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2024年3月10日日曜日

「実家に帰らせていただきます」とは言えなかった海外生活

   昔の日本のドラマを見ていたら、「実家に帰らせていただきます・・」みたいなシーンが出てきて、そういえば、私には、そういう選択肢はなかったな・・考えたこともなかった・・と思いました。 なにしろ、実家に帰るといっても、そうそう簡単には帰ることはできないのです。帰るとなったら、仕事も何もかも捨てて・・ということになってしまうのですから、そうそう簡単に口にできる話でもなく、自ずと私の意識からは、排除されていたのだと思います。 そもそも、昔のドラマなので、今の時代、日本でもそういうセリフを叩きつけて実家に帰ってしまうというようなことがあるのかどうかもよくわかりませんが、そんなことが簡単に...

2023年9月18日月曜日

言ってはいけない言葉

   夫が亡くなってしまったとき、突然のことだったし、まったく予想にさえしていなかったdできことに、みっともないことに、私は、少なからず取り乱し、落ち込み、途方に暮れて、あの頃のことは、思い出すのも怖いくらい、一日、一日をどう過ごしていたのか? はっきり思い出せないことと、やけに鮮明に覚えていることとが混ざりあっています。 私は、胃に蓋がされたかのように、全く空腹というものを感じなくなり、食べられなくなり、眠れなくなりました。家中に何も変わらずそのままに残っている夫の洋服や靴、その他、買い物好きの彼が世界中で買い集めた奇妙な骨董品のようなものなどに囲まれて、ことあるごとに夫を思い出...

2023年8月27日日曜日

海外在住者の老後 日日(日本人同士)カップルも帰国しない人が増えているらしい・・

   私は、そんなに日本人の知り合いが多いわけではないのですが、それでも四半世紀以上もパリに住んでいると、少しは日本人の友人(在仏)もいて、まあ、だいたい似通った年頃か、もしくは、私よりも年上の人が多いので、日本にいる親の介護の話とか、仕事を引退してからはどうするとか? そんな話題も少なくありません。 どちらかというと、日本人以外のパートナーを持っている人が多く、また、こちらで、アパートや家を買ってしまっている人は、おそらく、老後もこのままフランスで過ごすつもりなのだと思いますし、もうすでに、引退した生活が始まっている人もいます。 なかでも、独身を通してきた人などは、自分の住まいを...

2023年8月11日金曜日

今は亡き夫の友達だったパリの動物園にいるオランウータンに会いに行った 

  私には、長い間、ずっと行きたかった場所がありました。パリ市内でもあるし、別に行こうと思えばいつでも行ける場所ではあるのですが、なんとなく、行きそびれているまま、もう10年以上は経ってしまっていました。 それは、パリ5区にあるジャルダン・デ・プラント(JARDIN DES PLANTES)の中にある動物園で、よくバスで通りがかるくらいの、家からもそんなに遠くない場所にあります。 ジャルダン・デ・プラント(JARDIN DES PLANTES)の大きな庭園(敷地)の中には、名前どおりの植物園や温室、自然史博物館や植物学の学校などに加えて動物園があります。 ここには、これまでに2回来たことがあって、1回は家族で動物園に、そして、もう1回は、日本から家族連れで来た友人がここの自然史博物館の恐竜を見にやってきました。 私がここにずっと来たいと思っていたのは、ここの動物園の方で、パリには、ヴァンセンヌに1つ、そして、このジャルダン・デ・プラント(JARDIN...

2023年7月24日月曜日

亡き夫の誕生日 夫の思い出

   そういえば、昨日は亡き夫のお誕生日でした。もう彼が亡くなって、ずいぶん経つので、お祝いをすることもありませんが、なぜか、命日よりも、お誕生日を思い出すのはなんだか不思議なことです。 しかし、正直、だんだん年齢を重ねていくと、見送った人も増えてきたので、誕生日に加えて、どんどん、命日が増えてきて、そういえば、〇月だったな・・くらいで、命日の方はあんまり正確には覚えていません。 それに比べて、お誕生日の方は、両親や家族、友人なども、若い頃に覚えたことだからなのか、いつまでも、わりとちゃんと覚えています。 これが、もしも日本にいたら、何周忌とかいう法要があったりして、記憶として植え...

2022年10月31日月曜日

海外生活を送る日本人ママは頑張り屋さんが多い

   私がフランスで生活を始めてから20年以上が経ちますが、そんなにたくさんの日本人の知り合いがいるわけでもありませんが、それでもこれだけ長くいれば、そこそこに日本人を見かけることはあるわけで、海外生活を送る日本人ママは、みんな頑張り屋さんだなぁ〜と思うのです。 だいたい、自分の育った文化とは違う国で生活するということだけでも大変なのに、異国で仕事をし、家庭を持ち、子供を育てながら家事もこなすということは、並大抵のことではありません。 しかし、彼女たちは、言葉と文化の壁という障害を抱えながらも、たくましく仕事をし、子供を育てながら暮らしています。フランスの場合は共働きがあたりまえな...

