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2025年6月14日土曜日

フランスでも報道し始めた日本の米騒動について

  


 日本で、お米の価格が上昇したり、スーパーマーケットの棚から消えている・・などという米騒動はネット等の報道で見ていました。

 海外生活を送っていると日本のお米というものは、本当に貴重なもので、日本に一時帰国した際には、日本のお米を必ず買ってきています。パリでもお米は買えますが、本当の日本米というものは、ないことはないのですが、高価で、日本米といっても日本の品種のイタリア産のお米・・とかいう場合が多いのです。

 ふつう、国民の主食となる食品については、あまり価格が高騰しすぎないようにある程度政府が介入して調整したりするものだと思っていましたが、そのあたりが上手く機能していないのだと思っていました。

 今回、こちら(フランス)の報道で見かけたのは、「日本は米の価格が高騰しているため、そして、選挙が近付いているために、3兆円もの費用を費やして全国民に140ユーロを支給する」というものでした。

 「4月に日本の店舗で売られる米は前年比で2倍に値上がりしたが、政府はここ数ヶ月、国の備蓄米を放出することで、この高騰を食い止めようとしていた」。「過去1年間の価格の上昇については、複数の要因が挙げられており、1つ目は記録的な猛暑のために供給量が減少したこと、2つ目は、2024年8月に巨大地震警報が発せられたためのパニック買いが起こったこと、そして記録的な観光客の流入が消費のさらなる増加につながったこと・・などとしています」

 しかし、そのどれもが要因の一端を担っていたとしても、それくらいで、お米が日常の供給に事欠くようになるのは、おかしな話です。

 ましてや、国民の税金で蓄えていたお米をまた国民に売りつけて、恩着せがましい感じのことを言っているし、さらには選挙前だからといって、ここぞとばかりに、その高騰しているお米のためにといって、国民にお金をばらまくというのはみえみえなやり口。

 そもそもは減反政策が度が過ぎていたのだろうと思いますが、なぜ、日本の美味しいお米の生産を減らすようなことをするのか?本当に疑問です。

 海外では、空前の日本食ブームを迎えて久しく、今やパリでもお寿司やおにぎりを売っていないスーパーを探す方が難しいくらいにお米は海外でも食べられています。

 おそらく、スーパーマーケットで売っているお寿司やおにぎりに使われているお米が日本製のお米とは思いませんが、日本のお米でもないおにぎり1個がいくらで売られているかご存知でしょうか?だいたい、安くて3ユーロ・・高いと5ユーロ近い(約500円~800円)のです。

 たいして美味しくもない外米のおにぎりでこの値段なのです。

 フランス人は、欧州の中でもかなり日本贔屓の人が多い国のような気がしていますが、同時に「ホンモノ」などへのこだわりを追求するというか、ウンチクを語る人が多いのです。

 これだけフランスでも浸透したおにぎりの元祖は日本、そして、本来使われるべき日本のお米で作られているおにぎりとなったら、多少、高くても彼らは喜んで買うのです。

 減反政策などせずに、日本の美味しいお米をたくさん作って海外にもっと売ればよいのに・・と本当に思います。海外では高くても売れるのですよ・・。

 農協の仕組みについては、よく知らないのですが、お米の生産・出荷を取り仕切っているのが農協ならば、農協は海外への輸出をもっと模索するべきだと思います。


日本の米騒動


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2025年4月29日火曜日

日本入国のためのオンライン事前申告渡航認証システム JESTA 前倒しで2028年度に導入

 


 ついこの間、イギリスでのETA(電子渡航認証)が始まって、すでにアメリカ、カナダ、オーストラリア、韓国などにも導入されているという事前申告渡航認証システムは、日本では、当初、2030年までに年間6,000万人の観光客を目指すとともに、このシステムを2030年までに導入すると発表していました。

 しかし、すでに続々と世界の国々がこのシステム導入に踏み切っており、欧州では、欧州30ヶ国への渡航システム「Etias」(欧州渡航情報・認証システム)を2026年にスタートすることを発表しています。

 この世界的な潮流に、日本は2030年導入の予定を2028年度に前倒しすることを決定したようです。

 この日本の新しいシステムを私はフランスのニュースで知ったのですが、「日本は外国人観光客の急増を受け、政府はJESTA制度の導入を前倒しすることを決定した」というもので、米国のESTAや英国のETAなどのモデルにヒントを得たこのシステムはビザが免除される旅行者を評価することを可能にする」のだそうで、約71ヵ国の外国人日本入国者はこの電子認証を取得するために、個人情報と滞在期間中の予定を申告しなければならないと説明されています。

 このアプローチは、何よりもまず、国境管理を強化しながら到着者の管理の改善することを目指しています。

 このJESTAシステムは、通常90日までの短期の観光または商用滞在のビザ免除旅行者を対象としており、旅行者は出発前に訪問理由や宿泊先の住所などをオンラインフォームに登録する必要があるそうです。

 日本政府は「管理を強化し、入国審査を円滑にするためにも、このシステムを早急に稼働する必要がある」としています。

 旅行者は出発前にJESTAを取得しておく必要があり、この申請が拒否された場合は、日本行きの飛行機に搭乗できなくなります。

 これにより、最初からリスクプロファイルを特定することができ、不正な滞在を防ぐことが可能になるそうです。とはいえ、不正に滞在しようとしている人々は、正面から、正規の方法では入国しないのでは?などと思ってしまいます。

 とりあえずは、このシステム導入は良いことだとは思いますが、その後のこの情報をどのように管理できるのかも疑問が残るところでもあります。

 もっとも、このJESTAに関しては、日本人には必要ないものなのですが、今後、多くの国では、同様のシステムが日本よりも早くに導入されるので、行く先々で、その国の渡航認証システムを取得する必要が出てくる・・そんな時代になりました。

 もうパスポートだけじゃ旅行できなくなるのね・・。


JESTA オンライン事前申告渡航認証システム


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2025年3月30日日曜日

朝食が好き 最期の晩餐は朝食がいいかもしれない・・

  


 最近のマイブームは朝食で、いわゆる朝食っぽい食事が自分は好きなんだな~と、あらためてそんなことを思っています。

 日本に行ったときに、温泉に行ったりしたときの、温泉旅館の和朝食などは、私にとっては、究極の朝食で、豪華な夕食は温泉の楽しみのひとつなのですが、さんざん食べ尽くした翌朝でも、ごきげんで食べられる朝食もその楽しみのひとつです。

 朝から、こんなにたくさん!と歓呼する旅館の和朝食はもちろんのこと、ふつうの家庭でも食べるような、ごはんとお味噌汁、納豆、お漬物、のり、たまご焼き(それに魚の干物などあったら、すごいですが・・)などの朝食も、海外にいれば、もの凄いご馳走です。

 以前、職場にいた同僚が子どもと日本に帰国していた際に、子どもが、実家のお母さまが用意してくださった、いわゆる、ごくごくふつうの和朝食に、「晩御飯みたいな朝ごはんだね!」と言ったという話には、当時も今も、大きく頷ける感じがしたものです。

 しかし、私は、トーストに簡単なサラダにコーヒーなどの朝食も、これもまた好きです。朝でなくとも食べたくなるような食事です。

 私はフランスでは、朝からお米のご飯を食べることは滅多にありませんが、いわゆる、朝ご飯みたいな晩御飯を食べるときは、とっても贅沢している気分です。

 私が子どもの頃は、父は、1日に一度はお米を食べないと気が済まない人だったので、たいてい父は朝からご飯とお味噌汁、焼き魚と納豆、あるいは、卵焼きなどとお漬物・・という食事で、朝、パンを食べるのは、お休みの日で、スープ(トマトとか、コーンとか、クラムチャウダーとか・・)とツナ缶とか、イワシのトマト煮とかを添えたサラダとトーストというのが定番でした。

 母に言わせれば、パンだと手間がかかるから・・ということでしたが、なるほど、今、思い返せば、今の時代ならともかく、私の子どもの頃ですから、スープといっても、大皿にスプーンで飲むようなスープで、今でもあの頃の食卓が思い浮かびますが、母も大変だったろうな・・と思います。

 今の私がパンにサラダにコーヒー・・なんていう簡単な感じではありませんでしたが、それでも、今、思い起こせば、私が自分で作っているサラダ用のドレッシングは、あの頃、母が作ってくれていたドレッシングと同じ味だと思います。

 そして、これは、今となっては、ほんと、滅多に食べないけど好きなのは、イギリスの朝食で、これは、私がイギリスに留学していた頃、ほんのわずかな期間、ホームステイしていた家庭で出してくれた、いわゆるイングリッシュブレクファストで、薄切りのパンをトーストしたものに、ベイクドビーンズ、焼いたトマト、ソーセージの朝食で、たまにM&S(マークスアンドスペンサー)に行ったりすると、このベイクドビーンズの缶詰を買ってみたりすることもあります。

 当時、最初にこの朝食を見た時は、「なにこれ?朝から、グチョグチョな豆・・」とゲッソリしたのを覚えていますが、その家庭で出してくれる料理の中では、朝食が一番マシ(失礼!)で、それも、ごくごく短期間だったので、今では懐かしい・・私にとっては、なんとなく郷愁を感じる朝食でもあります。

 おかしなことに、なんと一番長く生活しているフランスでは、フランスらしい朝食というものは、あんまり食べずに来たのですが、夫は、よく縦半分に切って、ちょっとトーストしたバゲットにバターなどを塗って、コーヒー(カフェオレ)に浸して食べていたので、これがフランス人の食べ方なのね・・と、一緒にそんな食事をしていたこともありました。

 夫が生きていた頃は、私は日曜日も仕事のことが多かったので、滅多にチャンスがありませんでしたが、ゆったりした日曜日の朝には、夫が「クロワッサンとか、パンオショコラ買ってこようか?」と、ものすごく素敵な提案をしてるアピールをしてくれていたことがあったので、夫にとっては、平日はバゲットにカフェオレ、お休みの朝食はクロワッサン・・そんな朝食が理想だったのかもしれません。

 いずれにせよ、今は朝食を抜いてしまったりすることも多いのですが、朝食を朝、食べないだけで、昼に食べたり、夜に食べたりしていて、あらためて、私は朝食というものが好きなんだな・・などと思っています。

 よく最後の晩餐というか、人生の最期に何が食べたい?なんていうことを言うことがありますが、私は、和食にせよ、洋食にせよ、簡単な「朝食」が最期に食べたい食事かもしれません。


朝食


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2025年3月26日水曜日

統一教会解散命令 フランスでの統一教会についての報道は安倍元首相襲撃事件とセット

  


 統一教会はフランスでは、Secte Moon(セクト・ムーン)と呼ばれていますが、先日の「日本の司法が統一教会に解散命令を出した」というニュースは、フランスでも、もっと大々的に扱われるかと思ったら、新聞各紙は一応報道しているものの、ほんとに「まあ、一応・・」といった感じで、あんまり大きくは扱われていません。

 そもそも、フランスでは、皆無とまではいかないまでも、そこまで浸透していないというか、反セクト法のおかげで、日本ほどの悲惨な被害が出ていないこともあって、あまり知名度はないかもしれません。

 統一教会といえば、最近で、最もその名を知らしめたのは、安倍首相がこのセクトを応援していたことにより、一家が崩壊してしまった家族の一員がその恨みを持って、公衆の面前で銃撃?したという事件によるもので、今回も統一教会解散の報道は、この「安倍元首相銃撃事件をきっかけに、統一教会は解散になった・・」というような説明の仕方です。

 まあ、この暗殺事件がなければ、未だに解散命令という運びにはなっていなかったかもしれないので、この暗殺事件がきっかけになったことは、事実だと思うのですが、私個人としては、「反セクト法」を制定しているフランスとしては、統一教会がこの「反セクト法」にばっちりひっかかる宗教団体であることが認められたために、解散命令が出たのだということ・・そして、フランスには、この「反セクト法」があるから、日本のように甚大な被害に拡大することがなかったんだよ・・ということを、しっかり説明してほしかったと思いました。

 まあ、あまり知名度のない団体に関しては、あまりニュースバリューもないのかもしれないので仕方ありません。

 ただ、ここのところ、あれから30年・・という話がよく出てくる気がするので、ついつい言いたくなるのですが、オウムの地下鉄サリン事件以降、それをきっかけにして、参考にして、議論されたセクト(新興宗教)についての問題に対応して、数年後に「反セクト法」を制定したフランスと違って、日本では、オウム真理教には、解散命令は出たものの、その他の新興宗教に関しては、特別な対応を取らずに放置した結果、被害者は増え続けてしまったのです。

 今回、ようやく解散命令が出たといっても、まだまだ実際に解散に至るのは、先のことでしょうが、まず、ようやく遠くに光が見えたというところかもしれません。

 ただし、信仰というものは、そう生易しいものではないはずなので、このおかしな資金の集め方や勧誘の仕方、政治とのかかわりなどとは、また別。

 そのうえ、あまりに長い年月が経過しているために、この信仰のもとに家族を育んで、育ってきた子どもたちも、もう大人になっているような複雑な問題(宗教2世の問題)になっています。

 信仰は尊重されるはずのものなので、この解散命令と信仰の心の問題は、同時にしっかりと対応し続けなければならない問題でもあります。

 そういう意味でも、この宗教がらみの問題は、他の詐欺事件などとはまた、別の意味でより罪深いものであったと思わざるを得ないのです。

 実態は、解散命令が出されるような団体に政治家がかかわり、相互に利用しあっていたことは本当に許されざることで、統一教会だけ成敗するのでは片手落ち、それを利用していた政治家も成敗してもらいたい気持ちです。


統一教会解散命令


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2025年3月24日月曜日

地下鉄サリン事件から30年 フランスの反セクト法

  


 日本で1995年3月20日に起こった地下鉄サリン事件から30年ということで、日本では、あの事件を忘れてはいけない、風化させてはいけない・・と振り返る番組や報道がなされていたようですが、フランスでもこの事件を振り返る報道が出ています。

「サリン」という、当時はあまり耳慣れなかった化学物質をあの東京の霞が関を中心とした地下鉄内の数ヶ所で散布されるという驚愕の事件は、平和で治安の良いはずの日本だからこそ、余計に海外諸国には、衝撃的だったと思います。

 当時、私は、まだ日本にいたので、その当時のフランスがどの程度、騒いで報道していたのかは、わかりませんが、30年経った現在でも、それを振り返る報道がなされている(しかも、写真が何枚も使われているけっこう長い記事)ということは、当時はそれなりの衝撃的なニュースだったことと思われます。

 私は、この恐ろしい宗教が拡大していった「新宗教ブーム」のようなもののすぐ隣にいた世代だったので、今とは、全く違うバブルに浮かれた人々が大勢いる中で、それに疑問を感じていた人々などが、宗教に意味や希望を繋ごうとした気持ちもわからないでもなく、未だにキッチリ解明されていないこの事件、事象には、興味を持ち続けています。

 当時、私は通信社にいたため、ニュースの一部始終を目にしていたし、今は亡きフランス人の夫も、当日、たまたま霞が関駅近辺にいて、何が起こったのか?野次馬で見に行こうとして警察に必死に止められたと言っていたので、なんだか全く他人事な気がしないのです。

 今回のフランスの記事では、当時の事件の概要を説明し、13人の犠牲者(2020年には14人目の犠牲者)と5,800人以上の負傷者が出て、負傷者の多くは後遺症に苦しんでいることを伝え、負傷者たちが「政府がこの事件の負傷者の後遺症の医療支援にもっと積極的に取り組んでほしい」と訴えていると伝えています。

 個人的には、安倍元総理暗殺事件の時に問題視された「統一教会問題」が浮上した際に書いた記事が最近、またけっこう読まれていたりするのを知って、そういえば、フランスがこの地下鉄サリン事件から得た教訓をきっかけに「反セクト法」に本格的に着手し始めるきっかけになったのがこの地下鉄サリン事件だったのだということを思い出しました。 

 この事件を機に反セクト法制定に着手し始めたフランスは6年後の2001年6月には、しっかり「反セクト法」を制定し、「宗教の自由は奪わずに、国民の精神の自由を守る」とし、「精神の不安定を導く行為」、「法外な金銭要求」、「本来の環境からの隔離」、「公権力への浸透の企て」などを禁止し、これに該当する団体(宗教に関わらず)に対しては、裁判所が団体解散権を持つようになっています。

 よって、統一教会は未だにフランスにも存在していますが、日本のような問題には、至らなかったと言われています。

 このフランスの「反セクト法」のきっかけとなったのが、オウム真理教の「地下鉄サリン事件」だったのですが、今回の「地下鉄サリン事件から30年を振り返る」記事では、フランスでも、そこまでは触れていないものがほとんどです。

 日本でも、「地下鉄サリン事件から30年 この事件を風化させてはいけない」などの記事が散見されますが、実は、何も解決していないままであることこそ忘れてはいけないのです。

 オウム真理教は、以前のような規模ではありませんが、名前を変えて、未だ存在しているし、解決しないどころか、未だに統一教会と関わっているであろう政治家が多数存在しているのは、本当に信じられないことです。


フランス  反セクト法


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2025年3月22日土曜日

気が重かった医療機器の設置も日本好きのお兄さんのおかげで救われました!

