年明け早々に、LGBTの13歳の少年の自殺が報じられていました。
自殺とは、自ら自分の生命を絶つという意味では自殺ではありますが、ある意味では、そうせざるを得なかった、彼を自殺に追い込んだ人がいるという意味では殺人事件と言えないこともありません。
13歳といえば、ティーンエイジャーとはいえ、まだまだ小学校を終えたばかりの子供です。もしも、自分の子供が自殺してしまうようなことがあったとしたら、彼自身は十分すぎるほどに傷ついていたことはもちろんですが、彼の両親や家族も悔やんでも悔やみきれないほど、深い悲しみに苦しむことになるのは、間違いありません。
フランスでは、同性婚も認められていますし、私には、かなり市民権を得られているような印象があったのですが、このような事件が起こってしまうということは、やはりLGBTの人々が侮蔑的に扱われることがある・・しかも子供の間で・・ということはショッキングなことです。
子供の社会は大人の社会が反映されるとも言われるので、大人の世界では、ある程度、分別がついてきて、オブラートに包まれるところを「これから大人になるステップの途中」である彼らの年代では、残酷さがそのまま表れてしまうのかもしれません。
イジメは、どこの国においてもあることなのだと思いますが、個人をターゲットにイジメるという行為への理由はいくらでもあり、こじつけのようなものまであるものの、その理由がLGBTであったということが、今回は、話を深刻化しているようです。
娘が小学生の時のクラスメイトにLGBTと思われる少年がいて、娘の仲良しの4人組みの一人でしたが、心優しく非常に繊細な子でした。
今回、自殺してしまった少年は中学校に入ったばかりで、彼が自殺する前に、「自分の人生を終わらせたいという気持ちを説明するメモ」をノートに書き残していたことが公表され、検察は、「自殺につながるスクールハラスメントの罪で4人の13歳の未成年者を裁く」と発表し、事件の起こったエピナル警察署の都市警備隊によって、4人の未成年者が身柄を拘束されました。
この少年・少女4人が彼に対して、どのような言動をしていたのかわかりませんが、被害者も加害者も13歳という悲惨な裁判です。しかし、このようなことが二度と起こらないように、真実を追求することは必要なことなのではないかと思います。
実際に、私の周囲にも、同性婚をしている人が複数人いますが、その誰もが本当に普通の優しい人々で、私も普通に友人としてつきあっているので、なぜ、LGBTの人々を特別扱いするのかは、正直、私には理解ができません。
このニュースを見ていたところに、日本の岸田首相が「同性婚の導入を否定」「我が国の家族の在り方の根幹に関わる」と発言したというニュースを目にして、ちょっと、あまりに情けない・・と深いため息が出てしまいました。
人を傷つけるわけでもなし、どうして自分と違う人を認めることができないのか?なぜ、こんなにもズレていることばかり発言するのか? 首相の発言は、国内だけでなく、海外からも注目されるものです。今、この時代に、「家族の在り方の根幹に関わる」などという言い方をするのは、どういう風に受け取られるか? これでは、まるで昨年から問題視されている新興宗教が言っていることみたいではないですか?
話は、横道に逸れてしまいましたが、今回のフランスで起こった13歳の少年の自殺の予備調査について、検察官は「4人の少年少女の同性愛嫌悪の嘲笑と侮蔑行為と少年の自殺との直接的な因果関係を検証する」ことに焦点を当て、「ハラスメント行為の実態、期間、糾弾された発言の正確な内容を確認し、取られた様々な措置とともにサイバーハラスメントの可能性も検証する」と述べています。
被害者の母親は、この闘いのために人生を捧げると宣言しています。
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