2019年12月22日日曜日

お稽古ごとの範疇の私のピアノに対する過剰な反応をしてくれるフランス人




 私は、小さい頃から、ピアノのおけいこをしていました。母は、特に、私をピアニストにしたいと思ったわけでもなく、周囲の従姉妹たちや、学校のお友達などもピアノを習っている人は、多かったので、それは、単なる、お稽古ごとに過ぎなかったわけで、ピアノを弾くということが、特別なこととは、思っていなかったのです。

 当時、公立の小学校でも、音楽室には、一人一台、オルガンがありましたし、日本では、たとえ、オルガンといえども、キーボードに触れたことがない子供は、いないのではないかと思います。

 私は、毎日のピアノの練習をするのが、嫌な時期もあり、練習をあまりしていないと、一週間に一度、ピアノの先生のところに行く時には、わざと、忘れたふりをして、楽譜を持って行かなかったりしたこともありましたし、途中、ピアノの先生とケンカして、やめてしまったり、受験前には、中断をしたりしたこともありましたが、結局、二十歳くらいまで、ピアノのレッスンは続けていました。

 中学校の頃には、クラスで合唱をしたりする時に伴奏をしたりして、みんなと一緒に音楽を作り上げることが、とても楽しかった思い出もあります。

 母は、私に、何のためだったのかは、わかりませんでしたが、早くにピアノに触れさせてくれて、絶対音感を植えつけてくれました。嫌気がさすことがあっても、それだけ続けてこられたのは、やっぱり、ピアノが自分の楽しみのひとつになっていたからです。

 とはいえ、音大に進んだりするほど、集中的に学んできたわけではないので、私のピアノの腕前は、単なるお稽古ごとの範疇で、全く大したことはありません。

 しかし、始めて、イギリスに行った時、スタージュをさせてもらっていた施設で働き始めた時に、そこのマネージャーが私の履歴書をみて、(趣味の項目にピアノと書いていましたので)「ずっと、誰も触っていなかったピアノがあるから、調律を頼んでおいたから、いつでも、好きな時に弾いていいわよ!」と、言ってくれました。

 初めての留学で、寂しかったこともあり、せっかく、調律してくれたのだからと、私は、時間があくと、ピアノを弾きました。

 すると、周囲の反応が、どうも、日本とは、違うのです。周りの人がどんどん、集まってきて、大げさに感動してくれるのです。

 たしかに、全てに対して、日本人に比べて、リアクションが大きい人たちではありますが、プロは、別として、どうやら、普通の人がピアノを弾くということが、日本のようにふつうなことではないようなのです。

 「どこで、ピアノの勉強をしてきたの?」とか、「いつから、やっているの?」とか、たちまち、私は、質問責めにあいました。

 それからというもの、周囲の人たちは、私が息抜きに弾くピアノをとても楽しみにしてくれるようになりました。留学当初で、言葉の壁を感じていた私には、ピアノがずいぶんと気持ちをほぐすきっかけを作ってくれました。

 それは、フランスに来てからも同じで、何となく、時間がある時に、ピアノを弾きたいと思い、中古のピアノを買ってから、時々、家でピアノを弾くようになりました。

 誰に聴かせるわけでもなく、単なる自分の楽しみのためのピアノでしたが、もしや、騒音の苦情が来てはいけないと心配していたのですが、隣のおばさんが、友人を引き連れて、ベランダに出て、拍手してくれたり、「あなたが、ピアノを弾くとは、知らなかった・・ピアニストね!」などと言われたり、恐縮の極みでした。

 「これで、ピアニストって・・・」と、ちょっと、身の置き所を失くしていると、娘が、「フランスでは、この程度、弾ければ、ピアニストって言うんだよ!」と言われて、改めて、日本の文化的な教育のレベルの高さを感じさせられました。

 だって、日本では、私程度のピアノが弾ける人は、ゴロゴロいるし、私がピアノを弾いても、誰も驚かず、ましてやそれをピアニストなどと呼ぶ人は誰もいませんから・・。
























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