2019年6月5日水曜日

MADE IN AFRICA




 私の娘は、アフリカのコートジボアールという国で生まれました。
よく、日本人には、コート・ダジュールと勘違いされますが、英語では、アイボリーコースト、日本語では象牙海岸共和国というそうです。

 写真に写っているパイナップルやトマト、バナナ、マンゴー、ココナッツ、カカオなどなど、アビジャンのココディマルシェで全部、まとめて2000CFA(セーファーフラン)=20FR (フラン)ユーロに換算すると3ユーロくらい、つまり、日本円で370円くらいでした。安いでしょ!

 そばに写っている木彫りの置物なども全てコートジボアールで買ったもので、娘も入れて、当時、Made in Africa. というテーマで写真を撮りました。まだ、首も座っていない状態で、後ろで必死に支えている私の腕まで写っています。

 そんなアフリカに、主人の転勤で約2年間、生活していました。以前にイギリスでの海外生活の経験があったものの、私にとってアフリカは、まるで、なるほど・ザ・ワールドをライブで見ているような感じでした。

 一歩、外に出れば、それこそ、まさにホンモノのクロヤマの人だかりになり、車で出かけて、信号で車を止めれば、いきなりフロントグラスにバケツごとバシャーっと水をかけられ、勝手に窓拭きを始めて、お金をせがまれるので、車を止めるとワイパーを動かしたりします。

 主人の職場の前には、ワニ売り(小さいワニでしたが)が来ていました。

 食用だそうです。

 住まい自体は、フランス人の公務員ばかりが住んでいるセキュリティーもしっかりした、それこそプールまであるような、広いレジデンスでしたが、一歩、街に出れば、迫力満点の世界でした。好奇心旺盛な主人は、現地のスタッフなどに頼んで、郊外の村の現地の人のお祭りや行事、グランバサンという海なのに遊泳禁止!?で、いわゆるフランス人に人気の綺麗な海岸にも行きました。

 泳げない海!?って、と思ったら、潮がきつくて、泳げないそうで、フランス人はビーチ沿いのレストランで、海を見ながら、優雅に食事を楽しんでいました。なんと、フランス人らしい光景かと・・その時の私は、思いました。

 娘を妊娠した時、日本に帰って出産しないの ? と周りの人にも言われましたが、
やはり、子育ては、パパとママと二人で。と考えていたので、全く、日本に帰る気はありませんでした。

 当時、コートジボアールには、日本人は200人程度いたそうですが、(主に、海外駐在の方々、JICA、海外青年協力隊、大使館関係者、宗教の関係の方)、私は、当時、フランス語が全く出来なかったので、とにかくまず、これを何とかしなければ、とフランス語の勉強をするために大学に通っていましたので、ほとんど、日本人の方とは、お付き合いがありませんでした。

 ただ、妊娠した時点で、一人では不安だろうと主人の知り合いだったJETROの方を通じて、日本人会というのに顔を出して、元助産師さんだったという日本人の女性を紹介していただいたりしました。その方とは、偶然、年齢も近く、気持ちも通じて、出産、子供が生まれた後のお世話仕方など、本当にお世話になり、現在もお付き合いを続けさせていただいております。

 その時、初めて、海外の日本人の集まりというものに参加したのですが、これがまた、ちょっと異様な世界でした。発展途上国のため、海外駐在の場合は、ボーイさんあるいは、メイドさん、等を雇わなくてはならないというのもあって、主婦はかなり自由な時間があるのです。かといって、一人で自由に出歩けるようなところでもないため、日本人は、ほぼ、街のセンターにある、同じビルに住んでいて、朝から、お茶会、麻雀、また持ち回りで大使夫人のお世話係、なんていうのもあったりして、驚かされました。

 結局のところ、娘が生まれて、約三ヶ月後に主人がフランスに転勤になったので、娘は全く、アフリカのことを覚えてはいません。残念です。

 アフリカの話は、まだまだたくさんあるのですが、今日は、ひとまずこの辺で。
また、別の機会に書かせていただきます。