2019年10月23日水曜日

娘のアルバム




 娘が生まれて、私にとっては、初めての子供で、やたらと写真を撮っていました。

 娘は、平成生まれですが、それでも、彼女が生まれた頃は、まだ、カメラにフィルムを入れて、写真を撮ると、フィルムをカメラから出して、写真屋さんに現像をしてもらい、その中でよく撮れているものを選んで、焼き増ししてもらうという、今では、考えられないようなことをしていたわけです。

 母がよく、娘の洋服を送ってくれていたので、その洋服を着せては、写真を撮って、郵便で送るということをずっとしていたわけです。普段は、会えない孫の写真が郵便で届くのを日本の両親や家族は、とても楽しみにしていました。

 そんなわけで、娘の幼少期の写真は、やたらと沢山あり、アルバムも随分とたくさんあります。

 ところが、カメラはみるみる進化し、カードに保存して、メールなどで送れるようになって、それから間も無く、スマホで写真が撮れるようになり、そのまま、すぐにスマホで写真が送れるようになり、写真を現像するということもなくなり、アルバムは、スマホやパソコンの中に保存するものになりました。

 ですから、娘の現像した写真のアルバムもパッタリと途中で途切れて、それ以降の彼女の人生の大半の写真は、スマホのアルバムの中に保存されています。

 最近で、現像した写真といったら、証明写真以外は、成人式で着物を着せた時に写真屋さんで撮った写真くらいです。

 しかし、アルバムの写真というものは、実際、見やすくて、家族の歴史としては、やはり、積み重なっていく感じが良いなぁ・・と感じる私は、古い人間なのでしょうか?

 写真の現像とともに、消え去りつつあるのは、手紙です。

 スマホやメールにより、こと足りてしまうどころか、遠い国に住んでいても一瞬のうちにメッセージを送れてしまうのですから、今では、時差の方が気になるくらいです。

 その上、早くて便利で安上がりですから、どうしても、メールやメッセージになってしまいます。

 私は、海外で生活し始めてからは特に、随分と手紙を書いていましたが、今では、ペンを持って字を書くということ自体も稀になってしまいました。

 字は、書かなくなると、書けなくなり、特に一筆書きで書けるような、アルファベットの文字ばかり書いていると、漢字という画数の多い複雑な文字を書くのがとても億劫になってしまいます。

 ペンを取って、思い入れを込めて、手書きで手紙を書くというのは、時代遅れなのかもしれませんが、その人の字体などにも人柄や気持ちが表れていて、なかなか味のあるものです。

 最近、母の残してくれた手紙を見ていて、私の一時期の手帳に書いてある文字にあまりにそっくりで、これ、確かに私が書いたんだよな〜、まさか、母が書くわけないしな〜、と考え込んでしまったほどです。

 でも、親子で、いつしか同じような字を書いていたことにも何かホッコリとしたものを感じるのです。

 いつか、私が旅立った時、娘が私を思い出してくれるものは、全て、スマホの中というのは、なんだか寂しい気がするのです。

 











 

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