を一人にしないということは正論ではあるかもしれませんが、そのために、国が何かの受け皿を同時に用意しない限り、それは単に子育てを苦しめるものにしかならないと思うのです。


埼玉県虐待禁止条例改正案 


<関連記事>

「決死のお迎えで、ある日、気付いたこと・・フランス人は、走らない」

「子供が一人で歩いて通学できる・「はじめてのおつかい」の番組が成立することは驚異的な治安の良さ」

「おたくのお嬢さんが刺されそうになりました!?・・バカンス中のサマーキャンプでの話」

「フランスのベビーシッターと子供のお迎え」

「フランスでの児童保護、親権などに関する怖い話」


2023年10月8日日曜日

日本への一時帰国の移り変わり

  



 私が海外生活を始めて以来、といってもフランスに来て以来のことですが、日本へは、定期的に一時帰国をしていますが、考えてみれば、その一時帰国もずいぶん、移り変わってきたものだと、思い返します。

 イギリスに留学中だった頃は、期間限定ということもあり、この限られた期間中にわざわざ日本に帰国するのはもったいないと思い、日本ではなく、その分、ヨーロッパを旅行して歩きました。

 日本に定期的に一時帰国をするようになったのは、本格的にフランスに落ち着いて生活を始めてからのことです。

 最初の頃は、子供に少しでも日本に触れる機会をもたせたい、孫の存在をことのほか喜んでくれていた両親に孫を合わせたい、ほんの短い期間でも、子供に日本の学校生活を体験させたいなどというものでした。

 そんな子供のためという理由とともに、特に最初に母の体調が悪くなり始めてからは、日頃は、両親のために何もできないから、日本にいるうちにできるだけのことはやっていかなければ・・と、介護手続きに奔走したり、家の中を生活しやすいように整えたり、その合間を縫って、友達に会ったり、買い物をしたりと超絶忙しい日本滞在でしたが、両親と過ごす時間はかけがえのないものでした。

 両親ともに他界してしまった今では、日本に待っていてくれる人がいるというのは、どんなにか嬉しく、温かい気持ちにさせてくれるものだったか?と思い知らされます。

 その後は、母が急に入院した際とか、危篤状態になって、急に帰国したこともありました。連絡が来て、すぐにチケットをとって、翌日には日本へ・・なんてことも、何回かありました。

 その後、今度は夫が急に亡くなったりして、やたらと多いフランスの学校のバカンスと私のバカンスを調整して、この学校のバカンスをどうにか乗り切っていくために、しばらくは、日本に全く行けなかった数年間もありました。

 その後、しばらくしてから、日本への一時帰国は再開しましたが、それからまもなくして、今度は、父の具合が悪くなり、その介護施設の下見をしに行ったりしたこともあったし、とうとう、父が亡くなった際には、お葬式のために帰国、それからしばらくして、父の死後の手続きのための帰国、その後は、空き家となった実家の片付けに定期的に日本に帰国していましたが、パンデミックのために、2年近く中断していました。

 日本への入国もそろそろ厄介なこともなくなりつつあるかな~?と思っていた頃に、今度はウクライナの戦争が勃発し、一時は日本への直行便もなくなってしまいました。

 その後、娘が日本で就職することになり、しばらく、空き家にしていた家のこともあり、最初ぐらいは・・と思い、娘が日本へ行くときに一緒に同行し、私一人で帰仏しました。

 当時は、直行便がなく、迂回運行で、長距離フライトもずっとマスクをしたままというキツいフライトに思いっきりウンザリして、本当に身体が本当にキツくて足が遠のいていました。

 こうして、考えてみると、これまでは、日本への一時帰国はバカンス感はほとんどなく、ゆっくり過ごすということは全くできず、おまけに、その短期間に会う友人や親戚へのお土産探しだけでも、はっきりいって、大変なストレスで、もう20年以上、度々、フランスから日本へ持っていくお土産には、もう、ありとあらゆるものを持っていき尽くした感もあり、また、数も半端な数ではないため、これを買い集めるだけでも大変なのです。

 そんなわけで、だんだんと日本への一時帰国は楽しい反面、大変、気が重くなりつつあるのも事実なのです。

 若い頃(日本に住んでいた頃)は、海外旅行ばかりしていて、国内旅行は歳をとって、長距離の旅行がきつくなってからにしようなどと思っていたため、ほとんど日本国内を知らずに結局、年齢を重ねつつある今、そろそろ国内旅行にシフトするつもりであったのに、日本の国内旅行は遠いものになってしまったままです。

 今年は、年内には、一度、帰国する予定にしていますが、今は、介護する親もなく、空き家だった家には、娘が住んでいるので、片付ける必要も今のところはなくなり、日本へ帰っての特命事項はあまりなく、運転免許の書き換えや銀行などの用事が多少あるくらいで、自分の好きに過ごすことがようやくできるようになったので、今度は、念願の日本国内を少し旅行しようと思っています。

 そうなってくると、現金なもので、億劫だった日本行きも俄然楽しみになってきて、あそこに行ったら、あれを食べたい、ここも行ってみたい、あそこのあれも食べてみたいと思い始め、一人で夜中に興奮状態になり、眠れなくなるほどです。

 また、そんなことを考えていると、普段はパリで美味しそうなレストランなどを探しては、行ってみたりしているものの、全く興味が失せてしまう自分の変わりようにもびっくりするほどです。