2022年10月26日水曜日

義理の家族と嫁姑の関係

   私が夫と出会った時には、すでに夫の両親は他界していたので、私には、日本でいうところのお舅さんやお姑さんという人がいませんでした。しかし、夫には、歳の離れた兄夫婦がおり、特にそのお義姉さんは、夫の母親代わりのような感じで、非常に夫のことを可愛がっているのが傍目からもわかり、憎まれ口をききながらも、一方では、かなり甘やかしているようなところもあり、夫も好き勝手なことを言っているわりには、甘えたり、面倒をみたりもしていたので、ある意味、私にとってもお義母さんのような存在でもありました。 とはいえ、本当のお姑さんではないので、また違うところもあるのでしょうし、彼女たちにはたくさんの子...

2022年10月23日日曜日

最近、考える終の住処

    私が海外で生活を始めた時点では、私はずっと海外に永住しようとか、そんな決意があったわけでもなく、ただ、好きな人と暮らしたいという思いだけで、あまり長期的なことを計画していたわけではありませんでした。 まあ、夫が今でも生きていれば、今でも、そんなことは考えていなかったかもしれませんが、思いの外、夫が突然、早くに亡くなってしまい、その時点で、日本に帰ろうかどうか考えたこともありましたが、結局、娘の教育のことを考えて、また、周囲のフランス人のママ友たちが強く、フランスに残ることを薦めてくれて、皆が力になってくれたので、結局、フランスに残ることにしたのでした。 それからは、決めたからには、私には他の選択肢はなくなり、差し迫った状況に、むしろ、これまでにないほど迷いのない潔い気持ちでさえありました。 今から思い返すに、私は今まで、自分の人生をそれほど具体的に長期に計画してきたことはなく、夫が亡くなったことで、なおさら、「色々なことを考えていても、突如、人生が変わってしまうこともあるのだ・・人生、思い通りにならないこともある・・」と虚しく感じたり、そのわりには、なんとか生き延びてこれたものだなどと思ったりもします。 現在、私はフランスでの生活で、まあ、たまに日常的なトラブルはあるものの、それなりの交わし方も覚え、それなりに満足して過ごしていますが、このまま、ずっとフランスで生活をし続けると肝を据えているわけでもなく、今すぐどうこうというわけでなくとも、今後、日本に帰ることがあるかどうかを時々、考えます。 これまでは、なんとなく、フランスと日本と半々とまでは言わないまでも、一年のうちに、しばらく日本で過ごせる期間があればいいなと思っていましたが、パンデミックで突然、身動きがとれなくなった2年間とちょっと、そして、今度は戦争で、以前のように、そうそう簡単には日本と行き来ができなくなり、これが一体、いつまで続くのかわからなくなっている今、また、自分が元気で動き回れる残された時間には限りがあること(余命宣告されたりしたわけではないけど)を考えると、このままフランスにいるべきか、いつかは日本に帰った方がいいのだろうか?と考えることがあります。 しかし、現在のところは、どう考えても、日本に本帰国することは、あまりピンとこなくて、モヤモヤしています。 先日、日本にいる友人と電話で話していて、彼女は一時、イギリスで生活していたことがあるのですが、今は日本で生活していて、それなりに幸せに生活しているものの、どこかしっくりこないところがあるというような話を聞くと、余計に日本に本帰国することに二の足を踏んでしまう気になります。 彼女はイギリス滞在期間中はそれなりに一生懸命、勉強していただけあって、英語が堪能で職場でも彼女の英語を過剰に頼りにされることが多く、そのわりには、職場には、出来ないもの勝ちのようなところがあり、そのうえ、海外のごくごく普通の話題などをしても、「海外かぶれ」などと言われ、いちいち、面倒で過剰な反応をされるという話を聞いたりすると「あ〜〜私、無理かも・・」などと思ってしまいます。 その生活の環境や周囲の状況などもあるのでしょうが、今さらながら、「私にとって、幸せは何なのか?」そんな単純なことをあらためて、考えている今日この頃なのです。日本への本帰国 終の住処<関連記事>「海外生活一人暮らしの女性の終活」「滞在許可証更新手続きのトラブル アクセス不能なフランスのお役所」「137万人のウクライナからの退避難民の受け入れと海外生活の不安」「フランス発の航空運賃 1年間で...

