以前、私がいた職場には、おかしな人がいました。同じ職場にいるのだから、ちょっと妙な人だな・・と思っても、関わらないわけにはいかず、仕事はふつうに一緒にしていましたが、プライベートでは、絶対に関わりたくない人だな・・と思っていました。
とにかく、自慢話のつもりなのか?自分がすごいお嬢様育ちであり、有能であり、美しく、いかに洗練されているかということを語り、それがいちいち、ピントがずれていたり、かなりのウソが混ざってどんどんエスカレートして辻褄が合わなくなっていることに自分で気が付かないのか、聞いている方も辟易するのですが、いちいち話を遮ったりするのも面倒なので、「へえ~・・」という感じで聞き流していました。
その辻褄が合わなくなっている話で彼女のウソはもうバレバレなのに、どういうつもりなのか? 目下の人間と自分が判断した人を見下すところがあり、「彼女は、私たちみたいに高学歴じゃないからね・・」などと、言われて、「私たちって???」と仲間扱いにされたときは、かなり絶句してしまいました。
学歴といえば、今、日本では、小池百合子さんのことが騒ぎになっているようですが、ふつうの日常では、あまり学歴を話題にすることはありません。
そもそも彼女はどんな学校を卒業しているのかも知りませんが、私だって、そんなに高学歴と自分で豪語するような学歴でもありません。敢えて、「彼女にどこの大学出てるの?」などと聞くこともしませんでしたが、だいたいの彼女の話を聞いていれば、なんとなく彼女が本当に高学歴なのかどうかは想像がつく話です。
そもそも、本当に育ちの良い人は、つまらないことを自慢したりしないし、もっとしなやかで、その言動に嫌みがない気がします。経済的に豊かに育ったかということが必ずしもその人の育ちの良さにはつながらないとも思います。要はお金持ちの子どもが全て育ちが良いか?というと、決してそうでもないと思うのです。
まあ、嫌みなというか、嫌な人というものは、周囲の人々もたいてい同じように思っているもので、皆、そこそこには、控え目な言い方をすれば、彼女のことを「めんどくさい人」だと思っていたようです。
私がその会社を辞めるときには、今後は一切、関わりたくないな・・と思っていました。
聞いてもいないことに対して、周囲にはもうバレバレなウソを本当に息をするようにつくので、もう本人もウソをついているうちにそれが本当のことだと信じ込んでいるかのようで、病気なの?と、ちょっと怖い感じさえしたくらいです。
よく「嘘つきは泥棒の始まり」と言いますが、私がその会社をやめてから、1~2年経った頃でしょうか? 彼女が会社のものを盗んで捕まって、会社を辞めさせられたという話を聞いたときは、「嘘つきは泥棒の始まり」というのは、本当なんだ・・とビックリしました。
そういう話は、すぐに知れ渡るものにもかかわらず、それからしばらくたって、彼女に偶然、街で会ったときには、そんな話が知れ渡っているかどうかなど全く気にする様子は微塵もなく、「○○の○○さんの引きで、転職したの・・」とまたウソ話。
そういう人は、何があっても、どこででも、たくましく生きていくものだ・・とげんなりしたのでした。
嘘つきは泥棒の始まり
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