私の母は、英語が好きで、小さい頃から、私に、英語を教えてくれていました。
小さい頃のことでしたから、私には、特別に、英語を覚えるとか、学ぶとか、そういった感覚は、まるでありませんでした。
生活の基本は、日本語でしたが、子供の頃から、母は、私に、遊ぶように英語に触れさせてくれて、自然になんとなく、耳に入ってくる英語に、少なくとも抵抗のようなものは、微塵もありませんでした。
一番最初は、何だったのかは、覚えていませんが、英語の単語カードで、かるたのように遊んだり、絵本を見ながら、お話のテープを聞いたり、歌を歌ったり、ゲームをしたりしているうちに、アルファベットもいつの間にか覚えていました。
夜、寝る時には、必ず、英語のお話のカセットテープを聞きながら、寝るのが習慣になっていました。頭が柔軟な子供の時期には、英語版の「ぐるんぱの幼稚園」や「だるまちゃんとカミナリちゃん」などのお話を英語で諳んじることが、無理なくできていたのです。
やがて、小学校に入った頃に、母は、私一人だけでなく、近所の子供を集めて、家で英語を教えるようになりました。その頃には、英語の読み書きをすることが嬉しくて、楽しくて、初めて買ってもらった、英語のノートの表紙を今でも覚えているくらいです。
そして、後から、英文法なども、教わりましたが、母は、おかしな英語の場合は、きっと、文章を読んだり、聞いたりしたときには、違和感を感じるはずだから、その感覚に頼りなさいと言いました。
それでも、私は、英語がネイティブのようにできるわけではありませんが、英語に関しては、少なくとも、苦労して覚えたという記憶がありません。
かねてから、母は、「私は、英語の音が好きなの。」と言っていて、私は、その時は、あまり、意味がわかりませんでしたが、今は、私にとっても、いつの間にか、英語が耳ざわりの良い言語になっていることに気付かされるのです。
そして、私に、娘ができた時には、状況は、少し違っていて、生活の基本は、フランス語の環境にいたために、今度は、私は、まず、母が私に英語を教えてくれたように、娘に日本語を教えることになりました。
それでも、私が娘に日本語を教えるにあたっては、母が私に英語を教えてくれた時のように、日本語のカードを作ったり、絵本を読んだり、カセットテープではなく、ビデオやDVDになっていましたが、日本の幼児番組やアニメを見せて、育てました。
母は、私に英語を教えることで、私に、自分の子供に外国語を教えるということも教えてくれていたのだと思います。いいえ、英語ばかりではなく、母が私にしてくれた教育を私は親として当然すべきことと思い、娘にも同じことをするのが当然のことと思っていました。
しかし、私が当然のことと思い込んでいた母が私にしてくれていた教育は、いざ娘に私が同じことをしようとしていると、それは決して、当然ではなく大変なことだったことが身に染みました。英語だけでなく、最初にピアノを教えてくれたのも母でした。ピアノに関しては、娘があまりに嫌がるため、私は、早々に断念してしまいましたが、子供の頃に母が私に英語を教えてくれた英語の単語のカードを使って、娘に英語も教えました。
そのカードは、今も大切に持っているので、今度は、娘に子供ができた時に、そのカードで娘が自分の子供に英語を教えてくれたら嬉しいなと思っています。
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