2022年8月29日月曜日

海外在住と日本の家族 独り残された父

    海外に在住することを決めた段階では、私の場合はあまり詳しく後先を考えていませんでした。別に海外に永住すると心に決めていたわけでもないし、もしも私がもう少し思慮深い人間で、後のことまで色々と心づもりをして考えていたら、海外に移住することなどできなかったかもしれません。 しかし、私だけでなく、周囲の家族を含めての、すべての人々の先のことなど想像がつかないことでした。 だからといって、海外に移住したことを後悔しているわけではありませんが、最も困ったことの一つは、日本にいる両親が歳をとっていって、健康を害する場面に直面したときだったような気がします。 娘が生まれて、私がフ...

2021年10月2日土曜日

バイリンガル教育は簡単じゃないけど、頑張れば、その子の一生の財産になる

    国際結婚の場合、子供はハーフでバイリンガルになる・・と、簡単に思われがちですが、バイリンガル教育は、考えているほど簡単なことではありません。 二つの国(あるいはそれ以上)の国籍を持っており(日本の場合は22歳までにどちらかの国籍を選択しなければなりません)、両親の母国語が二カ国語に渡る場合でも、生活の基盤は、どちらかの国(あるいは、それ以外の国)に置くことになるわけで、どうしても生活の基盤のある国の言語に引っ張られます。 我が家の場合は、主人がフランス人、私が日本人で、フランスで生活しています。普通のフランスの学校に通っている娘にとって、フランスで生活する上では、娘にとって...

2021年9月14日火曜日

母の命日を忘れている非情な娘 海外生活での親との別れ

    9月は母の命日があったことをすっかり忘れていました。数日前、従姉妹から、今日は、おばちゃまの命日だね・・とメッセージがあって、ハッとさせられました。 母が亡くなったのは、15年前のことで、今でも、その時のことは、強烈に覚えているものの、命日そのものは、正直、一体、何日だったのか、はっきり覚えてもいなかった非情な娘です。 母が亡くなった年の夏、多分、7月だったと思いますが、例年どおり、私は、娘を連れて、日本に夏休みの一時帰国をしていて、私たちがフランスに帰国した後、これまた例年どおり、両親は、夏休み、東京が暑い時期を八ヶ岳の山荘に長期で滞在していました。 母は、亡くなる10年...

2021年2月9日火曜日

パリで、たまに見かける子供に日本語を教えようとしない日本人の親 バイリンガル教育

   娘が生まれて以来、私は、何の疑問もなく、娘に日本語を教えることを自分の使命のように思っていました。日常では、私以外には、日本語を使う人がいない環境で、私が娘に日本語を教えることを諦めてしまえば、絶対に娘は日本語を話すことはできなくなってしまいます。 日本語ができないということは、日本の私の家族や親戚、友人たちとも関わりを持てない、日本人でありながら、日本人ではないような、日本から一枚の壁を隔てた存在になってしまうということです。 そして、私が娘にできる教育の中で、日本語を教えるということは、とりあえずは、私にしかできない、私ができることの中で、最も有意義な教育だとも思っていた...

2020年9月15日火曜日

宗教に傾倒しすぎる義理の息子 フランス人の宗教

  私が彼に最初に会ったのは、彼が高校生の時で、真面目で、まっすぐな好青年といった印象でした。ちょうど、「バカロレアの試験に通ったよ・・」という報告に、主人が大げさに喜んでいるのに対して・・「C'est normal・・あたりまえだよ・・」と、笑っていたのが、つい少し前のことのように感じられますが、あれからもうずいぶんと時間も経って、あの時に想像していた彼の将来とは、全く違う道を進んでいます。 彼は、主人の前の奥さんとの間の長男で、お母さんの影響を誰よりも強く受けて育っています。 というのも、主人が離婚した最たる理由は、彼の前妻の度が過ぎる宗教への傾倒で、新興宗教ではないようですが...

2019年12月18日水曜日

国際結婚に必要なこと

 今になって、考えてみれば、私は、ずいぶんと無謀な結婚をしたと思います。  国際結婚というのは、そんなに簡単なことではありません。  後から起こる、様々な困難や、トラブルを、もっと、冷静に、予想、想定していたら、もともと、面倒なことが嫌いな私は、決して、こんな道は、選ばなかったと思います。  育った環境も文化も違い、しかも、海外での生活で、子供まで育てていくわけですから、それはそれは、大変です。  しかも、日本のように、行き届いた、便利な国は、なかなかないのですから、日本から海外に出る場合は、生活の不便さだけでも、相当なストレスです。  最初は、親や親戚どころか、知り合いも...

