2019年12月3日火曜日

基本、信用しないことで成り立つフランスでの生活




 我が家の近所には、大きな passerraile (パスレール)(歩道橋、陸橋のようなもの)があって、その陸橋には、かなり高い階段とともに、エスカレーターがついていました。

 私が現在の住まいに引っ越してきた頃から、そのエスカレーターは、動いたり、動かなくなったり、修理を繰り返して使われていたので、運が良ければ、動いているかな?という感じでした。

 それが、5年ほど前に、とうとう、エスカレーターは、撤廃して、新しくエレベーターが設置されることになりました。

 壊れたエスカレーターには、工事中の柵がかけられたまま、工事は、なかなか始まらず、2年くらい放置されたまま、これなら、せめて、エスカレーターの上を歩かせてくれる方が遠回りしなくて済むのに・・と思いながら、陸橋を渡るときには、長い階段を登っていました。

 そして、ようやく工事に取り掛かり始めてから、さらに、また約2年、工事は、何回も中断しながら、ゆっくりゆっくり進み、つい最近、ようやくエレベーターの様相が現れ始めました。

 これから、また、どれだけかかるかと、もはや、期待さえ、しなくなっていましたが、つい先日、どうやら、完成したようで、通りかかった時に、恐る恐るエレベーターのボタンを押してみると、エレベーターが降りてくるではありませんか?

 最悪、途中でエレベーターに閉じ込められることを覚悟で、携帯電話を握りしめながら、エレベーターに乗って、陸橋の上にすんなりと着いた時の感動といったら、ありませんでした。

 エスカレーターが壊れて、エレベーターが設置され、それが普通に動くことに、こんなにも感動する自分に、改めて、いかに、フランスでの生活の一つ一つの事柄を信用しないことを前提に暮らしていることに気付かされたのです。

 それは、もう20年以上にもなるフランスでの生活の一つ一つに、少なからず、痛い目にあってきた結果なのです。

 たとえば、駅で、切符を買うのに、今は、自動券売機が主流ですが、私は、必ず、券売機で切符を買うのにも、駅員がいることを確認してから買います。

 券売機には、問題があった時に、問い合わせのできる呼び出しボタンのようなものが着いていますが、呼び出しボタンに応答してくれる人が出てくれるとは、限らないからです。

 問題が起こった時には、その場で、苦情を訴えなければ、泣き寝入りすることになる可能性が大です。

 以前、券売機にカードを通して、カードが通ったことが確認されてから、切符が途中で、出てこなくなってしまったことがありました。

 幸い、駅員さんが窓口にいたので、返金の手続きをしてくれたので、よかった・・と思っていたのですが、後日、お金は、落とされていないので、返金の必要がないと確認されましたという通知がパリの営団交通から通知が届きました。

 人を介してでさえ、そんなことがその場で確認できない、いい加減さには、もうお手上げですが、トラブルをできるだけ、回避し、トラブルに遭った時には、どう対処するのか、また、対処しやすい方法で生活することをいつの間にか、悲しいかな、身につけてしまっているのです。

 ネットで注文した商品が届かない、紛失する、家の中の工事を頼んでも、約束の日時に来ないことなど、普通です。

 いつか、インターネットが故障した際にネット会社に問い合わせの電話をして、ある程度、色々なことを試みて、やっぱり修理が必要だということになり、修理の担当の人が来てくれたことがありましたが、要領を得ない人で、色々といじった挙句に、「わからない・・、次回、別の人に来てもらいますから・・」と言って、帰って行ったことがありました。

 修理の人が来ただけで、出張料金が取られます。お金だけでなく、こちらもそのための時間をまた、割かなければならないし、何より、その間、インターネットは、使えません。

 フランスでは、修理ができない人も修理に来る可能性があることをその時、学びました。

 果たして、次回は、優秀な人が修理にやってきてくれて、難なく、修理は、完了しました。私は、次回、もし、また、修理が必要になった時のために、その人に頼み込んで、次回は、個人的にお願いしたいからと、連絡先を聞きました。

 彼は、会社には、絶対に言わないことを約束してくれるなら・・と連絡先を教えてくれました。

 幸い、それ以来、インターネットが故障することはなく、彼に連絡したことは、ありませんが、トラブルが起こった時に、少しでも痛手を最小限にする生活の仕方を常に何重にも用意して暮らしているのです。

 「信用しない」「期待しない」「黙って諦めない」これが、私のフランスで生活していくためのモットーのようなものです。

 こうして生活していると、5年がかりで、やっと完成したエレベーターがすんなり動くことに感動するようになるのです。

 正直、こんなことに感動している自分に気づいた時は、とても、微妙な気持ちになりました。


 







0 コメント: