2019年10月4日金曜日

母がパリに来てくれた時のこと





 私が、パリに引っ越した頃には、母は、もうすでに、心臓病を発病していたので、ヨーロッパまでの長旅は、単に長距離の移動ということだけでなく、飛行機の中の気圧の変化等の問題もあり、到底、無理だろうと思っていました。

 本来の母は、社交的な性格で、英語も堪能で、時代が時代なら、もっと海外を自由に行き来していただろうと思われる人でした。ですから、娘が海外で暮らしているなどという環境にあれば、健康であったなら、毎年のように、パリにもやって来ていただろうと思います。

 それが、娘がまだ3歳くらいの頃だったでしょうか? 突然、母から、来月、パリに行くから・・と連絡をもらって、私は、嬉しい反面、本当に大丈夫なのだろうか?と、何よりも、彼女の健康が心配になりました。

 もちろん、お医者さまとも相談の上だったと思いますが、私は、無理をしないで欲しいという気持ちの方が強かったのです。

 これが、心臓の病気の厄介なところで、はた目からは、病状がわかりづらいので、ついつい無理をしてしまうのです。

 しかし、こうと決めたら、とにかく、やってしまう母ですから、自分で友人を誘い、友人とともに、パリへやってきたのです。

 とにかく、一度は、娘や孫の住んでいるところを自分の目で見ておきたいという気持ちが強かったのだろうと思います。

 そういえば、ロンドンに留学していた時も、母は、(あの頃は、全然、ピンピンしていましたが・・)ここぞとばかりに、突然、ロンドンに来てくれたこともありました。

 あの時も本当に突然で、クリスマス時期で身動きが取れなくなるロンドンから抜け出そうと、私は、友人とカナリー諸島への旅行の計画をしていて、母が日本へ帰る前に出かけてしまうという事態になっても、母は、お構いなしにロンドンを楽しんでいました。

 パリにやってきたのは、孫とのフランスでの時間を持ちたかったということもあったのでしょう。主人もお休みの日には、彼女が行きたいというジヴェルニー(モネの家がある場所)や、ベルサイユ、パリの街中を細かい路地を通って、車で案内してくれて、バトームーシュに一緒に乗ったりして、母も主人も娘も、明らかに興奮状態で、母の健康状態を心配する私が、興奮する周りを抑えるのに必死だった気がします。

 パリ市内は、メトロを使って、観光やショッピングを楽しんだ母は、フルコースでしっかりとメトロでスリにまで遭い、私が帰宅したと同時にホテルにいる母から電話があり、私も、再び、ホテルに戻って、その後、警察に被害届をもらいに行ったり、カードを止めたりなど、ひと騒動でした。

 母が来てくれたのは、初夏のことで、夏には、私たちもバカンスで日本に行くことになっていましたから、孫とも、しばしのお別れと言って、母は、元気に日本へ帰って行きました。

 私も、なんとか、母が無事に日本に帰って、ヤレヤレといった気持ちでした。

 あの旅行自体が母の病状にどれだけの負担となったのかは、わかりませんが、あの時の楽しそうな母の様子を考えると、やれることをやりたいうちにやれて、本当に良かったと思います。

 結局、それから5年後に、母は、亡くなりましたが、それでも、パリに来てくれた後の5年間の母の病状の変化を考えると、あの頃が、母がパリへ来る最後のチャンスだったのだろうと思うのです。

 母がどのくらい、自分の病気の進行を予測していたのかは、わかりませんが、自分が動けるうちに、どうしてもやりたいことを命がけででもやるという彼女の選択は、きっと、彼女にとっても、私たちにとっても悪くない選択だったのではないかと、最近になって思うのです。

 寝たきりで、安静にしていれば、もしかしたら、彼女の寿命は、もう少し長くなったかもしれません。もちろん、どんな状態でも、生きていてくれれば・・と思うこともあります。
 しかし、少し長くなった寿命をベッドの上で過ごすより、やりたいことをやって生きた彼女の人生の方が幸せだったのではないかと、今は、思うのです。

 今日、その時に、母と一緒に見た、モネの睡蓮の池を、その頃の娘が描いた可愛らしい絵を見て、母がパリに来てくれた時のことを思い出したのでした。

 

 

 

 

















 

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