2020年9月15日火曜日

宗教に傾倒しすぎる義理の息子 フランス人の宗教

 


 私が彼に最初に会ったのは、彼が高校生の時で、真面目で、まっすぐな好青年といった印象でした。ちょうど、「バカロレアの試験に通ったよ・・」という報告に、主人が大げさに喜んでいるのに対して・・「C'est normal・・あたりまえだよ・・」と、笑っていたのが、つい少し前のことのように感じられますが、あれからもうずいぶんと時間も経って、あの時に想像していた彼の将来とは、全く違う道を進んでいます。

 彼は、主人の前の奥さんとの間の長男で、お母さんの影響を誰よりも強く受けて育っています。

 というのも、主人が離婚した最たる理由は、彼の前妻の度が過ぎる宗教への傾倒で、新興宗教ではないようですが、最初は、家族揃って通っていた教会から、やがて、生活全てが教会に振り回される形になり、主人は脱退してしまったことがきっかけでした。

 フランスは、カトリック教徒が多くを占める国ですが、実のところ毎週、日曜日に教会のミサに出かける敬虔なクリスチャンは、ほんの僅かでしかありません。

 以前、私は、日曜日も仕事に出ることが多かったのですが、日曜日の朝、いつもより本数の少ないバスには、いつも同じメンバーが乗っていることが多く、その中に、綺麗に身なりを整えた、いかにもこれから教会のミサに出かけると思われる上品な老婦人がいて、なんか、素敵だな・・と思ったこともありますが、逆に言えば、それだけ、目を引く珍しい存在であると言うこともできます。

 彼の前妻はプロテスタントの信者で、年を重ねるとともに、教会に深く傾倒するようになり、日々のお祈りから、週数回の教会通い、教会の行事などが日常生活の中心になっていき、当然の如く、子供たちの教育にも教会の教えが色濃くなっていき、テレビやゲームは、禁止、本も内容によっては制限がかかり、家の中のものは、どんどん教会への寄付に消え始め、明らかに一般の日常生活からかけ離れたものになっていきました。

 主人には、前妻との間に3人の息子がいますが、下に行くほど、母親との関係を壊さない程度に教会との距離をおいており、末っ子の男の子は、教会から逃れるために日曜日になると、よく我が家に避難しにきていました。

 おばあちゃんから買ってもらったという家では禁止されているゲームやハリーポッターの本などは、我が家に全て置いてあり、自分の家では禁止されているテレビやDVDを我が家で楽しそうに見ていました。

 しかし、反対に長男である彼は、母親以上に信仰に生活を捧げる生活になり、普通に経済系の大学を卒業して、有名な銀行に就職して、主人も喜んでいたのですが、結局、自分は、信仰に生きたいと主人とは大げんかをして、せっかく就職した銀行も辞めてしまいました。

 だからと言って、牧師さんになるわけでなく、教会のために働いても生活の糧になるわけではありません。現在は、教会関係の子供の小規模の学校の先生や様々な慈善事業や難民救済?など、まともな収入はないのに、なんだか、いつも、とても忙しそうにしていますが、彼には、深い信仰心が根本にあるので、全く迷いがありません。

 人に迷惑をかけるわけでもなく、贅沢は望まず、一生、ジャガイモだけを食べて暮らすことも厭わないと言うのですから、彼の人生は彼の納得するように、生きればいいと思いますが、ふと、それほどまでに彼を極端に宗教に走らせるものは、何なのか?と思います。

 実際、とても親切で、こちらからほとんど連絡をしなくても、気にかけてくれたり、おそらく頼めば、すぐに飛んできてくれると思います。

 しかし、こちらが宗教お断りといくら話しても、おかまいなしに、お祈りを唱えたりするのには、かなり抵抗があります。

 年齢を重ねるとともに、明らかに普通の生活からかけ離れている人であることが、目に見えるように彼自身の洋装にも表れています。

 彼自身は、心底、善意の人、悪意は全くないのはわかっていますが、善意であるだけに余計に救いようがなく、しかし、強烈なエネルギーと我の強さには、少々、引いてしまいます。悪気がないと言うことは、自覚がないだけに、時に悪意がある場合よりもタチが悪いこともあります。

 日常のフランス人のサッカーの試合やお祭り騒ぎ、デモなどでの興奮ぶりと熱量には、驚かされることも多いのですが、その熱量が宗教に向かった時には、こうなるのか・・と、そもそもの彼らの情熱は、やっぱり日本人とは違うのかな・・と思うのです。


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「海外での新興宗教の勧誘」

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