  


 今週初めにやっと検査の結果が出て、やはり睡眠時の呼吸に大きな問題があることがわかり、主治医の先生に「これじゃ、体調が悪いのも当然だ・・」と言われ、即刻、睡眠時に着用するための医療機器を自宅に設置するように手配してくれました。

 「そんな、機械を自宅に設置??」と聞いて、ギョッとしましたが、反面、楽観的に考えれば、体調不良の原因がやっとわかって、この治療をすれば、改善されるのだ・・と思い、少しは身体が楽になるということだと思うので、よかった・・と思うことにしました。

 ただ、また、その機械の配達・設置となると、また、時間が大幅にずれたり、ヘタをすると決めた日に来てくれなかったりということは大いにありえるわけで、機械の設置をしてくれる人から電話があった時点で、日時を約束したものの、半分は、「どうせ、時間どおりには来ないよな・・」と、その日は一日、予定をあけて、待っているつもりにしていました。

 しかし、担当の人は約束どおりの時間にやってきて、本当に親切に説明しながら、機械を設置して、使い方なども丁寧に教えてくれました。

 全て、保険適用になるために、そのための書類をまず、作らなくてはならなくて、それも全部、その場ですぐにやってくれました。30代半ばくらいの男性だったのですが、向こうの方から、「どちらの方ですか?」と尋ねられたので、「日本人です」と答えたら、「僕、日本が大好きなんです!」と。

 もう、日中はけっこう暖かいこともあってか、そのお兄さんは半そで・・「いくらなんでも寒くないの?」と思って、Tシャツを見ると、なんと「ラグビーワールドカップジャパン2019」のロゴ入り・・。

 「なぜ?日本が好きなんですか?」と聞いてみたら、「僕は、ドラゴンボールで育ってきたから・・NARUTOも好きだし・・」と・・。日本が好きになったきっかけは、MANGAだったそうで、これらのMANGAのおかげで、日本にとても親しみを感じるようになったとのことでした。

 パリの街では、日本のマンガのキャラクターが描かれているTシャツなどの服を着ている人を見かけることも少なくはありません。

 一時、フランス政府が停滞したフランスの文化事業推進・支援と若者への文化と芸術への好奇心を喚起させるために若者向けに発行された「カルチャーパス」が、そのうちの4分の3が「MANGA」に費やされたという結果から、一時は「カルチャーパス」は「MANGAパス」と呼ばれるようになったこともありました。

 これは、当初から、文化的なものなら、何にでも使用することができる!とのことで、その中にもちろん「MANGA」も入っていたのですが、まさかこれほどフランスの若者の文化が「MANGA」で占められることになっているとは、開けてビックリ!の事態でした。

 今回、家に来てくれたお兄さんは「マンガパス」よりもう少し上の世代ですが、実にフランスでの「MANGA」人気の拡大?には、長い年月を経ていて、年齢層も幅広いのです。

 フランスは日本に次いで、世界第二のマンガ消費国で、そのおかげで、フランスには、日本を好意的に感じてくれている人が多いことは、フランスに住む日本人としては、本当にありがたいことです。

 今回のちょっと厄介に感じていた医療機器の設置という気が重かった出来事も、この日本好きのお兄さんのおかげで、とても親切に、丁寧に対応していただきました。

 とっても、優しい目をした人だったので、そうでなくても、誰にでも親切なのだと思いますが、やはり、日本人としては、初対面の人にでも「日本大好き!」と言ってもらえるのはとっても嬉しいことで、自然とうちとけられる気がしました。

 昨年の鳥山明氏の訃報はフランスでも大々的に報道され、多くの著名人、マクロン大統領までが弔意を表明していましたが、このフランスでのMANGA文化の浸透は、日本という国に大きく貢献し、幅広く浸透していることを、あらためて、身をもって感じ、それに深く感謝する気持ちになりました。


医療機器設置


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2025年3月20日木曜日

日本で非公開の映画 Black Box Diaries を見てきました!

  


 私は、映画というものを見に行くということがほとんどなくて、映画館に行ったのは、もう何年ぶり?という感じでした。そもそも閉鎖された空間に大勢の人がいる場所というのがあんまり好きではないこともあるのですが、まあ、映画を見に行く習慣がないということかもしれません。

 今回の映画が私の重い腰を上げたのは、日本の映画なのに日本非公開だということで、しかも、海外ではけっこう評価されていると評判で、ドキュメンタリー映画のため、見る前からおおよその内容は知っていたものの、やはり、実際に見てみると、けっこうインパクトがあり、また、実際のやりとりなどが繋ぎ合わされているので、リアリティがあります。

 おそらく海外での上映は、どこも同じもので、主人公の彼女は英語で話している部分も多く、その他は日本語で、フランスでは当然、フランス語の字幕がつけられています。

 ただし、字幕の場合はどんな映画にもあることだと思いますが、微妙な日本語の表現をこう訳す?というところもあったりしました。

 まず、この映画を見たいな・・と思って、パリ市内の映画館を探したのですが、思っていたよりも上映しているところは多く、私が行ったのは平日の昼間だったので、満員とまではいかないまでも、けっこう人がいるんだな・・という印象でした。

 日本で非公開になっている理由は、裁判用に提出された映像を無許可で使用しているためということでしたが、これは、該当部分を修正してでも、ぜひ、日本でこそ公開すべき作品だと思いました。

 彼女が2015年に性被害に遭って以来、警察が被害を受け付けてくれなかった様子やそこから周囲の人々の力もあって、ようやく逮捕状が出たにもかかわらず、それが逮捕直前に取り下げられたこと、多くの人のバッシングに遭って、隠れるように生活している様子、にもかかわらず、自分たちで証言を取りに奔走する様子、刑事裁判に敗れたとき、民事裁判に勝訴したとき、また、加害者と言われる男性の会見の様子などなどが織り込まれています。

 中でも最後に登場する事件発生日にホテルのドアマンをしていた男性の思いやりに満ちた言葉とその言葉を受けて彼女が号泣する様子には、涙しました。

 証言をしていただくことで御迷惑をかけることになってしまうかもしれないと案ずる彼女に対して、このドアマンの男性は、「だいたい、この種の犯罪に対しては罪が軽すぎるし、あなたの苦しみに比べたら、私が証言をすることで被るかもしれない被害は大したことない、私が事件当日、勤務していてよかった・・」と話しているのです。

 この映画は性加害問題のみならず、簡単には被害届さえも受け付けてもらえなかった状態から、ようやく警察が逮捕状を取ったにもかかわらず、逮捕直前に取り消されるという権力によって犯罪が握りつぶされてしまうという恐ろしい現代の日本の状況を訴えている作品でもあります。映画の中にたしか、女性の方だったと思いますが、「逮捕状が出たからといって、全て逮捕されるというわけではありません」という全然、納得いかない説明がありました。

 犯罪が権力によって握りつぶされる・・そんなことがあっていいわけありません。

 この作品が多くの国で公開され、評価されていることは、素晴らしいことではありますが、この作品は、日本でこそ、上映されるべきものだと思います。

 この映画の中で、あるジャーナリストが、「ジャーナリズムというものは権力を監視しなければならない!そのために存在する!」と言っている部分があったと思いますが、まさに、私もそう思います。

 現在、映像を修正中とのことですが、一日も早く修正すべきところは修正して、日本で公開され、権力が犯罪をねじ伏せるようなことがない国になってほしいです。


Black Box Diaries


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2025年3月15日土曜日

日本から戻って以来、フランスの食べ物に食指が動かない・・

  


 日本に一時帰国して来仏した後、最初に近所のスーパーマーケットなどに行った時の絶望感といったら、ちょっとはかりしれません。

 逆に日本に行った時などは、別に高級スーパーマーケットというわけではなくとも、もうワクワク感が止まらず、もう端から端まで、全てが愛おしく、しかし、日本に到着したばかりの段階では、「落ち着け!落ち着け!まだまだ日本滞在は長いんだから、今から買い込んでも、一度には食べられないし、ましてや持って帰るものは、ギリギリに買った方が賞味期限が少しでも先になる・・」などと気持ちを落ち着かせるように自分に言い聞かせるほどです。

 以前は、それを娘と二人でやっていたのですが、今では日本で生活している娘は、すっかり日本のスーパーマーケットは日常のものになり、全く興奮しないどころか、落ち着いたもので、私はそんなことを少々寂しく感じつつも、それでも私は一人で興奮しつつ、日本のスーパーマーケットや食料品店を見て回るのです。

 山ほどの食糧品を抱えて、フランスに帰ってきて、それらは、あっという間に冷蔵庫や食料貯蔵庫におさまってしまうのですが、しばらくは、「まだまだあるある・・」となんとなく、満ち足りた日々を過ごせるのです。

 しかし、いくらたくさんの食料品を持ち帰ったとはいえ、野菜や肉、卵などの生鮮食料品は、持ってきているわけではないので、仕方なく近所のスーパーマーケットに買いものに行くのですが、毎度のことながら、「あ~~またこの世界に戻ってきてしまった・・」と絶望感が溢れてくるのです。まあ、毎回のことなので、やっぱり・・と言う程度のことなのですが・・。

 今は、特別にフランスでの生活には、それなりに満足しているし、フランスの方が心地よいと思う部分も少なからずあるのですが、この日本から帰ってきて、最初の食料品の買い物の時に感じる絶望感は毎度、おなじみの感情です。

