小さい子どもは1年会わないと「うわ~っ!大きくなったね~!」とびっくりしたりしますが、高齢者の1年もけっこう大きくて、「えっ??」と驚かされることも少なくないことに、ここのところ日本に一時帰国するたびに感じます。
現在の私の周囲に関しては、正直、小さい子どもはいないので、後者の方の驚きばかりで、あまり先が楽しみという感じでもありません。
誰でも年齢を重ねていくので、仕方ないといえば、仕方ないのですが、ここ数年は、周囲の叔父・叔母たちの多くは80歳以上が増えてきて、やはり80を過ぎると1年1年の老化、変化はかなり大きいのだな・・とちょっと愕然とすることもあります。
叔父の一人は、急に腰が曲がってしまっていたり、ふつうに歩くのでさえも、ちょっと危なっかしい感じだったり、会話が成り立たなかったり、明らかに人の話を聞いていない感じだったり、妙に頑固だったり・・とハッキリ言えば、一目瞭然な老化ぶりにかなりショッキングだったりもします。
90を過ぎた叔母に関して言えば、ここ1~2年で大きく変わり、以前から外出の際に杖を使っていたりしたので、家の玄関先で顔を見たりする限りはそんなに変化はないような感じも受けるのですが、従姉妹曰く、寝たきりの生活にはなっていないものの、一人で転んだりすると、もう一人では起き上がれない・・とのことなので、かなり心配な状態です。
認知機能に関しても、私が日常的には隣に住んでいないということがどこまでわかっているのかいないのか? 娘と混同しているのか? 顔を出しても「うわぁ~○○ちゃん(私のこと)そっくりね!」などと言われてしまったときには、返事に困りました。
それも、まあまあふつうの極めて妥当な会話が成立することもあるので、日によって差があるみたいです。何よりも性格的に非常に明るく社交的であったキャラクターがそうではなくなってきて、表情が乏しくなってしまったような気がします。
2年くらい前だったか、私が日本に一時帰国していて、フランスに帰るとき、「また、しばらくは日本には来れないと思うから、おばちゃま元気でいてね!」というと、「元気でいたいけど、あんまり自信がないわ・・」などと寂しい返事が返ってきて、その時はその時で、心配にもなったのです。
今回は今回で、フランスに帰る日の朝、従姉妹がかいがいしく、色々、荷物を出したりするのを手伝ってくれたりして、タクシーが来るまでの間、立ち話をしていたら、叔母が杖をついて、出てきてくれて、「え~?おばちゃま・・大丈夫?危ないよ・・」と言いつつ、私がフランスに帰ってしまうことは理解してくれているようで、やはりわざわざ見送ってくれようとしていることは恐縮してしまうような、でもやっぱり嬉しかったりもしました。
また、いつものように「今年はもう帰ってこれないと思うけど、おばちゃま元気でね・・」と言ったら、「ハイハイ!私はいつも元気でいますよ!」みたいな返事が返ってきて、昨年よりも事態は深刻になっている感じなのに、あまりその事態を不安に感じるということもなくなってしまったのだろうか?などと、逆に心配にも感じてしまうのでした。
私の両親は、すでに他界してしまっているので、両親はそれ以来、私の中で歳をとっていかないのですが、両親の兄弟姉妹たちは、両親の年齢を遥かに超え始めた頃から、ぐんぐん老化が顕著になっていく感じに驚くのです。
もちろん、個人差もあるのですが、身体的なことや認知機能的なことはもちろん、性格的な面もどんどん凝縮されていく感じも、自分がどう歳をとっていくべきか?また、自分がこのようにありたいとか考えることができる年齢にも限界があるのかな?とか、考えてしまいます。
特別なことがない限り、恐らく少なくとも年内中に日本に行くことはないと思うのですが、次回に日本に行った時、彼らがどんなふうに変わってしまっているのかと思うとちょっと恐い気もします。
これが小さい子どもの成長に驚くというのなら、どんなに嬉しいことかと思うのですが、小さい子どもは周囲には、全然いなくて老人ばかりというのも、やはりいかにも日本の縮図のようだな・・という気もします。
子どもと老人の一年
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