2019年10月28日月曜日

フランス人の夫との離婚の危機

 思い出というものは、嫌なことは、どんどん忘れて、楽しかったことばかり、覚えている私ですが、そういえば、私も、もう、主人とは、別れて、日本に帰ろうと思ったことがありました。  アフリカからフランスへ転勤になり、海外では、外交官生活を送っていた主人が、その外交官生活を終え、フランスの財務省に戻った頃のことでした。  主人は、まだまだ、海外生活を続けるつもりで、頑張って、仕事をしていたのですが、突如、フランスに転勤ということになり、フランスに戻って、しばらくは、うつ病のようになってしまった頃のことです。  あの頃は、すべてがうまく行かずに、アパートもなかなか見つからず、親戚の持...

2019年10月6日日曜日

パピーとマミーの愛情

 フランス語では、おじいさん、おばあさんのことをパピー、マミーと呼びます。  娘は、アフリカで生まれ、フランスで育ち、私の父と母に初めて会ったのは、彼女が2歳になったときだったので、初めから、娘は、私の父や母のことを何のためらいもなく、「パピー」「マミー」と呼んでいました。  娘が、無邪気に、パピー!マミー!と呼ぶ、その呼び方に、最初は、多少、戸惑っていた二人も、ジージとか、バーバとか呼ばれるよりも、パピーやマミーと呼ばれるその呼ばれ方の方が年寄り扱いされている気がしないなどと言い出して、いつの間にか、すっかり、パピーとマミーという呼ばれ方にも馴染んで、結構、気に入っていました...

2019年7月29日月曜日

国際カップルの習慣の違い  ギャ〜!ヤメて!なんで、そんなことするの?

 違う環境に育った二人が一緒に生活を始めれば、日本人同士とて、様々な問題が浮かび上がってくることと思います。  これが、やはり、国際結婚ともなれば、なおさらのことです。  それでも、私の場合は、主人が4年間、日本に赴任していた経験があったので、ある程度は、日本のことを知っていてくれ、日本人の習慣なども、ある程度は理解してくれていたので、とても救われました。  アフリカや、パリでも、日々、ことごとく起こる、日本ではあり得ないことに、私がへこたれそうになっても、”そんなのパリでは、当たり前だよ・・” などとは、決して言わずに、” そりゃあね〜 日本みたいな国は、他にはないからね〜”...

2019年7月16日火曜日

アメリカのものが嫌いなフランス人の夫

 海外生活が長かった夫は、英語、ドイツ語、イタリア語、アラビア語、とほんの少しの日本語を話せる、フランス人にしては、外国に対して排他的なところは、比較的、少なく、わりと、寛容な方であるとは思うのです。  好奇心旺盛で、アフリカにいた頃も、現地のスタッフの知り合いの村の村長さんの長寿を祝うお祭りに出かけたり、アグチとかいう現地の人が食べるというモグラのようなものを食べてみたりと異文化に対しては、果敢に挑んでいました。  しかし、そんな彼も対アメリカとなると、姿勢がガラッと変わります。  彼の年代より上の多くのフランス人のように、アメリカのものは、とかく避け、バカにする傾向があり、はたから見ても、しばしば、バカバカしいなあと思うのであります。  例えば、マクドナルドを異常にバカにしています。  本当は、ハンバーガーは、大好きなくせに・・・。「あんな、手づかみで食べる食事なんて!!」...

2019年6月27日木曜日

国際結婚の家事・育児の分担ーフィフティフィフティ

 夫婦の役割分担として、よく、フィフティーフィフティーという言い方をしますが、客観的に見ると、フィフティーフィフティーという関係は、なかなか、あり得ないもので、やはり、どちらかに偏ってしまっているように思います。  とはいえ、これは、客観的に見たらの話であって、もちろん、それぞれの夫婦には、それなりの分担と、それぞれにできることと、できないことがあるので、何を基準にそのパーセンテージを測るかは、その夫婦にもよるので、一概に言うことはできませんが・・。  まあ、お互いに納得していれば良いのですよね・・。  海外で暮らしている国際カップルの様子を見ていると、(夫が外人で、妻が日本人...

2019年6月26日水曜日

国際結婚の夫婦喧嘩

 国際カップルの家庭は、どちらの言語で会話しているのでしょうか?    私と主人は、日本で出会ったので、その頃から、基本、英語で会話していました。 そして、その後、アフリカに転勤になり、私がフランス語の勉強を始めてからは、フランス語も少しずつ混ざるようになりました。  そして、娘が生まれてからは、さらに複雑になり、娘は私とは、日本語、パパとは、フランス語、主人と私は、英語。基本、娘は、フランスの学校に行っているので、フランス語は良しとして、娘の日本語、英語の習得を基本に考えていました。    ですから、5〜6才の頃からは、私と主人の英語での会話にも、娘はフランス語で参加する...