春になると、毎年、ベランダで野菜の種を撒くのが年中行事のようになっています。今年は、3月にしばらくパリを留守にしていたし、パリに帰ってきてからも、お天気があまり良くなくて、気温も上がらなかったので、ずっと頃合いを見計らってきました。
そもそも私がベランダで野菜を育てるきっかけになったのは、最初にアフリカに引っ越したときのことで、アフリカといえば、そうそう簡単に日本に帰ってくることも難しく、持っていける荷物にも限度があって、日本の食べ物にしても、そんなに持っていけるわけでもなく、母が、持っていけないならば、自分で育てれば?と日本の野菜の種を持っていくことを提案してくれたのでした。
今から考えれば、アフリカにいた頃はもっと時間もあったし、広いベランダもあったし、年中お天気もよかった(良すぎ)ので、もっと本腰を入れてやれば、どんなにか立派な野菜もできただろうに・・と思うのですが、あの頃は、とにかく私はフランス語を覚えることに必死で、そこまで真剣に野菜の栽培には取り組んでいませんでした。
その後、フランスに引っ越してきてからは、しばらくは色々と落ち着かず、仕事と子育てに忙しい日々を送っていたので、野菜を育てることもすっかり忘れていました。
とはいえ、パリに来て、生活も落ち着き始めてから、私のベランダ野菜栽培は再開し、日本に一時帰国するたびに野菜の種を買ってきては、春になると種まきをし、春先には春菊や水菜、小松菜などの葉野菜、夏にはきゅうりというのがお決まりのスタンダードになり、その他に小葱やにら、しそ、三つ葉、山椒などの薬味の類は、欠かせません。
なにしろ、本当に猫の額ほどの狭いベランダなので、何を優先させるかは頭の痛いところです。今年は、いつものメンバーに加えて、スナップエンドウやからし菜、ししとうなどにも挑戦します。
数年前にパンデミックのために突然、ロックダウンになり、家から出られなくなったときも、たまたまその直前に日本に行ったときに買い集めていた野菜の種が、いつも以上に役に立ち、当初はどんな病気なのか、予想もできずに、毎日毎日、外からは救急車のサイレンが聞こえてきて、テレビから流れてくるのは、もう病院に収容しきれない患者が溢れた病院の様子などで陰鬱になりがちだったときに、ベランダでの野菜の栽培には、心がなごみ、どこか土いじりに癒されている感じがしたと同時にどんどん育っていく野菜に実際に買い物に行くのも怖かったときに食卓を彩ってくれるとれたての野菜には、本当に助かった思い出があります。
今でも春先の種蒔きの時期になると、あのロックダウンという前代未聞の時間を思い出します。
現在は、どこにでも買い物には出られますが、やはり日本の野菜というと手に入りにくいものも多く、なにしろ、ベランダに出れば、ちょっとした青菜や薬味などが手に入るので、こんなに便利なことはありません。
だいたい収穫が終わる秋の終わり頃には、枯れ枝を取り除き、土を大きなケースに入れ替えて、冬の間は、野菜くずなどを少しずつ土に埋めながら、翌年用の土を作ります。我ながら、「エコだな~!」と悦に入りつつ、土づくりをしています。
この種蒔きの時期もなかなか頃合いをはかるのが難しく、早すぎれば芽が出ないままダメになってしまうこともあり、とはいえ、スペースにも限りのあることゆえ、後の予定が詰まっていて気は焦ります。
私の場合、一番のメインイベントはきゅうりなので、きゅうりはだいたい例年からいくと、5月の日本のゴールデンウィークあたりに撒くのが一番成功率が高いです。きゅうりは、一旦、育ち始めると、ジャックと豆の木みたいに目に見えるかたちで、どんどん蔓を撒いてどんどん育っていくので、喜びもあります。
少し背がのびていくと、毎年のようにベランダにやってくる鳩との闘いになるのですが、これも、根気よく闘っていく日を過ごしていくとそのうち鳩も諦めてくれます。
こうして、ごくごく狭いベランダでも植物が育っていく喜びと太陽と土と水の偉大なチカラをしみじみと感じたり、同じように育てても、育ちかたが色々だったり、収穫の喜びを味わったり・・。こんな時間の過ごし方も楽しいものだ・・と思ったり・・。
日本の家なら、庭もあるので、野菜を育てるスペースはあるものの、日本の野菜はいつでもどこでも簡単に手に入るために、きっとこんなことしなかっただろうし、こんな楽しみも味わうことはなかったと思います。
海外生活ゆえに始めたこのベランダ菜園も今や私にとっては大切な楽しみになっているのです。
ベランダ菜園
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