 本来ならば、フランスと日本で半々くらいの生活をするのが理想ではあるのですが、実際に生活していれば、そんなに長く家を空けるわけにもいかず、また、こう航空運賃が爆上がりしてしまえば、そうたびたび、行き来するのも大変なことで、長距離フライトでは体力的にもキツいです。

 また、以前は、「フランスに住んでいるなんていいなぁ・・」などと言う人に対して、「フランスなんて、たまに来るくらいがちょうどいいよ・・」と答えていたのですが、なんとなく、今の自分は、「日本の方がたまに行くくらいがちょうどいいかな?」と思い始めてもいるのです。

 しかし、今回の一時帰国で、少し日本を観光することをとても楽しみにしています。


日本への一時帰国


<関連記事>

「夏の一時帰国時の日本の学校への編入体験 バイリンガル教育の生体験」

「海外生活と日本の家族 母からの最期の手紙」

「海外在住者の本人確認はパスポートではできない不思議」

「コロナ禍と戦時下の一時帰国 長いフライトの後の羽田空港での書類チェックとコロナ検査」

「死ぬ覚悟と死なせる覚悟」



 

 





 

2023年9月28日木曜日

学校でのいじめの惨状に容赦ない闘いを宣戦布告するフランス政府

  


 久しぶりに登場した感のあるボルヌ首相が、深刻化するフランスの学校でのいじめ問題の惨状に今年度の絶対的な優先事項として、学校および子どもたちが生活するあらゆる場所におけるいじめ問題やハラスメントを掲げ、容赦ない闘いを主導すると宣言しています。

 新年度早々に自殺した子供の事件をきっかけに、この動きが加速化し、パワーアップしたカタチをとりましたが、この問題に関して、組織的に、あらゆる手段を総動員するといくつかの対応策を発表しています。

 まず、いじめに遭遇した場合の通報ナンバーを、より迅速な対応を可能にするために、これまで3本あったナンバーを「3018」に統一して一本化し、通報があった場合は、組織的にただちに「検察官」を送致すると発表。

 また、「SNSによって、嫌がらせ、いじめをする者を徹底的に排除する」とし、深刻ないじめ加害者の携帯電話を没収、またそれに関与した者らの携帯のSNSへのアクセスを禁止することを検討していると発表しています。

 携帯の没収やネットへのアクセス禁止とは、なかなか強引な手段でもありますが、具体的に、誰によって、どのタイミングにどのように実践されるかは、有罪判決を下した裁判官ではないか?などと言う向きもありますが、現段階では未定です。

 新年度が始まる前に、すでに、いじめ問題に関しては、いじめの被害者ではなく、いじめの加害者の方が学校を退学、あるいは、停学になるという法令が施行されたばかりですが、SNSによる嫌がらせやいじめに至る場合は、それだけでは、充分ではないということなのでしょう。

 このいじめ加害者の携帯電話の没収やネットアクセス禁止の新たな措置を見る限り、SNS上での嫌がらせがどれだけ拡大していることか?と思います。

 また、ガブリエルアタル教育相は、2024年度から、学校教育の一環として、学校カリキュラムの中に「共感」の授業を設けることを発表しています。このカリキュラムは実際にオランダで行われて、いじめ問題減少の効果が表れているという授業をモデルにしていると言われています。

 これだけでも、警察、検察などの法務省、携帯に関してのデジタル省、そして、教育省と省庁間をまたがって、連携した対応が必要な問題であり、ボルヌ首相が総動員で連携していいめ問題との闘いを主導するという意味がわかるような気がします。

 たかだか子供のいじめ問題とは、簡単に済まされない惨状が、これだけの政府間の連携に感じられます。

 一度には無理なことは、わかっていますが、これらの措置と同時に、なぜ?いじめるのか?なぜ?嫌がらせをするのか? についてを追求し、原因を考えることも必要なのではないか? 病んでいるいじめの加害者をただ罰するだけではなく、指導していく道も必要なのではないか?と思います。

 今、フランスの学校では、1クラスに2~3人、年間80万人から100万人のいじめの犠牲者が生まれていると言われており、問題は本当に深刻です。


学校いじめ問題 携帯電話没収 ネット遮断


<関連記事>

「いじめ・嫌がらせをしていた14歳の少年 授業中に手錠をかけられ逮捕」

「新年度早々に、いじめを苦に自殺してしまった15歳の少年」

「フランスの学校でのいじめ問題 被害者ではなく、加害者を転校させる法律発令」

「13歳 LGBTの少年の自殺でクラスメイトが身柄拘束・裁判へ」

「フランス人の嫉妬心と日本人の嫉妬心 一時帰国の際の娘の日本の小学校への編入時のいじめ」



2023年9月27日水曜日

15歳の少女の不可解な失踪事件

  


 フランスのサヴェルヌ(アルザスとロレーヌの間あたり)の人口が約230人という小さな町で、15歳の少女が突然、行方不明になったという話が大きく報じられています。

 彼女は、土曜日の午前中11時頃に家を出て、ストラスブールに住むボーイフレンドに会いにでかけました。駅までの3キロほどの道のりを電話しながら歩いている様子が11時30分頃までに2人に目撃されています。

 実際には、彼女の携帯電話は11時22分に不通になっていますが、その直前に彼女は自分の乗る乗車予定の時間と到着時間を知らせるため、ボーイフレンドにメッセージを送っています。

