私は、初めてのお産を、言葉も満足に伝わらないアフリカでという、かなり冒険的な体験をしました。言葉が満足に伝わらないと言っても、フランス語は、通じるので、単に、当時の私のフランス語力が足りなかっただけの話です。
初めての出産、しかも、海外、そして、よりによってアフリカ・・・。
なのに、私は、出産に関して、あまり不安を感じていませんでした。
病院も一応、フランス人や現地の政府高官が使うという、総合病院で、先生もフランスとアフリカのハーフのとても聡明な感じのベテランのど〜んと構えている、頼もしい感じの女医さんでした。
とはいえ、日本でのお産のように、母親学級のようなものがあるわけでもなく(日本でお産をしたことがないので、詳しくは、わかりませんが・・)、月一回の定期検診と、出産前に2回くらい、出産の時の呼吸法の練習に行ったくらいでしょうか??
出産間近の検診の際に、「じゃあ、この日は、祝日だから、その翌日の○日、出産にしましょう!朝、8時までに病院に来て下さい!」「はっ・・ハイ・・。」
こんな感じに誕生日が決まるものなのか?とも思いましたが逆らえず、そのままになりました。
それでも、私には、一人だけ、強い味方の日本人の助産婦さんだった方が付いていてくれたのです。彼女は、ちょうど、現地に赴任している日本人の男性と結婚したばかりで、まるで、私の出産に合わせるがごとくのタイミングでアフリカにやってきてくれたのです。
約束の出産の日に、私は、主人に付き添ってもらって、病院へ行きました。
当時は、10キロ以上体重が増えるとお産がキツくなるというので、私は、何としても、10キロ以上は増やすまい!と心に決めて、体重の増加を10キロ以内に留めてきました。
苦しい思いをするのは、嫌だったので・・。
そのせいか、出産前のエコーの検査では、「少し小さめの赤ちゃんかもしれませんね。」などと、言われて、内心、「よしよし・・」と思っていたのです。
当日、陣痛促進剤を打たれて、お腹が痛くて痛くて、ずっと、のたうちまわりました。しかし、よほど、私のお腹の居心地が良かったのか、赤ちゃんは、1日経っても、産まれてきませんでした。
夕方になって、女医さんもあきらめて、「じゃあ、また、明日の朝から、頑張りましょう!」などと言われて、彼女は、さっさと帰って行きました。陣痛促進剤がおさまると、痛みはスーッとひきましたが、一日、のたうちまわった疲れから、その晩は、疲れ切って、グッスリ眠りました。
翌朝、叩き起こされるようにして(アフリカの看護婦さんは、日本の看護婦さんのようにソフトに起こしてはくれない)目覚めて、また、陣痛促進剤。
正直、昨日の苦しみを、またかと思うともう、本当に気が進まなかったのですが、このまま病院にいる訳にもいかなので、仕方ない・・という、感じでした。
それから、また二日目の陣痛促進剤を打つと、再び、痛みが始まりました。ようやく赤ちゃんの頭が出かかって、それからがまた、長くかかり、本当に途中でやめられるものなら、やめたいと思いましたが、そうはいきません。
しまいには、吸引機のようなものを赤ちゃんの頭に当てて出てきたので、しばらく、娘の頭はちょっと、とんがっていました。
それでも、午後、2時過ぎにやっと、娘は、産まれてきました。
産まれてきた赤ちゃんは、ちっとも小さめではなく、3400グラムもありました。
私の体重も10キロ以上は、増えていなかったし、お腹だって、そんなにすごく大きくなっていたわけでもなかったのに、一体、どうやって入っていたの? という感じでした。
とにかく、小さく楽にお産をしようと思っていたのに、それどころか、二日間も苦しむ羽目になって、一緒に付いていてくれた日本人の助産婦さんに、「これ、難産って言うよね!」と聞いたら、「これは、難産ってほどでは、ないと思うよ。」とあっさり。
一緒に立ち会ってくれると言っていた主人は、身体に合うサイズの手術着のようなものがなく、結局、入れず仕舞いで、待ちぼうけでした。
それでも、結果的には、主人よりも、助産婦さんだった彼女が付いていてくれたことの方がどれだけありがたかったことか・・。
赤ちゃんが出てきて、女医さんが、「おめでとう。女の子ですよ。」と私のお腹の上に赤ちゃんを乗せて見せてくれて、何だか、まだ、ベチョベチョに濡れていて、「えっ??なんだか、赤いサルみたい・・赤ちゃんて、ホントに赤いんだなぁ・・」などと思いながらも、なぜか、手と足の指がちゃんと5本ずつあるかを数えたことを覚えています。
そして、その翌日、私は、早々に退院しました。
2週間後の病院の赤ちゃん検診で、新生児黄疸の症状が出ていると、言われて、あわや、入院かという大騒ぎになりました。新生児黄疸は、日本人に特有のもので、ほとんど、黒人、たまに白人の赤ちゃんしか、扱ったことのない病院は、そのことを知らなかったのです。(私も知らなかったけど・・)
そこは、頼りになる助産婦さんの彼女が、お医者様に、これは、日本人特有のものだと説明してくれて、事なきを得たのです。
出産は、日本の方が・・などと言われたりもしたのですが、私は、最初から、主人と二人で子育てをしたかったので、頑として、アフリカでお産をすることにこだわったのです。
結局は、私にとって、女神のような、日本人の助産婦さんの存在もあり、無事に娘は、産まれてきたのです。
お産が終わってすぐに、女医さんに、どうだった?と言われて、私は、うんざりした顔をして、「もう、懲り懲りです。」と言いましたが、彼女は、笑って、「みんな、そう言いながら、また、戻ってくるわよ!」と余裕の笑顔で仰いました。
しかし、今になって思うと、私もずいぶんと無茶なことをしたものです。