母は、私に常々、言っていました。一度は、子育てを経験した方がいいわよ・・と。
子供を持つことで、自分の中の欠落している部分が少しずつ埋まり、今まで知らなかった世界が広がるから・・違う視点でものごとを見ることができるようになるから・・と。
その母の言葉は、常に私の中のどこかにいつも潜んでいました。
私が、子供を産むなら、これくらいまでかな?と思っていた年齢に出会ったのが、主人でした。それは、私にとっての大きな人生の転機でした。
そして、私が、子供を出産したのは、よりにもよって、主人の転勤に付いて行った先、アフリカでのことでした。
分娩台の上で、あまりにも痛くて、こんなに痛いんだったら、やめときゃ良かったと思ったと同時に、頭が出かかっているけど、なかなか出てこない赤ちゃんに、引っ込みがつかないと言うけれど、これこそ、引っ込みがつかないと言うことだと思い、痛みに耐えながらも、一人、心の中では、苦笑してしまいました。
と同時に、これは、大変なことをしてしまったと思ったのです。それは、私が産み落とした命、一人の人間に対して、大変な責任を負ったということを、なぜか、その時、まさに分娩台の上で実感したのでした。
それは、この子を心身ともに健康に育てる責任ということです。
子供が身体的に健康に育つことはもちろん、例えば、その子がたいへんな犯罪を犯したりしたら、人を殺してしまうようなことがあったら、それが正しいことかは別としても、私はこの子を殺して私も死ななければならない、そうならないようにしっかりと子供を育てなければならないという責任と決意のようなものでした。
それまで私の周りには、小さな子供や赤ちゃんはいなくて、赤ちゃんを触るのも初めても同然で、おっかなびっくりでした。しかも、そこはアフリカで、日本のように病院で母親学級のように丁寧に子供の扱いを教えてくれる訳ではありません。
でも、アフリカには、別の意味で子育てを教えてくれるものがありました。それは、アフリカの現地の人の子育てでした。アフリカでは、”街が、道が、子供を育てる。”と言います。
路上で子育てをしている人もたくさんいました。離乳食には、自分たちの食事の中から赤ちゃんでも食べられそうなものを選んでクスクスなどを食べさせていました。
私が彼らから学んだのは、極端な話、子育てにはこれが正解というようなものはなく、人と比べて神経質になることはないということでした。天気がいいので、(良過ぎるほどでした)いくらでも洗濯ができるので、しばらくは、オムツも布のものを使っていました。
そうして子供を育てる中で、私は、自分自身よりも大切な存在ができたということに気付き、何だか、自分以上に大切なものがあることに尊さと誇りと幸せを感じました。
そして、それは、私自身を大きく変えてくれました。私は、自分の子供だけでなく、他人の子供も可愛いと思うようになっていたのです。それらの変化は、私が意識的に変わったのではなく、むしろ、もっと本能的なものでした。何だか、変な言い方ですが、自分も動物の一種なんだなと感じたものです。
いかにせよ、これは、人生において、とても楽しくて嬉しい変化でした。そして、子育ては、大変なこともたくさんあるけれど、私の人生において、子供がいなければ、絶対に沸き起こらないような感情を呼び起こし、何よりも私に幸せと喜びをもたらしてくれたことをとても嬉しく思っています。