”おまえは、いつから、そんなにキツい性格になったんだ!” パリに住むようになって、5年くらい経った頃だったでしょうか? 日本に帰国した折に、父に言われたことがありました。
そう言われてみれば、そうなのかもしれません。私は、無意識のうちに、以前の私より、ハッキリものごとを言うようになっていました。
日本人の美徳として、言わずとも察する、とか、そんな文化があり、正面きって、ものごとを言うのは、あまり良しとされないところがあります。本音とタテマエも、その分、多いような気がします。
しかし、海外では、言うことは、ハッキリ主張しないと生活していけません。生活していく上での色々なトラブルも黙っていれば、泣き寝入りするばかりです。言っても仕方ないことと、言わなければならないことの区別がつくようになるまでには、ある程度、時間がかかりました。
当初は、日本のような、きめ細かいサービスや気配りが当然と思って、それが基準になっていた私は、こちらの杜撰なサービスにいちいち腹を立てていましたが、言っても仕方ないことには、抵抗しないようになりました。
ああ、まただ・・とまず、すんなり行かないことを前提にして、構えます。時には、それが仕事に関わることなら、念押しもします。すんなりと行けば、凄いなあと驚きます。
しかし、基本的には、言うことは言う。と言う姿勢に、いつの間にか、変わっていました。子供を持てば、なおさらのことです。時には子供を守るために、言わなければならないことも出てきます。
その頃、やっと、私は、”強くなければ、優しくなれない。”という言葉の意味を知ったような気がしました。強く、毅然として、言うことは言う。そうでなければ、大切な子供は守れないのです。母は強しとは、良く言ったものです。
でも、反面、日本に行った時には、逆にハッキリ言わない日本人に疲れてしまうようにもなってしまいました。正直なところ、日本の本音とタテマエに、今では、逆に、疲れてしまうこともあります。
以前、私がまだ日本に住んでいた頃、外資系企業などに勤める帰国子女が性格がキツくて、耐えられないと言っていた友人がいました。あれってこういうことだったんだな、と今さらのように思うのであります。
今となっては、日本に行った時は、海外で暮らして、習慣になってしまっている色々なことを日本モードに自分自身を切り替えることを心がけています。