 しばらくすれば、またそれに慣れてきて、あっちで美味しいものがあれば飛んでいき、また、こっちで美味しいものがあれば飛んでいく!という生活に戻るのですが、今のところ、まだまだエンジンがかかりません。

 約3週間の日本滞在で、3ヶ月分くらいの食べ物を食べたと思うので、しばらくは、食べなくてもいいくらいなので、ちょうどいいかもしれませんが、今まで勇んで行っていたブーランジェリーやレストラン等、今のところは、全く行く気になりません。

 先日、美味しいサンドイッチのお店があるという情報を得たので、出かけたついでに寄ってみようかな?と思っていたのですが、最初の目的地の用事が済んだ時点で、「さて、次はサンドイッチ屋さん・・」と思ったところで、なんだかめんどくさくなって(いつもなら、食べ物に関して、めんどくさくなるなんてあり得ないのです)、行ってみたいけど、あんまり食べたくないしな・・また今度にしよう・・と結局、サンドイッチ屋さんには、行きませんでした。

 軽め?のサンドイッチですら、こんな感じ、日本に行くまえには、通りかかれば、必ず覗いていたブーランジェリーなどにも、まるで魅力を感じなくなっています。

 まるで別に好きな人ができて、これまでの彼にはすっかり冷めてしまった感じ・・日本から帰ってきたら行こうと思っていたレストランにも、まるで行く気になれません。

 食べ物に対して、ここまで気持ちが盛り上がらないなんて、久しぶりのことで、ここで、ショック療法として、どこか、飛びぬけて美味しそうなものを探すか?自然と復活するのを待つか? そんなくだらないことを、しかし、食べることが何より大好きな私にとっては、重大事なことを、ここ数日、考えているのです。


フランスの食品


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2025年3月14日金曜日

少し早めのパスポートの更新手続き

 


 私にとっての海外生活の必需品は滞在許可証とパスポートですが、そのパスポートが今年は、私はちょうど書き換えのタイミングでした。しかし、正直なところ、まだもう少し猶予がありました。

 ただ、そのパスポートの更新手続きが、4月からこれまでよりも時間がかかるようになり、少なくとも3週間はかかる(これまでは、1週間でできたのに・・)とのことで、この「少なくとも3週間」というのが、なんとなく不安で3月のうちに更新手続きをしてしまうことにしたのです。

 使わないときは、余裕で数ヶ月も使わないこともあるパスポートなのですが、私の中では、常に何かあったら、日本に帰れる状態であることは保っておきたい安心のひとつです。

 これまでに、母や父が倒れたとか、亡くなったとかいうときにも、急にチケットをとって、翌日の便で帰るとかいうことは、何度かありました。パスポートさえあれば、チケットさえとれば、パリからは毎日、直行便が飛んでいるので、いつでも帰ることができます。

 逆にパスポートが切れた状態だった場合は、いくらファーストクラスのチケットを取ったとしても、出国することも入国することもできません。

 パスポートの申請中は、その時点で持っているパスポートが失効していなければ、使用することはできます(出国することができる)が、ただ、パスポートを申請中に前のパスポートが失効してしまった場合、まだ新しいパスポートを受け取れていない場合はどうなってしまうんだろう? しかも、少なくとも3週間はかかるとか言われて・・。

 余裕をもって申請すればよいだけの話なのですが、なんだか、そのあたりの感じでイラつくのが嫌で、少々、失効期限までには、時間があったのですが、さっさと1週間で作ってくれるうちに更新手続きをしてしまったのです。

 まあ、4月からはどうせ、更新手数料も値上げされるだろうし、ちょっともったいなかったかもしれないけれど、捨てることになってしまった期間分よりも安心料を選んでしまいました。

 考えてみれば、日本の運転免許証などは、更新手続きのタイミングきっかりに日本に帰国できるとは限らなかったため、これまでも、少々早めでも更新手続きをしてしまってきたので、期間ギリギリで更新手続きをしたことはほとんどありません。

 このパスポートの更新手続きについては、これまで各大使館で行っていたものをセキュリティを高めたパスポートにするために日本でしか発行しなくなるためだと言われていますが、この新しいパスポートの発行が始まれば、また色々な不都合から、色々改正されることはあるかもしれませんが、近々には無理だろうと思ったまでです。

 今回の更新手続きには、107ユーロを支払いましたが、ちなみに4月以降はいくらになるのですか?と尋ねてみたのですが、まだ発表になっていないとのことでした。

 パスポートの手続きは滞在許可証の更新に比べれば、全然、ハードルは低く、ストレスも少ないのですが、とりあえず、パスポートに関しては、これから10年は安心で、次の更新手続きは、4年後の日本の運転免許証の更新手続きです。ヤレヤレ、当分、は安心して暮らせます。


パスポート更新手続き


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2025年3月12日水曜日

娘がスキーで大ケガしたらしい・・

  


 忙しく仕事をしつつも、忙しく遊びまわっている娘ですが、私が日本滞在中も私とも旅行しつつ、途中、私の旅行中などは、友人とスキーに行ったりして、一体、彼女には、休日に身体を休めようとか、そういうことは必要ないのだろうか?と思っていました。

 それでも、私が日本に到着したときも、空港まで車で迎えに来てくれたし、帰りも早朝にもかかわらず、車で送ってくれて、本当にフル回転してるんだ・・さすが若い・・と感心しつつも、たまには、少しはゆっくりする時間も少しはあった方がいいんじゃないの?とも思っていました。

 私がフランスに戻ってからも、春になるのを惜しむように、また、スキーに行くという話は、聞いていたので、前々回のスキーでは、携帯電話をなくしかけたり(結局、びっくりすることに、一応、届け出をしていたら、見つかったという日本ならではのミラクル)したので、スキーに行くというのに、「足折らないようにね・・」とかではなく、「携帯失くさないようにね!」などと、冗談半分に電話で話していました。

 それが、週末に電話がかかってきて、なんとスキーで怪我したとのこと、骨は折れていないみたいだけど、現在、ギブスに松葉杖の生活、「来週にもお医者さんに行くけど、どうやら、じん帯損傷、もしかしたら、じん帯が切れているかも・・」とのこと。

 彼女がスキーを始めたのは、小学生の頃だったので、スキー歴はもう長く、けっこう滑れるようなので(私自身はスキーやスケートなどの滑る系のものは苦手なのでやりません)、まさか怪我するなんて、思ってもみませんでした。

 実際にその場にいたわけではないし、彼女の様子を見ていないので、あまりピンと来ないのですが、検査の結果、やはり、じん帯が切れていて、恐らく手術になるだろうとのこと。通常は、週3日くらいは出勤しているようなのですが、基本的に彼女の仕事はリモートワークでもできる仕事がほとんどなので、仕事はそのまま続けられるとのことですが、どうにも離れている身としては、心配なものです。

 幸いにも隣に従姉妹がいてくれているので、本当に困ったときには、助けてくれているようなので、まだ心丈夫ですが、じん帯切断で手術?などと言うと、母としては、心穏やかではなく、思わず、「帰ろうか?」と聞いてみたのですが、「ぜんぜん、そんな必要ないから・・ママは自分の予約してある検査にちゃんと行きなさい!」と。

 まあ、帰ったところで、大して役に立ちそうもないし、かえって足手まといになりかねない気もしないではありません。

 とりあえず、命に別状があるわけでもないとは思いつつも、やっぱり心配してしまう情けない母なのです。

 通常は、散歩するといっても驚異的な速さで歩く娘。ギブスをはめた足では、さすがに速くは歩けず、なんだかおじいさんになった気分(なぜ?おばあさんではなく、おじいさんの気分になるかは不明)とかで景色が違って見えるとのこと。

 彼女が今、生活している私の実家は、両親の住んでいた家で、ボロいながらも、家の中は、母が最初に介護が必用になった際に(介護保険ができたての頃だったためか、やけに景気よくしっかりしたものをつけてもらっている)家中に階段からお風呂場に至るまで、手すりをつけてもらった家で、そんな手すりが今、彼女の助けになってくれているとのこと。

 まさか、自分たちがいなくなった後に孫が一人でその家に住むようになるとは、両親も夢にも思わなかっただろうし、そのうえ、家中につけられた手すりが彼女の手助けになっているとも、全く考えていなかったと思います。

 しかし、なんとなく、両親が娘を守ってくれて、支えとなってくれているような、そんな気にさえなるのです。

 娘には、「少しはゆっくりしなさいってことだね・・」と言っていますが、やっぱり何かあった時に、離れていて、そばにいられないことは、辛いですね。


スキーでじん帯切断


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2025年3月7日金曜日

2026年に行われるパリ大相撲を見に行こうかと思ったけどチケットが高すぎた

  


