2019年10月30日水曜日

パリに住む変な日本人




 パリに住んでいると、たまに、「変だな〜〜?」「何で? 」と思う日本人に会うことがあります。

 相手が日本人だとわかっているだろうに、頑なに、フランス語で推し通して、話し続ける日本人です。フランスで生まれ育って、日本語が話せないというのなら、まだしも、明らかにネイティブのフランス語ではないのです。

 一緒にフランス人がいる場合とか、周りの人にもわかるようにというシチュエーションならばわかりますが、一対一の場合は、意味がわかりません。

 せっかく、異国の地で、同じ、日本人同士なのに、なぜ、日本語を話すことを嫌うのか、そういう人に出会うと、(例えば、お店などで買い物をする場合など)一応、フランス語で要件を済ませるのですが、後には、妙なモヤモヤした気持ちが残ります。

 最近は、減りましたが、メトロの中などで、目があったりして、相手が日本人だとわかると睨みつけるような日本人もいます。

 フランス人は、一見、感じ悪くて、冷たい印象を受けることもありますが、メトロなどで、偶然、目があったりすることがあれば、たとえ、知らない人でも、ニッコリとしてくれます。

 それなのに、なぜ、同じ日本人を敵対視するような態度を取るのか、わかりません。

 これは、あくまでも、私の推測ですが、そういう人は、きっとプライドが高く、「パリに住む自分像」を頑なに持っているのではないかと思うのです。その自分像に、日本人は、邪魔な存在なのかもしれません。

 また、これは、その人の置かれた状況や教育に対する考え方などによる場合もあるかもしれないので、一概に否定はできませんが、一対一でも、自分の子供と変なフランス語で話している日本人のお母さんです。

 これは、意外と少なくないのにも驚きます。

 公文などに、日本語を習わせに来ているお母さんの中にもそういう人は、いるのです。日本語を学ばせようとしているにも関わらず、子供とは、変なフランス語で話す。まずは、お母さんと日本語を話すことでしょ!と思うのです。

 これでは、もう、公文は、ただのポーズのような、お稽古事でしかありえず、お母さんが子供と日本語を話すということをしなければ、日本語を話す機会は、ごくごく限られてしまうのです。

 子供が大きくなって、日本語が話せなくなってしまった場合は、もう、仕方がないことなのかもしれませんが、まだ、小さい自分の子供相手に、日本語で話すことを捨ててしまっているのは、私には、理解し難いことです。

 自分がフランス語を習得するために、フランス語を話そうとしていると、考えられないこともないのですが、まずは、子供が先でしょ!と思ってしまうのです。

 周囲が皆、フランス語を話しているときに、日本語を話せと言っているわけではありません。せめて、子供と一対一でいる時くらい、子供が身近に日本語に触れる機会を作ってあげたらいいのに・・と思うのです。

 私は、他のブログでも、さんざん、書いてきましたが、子供が日本語を話せなくなるということは、日本にいる自分の家族ともコミニュケーションが取れなくなるということなのです。

 小さい頃は、それでも、日本へ行っても、可愛い〜可愛い〜で済んでしまうから、良いかもしれませんが、大きくなるに連れて、会話が成立しなければ、関係を繋げて行くことは、困難になっていきます。

 日本語を捨てるということは、その子供の将来の日本の家族、日本との繋がりを切ってしまうことにもなりかねないのです。

 ここに挙げた二つの例に共通することは、日本人でありながら、日本語、そして、日本を捨ててしまっている、捨てようとしているということです。

 私が、感じる違和感は、そこだったのだと改めて感じています。














 

0 コメント: