2023年5月18日木曜日

これまで何回かあった日本に本帰国する機会

  


 海外に出て、もう四半世紀が過ぎようとしていますが、私はこれまで、一度たりとも、海外に永住しようと決意したことはありません。逆に常に、何かあったら、日本へ帰ろうと思っていました。

 しかし、結果として、これまでは、何かあっても、日本に帰りませんでした。もちろん、両親もいて、娘もまだ小さかった頃は毎年のように、バカンスで日本に一時帰国はしていましたが、本帰国となると、そんなに簡単ではありません。

 最初に日本に帰ろうか?という機会は、アフリカにいた頃の話で、妊娠して、「出産するのは日本の方がいいんじゃないの?」というタイミングでしたが、これは、どちらかというと私の方が子供の誕生と育児という一大事をスタートから夫とともに経験したいと考えていたため、夫の仕事の都合上、日本で生活するということは全く選択肢になく、日本には帰りませんでした。もっとも、もしも、この時に帰国したとしても、本帰国と言う話ではありませんでした。

 その後、夫の仕事の都合上、私たちはフランスに転居し、フランスでの生活がスタートし、1年弱かかって、ビザがおり、私もフランスで仕事を始め、娘はフランスの保育園、小学校・・とフランスで教育を受け始めました。

 次に日本への本帰国を考えたのは、夫が突然、亡くなってしまった時のことで、直後はもう私は本気で日本に帰ろうと思っていました。しかし、帰国するといっても、夫の死後の手続きはかなり煩雑で、しかも時間がかかり、その間、私は仕事を再開し、娘もそれまで通っていた私立の小学校に通っていました。

 その時、最も助けてくれたのは、夫の元同僚だった女性と娘の学校の先生やママ友たちでした。数日前に倒れた夫が集中治療室に入ってはいたものの、前日には面会もできて、話もできていたので、そんなに急なことになるとは思っていなかったので、夫が亡くなったその日も娘は学校に行っていました。

 私はしばらく、仕事に行けないので会社の鍵(私が毎朝、会社を開けていたので・・)鍵を渡しに行って、家に帰ると病院から電話で危篤だと電話があり、病院に駆けつけると、夫はもう息絶えていました。

 その後、私は娘を迎えに学校へ行ったのですが、学校に夫が亡くなったことを告げたのはその時、担任の先生に話しただけなのに、その後、学校の校長先生から電話があって、今後、お嬢さんの学費はカトリックの支援機関が負担するように手続きができましたから、落ち着いたら、学費のことは心配しないで、娘さんを学校に来させてくださいと伝えてくれました。

 また、あの時の周囲のママ友たちの団結力は、ちょっと驚くほどのもので、それまで私自身は、学校のことは夫にほぼ、任せて切っていたため、正確には、その時点では、彼女たちはパパのママ友たち(パパ友も・・)でしたが、彼女たちが、夫の葬儀のためにしばらく学校を休んでいる娘の学校の勉強を子供を連れて教えにきてくれたり、学校やお稽古事(バレエや水泳など)の送り迎えを手伝ってくれたり、皆が声をかけあって、助けてくれました。

 それまで、私はフランス人は利己的で冷たい・・などという勝手な印象を持っていたのですが、ここぞというときは、団結して助けてくれる暖かさと強い行動力を持った人々であったことを思い知らされました。

 彼女たちは、私が日本に帰国しようとしていることなど、そんなことは全くあり得ないことだと言い張り、「パパを亡くした○○ちゃんから、学校や友達、そして彼女からフランスと言う国を奪うつもりなの?大変なことはたくさんあるだろうけど、私たちが助けるから・・」と言ってくれました。

 言われてみれば、娘にとっては、パパを亡くして、そのうえ、友達もなくして、学校も変わって、国まで変わるということは、かなりな負担になることは間違いないことで、私もそれからしばらく考えました。

 それでも、もしも、すぐに帰国できる状況であったならば、この時ばかりは私も本当に日本に帰ってしまったかもしれないのですが、夫の死後の手続きにかなり時間がかかったこともあって、その間にママ友たちが言ってくれたことなども心に響き、私もフランスで仕事をしているし、娘のことを考えたら、やっぱりフランスに残った方がよいだろうと思い直して、結局、日本へ帰国するのはやめたのです。

 この時に最も印象的だったのは、ここぞという時のフランス人の優しさと団結力と愛国心で、中でも「娘からフランスと言う国を奪うつもりか!?」という言葉はちょっと日本人には出てきそうにない言葉だな・・と思いました。

 その後、日本にいる父がかなり弱ってきて、一人で生活するのが厳しくなり始めた頃、父は、私に日本に帰ってきてほしいと言い出しました。しかし、ちょうど娘の受験の時期と重なり、ここまで頑張ってきたのに、娘のフランスでの教育を実らせてあげたい、ここで台無しにするわけにはいかない・・と、ひとまず受験が終わるまでは、フランスに残りたいので、それまでは頑張って!と父に話しました。

 しかし、結局、父はその前に逝ってしまいました。親不孝なことです。

 結局、これまでに、何回かは日本に帰ろうと思ったこともあったのですが、結果的には、タイミングがよかったのか?悪かったのか?日本に帰ることにはなりませんでした。

 今、もしも、両親のどちらかでも生きていれば、私は今度こそ、本当に日本に帰っていたと思うのですが、今では帰ることができないわけでもないのですが、特に帰る理由もない感じになりました。

 最近、パリにいる日本人の友人には、「子供も巣立って、夫婦で日本に帰ろうか迷っている・・」と話している人もいれば、もうすっかり日本には帰るつもりはなく、しっかり終活をして、準備をしている人もいます。

 私は今のところは、結局、どちらにも決めきれず、まあ、もう少し考えようと、決断することを先延ばしにしています。私の理想はフランスと日本、半々の生活です。


日本への本帰国 永住


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