 2026年6月13日と14日にパリに大相撲がやってくるというので、軽い気持ちで、「お相撲なんて、日本でもテレビでしか見たことないし、またとない機会だし、行ってみようかな?」と思って、チケットの値段を調べてみたら、一番安いチケットで81ユーロ(約13,000円)で、その後、159ユーロ、229.50ユーロ、313.50ユーロ、519ユーロ、1036.50ユーロとあり、チケットの座席表を見ると、一番安いチケットだと、バルコニー席といえば、聞こえは良いけど、会場はオリンピック競技なども行われたアリーナで、ほぼほぼ米粒ほどしか見えないであろう土俵からは、遥か遠い席。最低でも313.50ユーロ(約5万円)から519ユーロ(約83,000円)の席ではないと、ほぼほぼロクに見えない感じ。

 いわゆる砂被り席などの間近で見える席など1036.50ユーロ(約165,800円)(1人あたりの値段)と狂気の値段です。

 それでも、行く人はいるだろうし、ご招待とか関係企業の人とかでいっぱいになるのでしょうが、お相撲が海外にやってくると、こんなに高くなるものとは知りませんでした。

 パリに大相撲がやってくるのは、1995年以来30年ぶりのことだそうで、1986年、1995年に次いで3回目になるのだそうです。

 日本文化を日本以上に評価してくれている気がするフランスで日本文化の象徴的な存在のひとつとも認識されている「SUMO」大相撲がパリで見られるとなれば、これだけの価格を支払ってでも、見たい人はかなりいるとは思われるものの、庶民が気軽に行ける金額ではありません。

 もっとも、私の勝手な印象ですが、パリで日本文化を愛でる人々の層は嫌な言い方をすれば、一定レベル以上(簡単に言えば、ハイソな感じ)の人々が多く、ある種のステイタスのように、浮世絵のようなものを飾ったり、日本の古いものを飾ってみたりするような感じがあります。

 なので、この程度のチケットの値段に私のようにビビらない人々なのかもしれませんが、とはいえ、私はお相撲のことは、あんまりというか、ほとんど知らず、今、どんな力士が活躍しているのかも知りません。

 逆に、パリでこんなに高いなら、今度、日本に行った時、お相撲に行ってみるのもいいかも・・などとも思っています。

 日本相撲協会の会長は、「日本の相撲の伝統文化と相撲の魅惑的な雰囲気をフランスの人々に伝えるイベントにしたい」と言っているそうです。日本の伝統文化とはお高いものです。


2026年パリ大相撲


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2025年3月2日日曜日

今回の一時帰国で食べた美味しいものをご紹介

 


 私の日本への一時帰国の目的のひとつは、とにかく日本の美味しいものを食べることで、フランスに戻って、今回、新しく日本で買った携帯をセッティングして、あらためて、日本で撮った写真は、ほとんど食べ物で、たま~に旅行した場所の美しい景色も含まれているものの、ほぼほぼ食べ物ばかりで、まったく色気がないもんだと思いつつも、とても満足しています。

 最近では、私だけではないと思いますが、どこかに食事に行ったりしても、食事に手を付ける前に写真を撮る人が多くて、たまに「その写真、どうするの?」などと、聞かれることもありますが、のちのちに、写真を眺めては、「あ~これ美味しかったな~」と、にっこり眺めたり、また、美味しいお店の美味しい食事を覚えておくためでもあり、また、今度、日本に行ったときには、また行きたい!と次回の予定にどこかで加える参考にしたりもするのです。

 旅行中に旅館で出たお食事に関しては、すでに前にご紹介しているので、今回は、それ以外の食事について、一部、ご紹介したいと思います。

 
<恵比寿 米福> いくつかの産地のお米を選んで一人用のお釜でご飯を炊いてくれるお店

食べきれなかったお米は、お持ち帰りができます。さすがにお米がとても美味しいお店



<奥沢 うしお> 懐石料理のようにたくさんのお料理を少しずつ綺麗に出してくれる和食屋さん ひとつひとつのクォリティが高く、満足感がありました。ランチだと、まあまあのお手頃価格


<水道橋 焼肉あきら>

黒毛和牛の焼肉屋さん 食べるのに夢中で写真があまり残っていませんが、とても美味しかったし、常連っぽいお客さんが多かったです。私はハラミが特に美味しかったです。写真は牛タンですが・・。


<伊豆 おおき牛乳のコーヒー牛乳>

たまたま散策中に出会った家族連れが、これは絶対、飲んでいくべきと紹介してくれました。こっくりとした濃い牛乳が美味しかったです。


<セルリアン 陳 エビチリ ランチ>


<日本橋 かに福 かにめし、天重>

本当はもっと、かに料理を堪能したかったのに、本店が予約できず、コレド室町内のお店だったため、ランチは1時間に限られたため、単品しか食べられなかったのが残念でしたが、内容には、大満足。


<梅が丘 美登里寿司 ランチ> ネタもたっぷりしていて、大変コスパよく満足なお店



<梅蘭 焼きそば> あんかけ部分が下に隠れているので有名な梅蘭の焼きそば


<世田谷 炭火焼き魚すみさわ 焼き魚のお弁当>

店内は4~5席しかない小さなお店ながら、お弁当もなかなかなクォリティ お店の奥様がとても美しい方でした。



<実家近所の洋食屋さんのハンバーグと中華屋さんのチャーハン>

照れ臭いので場所は書きませんが、日本に帰ると必ず行く洋食屋さんのハンバーグと中華屋さんのチャーハンです。これは個人的にとってもお気に入りのお店です。


 これでも、全部ではないので、やっぱり、それにしてもよく食べました。あらためて見返すと、いかによく食べてきたか、自分でも感心します。まだ、計っていないので、何キロ増量したかわかりませんが、これから、減量に努めます。


日本の美味しいお店


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2025年3月1日土曜日

ポニョは寝不足

 


 我が家には、今年16歳になる猫がいます。

 我が家はアパートの上の方の階なので、彼女は生まれてすぐに家に来て以来、ほぼほぼ外に出ることのない生活を送っており、極度に警戒心が強く、また、強烈な性格で、知らない人が家にやってきても、ほぼほぼ人になつくということがなく、すぐに「カ~ッ!」、「シャ~ッ!」と唸るし、一度、急に具合が悪くなって病院に入院するハメになった時も、大変でした。

 具合が悪くて、あっという間に、もう自分では歩けない状態になってしまって、病院に連れて行ったのですが、とにかく、ぐったりとしてしまい、原因もわからなかったために、とりあえず点滴をして、数日間、入院して様子を見ましょうということだったので、心配ながらも、病院に置いてきたのでした。

 しかし、翌日、面会に行くと、点滴をして体調が回復すると、獣医さんも音を上げるほど、怒りまくったようで、数日間は入院させて様子を見ましょうということだったのに、獣医さんには「もう連れて帰ってください」と言われるほどでした。なので、誰かの家に預けるということは、たぶん無理と思い、日本に行ったり、長期間、留守にする場合は、比較的、近所に住む知人に毎日、家に来てもらい、面倒を見てもらうことにしています。

 猫は家につくというので、自分の住環境が変わらなければ、これが、彼女にとっては、一番マシなんじゃないか? そんな風に思っているのです。

 もう、いつも頼んでいる人なので、気心は知れているし、彼が家に来てくれるのを玄関口で待っているとのことなので、それなりに、彼には懐いているとは思うのです。

 しかし、彼も一日中、家にいてくれるわけではなく、その他の時間はずっと一人、寂しい思いをさせてしまっていることも承知しています。

 毎回、日本から帰ってくると、声が枯れるほど、ニャーニャーというより、ギャーギャーとまとわりついて、長い間、留守にしたことを怒るのですが、今回は、あまりギャーギャー言わなかったので、あれ?今回は、あんまり怒っていないんだな・・と思いました。

 普段は、あまりベタベタしない猫で、食べ物の気配がすると、どこの部屋にいても、もれなくすっ飛んでくるのですが、その他の時間は、一人気ままに好きな場所でゴロゴロしています。

 しかし、今回はあまりギャーギャー言わない代わりに、どの部屋に行っても、もれなくついてきて、寝る時にもジッと私を見張っていて、私が夜中に目が覚めてトイレに行ったりしても、すぐに起きて一緒についてきます。つまり、あまり熟睡せずに、ずっと私を見張っているわけで、私が起きているときもビッタリとくっついて、いつもは絶対にしないこと・・膝の上にのってきたりもしています。

 夜中、しっかり眠らないで見張っているのですから、当然、ポニョは寝不足で、もうショボショボの目をしているのが、とても気の毒です。

 ポニョにも日本から、おみやげにとたくさんのキャットフードを買ってきたのですが、そんなものでは、許してくれない気配です。

 彼女は、私と娘との3人家族と思っているようで(実際、私もそう思っている)、娘がまだ家にいる頃は、彼女が外出して、なかなか帰ってこなかったりすると、私に抗議に来るほどだったのに、彼女が独立した今は、それを理解していて、たまに彼女が帰省したりしていると、彼女が家にいることにとても満足そうにしています。

