娘がまだ、3歳くらいの頃、主人が自宅で、呼吸が苦しくなって、救急車を呼び、病院に搬送されたことがありました。娘は、その時、大した反応もせずにおとなしく、その様子を見守っていました。しかし、それ以来、救急車を見ると、”voiture de papa" ヴォアチュードウパパ(パパの車)!" と呼ぶようになりました。
それからしばらくたって、二人で、日本へ行った時、娘は、メモを片手に私の従姉妹たちに、電話番号を聞いてまわっていました。”◯◯ちゃん、電話してくれるの〜!?”という彼女たちに、娘は、”ママが死んじゃったら、電話するから、私のこと、迎えに来てくれる?” と頼み歩いていました。
みんなは笑いながら、”だって、もし、ママが死んじゃっても、◯◯ちゃんには、パパがいるでしょう!?”と言うと、”ママが死ぬときには、パパはとっくに死んでるでしょ!”とあっさりと言ってのけ、みんなを絶句させ、そのあと、爆笑させていました。
でも、後から考えると、娘は娘なりに、きっと、真剣に考えていたのです。主人は私よりも結構、年上で、おまけに救急車騒ぎの挙句に入院。それから、しばらくして、退院はして、仕事にも復帰していたものの、娘にとって、きっと、主人の救急車騒ぎや入院は、それなりにショッキングな出来事で、彼女なりに真剣に考えていたのでしょう。
「これは、もしかして、パパは長生きしないのかもしれない。そして、ママに、もしものことがあったら、自分は、どうしたらいいだろうか?」 と。
でも、その不安を一切、私たちに話すことも、漏らすこともなく、そのための対策案を自分で考えて、自分で準備を始めたのには、びっくりしました。
普通なら、”パパもママも死んじゃったら、私は、どうすればいい? 誰が私のことを世話してくれるの? 誰かに頼んでおいて!”となるのが普通です。幼いながらもパパの救急車騒ぎから、もしもの時のための危機への対応を着々と、自分で準備するところが、娘の個性的なところです。
子供は、子供なりに、ある出来事から、自分で感じ、考えているのです。
その後、私の友人が、ガンで亡くなりました。まだ、若かったので、発病してから、あっという間の出来事でした。子供もまだ小さく、5歳の男の子を残しての他界でした。ちょうど、娘と同じ年ごろでした。
旦那さんは、健在でしたが、どういう理由からか、彼女の母親が子供は引き取って、育てることになったようですが、さすがに私もショックで、娘よりは、遅れてですが、”もしも、私に何かあったら・・” と思うようになり、会う人ごとに、私に何かあったら、娘をお願いね・・と頼むようになったのです。
そして、なんとか、娘がしっかり働けるようになるまでは、生きていなければ・・と、その後の私は、ひたすら思うのでありました。