2019年10月19日土曜日

日本の母からの小包




 私がフランスに来て以来、母は、毎月一度、小包を送ってくれていました。

 そして、母の体調が悪くなってからは、母の妹である叔母が、ずっと、その代わりをしてくれていました。

 当初は、フランスの郵便事情の悪さも、あまりピンと来ていなかったので、自宅宛で、日中は、仕事で家にいなかったため、その多くは、留守中に、不在通知が入っていて、休みの日に、郵便局に取りに行くことが多かったのです。

 私も娘も、とても、日本からの小包を楽しみにしていましたので、私が、お休みの日に、娘に、「今日は、どこに、お散歩に行きたい?」と尋ねると、迷わず、「郵便局!」と答えるほどでした。

 小さい頃の娘は、郵便局をドラえもんのポケットのように思っていたのです。

 毎月のことでしたので、大きな小包ではありませんでしたが、それでも、母は工夫して、娘の大好物の高野豆腐やひじき、切り干し大根、佃煮、おせんべいなどの日本の食品、日本のテレビ番組を録画したDVD、娘の洋服など、どれも、重量軽減のために、箱などは、取り除かれていて、クッションがわりに鰹節のパックや靴下などが使われていて、
小さいスペースにギッシリと詰められていました。

 小包には、必ず、母の短い手紙、時には、その時に庭に咲いていた花のスケッチなどが添えられていました。

 だんだんと、フランスの郵便事情などがわかり始め、紛失して届かなかったりしてしまったこともあり、小包は、私の勤めていた会社宛に送ってもらうようにしました。

 日中は、必ず、誰かがいるし、パリの中心地にある会社宛ての方が、国際郵便物の取り扱いにも慣れていて、紛失したりすることが、少なくなりました。

 それでも、クリスマスの時期などは、無くなってしまったこともありましたが・・。

 私の方からも、毎月とは言えないまでも、ずいぶんと母に小包を送りました。

 新しいシリーズの母に良さそうだと思われるお化粧品や、新作のスカーフ、マフラー、セーターなど、母に似合いそうなものを見つけると、必ずストックしておいたものです。

 そして、母や叔母の送ってくれた娘の洋服などを娘に着せては、せっせと写真を撮って、小包に忍ばせておきました。

 母の方も、出かける時などは、それを身につけて、娘が送ってくれたのよ!と嬉しそうに、孫の写真とともに、自慢していたのだそうです。

 今では、母も亡くなって、日本に帰国するたびに、少しずつ、実家の片付けをしています。私が母に送った洋服やスカーフ、マフラーなどを見つけるたびに、その頃のことを思い出しています。

 そして、私が母に送った走り書きのような手紙や、娘の写真なども残らず、大切に、箱に収められてあり、胸が熱くなりました。

 私の方も、母が小包にしのばせてくれていた手紙は残らずとってあります。

 私と母の往復書簡ならぬ往復小包でしたが、それは、離れていても、お互いのことを思って、品物を選び、短い言葉を手紙にしたためていた、親子の大切な軌跡のようなものであったのだと、実家の片付けをしながら、しみじみと思うのであります。

 

2 コメント:

kumiko さんのコメント...

私も母から小包をよく送ってもらいました。
rikaさんはお若いからお母様も若かったのでは?

母の死をどう超えられるのか私はまだわかりません。プールに行って泣きながら泳いでます。
水の中なら誰にも見られないから。

RIKAママ さんのコメント...

最近、お母様を亡くされたのですか?
大切なひとを亡くすことは、生きている中で、一番辛いことですね。

悲しいことですが、時間が癒してくれるとしか、申し上げようがありません。

ただ、当初は、悲しくて、出来るだけ、思い出さないようにしていたのですが、
ある人から、嫌でも忘れていってしまうのだから、思い出は大切にした方がいいよと言われ、
それから、少し、楽になりました。

私もプールで泣いたこともありましたし、けっこう、しばらくは、何かにつけ、家でも泣いていましたので、
娘にその度に、泣かないの!と言われていました。

私は、そうしているうちに、なんだか、自分の中に、母に似ている部分が見つかるようになり、
母は、今、自分の中に生きていてくれると感じています。