 今では、娘が帰ってしまっても、それはそれで受け入れているかに見えます。

 今回の私の一時帰国に際しては、いつも帰ってきたときに、大変、怒っているところ、今回は、その怒りよりも不安で寂しかった気持ちが大きかったみたいで、ギャーギャー言わないで、ひたすら、私について歩いて見張っていることが、かえって、申し訳ない気持ちにさせられます。

 「もう当分、行かないよ・・」と言いながら、一度、日本に行けば、フライトが長くなったことも、チケットが値上がりしたこともあって、そんなにトンボ帰りみたいに帰ってくることもできません。

 かといって、ポニョも一緒に連れていくとなると、ICチップを入れたり、たくさんのワクチンをしなければならなかったりすることを思うと、猫としてはもう高齢の部類に入るポニョには、気の毒だし、なにより、知らない場所で、ましてや、知らない猫が庭をウロウロしている東京の家など、ポニョには地獄のような環境だとも思うのです。

 ほんと、考えてみれば、私が日本に一時帰国するのは、一緒に行くにしても、留守番するにしても、最悪の選択肢しかないのです。


猫 ネコ ねこ


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2025年2月28日金曜日

フランスからでも日本からでも長旅は長旅 帰りのフライト

 


 楽しく、ぎっしりと中身の詰まった一時帰国も、今回はほぼ3週間という私としては、けっこう長い滞在であったにもかかわらず、あっという間に終わってしまって、フランスに戻ってきました。

 今回は、出発前にインフルエンザで体調がけっこうしんどくて、最後のギリギリまで、長いフライトに耐えられるかな?(フライトさえ乗り越えれば、あとは、どうにでもなると思っていた私も楽観的といえば、楽観的ですが・・)と、かなり不安ではあったのですが、奇跡的?に、出発当日には、なんとか「ん??これなら大丈夫かも??」というほどにまで回復し、それでも一抹の不安をかかえながら出発したことも、今となっては、ウソみたいに思い出します。

 そもそも、今回の一時帰国に関しては、なにげなく、日本行きのチケットを見ていたら、たまたま「おっ!これ!けっこう安いかも?」というのを見つけて、なんとなく「これなら、いいかも?」くらいに、かなり早い段階でチケットを取っていたもので、特にこれといった用事があるわけでもなく、ただ、できるだけ日本国内を旅行したい!という極めて私的な一時帰国でした。

 おかげさまで自分のしたいことの予定をいっぱいいっぱいに詰め込んで、ほぼ予定はギッシリ(どちらにしても、いつもギッシリにはなるのですが・・)、このギッシリの予定の前に大きく立ちはだかるのは、時差ボケという大きなハードルなのですが、今回は、パリを出発するのが、夕方で、日本に到着するのも夕方というわりと適応しやすいフライトで、それでも、到着初日から全然、眠れなくて、非常に辛かったりすることもあるのですが、今回は、娘が用意してくれていた安眠マットレスのおかげもあり、ほぼほぼ到着日から、日本時刻で夜、しっかり眠ることができ、時差ボケ独特の夕方、急激に眠気が襲ってくるようなことはあったものの、基本、眠れているので、そのまま日本時間に適応することができました。

 今回は日本での毎日がほぼ晴天に恵まれ、毎日、太陽の光を浴びることができたことも助けになったのでは?ともちょっとだけ思います。

 しかし、帰りの便は、日本出発が朝の便だったので、機内では全く眠れず、まあ、パリ到着がその日(同日)の夕方・・そのまま、家に帰ったら、寝ればいいか・・と甘い考えでいたところ、無事、荷物をピックアップしてCDGからタクシーに乗ったころ、疲れがどっと押し寄せ、家に到着して、荷物をなんとか開けて、冷蔵庫に入れるものは、入れたくらいで、もう倒れるように寝てしまい、夜中に目が覚めるというほぼほぼ時差ボケ確定の事態。

 まあ、時差ボケは自然現象ゆえ、時間が経てばまたフランス時間に順応できると思いますし、幸いなことに明日は土日でまあまあなんとか乗り切れるかな?と思いますが、正直、行きより(日本に到着した時より)もしんどいです。

 以前のことを考えれば、フランス到着翌日には、仕事・・学校・・っていうことも、わりとあったのですが、なんと加齢の影響のきついことか・・また、フライトも以前よりも若干?長くなっていることもあるかもしれません。

 久しぶりにANAに乗ったのですが、帰りの便でのアナウンスをしていた男性(機長だったかどうかは、あまりはっきりわからないのですが・・)、本当にネイティブのような日本語とフランス語、英語もなかなか流暢で、「こんなの初めて!」と妙なことに感激しました。

 しかし、私には、本日締め切りの原稿があり、今日は、それに集中し、明日からゆっくり休みます。

 とにかく、また、後日、日本でのことは話題にあげると思いますが、身体は少々しんどかったですが、とっても楽しい滞在でした。

 この長旅を考えると日本行きにもおよび腰になりがちなのですが、できるだけ、頑張って、また日本に行きたいと思っています。


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2025年2月27日木曜日

やれるもんなら、やってみな・・強気すぎる娘

  


 私の一時帰国の二次被害?ともいうべく、娘も私につきあって、尋常ではない量の美味しいものを食べ続ける生活が続いています。

 以前、やはり、私が一時帰国をして、一緒になって食べまくっていた娘は、最後の最後に、私がフランスに持って帰る荷物の計量をするのに、私が自分自身で計量するのだけでは、なんとなく、心許なくて、娘にも、「お願い!もう一度、測ってみて!と頼みました。

 スーツケースなどの大きな荷物は上手く体重計に乗せられないので、いったん、自分の体重を測ってみてから、次にスーツケースを持って体重計に乗って測っているのですが、まず、自分の体重を測ったところは、娘は真っ青になり、あんなに娘の顔色が変わったのを見たのは、初めてだと思うような、まさに、マンガなどで言えば、目の下の顔の部分に線が何本も引かれている感じ・・ガーン・・と言う感じで笑ってしまったことがありました。

 自分史上最高の体重だったようで、娘は背もわりと高く、一見すると、そんなに太った?とわからない程度なのですが、本人は、とてもショックだったようです。

 おそらく私自身も日本滞在後は、相当、増量しているとは思うのですが、そこは、もうなりふり構わずというか、フランスに戻ってから、体重は徐々に戻していけばよいと思っているので、日本にいる間は、そういうことは考えないようにしています。

 そのときのことは、よほどショックだったようで、娘は、あれ以来、少し食べ過ぎたと思えば、寒くても、暑くても、夜、40分以上も、夜、歩きに行きます。彼女は努力家といえば、努力家・・しかし、増量するから、食べる量は控えよう・・ではなく、美味しいものは食べつつも、食べた分を消費することで、食べることを諦めない努力をしています。

「えっ?今から行くの?こんな時間なのに?」と思い、夜遅いし、一応、女の子なんだから、気をつけて!と言うのですが、今は冬で寒いこともあり、歩きに出かける姿をみれば、上下モコモコのスウェットにニット帽をかぶって、もう男だか女だかもパッと見にはわからない感じで、「う〜ん・・まあ、気をつけてはいるけど、この格好だよ!しかも、多分、たいていのヒョロヒョロした男性よりも私の方が力あるし、強いし、やれるもんならやってみな!って感じだけど・・」と発言。

 たしかに母親の私が言うのもなんですが、彼女は腕力・脚力ともに、並の男性よりも強そうです。しかし、世の中には、おかしな人もいるんだし、ナイフなどの凶器を持っていたりしたら、さすがにいくら強くても太刀打ちできないよ・・と思う母は、親バカなんでしょうか?

 しかし、そんな悠長なことを言っている私自身は、「体重はフランスに帰ってから戻す!」などと、全ての免罪符のように言っているのですが、果たして、本当に戻せるのかどうかは、だんだん不安になってきました。


やれるもんならやってみな・・


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2025年2月26日水曜日

帰仏ギリギリのスケジュール

  


 一時帰国での日本滞在中、結局のところ、ほぼほぼスケジュールはパンパンになってしまうのは、いつものことなので、最近は、日本滞在中の旅行の予定や私にとって大切な美容院などの自分のケアの予定などをある程度、あらかじめ入れてから、帰国することを知らせるようにしています。

 周囲の叔父や叔母たちも高齢になってきて、この寒さの中、もう私のためにどこかに出てきてもらうことは、もし、なにかあったらと思うと少々、責任を感じてしまうようになり、かといって、日本に来ているのにまるで知らん顔というのも失礼かと、とりあえず、お電話だけはするようにして、もし、私の方から出向ける時間がとれたら・・ということにしていたのですが、結局、時間切れになってしまい、今回、お目にかかれなかった人もいました。

 うちは、親戚が多いうえ、私が幼少期から、父も母も兄弟姉妹たちと仲が良く、わりと濃いつきあいをしてきたこともあって、それぞれに、両親なき今でも、未だに海外生活の長い私や弟のことを気にかけてくれていて、こうして帰国した際には、声をかけてくださることは、とても幸せなことだと思っています。

