私の幼少期には、物心ついた頃から、母が英語とピアノを教えてくれていました。
ピアノは、小学校に入学した頃からは、別のピアノの先生に習いに行きましたが、英語は、小学生の間は、母が教えてくれていました。
母は、英語が好きな人でしたので、英語を教えるのが趣味のような感じでした。後には、近所の子供を集めて英語を教えたり、ついには、英語のワークブックを出版したり、カセットテープを作ったり、自動英語教育をする人に講演をするまでになりました。
それもこれも、もともとは、私に英語を教えようとしたことが、きっかけでした。
小さい頃の私は、英語のお話のカセットテープを聴きながら、寝かしつけられていました。英語で読まれた ”グルンパの幼稚園” などは、暗唱できるくらい何度も何度も聞いていましたし、英語の単語カードなどを使って、楽しく英語を教えてもらっていました。
そんな、母が私にしてきてくれたことは、別に何を言われたわけでもないのに、母親が子供に当然やるべきこととして、私の中に自然と刷り込まれていたのです。ですから、私は、大して考えることもなく、私は、娘には、英語+日本語を教え、(まあ、私の場合は、状況も違ったので、英語も少しは、教えましたが、日本語を教えることの方が、圧倒的に優先していましたが・・・。)ピアノも教えるつもりでした。
日本語の教育については、以前、バイリンガルの教育として、書かせていただきましたので、ここでは、私が娘にピアノを教えようとした時のことについて書きます。
それでも、最初は、娘がピアノが好きになるかどうかもわからないので、小さいキーボードを買いました。そして、まず、それこそ、バイエルの上巻からです。右手の練習から・・。と始めようとすると、娘は、まず、鍵盤を数え始めたのです。???と、しばらく見ていると、娘はピアノを数えて覚えようとしていたのです。
これには、ビックリしました。ピアノを弾くのに音で覚えようとしないで、数えて覚えようとする子供、いや人を私は、初めて見ました。これは、おかしいぞ・・と思いました。私は、どちらかというと、適当になんとなく、楽譜もよく見ずに弾いて、よく先生に怒られたものでした。娘は、その真逆でした。
そして、決定的に絶望的な事実が判明したのです。
主人はビックリするほど、音痴で、カラオケなどでも、聴くに耐えない酷いもので、(しかし、本人はそんなことは、いにも介さず、朗々と歌い上げるので周りは堪りません。)見事に娘もその残念な遺伝子を引き継いてしまっていたのです。
しかも、何でもやりたがりの娘が、ピアノの練習は10分もすると、”おててが痛くなっちゃった〜” と始まるのです。どんなに走り回っても、足は全然、痛くならないし、疲れもしないのに、ピアノは10分もすると、おててが痛くなってしまうのです。
しかも、彼女は音を音で覚えるのではなく、数で数えて覚えようとするという音楽へのアプローチ。これは、向いていない!と、バッサリ、ピアノは諦めました。
私も自分の仕事もあり、無駄な時間もお金もありません。別にピアニストにするつもりで教えようとしていたわけではありませんが、あまりに才能のないものに無駄な努力を強いても、音楽が嫌いになるだけです。
結局、ピアノの代わりのお稽古事は、バレエになりました。バレエもあまり、上手とは、言えませんでしたが、それでも基本的に身体を動かすのが好きで、本人は楽しくやっ
ていて、結局、10年くらいは続けたでしょうか?
親がやらせたいからといって、明らかに才能のないお稽古事は、時間と労力とお金の無駄です。ある程度の期間で見極めをつけて、きっぱり諦めるのが賢明だと思います。
そして、これは、お稽古事に限らないことなのかもしれません。子供があまりにも嫌がることを無理にやらせても、良い結果にはならないと思うのです。
やたらとたくさんのお稽古事をさせている人もいますが、子供が好きで、得意なことを見つけて、ある程度、絞ってやらせてあげるのが、良いと思います。