 この事件は、彼女が乗っているはずだった電車に彼女は乗っておらず、携帯も繋がらなくなってしまったことから、まず、家族に連絡が行き、比較的早い段階で、彼女の両親は、警察に連絡を入れました。

 のどかな街並みで、街中の人すべてが知り合いのような場所で、突如、何の痕跡もなく姿を消してしまった彼女を家族はもちろんのこと、周囲の人々も大いに心配して、もう数日が経過していますが、未だ行方不明です。

 この事件が失踪事件というのかどうか?わかりませんが、彼女は直前までボーイフレンドに会いに行く途中であり、その時間等の連絡をとっていたことを考えれば、彼女が自ら失踪することは考えづらく、また、彼女が歩いていたと思われる駅までの道には、交通事故等の痕跡もなく、事故とも考えづらく、事件性が高いです。

 彼女の母親はマスコミの前に登場し、涙ながらに、娘の無事を祈っている、そして、捜査に協力して下さっている憲兵隊をはじめ、ボランティアの方々にもとても感謝していると語っています。

 彼女が行方不明になって以来、彼女のカード等が使われた痕跡もなく、彼女の生命の痕跡が絶たれてしまったのではないかと心配されています。

 推理小説のような話でもありますが、人口230人あまりのすべての人々が知り合いであるというような町で、土曜日のお昼近くという時間帯に目撃者が2人だけで、突然、姿を消してしまうというのも不思議な気もしますが、かなりな田舎町、しかも駅までの道のりは歩道ではなく、あまり人目につかないような自転車用のルートを歩いて行かなければならないのです。

 そのルート上にも何も痕跡がなく、また、駅の防犯カメラ等にも彼女は写っておらず、電車内でも彼女は目撃されていないことから、彼女が駅に行く途中で車で連れ去られたのではないか?と見られています。

 彼女が乗っているはずだった電車の到着を待って、駅を何度も歩きまわったという彼女のボーイフレンドの心情を考えるも、いたたまれない気持ちにもなります。もしも、彼女と会う約束をしていなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない・・と自責の念にもかられてしまいそうです。

 娘を持つ親として、ちょっと想像するだけでも恐ろしい話ですが、正直、娘がその年ごろに、私は、ほとんどそのような心配をしたことがなく、今さらですが、冷汗もの。このような事件を聞くたびに、よく無事に何ごともなく、育ってくれたことを奇跡のような気がしてしまいます。

 しかし、我が家の場合は、特に娘が未成年の間は、突然、片親になってしまったために、裁判所の監督下にあったということもあり、具体的にこのような心配はしなくとも、娘を一人にすることはできる限り避けていたし、何より、彼女は勉強に忙しくて、休日にボーイフレンドと遊びに行くなどということも全然、ありませんでした。

 しかし、未成年の失踪事件、行方不明事件は、フランスでは年間4万件くらいあるそうで、その中には、自ら家出するようなケースも多く含まれているとはいえ、そんなにいるのか?と、この事件の中で最も驚かされた情報です。

 夫が急に亡くなったときにも感じたのですが、不幸に見舞われたり、また、困難に陥っている人々に対しては、特別ないたわりの情を示し、協力してくれるフランス人の国民性?からも、また、しかも、このようなすべての人々が知り合いのような田舎町での人々の協力体制がどんなに強力なものであるかは、想像に難くないところです。

 もしも、彼女を連れ去った犯人がいたとしたら、間違いなく、この事件が国中で大騒ぎになっていることを知っているはずで、一体、どのような人物がどのような目的で彼女を連れ去ったのか? 異常者であれば、再犯の恐れもあるわけで、出来るだけ早い事件の解決が切望されます。

 また、捜索のために公開されている彼女の写真を見る限り、ブロンドの悲しいほど可愛らしい女の子です。しかし、私の勝手な見解ではありますが、14~15歳という年齢は、やたらと事件に巻き込まれることが多い気がするのは私の気のせいでしょうか?


15歳の少女の失踪事件


<関連記事>

「フランスで17年間解決しなかった9歳の少女の失踪事件 アルデンヌの殺人鬼」

「妻を殺して3ヶ月間ウソをつき続けた男 逮捕拘留の末、自白」

「15歳の少女をメッタ刺し、生きたまま火をつけた未成年の男子に懲役18年の判決は妥当か否か?」

「少年院から出て2ヶ月後、5歳の少女を殺害した15歳の少年」

「嫉妬による嫌がらせから起こった14歳の殺人事件 セーヌ川に捨てられた少女」



 

2023年9月18日月曜日

言ってはいけない言葉

  


 夫が亡くなってしまったとき、突然のことだったし、まったく予想にさえしていなかったdできことに、みっともないことに、私は、少なからず取り乱し、落ち込み、途方に暮れて、あの頃のことは、思い出すのも怖いくらい、一日、一日をどう過ごしていたのか? はっきり思い出せないことと、やけに鮮明に覚えていることとが混ざりあっています。

 私は、胃に蓋がされたかのように、全く空腹というものを感じなくなり、食べられなくなり、眠れなくなりました。家中に何も変わらずそのままに残っている夫の洋服や靴、その他、買い物好きの彼が世界中で買い集めた奇妙な骨董品のようなものなどに囲まれて、ことあるごとに夫を思い出しては、涙があふれてくるのをとめられず、眠れない夜でありながら、このまま夜が明けなければいいのになどと思ったりもしました。

 私のそんな状態とは裏腹に、当時まだ10歳だった娘は、激しく感情を乱す様子もなく、葬儀が終わってすぐに、学校生活に戻り、私も仕事に復帰しました。

 夫のいない家にいるよりも職場や学校の空間にいた方が気が紛れて助かったということもありましたが、やはり、娘のことは、それはそれは心配で、学校に復帰した娘を迎えに行ったときは、再び、無事に学校生活に彼女が戻れたかどうか、どきどきして、先生に娘の様子を尋ねたりもしました。

 彼女の行っていた学校では、夫が亡くなってすぐに、病院から娘を迎えに行き、普段は保護者たりとも学校に立ち入れないところを事情を説明して学校に入れてもらい、彼女のいる教室に授業中にもかかわらず、急に入って行って娘を連れ帰ったこともあり、あっという間に夫の亡くなったことは学校中に知れ渡ることになり、その後は、学校のディレクトリスから直接電話をもらったり、葬儀が終わるまでの間、学校を休んでいた彼女に同級生のお友達のパパやママたちが子供を連れて、学校の授業に遅れないようにと、ノートを届けてくれたり、学校がお休みの水曜日には、自分たちの子供と一緒に預かってくれたりと、これからも学校生活が送れるように一致団結して助けてくれました。

 しかし、人から助けてもらうばかりで、自分は他の人のために何もできないことは、それはそれで、辛いことでもありました。

 最初は特に、もう一日一日を過ごしていくことに必死で、夫の死後の煩わしい手続きに追われながら、精神的にも張りつめていて、また実際にも、これまで夫と手分けしてやっていた様々なことを一人でやってかなければならなくなったため、また、行く先々で、新しい生活環境に変わった事情を説明しなければならなかったりと、生活のリズムを取り戻していくのには、時間もかかりました。

 ことあるごとに涙を流していた私と違って、娘はそのようなことはなかったのが逆に心配なほどで、泣かない娘を心配して、ママ友に相談したりしたこともありました。

 しかし、それからしばらくして、ある日、娘が目に涙をいっぱいにためて、「かわいそうな子だと言われたくない・・」と私に打ち明けてくれたことがありました。

 彼女の言葉に私はハッとさせられて、そんな彼女の気持ちに胸が痛くなったことがありました。「かわいそうに・・」という言葉は、一見、人を傷つける言葉には聞こえないし、暴力的な言葉でもありません。また、ごくごく身内の本当に近い存在の人だったらば、いたわりの言葉にもなりうる言葉でもあるかもしれません。

 しかし、人々が何気に口にしかねない「かわいそうに・・」という言葉は、実は、けっこう人を傷つける言葉ではないかとその時に思いました。実際にかわいそうなことになっていても、かわいそうだと思われたくないのは心情です。

 でも、このことがあって、私は、より、しっかりしていかなければいけないと思ったし、彼女にこれまで以上の愛情を注がなければ・・、そして、今まで以上に色々な経験をさせてあげたいと思ったことも事実だし、また、彼女自身もそんなことを言われないように、彼女なりの努力をしてきたと思います。

 あれから、もう10年以上が経って、おそらく彼女のことをかわいそうだと思う人は、あんまりいないんじゃないかな?と思っています。


言葉 禁句


<関連記事>

「トゥーサンのお墓参り フランスのお墓のこと 夫が亡くなった時のこと」

「バイリンガル教育は簡単じゃないけど、頑張れば、その子の一生の財産になる」

「フランスの小・中学校(高校) 私立進学へのススメ」

「娘の卒業式」

「バイリンガルになった娘の就職」

「娘の友人関係に見るフランスの社会構造」

「フランス人のパパの教育」

「娘の真夏の成人式」


2023年9月7日木曜日

新年度早々に、いじめを苦に自殺してしまった15歳の少年

  


 先月、新年度を前にフランス政府(文部科学省)は、増大していく、いじめ問題に関して、「学校を去るべきなのは、被害者ではなく加害者である」と、いじめの加害者を転校あるいは、退学にさせることができる新しい法律を発令したばかりでした。

 しかし、新年度が始まって早々に、いじめを苦に15歳の少年が自宅で首を吊って自殺してしまうという悲劇的な事件が起こってしまいました。

 この被害者の少年は、長い間、いじめのターゲットとなっており、昨年12月には、この少年に対するいじめが報告され、今年3月には、学校側が、複数の加害者とその保護者、そして、この被害者の両親を呼び出し、話し合いが行われていました。

 4月には、学校と被害者の両親との間で数度にわたる手紙のやりとりが行われていた模様ですが、この被害者側は、学校側からの対応は満足のいくものではなかったと語っています。

 業を煮やしたこの父親は、警察に訴状を提出したものの、受け付けてもらえなかったと話しています。

 結局、年度末(夏のバカンス前)まで、学校との話し合いは続けられ、学校側は、この被害者の少年のいじめ状況を、CPE(Conseilleur principale d'educaation 教育アドバイザー)が、定期的に監視するという措置をとっていたと言います。

 結局、この被害者の両親は、学校側の対応に不安が拭いきれずに、この少年は、9月からは、別の学校に転校することになっていました。

 文部科学省の出した法令は、結局、この少年に対しては適用されなかったようで、(タイミング的に遅かったこともあるが、)被害者の両親の言い分では、このいじめの事実認定が正確になされていなかったと話しています。

 とはいえ、この少年にとって、新年度からは新しい学校で心機一転というわけにはいかなかったということは、このいじめや嫌がらせが、校内だけでなく、SNS上などにも及んでいた可能性があることが指摘されています。

