海外にいるからこそ、日本語を大切にするということ
私は、本が好きで、どこへ行くにも、本を持って歩いています。
もちろん、日本語の本です。
私は、日本語というのは、とても美しい言語だと思っていますし、とても誇りに思っています。日本語ならではの美しい表現や、言葉の使い方などが、とても好きなのです。
特に、パリでは、交通機関が当てにならないため、仕事の時は、もちろん、ランデブー(アポ)があったりする時も、時間に遅れないように、かなり、早めに家を出て、幸いにも交通機関に支障がなく、早く着いてしまった場合には、本を読んで過ごします。
私が海外で初めて暮らしたのは、ロンドンでしたが、思っていたよりも、スムーズに英語が伝わらず、イギリス英語ならではの、単語や言い回しなどに苦戦していた頃、英語が出来るだけ、早く上達するようにと、一切、日本語をシャットアウトしていたこともありました。
あんな風に頑なに頑張っていた頃の自分は、それはそれで、愛おしいような気持ちにもなります。
しかし、海外生活も長くなってくると、やはり、どうしようもなく、日本語が恋しくなることもあります。
アフリカにいた頃などは、ネットも繋がらず、日本語を使う機会もほとんどなく、持って行った本も少しだけで、ついには、主人が持っていたNHKの日本語講座のドラマ仕立てになっているビデオを見たりすることもありました。(笑)
娘が生まれてからは、娘に日本語を教えようと、必死で、娘とは、日本語のみで過ごすようになりました。私と娘の会話は、100%、日本語です。
甲斐あって、娘は、バイリンガルになりましたが、フランスで育った娘の母国語は、フランス語です。バイリンガルに育てる時に、注意しなければいけないことは、やはり、どちらかに重心をおいた母国語をしっかり持たせなければならないということです。
そのどちらかの軸足がしっかりしていないと、その子のアイデンティティーがぐらついてしまうからです。
それと同じように、私は、海外、どんな国にいても、日本語を大切にしていたいのです。それは、娘をバイリンガルに育てた時に大切に思ってきたように、自分自身のアイデンティティーを守り、保つことでもあるからです。
また、皮肉なもので、海外にいるからこそ、自分が日本人であるという自覚がはっきりしてくるものです。
私は、日本人で、日本語を母国語として育ちました。
英語やフランス語も多少はできるようになり、今までよりも多くの人と関われるようになりました。そして、イギリスやアフリカ、フランスで暮らしてきて、日本にだけ住んでいた頃とは違う考え方や感じ方もできるようになりました。
しかし、私のアイデンティティーを育ててきたのは、日本語を軸としたものなのです。
幸い、今では、ネットで世界中の人たちと繋がれるようになり、世界中の色々なものを見たり、感じたりしている人たちと、色々なことを日本語で共有できるようになりました。
なんと、素晴らしいことではありませんか?
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