2020年9月28日月曜日

死にたいと思う時に・・

 


 

 私が娘を産んだ時、分娩台の上で赤ちゃんを見せてもらった時に、これは大変なことをしてしまった・・一人の人間が私から誕生してしまった・・これは、大変な責任だ!と改めて思ったのと同時に、この子がなんとか無事に育つまでは、何があっても死ぬわけにはいかない・・と思ったことを、なぜかその瞬間を切り取るようにハッキリと覚えています。

 その後、アフリカからフランスに引っ越し、フランスでの生活が落ち着くまでには、色々なことがあり、主人も仕事のことなどで、うつ状態になったりして、にっちもさっちも行かずに、まだ、赤ちゃんだった娘を抱えて、私にとっても、とてもしんどい時期がありました。

 心配した母が滅多にかけてこない国際電話をかけてきてくれた時に、私は、思わず母に、「死にたいけど、娘がいるから死ねない・・」とこぼしてしまったことがありました。

 日頃は、我関せずで、自分勝手でわがままな振る舞いの多い父も、それを母から伝え聞き、ちょっと離れたところから冷静に状況を分析し、「おまえは、多くを語らないが、芯が強く、自分の意思をはっきりと持ったプライドの高い人間だったではないか・・気を確かに持って、起こっていることを冷静に受け止め、毎日毎日の生活を過ごし、毅然と生きて欲しい」というような内容のファックスが届いたりしました。

 思えば、遠く離れた両親にも心配をかけてきました。

 死にたいと思うことと、実際に実行に移すまでに至るまでには、大きな隔たりがあるなと思います。しかし、そのギリギリのところで、綱渡り状態でいる人も実際は、少なくないのかもしれません。

 そんな時は、淡々と日常をこなしていくことで、いつの間にか死神は、消えてなくなっていくかもしれません。私の場合、具体的に死に方を探していたわけではなく、ついうっかり、「死にたいけど、死ねない・・」などと母に漏らして口にしてしまったことが、その後の生活を淡々と送っていくきっかけとなったかもしれません。

 しかし、あの時の母からの国際電話が私の気持ちを危険な方向に向かってしまうのを食い止めてくれたのかもしれません。

 そして、子供を置いては死ねないという、理屈ではなく、本能的とも思える気持ちが私を救ってくれたかもしれません。もともと、私は、あまり精神的に強い方ではありませんが、子供のためにという気持ちが、私を少しだけ強くしてくれました。

 先日、日本の女優さんが自殺したという話を聞いて、まだ小さいお子さんがいらっしゃるのに、なぜ? と思い、自分の過去の話を思い出しました。

 実際に、自らの死を選んで、実行に移してしまう状態は、病的状態だと思うので、理由はわかりませんが、病気だったと思うしかありませんが、私がつい母にこぼしてしまったように、何か、ふと人に弱音を吐いたりする瞬間があれば、それがわずかでもガス抜きになっていたかもしれません。

 自分の弱さを見せることが苦手な人は、苦しむことが多いと思うのです。時には、弱音を吐いたり、愚痴を言ったりすることも精神衛生上、必要なことです。

 「死ぬほど辛い」ことも、時にはありますが、実際に自ら死んでしまうことは、何より家族や身近な人を強烈に傷つける行為に他なりません。なぜ、気付いてあげられなかったのか?なぜ救えなかったのか? 子供にとったら、捨てられたような気持ちにもなるかもしれません。

 自分の死後、いかに家族や身近な人が傷つくかに思いが至れば、思いとどまれることもあるかもしれません。


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