2019年6月25日火曜日

フランス語力ほぼゼロだった私のフランス人外交官の夫とのアフリカ生活 





 フランス人の外交官とアフリカのプール付きのアパートで、フランス語でボーイさんを使う生活? なんだか現実感がわかなくて、想像もつかない!?。私がアフリカに行ったばかりの頃、友人からの手紙に書いてありました。(外交官といっても、財務省からの派遣外交官)

 確かに、その言葉面からは、なんだか、一瞬、優雅な響きに感じられるかもしれませんが、実際は、とんでもありません。

 何といっても、私にとっては、初めてのアフリカ。私たちの生活していたコートジボアールのアビジャンという街は、西アフリカの中心のようなところで、アフリカのパリなどと呼ばれています。

 しかし、パリはパリでもアフリカのというところがメインなわけで、とてもパリとは似ても似つかないのが現実です。

 しかも、フランス語圏での生活にもかかわらず、当時の私は、ほぼほぼフランス語力ゼロに限りなく近く、夫とは、以前から英語で会話していたものの、その夫以外は、ほぼフランス語のみの生活です。
 もちろん、家にいるボーイさんともフランス語で会話しなければなりません。その上、治安があまり良いとは言えないため、気軽に一人で外出、というわけにもいきません。

 私は、アフリカに着くなり、現地の大学のフランス語科に通い、とりあえずしばらくは、フランス語の勉強に明け暮れる毎日を送っていました。

 外地での勤務、特に発展途上国に赴任する場合は、現地のボーイさんかメイドさんを雇う義務があります。実際に私たちの生活していた、コートジボアールでは、なぜか、家に雇うのはメイドさんではなく、ボーイさんでしたが、うちにいたのは、ブルキナファソーから出稼ぎに来ているボーイさんでした。

 彼は、運転も簡単な料理もこなす人で、外出の際も現地の人との交渉ごとは、彼に間に入ってもらう方がスムーズに行くのでした。(彼の給与は月額、約300€程度、それでも、彼には、アビジャンに一人、ブルキナに一人と二人の奥さんを養っているのでした。)

 とはいっても、家の中に四六時中、ボーイさんとはいえ、他人がいることは、そんな生活に慣れない私には、なかなかのストレスでさえありました。

 主人の仕事上、お客さんを招いたり、招かれたりすることが週3〜4回はあり、そのためのセッティングをしたり、音楽を選んだり、時には日本食を作ったりして、それなりに忙しい毎日でした。それでも、今まで会った事のない、色々な人に会える機会を私は、それなりに楽しんでもいました。

 それでも、たいていのお客様は、親切に英語で話をして下さいました。フランス大使館の元スパイだったという方にもお目にかかりました。スパイといえば安直に007のイメージだった私は、全然、スパイっぽくない、目立たない人でびっくりしたりしました。考えてみれば、スパイが目立ってどうする!?って話ですよね。

 主人は、仕事で、ラグーン沿いの工場に視察などに行ったり、出張も多く、度々、マラリアにかかって、体力的にもとてもきつい思いをしていました。
 家にプールがあっても、マラリア(蚊に刺されて感染する)にかかる危険があり、朝、早い時間か、夜、遅い時間にしか泳ぐことはできません。

 なんといっても、一年中、夏、というのもこたえました。朝、起きて、曇っていると、心の底からホッとしたのを覚えています。アフリカに来て、初めて四季のありがたみをつくづく感じたものです。

 物事がすんなり運ばないのは、パリ以上というか、やはり比較にはなりません。朝は、皆、早いのですが、昼食後、14時も過ぎると挨拶はボンソワール・・もう、ほとんど働きません。あの気候では、致し方ないのも事実です。

 例えば、家のサロンの冷房が壊れた時、7〜8人の修理屋がやってきます。そして、ほとんど半日かかって、やっと直して帰っていくのですが、またその一ヶ月後くらいには、故障します。全てがこんな感じです。

 ああ、そうそう、それから、猫好きの私のために、子猫を買った(?)時も、ボーイさんに頼んだら、生きた鶏2羽と交換という事で、マルシェで鶏を買って、交換してきてもらいました。そして、猫に予防注射を打ってもらう時も現地人価格と外人用価格は違うからとボーイさんが猫を連れて、予防注射をして、証明書をもらってきてくれました。

 アビジャンには、日本政府が多額の寄付をして、建てられたは、いいけれど、結局、医療従事者の人材がいないために使われていない病院もありました。病院には大きな立て看板に日本とコートジボアールの国旗が描かれ、コ・オペレーションと銘打ってありましたが、一体、どこが?・オペレーションなのか? まるで、一方通行です。

 しかも、お金だけ出して建物だけを建てている日本は、結局、多くの税金をドブに捨てているようなものです。お金で寄付するのは、もっと最悪で、全て、国の官僚か、カカオ等を扱うマフィアに吸い上げられてしまいます。

 吸い上げられる・・で思い出しました。娘が生まれて、現地のお役所に出生証明書を頼みに行った主人は、カラーテレビを一台持ってこいと言われたそうです。(もちろん、持っていきませんでしたが)税関でも、警察でも、お金で何でも通ってしまい、規則などあって無きの如しです。

 そんなこんなで、私たちのアフリカ生活は、約2年間続き、娘が生まれて3ヶ月ほどで主人がフランスに転勤になり、主人の外交官生活の終わりとともに幕が引かれました。