2023年1月16日月曜日

フランソワーズ・モレシャンのインタビュー記事

  


 偶然、フランソワーズ・モレシャンのインタビュー記事を見つけて、「あ~そういえば、彼女はフランス人だったんだわ・・」と思うほどに、私の中での彼女の記憶は曖昧なのですが、そういえば、「モレシャンさん・・」と呼ばれていた彼女を子供の頃は時々、テレビで見かけることがあり、昭和生まれの人なら記憶があるかもしれません。

 インタビュー記事によると、彼女は私が生まれる前から日本に来ていたらしく、いわゆる外タレの先駆者みたいな存在だったようです。今の日本にいる外タレはビックリするほど日本語が流暢で堪能な人が多い感じがしますが、私の記憶の中での彼女は「ワタシノク二では~~!」と、今から思えば、わざとだった?と思うほど、外国人アクセントで、ちょっとツンとして指をたてながら話す、まったく外国人のままのタレントさんでした。

 1958年に来日して以来、フランス語教師などを経て、1964年にタレントとして初めて日本のテレビに登場し、NHKでフランスの生活様式を紹介する番組の司会などを務めて、タレント活動を開始し、本を出せば、ミリオンセラー、そしてファッションコーディネーターとしても活躍、ジュエリーコレクション、テーブルウェア、着物などのデザイナーとしても活躍、また、ディオール、シャネル、日産などとも協賛で仕事をしたりし、フランスではレジオンドヌール勲章を受章しています。

 60年以上、日本に滞在しているという彼女のインタビューは、なかなか興味深いもので、日本がまだ、豊かとは言えない時代から、上り坂の高度成長の時代を経て、下り坂にかかっている現在までの日本の変化を初めて日本に接して感じた印象を持ちつつ、ずっと、フランス人(外国人)の目で日本を見てきたことを語っています。

 彼女は、現在では、外国人が日本人以上に尊敬している価値観・日本の美学、(わびさび、禅宗に由来する精神性など)をとても尊敬しているが、その日本の価値を若い日本人は何も知らないと言っています。

 「1974年、日本を先進工業国時代に突入させた利口なペテン師、田中角栄首相が就任するまで日本は日本であった。それから、日本のコンクリート化が始まった。あちこちに工場ができ、小さな職人たちの工場は終わりを告げ、もはや本物の日本ではなくなった」

 「1980年代に日本急はに豊かになり、ゴッホの絵を世界中が驚愕する値段で買い落したり、ゴルフ場を買いまくったり、ついには、トヨタが、フランスのノートルダム寺院を借り切って自動車ショーを開催するとまで言い出し、お金にものを言わせて慎みを失ったようだったと言っています。(この自動車ショーの開催は却下された)」・・

 「しかし、バブルがはじけて、自殺者が激増し、日本人は再び謙虚になりました」・・

 この後、彼女は日本の女性の位置づけの変換について、日本の教育について(日本の学校は自分で考えないこと、ひたすら人に従うことを教えている)、男性と女性、夫婦の関係についてなど、延々と語っていますが、最後に目を引いたのは、インタビュアーの「日本は今のアジアのモデルになれるでしょうか?」という問いに対して、「もう手遅れです」とバッサリと答えたことです。

 「日本はもはや中国や韓国、その他の地域の国々のモデルにはなり得ない。日本は消えつつありますが、文化レベルではまだ生きています。そして、このことは特にヨーロッパで顕著です」という文面です。

 同等に語るにはおこがましいのですが、日本に住むフランス人とフランスに住む日本人という逆の立場で、彼女に比べれば、まだ20数年しかフランスにいない私でさえ、この私が日本を離れてからの期間だけに限っても、外国から見る日本という意味でも、少しは客観的に見て、危機感を感じています。

 日本に60年以上住んで、様々な場面に遭遇してきたであろうフランス人の言葉に、なんとなく、わかっている気がしていた内容であっても、グッサリ刺された気がしたのでした。


フランソワーズ・モレシャン 外タレ


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