 しかし、日頃、一人暮らしで比較的、気ままな生活をしている私にとって、予定が目一杯つめてしまうということは、本当に日本に滞在している時間限定のみのことで、嬉しい反面、体力的にもかなり厳しいところもあります。

 もう帰仏の日が迫りつつあり、もうそろそろ、フランスに持って帰る荷物の調整をする段になり、これは、私にとっては、その後のパリでの生活にかかわる真剣勝負。今回は、23kg×2個の荷物が持って帰れます。

 ほぼほぼ、その大部分は食料品なのですが、考えてみれば、1人でこれを消費するかと思うと我ながら、ちょっと恐ろしい気がしないでもありませんが、それだけ持っていけるのに、持っていかないという選択肢は、私にはなくて、これから計量しながら、まだ持てるのであれば、少し買い足しをしなければなりません。

 というわけで、最終日は、荷物の調整のために、一日、あけていたのですが、その日も覆いかぶさるように予定が入り、結局、そのさらに前日から、荷物の調整を開始し、暫定的に計量を始めました。

 そんな中、また従姉妹から、翌日には、定休日だったはずのお店が月曜日に休みだったかわりに営業するというお知らせが・・。もう一族郎党?皆が私の食料品集めに協力してくれるのですが、結局、スケジュール的にそのお店に行くことは、無理な状況に・・。

 しかし、それ以外にも、持って帰りたいものは山ほどあるわけで、別のもので荷物は調整することになりそうです。

 帰仏当日は、フライトが朝の便なので、家を出るのは、早朝、ほとんど寝ずに作業が続くことになりそうです。

 また、後日、ゆっくり書くつもりではありますが、今回、何よりも予定が狂ったのは、免税で買い物をしたものに関して、去年は、特に商品を手荷物にする必要がなかったのが、どうやら、税関の確認作業が必要になってしまったことです。

 そのため、最後まで、荷物のパッキングをきちんとしてから、ギチギチに荷物を詰めることができないのは、とても痛いところで、最後の最後まで、心許ない思いでパッキングが続くのは、けっこうしんどい気持ちで、こんなことなら、免税での買い物なんて、やめときゃよかったかな?・・と思い始めています。

 しかし、やってみなければわからないので、こんな手続きの変更にはめげずにチャレンジしようと思っています。

 本当に最後の数日が真剣勝負のラストスパートの怒涛のスケジュール。なんとか、飛行機に乗ったときには、もうヘロヘロ間違いなさそうな気がしています。


パッキング 帰仏の荷物 日本の食料品


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2025年2月25日火曜日

日本の街中や駅、長距離電車内のゴミ箱

 


 今回、わりと日本国内を数カ所、旅行してみて、気がついたことは、駅や新幹線などの車内にゴミ箱がないことです。これまでも、街中でも、ゴミ箱は、なかなか見当たらなくて、ゴミどうするの?と来日した外国人のようなことを感じたりしていたのですが、まさか長距離の電車の車内でさえも、ゴミ箱がないのには、驚きました。

 たしかに長距離電車の発着がある東京駅や品川駅、新宿駅などにもゴミ箱が見当たらず、でも、さすがに車内で駅弁を食べたりして、当然、けっこうなゴミが出そうな長距離線の車内くらいには、ゴミ箱というものがあるものだと思っていました。

 みな、食べた駅弁のお弁当の箱などは、しっかり持ち帰ったりしているのを見かけるので、「これはスゴいもんだな・・日本でしか成立しないシステム?だな・・」と思うのです。

 これまで、日本に来た際に長距離を旅行する場合は、飛行機を利用していたので、あまり、考えなかったのですが、今回、新幹線などの長距離電車を利用したいと思ったのには、「電車の車内で駅弁というものを食べてみたい!」という子どもみたいな希望があったのです。

 中には、食べてみたいお弁当の2つのうち、1つを選べなくて、両方買ってしまうということもしてしまったこともありました。

 しかし、お弁当を食べたあと、以前(といっても大昔ですが・・)はトイレあたりにあったはずのゴミ箱がなくなっていること、そして、到着後の乗客は空になったお弁当のゴミをちゃんと持っていることに気がつきました。

 たしかに、このゴミ箱がない場合、その大量なゴミ収集の作業はなくなるわけで、ひとりひとりが自分のゴミを持ち替えれば、こんな効率的?なことはありません。しかし、それは、きっとフランスではありえないこと、ゴミ箱がなければ、皆、好き勝手な場所にゴミを置いていくだろうと思います。

 よく、海外でのサッカーの試合などのスタジアムで、試合終了後に日本のサポーターが帰ったあとは、ゴミが落ちてなくて、とてもきれいだと海外では、絶賛されていますが、あれは、スタジアムだけではなく、日本国内のいたるところでも、個々人が同じようにゴミを処理しているんだ・・と思って、やっぱりスゴいんだな・・と、今回は実感した次第です。


街・駅・新幹線のゴミ箱


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2025年2月23日日曜日

冬の山荘で凍る でも想い出が蘇ってきて、心が温かくなりました 想い出も心を満たしてくれる


 娘が小さい頃は、日本の小学校に体験入学させたかったり、また、学校のおやすみの都合などもあったので、自ずと夏に一時帰国することが多く、一時帰国中には、一度は、山荘に数日間滞在することが多くありました。

 しかし、一時期を境に、両親が一緒に旅行するのが難しくなってきたり、また、我が家の山荘は避暑のために利用することが多かったので(夏は湿度が低く、涼しい代わりに冬は寒い)冬に日本に来た場合には、行く気にならず、本当に長い間、一時帰国をしていても、山荘に行っていませんでした。

 我が家の山荘は、両親が夏の間には、暑い東京を避けて、少なくとも1ヶ月以上は、滞在していたのですが、母が最期に、山荘で倒れ、その後、東京の病院に転院したものの、助からなかったこともあり、父はその時以来、結局、最期まで山荘に行くことはありませんでした。

 それでも、私が夏に日本に帰国していた際は、たいがい一度は山荘を訪れ、家の中の空気を入れ替えたり、掃除をしたりして、手入れをし、通常は管理事務所におまかせしているのですが、私も弟も海外で生活しているために、ほぼほぼ利用することがありませんでした。

 それが、娘が日本で暮らすようになってから、近くにスキー場もあることから、彼女は冬でもたまに行くようになりました。ただ、何人かの人がその山荘の鍵を持っていたはずなのに、私以外の人間は、鍵が見つからないというとんでもない事態になっていました。

 娘は、山荘に行くたびに、管理事務所に行ってから、鍵を借りて、帰るときに、鍵を返しに行くということをしており、今回、私が一時帰国をしている間に私の鍵でスペアキーを作りました。

 しかし、その鍵がちょっとややこしい特殊な鍵であるために、スペアキーを作ったところで、私の持っている鍵自体がすでにスペアキーであったために、そのスペアキーをもとに作った鍵が使えるかどうかわからないと言われ、私の滞在中に鍵を試してみる必要がありました。

 我が家の山荘は、東京の祖父母の家を建て替える際にそのドアやサッシ、家具などをそのまま利用して建てた家で、その東京の家にいた頃から、私が祖母にもらった鍵であったために、私は、大好きだった祖母にもらった形見というか、お守り代わりに大切に持っていたかったのです。

 そんなこんなで、今回は、この冬の寒い時期に山荘に行くことになりました。

 夏は避暑のために使うほど涼しい?場所であるだけに、日常的に使っていない山荘は凍りつくような寒さで、一応、薪を使う暖炉があるのですが、そうそう簡単に家は温まりません。

 凍りつくような寒さの中で、必死に暖炉に薪をくべて、家を温めようとするも、入れたお茶があっという間にキンキンに冷えるような寒さ、娘はわずか、空気がぬるみかけたところで、早々に断念して、電気毛布にくるまって寝てしまいました。

 私は、久しぶりに訪れる山荘にあるひとつひとつのものが懐かしく、そんな空間にひたりながら、暖炉に薪をくべつづけましたが、だんだん時間が経つと、薪が燃えて、パチパチいいながら、薪が燃える色の変化や炎を見つめて、一心に薪をくべていくのが、どんどん楽しくなりました。

 山荘ゆえ、周囲との家も東京とは比べ物にならないくらい離れているし、あまり来ている家もないので、あたりは闇の中で、驚くほど静か。家の中のひとつひとつのものには、想い出があり、もちろん、この家が建てられた頃のこと、両親とこの家で過ごした日々のこと、また、夏の期間に友人たちと来たことなどをぐるぐると思い出し、不思議だけど、ジンと心が温まっていくような時を過ごしながら炎を見つめていました。

 そんな炎を見つめながら、想い出が次々と蘇って湧き出てくるのに自分でも驚き、こんな時間の過ごし方もいいな・・と思い、今回は、長期間、山荘に滞在することはできませんでしたが、今度、日本に来たときには、もう少し、長く滞在できる予定を組もうと思いました。