 しかし、まだまだこれから長い人生が待っているはずの15歳の少年が、自らの命を絶ってしまったという事実、夜、自分の家で首を吊っていたところを発見した両親の気持ちを考えるといたたまれない気持ちです。しかも、さんざん心配な状況をなんとかしなければならないと奔走していただけに、許せない気持ちだと思います。

 この加害者になっている子供たちとて、こんな行為に及ぶということは病んでいる状態であることは明白ですが、やはり、あらためて、いじめの問題は、ことさら早く、厳しい対応が必要であることを痛感します。

 納得する対応をしてくれない学校、訴えを受け付けてくれない警察。さんざんいじめに遭っていた少年の心は弱っており、SNSで無限に拡散されるいじめもあったとしたら、もう耐えられないと思ってしまったかもしれません。

 未成年ということで、厳罰化ができないという側面もあるかもしれませんが、最近の未成年の犯罪(いじめも犯罪)は、目に余るものがあり、未成年とて、厳しい措置をもって、早急に対応することが必要なのかもしれません。

 フランスでの未成年の事件では珍しいことではありませんが、この被害者の両親は、前日に息子が自ら命を絶ってしまったというのに、気丈にもテレビのインタビューに答え、「今、すぐになんとかしなければいけないのは、アバヤの問題などではなく、いじめの問題に対する確固とした対応です」と訴えていました。


フランスのいじめ問題


<関連記事>

「フランスの学校でのいじめ問題 被害者ではなく、加害者を転校させる法律発令」

「フランスの職場でのイジメと嫌がらせから、悲惨な結果になったリンダちゃんの話」

「嫉妬による嫌がらせから起こった14歳の殺人事件 セーヌ川に捨てられた少女」

「15歳の少女をメッタ刺し、生きたまま火をつけた未成年の男子に懲役18年の判決は妥当か否か?」

「13歳 LGBTの少年の自殺でクラスメイトが身柄拘束・裁判へ」





2023年9月6日水曜日

フランスの大人気ユーチューバーのマクロン大統領独占インタビュー 24時間で100万回再生突破

  


 フランスの人気ユーチューバーの一人である通称ユーゴ(Hugo Travers氏)が新年度が始まる日のタイミングを狙って、「若者の将来」を中心としたテーマで、マクロン大統領への独占インタビュー映像が、当日、午後6時にYouTube、TikTokで同時に配信され、話題を呼んでいます。

 彼は、TikTokで500 万人以上、YouTubeで200 万人以上の登録者を抱える、特に若者に大きな影響力を持つ人物でもあります。若干、26歳の彼の位置づけは、もはやユーチューバーというよりも、ジャーナリストと呼ぶにふさわしいもので、毎日毎日、国内はもとより、世界中のニュースを抜粋して、客観的に解説して伝え、10分程度に編集されている彼のYouTubeは私もほぼ毎日、視聴しています。

 私が彼のニュースを好んで見ているのは、あくまでニュースが客観的に伝えられているためですが、マクロン大統領を始めとする政治家たちや、時代を動かしているような著名人に対するインタビューなどの中に彼の確固とした信念が感じられることでもあります。嫌みの感じられない好青年の印象です。

 日々のニュースの中で話題になりそうな問題については、SNSを通じてアンケートをとったり、また、それをInstagramなどでさらに、詳しく解説したりしながら、特に若者に関係するテーマに熱心に取り組んでいます。

 いわゆる○○チャレンジ・・とか、エンタメ系ではないユーチューバーがこれだけ人気があるというのも、政治の話題が好きなフランス人らしいところではありますが、このような若者からのインタビューや対談などでも、政治家が力強く自分の言葉で語るところなどには、日本にも、このような場面があったらいいのに・・と思うところでもあります。

 今回のインタビュー映像は、忙しい大統領が2時間以上、彼の質問に答えながら語るというもので、フランスでは、急上昇ランク1位、24時間以内に100万回再生を突破しています。

 数々のインタビュー依頼があるにもかかわらず、このタイミングで彼のインタビューを受けた大統領の側の意気込みが感じられるほどに、ものすごい熱量で、白熱して話続けるマクロン大統領の勢いを、若い彼の方が冷静に、しかし、適格に進行していく様子は、それはそれで、興味深いものでもありました。

 彼は、質問の最初に若者のうつ病が増加していることから、精神科の医師不足などの問題から始まり、今、話題になっている公立校でのアバヤ着用禁止問題や制服について、学校のバカンス短縮問題から、子供へのスポーツの重要性や環境問題の一環として、49ユーロで公共交通機関への無制限のアクセスを提供するドイツのモデルと同様の鉄道へのアクセスを促進する措置に好意的であることなどを述べています。

 私はこの内容よりも、日本にはおそらくあり得ないだろう大統領と若者が、若者の、そして国の現状の問題や未来を踏まえて熱く語る姿を羨ましいと思って見ていました。

 私は、マクロン大統領を全面的に支持するわけではありませんが、少なくとも、こうして若者に対して、もう止まらないと思うくらい熱く語る国のリーダーをいいなと思うし、そして、適格に社会の動きを捉えながら、多くの若者の言葉を代弁して大統領からの話を引き出す若者の存在を好ましいと思うのです。

