偶然、その前日に、普段はあまり思い出すこともなくなっていたのに、ふと、デーケン先生に、「使命感を持って頑張ってください!」と言われた時のことを思い出していました。あの頃の私は、先生がおっしゃっていた本当の意味の「使命感」ということを全然、わかっていなかったなぁ・・と、なぜか、ふと先生の言葉が心に浮かんで、ぼんやりとその時のことを考えていたのです。
そんなことを考えていた翌日に、先生の訃報を目にすることになるとは、なんだか虫の知らせとでもいうのか、とても不思議な気持ちでした。
アルフォンス・デーケン先生は、日本で、死を忌み嫌うものとしてではなく、死ぬことを見つめて、生きることを学ぶ、「死生学」を広め、「死の準備教育」を提唱し、当時、日本では数少なかったホスピスを広めていった上智大学の教授でした。
おそらく彼は、私の人生に最も大きな影響を与えてくれた恩師でした。
私は、ちょうど、初めて身近な人を亡くしたばかりの頃で、それまで人の死に接したことがなかった私は、死について、考えるようになりました。世の中に絶対ということはない・・絶対おこることは、誰もがいつかは必ず死ぬということ、人間の死亡率は100%です・・・言われてみれば、当然のことなのに、当時の私は、大発見をしたような気分になったものです。
いつか訪れる死をどうやって迎えるかを考えることは、とても大切なことですし、死について考えることは、生きることについて考えることでもあるのです。死は恐れるものではないことも彼の講義から学びました。
死についての話となると、どこか怪しげな宗教と誤解されがちなこともあり、実際に先生は、大学の教授であったとともに、カトリックの神父様でもあったのですが、死生学の講義では、宗教色を強く出すことはありませんでしたし、彼の講義は、ところどころに必ず、ユーモアが組み込まれていて、思わずクスッと笑ってしまうようなジョークまでが含まれているのです。
私は、どの宗教にも属していませんが、デーケン先生にかなり傾倒して、彼のキリスト教の講義も受講しました。若かった私は、今よりもずっと繊細?で、迷うことも多く、何かを信じることができたら、どんなに楽だろうか?と思ったこともあったのです。
当時、日本では、オウム真理教などの新興宗教が拡大していた時期でもあったので、私が持っていた漠然とした不安も、当時の若者の多くが抱えていたものと似ていたかもしれません。私は、先生の講義を聞いたり、本を読んだり、実際に先生とお話ししたりすることで、ずいぶんと救われていました。
先生は、忙しい中、個人的に面談の時間も設けてくださり、漠然とした私の悩みなどもずいぶん聞いて下さいました。キリスト教を信じたくても、信じられない・・という私に、先生は、「大丈夫、自然に信じられる時が来るまで、無理に信じようとしなくても良いのです」と優しくおっしゃり、張り詰めていた私を静かに抱き寄せて下さいました。
私は、キリスト教を信じることはできませんでしたが、デーケン先生は信じることができる・・今は、それで、充分ではないか? そんな風に思えたのです。
なぜか、その時、ルサンチマンについて話したことも覚えています。こうして書いていると、次から次へと色々なことを思い出します。
彼は、とても聡明で、努力家で、穏やかで、かといって、堅苦しくもなく、懐の大きな、ちょっと可愛らしいところもある、とても優しい先生でした。
彼の死生学の講義を受け、当時、動き始めた日本でのホスピスムーブメントに関する研究会などにも軒並み参加して、私がとうとうイギリスのホスピスを自分の目で見てみたいとイギリスへ行くことを決意した時は、先生がホスピス宛の推薦状を書いて下さいました。
その時に言われたのです。昨日、ふと思い出した「使命感を持って頑張ってください!」を・・、そして、昨日の結婚式で頂いたものですが・・と、きれいな花束を下さいました。
私の海外生活も長くなりましたが、そのきっかけを作ってくださった方です。
デーケン先生は、ドイツ人でしたが、私は、先生が外国人であるということを全く意識をしていませんでした。先生は、心は日本人、日本に骨を埋めるつもりだと仰っておられましたが、実際に先生自身のアイデンティティーに関する考察には、外国人として日本に住むに当たって複雑なものもおありになったと思います。しかし、私にとっては、先生は、一人の人間であって、国籍などは、全く関係ありませんでした。
今、私が海外で生活し、日本にいる時以上に自分が日本人であることを意識しますが、デーケン先生を思い出してみると、どこの国の人というよりもその人の本質的なところで人と関わることの大切さを再確認させられます。
講義の最初には、「日本の寿命は世界一・・だから、私は、日本に来たんですね・・」と仰っていたデーケン先生、88歳、見事に日本人の平均寿命を超えられた旅立ちでした。
そして、講義の際に、よく話されていた「私は、アイジンバンクに登録しています。アイバンクと腎臓バンクです。私が死んだら、私のこの美しい目を差し上げます。」というオチのついた話も実現したのかな? と、先生のその時の口調などを思い出しています。
死は、終わりではなく旅立ちだと説かれていた先生の死は、悲しくはありません。
いつかまた、次の世界で先生と再会できる日を私は、とても楽しみにしています。
<関連>「イギリスのホスピスにいた、ある青年とお母さんの話」
https://rikakaigaiseikatsu.blogspot.com/2019/08/blog-post_25.html
0 コメント:
コメントを投稿