 温泉旅行もよいけれど、こんな静かな時間の過ごし方もいいな・・と。

 薪に火がついて、その炎を見つめるというのは、不思議に心がシンとするもので、そういえば、暖炉の火が燃える様子だけを延々と流すYouTubeなどがあったな・・こういうことか・・と、それを実感できた時間でした。

 私自身、この山荘ができてから、冬にその地域を訪れるのは、初めてで、冬の景色というのも、また全然違うな・・とか、周囲(といっても広範囲ですが)も、すっかり整備されて、リゾート地になりつつあるな・・と思ったり、一晩だけの短い滞在でしたが、十分に堪能できた夜でした。

 果たして、娘のために作った合鍵は、しっかり使うことができて、これからさらに娘は、この家を利用することができるようになるわけで、私が若い頃、楽しんできたこの家を娘がまた、利用して青春?の1ページを刻んでくれることをとても嬉しく思っています。

 反面、もう結構、家ができて時が経っているというのに、日常的に生活しているわけではないので、中はけっこうきれいなままで、もしも、私が日本に本帰国するようなことがあれば、ここに住むのも悪くないな・・などとも、一瞬、頭をかすめたりもしたのです。

 しかし、現在のところは、まだ、しばらくは、パリで楽しみたい気持ちも捨てきれず、まあ、将来、そんな選択肢もあるかな?と思うくらいです。

 昔、両親と山荘を訪れていた頃、周囲が「もう暑いってば!・・」と言っていたにもかかわらず、父は暖炉に薪をくべ続けていたのを今では、ちょっと父の気持ちがわかる気がするな・・と思うのです。


山荘 暖炉 炎


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2025年2月22日土曜日

日本のランチタイムは早くて驚く

 


 日本に一時帰国の際には、友人たちと会って、一緒に食事をしたりするのは、このうえない楽しみのひとつです。季節柄ということもあり、夜だと寒いし、出歩くのがなんだか億劫で、大方、友人たちとの食事は、ランチタイムということがほとんどです。

 今回の帰国では、幸いなことに、寝心地の良いマットレスのおかげでほぼほぼ時差ボケというものがなく、とはいえ、夕方に急激に眠気が襲ってきたり、比較的、朝、早くに目が覚めてしまうということはあるのですが、前回の帰国の時と比べれば、格段に身体は楽です。

 少々、話はズレましたが、私の友人たち、「類は友を呼ぶ」で、私の友人たちは誰もが食べることに対して、真剣で、ましてや、そうそう頻繁には日本に来れない私のために、久しぶりの再会の場に美味しいお店を選んでくれます。

 ただ、その予約となると、ちょっとびっくりするのが、ランチなのに、時間が11時とか、かなり早い時間であることで、もちろん、お昼真っ只中の12時くらいになると、お店も混んで予約がとりにくかったりもするのかもしれませんが、ランチ・お昼ごはんが11時??というのが、ちょっとびっくりします。

 だいたい日本の飲食店は昼のオープンが11時というところが多いらしく、下手をすると、予約できないお店だったりすると、第一陣のお客さんが11時にどっと入るので、その少し前の時間に・・ということになるので、そんな時間からランチに取り組む?というのが、びっくりします。

 そもそも、私が日本に住んでいた大昔?は、私は仕事をしていたので、そんな時間にランチに行ったことはなかったのですが、もちろん、今だって、ふつうに仕事をしている方々は同じなのだと思いますが、そうではない人々は、お昼となると、この時間帯にどっと押し寄せているわけで、なんだか、そこのパワーはすごいな・・と思います。

 なるほど、お店の側からすれば、11時からオープンして、それだけお客さんが来てくれれば、一巡、余計にできるので、お店側からしても、お客さんの側からしても、ウィンウィンの関係です。

 パリの場合は、たいてい12時からというのがふつう?で、お客さんが最もランチに押し寄せる時間帯は13時です。そこからすると、11時の開店と同時にお客さんがとりあえず埋まって満員になる日本とは、2時間の時差があることになります。

 どちらがいいというわけでもなく、少しでも多くのお客さんに来てもらうために11時からお店をあける日本はやっぱり働き者なんだな・・と思います。

 現在は、軽く時差ボケしているままなので、11時にランチといっても、まあまあ大丈夫なのですが、これが日常だったら、なかなかキツいかな?とも思うのです。


日本のランチタイム


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2025年2月21日金曜日

山形のお食事の美味しいおススメ旅館 その②「天童荘」

 


 山形2泊目に選んだお宿は、「天童荘」。ここも「お食事が絶品!」という強い推奨を受けて、選んだ旅館でした。

 ここは、前泊した「名月荘」に比べると、内装などにしても、もっと洗練された感じで、お金がかけられている感じ(もちろん「名月荘」も充分に豪華です)で、調度品やライティング、生けられているお花などにもセンスの良さが感じられます。


 お部屋にもよるのだと思いますが、私たちが泊まったのは、この旅館の中では、スタンダードなお部屋だと思いますが、部屋風呂と半露天風呂がありました。

 ここは、お食事は部屋食ではなく、食事時には、別のお部屋に出向くようになっていますが、これもまた個室(かなりゆったりとした広めの空間)で、専任?の給仕の方がお世話してくださって、ゆったりとお食事ができます。

 お食事に関しては、全く文句なしどころか、出てくる一品一品が否のつけようのない全てが絶品、しかもまた、品数の多いこと、器から盛り付けなども最高。

 季節の素材をふんだんに使い、立春過ぎたタイミングということから、春を感じさせる献立でした。そもそもこの旅館の前身は、「鰻屋さん」であったそうで、これでもか!というほど献立が出てきた最後には、見事な鰻が登場します。



 最初に出てくる様々な器を使ったいくつもの小鉢と一合桝に入った桝寿司、お椀、お造り




 そして、この旅館がこだわりを持って提供している「米沢牛」を使ったすき焼き、ただし、お品書きに「天童ワインすき鍋」とあったので、「えっ??ワイン??」ワインのすき焼きはちょっとな〜〜と正直、思ったのですが、このワインが主張が強過ぎず、このすき焼きを温泉卵でいただくようになっています。




 すき焼きとなれば、白いご飯が欲しくなり、本来は、後で登場するはずのご飯をこのタイミングでもお願いしてしまいました。とにかく、お肉はもちろんのこと、添えられている野菜も最高でした。



 そして、この後、お口直し?のソルベの代わり?のような存在のようなゆず風味のサラッとした葛湯が登場、これがまた、爽やかでなかなかよく、そして、最後に堂々と鰻が登場します。

 この鰻はさすが、前身が鰻屋さんとしての誇りを汚すことが微塵もないというか、素直に言えば、見事なもので、鰻そのものは、もちろんのこと、その焼き方が素晴らしい。



 側面がカリッとしていて、それでいて、身はふんわり、正直、私がこれまで食べた鰻の中でも、余裕で3本の指に入るくらい美味しい鰻でした。本当に、その場で一緒に食事をしていた娘も従姉妹も3人揃って、美味しすぎて、困り顔・・。

 人はあまりに美味しいとなぜ、困った顔になるのかも不思議です。

 そして、デザートには、苺ゼリーと練乳アイスにあんこがちょっと添えられています。


 

 なにか、言いたい私は、苺は苺だけで、わざわざゼリーに包まなくてもいいのに・・などと口走ったのですが、それまた、大きな間違いで、こんなに苺を食べやすく、苺の味を引き立ててくれるゼリーの包み方を私はこれまで知りませんでした。

 そして、朝食は、わりとふつう・・だと思ってしまったのですが、後から、あらためて、写真を見ると、これをふつうの朝食と勘違いしてしまった私もちょっとどうかしていたと思うのですが、文句のつけようのない充実したお食事でした。




 難を言えば、というか、どうしても難をつけたいみたいな感じがしないでもありませんが、たまたま私たちのお部屋がそうだっただけかもしれませんが、部屋(2部屋)と洗面所、部屋風呂と半露天風呂などの導線がいまいちな気がして、また、細かいようですが、コンセントや電気のスイッチの位置などが、少々使いづらい気がしたのと、大浴場がそれほど大浴場でもなく、洗い場に3人用の場所しかなかったりするのが、少々、使い勝手が悪い気がしました。


 まあ、それぞれのお部屋にお風呂がついているので、あまり利用する人がいないのかもしれませんが、それでも、これまで少々、温泉旅館に泊まってきて、この微妙な大きさの大浴場は、初めてだな・・と思いました。

 しかし、ここのお料理は、本当に素晴らしく、だいたい、ふつうすき焼きの後に鰻が出てくるって、ちょっとおかしいでしょ!と思うところが、堂々と出てきて、しかも、その両方がものすごくレベルが高いので、私の中では、この旅館では、まったくもって、お食事がメインで、食事に温泉付き・・という受け止めをしています。

 このお食事、絶対におススメなので、ご興味がある方は是非、行ってみてください。


山形 天童荘 

山形県天童市蒲田2−2−18


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