 日本のYouTube業界には詳しくないものの、思い浮かぶのは、スキャンダルを暴くことで爆発的な人気を博したユーチューバーが国会議員になったものの、あっという間に消えていったという出来事で、正当に国をよくしていくような政治家からの若者への歩み寄りも、それにぶつかっていこうとする若者も日本には、見られないのは、残念なことです。


フランス人気ユーチューバーのマクロン大統領インタビュー100万回再生


<関連記事>

「マクロン大統領のユーチューバーとのチャレンジ企画 Mcfly et Carlito(マクフライとカーリト)」

「人気ユーチューバーとの約束を果たしたマクロン大統領のユーチューブ出演 1日で750万回再生突破」

「登録者数1200万人のフランスの人気ユーチューバー 未成年者強姦で身柄拘束」

「フランスの大人気ユーチューバー Mcfly et Carlito(マクフライとカーリト)燃え尽き症候群 休業宣言」

「日本はフランス人になぜ愛されるのか? フランス人は日本をどう見ているのか?」




2023年9月5日火曜日

パリの国立自然史博物館はレイアウトもライティングも含めて美しい・・

  


 パリの国立自然史博物館は、オーステルリッツの広大な植物園の中にあります。

 国立自然史博物館 (MNHN) は、自然、生命科学、地球科学、人類学の教育、研究、普及を目的として1793年に設立された、この種の施設としては、世界最古の施設の一つでもあります。

 かなり前に友人が子供を連れて、パリに遊びに来た時に、その博物館に恐竜を見に行きたいと言って、でかけたことがありましたが、不覚にも、その時の記憶は、友人とのおしゃべりに夢中で、ほぼ記憶がないのです。しかし、この間、近くに来て、なんとなく懐かしくなり、久ぶりに覗いてみたところ、はっきりした記憶はなかったとはいえ、明らかにきれいになっていて、展示品はもとより、照明を含めた全体のレイアウトも素晴らしい、映画「ナイトミュージアム」を彷彿とさせる光景でした。

 この映画の撮影に使われたのは、ニューヨークにある「アメリカ自然史博物館」のようですが、このパリの博物館もなかなか、悪くないぞ・・と、妙に対抗心を覚える私も奇妙なものです。

 アメリカの自然史博物館は行ったことがありませんが、ロンドンにいた頃は、私は自然史博物館の真ん前に住んでいて、何回か行ったことがありました。ロンドンの自然史博物館に比べると(などと書いても、あまり意味がないと思うものの・・)若干、小規模ですが、一つの箱としたら、トータルの美しさを堪能できる芸術性の高い博物館だと思います。

 私の夫はやたらと美術館・博物館の類が好きな人で、特に子供には、やたらと美術館や博物館に連れていきたがり、特に私が休日出勤の時などは、子供たちを連れて出かけるといえば、博物館の類で、娘などは、「え~~また?ミュゼ~~(博物館・美術館)?」などと言うほど、恐らくパリ中の博物館めぐりをしていたと思われます。



 現在は、巨大なクジラの骨が正面入り口に展示され、地上階には、まるで大きな動物(マンモスやカバ、キリン、象などなど)が行進しているように置かれていて、天井は吹き抜けになっており、その四方を囲むように上階が広がっており、時間帯によって変化するライトが神秘的です。



 昔の駅を思わせるような造りなのは、オルセー美術館などとも、共通する感じがあるのですが、やはり、自然史博物館ということで、動物が中心で、一つ一つの動物の解説などに、ビデオやゲームなどが取り付けられていて、小さな子供とともに家族で楽しみながら、動物の起源や習性、その生態などを楽しく学べるばかりでなく、大人がふらっと見て歩くのにも、美しく、デートコースとしても充分満足できそうな場所でもあり、実際にそんな感じのカップルもけっこういました。




 ちょっと腰掛けることができるように置いてある皮張りの椅子なども、いちいち味わいの深いもので、歴史の余韻に浸ることができます。




 現在は、常設展の他にネコ科の動物展を開催していて、猫好きの私としては、う~ん、勇ましいライオンもトラもネコみたいな動きやしぐさをする・・とか、逆に考えればうちの猫もライオンっぽいところがあるのかも?などと思いながら、楽しみました。




 ネコ科の動物展の最後に展示されていたのは、まさかの大きな招き猫だったのも、日本人としては、見事なオチだったな・・と、ちょっと嬉しくなりました。

 家族連れでも、デートでも、ちょっと行き場に困ったら、こんな博物館も楽しいかもしれません。


🌟 Musée National d'Histoire Naturelle

     57 Rue Cuvier 75005 PARIS

     入場料 大人13€、子供10€ 火曜休


<関連記事>

「ガラガラのルーブル美術館なんて今だけ! 一人ぼっちのミロのヴィーナス」

「ユニクロ パリ・リヴォリ店オープン ルーブル美術館・日本文化とのコラボ」

「ルーブル美術館 モナリザ襲撃 モナリザは結構災難に遭っている」

「ディオールギャラリーとアヴェニューモンテーニュのディオールショップ」

「フランス人の夫の買い物」


     

 


2023年9月4日月曜日

子供のお稽古事はどの程度、必要なのか?

