2020年9月7日月曜日

フランスのPCR検査 感染者を責めないフランス人のラテン気質

 



 フランスの新規感染者数は、8月に入って以来、ウナギ登りに上昇し、9月に入ってからは、さらに拍車がかかり、先週末には、9000人に迫る勢いになっています。毎日、8000人、9000人の新規感染者がいれば、自ずと身近なところにまで、感染の渦が迫ってきていることを感じずには、いられません。

 実際に、友人が・・または、友人の家族が・・などと言う話を頻繁に聞くようになってきました。このウィルスの厄介なところは、感染しても、最低5日間は、待たなくては、検査に陽性として表れずに陰性として判定されてしまうことが多く、例えば、自分の友人が感染したとして、その友人に会っていたとしても、一定の期間がたたなくては、検査を受けても無駄なわけで、その整合性も決して高くはないところです。

 フランスでは、PCR検査を広範囲で行うようになってからは、予約なしで費用もかからないことから、比較的、積極的に検査を受けようとする人が増えたため、パリ市内でも検査をしている試験場では、どこも長蛇の列で、検査が間に合わずに、本当に検査が必要な人が検査ができなくなっている状況が起こっています。

 ロックダウン中ならば、いざ知らず、通常の社会生活を送っていれば、今、感染していなくても、もうその次の日には、感染している可能性もあるわけで、それでも、このキリがないような検査をずっと続けなくてはならないことには、もどかしさを感じますが、それでも、検査を少しでも多くして、感染者を隔離していく以外は、方法がないのです。

 フランスでは、ここまで感染状況が悪化しているわりには、全体的に危機感が薄く、ここのところは、さすがにほとんどの人がマスクをするようになりましたが、それは、マスクが義務化され、マスクをしていないと罰金を取られるからであり、こんな状況になっても、まだ、マスクの必要性の有無を語り続けています。

 この時期の感染拡大の大きな原因は、バカンスであるのは、間違いないのですが、皆がバカンスに出ていたために、バカンスに出ていたことを非難するような風潮は全くなく、したがって、感染したからといって、感染した人を責めるようなことも全くありません。

 どんなに気をつけていても(大して気をつけていない人が多いのも問題ですが)、かかる時にはかかるもの・・長期戦になることを考えれば、息抜きは必要だから、バカンスにも行くし、カフェにも行く。ポジティブにコロナと付き合って行くしかない・・と、深刻になりすぎることは、ありません。

 良くも悪くもコロナによる閉塞感というものも、あまりありません。

 今回のコロナウィルスの大災害のさなかにフランスにいて、フランス人を見ていると、改めて、彼らはラテン気質の人たちなんだということをつくづく思い知らされます。

 3月から4月にかけての大惨事を経てきたにも関わらず、これだけ、切り替え?が早く、バカンスに出かけられるのも、ある程度、気をつけて、それでも感染してしまったら、その時は、その時のことだと思っているようなところがあり、たとえ感染してしまったとしても、それは、その人のせいではないと鷹揚な態度なところも、彼らの根っこには、ラテン気質が備わっていることをまざまざと感じるのです。

 これまで私は、ラテン系というと、どちらかといえば、イタリアとかスペインとか、南米とかのイメージがあり、フランス人は、ちょっと格好つけたがりで、一見、小難しいことを理屈っぽく、滔々と語って、ラテン系ど真ん中の感じとは、少し違うように感じていたのですが、今回のパンデミックを見ていると、この深刻な状況でも、お祭り騒ぎをしたり、怒りに震えてデモに集合したり、しかも、その感情の発散の仕方がまさに血が騒ぐという感じの桁違いのものであったり、なるようになるしかないと、深刻になりすぎることなく、あくまでも緩い感じでいるのも、彼らの根っこには、ラテンの血が流れていることを感じずにはいられません。

 フランス人は、よく、「C'est la vie(セ・ラ・ヴィ)(それが人生よね・・)」と、相手も自分をも納得させるように言うことがありますが、まさに、「セ・ラ・ヴィ」は、彼らのラテン系の気質を表す言葉であったことを今さらのように感じています。


<関連>「フランス人のプライド」

https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/08/blog-post_6.html

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