2019年10月6日日曜日

パピーとマミーの愛情




 フランス語では、おじいさん、おばあさんのことをパピー、マミーと呼びます。

 娘は、アフリカで生まれ、フランスで育ち、私の父と母に初めて会ったのは、彼女が2歳になったときだったので、初めから、娘は、私の父や母のことを何のためらいもなく、「パピー」「マミー」と呼んでいました。

 娘が、無邪気に、パピー!マミー!と呼ぶ、その呼び方に、最初は、多少、戸惑っていた二人も、ジージとか、バーバとか呼ばれるよりも、パピーやマミーと呼ばれるその呼ばれ方の方が年寄り扱いされている気がしないなどと言い出して、いつの間にか、すっかり、パピーとマミーという呼ばれ方にも馴染んで、結構、気に入っていました。

 私自身も祖父母、特に祖母には、ことの外、可愛がってもらって育ってきましたが、父や母にとっても、孫の存在は、格別だったらしく、私が、母の仕事や、家の事を手伝ったり、看病をしたり、病院に付きそったりと親孝行のようなことをどんなにやろうとも、孫の存在や笑顔に触れた時のような、彼らの嬉しそうな顔は、見たことがありませんでした。

 父は、私が子供の頃などは、いわゆる昭和初期の世代の男で、口数も少なく、仕事仕事で、一緒に遊んでくれるというなどということもありませんでしたが、孫とは、楽しそうに遊び、あれこれとちょっかいを出してはかまって、娘との会話を楽しんでいました。

 母に至っては、それこそ、娘のやることなすこと全てをプラスに捉え、いちいち感心しては、娘のことを褒め、自分自身までもが無邪気に、孫といると、本当に楽しいね〜と公言して憚りませんでした。

 そして、それは、それぞれの最期の瞬間まで続き、母が危篤状態で、人工呼吸器をつけられて、もう瞳孔も開いていると医者に言われていた時でさえ、孫の呼びかけには、目を覚まし、父ももう、何も食べられなくなり、衰弱しながらも、自分の感情が抑えきれずにイライラと過ごしていた状態になっても、孫からの手紙には、穏やかな笑顔を取り戻していました。

 こう考えると、私がしてあげられた一番の親孝行は、両親に孫という存在を与えられたことだったのかもしれません。

 親と子の関係と、祖父母と孫の関係というものは、全く違うのかもしれません。

 自分自身が主体となって子供を育てていく親子関係とは違って、自分が歳を重ねて、人生も終盤にさしかかっている時、消えていくであろう自分の命と、これから育っていく新しい命である孫の存在とその関係は、自分の血を引いた命がこれからも、どこか自分と繋がって続いていく希望のようなものであったのかもしれません。

 

 

 

 













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