  


 私が子供の頃、やっていたお稽古事は、ピアノくらいなもので、英語は習っていたというよりも、母が教えてくれていたので、お稽古事という感じではありませんでした。

 まあ、時代も国も違うので、今の日本の子供たちがどんなお稽古事をしているのかはわかりませんが、お稽古事をさせる親の立場になってみると、フランスでは年度初めの9月に色々なスケジューの都合をつけて、申し込みをしたり。必要なものを揃えたりと忙しい時期でした。

 なんといっても、私が娘にさせていた最優先にしていたお稽古事?は、日本語(公文)でした。パリの公文の教室は小学校のお休みに合わせて、水曜日と土曜日の午後、好きな時間に行って、みんながそれぞれの課題をやって、それぞれが学習している間を先生が見て下さり、帰りには宿題をもらって帰ってくるというものでした。

 水曜日と土曜日の2日間を公文だけに時間を割いてしまうというのもキツいので、我が家は週1回だけ連れて行って、1週間分の宿題を頂いてくる感じでした。公文が大変だったのは、教室に連れていくことよりも、どちらかというと、その宿題を毎日やらせることで、私は仕事終わりに娘を迎えに行き、学校から帰ってくると私は食事の支度をしながら、公文の宿題を監督するという日々の繰り返しがなかなか根気がいることで、しかし、私は娘の日本語だけは、絶対にあきらめないと思っていたので、他のことは娘にうるさく言ったことはありませんでしたが、このルーティーンだけはけっこう頑なに守っていました。

 フランスの小学校は、この学校以外のアクティビティーのためにということで、水曜日をお休みにしているのですが、実際にお稽古事などの他のアクティビティ・お稽古事などに時間を割いている子供の割合がどのくらいいるのだろうか?と疑問にも思います。

 だいたい、小学生の場合は、どこへ行くにも送り迎えが必要で、送り迎えができない場合はお稽古事に行かせることもできないわけです。私は休日出勤したりした場合の代休は水曜日に充ててもらうようにしていましたが、さりとて、毎週毎週決まって水曜日に休めるわけでもなく、そうなると、水曜日に娘のお稽古事の予定を入れるわけにもいかなくて、どうしても、お稽古事は土曜日に集中することになり、土曜日には、もう一つやらせていたバレエと公文の教室のハシゴをしていました。

 とにかく、平日の学校(月・火・木・金)は、16時半までで、その後は希望者にはエチュードという学校の宿題などを見てもらえる時間があり、それが18時まで、もう時間はいっぱいいっぱいで、他のお稽古事のための時間はありませんでしたし、それ以上、増やすつもりもありませんでした。

 なので、私も水曜日が休める日は、多くの場合はプールに連れて行って、水泳は私が教えました。というと、聞こえはいい?のですが、娘はあっという間に泳げるようになったので、娘をプールに連れていくのは、私自身も泳ぎたかったことや、エネルギーがありあまっている娘をどうにかして、疲れさせることが目的でした。

 バレエは私が小さい頃になんとなく憧れていたので、パリということもあり、また地域のバレエの教室の先生がなんとパリ・オペラ座のソロのダンサーだったというカッコいい先生で、こんな先生に教えてもらえるチャンスなんて、そうそうあることではない!と、娘が4歳くらいの時から通うことにしたのですが、娘はけっこう、気に入って、10年くらいはやっていたのではないでしょうか?

 結局、お稽古事らしいことは、バレエと公文くらいのもので、それ以外は、学校で行った乗馬の合宿がきっかけで、春休みになると、乗馬の合宿に参加したりもしていましたが、これは、不定期なもので、挙句の果てには、もっと別のスポーツをやってみたいと、他のものに移行していきました。

 夫が他界したこともあって、それ以降は、うんざりするほど多い学校のお休みは、とても私一人で面倒を見きれるものではなく、私がお休みをとれる1ヶ月程度を除いた彼女の学校のバカンスを、結局は、彼女がやりたいというスポーツの合宿で埋めることになり、結果的に後になってから考えれば、このおかげで彼女は乗馬、スキー、サーフィン、ダイビング、カヌー、ハイドロスピードなどなど、彼女の年齢にしたら考えられないほどたくさんの体験をすることができてきました。

 お金もかかりましたが、それでも幸いなことにこれらの合宿に参加するための遺族補助金のようなものが国から出ていて、それでも、かなりの出費ではありましたが、私は娘に物を買い与える代わりにこれらの体験をさせることにお金を使いました。

 具体的に何の役に立つというものでもありませんが、多すぎる学校のバカンス期間を休みがとり切れずに仕事に行っている母親を待って退屈しながら時間を過ごすのは、無駄だし、毒だと思っていたのです。

 子供にしろ、大人にしろ、暇だったり、退屈したりしているとロクなことにはなりません。

 娘のお稽古事に関して、一つだけちょっと残念に思うのは、私が小さいときから当たり前のように習っていたピアノを教え続けることができなかったことです。私自身が親からしてもらったことは、当然のように自分の子供にもしようと思って、私は彼女が小さいときにピアノを教え始めたのですが、どんなに走っても疲れない娘がピアノの練習となると、すぐに「手が痛くなってきちゃった・・」とか言い出すので、私は、この子は、そんなにピアノが好きではないんだろうな・・無理矢理やらせるのも労力の無駄・・と早々に辞めてしまったことです。

 しかし、まあ思い返すに、私も仕事をしながらの子育てで、もうスケジュールはいっぱいいっぱいで、あれ以上はムリだったな・・とも思います。

 子供の頃は、言語にしろ、スポーツにしろ、飲み込みが早くて、大人になってからやるよりも、ずっと効率もよいので、好き嫌い、向き不向きがわかるだけでもやってみるということは結構、大事で、どんなことにしても、子供の頃、若い頃に、ちょっとでもやったことがあるということは、その後、大人になってから、再開するにしても、ハードルが下がるものでもあります。

 子供の個性によっても、様々な事情によっても、できること、できないことはありますが、色々なことを体験するという意味では、お稽古事は決して悪くはないかも・・と、思うのです。


子供のお稽古事


<関連記事>

「子供のために使うお金 フランスのコロニー(子供の合宿・サマーキャンプ)」

「パリ・オペラ座出身のバレエの先生 フランスの子供に人気のお稽古事」

「お稽古事の向き不向きーピアノの鍵盤を数えて覚えようとした娘」

「フランス人のパパの教育」

「母の英語教育」

「おたくのお嬢さんが刺されそうになりました!?・・バカンス中のサマーキャンプでの話」

「柔道は意外とフランスに浸透しているスポーツ フランス人 女子柔道家 クラリス・アグベニェヌ金メダル <フランスの柔道>」


 


2023年8月23日水曜日

ハードディスカウントショップ・激安店で思う子供のしつけ

  


 最近、我が家の近所のコマーシャルセンターにACTION(アクション)というハードディスカウントショップ・激安店ができて、想像以上に人気で、結構、繁盛しています。

 コマーシャルセンター自体が衰退の一途を辿っていて、どんどんテナントに入っていたお店が撤退して、どこにでもあるH&Mなどの洋服屋さんや、かなり大手のチェーン展開をしている美容院や、子供服のお店や、家電といえば、フランスでは、1強?と思われていたDARTYもなくなり、ついには、マクドナルドまでなくなり、どんどん空きスペースが増えて、「ここ、本当にどうなっちゃうんだろう?」と思っていました。

 いくら、家賃を下げてでも、スペースを空けておくよりはマシだろうとは思うのですが、チェーン展開のお店とて、店舗を開けておくことは、人件費もかかり、ストックも抱えるということで、この厳しいご時世、致し方ないことなのかもしれません。

 そんな中、このコマーシャルセンターに登場したACTION(アクション)は、ちょっと日本で初めて100均に行った時のような感動の安さで、このインフレのご時世には、ぴったり合ったお店なのかもしれません。

 このコマーシャルセンターにはカーフールも入っており、まあ、食料品やそこそこのものは、たいてい揃うので、このコマーシャルセンター=カーフール・・というような感じでもあったのですが、最近は、もしかしたら、ACTIONの方が人が入っているかも?と思うくらい人気で、ACTION目当てで、やってくる人も多い気がしています。

 この ACTION、徹底的に経費を抑えての経営でも有名で、商品は過剰在庫や倒産した会社の商品、売れ残り商品など、機会に応じた買収を優先する購買戦略や余分な店内装飾や人員も最低限に抑えていることでも有名なのですが、恐らく、この場所が選ばれたのも、そこそこの場所にこれだけ空きスペースを抱えているコマーシャルセンターの賃料も相当、値切り交渉が行われたのではないのか?と睨んでいます。

 この店舗のおかげで、結果的に集客は増えているので、また、別の空きスペースに店舗が入り始めているのも事実です。

 しかし、ハードディスカウントショップ・激安店だけに、集まってくる人の層が少々、これまでと違う客層も混ざっていることも事実で、けっこう、ヤバい感じの少年少女、小さい子供連れの親子でも、やたらと大きな声で子供を𠮟りつける光景なども、このお店の店内や周辺では見かけるようになりました。

 激安店ですから、いわゆる底辺層の人も集まってくるのは、当然の話ではありますが、彼らに共通するのは、子供にやたらと大声で急き立てたり、叱りつけたりすることで、まだ、パリに来る前に住んでいたパリ近郊の街にいた頃に娘が通っていた幼稚園には、そんな親がけっこういたことを思い出しました。

 やたらと大きな声で外で四六時中、子供を叱りつけているのが、こういう人たち(こういう人たちという言い方は失礼とは思うのですが・・)に共通するところで、子供たちが騒いで、はしゃぎまわっているとか、そういうことではないのですが、「早くしなさい!」とか、「静かにしなさい!」大したことではないことに、やたらと親が大声をあげるのです。

 はたから見ていると、「叱りつけている親の方がうるさいけど・・」などと思うのですが、そういった子供たちの反応を見る限り、もう怒鳴られても何とも思っていないようで、つまり、無限ループのようにそれが続いているようで、結局は子供たちもそれに慣れてしまっており、全くしつけになっていないのではないか?などと、思ってしまうのです。

 今の住まいに引っ越してから、娘を通わせていた学校では、とんと、この手の親子に遭遇してこなかったので、なんだか、久しぶりにこういう親子を見た気がしたのです。

 以前に、日本で水族館に行ったとき、子供が泣いたり、騒いだりしていても、親が放置していることに驚いたことがありましたが、だからといって、子供を大声で叱りつければいいというものでもないのにな・・などと、久しぶりに見かけるようになったこのような親子を見て、子育てって難しいもんだな・・この違いはどこから来るのだろうか?と思うのでした。


子供のしつけ


<関連記事>

「最近フランスに繁殖するハードディスカウントショップ アクション ACTION」

「フランス人の子供のしつけ」

「子育ての恐ろしさ やっぱり親の責任は大きい」

「娘の友人関係に見るフランスの社会構造」

「フランスの小・中学校(高校) 私立進学へのススメ」